日本 ウィキ
源氏
最終更新:
Bot(ページ名リンク)
-
view
源氏(みなもとうじ/げんじ)は、日本の嵯峨天皇以降、臣籍へと降下し「源(みなもと)」の本姓を受けた皇子や皇孫の氏族。
姓(カバネ)は朝臣(源朝臣(みなもとのあそん))。新撰姓氏録や華族の宗族制度における分類は皇別。

源氏の歴史
皇族からの臣籍降下は律令成立以前から存在しており、古くは公のカバネを与えられた諸氏や、天武天皇の時代に真人のカバネを与えられた諸氏、奈良時代の橘氏や、光仁天皇、桓武天皇、平城天皇の子孫などが存在する。
弘仁5年(814年)に嵯峨天皇の皇子女8人が臣籍降下し、源姓を与えられたのが最初の源氏である。これらの賜姓は、一定の年以降に生まれた子女のうち、生母の家格が低いものに一括して行われた。この賜姓は嵯峨の詔が述べているように、朝廷歳費の節約が理由とされる説が大勢を占めていたが、上級貴族として皇室の藩塀とすることが目的であるという説もある。しかし一部の氏族を除いては没落していく例が多く、藩屏としての役割を十分に果たせるものではなかった。「源」は皇室と祖(源流)を同じくするという意味であり、元々は中国の五胡十六国時代、南涼王の子の禿髪破羌が、南涼滅亡後に北魏に仕えた際、太武帝から禿髪氏と拓跋氏(北魏の帝室の姓)は源が同じであるとして源の姓を与えられ、源賀と名乗ったことに由来する。他にも、「源」は「水元」であるという説もある。例えば、『和訓栞』(谷川士清)では「みなもと、源をよめり。水元の義なり」とある。また、『神代巻藻塩草』(玉木正英)では「源ノ訓ハ水元也」とある。
嵯峨天皇の後の天皇も度々皇族を源氏として臣籍に下したことから、それぞれの祖とする天皇ごとに集団を形成し、氏爵を受けるようになった。これらの集団は年号により「弘仁御後(嵯峨天皇の子)」、「延喜御後(醍醐天皇の子)」などと呼ばれる。それぞれの祖と仰ぐ天皇の号をもって嵯峨源氏、仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、宇多源氏などとも呼ばれるが、これは同時代的に使用されたことはなく、『国史大系』の編纂にあたって使用されたのが最初である。
源氏の賜姓が開始されて以降、仁明・文徳・光孝の子孫には平氏賜姓を受けた皇族もおり、清和天皇の時代には別の賜姓が行われたが、源氏姓を受けたものは他の姓より格上とされた。その後平氏やその他の賜姓は途絶え、新たに賜姓される際には源氏ばかりとなった。源氏の中で最も高い官位を持つものは源氏長者と呼ばれ、奨学院・淳和院の別当を兼ね、氏爵を与える権限を持っていた。村上源氏師房流が繁栄すると、以降は嫡流である久我家がほぼ独占するに至ったが、足利義満が源氏長者となって以降は現職の征夷大将軍が就くことが多くなり、江戸時代にはほとんど将軍の独占状態となった。
平安後期以降、皇位継承とは関わりのない皇子皇女たちは出家する慣例が生まれたため、賜姓源氏はほとんど途絶えていた。江戸時代に入って一家が生まれた(広幡家)が、それを最後に源氏賜与は途絶えた。明治時代になると本姓を称することが停止されたため、源氏の存在が認識されることは少なくなった。源姓(本姓が源氏)の家系はそれぞれ別の苗字を号しているため、現在「源」を「苗字」として名乗る例は多くなく、推定人口は4,000人程である。
源氏の人物一覧表
日本
宇多源氏
村上源氏
- 源通親平安時代の役人
- 北畠親房鎌倉時代の役人(後の北畠顕家などの祖先になる)
- 北畠顕家南朝の鎮守府大将軍。鎌倉幕府北条 時頼と共に北朝や尊氏と戦った。
- 北畠具教戦国時代の伊勢国司で信長の次男信雄が結婚した際の義父。剣術を好んだとされている。
- 岩倉具視明治時代から大正時代にかけての日本の政治家
清和源氏
- 源義家頼朝や義経兄弟と尊氏の先祖にあたる武将で前九年の役や後三年の役が有名。
- 源頼光四天王を引き連れる平安時代の護衛。ちなみに四天王には渡辺 綱と金太郎で有名な坂田 金時がいる。
- 源頼政平氏に敗れたが鵺伝説で有名な頼政公。
- 源頼朝(河内源氏)鎌倉幕府の開祖
- 木曾義仲(木曾源氏)源 頼朝や義経兄弟と共に戦った信濃の武士。
- 源義経(河内源氏)頼朝の弟で源平の戦いで一番、活躍した武将。
- 足利尊氏(足利氏)室町幕府の開祖。今の栃木県足利市の出身。
- 太田道灌扇谷上杉氏家の家宰。足軽を日本で初めて運用した。
- 武田信玄(武田氏)戦国大名で甲斐、信濃を治めた甲斐の虎
- 土岐 頼芸斎藤道三に追放された哀しき守護大名。
- 明智光秀(土岐氏)織田信長の家臣でパワハラに耐えかね、反逆した。別名「和魏人」。
- 徳川家康(新田氏)新田氏は自称した物で現在でも事実上の家系は不明。江戸幕府の開祖。
- 細川護熙(細川氏)大日本帝国第79代目帝国宰相(総理大臣)。
嵯峨源氏
- 渡辺 綱酒吞童子の部下の腕を斬るなど源 頼光の四天王。下記の梶谷 綱頼の母方の先祖。
- 渡辺 元房渡辺 元の父(通称、渡辺 房)
- 渡辺 元渡辺 綱の子孫で梶谷 綱頼の先祖。沼隈郡誌にて記載が初めて確認されており、備後の守護大名。沼隈郡誌では居城は一乗山城とされているが稾江城の説も浮上している。正式な元服名は(渡辺 元綱)だとされる。
- 渡辺 清明治時代の福岡県県知事
- 梶谷 綱頼上記の渡辺 綱の子孫。こちらも色んな伝説がある武将兼広島幕府の開祖。
- 小泉 氏家梶谷 綱頼の父の代からの家臣
源氏姓別一覧表
添付ファイル