『♪虹~I'm a Singer~:こんなにも長い間 何故歌って来たのかしら
ちいさなしあわせや 伝説の向こう側に
逃げ込むチャンスは いくらもあったのに
まだ歌っている
控室の窓辺の かすみ草の向こうを
あなたの横顔に よく似た思い出が
とおり過ぎてゆく 開演のベルが鳴るまで
あと15分
全てを手に入れたり 全て失くしたり
あなたまでも ひきかえにして
歌い手は虹のように 悲しみの雨の向こうで ~』
(ナレーター:1953年、昭和28年。雪村いづみさんがレコードデビューしました。当時16歳。立て続けにヒットを飛ばした雪村さん。
この頃人気絶頂だった、美空ひばりさん、江利チエミさんと映画で共演。三人娘は一世を風靡することとなります。その後アメリカへ渡ります。
しかし華やかな世界とは裏腹に、家族や仕事の悩みを抱え行き詰まっていた雪村さんは、1967年、仏法に巡り逢い入会しました。)
お昼のテレビ番組に出て、いたときに、その番組のプロデューサー、ジョー・ランディスっていう方が「Do you know 南妙法蓮華経?」って訊かれたんです。はい。
それでびっくりして、「あーアメリカにも創価学会があるんだ」って思ってびっくりして。そのジョー・ランディスさんと、シュライン劇場にいたんです。
で、ショーが終わって帰りに折伏、受けて、それでもうあの12時10秒前ぐらいでしたので、「はい…入ります…」って言っちゃったんですね。
で、そん時にみんながすっごい拍手してくれて、泣いてくれて、スクラム組んで歌ってくれて、で、もうびっくりしちゃって。
こんな世の中にね、こんな純粋なね、人の幸せ喜んで泣ける人がいるんだってすごいなー、うらやましいなーって思ったんです。
でも私の入信の動機は凄く不純なんです。ええ、早く家に帰りたかったから「はい」って言ったんですけど(笑う
「おーいいところ!」
(ナレーター:デビュー45周年記念コンサートツアーで、全国を駆け巡る雪村さん。息のあった仲間とリハーサルを重ねます。)
スタッフ「あ、ごめんなさいこれ三拍子だった」
「ようこそ!お越し下さいました!」
(拍手)
「シルバーエイジの歌姫、熟年男性のアイドル、雪村いづみです!」
(拍手)
「生まれつき楽天的でね、ノリやすくてね、躓いてもまたすぐ走りだす性格ですから、45年間、ただただ明日の空を見上げて歌い続けてきました」
(ナレーター:コンサート終了後、疲れも厭わず真心込めてお客様と触れ合います)
(ナレーター:1970年代、雪村さんはいくつものビッグステージに立ち、数多くの賞を受賞することによって、日本を代表する歌手としての地位を固めます。
ところが77年、初めて時代劇の役者と組んでコンサートを行うこととなり、それはでのショーとは打って変わった内容に、耐えられなくなってしまいます)
もう人気がどうだとかね、こんなことしたらファンに嫌われるんじゃないかとか、もうそういう失うことばっかり数え始めて、
嫌になってきて、初めてですよ、ショーを降ろしてくださいって言っちゃったんですね。
そしたら何だかそれから不安で不安で悩んで悩んでね、朝までお題目上げてたんです。
「どうしてこんなに苦しいんでしょうか、どうしてこんなに嫌なんでしょうか、どうしてこんなに悩むんでしょうか」ってお題目挙げてたんです。
そしたら、ハッて気がついたことがね、もう自分のことしか考えてない、もうほんとにエゴな、自分?に気がついたの。
一所懸命にやってくれてるスタッフのことも、お金を払ってわざわざ来てくださるお客様のことも考えない、自分が失うものだけしか考えてない自分に気がついて、ほんとに恥ずかしく思いました。
もう一流の名前を持ったね、ホント最低な歌手だったって気がついて、それで「
御本尊様すっごいことを教えて下さってありがとうございます」って、もう涙が止まらなかったんですけどね。
次の日から別人になってやりました。で楽しくやってそのショーが受けて、また次の年もおんなじメンバーでやらしていただいて。
その時に私は歌手として、宿命転換できたし、自分のエゴイズムが全ての悩みの原因だっていうことに気がつけました。
(ナレーター:仕事上の悩みを克服した雪村さん。しかしその後も様々な問題や悩みが容赦なく雪村さんを襲いました。
度重なる苦悩に人知れず街をさ迷ったこともあるといいます。中でも弟の薬中毒による家庭内暴力には、長い間悩み続け、精も根も尽き果ててしまうような事態に直面しました。)
ほんっとに私は追い詰められて追い詰められて、あの精神病院に弟を入れるところまでついに行ってしまったんですけれども。
で、もうこれじゃダメだ。あたしもう死んじゃうっていうところまで、追いつめられて、必死の題目上げてるときに、今までずっと先輩に言われてきた「宿命」っていう言葉に、気がついたんです。
「弟さんじゃないですよ、あなたの宿命ですよ」「あなたがそれを変えない限りは、弟さんはいつまで経っても変わりません」っていっつも言われてた。それを十日間ぐらい必死の題目上げてるときに気がついたんです。
それで私だー!って。内心は弟を恨んだり憎んだり、ほんとにねもうあの子がいなかったらどんなに自分は楽だろうとかって思いながら、やってた。
全然優しくない自分に気がつくことができて、そん時もう弟に申し訳なくて、可哀想なことしたなと思って、題目上げながら涙が出て涙が出て、で「御本尊様ありがとうございます、またひとつ気がつかせていただきました」って。
そしてこちらから弟に、初めて電話をかけまして、「ごめんなさいね」って、「ほんとの意味で私は優しくなかった」って、「ごめんね」って言うことができて、そしてパァッと相手が変わったんですね。
だから弟のおかげで題目上げられたし、今は感謝してます。オーストラリアで結婚して、二人の可愛い子どもができて、世界一幸せだって言ってます。うん。
「色んなことを今不況で抱えながらやってますけど」「ここほんとそうねー」
(ナレーター:現在、雪村さんは、目黒区創価学会の副婦人部長として、また芸術部の副芸術部長として活動に励んでいます)
「悩んだ文だけ自分の分になるって言うのがね、このところがやっぱり身に染みるかなって」「そうですねーみんな自分に言って頂いてるような気がw」
(ナレーター:雪村さんの三十年に渡る信仰の軌跡もまた、様々な苦悩への挑戦の日々であったとも言えます
そんな雪村さんの姿は娘のマリアさんの目にはどう写っていたのでしょうか)
朝比奈マリア「もうとにかくあの一所懸命な人なんですね、あの何をするにも一所懸命なんです
仕事も一所懸命だし、あの恋愛も一所懸命だし、あの家にたまにいて、あのやらなくてもいい掃除とかそういうことをしてる時もほんとに一所懸命だし、その姿を見るとやっぱり、ああ自分もちょっといい加減な生き方はできないなって。
であたしよりも、ママのほうがきっと何十倍も大変だろうなっていう、あの思いがね、ほんとにもう姿を通して教えられたっていうことですね」
司会「雪村いづみさんの歌で『はるかなる未来』をお送りします」
池田大作「しばらくだねぇ。全然変わらないねぇ。ほんとに女子部みたいだねぇ。安心できる人だ」
(拍手)
『♪はるかなる未来:今はまだ人と人の 悲しみが絶え間なくても
僕たちが植えた樫の木が茂る頃には 誰の目にも微笑みが戻るだろう』
(ナレーター:創価学会に入会したこと、池田先生にお会いしたことが私の人生の最高の出来事ですと語る雪村さん
池田名誉会長との出会いは雪村さんに何をもたらしたのでしょうか)
信心してから二十年ちょっとぐらい経ったころなんですけどね、あの色んな問題がやっぱりありまして、すっごく苦しんでもう最悪の状態になってるんですね。
で、その時に、池田先生にお会いできたことが、チャンスがあって、先生がみんなに言って下さった指導があったんです。
「信心をしている人にとっては、物事がどんなに、これ以上無いって言うぐらい最悪になったとしても、それが一番いいんだよ、それがベストなんだよ。そのことを確信するのが信心なんだよ」って言って下さったんです。
だからもう私自分あの時ズタボロでしたから、どれほどその指導に救われたか、分かりません。
それ以来私は、どんな最悪になっても、「あ、これがベストなんだ、これがあるから題目あげられるんだ、これがベストなんだ!」ってそれを確信して、その先生の指導を実際にずっと来てます。はい。
しばたけ?「WOW WOW」
(ナレーター:どんな苦難に遭遇しても決して希望を失うことなく、雪村さんは信仰を基盤に一つ一つ乗り越え、和楽の家庭を築きあげました。
また98年4月、歌手として紫綬褒章を受賞。これまで体験した数々の苦悩は、全てが素晴らしい財産に変わり、そして友の幸せを心から祈ることができる、命輝く雪村さんとなったのです)
「あたしが唯一、あなたに唯一してあげられたいいことは入信したことだね」
マリア「まぁそれはね…もう、ほんとに。信心してなかったら我が家はどうなっていたんだろうかって考えるとちょっとね…怖いものがあるよね、うん
自分も何かにこう逃げちゃってたかもしれませんし、母もほんとに極端に言えばもう、自分が生きていることすらもう、嫌になって諦めてしまっていたかもしれないっていうようなことが、もう数えきれないほどありましたから、だからほんとに母が信心できたことは、すごいことだと思うんですね
で、池田先生に一度お目にかかったときに、もう私未だに忘れないんですけど先生があのー、私にでもなくその傍にいた皆さんにでもなく、その母のことを『いづみちゃんはよく信心ができたね!』って一言先生が、おっしゃったのを、あのーとてもよく覚えているんですけれども、あのー本当に…そうだなって思います」
一家和楽?を達成できたことは、やっぱり本当に信心のおかげだし、それから法華経は人の振る舞いであるということも、やはり一番大切なことだし、仕事も私生活も頑張って、あの、幸せの実証を示せれば嬉しいと思います。
『♪虹~I'm a Singer~:~ 可笑しくって哀しくって 美しき人生
さあ 幕が降りる迄
Yes, I'm a Singer 虹になりたい
ひとときのヒロイン 演じてそして
I'm a Singer あなたの空を
ひとときでも 私の色で
染められたら それでいい
I'm a Singer 虹になりたい
ひとときのヒロイン 演じてそして
I'm a Singer 振り返ったら
幻のように 消え去るもの
誰かのしあわせと 入れ違いに』
最終更新:2017年11月13日 22:42