アジア推理小説翻訳史 > 探偵作家クラブ会員・東震太郎氏による中国探偵小説の紹介

アジア推理小説翻訳史 中国編(2)
2011年5月31日

※未完成

 中国のミステリの日本語への翻訳は、現在にいたるまでほとんど行われていない。1930年代にはすでに雑誌『新青年』で中国の短編探偵小説が4編翻訳掲載されているが、その後は続かなかった。これは、そこで翻訳された作品が中国の探偵小説の中でも必ずしも良いものだとは言えなかったことや、初出年や作者に関する情報が何もなく、それらの作品がいったい中国においてどのような位置づけの作品なのか分からなかったことなどが原因だろう。もっとも、1940年代には、欧米のものも含め、海外の探偵小説の邦訳はほとんどなくなる。戦後、欧米探偵小説の新訳が刊行出来るようになるのは、1949年のことである。

 それでは、日本のミステリ界は中国のミステリにまったく関心を寄せていなかったのかというと、そんなことはない。戦後、江戸川乱歩を中心とする探偵作家が集まって、土曜会という探偵小説を語る会が1946年6月から毎月1回開かれていた。そして、1947年6月21日、すなわち探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)創設の日に開かれた第13回土曜会では、探偵作家クラブ会員で作家の東(あずま)震太郎氏が「中国の探偵小説界」と題する講演を行っている。最初に日本のミステリ界で中国の探偵小説について詳しく紹介したのは、おそらくこの東震太郎氏だと思われる。

  • 第13回土曜会(1947年6月21日)
    • 東震太郎「中国の探偵小説界」
    • 渡辺三樹男「ソ聯の探偵小説界」
(講演タイトルは予告では「中国の探偵小説」、「ソヴエットの探偵小説および大衆芸術」となっている(会報第1号))

 中国の探偵小説についての東氏の講演と同時に、毎日新聞記者で5年間のソ連滞在経験のある渡辺三樹男氏によるソ連の探偵小説界に関する講演も行われた。なお、朝日新聞記者の渡辺紳一郎氏による「欧米探偵小説の近況」と題する講演も予定されていたが、これは渡辺氏の入院により中止となった。この日は、講演に先立って探偵作家クラブ創設に関する江戸川乱歩の挨拶や、水谷準による設立の経緯の報告、探偵作家クラブ規約の拍手による承認、木々高太郎の挨拶などがあり、作家や翻訳家、出版関係者など計60余名が参加し、土曜会始まって以来の盛況だったという。

 その前月の1947年5月17日に開かれた第12回土曜会にも東震太郎氏は出席している。第12回は東大教授の古畑種基が「犯罪と法医学」と題する講演を行ったが、探偵作家クラブ会報第1号(1947年6月)によれば、このときに話がたまたま中国の探偵小説界の話になり、終戦前後に上海にいた東震太郎氏が、乱歩の『白髪鬼』、『蜘蛛男』、「D坂の殺人事件」、「一枚の切符」等が中国語に翻訳され好評を得ているという情報を紹介した。おそらくこれをきっかけにして、次回でより詳しい話を聞こうということになったのだろう。

 第13回での東震太郎氏の講演の内容は、会報第2号(1947年7月)にまとめられている。曰く、
  • 「ビガース(米)の伸査礼(チャーリーチャン)探偵は、人物が温厚謙遜なので好まれている」
  • 「ルパン、ドイルは夙に翻訳され、わが乱歩の「D坂の殺人事件」「二銭銅貨」「白髪鬼」「蜘蛛男」等も訳されている。」
  • 「創作は至って少く、張恨水、耿小適等の作品も、人情本又は之に類するものであり、曹禹も実録物を書いている。」
  • 「種本は、康煕年間に多い公案物(裁判物)が主で、中にも「龍図公案」(包公案)はその模倣が多い。この本は例の「棠陰比事」と同じくわが「本朝桜陰比事」の淵叢で大岡政談的な物語が六十三種も収録されている。又、謎々的な一種の暗号めいた「柏案驚奇」と云った本も好まれている。」
(すべて新字体新仮名づかいに改めた)

 アメリカの推理作家ビガース(現在では「ビガーズ」が普通)が創造したチャーリー・チャンは、ホノルル警察の警部で中国系アメリカ人という設定。このころには少なくとも、程小青訳のものが刊行されていた。程小青(1893-1976)は、ホームズシリーズにならって霍桑(フオサン)シリーズを執筆し人気を博した探偵作家だが、翻訳も多くこなしている。現在ではチャーリー・チャンの中国語表記は陳査理(チェン・チャーリー/陈查理)が普通だが、このころは伸査礼(シェン・チャーリー)と書いていたんだろうか。
 中国で早い段階でホームズやルパンが読まれていたというのは、中国ミステリ史 前編で述べたとおりである。「二銭銅貨」も訳されていたとのことだが、暗号部分は一体どうなっていたのだろう。
 中国のオリジナル作品の現状や発展については、東氏はかなり悲観的な見方をしている。張恨水、耿小適という作家がいたそうで、前者は検索してみると「中国通俗小説の巨匠」としてヒットするが、後者は1件もヒットしない(張恨水:百度百科中国語版Wikipedia英語版Wikipedia)。曹禹(百度百科
 中国ミステリの始祖の程小青が訳したものが刊行されていた。

 2人のまた、同号にはそれとは別に、東震太郎氏のエッセイ「中国の探偵小説」が掲載されている。

 東震太郎氏は、1948年3月頃には戦後の作品をまとめたスリルとユーモアの小説集『素敵な双曲線』(トナミ書房)を刊行したが(会報9)、同年春に肋膜炎になり、夏より世界文庫出版部長を辞任して自宅療養に入る(会報16)。療養中にも作品を発表していたが、1949年6月3日、38歳という若さで逝去した(会報25)。本名・春田武。戦前はジャーナリストとして大陸方面で活躍。戦後は世界文庫社に入社し、雑誌『新生活』の編集者として勤務の傍ら、軽妙な筆致のユーモア探偵ものや、中国の怪奇幻想の物語を書いた。単行本は、『素敵な双曲線』のほかに、『七色真珠』(世界文庫)がある(会報25)。
 雑誌『新生活』を通じて交流のあった徳川夢声は、東震太郎氏逝去の報せが載った会報第25号(1949年6月)に、「幽霊を待つ」というタイトルの追悼文を載せている。

  • 東震太郎 探偵雑誌掲載作
    • 「趙少濂の遺書」(『黒猫』1947年10月号)
    • 「白氏残恨」(『宝石』1947年10月号)
    • 「色めがね」(『Gメン』1948年3月号)
    • 「裸婦と壺」(『黒猫』1948年9月号)
    • 「S子像綺談」(『Gメン』1948年11月号)
    • 「変な女」(『X』1949年8月号)


土曜会、その後

第18回では柴田天馬「中国文学に現れた犯罪、探偵」。
第47回

渡辺三樹男…『ソ聯特派五年』(上海書房、1947年)、『ソ連特派五年』(外国文化社、1948年)の著者。(→ソ連/ロシア推理小説翻訳史(3)参照)
渡辺紳一郎…函館市中央図書館のページ:http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/watanabe_shin.htm 。伊礼次五郎というペンネームで『新青年』や『モダン日本』にショートストーリーを発表。また戦後は、『オール讀物』に小説「泰西名画事件」を発表している。


最終更新:2011年05月31日 18:18