「政宗さま、御本を貸してくださるのですか? ありがとうございます」
ふと気がつくと喜多は消えていた。愛は居住まいを改め両手をついて頭を下げて、嬉しそうに笑う。
「本なんかいくらだって貸してやるぜ……けどな、そんなのただの方便だ」
毒気を抜かれるような笑顔を隻眼で睨み据えて、政宗は身を乗り出す。
「お前って、なに考えてんだ? わけ分かんねぇんだよ。見てて苛つく」
顔を覗き込み吐き捨てると、愛はきょとんとして目を瞬いた。
名ばかりの夫婦とはいえ、愛は朝に晩に政宗の部屋を訪れ、ご機嫌伺いという体の短い挨拶をするのを
日課としている。それのみが自分の大事な仕事だと信じているような励みようで、いつ見ても心底から嬉
しそうに笑っている。
だが政宗には、そんな顔を向けられる覚えがない。好意を寄せられる謂われはないのだ。
それが悪意なら対処の仕方もあるというものだが、無条件に好かれるのは気味が悪い。
愛が自分に対して妙な幻想を持っているなら、早々に打ち砕いてやるのが親切というものだ。大体、こ
れ以上ままごとのような夫婦ごっこを続けるのは、苦痛だ。
政宗は数日に一度、今日のように愛のところで過ごすよう強制されている。伊達の家風に馴染めるよう
にとの父の言い付けだが、愛本人が拒むようになればこの下らない習慣もなくなるだろう。朝晩愛が顔を
見せることもきっとなくなる。それこそが名ばかりの夫婦として、正しいあり方だ。
田村から来ている侍女たちは、愛の代参で郊外の寺まで出かけて出払っている。小十郎も喜多もまんま
と罠に嵌った。経験上、政宗が悪知恵を働かせるのは心得ているはずだが、愛を気遣うふりをしたことで
目を曇らせたらしい。
これでやっと二人きりになれた。千載一遇の機会だ。
「お前、俺のこと厭じゃねぇの? 結婚したのが片目とか、普通困るだろ。とりあえず伊達の跡取りって
ことになってるけど、本当に俺が継げるか分からねぇぞ?」
疱瘡で右目の視力をなくしてからの母の態度を思い浮かべながら、まずは不安を植え付けようと試みる。
だが愛は緩慢に首を振ると、ゆっくりと唇を動かした。
「政宗さまはきっと立派な武将になると、愛は思っています。文武に優れていらっしゃるんですもの、間
違いありません。そうすれば自然と、家督を継がれるようになるのではありませんか?」
「決めるのは俺じゃねぇし、愛がどう思おうと関係ねぇんだよ。そうなればお前の親父さんだって困るん
じゃねぇの?」
「愛はもう田村の娘ではなくて、政宗さまの妻なのですから、父のことは関係ありません」
ひたむきな物言いと真剣そのものの目に、一瞬気を呑まれた。けれど愛が語尾を括るように微笑んだの
で、政宗は舌打ちする。動揺しかけた自分が忌々しかった。
ふと気がつくと喜多は消えていた。愛は居住まいを改め両手をついて頭を下げて、嬉しそうに笑う。
「本なんかいくらだって貸してやるぜ……けどな、そんなのただの方便だ」
毒気を抜かれるような笑顔を隻眼で睨み据えて、政宗は身を乗り出す。
「お前って、なに考えてんだ? わけ分かんねぇんだよ。見てて苛つく」
顔を覗き込み吐き捨てると、愛はきょとんとして目を瞬いた。
名ばかりの夫婦とはいえ、愛は朝に晩に政宗の部屋を訪れ、ご機嫌伺いという体の短い挨拶をするのを
日課としている。それのみが自分の大事な仕事だと信じているような励みようで、いつ見ても心底から嬉
しそうに笑っている。
だが政宗には、そんな顔を向けられる覚えがない。好意を寄せられる謂われはないのだ。
それが悪意なら対処の仕方もあるというものだが、無条件に好かれるのは気味が悪い。
愛が自分に対して妙な幻想を持っているなら、早々に打ち砕いてやるのが親切というものだ。大体、こ
れ以上ままごとのような夫婦ごっこを続けるのは、苦痛だ。
政宗は数日に一度、今日のように愛のところで過ごすよう強制されている。伊達の家風に馴染めるよう
にとの父の言い付けだが、愛本人が拒むようになればこの下らない習慣もなくなるだろう。朝晩愛が顔を
見せることもきっとなくなる。それこそが名ばかりの夫婦として、正しいあり方だ。
田村から来ている侍女たちは、愛の代参で郊外の寺まで出かけて出払っている。小十郎も喜多もまんま
と罠に嵌った。経験上、政宗が悪知恵を働かせるのは心得ているはずだが、愛を気遣うふりをしたことで
目を曇らせたらしい。
これでやっと二人きりになれた。千載一遇の機会だ。
「お前、俺のこと厭じゃねぇの? 結婚したのが片目とか、普通困るだろ。とりあえず伊達の跡取りって
ことになってるけど、本当に俺が継げるか分からねぇぞ?」
疱瘡で右目の視力をなくしてからの母の態度を思い浮かべながら、まずは不安を植え付けようと試みる。
だが愛は緩慢に首を振ると、ゆっくりと唇を動かした。
「政宗さまはきっと立派な武将になると、愛は思っています。文武に優れていらっしゃるんですもの、間
違いありません。そうすれば自然と、家督を継がれるようになるのではありませんか?」
「決めるのは俺じゃねぇし、愛がどう思おうと関係ねぇんだよ。そうなればお前の親父さんだって困るん
じゃねぇの?」
「愛はもう田村の娘ではなくて、政宗さまの妻なのですから、父のことは関係ありません」
ひたむきな物言いと真剣そのものの目に、一瞬気を呑まれた。けれど愛が語尾を括るように微笑んだの
で、政宗は舌打ちする。動揺しかけた自分が忌々しかった。




