元ネタ語録 > 闇は去り、太陽は昇った~平成の宗教改革~(第一部)
※2000年代後半にニコニコにうPされた当時「裏ビデオ」扱いだった『平成の宗教改革』シリーズは、当初は創価学会の一部の幹部向け配布教材DVDとして制作されたようです。現在では創価学会公式の「SOKAチャンネルVOD」に収録されており、創価学会の施設内で、誰でも視聴可能です。『平成の宗教改革』の初出年次は不明ですが(
ニコニコ大百科によると本作は2006年頃に作成されたらしいとのこと)、本作の元ネタは
第二部「所化(しょけ)教育の実態」に出演している菅原雄政氏の『転落の法主(ほっす)』(2004年刊)ではないかと思われます。そのため、同作の記述に沿って、セリフなどの内容を修正しました。なお、ネット上で、創価学会関係者と思われる方が『転落の法主』の全文をうPしています。(著作権法的にアレなのでリンクは貼りません)(2023.3.16追記)
第一部 事件
(荘厳なBGM)
(男性ナレーター)
戦争と暴力の世紀となった20世紀。
相次ぐ紛争と対立によって、常に民衆は翻弄され続けた。
一方、この20世紀は人類史に特質される偉大なる人権闘争の指導者を生み出した世紀でもあった。
非暴力の闘争でインド独立を実現させた、マハトマ・ガンジー。
人種差別の壁を次々に打ち破っていったマーチン・ルーサー・キング・Jr。
徹底した人間主義の行動で全世界に平和のネットワークを創造し続ける民主運動の世界的リーダー、池田大作SGI会長(えぇ…(困惑))
生命の尊厳を踏みにじる者との間断なき闘争を続けた、偉大なるリーダー達。
私たちには、夢がある。民衆が主役の時代が到来する夢が。
そして闇は消え、新しき世紀は開いた。
(日の出の映像とともに「プロジェクトX」風のテロップ)
闇は去り、太陽は昇った
~平成の宗教改革~
(創価学会本部(当時)の映像)
日蓮大聖人の仏法を基調とし、平和・教育・文化運動を全世界に展開して、今や世界190カ国地域に広がる創価学会。
この創価学会の貢献により、かつて日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)は日本最大規模の教団として隆盛を極めた。
「宗教年鑑」(注:文化庁が発刊している公的文書)によると平成2年には寺院数661、信徒数はおよそ1800万人を数えるまでになっていた。しかし…。
(緊張感のあるオーケストラ風の曲に変わり)
(手書き風のテロップ)「破門」
日蓮正宗の僧侶「創価学会を破門に付し」
平成3年、宗門は創価学会を破門、突如として「切り捨て」を画策した。
創価学会員に告ぐ
宗祖日蓮大聖人はこう予見されている
(テロップ)「大悪魔は貴き僧となり」
(創価学会が寄進した大石寺(たいせきじ)の正本堂(しょうほんどう、1972年完工)が日顕宗によって破壊される衝撃のシーン)
戸田(城聖)第二代(創価学会)会長はかつてこう指導されていた
(テロップ)「僣聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)が出現」
その意味するところは…。
阿部日顕(リアル日顕、1922~2019。CV:志村けん)「何だ脱会させなさいよ」
本来、宗祖日蓮大聖人の御遺命のままに僧俗和合の道を歩むべき宗門に、いったい何が起こったのか。
(大石寺三門をバックにテロップ)
第一部
事件
発端
平成2年創価学会創立60周年、大石寺開創700周年にあたるこの年。
創価学会は、この意義深き時を祝うため、様々な記念行事を行っていた。
(北朝鮮風のマスゲームの映像)
ところがその裏で、こうした学会員の真心を踏みにじる信じられない謀略が進められていたのである。
ここに「河辺メモ」と呼ばれるメモがある。法主(ほっす)の参謀役を務めていた河辺慈篤(かわべ・じとく、1929~2002)の手で書かれたこのメモには、その謀略がいかなるものであったのかが克明に記されている。
(テロップ:西片大石寺東京出張所 平成2年7月16日)
(女性ナレーター)
文化祭よりさかのぼることおよそ2カ月前、都内文京区西片(にしかた)の大石寺主張所に、人目をはばかるように役僧達が集まっていた。法主 阿部日顕、(参議)河辺(慈篤)、(総監)藤本(日潤)、(庶務部長)早瀬(義寛)、(大石寺主任理事)八木(信瑩)、(海外部主任)関(快道)、(渉外部長)秋元(広学)の七人による「西片会議」が開かれた。
(「河辺メモ」の画面に切り替わる)
(「河辺メモ」を男性ナレーターが読み上げ)「池田(大作)を追放すべきだ、など強硬意見が出る」
「特に猊下(=日顕)は、「池田追放」と激しい口調で強調されていた」
※注:「YO!」連呼で人気の日顕役の俳優(別名:エア日顕)は滑舌が超絶悪く、空耳が聞こえまくるのが前半の見どころなんだ、YO!セリフは『転落の法主』を確認の上、修正したんだ、YO!
(再現イメージ)(注:あくまでも創価サイドから見た「イメージ」です)
エア日顕「追放だ、追放!」(空耳:歳暮だ!チョー!)
「まず、トップを(空耳:トッポ)倒す。そう言ったのはおめぇだろっ!」(江戸っ子)
河辺「ですから、先ほども申したように、まだ時期尚早かと」(良識派)
エア日顕「何年先のことだ……!10年か!20年か!」(空耳:10円か!20円か!)
八木「いくら御法主上人(ごほっすしょうにん)が教導されても、いまさら直らないでしょう。
やはりいま(テチャクを)切るべきだと思います」
エア日顕「在家のくせにぃ~……! なあ、おい、YO!」(中啓3連コンボ)
関「はっ、はい!私も同感です」
エア日顕「明日だ。みんな、いいな!」
静まり返る室内
「ん!(咳払い) 明日の連絡会議でやるというのは、いくらなんでも性急すぎませんか?」
「やるにしてもまだ攻撃材料が足りないように思いますが…」
河辺「戦う時を間違えばもろ刃の剣になります。返す刀でこちらがやられます」(良識派)
エア日顕(目元のドアップ)「んん~」
(ゴルフやパチンコをする日顕宗クソ坊主どものボカシ映像)
(女性ナレーター)当時、僧侶にあるまじき贅沢ぶりや行状の乱れ、すなわち「綱紀の乱れ」に全国の(創価)学会員から苦情の声が上がっていた。そのころ学会と宗門は、都内墨田区の常泉寺において、定期的に連絡会議を行っていた。
(再現イメージ)
創価学会側「今、学会員の間で、御僧侶がたの行状の乱れに対する疑問の声が多数上がっております」
日蓮正宗側「いや、そのような話はうか…」
創価学会側「会員達は、御僧侶がたを、尊敬申し上げております。僧俗和合のために、どうか綱紀の自粛をお願いいたします」
(テロップ 大石寺大書院7月18日)
(女性ナレーター)その翌日、大石寺の大書院で行われた御前会議(ごぜんかいぎ)。
「河辺メモ」によると「盗聴を恐れていろいろ思案のすえ大書院となり、あえて障子を全部開放し会議」とある。
(再現イメージ)
エア日顕「ここなら、盗聴のしようもないだろう。へへへへっへっへっ…」
「えー、先日行われました学会との連絡会議について報告いたします」
この会議ではまず池田名誉会長追放の計画を、今後どう呼ぶことにするか検討された。
エア日顕「あの野郎(テチャク)をだな…永久に追放する、作戦だ!」
河辺「では、学会の頭文字をとって、“G作戦”ですな」
エア日顕(突然冷静な口調になり)「それは違う。“C”だよ。…C作戦だ」
(全員がエア日顕を見る。エア日顕は中啓(僧侶用の扇)で首を刎ねるジェスチャーを見せる)
エア日顕「これだよ、これ。へっへっへっへっへっへっへっ…」
のちに宗門を離脱した日蓮正宗改革同盟 故・大橋住職に、日顕はその意味をこう漏らしている。
故・大橋正淳 住職「あれはだな、名誉会長の、あの野郎の首をはねることだ。こういう風に言い放ちまして、こうC、U、Tとこう書くんだとこう言うんですね。CUTの頭文字をとったですね、で、C作戦だと言うんだと」
(女性ナレーター)
御前会議はこうしたやり取りが、延々6時間にわたって続けられた。
「やはり一気に勝負するべきではないでしょうか」
河辺「いや、先日も言ったが、すぐに事を起こすのは危険だ。
やるとしても、もっと分析が必要です。
それよりも大事なことは、(日蓮正宗の僧侶の)綱紀自粛を徹底することです」(良識派)
エア日顕「お前ら!分析分析っちゅうが、分析して何ができるっちゅうんだ!」
河辺「いえ、やる時は万全の態勢でやるほうがよいということです。
まずは8月の教師講習会で綱紀自粛の指導を徹底するべきです!
それからでも遅くはない!」(良識派)
「私もその通りだと思います。今この問題をやれば、こちらも無傷では済まないでしょう」
「わたくしもそう思います。もう少し奴(テチャク)の証拠を集めましょう!」
(エア日顕が中啓を握りしめ)
エア日顕「………YO!みなはこの意見に対しどう思う?YO!…」
「まあ、いい!…ともかく、21日の目通りが山になるな」
(女性ナレーター)
「創価学会分離作戦」、通称「C作戦」と名付けられた卑劣な謀略の目的とは…。
(テロップ、男性ナレーターが読み上げ)
池田名誉会長を総講頭職から解任し、日蓮正宗は創価学会とは無縁の宗教団体であることを一般世間に公表し、創価学会組織の徹底壊滅を図る―
(女性ナレーター)
さらにその実行計画書には恐るべき内容が書かれている。
(「C作戦」とされる原稿を男性ナレーターが読み上げ)
宗門あるいは学会のいずれかをとるか選択させる。
学会員の中には、ノイローゼ状態に陥り、自殺、一家心中等の不幸が起きる可能性がある。
7月21日、日顕らが次のポイントと睨んでいた(池田)名誉会長と秋谷(栄之助)会長の登山があった。
大奥にある対面所で日顕は感情を爆発させ、机をたたきながら、秋谷会長にこう叫んだ。
(再現イメージ)
(エア日顕が机をバンバン叩く。「大作ドラム」に対抗した「日顕ドラム」?)
エア日顕「憍慢だ!憍慢謗法(きょうまんほうぼう)だ!(空耳:今日も模倣だ!)あぅ…!」
そして、名誉会長(テチャク)に
エア日顕「あんたにも、言っておきたいことがある。懲罰に、かけるから…」
創価学会 平野恵万 参議(元登山部長)
「いきなり、あの、いわゆる日顕特有の、頭のてっぺんから声が出るような、今までにない声で怒鳴ったっていう感じですね。ねぇもう、赤誠を尽くしてこられたね、池田先生に対してですね、そういうこと(言い方)は無いだろうと。いくらなんでも」
宗門は「C作戦」決行の時を見計らいながら、教師指導会では綱紀自粛を徹底する。
青年僧侶改革同盟(注:創価サイドの坊主団体)
渡辺雄範 住職
「皆さんが実際に読めば、あの、当たり前のことですね。贅沢な車に乗らない。またスポーツカーに乗ること。
そんなことしちゃいけないのは当たり前のことです。他宗の坊さんの方がよっぽどそんなことわかっています。
だから、今さら、なんでこんな当たり前のことがということが、ずっと並んでいるんですね」
(テチャクが盟友、旧ソ連のゴルバチョフ大統領(1931~2022)と握手を交わす)
(男性ナレーター)
その頃、名誉会長(テチャク)には大きな仕事が待っていた。
モスクワに到着した名誉会長は、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領の要請を受け、会見を行う。
テチャク「誠実な政治家。信念の政治家と賞賛しておくと、まずお伝えします」
(ベルリンの壁崩壊の映像)
人間を分断する壁を取り払う戦いを続けてきた、偉大なる巨人達。(そうなのー?)
その魂と魂の共鳴は、異例の長時間に及んだ。
各メディアは、トップニュースでこれを取り上げた。
(蓮の葉をバックにテロップ)
C作戦始動
(「創価文化会館」の夜景とともに)
(男性ナレーター)
暮れも押し迫った(平成2年)12月16日。
一通の封書が宗務院より、学会本部に送付された。
「お尋ね」と称するこの文書の内容は「11月16日に行われた本部幹部会での名誉会長のスピーチの中で、宗門と法主を誹謗している」との事実無根言いがかりで、一週間以内の回答を求めてきた。
根拠になっているのは、出所不明の盗聴テープである。しかもそれは、文章の一部だけを切り取ってつなぎ合せるなど、明らかに意図的な改ざんがなされており、敵意と悪意に満ちたものであった。
(テチャクのスピーチー)
工夫して折伏する以外ないでしょう
ね、日淳上人が一番よく分っていますよ。
↓
工夫して折伏するのがないでしょう、ね。
日蓮正宗で、いなかったんですよ。(改ざん後)
その中には、名誉会長が学会創立70周年にベートーベンの「歓喜の歌」の10万人による合唱を提案したことを取り上げ、「キリスト教の神を賛嘆した内容になっており、外道礼賛」との批判を行っている。
創価学会 青木亨 理事長「ベートーベンの第九を歌うのが謗法とはね。どれほど程度が低いのか!
しかもねぇ、『神々』と書いてある、向こうの文章に。キリスト教というのは一神教ですから、神というのは一つしかない。神々っていう言葉だけで、キリスト教でないってことは明白なんです。それもわからない、この馬鹿者ねぇ!なんというねぇ、無知無学ね!」(宗教者と思えぬ罵倒)
(男性ナレーター)
これは、とても文書のやり取りで解決できる問題ではない。
学会はあくまでも話し合いによる解決を求め、その意向を宗門に伝えた。
しかし、卑劣にも宗門は、27日に臨時集会を開いて宗規を変更。同日に施行するという策略を強行した。
その中には、「信徒が法主を批判しただけで処分できる」という強権的な条項が新たに加えられていた。
こうして宗門は池田名誉会長の法華講総講頭職を罷免したのである。
(各新聞に踊る、テチャク罷免の記事)
(テチャクと細井日達(日顕の前の法主)が大石寺や日顕が破壊した正本堂で仲良く歩く「思ひでの映像」)
これまで、命がけで「外護の赤誠(げごのせきせい)」を貫いてきた池田名誉会長。
その名誉会長を罷免し、創価学会を切り捨てようとする狙いとは、一体なんだったのか。
平成2年12月25日。
日顕は高橋公純(日蓮正宗僧侶)やその弟の反学会ライター段勲らとマスコミ工作などを協議。
日顕はその真意をこう漏らしている。
再現イメージ
段勲「まずはメディアを使って、揺さぶりをかけましょう」
エア日顕「ん。裁判になったら、よろすく頼む」(謎の訛り)
段勲の右の人「分かりました」
エア日顕「ま、学会員のうち20万人、山(注:日蓮正宗側)に付けば、いいだろ」
憂宗護法同盟(これまた創価寄りの坊主組織)
小板橋明英 住職「20万って数は、もうどんなことがあっても20万は来ると。
ま、実際はそれ以上来るんだっていうそういう甘い考えでしょう」
原田稔 副理事長(現:創価学会会長)
「学会から金を集めるだけ集めたと。ご供養を集めるだけ集めたと。
したがってもう必要ないと。
で、しかも創価学会は、えー厳しく綱紀粛正の事などを言ってくると。
口やかましい連中はもういらないと。
一口に言って、彼ら(日顕宗)の目的は「広宣流布」ではなくて、
ただ一つ、金を集めるためだけ、金だけが目的であったと」
(男性ナレーター)
創価学会は電光石火の対応で事に望んだ。総講頭罷免直後、全国各地で緊急の会合が持たれたのである。
池田名誉会長より、常に信仰の真髄を学んでいた会員達は、即座に事の真相を理解した。
つまり、宗門が権威主義を振りかざして、広宣流布に励む学会に牙を向いてきた。
そうであるならば、日蓮仏法に照らして、どちらが正しい信仰なのかはっきりさせてやろう。
会員達は「極悪日顕宗」との闘争を開始した。
平成3年1月6日。東京・千駄ヶ谷の創価国際友好会館(2021年閉館)で開かれた第37回本部幹部会。
総講頭罷免以来、初めて池田名誉会長が全国の同志の前に姿を見せた。
テチャク「笑うことは素晴らしい。人生における最も厳しい事態を笑えるということ。死ぬということすら…」
独裁者ヒトラーの横暴と戦い続けたチャップリンの生き方を語り、会員を励ます池田名誉会長。
犬作「笑いを与えよう。勇気を与えよう」
(BGMベートーベン「第九」)
名誉会長の深き境涯に、改めて胸を熱くした会員達。
権威や権力の横暴など笑い飛ばしていこう、と、皆が決意していく。
(拍手)
(リアル日顕のドアップとともに)
(テロップ:阿部日顕とは―)
リアル日顕(CV:志村けん)「なんだ、脱会させなさいよ」
「はい」
日顕「脱会を君がさせるのが、君の、君の一番の責務なんだ。そんなことをそんな質問をする前にな」
「はい」
日顕「どんどん、さっきここであの、立った人のように」
「はい」
日顕「一人でもいいから脱会させ、しなさいって言って。やんなさいよそれを。あん?」
「あのー」
日顕「そのな!」
「はい」
日顕「いつまでたっても学会にいるから」
「はい」
日顕「籍を置かせておいてどうのこうの君がブーブー言ったってねぇ」
「はい」
日顕「そんなことで問題は解決しないよ」
「はい」
日顕「学会にいてどうのこうのくぁwせdrftgって言いたい放題なこと言ってんだから。信心が嫌になろうが何しようが、そんなこと関係ないんだ君にとっては」
「はい」
日顕「そんなこと、こー、そんなくだらないことを言ってたらダメだっていうことを、頭から少しカマシてやりゃあいいんだ。そんな、そんな者に対しては!」
(注:ここからはラッパーエア日顕ではなくリアル日顕のガチ話なのであまり面白くないですYO!)
(女性ナレーター)
日蓮大聖人の御遺命に違背し、僧俗和合の道を断ち切った阿部日顕とは、一体いかなる男なのか。
大正11年12月19日、のちの第60世法主日開と彦坂スマとの間に生まれる。
昭和22年、東京墨田区の本行寺住職。昭和36年には教学部長。2年後には京都の平安寺に赴任する。
小板橋明英 住職「ちょっともう気にくわないというか、もたもたしてるとすぐバーンとやるわけですよね。
世間にもねその気の短い人はいっぱいいますけど、まさに『瞬間湯沸かし器』…。
まぁ、いい表現っていうかあのぉ、名前をつけたなぁと思いましたけどね(笑)」
(女性ナレーター)
日顕の凶暴性の裏には、その生い立ちが深く影響しているという。
日蓮正宗改革同盟(創価寄りの坊主団体)
渡辺慈済 住職「お母さんが、なんとか、結局この子を猊下(げいか:日蓮正宗のトップ)に育てようという一つの目標があった。
あまりにも妙修さん(母親)が大事にしすぎて、ねぇ、そして、大事に大事に育ててきた。
そういうものが結局、日顕を、あれだけの横暴な人間にしていった」
(女性ナレーター)
もともと、日顕は学会に悪意を抱いていた。
昭和27年、学会が宗門外護(げご)のために、宗教法人の認可を受けようとした際、日顕は強く反対した。
渡辺慈済 住職「戸田(城聖)先生から今度『宗教法人を学会でつくった』と、ま、阿部日顕に報告したら、ものすごく怒ったと。
『それはもう、頭からつぶさなきゃダメだ!』って言って、ものすごい反対ぶりだったね」
戸田第2代会長は日顕のことを警戒し、
「阿部は腹黒く、インチキが多い。気をつけよ」
と周囲に注意を促していた。
現に、阿部日顕自身、戸田先生により叱責されたことを『戸田会長先生の御逝去に対して』と題する一文の中で、次のように書いている。「先生の云ういはゆる坊主根性の為か、師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない事があった」
昭和54年5月、総監に就任。そして、その2カ月後。
昭和54年7月22日、(細井)日達法主が急逝した。
その知らせを受けた日顕は、日達法主の娘婿菅野慈雲ら遺族が休んでいた西奥番室へと向かう。
※注:ここのヤング日顕はラッパー日顕とは別の役者ですYO!後半の日顕再現映像はこのパートだけ。
(再現イメージ)
ヤング日顕「あと(相承)のこと、君たち聞いてるか?」(律儀)
(3人が顔を見合わせる)
菅野「(東北風の訛りで)いやぁ~、そりゃ~総監さん(日顕)じゃねぇ~んですぅ?」
ヤング日顕「あぁ、そうかぁ…」(あぁ、創価…)(何故か敵対組織の名前をつぶやく謎のヤング日顕)
3人が再び顔を見合わせる
ヤング日顕「あぁ、そうだったな…」
(女性ナレーター)
日顕は、うめくようにそうつぶやいたという。
(憂宗護法同盟『法主詐称―阿部日顕の正体を暴く』(2003年)の表紙をバックに)
その後、枕経の導師を務めた日顕の頭の中には、野望がうごめいていた。
「誰も相承(そうじょう)を受けていない」
そう確信したであろう日顕は、その後の重役会議にて一世一代の勝負に出る。
小板橋明英 住職「もうとにかくもーそのー、絶対法主になるっていうことで若い頃からきたわけですからね、それはもうぜ…そのチャンスは絶対、見逃さないと。実は自分が(昭和)53年の4月15日に大聖人(日達上人)から内々に相承を受けていたようなことを、その後のそのー…会議で切り出すわけですね」
そして、仮通夜の席上、日顕新法主の就任が発表がされた。
重役 椎名法英「猊下より自分に対し、内々に御相承の儀に関するお言葉があり」
こうして日顕は第67世法主の座を手に入れることに成功した。
しかし、今日に至るまで、相承を証明する証拠は何一つ示されていない。
テロップ「日顕宗の金満体質」
軍歌「敵は幾万」
♪敵は幾万 ありとても すべて烏合の 勢なるぞ 烏合の勢に あらずとも 味方に正しき 道理あり 邪はそれ正に 勝ちがたく
(注:日顕が開催した「全国教師指導会」の冒頭、本住坊住職の秋元意道が音頭をとり、軍歌「敵は幾万」を大合唱したことを示すため、突然このシーンに軍歌が挿入されている。こんなマニアックなシーン、元ネタ調べなきゃわからないだろ!法廷で会おう!)
名誉会長がチャップリンの指導をした同じころ、日顕は全国教師指導会を2回にわたり開催した。
日顕は「粥をすするようなことがあっても、私一人になっても」と嗚咽して、涙を流したという。
小板橋明英 住職「まったくね、もうチャンチャラおかしいと思って、本人はね、なんか泣いてね、チェッ(舌打ち)、まったく泣きたいのはこっち、こちの方だと思って」
(男性ナレーター)
その3カ月後のこと、日顕が都内目黒区に時価20億円の超豪邸を計画しているというスクープ情報が公表された。
「大石寺出張所」と称するその豪邸は、プールやジム、サウナまで完備されているが、肝心の仏間はわずか10畳しかない。
宗門の綱紀の乱れ、金満体質は阿部日顕が法主になって、加速度的に宗内に蔓延した。
創価学会 正木正明 副会長「やっぱり、庫裏(くり)とか坊主の住む、そういうところへあの行った会員の人たちの証言としても、もうそこに置いてある家具だとかなんだとか、これは普通の庶民が手が出るようなレベルの家具ではない。500万もする焼き肉セットを買っているとかいうね、馬鹿な話」
青年僧侶改革同盟(創価寄りの坊主団体)
渡辺雄範 住職「学会員さんが思っている以上に宗門の金銭感覚は異常でしたし、その堕落の実態というのはすさまじいものでした」
その元凶は、法主である日顕の桁違いの供養の私物化であった。
超高級温泉旅館に家族で年間何十日も通う日々。
驚くべきことに、宗門内に綱紀自粛を命じたその日に、息子夫婦らと一人一泊15万もの高級旅館に宿泊し、懐石料理に舌鼓を打っていた。
奉御供養
宗門には「奉 御供養(たてまつるごくよう)」といわれるものがある。
日顕に何かものを頼む場合、住職クラスで500万円、高い位につくものは1000万円ものお金を包まなければならなかったという。
日顕ファミリーの常軌を逸した贅沢三昧は、全て信徒の真心のご供養の散財なのである。
日蓮正宗 大村寿顕 教学部長
「♪私は~~~ゆくだけ~~~全ては~~~心の~~~決めたま~まに~……」
(注:大村氏がフランク・シナトラの名曲「マイ・ウェイ」の日本語版をカラオケで熱唱。
坊主のくせに結構歌が上手い点は後半の数少ない隠れた見どころ)
宗門の実態は、金と欲望に溺れ、出家とは名ばかりの社会常識をはるかに超えた遊蕩三昧であった。
日蓮大聖人はそのような堕落坊主に対しこのように喝破している。
「徒に 遊戯雑談(ゆげぞうだん)のみして 明し暮らさん者は 法師(ほっし)の皮を著たる 畜生なり
法師と云う名字を ぬすめる盗人なり」(参考:コウメ太夫「チクショー!」)
日顕の正体
(拍手)
C作戦決行 3カ月前
(女性ナレーター)
平成2年9月、C作戦決行3カ月前に行われた開創700年慶祝記念文化祭。振り返ると既に宗門の不穏な動きが漂っていた。こともあろうに、日顕は(マスゲームを)懸命に演技する学会員に対し、「あの人たち 謗法(ほうぼう)でしょ?」と言い放った。
(注:「謗法」とは、聖教新聞の公式解説によると「釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと」。日顕がテチャクに「憍慢謗法」と言い捨てたのも、これと同義。偏狭な教えにはちょーっとついていけませんね~)
村上一壽 静岡総県青年部長(当時)「私はね、方々(ほうぼう)から集めてきた人たちが演技してるのかなっていう、
そういうことを言ったと思ったんですよ。まさか、その時に、そのー、そういう事考えていると思ってませんから、
こちらは、真心こめてやってるわけですから、これは、私としてはですね、誰にも言えないことだなと、これは。
だからずーっとともかくもう、自分の心の中にしまっておくしかないんだと。思っていたんですよ。」
(拍手)
日顕には、(池田)名誉会長に対するどうしようもない嫉妬と怨念が渦巻いていた。
モアハウス大学 キング国際チャペル所長
ローレンス・カーター博士「池田博士の業績は大変なものです。博士は世界的レベルの指導者です。
それに引き換え、宗門の運動を知る人はまずいません。宗門は創価学会が世界的となり宗門と比べて
格段に違う革命的な発展を遂げてきたことに対し、ねたましくて仕方がなかったのでしょう」
(女性ナレーター)
「法主としての力を名誉会長に思い知らせてやる」
嫉妬の憎悪がマグマとなって噴火しようとしていた。
C作戦決行 2カ月前
C作戦決行2カ月前、開創700年の法要も無事終了し、その記念撮影の折…。
創価学会 八矢弓子 婦人部総主事
「雨が降りましてねあそこのー…大講堂へ、ぇー記念撮影でみんな会談のところへ並ぶわけですよ。
それでずーっと待ってるんですよ姿勢正して、先生も真ん中に立たれて、
で、しばらくたったらねー、バッタン、バッタン、バッタンっていう音をさせながら、日顕が降りてきたんです。
で、ア~って顔して来ました。
先生はもう、すぐね『申し訳ありません、雨を降らしまして』
(日顕は)『あぁっ、山が泣いてるね!』その答えですよ。
私たち内心で『あんたの山じゃないのよ』って、自分たちが祈ってね、学会が登山しているのをね、守るのがあんたたちでしょ。
それが私があの日顕との最後でした。あの時の光景、忘れない」
かくして「C作戦」は発動されたのである。
公布の分断を図った日顕。その正体とは!
戸田第2代会長はかつて広宣流布を阻む魔の正体について、こう指導されている。
(創価学会第2代会長・戸田城聖の肉声)
「大聖人様の御時代に、あるいは良観とかあるいは法然の弟子とか、そういう者(の弟子などになる連中)は一体どういう奴かというと、昔仏法をくさした、その外道の者が生まれてきて仏法をやってですね、そうして今度は正法(しょうほう)を邪魔するんです。そうすると今度はどうなるか、あいつらが死ぬと、今度日蓮正宗の中に生まれてくるんだよ。誠にこれはおもしろいもんだぞ」
村上一壽 静岡総県青年部長(当時)「私はもう宗門問題の本質っていうのは、その戸田先生の一言に尽きている。
つまりえー…僣聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)。
広宣流布の最大の敵がやはり学会の前進を阻もうと現れてきた。それが宗門問題であり、日顕であったと」
つまり世界公布を阻む最大の敵、僣聖増上慢こそが日顕の正体である!
(日蓮正宗 総監 藤本日潤 破門通告会見)
藤本日潤 総監「ここに創価学会を破門に伏し、以後日蓮正宗とは無関係の団体であるこ、ことを」
(男性ナレーター)
平成3年11月28日、策に窮した日顕は、笑止千万の破門通告書を送りつけてきた。
(学会女性部「ウェルカム・トゥ・S・G・I!」その後にアフリカンなパーカッション音楽が流れる)
その翌日、アフリカ19カ国の大使たちが名誉会長を顕彰すべく訪れた。
テチャク「アフリカこそ、新たなるルネッサンス。すなわち人間精神の復興の母なる大地であります」
宗門と決別した学会のその後の交流を象徴する出来事となった。
(創価ルネッサンス大勝利記念幹部会)
(歓声)
テチャク「今日は、えー緊急の、えー祝賀の祭典があるっていうことで」
(拍手)
翌日、記念幹部会が行われた。
テチャク「……の未来。壮大なる新しい出発しようよ!朗らかに!」
大歓喜の幹部会。破門通告の日は、創価学会の「魂の独立記念日」となった。
(拍手)
テチャク「堂々たる大勝利の70周年を一緒に迎えましょう!」
そして、創価ルネッサンスの幕は開かれた。
第一部 完
最終更新:2023年03月21日 09:00