范雎

【元ネタ】史実
【CLASS】アヴェンジャー
【マスター】
【真名】范雎
【性別】男性
【身長・体重】165cm・63kg
【属性】混沌・悪
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷D 魔力B 幸運- 宝具A
【クラス別スキル】
復讐者:A
 文字通り“復讐者(アヴェンジャー)”クラスとしてのスキル。
 その一意を原動力としサーヴァント性能を大幅に向上させる。
 一方で反英雄としての負の面が強まり、幸運が2ランク減少し、
 属性が【混沌・悪】に固定されるデメリットも存在する。

忘却補正:A+
 自身を忘れてのうのうと生きる復讐対象への特攻力。
 演出能力でもあり、復讐対象の心身を完全に破壊し尽すための手筈の理解でもある。

自己回復(魔力):B
 執念深さの象徴。
 不可能を可能にし得るほど強い負の原動力を、魔力の奔流に変換し、霊核修復に用いる。

【固有スキル】
友誼の証明:B
 敵対サーヴァントが精神汚染スキルを保有していない場合、
 相手の戦意をある程度抑制し、話し合いに持ち込むことが出来る。
 聖杯戦争においては、一時的な同盟を組む際に有利な判定を得る。

気配遮断:D
 サーヴァントとしての気配を絶つ。隠密行動に適している。
 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断は解ける。

鑑識眼:B-
 人間観察を更に狭くした技術。
 対象となる人間が将来的にどのような形で、有用性を獲得するかの目利きに極めて優れている。
 ただし、強引な売り込みに対しては、生前の汚点がある所為かスキルを発揮しようとしない。

王佐の才:A
 王器を持つ者を補佐する才能。
 己に相応しい王者に仕えることで、互いの欠落を補完するスキル。
 カリスマの影響下にある場合のみ、あらゆる判定に有利な補正が与えられる。

【宝具】
『憐之襤褸衣(あわれみのころも)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
 襤褸の着物と、秦で再会したときに須賈からもらった絹の着物の宝具。
 二枚の着物のほか、着物を着替えて再度相手と対面するという行動までをも宝具の一部とする。
 襤褸の着物はA++ランクの「諜報」スキルに相当する能力を発揮する。
 一方、絹の着物の能力は「一度でも他者を不当に虐げた」過去を持つ者と対面したとき、
 その対象の心を読み取って、自身を「虐げた対象」であると誤認させる能力を有する。
 絹の着物による偽装で相手に精神的な揺さぶりを掛け、襤褸に再度着替えて
 “ネタ晴らし”をすることで、怒りや忸怩たる感情によって相手を恐慌へと陥れる。

『睚眥之怨(がいさいのうらみ)』
ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:100人
 一杯の飯の恩義にも、睨み付けられただけの恨みにも報いる范雎の人格を具現した宝具。
 アヴェンジャーがその身に抱いた恨みや恩義を蓄積、竜種である睚眥の魔力奔流へと変換。
 剣のごとく尖った竜種の魔力波動を、凄まじい憎悪を以て敵にぶつける。
 どれほど些細な恨みでも、睚眥の魔力の形成に回すことができる(それこそ、ただ睨まれたというだけでも)。
 なお、恩義のみで作り出した「癒しの波動」も“原理上は”形成可能だが、
 よほどの幸運が重ならない限りは無理であろう。
 そして半端な恩義は、ただただ宝具の威力を下げる要素にしかならない。

【解説】
 春秋戦国時代に秦の昭襄王(昭王)に仕えた文官。
 生国は魏で、当然、当初は魏に出仕し、遊説家である須賈に仕えていた下級文官であった。
 須賈が斉に仕事で出向いた際に付き従ったとき、主人を差し置いて斉王から弁舌が巧みであると評価されたために、
 それを間諜行為と、主人と魏の宰相・魏斉に疑われ、拷問を受けた末に厠に打ち棄てられた。
 それでも生きていた范雎は、見張りを買収して自分を死んだことにし、偽名を得て秦へ亡命。
 秦に入国した范雎は、策を講じて昭王との友誼を結び、不安定であった王の政権を
 政治をいいようにしていた有力臣下を廃させることで盤石なものとさせた。
 これによって自身も宰相として権力を得た范雎は、自分を陥れた魏への復讐を開始し、
 かつての主人であった須賈や、人質となっていた趙の平原君や趙王を脅迫し、遂に魏斉を自害に追い込んだ。
 だが、常勝不敗の将軍・白起があまりに武功を挙げ過ぎることを警戒した范雎は、
 単なる保身か、或いは白起の文官としての才に疑問が持たれる(この武功数ならば宰相にもなろうと思えばなれるから)からか、
 長平での大勝後の趙都・邯鄲包囲から白起を退かせ、それが結果として包囲の失敗につながる。
 また、この失敗に起因する武将の一人が捕虜に、また一人が軍事機密を漏えいさせていたかどで処刑され、
 彼らが范雎に近い武将であったために范雎自身も連座で罪に問われかけたが、昭王の鶴の一声で罪には問われず。
 だが、これによって自身の限界を感じた范雎は、それから程なくして蔡沢という若者に宰相の座を譲り、引退。
 范雎が示した、いわゆる遠交近攻策は、彼の引退後も受け継がれることとなる。
最終更新:2016年09月27日 18:55