【元ネタ】史実
【CLASS】キャスター
【マスター】
【真名】ピオ9世
【性別】男性
【身長・体重】175cm・64kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷E 魔力A 幸運C 宝具C
【クラス別スキル】
陣地作成:B
魔術師にとって有利な陣地を作成する技能。
洗礼詠唱により、聖域を形成することが出来る。
既に教会として洗礼聖別済みの土地に対しては、その洗礼聖別の効果を強化する。
道具作成:E
魔術的な道具を作成する技能。
聖別された道具を作成できる程度。
【固有スキル】
魔眼:A
大天使サリエルが持つ邪眼を所有。
視界に入った者の心の奥底に眠る根源的な恐怖を揺り起し、
恐慌状態にすることで、対象を無力化する。
精神干渉を無効化する能力で抵抗可能だが、
スキルがBランクの者でも判定次第で重圧がかかる。
洗礼詠唱:A
キリスト教における“神の教え”を基盤とする魔術。
その特性上、霊的・魔的なモノに対しては絶大な威力を持つ。
【宝具】
『神命の瞳(サリエル・アイズ)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
サリエルの加護が込められた鍵状の護符。
本来はサリエルの邪眼と同質の力を持ち、それを自らの邪眼にぶつけることで、
邪眼の力を相殺し、封印している。
邪眼を封じている力を反転させることで、自身の邪眼を解放する。
さらにこの宝具の力を上乗せし、邪眼の能力をさらに引き上げることができる。
その際の邪眼は最高ランクの『宝石』にも匹敵する。
【解説】
18世紀の終わり、1792年に教皇領のセニガッリアで貴族の家に生まれたジョバンニ・フェレッティは神学校で学び、1819年に叙階された。
ローマやチリで働き、スポレトの大司教に任命された後、1840年に枢機卿に選ばれた。
グレゴリウス16世の死去を受けて行われたコンクラーヴェは保守派と改革派の激しいせめぎあいとなったが、紆余曲折を経て選ばれたのは改革派とみられていたフェレッティであり、ピウス9世を名乗った。
1700年以来最年少となる54歳での選出だった。
彼はまず教皇領において政治犯の恩赦を行った。
背景にはイタリアの統一運動(リソルジメント)の高まりがあり、教皇領の住民たちの教皇の動向への注視があった。彼のもっとも有名な文書である『誤謬表』(シラブス)は1864年の回勅『クアンタ・クラ』に付属するかたちで発表された。
これによって教皇庁と近代社会との断絶は決定的になった。
1848年に入るとイタリアをめぐる情勢はゆれ始める。
教皇はイタリア北部をおさえていたオーストリア帝国を支持していたため、これに反感をもっていた民衆によって暴動が起こるようになる。
11月24日、ピウス9世は政情不安定のローマを離れて密かにガエタへ逃れた。
1849年にはローマ共和国が成立、これを警戒した教皇はフランスに援助を依頼したため、フランス軍がローマに進駐した。翌年教皇はローマに戻った。
1858年、ナポレオン3世はイタリアのカヴールと同盟し、オーストリア軍を攻撃。オーストリア軍をイタリアから撤退させた。
ここにいたってイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は教皇領を要求。
これを拒否されると武力で進駐し、1870年、フランス軍の撤退したローマまで押さえた。
ここにいたって教皇は自らが「バチカンの囚人」であると宣言し、イタリア政府とバチカンは断交状態に陥った(ローマ問題)。
第1バチカン公会議はこのような不安定な政情の中で行われ、普仏戦争の勃発によって予定会期のほとんどを消化しないまま閉会した。
ここで採択された「教皇不可謬説」はその解釈をめぐって大きな波紋を呼ぶことになる。
ピウス9世と日本は縁があり、1862年に日本二十六聖人を列聖したのがピウス9世であり、1868年には長崎での信徒発見のニュースに対して喜びをあらわす書簡を発表している。
1878年2月7日、教皇が世を去ったとき、その在位期間は31年7ヶ月におよび、史実であきらかな教皇たちの中では最長の在位期間を記録していた。2000年9月3日、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
最終更新:2016年09月24日 12:28