東野圭吾『容疑者Xの献身』の英訳版、エドガー賞候補に

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2012年1月22日

 1月19日夜、東野圭吾『容疑者Xの献身』(2005年8月)の英訳版 The Devotion of Suspect X (2011年2月)がエドガー賞最優秀長編賞の候補に選ばれたとのニュースがもたらされた[参照:エドガー賞公式サイト Edgar Nominees]。
(私は英訳版を刊行した @MinotaurBooksツイートで知りました)
 受賞作が決定するのは2012年4月26日。今から非常に楽しみである。

※日本時間の2012年4月27日午前11時ごろ、モー・ヘイダー(Mo Hayder)『Gone』(日本語訳『喪失』2012年12月、早川書房)の受賞が決定。東野圭吾『容疑者Xの献身』は受賞を逃した。

 このページでは『容疑者Xの献身』のエドガー賞ノミネートに関連して、そもそも東野圭吾の作品はどれぐらい英訳されているのか、『容疑者Xの献身』は英語のほかにどんな言語に翻訳されているのか、東野圭吾はアジアや欧米でどのように受容されているか、今までに海外のミステリ賞を受賞した日本のミステリ小説はあるのか、といったことについて書いている。

Index

まずは今回のニュースに関するちょっとした説明

エドガー賞とは?


 エドガー賞はアメリカ探偵作家クラブ(Mystery Writers of America、略称MWA)が主催する賞で、最優秀長編賞や最優秀新人賞、ペーパーバック賞などの様々な部門賞に分かれている。数あるアメリカのミステリ賞の中でも最も権威がある賞がこのエドガー賞だといっていいだろう。そして『容疑者Xの献身』はこのエドガー賞のいくつかの部門のうち最も注目を集める最優秀長編賞の候補5作のうちの1作に選ばれたのである。エドガー賞最優秀長編賞の受賞作には、最近では2010年受賞作のジョン・ハート『ラスト・チャイルド』(邦訳2010年、早川書房)、2011年受賞作のスティーヴ・ハミルトン『解錠師』(邦訳2011年、早川書房)などがある。なお、今回の最優秀長編賞で東野圭吾のほかに候補になっているのは、作家名だけ挙げると、アメリカのエース・アトキンズ(1970年生、男性)、イギリスのフィリップ・カー(1956年生、男性)、同じくイギリスのモー・ヘイダー(女性、東京に住んでいたことがあるらしい)、そしてノルウェーのアンネ・ホルト(1958年生、女性)。東野圭吾(1958年生)とアンネ・ホルトの作品は翻訳作品ということになる。東野圭吾は日本推理作家協会の現理事長であり、アンネ・ホルトはリバートンクラブ(=ノルウェー推理作家協会)の会長経験者である。

 日本の作品の英訳がエドガー賞の候補になるのは2004年の桐野夏生『OUT』以来で、今回が2度目である。『OUT』も『容疑者Xの献身』と同じく、エドガー賞の最優秀長編賞の候補になった。この時に受賞したのはイアン・ランキン『甦る男』(邦訳2003年、ハヤカワ・ポケット・ミステリ)で、残念ながら『OUT』は受賞を逃したが、候補になったことが影響したのか『OUT』の英訳版は約13万部の売り上げを記録している(『ミステリマガジン』2007年6月号参照)。ヨーロッパやアジアの多くの言語にも翻訳されており、現在では『OUT』は世界的に知られるミステリ小説となっている。

エドガー賞最優秀長編賞にノミネートされた翻訳作品はどれぐらいあるのか

 ところで、そもそもエドガー賞最優秀長編賞ではどのぐらいの頻度で翻訳作品がノミネートされるのだろうか。実は翻訳作品がノミネートされるのは非常にまれで、1954年の開始以来、約60年間で以下の9作品しかない(※エドガー賞公式サイトの受賞作一覧を見ながら私が調べたものです。もしかしたら見逃したものがあるかもしれません)。そのうち受賞にまでいたったのはマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー(スウェーデン)の『笑う警官』のみである。仮に今回、東野圭吾かアンネ・ホルトが受賞となれば、翻訳小説が41年ぶりに最優秀長編賞の栄誉に輝くことになる。

ノミネート年 原著刊行 言語 作者 邦題 原題 英題
1965年 1962年 ドイツ ドイツ語 ハンス・ヘルムート・キルスト 『将軍たちの夜』 Die Nacht der Generale The Night of the Generals
1971年 1968年 スウェーデン スウェーデン語 シューヴァル&ヴァールー 『笑う警官』 Den skrattande polisen The Laughing Policeman 受賞
1984年 1980年 イタリア イタリア語 ウンベルト・エーコ 『薔薇の名前』 Il nome della rosa The Name of the Rose
1994年 1992年 デンマーク デンマーク語 ペーター・ホゥ 『スミラの雪の感覚』 Frøken Smillas fornemmelse for sne Smilla's Sense Of Snow
2004年 1997年 日本 日本語 桐野夏生 『OUT』 - Out
2009年 2000年 スウェーデン スウェーデン語 カーリン・アルヴテーゲン 『喪失』 Saknad Missing
2010年 2002年 ノルウェー ノルウェー語 ジョー・ネスボ - Sorgenfri Nemesis
2012年 2005年 日本 日本語 東野圭吾 『容疑者Xの献身』 - The Devotion of Suspect X
2007年 ノルウェー ノルウェー語 アンネ・ホルト - 1222 1222

『容疑者Xの献身』の英訳者について

 日本の小説がアメリカの文学賞にノミネートされたと聞くと、伊藤計劃『ハーモニー』のことを思い出す人もいるかもしれない。『ハーモニー』の英訳版『Harmony』(2010年7月刊)は2011年1月にアメリカのSF賞、フィリップ・K・ディック賞の候補となり、2011年4月、見事に特別賞(Special Citation)の栄誉に輝いた。ちなみに、『ハーモニー』と『容疑者Xの献身』はどちらも日本語英訳者のアレクサンダー・O・スミス(Alexander O. Smith, @aokajiya)氏が英訳を担当している。『容疑者Xの献身』もぜひ『ハーモニー』に続いて受賞となってもらいたいものである(『ハーモニー』の特別賞受賞時にも同じようなことを書いたが)。アレクサンダー・O・スミス氏が英訳を担当した作品はほかに京極夏彦『姑獲鳥の夏』(英訳版)や光瀬龍『百億の昼と千億の夜』(英訳版)、宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』、栗本薫《グイン・サーガ》、小野不由美《十二国記》などがある。このうち、宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』の英訳版『Brave Story』は2008年にアメリカの児童文学賞のバチェルダー賞を受賞している。これは英訳された児童文学を対象とする賞である。1968年から続く賞で、日本の作品ではほかに、1983年に丸木俊『ひろしまのピカ』、1997年に湯本香樹実『夏の庭 The Friends』、2009年に上橋菜穂子『精霊の守り人』が同賞を受賞している。
 2010年5月に日本で開催された「SFセミナー2010」の「日本SF翻訳の楽しみ」と題するプログラムにはアレクサンダー・O・スミス氏が出演しており、その模様は『SFマガジン』2010年8月号に掲載されている。それによれば、スミス氏は音声認識ソフトを使って訳文を音声入力で作成していくのだという。

エドガー賞と日本の関わり

 前述したとおり、8年前にエドガー賞最優秀長編賞にノミネートされた桐野夏生『OUT』は受賞を逃しており、日本のミステリ小説がエドガー賞を受賞したことはない。ただ、日本の出版物がアメリカ探偵作家クラブの賞を受賞したことはある。1958年、勝呂忠(すぐろ ただし)氏が表紙を手掛けていた早川書房『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』がアメリカ探偵作家クラブ賞の美術賞特別賞を受賞している(『日本探偵作家クラブ会報』1958年6・7月号[第131号]参照)。ただし、エドガー賞公式サイト(英語)のデータベースには早川書房が美術賞特別賞を受賞したことについては書かれていないようだ。美術賞(ブックジャケット賞[Book Jacket Award])は1955年から1975年まで存続した賞である。
 アメリカ探偵作家クラブが主催する賞にはほかに、ミステリ界に貢献のあった編集者等に贈られるエラリー・クイーン賞という賞もある。1998年、このエラリー・クイーン賞を早川書房の代表取締役社長(2012年現在)の早川浩氏が受賞している(詳細は『ミステリマガジン』1998年4月号の受賞報告記事および同年8月号の授賞式レポート記事参照)。

補足:エドガー賞の日系人作家の受賞
  • 日系人によるエドガー賞の小説での初受賞は、ナオミ・ヒラハラ『スネークスキン三味線 庭師マス・アライ事件簿』(邦訳2008年、小学館文庫)であるらしい(※邦訳本の宣伝文句にそう書いてある)。この作品は2007年にエドガー賞のペーパーバック賞を受賞している。
  • その3年前の2004年には、日本人の母を持つ日本生まれのミステリ作家ニーナ・ルヴォワルの『ある日系人の肖像』(邦訳2005年、扶桑社ミステリー)がエドガー賞のペーパーバック賞にノミネートされている。この回のペーパーバック賞を受賞したのはシルヴィア・マウルターシュ・ウォルシュ『死、ふたたび』(邦訳2004年、ハヤカワ・ミステリ文庫)。
  • アジア系作家にまで視野を広げてみると、中国出身・アメリカ在住の中国人作家ジョー・シャーロンが英語で執筆した『上海の紅い死』(邦訳2001年、ハヤカワ・ミステリ文庫)が2001年のエドガー賞最優秀新人賞の候補になっている(受賞はデイヴィッド・リスの『紙の迷宮』[邦訳2001年、ハヤカワ・ミステリ文庫] )。『上海の紅い死』は2001年のアンソニー賞最優秀新人賞を受賞している。
  • さらに付け加えれば、アジア系の作家がアメリカの大きなミステリ賞を受賞したのは、デイル・フルタニ『ミステリー・クラブ事件簿』(邦訳1998年、集英社文庫)(原題: Death in Little Tokyo )が最初であるらしい(邦訳本のあとがき参照)。この作品は1997年のマカヴィティ賞最優秀新人賞とアンソニー賞最優秀新人賞を受賞している。

『容疑者Xの献身』は英語のほかにどんな言語に翻訳されているか

 エドガー賞の候補云々以前に、まず『容疑者Xの献身』の英訳が出ているということに驚かれた方もいるかもしれない。『容疑者Xの献身』は英語だけでなく、複数の言語にすでに翻訳されている。欧米で最初に刊行されたのは2011年2月の英訳版(アメリカ)だが、それ以前に韓国語版、中国語版(台湾および中国)、タイ語版、ベトナム語版が刊行されている。【2012年1月25日追記:英訳より4年も早くロシア語訳が刊行されていました】


東アジアで圧倒的な人気を誇る東野圭吾作品

 韓国や台湾、中国で日本のミステリ小説が大量に翻訳されて読まれているということはある程度知られていると思う。韓国では日本のミステリ小説が1年間に100タイトルほどのペースで翻訳されている(もっとも、韓国では欧米ミステリも大量に翻訳されており、翻訳ミステリにおける日本ミステリの割合は40%ほどである)。日本のミステリ作家の中でも特に東野圭吾は人気で、1999年に翻訳出版された『秘密』を皮切りに、やや古いデータだが、2008年末までの10年間で28タイトルが翻訳刊行されている。このうち18タイトルは、2007年・2008年の2年間で翻訳されたものである(韓国のミステリ雑誌『季刊ミステリ』2008年冬号参照)。年間10冊ほどのペースで翻訳されたことになる。以降も東野圭吾作品は次々と韓国語に翻訳されている。東野圭吾の代表作の1つである『白夜行』が2009年に韓国で映画化されているということを知っている人もいるかもしれない。

 台湾中国でも、2年ほど前のデータだが、日本のミステリ小説は1年間に80タイトルほどのペースで翻訳されている(『本格ミステリー・ワールド2010』参照)。翻訳ミステリにおける日本ミステリの割合は、台湾では50%弱、中国では25%ほどである。台湾では2006年に日本ミステリが120タイトルほど訳されたのをピークに、版権料の高騰などが原因で翻訳点数が減少している。一方、データは持っていないが、中国での日本ミステリの出版点数は増加傾向にあるように思われる。中国語圏では東野圭吾と島田荘司の人気が高い(参考:2人の人気と版権料の高騰に関する中国語記事 2011年7月7日、第一財経週刊)。もちろん正式に契約されて出版されているものが多いが、中国語圏では小説の電子版が著作権を無視してネットなどを通じて大量に出回っており、半年ほど前には東野圭吾が中国語圏での作品の出版を取りやめるという事件もあった。もっともその後事態は進展し、中国語圏での作品の刊行は再開される見通しである。


 日本のミステリ小説の受容国として次に挙げるべきはタイである。細かなデータはないが、横溝正史が大量に翻訳されているほか、島田荘司の『占星術殺人事件』(タイ語版)、『異邦の騎士』(タイ語版)、さらには歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(タイ語版)や、赤川次郎、高野和明、綾辻行人、石持浅海、道尾秀介、乙一などの作品が翻訳されている。ちなみにタイのネット書店でローマ字書きの「Higashino」で検索してみるとこういう結果になる→タイのネット書店での「Higashino」検索結果。これだと検索に引っかからない本もあるようだが、東野圭吾作品は少なくとも8作品以上がタイ語に翻訳されているということになる。なお、タイでは欧米ミステリの翻訳もやはり盛んのようで、たとえば日本で来月(2012年2月)刊行予定のヨハン・テオリン『冬の灯台が語るとき』はタイではすでに刊行されている(タイ語版『冬の灯台が語るとき』)。もちろんヨハン・テオリンの1作目、『黄昏に眠る秋』のタイ語版も刊行されている。

 ベトナムでは日本ミステリの翻訳出版は盛んではない、と思われる。ベトナムのネット書店でいろいろと検索してみたが、見つけられたのは東野圭吾の『容疑者Xの献身』と『秘密』(ベトナム語版)だけで、それ以外の日本のミステリ作家の本は見つけられなかった。

 インドネシアでも日本ミステリの翻訳出版は盛んではない、と思われる。ネット書店の検索で調べた限りでは、東野圭吾作品の翻訳は見つからなかった。ただし、2004年にエドガー賞最優秀長編賞の候補になった桐野夏生『OUT』(インドネシア語版)や『グロテスク』はインドネシア語版が出ており、今後東野圭吾作品もインドネシア語に翻訳されることになるかもしれない。

 その他のアジアの国々については分からない。

数えるほどしかない欧米諸言語への翻訳

 東野圭吾の欧米での受容状況はどうだろうか。そもそも、日本のミステリ小説の欧米諸言語への翻訳は非常に少ない。


 東野圭吾作品について改めて以下にまとめる(東欧やバルカン諸国などについては未確認)。


 英訳されているのは『秘密』(訳:Kerim Yasar)と『容疑者Xの献身』(訳:Alexander O. Smith)の2作品だけである。『秘密』は日本推理作家協会賞受賞作、『容疑者Xの献身』は本格ミステリ大賞受賞作なので、納得のラインナップといっていいかもしれない。なお『秘密』は直木賞の候補になっており、『容疑者Xの献身』は直木賞受賞作である。
 ちなみに、日本推理作家協会賞を受賞した長編で英訳が刊行されているのは東野圭吾『秘密』、小松左京『日本沈没』、逢坂剛『カディスの赤い星』、大沢在昌『新宿鮫』、桐野夏生『OUT』、宮部みゆき『龍は眠る』の6作品のみ。本格ミステリ大賞受賞作は、『容疑者Xの献身』以外には乙一『GOTH リストカット事件』が英訳されている。

 『容疑者Xの献身』英訳版はアメリカ・ミノトール(Minotaur)から2011年2月に出版された。初版部数が実際にどれぐらいだったかは分からないが、ウォール・ストリート・ジャーナル日本版の2010年7月5日付け記事「米ミステリー界へ海外から新たな旋風」には「前述のミノトールは、東野の「容疑者Xの献身」をアメリカで来年2月に初版7万5000部で刊行するという大きな賭けに出る。」という記述があった(注:日本語記事から引用、ただし現在は有料会員にならないと読めない/元の英語の記事はこちらで読める)。また、2011年2月11日にはウォール・ストリート・ジャーナルに「東野圭吾は第2のスティーグ・ラーソンになるか?」(Is this Guy the Next Stieg Larsson?)(同記事の日本語訳)という記事が載っている(スティーグ・ラーソンはスウェーデンの作家で、世界的ベストセラーになったミステリ小説『ミレニアム』三部作の作者)。出版社がかなり力を入れており、発売時から注目度も高かったらしいことが伺える。

 欧米諸国で最初に出た東野圭吾作品はおそらく2000年のイタリア語版『白馬山荘殺人事件』である。2003年にはドイツで『レイクサイド』が刊行されている。その後、2004年に英語版『秘密』が出ている。東野圭吾作品は英語より先にイタリア語やドイツ語になっていたのである。
 『容疑者Xの献身』は、英訳が出てから、スペイン語訳、カタルーニャ語(スペイン東部で話されている言語)訳、そしてフランス語訳が出ている。もしかしたらこれらは英語からの重訳かもしれない。重訳ではないにしても、翻訳出版の企画を立てる際に英訳があるということはプラスに働くだろう。いくつもある外国語の中で「英語」訳が出ているかどうかをことさらにとりあげるような態度には違和感があるが、英訳版が出るとそれを介してより多くの読者に届くようになるというのは事実である(たとえば、スウェーデン語作家のヨハン・テオリンの作品は、日本では英語からの重訳で出版されており、英語圏で賞を受賞しているということが宣伝文句として使われている)。そして仮に英語からの重訳であっても、スペイン語に翻訳されれば中南米にまで読者が広がるし、フランス語に翻訳されればアフリカのフランス語圏にまで読者が広がることになる。

 2004年にエドガー賞の候補になった桐野夏生『OUT』は現在ではヨーロッパの言語ではフランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語のほか、オランダ語、ポーランド語、スロヴェニア語、ロシア語、アイスランド語、ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語、ハンガリー語、ポルトガル語(ブラジルで出版)などにも翻訳されている。『容疑者Xの献身』も今後英語からの重訳等でヨーロッパ諸言語への翻訳が進むかもしれない。

今までに海外のミステリ賞を受賞した日本のミステリ小説はあるのか

 海外にはアメリカのエドガー賞以外にも多くのミステリ賞がある。『容疑者Xの献身』がほかにどのようなミステリ賞にノミネートされる可能性があるか、ということを考える前に、まず日本の推理小説が今までに受賞したことがある海外のミステリ賞について言及しておく。

 日本の推理小説で最初に海外のミステリ賞を受賞したのは、夏樹静子『第三の女』だと思われる。1989年にフランス語版『第三の女』がフランス冒険小説大賞(またはフランス犯罪小説大賞)を受賞している(過去の受賞作についてはWikipedia記事「フランス犯罪小説大賞」等を参照のこと)。これはフランスで最も歴史の長いミステリ賞であるが、「受賞が「マスク叢書」から出ている作品(あるいは出る予定の作品)に限られて」おり、「どうしても内輪の賞という感があ」る賞だとのこと(平岡敦「フランスのミステリ賞総まくり」『ミステリマガジン』1998年4月号より)。年に一作の受賞作に選ばれたことは光栄なことだといっていいと思うが、あくまでも特定の出版社と結びついた賞であり、自社の刊行物の宣伝のための賞だという点は否めない。フランスで刊行されたすべてのミステリ作品を選考対象とする賞には後述するフランス推理小説大賞やミステリ批評家賞がある。

 北京偵探(ていたん)推理文芸協会賞――といってもほとんどの人は聞いたことがないと思うが、中国には北京偵探(ていたん)推理文芸協会という団体があり、その団体(前身含む)が1998年から3年に一度ほどのペースで優秀作品に北京偵探推理文芸協会賞を授与している。中国語で書かれたオリジナル作品を対象とする賞と翻訳作品を対象とする賞があり、翻訳作品賞は通常は毎回1作品が選ばれるが、1998年の第1回は1950年以降の約50年間に中国で出版された翻訳ミステリが対象になり、ドイルやクイーン、クリスティの作品とともに、松本清張『点と線』(群衆出版社、1979年)、森村誠一『人間の証明』(中国電影出版社、1979年)、夏樹静子『蒸発』(群衆出版社、1996年)が受賞している。

第1回(1998年)北京偵探推理文芸協会賞 翻訳作品賞 受賞作一覧
中国語タイトル 作者中国語表記 出版社、出版年 作者 邦題
《在前线附近的车站》 [苏]尼古拉·托曼 中国青年出版社、1955 ソ連 ニコライ・トーマン 『戦線付近の駅で』 (邦訳なし)
《福尔摩斯探案选》 [英]柯南道尔 群众出版社、1957 コナン・ドイル 〈ホームズ・シリーズ〉
《形形色色的案件》 [苏]阿达莫夫 群众出版社、1957 ソ連 アルカージー・アダモフ 『雑色事件』 (邦訳なし)
《月亮宝石》 [英]柯林斯 上海新文艺出版社、1957 ウィルキー・コリンズ 『月長石』
《希腊棺材之谜》 [美]奎恩 群众出版社、1979 エラリー・クイーン 『ギリシャ棺の謎』
《点与线》 [日]松本清张 群众出版社、1979 日本 松本清張 『点と線』
《东方快车谋杀案》 [英]阿加莎·克里斯蒂 中国电影出版社、1979 アガサ・クリスティ 『オリエント急行の殺人』
《人性的证明》 [日]森村诚一 中国电影出版社、1979 日本 森村誠一 『人間の証明』
《诺言》 [瑞士]迪伦马特 中国社会科学出版社、1980 スイス フリードリッヒ・デュレンマット 『約束』
《梅格雷探案》 [比利时]西默农 上海译文出版社、1987 ベルギー ジョルジュ・シムノン 〈メグレ・シリーズ〉
《亚森·罗平探案》 [法]勒白朗 华夏出版社、1987 フランス モーリス・ルブラン 〈ルパン・シリーズ〉
《罪恶之角》 [美]罗斯·托马斯 群众出版社、1991 ロス・トーマス 『女刑事の死』
《红与魔》 [美]爱伦·坡 群众出版社、1994 エドガー・アラン・ポー 『赤死病の仮面』か??
《蒸发》 [日]夏树静子 群众出版社、1996 日本 夏樹静子 『蒸発』
《梅森探案集》 [美]厄·斯·加德纳 文化艺术出版社、1997 E・S・ガードナー 〈メイスン・シリーズ〉
《他不在现场》 [美]格拉夫顿 作家出版社、1997 スー・グラフトン 『アリバイのA』
(ホームズ物やルパン物、クイーンの作品、クリスティの作品は1950年以前にも中国語に翻訳されていたが、選考の対象外である)
  • 『戦線付近の駅で』 - 原題: На прифронтовой станции
  • 『雑色事件』 - 原題: Дело пёстрых - ソ連の推理作家ロマン・キムが江戸川乱歩に送った手紙にこの作品への言及がある。『宝石』に掲載されたロマン・キムの手紙の翻訳ではこの作品のタイトルは『複雑な事件』(第一信)、『さまざまな人の事件』(第二信)、『ぐれん隊事件』(第三信)となっている。

 第2回以降、翻訳作品賞は毎回1作品ずつ選ばれており、第2回(2001年)は夏樹静子『Wの悲劇』(中国国際広播出版社、2000年6月)、第3回(2004年)は『ジョセフィン・テイ推理全集』、第4回(2007年)は米国の推理作家ケヴィン・ギルフォイルの『我らが影歩みし所』が受賞している。2011年の第5回は該当作なしだった。

『容疑者Xの献身』がエドガー賞以外に狙える賞は?

 この節は2012年3月19日にページを独立させました。

補足:日本ミステリの英語圏での受容について

 ここでは詳述しないが、日本ミステリの英語圏での受容については以下の文献が参考になる。

  • 「自動車輸出がだめなら日本製ミステリがある」(『ミステリマガジン』1981年4月号、p.157)
  • 井沢元彦「「バウチャーコン」報告記」(『日本推理作家協会会報』1997年12月号、第588号、pp.1-2)(アメリカのミステリ大会・バウチャーコン参加顚末。日本から井沢元彦氏と山前譲氏が参加した)
  • 「日本ミステリ・パネル誌上再現」(『ミステリマガジン』1998年2月号、pp.16-18, 142-146) (バウチャーコンで行われた日本ミステリに関するパネル・ディスカッション)
  • 「アジア・ミステリ・パネル誌上再現」(『ミステリマガジン』1999年2月号、pp.140-143) (バウチャーコンで行われたアジアミステリに関するパネル・ディスカッション)
  • 仁賀克雄「海外が見た日本ミステリ」(『ミステリマガジン』2000年3月号、pp.76-77)

  • 『ミステリマガジン』2007年6月号 【特集:面白さは国境を越える――ニッポン小説の実力】
    • マーク・シュライバー(高山真由美訳)「日本ミステリ英訳史――受容から創造へ」(pp.20-23)など
    • 日本ミステリの海外での出版(主に英訳)についての特集号


関連リンク


更新履歴
  • 2012年1月25日:ばななさん( @booksbanana )より『容疑者Xの献身』のロシア語版、『OUT』のポルトガル語版(ブラジルで出版)が出ているとの情報を頂き、加筆しました。
  • 2012年1月28日:エドガー賞最優秀長編賞にノミネートされた翻訳小説が過去にどれぐらいあるのかを調べ、一覧表を作成。


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