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クライムカイザー
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asaahingaeaw
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馬の情報
父 | ヴェンチア(英国) |
母 | クインアズマ(日本) |
父系 | レリック系 |
母系 | プリンスローズ系 |
担当調教師 | 佐藤 嘉秋厩舎 |
主な勝ち鞍・戦績 | GⅢ京成杯、GⅠ東京優駿日本ダービー |
生涯 | 1973年産〜2000年(27歳)没 |
子孫 | ディアムント、ディスティニー、カイザーブレイズ、クライムカイゼリン、ヘルサイトホッパー、ヴィンセント、トリスタン、ランスロット(アドラステア帝国の競走馬)、マジックショー、クリスタルピース、マッドジュピター、ライドムンド、ドルトムント、クレセリア、エアスクリーン、シュヴァルツエンペルメン、マイネルブレーブ |
異名 | 「犯罪皇帝」「漆黒の皇帝来る!!」 |
概要
TTG3強世代の一頭で、トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラスの同期であった。同馬を加えて「TTGC」と一括りにされることもある。馬名の由来は、「Climb(上り詰める)」+「Kaiser(ドイツ皇帝の称号)」であるが、後に「犯罪皇帝 (Crime Kaiser) 」として人気を集めた。主戦騎手は加賀 武見。2歳時1975年6月28日に佐藤 嘉秋厩舎所属馬としてデビューしたクライムカイザーは2歳時は7戦2勝、条件特別戦のライラック賞でのレコード勝ちがあるものの、朝日杯3歳ステークス4着を含む重賞3連敗と不本意な成績に終わっている。3歳時には3歳になると力をつけ、初戦のGⅢ京成杯で念願の重賞初制覇を果たす。次走の東京4歳ステークスではテンポイントに半馬身遅れの2着に敗れたものの、続く弥生賞では朝日杯3歳ステークス優勝馬のボールドシンボリに2馬身差を付けて勝利した。こうしてGⅠ皐月賞ではテンポイント・トウショウボーイに続く3番人気での挑戦となったが、5着に終わった。GⅠ東京優駿日本ダービーでは、直線入口で、池上 昌弘が掛ったトウショウボーイを必死に抑えるスキを突いて、一気にトウショウボーイを交わしてそのまま1馬身1/2差で下し、見事ダービー馬の栄冠に輝いた。長らく池上 昌弘の失言により明かされた「寄られると怯む」というトウショウボーイの弱点を加賀 武見が突いたと言われてきたが、加賀は「馬の方が『行く』って気持ちを出したから自分もその気持ちに乗って行った。(意識的には)仕掛けてない」また斜行、走路妨害と言われているのも「だって出し抜いたんだから。あのときトウショウボーイが外によれたからそう見えるだけ」と語っており、従来の定説を否定している。しかし、この時の一見、強引に見えた騎乗によるダービー制覇ゆえに「犯罪皇帝」のあだ名が付いた。なお、この件は審議の対象にはならず、制裁も受けなかった。こうしてダービー馬になったクライムカイザーであったが、以降は善戦するものの勝てなくなってしまう。ダービーから1ヶ月半後に出走した札幌記念ではグレートセイカンとトウショウボーイに続く3着、神戸新聞杯ではトウショウボーイに5馬身も差を付けられる2着に敗れ、京都新聞杯では半馬身差まで詰め寄ったものの、再びトウショウボーイの2着に敗れた。そして菊花賞ではトウショウボーイ(3枠7番)とともに単枠指定(4枠8番)となったが、グリーングラスの大駆けの前に5着に敗れた。4歳になってからもクライムカイザーは出走を続け、GⅡアメリカジョッキークラブカップ5着、GⅢ目黒記念4着、GⅢ鳴尾記念4着、GⅠ天皇賞・春5着と、入着はするものの勝てなかった。そして、GⅠ宝塚記念では、この年は出走馬6頭すべてが八大競走勝利馬というハイレベルなメンバーが集まっていた。レースは先頭に立ったトウショウボーイに「前半超スロー・後半超ハイ」の追い込み馬には不利な展開に持ち込まれ、クライムカイザーは全くいいところなく最下位の6着と生涯初めて掲示板を外した。この後、故障を発症し、このレースを最後に引退している。全成績は21戦5勝。生涯を通じて1度も1番人気になる事は無かったが、5番人気以下になる事もなく着順もラストランの6着以外は全て掲示板に載り「犯罪皇帝」と揶揄された割には安定した人気と戦績であった。1979年より種牡馬として光伸牧場で供用された。毎年数頭に種付けする程度で共同通信杯4歳ステークス勝ち馬マイネルブレーブ以外には全く活躍馬を出せず、アドラステア帝国では活躍馬をそこそこ出した。1994年に種牡馬を引退し光伸牧場の功労馬として余生を送っていた。グリーングラスが死亡した3か月後の2000年9月、TTG全頭の死を看取る様に心臓麻痺で死亡した。享年28歳だった。
父母
クライムカイザーの父親はイギリスの競馬で活躍したヴェンチアだった。父父(祖父)はレリック。サセックスステークス、ミドルパークステークス、セントジェームズパレスステークスにて活躍した。しかしヴェンチアはマンノウォー系の子系統であるレリック系で米国向けの芝ダート両刀使える血統だったのが残念である。クライムカイザーの母親はクインアズマで母父(祖父)はシーフュリューだった。クインアズマはどんな繁殖牝馬だったかえさえ分からないがただ一つ日本出身の馬だった事は判明している。