★★★
幸せっていうのはね
求めるものじゃなくて後から気付くものなんだって
★★★
さて、街の姿は元に戻り、天山大剣は天空より去った。
世界はいつもの平穏を取り戻したが、人の心だけは元には戻らない。
君は鞄を放り投げてベッドに飛び込んだ。相変わらずの上質なベッドが君の全身を優しく受け止めてくれた。
携帯に届くメッセージを確認しようと思ったが、あいにくそんな気分にはなれなかった。
君は男爵と天山大剣との会話を思い出す。
人ならざる二つの存在の会話には、君はほとんど口を挟むことなく終わってしまった。
結局君は、自分が何故この世界に飛ばされたのかわからないままだった。
天山大剣は「こちらとあちらの世界の力関係の拮抗」と言っていたが、君は何故自分がこちらに来ることで拮抗になるのかがわからなかった。
あちらの世界の人間は強い、現代兵器の攻撃力は強大な魔獣を力なき人間でも容易く殺害せしめるほど強い。
その強さは、こちらで言う魔力を使うことをせずに、ただただ純粋に誰もが使える技術を発展させることで手に入れた強さ。
魔獣の居ない、天敵の存在しない世界で、人という種の繁栄のみを突き詰めた上に築かれた文明。
突出した個の強さを極限まで廃し、1000人に1人の10000の力ではなく、1人が10の力を1000人が出す、そんな力だ。
だが、その技術は人間同士の殺し合いに因って生み出されたモノだと言うことは、なんたる皮肉だろうか。
ノックの音、君は体を起こす。
「よろしいですか?」
「失礼いたします」
戸が開かれてティシューの入室。両手でカートを押している、お茶会で使用したあのカートだ。ちなみに車輪はない。
軽く一礼、ぱたんと戸を閉める。
「お茶をお持ちしました、いかがですか?」
君がベッドから降りると、ティシューはカートから長い布を取り出した。
ティシューがその布を軽く振るうと、布はまるで生き物のように動きだす。
まもりのスカーフだ。ティシューはそのスカーフをつくり、君が座れるよう椅子とテーブルを作り出した。
「どうぞ」
促されて着席、単なる布とは思えないほどしっかりと固定されていて座り心地は上々だった。
ティシューはカートからティーセットを取り出した。その外観は磁器のように白く、表面に蔓と色とりどりの花を咲かせているデザインだ。
一目見て君はとても豪華な高いものだなと思った。
ポットからカップに注がれる金色のお茶が湯気を立てる。
小さなソーサーに乗せて、カップを君の前に置いた。
立ち上る湯気に漂ってくる香り。お茶会で嗅いだのとは別の匂いではあったが、自己主張の強いその香りはとてもよいものだった。
「こちらは好きにお使いください。ミルクとハチミツです」
ティシューは小さなポットを2つ取り出して君の前に置いた。
ポットのサイズに合わせて小さな匙が差されている。匙をつまんでかき混ぜて持ち上げてみる。金色の粘りは確かにハチミツのようだ。
君は匙を戻してカップに手を伸ばす。
ふわんと漂うお茶の香り、君はまず香りを楽しんだ。
カップの縁に唇をつけ、潤す程度にお茶をすする。
味わったことのないお茶の風味が口の中に広がった。おいしい。
「お口に合ったようで幸いです」
ふとティシューを見ると、ほっとした様子で微笑みを浮かべている。
「お茶請けにお菓子はいかがですか?」
カートからまた別の包みを取り出した。慣れた手つきで封を開けると、中から茶請けのお菓子が出て来た。
つやつやとしたブラウンの物体はまるで羊羹のようだ。
「どれぐらいで切りますか? ここ? 丸かじりしますか?」
なぜか選択肢に丸かじりがあるようだった。君は適度な位置で切るように頼んだ。
「適度ですか……では」
ティシューはさくさくっと手を動かしお菓子を12個に切り分けた。
「どうぞ」
君に楊枝を渡し、切り分けたお菓子を差し出す。
よく見ると切り方が歪んで厚みがばらばらだ。ティシューの顔を見ると少し恥ずかしそうにしている。
「ナイフの扱いは不慣れなもので……ハサミなら慣れてるのですが」
なるほど、ティシューは被服室の
メイドだ。確かにナイフよりハサミのほうが扱い慣れているだろう。
君は差し出されたお菓子を改めて見る。つやつやとした様子はまるで羊羹だが、具材はなんだろうか。
とりあえずひとくちぱくり、もぐもぐと租借。
まるで熱したバターのように舌の上で溶けて、言いようのない風味が口内に満ちていく。
元々の羊羹のような見た目からは想像できない舌触りと歯ごたえ、のどごしだった。
とても美味だったが歯ごたえがなさ過ぎる。
「………羨ましい」
カップにお茶のおかわりを注ぐティシューがぼそりとそんなことを言った。
カップが君に差し出されたが、君はそれに手を付けずに、何が?と問う。その手には楊枝と刺されたお菓子。
「あなたの居た世界がです。あなたの世界では魔獣に日々怯えながら暮らす必要はないのでしょう?」
ティシューにそう言われて君は考える。確かに君の世界では魔獣は居なかった、それは事実だ。
君はお菓子を置いてティシューに聞いた、魔獣はそんなに恐ろしいのかと。
「はい」
即答だった。
「街を襲ったナパームはその最たるものです。対策を行っていない小さな街なら瞬く間に火の海に変えられてしまうでしょう」
ティシューの言葉に君は驚いた、確かにナパームの能力は驚異的だったが、
ロベルタ1人で十分に対応できていたように見えたからだ。
思い出しても君はさほど恐怖を感じないからだ。最もそれはそばにティシューや
ベルウッドがいたからでもあるが。
ナパームは『災厄級生物』分類される。
「ロベルタは、私たちメイドの中でも一番の戦闘能力を誇りますから」
それは図書室でも聞いた。
君は
インデックスと
リードマンが言っていたことを思い出す。
館で一番強いのはロベルタだと。
「逆に言うと、ロベルタが太刀打ちできない相手だと私たちにはどうすることもできません、この島は終わりです」
つまり、あの落雷でロベルタが戦闘不能になった時点でこの島は詰んだのだ。男爵の帰還によって命綱は繋がったと言える。
ナパームも逃走したし、あれ程の魔獣が立て続けに襲ってくるということも考えにくい。天山大剣は別にして。
ロベルタの修繕のための素材が確保できなかったことは非常に痛いが、時間さえかければ素材がなくても可能だ。
そう言えばと君は思った。ロベルタの治療はどれくらいかかるのか。
「大体6カ月ほどでは完了するのではないかと」
それが短いのか長いのかは君には判断付かなかったが、四肢が吹き飛ぶほどの重傷を6カ月で治せるというのであれば、それは驚異的な短さだろう。ちなみに治すではなく直すが正解。
「それまでは何とかなるでしょう。
ヴァンデミールもおりますし、私や
ローズマリー、インデックスも控えています。インデックスはご存じですか?」
そう言われて君は肯定する。図書室で会った彼女だ。しかし何故インデックスの名が上がるのだろうか。
「あぁ……はい。とんだりはねたりといった戦闘能力につきましてはロベルタは他者の追随を許しませんが。実は単純な力ではインデックスが最も強いのですよ」
それはちょっと意外だった、図書室の管理をしているインデックスのほうが力が強いとは。
突然ティシューが君の手をぎゅっと握った。
慌ててふりほどいた君だったが、ティシューは「この様に物を掴んだりするような力に関してはインデックスのほうが強いのです」と普通に言った。
君の手を握ったティシューの力も、その細くしなやかな指からは想像ができないほど力強いものだったが、インデックスはそれを遥かに凌ぐ力を持っているらしい。
君は言った、インデックスの力がそれほど強いのなら、館を護ることもできるんじゃないのと。
君のその質問に大して、ティシューは首を振る。
「インデックスについてどれくらい知っておられますか?」
そう言われて君は記憶をさらってみる。
図書室に行って、天井から落ちてきて、球体関節を外して見せて。
人形であることしか聞いていない。
「そうですか。インデックスはこの館から出ることができません」
それは何故?
「『|積み木の城《シャトー・ジュー・ド・キューブ》』をご覧になりましたか?」
インデックスがリードマンと一緒に図書室で見せてくれた、この館の間取りをいじる事ができる魔道具だ。
「はい。この屋敷の間取りは実際に移動しているわけではありません。通路や部屋などの各ブロックごとに積み木のように分けられて、それを組み合わせることで空間を繋げているのです」
それ故に『積み木の城』という。
それらの操作を行っているのが図書室の本体ということである。
「インデックスは人ではありません」
ティシューは言う。
「この世界には、私たち人間を初めとして様々な種族が存在しますが、インデックスは人形と呼ばれる種族です」
インデックスは人形。それはインデックス本人から聞いたことだ。人ではあり得ない球体関節、四肢が取り外せるなどどういう感覚なのだろうか、君は想像もつかなかった
「『人形』とはその身に宿ったマナを媒介として動く種族の総称です。『ひとがた』とも呼ばれます。土や砂などなんでも食べることができます」
そして食べた物質から武器を生成することができる。生成する武器は食べた物質に依存するため、上質な武器を作るにはそれなりの物物質を取り込む必要がある。
たとえば銃器を生成するには鉄や火薬などを食べる必要があるといった具合だ。
「そしてインデックスはこの館を食べたとのことです。【当時は誰もいない壊れた屋敷】だったらしいのですが」
インデックスが館を食べ、そして館を生成した。再生した館は見違えるほど綺麗な屋敷となった。
「その際ご主人様が手を加え、間取りを弄られるようにし、この『積み木の城』は完成したとのことです」
そして館そのものがインデックスと一体となっているのだ。
「言うなれば私たちはインデックスの中で生活しているようなものです」
館と一体になっているために、インデックスは館を出ることができない。
館さえ生成しなければ、インデックスはどこへでも行けるはずだが、だがインデックスは現状に満足しているらしい。
【当時は誰もいない壊れた屋敷】だったとティシューは言った。
インデックスはその壊れた屋敷の中にたった一人、屋根のない天井から空を見続けていた。
晴れの日の空を流れる雲の粒を、1981兆兆6795億7855万6514個数えたらしい。
雨の日に降る雨の粒を、5617京89617兆1861億9785万81個数えたらしい。
嵐の日に空が光った回数は、24万3573回。
いつからそうしていたかも覚えていない、いつまでそうしているかもわからない。
人形だから、人ならざる者だから。食欲も睡眠欲も性欲もない彼女はたった一人空を見上げていた。
食事も取らず、眠りもせず、瞬きもせず、たった一人でじぃっと。何も思わず一人で黙々と、空を数えていた。
手入れのされなくなった家屋が自然と朽ちていくように、ただ人が住まなくなっただけで滅びていくように、孤独は全てを破壊する。
やがて屋敷のほうが孤独に蝕まれインデックスより先に滅びて行くかと思われたときに、男爵が来た。
久しぶりに、そう、久しぶりに自分以外の人を見たときのインデックスの驚きは筆舌しがたいものだっただろう。
そして、インデックス一人が存在していた屋敷は、その彼女自らの手でリメイクされて、今はたくさんのメイド達が住んでいる。
あの頃からは想像できないほど、人の声と温もりが満ちている。
インデックスは、それで満足なのだ。
この屋敷からは出られないけれど、出られても出なかった期間のほうが長いのだ、気にするほどのことでもないのだろう。
「インデックスはメイドでありながら館でもあり、また最古参でもあるので教育係も兼ねています」
確かに、図書室の長というのであればマニュアル的な蓄積は最たるものだろう。
するとティシューはくすりと微笑んだ。
「彼女に比べれば、私たちなどまだまだ経験の浅いひよっこなのですよ。ぴよぴよ」
突然ひよこの真似をしたティシューに君はぽかんとする。
するとティシューは顔をリンゴのように真っ赤にさせてうつむいた。
「忘れてください……」
ぴよぴよ。
「忘れてください!!!」
さて、ぴよぴよひよっこのティシューに先導されて君は部屋を出た。
「もう……忘れてくださいって言ってるのに……」
恥ずかしさのあまりティシューの口調がなんだか砕けてきているような気がする、よい傾向かもしれない。
「もうっ、知りません!」
ぷいっとそっぽを向いてしまった、怒らせてしまったようだ。
だがティシューのその足取りには淀みない、コレでひよっことは恐れ入る。
「歩き方はまずインデックスに徹底的に教え込まれるので、もう体に染みついてしまっています」
身寄りのない少年少女を拾って自分好みの従順な人間に仕立て上げる、それは男爵の趣味だが、計らずともそれは館だけではなく街にもよい影響が現れている。
ちなみに、ロベルタ、インデックス、ローズマリー、ツナ、
シュリンプは特に歳が古いメイドだ。
ロベルタは屍鬼であるために歳をとらず、インデックスは人形であるために歳をとらない。
草人であるローズマリーは成長は非常に緩やかであるし、ツナは妖精でシュリンプは精霊だ。この2つの種族も人間とは違う時間の流れを生きている。
それ以外のメイドは割と頻繁に入れ替わる。
大体20に近くなると館を出て街に居を移す、これまでにそうしてきたメイドは街にたくさんいるのだ。
男爵が世界中から集めた書物などからインデックスが教育を行い、街に放つというプロセスは脈々と続けられているのだ。
もっとも男爵が諸島を本拠地としたのは今から60年ほど前のことであるが。
そんな中、インデックスの仕事の補佐をさせるために生み出されたのがリードマン(3)である。
世にも珍しい本のゴーレムであるリードマンは、図書室のどこにどの本がしまわれているのかを覚えている。
リードマンの仕事はインデックスの補佐、彼女は生み出されてから3年間ずっとそうやって過ごしている。
役目が役目だけに、本来なら名前など必要としないのだが、いつの頃からかリードマンと呼ばれ、定着してしまった。
だが当人はあまりその名に愛着はないようで、すぐ忘れてしまうために胸ポケットのメモ帳に書き留めているのだ。
「こほん」
ティシューが咳き払いをした、先ほどから君の自室にいるときから続けていた雑談が原因だろう、しゃべり続けて喉が乾燥したようだ。
話題が途切れたのを期に、君は気になっていることを尋ねてみた。
「ふへっ?」
するとティシューは、そんな質問をされるとは露程も思っていなかったようで、気の抜けた返事を返した。
「私の……事ですか?」
そうだ、インデックスやロベルタの事は話してもらったのだが、肝心のティシューの話を聞いていない。
するとティシューはあからさまに困ったような表情をした。聞いてはいけないことだったのだろうか。
「いえ、そう言うわけではないのです。実は……物心を付いたときには既にこの館にいました」
両親はどうしたというのだろう。
するとティシューは首を振った。
「わかりません。居ることは確かだと思うのですが、名前も顔も知りません」
ずっと館の中にいるのだろうか。
「いいえ? 用事があれば街に赴くこともありますけど……そう言うことではない?」
そう言うことではない。
「外へ出る事に関しては、私自身あまり興味がないのです」
理由を聞いてみる、するとティシューは恥ずかしそうにはにかんだ。
「私もかつてはこの館で毎日過ごすことが嫌になったことがありました。インデックスから聞いた外の世界に憧れて、たった一人で島を出ようとしたこともあります」
それでどうしたの?と君は聞いたが、ティシューは苦笑いしながら言った「ご覧の有様です」と。
「この諸島群の北には大きな大陸がありますが、私はまずそこへ向かおうとしました。しかし海獣に襲われて船はあっさりと沈んでしまいました。
そして波間に漂っているところを商船に拾われてこの島に戻ったのです」
そして結局ティシューの身柄は再度館に、男爵の元に戻された。
「お恥ずかしい。その時付いた私の値段が金貨50枚分でした」
それはいくらぐらいの価値があるのだろうか。
「私の月のお給料分です。許可なく館を勝手に出てみっともなく出戻りしてしまったのです。あの……もうこの話やめませんか? 流石に恥ずかしいです」
君はつっこんでみた、ティシューが過去にそのようなアグレッシブな行動をとっていたなんて、今の振る舞いからは想像もできない。
外の世界ってどんなふうな話?
「この世界には絶え間なく風で守られる塔があるとか。そこでは決して血を流してはいけない場所があるとか。大地に擬態した巨人がいるとか」
人の姿をした人ならざる人の天敵の存在や、たった一人でそれに立ち向かった愚かな勇者の物語とか。
「きっとあったのだと思います。ですから……そうですね、私もまた改めて外の世界を見たいと思います」
そう言ってティシューはにこりと微笑んだ。
最終更新:2016年03月18日 07:20