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魏国(曹魏)
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asaahingaeaw
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建国年 | 216年 |
没年 | 265年 |
初代皇帝〜最後の皇帝 | 曹丕→曹奐 |
首都 | 許昌→洛陽 |
通貨 | 五銖銭 |
主要都市 | 許昌、洛陽、武都、長安、下邳、合肥、陳留 |
滅亡理由 | 禅譲し、晋国(西晋)が誕生 |
魏国の詳細
魏国とは後漢の丞相曹 操の子である曹 丕が建国した中華の国の一つ。春秋戦国時代の魏や北魏とは違うので留意しよう。袁 紹を討伐し、河北を掌握した曹 操は鄴を征服し、後漢の三公(使徒、大尉、司空)を廃止し、丞相に就任する。曹 操は213年に魏公に就任し、216年に魏王へと昇格して封じられた。やがて曹 操が死去すると彼の三男である曹 丕が後漢の献帝に禅譲され、文帝として魏皇帝に即位した。その後は諸葛 誕の乱や司馬 懿や曹 爽との権力争いや曹 丕の子である曹 叡などが宮殿の改築や娯楽などにお金を使って魏が衰退する。蜀(蜀漢)を263年に滅亡させ、魏国内では司馬 懿の子である司馬 師、司馬 昭兄弟が権力を誇示し、曹 髦を廃止し、曹 奐が即位。司馬 昭の子である司馬 炎が曹 奐の禅譲を受けると晋国(西晋)を建国。280年に晋国(西晋)が呉国(孫呉)を征服すると三国時代は終了した。