柳生十兵衛

【元ネタ】史実
【CLASS】アサシン
 【マスター】遠坂 凛
  【真名】柳生十兵衛 三厳
  【性別】男
  【身長】178cm
  【体重】68kg
  【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷B 魔力E 幸運A+ 宝具EX
【能力】
気配遮断:C
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。完全に気配を断てば発見する
事は難しい。ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。

【保有S】
心眼(真):B
修行・鍛錬によって培った洞察力。窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、
その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”。逆転の可能性が数パーセントでも、その
作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。

陰流:A++
日本の合理、その完成型のひとつ。修得の難易度は最高レベルで、Aでようやく“修得した”
と言えるレベル。A++は剣聖の一歩手前である。

水月刀:A+
対人魔剣。夢想の域に達してその実体を空に消し去ることであらゆる攻撃を回避し、回避
不能の反撃の一太刀を浴びせる。

【宝具】
柳生 月之抄(かげりゅう つきのしょう)
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:0 最大補足:0人
新陰流のみならず流祖である陰流に至るまでの記憶の内から、流派に連なる剣聖たちの究
極の一ともいえるその絶技・奥義の数々を再現する。アサシン自身がかつての使い手の技
量や心理状態、さらにはその剣理・剣域にまで到達し得ることで、模倣や複製のような借
り物ではなく、自らの術理として使う。終生剣理を追及し、研鑽を続けたアサシンの剣の
精髄が宝具にまで昇華されたもの。将軍の勘気を被ってから十二年間、十兵衛は柳生の道
場を中心として兵法の実技と理論の研究に没頭し、新陰流の目録を編纂し直したり、父宗
矩の口伝を細大漏らさず書き留めて、自分なりに新陰流の至極と思うところをまとめ一巻
とし、これを「月之抄」と名づけた。

【weapon】
三池典太光世
平安時代末期、筑後国の刀工光世作の名刀。三池に住んでいたため、三池典太、三池典太
光世とも呼ばれる。身幅が広く豪壮で切れ味が鋭く、多数の文献に残されている。刀剣に
魂が乗り移り、魔を追い払う能力を持つとも言われている。

【特記事項】
柳生十兵衛 三厳、江戸時代の剣豪。愛刀は三池典太と言われている。江戸初期の著名な剣豪として
知られ、彼を題材とした講談や小説が現在に至るまで多く作られている。
徳川家光の小姓として仕え、後に剣術指南役をつとめたが、20歳で勘気を被り、小田原の阿部正次に
お預けの身となる。その後12年ほど諸国を放浪し、武者修行や山賊征伐、あるいは公儀隠密として暗
躍をしていたとも言われているが、実際の行動は不詳である。この事が講談の種となり、今日に至る
まで彼を主人公とした様々な物語が生まれることとなった。また新陰流には杖術が十兵衛杖として伝
承されている。
再出仕してからはこれという失敗もなく、兵法研究には相変わらず熱心で、寛永19年には石舟斎や
宗矩の目録を総ざらえして月之抄にまとめている。
父の死後、三厳と宗冬との間で遺領が分割されて石高が1万石を切ったために、三厳が大名に列した
事はないが、死後に弟の宗冬が三厳の遺領を相続したことにより再度大名としての地位を回復させた
ために、便宜上三厳が大和柳生藩第二代藩主とされている。家督を継ぐようになると寛容で、政事に
励み、質実剛健な家風を守っていったという。
享年44歳。死因は不明だが、鷹狩りに出掛けた先で卒中を起こした、沼に嵌まって水死した。何者か
に斬殺されているのが発見された等々諸説ある。
後世、片目に眼帯をした姿で描かれることが多い。若い頃に失明したと伝えられているからである。
これは幼い頃、燕飛の稽古でその第四月影の打太刀を習った時に父・宗矩の木剣が目に当たったとか、
宗矩が十兵衛の技量を見極めるために礫を投げつけて目に当たったなど、諸説ある。しかし、肖像画
の両目はあいており、信頼に足る資料・記録の中に十兵衛が隻眼であったという記述は1つも見られ
ない。

【特記妄想】
豪放磊落な典型的剣豪、マイペース。純粋な剣の求道者で御留流であるにも拘らず、非公式な他流試合を
繰り返していた。さらには公儀の汚れ仕事でさえも修練の一環として捉えていた。聖杯戦争もまた彼にと
っては修行の場である。剣士ではなく政治家であった父とは、本質的に相容れぬ存在であった。千葉真一
似で、編み傘、革羽織、刀鍔の眼帯に袴という御約束スタイル。触媒は柳生十兵衛のものとされる剣鍔。
最終更新:2016年09月23日 22:29