【元ネタ】史実 
【CLASS】アーチャー 
【マスター】 
【真名】朝比奈三郎義秀 
【性別】男性 
【身長・体重】363cm・565kg 
【属性】秩序・中庸 
【ステータス】筋力A+ 耐久A 敏捷C 魔力D 幸運C 宝具C 
【クラス別スキル】 
対魔力:D 
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。 
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。 
単独行動:B 
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。 
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。 
 
【固有スキル】 
勇猛:B 
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。 
 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。 
怪力:C 
 一時的に筋力を増幅させる。使用する事で筋力をワンランク向上させる。 
 持続時間は“怪力”のランクによる。ライダーは魔物としての適性を持たないが、 
 巨人伝説との融合によってこのスキルを獲得している。 
陣地作成:C++ 
 魔術師ではないが、自らに有利な陣地を作り上げる。 
 地形すらも動かす怪力と、土木技術によって得たスキル。 
 
水棲:E 
 水の抵抗を受けずに活動できる。水練の技術による恩恵。 
【宝具】 
『矢喰う呪穴(やくらうじゅけつ)』 
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:10~99 最大捕捉:1人 
 アーチャーの射た矢が一つの点に集中するという逸話が、 
 ある種の呪詛となって再現されたもの。 
 最初に射た矢が標的に着弾すると、必中の呪詛を残してその矢は消滅する。 
 以後、アーチャーが放つ矢は必ずそこに着弾するようになる。 
 未然に防ぐには初弾の着弾を阻害する必要があるが、一度発動すれば、 
 アーチャー自信を滅ぼすしか呪詛を解除する方法はない。 
【weapon】 
『無銘・武装』 
 和田合戦においてアーチャーが身につけた2枚重ねの大鎧と星兜、九尺の六角鉄棒。 
 アーチャーはこの鎧によって傷一つ負うことがなかったという。 
『無銘・弓矢』
 無銘だが、アーチャーの剛力に耐え得る程の豪壮さを誇る。
【解説】 
鎌倉時代初期の武将。1176年生誕。没年不詳。 
父は和田義盛で、母はかの女傑
巴御前であり、両者共
一騎当千と謳われた武将である。 
義秀自身もまた膂力無双の猛将であったと伝えられる。 
1200年、将軍源頼家に一芸を披露せよと命じられて、海に潜って10往復した後、 
三匹の鮫を抱きかかえて浮かび上がり、その大力を示したという。 
この逸話は、生年に照らすと義秀24歳の時の出来事だが、 この時に12歳の少年であったとする話もある。 
1213年、父義盛が幕府を相手に和田合戦を起こしたが、将軍御所を攻めたわずか150騎の和田勢の中で 
義秀は最も活躍を示したと言われる。しかし、数の差激しく、和田勢は次々討ち取られ、 
大将である義盛も討たれ、敗北が決定する。それでも義秀は死なず、 
船6艘に残兵500騎を乗せて所領の安房国へ脱出した。
その後の消息は不明だが、 『和田系図』では高麗へ逃れたとしている。 
史実としては定かではないが、鎌倉の「朝比奈切通し」を一晩で開通し、 
宮城県に残る七ツ森伝説の人物と同一であるという。 
その武勇は伝説に名高く、「剛勇無双」、「神の如き壮力」、「鬼神の如し」などと形容され、
狂言『朝比奈』に置いては、あの世に落ちてからも閻魔大王を屈服させる武将として登場している。
【コメント】 
七ツ森の件は、ご当地のダイダラボッチ伝説と融合したという見解です。 
ご当地にダイダラボッチ伝説があったというのは個人的な推測だけど。
しかしこいつを乗せてた馬は大変な思いだったろうな。重いだけに。 
「地形変形」というスキルも付けようかと思ったけど、汎用性がないので止めた。 
『矢喰う呪穴』 は、カスリ傷でも効果を発揮する設定。
適正クラスはアーチャーのみだが、馬に乗って暴れたという話もあるので 
ライダーになれないこともないかも。 
七ツ森の詳細~全盛期の三郎伝説~ 
- 身の丈2間以上で、3㎡の大石を担ぐ怪力。 
- テキトーに投げた石が飛びすぎて、着地点に住んでいた人々が 天からのの授かりものだと勘違いして祀った。 
- 船形山を作るために松島湾を掘り、七回土を運んで、 籠からこぼれた土が七ツ森の山々になった。 
最終更新:2016年10月03日 23:20