のんのメモ帳

追い求めていることを止められるか

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匿名ユーザー

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自分を成長させようと、理想の目標に向かいちょっとの負担をかけて
乗り越える、ということを20代は行ってきた気がする。それは、
精神の動揺を伴うものだったのか、疲労と躁鬱が伴っていた気がする。

やっと最近、自分の性格の良し悪しの基準を設けず、いまの自分で
よい、と出来るようになってきたと思う。それは、精神の安定を
伴い継続して物事に取り込めるようになってきたと思う。先を考え
準備をし成長していくとこが出来そうな気がする。

行き当たりばったりの人生もあると思うが、人生って長期戦なのだと
最近気づいた。なぜ、10代の頃に自分の行っていても楽しくて
疲れない私の特技を仕事にするために、大学選びを行えなかったの
だろう、と悔やまれる。って、今でもその、自分の得意分野がぼやけて
いるけど。

自分のそだった環境をうらやんでいるうちは、前へ進むエネルギーが
恨みにすいとられているので、アクセルとブレーキのようなものだ。
そんな自分をすべて受け止めることができるだろうか。やってみよう。

運命の本や、ツキの本を読むことはそれはそれでよいのだが、
あせっている自分も見える。逆説で今の自分が不幸でいる証のような
気がする。ちょっと脱線するかもしれないが、お金にもある種の
感情や、パワーがあるととある本で読んだことがある。あ、それと
いまのつなげようとした例え話は違ったが、まーつなげよう。

節約ばかり考えて生活をしていると、お金が逃げていくということ。
潜在意識は、心配していれば、それにそった現象を表すという。
幸せを追って、追って追い求めている内は、それは幸せが今無い状態
の証となるため、幸せは追っているうちはやってこないのだなぁと
思う。

じゃあ、具体的にどうしていったらよいか。
追うのをやめる と簡単に出来るだろうか。
・・・頭の整理

■今、幸せを追い求めて行っている具体的行動
・運やツキに関しての本を読む
・こうやって文章にして頭を整理している
・こうあるべき、あああるべきと、自分に制約をかけている


自分がウキウキすることは、それは一般には些細でちっとも面白くなく
年相応でもなく基準がずれて言ってしまったとしてもそれを行っていく
勇気(相応の言葉か?)をもった自分でありたい。勇気ではなく自分を
大切にするということ。

何かを選ぶ時、それは、人とにコミュニケーション方法だったり、休日
の過ごし方だったり、読む本だったり着る服だったり、時間の使い方だ
ったり。それらを、人からの評価の視点を取り去って自分の心の基準を
一番にもっていくことが出来るようになれば・・・。
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