(2009/09/24)
政策に期待すべきは、構造的失業の解消
雇用の回復は、基本的には景気の回復がなければ実現不可能で、政策で失業率をコントロールするのはあまり期待できない。手をつけるべきは、労働市場における構造的な労働需給のミスマッチや、正規雇用者と非正規雇用者の極端な待遇の差などの解消で、本質的な制度改革をしないと問題の解決につながらない。
民主党政権はマニフェストで製造現場への派遣を原則禁止するなど、非正規雇用者の問題に取り組む構えを見せているが、こうした指向が行き過ぎて、非正規社員の入職規制を広げたり、正規社員と同等の待遇にするなどの極端な政策を取れば、失業率を上げるだけだ。企業内での熟練など何らかの差があって賃金に差があるわけだから、その差はきちんと認めないといけない。
それよりも問題なのは、年金などの社会保険の部分だ。正規雇用者と非正規雇用者の待遇差は、賃金と労働時間の問題以上に年金、健康保険、失業保険などの社会保障にかかる部分がかなり大きい。厚生年金に入れないため割高な国民年金に入らざるを得ないとか、国民健康保険に入らざるを得ないとか、職場以外のところでの差別が主たる問題であると考えている。この問題を解決すれば、派遣労働の制度を温存しても、病気の保証、失業への備え、老後の保障などのセーフティーネットは担保されることになる。その上で、高い給料で雇ってもらいたいならば、あとは自分を磨いて努力して認められるようにすればよい。
労働者対経営者の概念で政策は語れない
民主党の政策で懸念されるのは、租税特別措置の廃止縮小や公開会社法の制定などをはじめ、企業行動を性悪的なものととらえるような政策がとられることだ。単純に言えば、企業をいじめればそれだけ雇える数が減るということになる。微減にとどまるか大幅減になるかはケースバイケースだが、少なくとも企業の行動を制約すると、マイナスのベクトルが働く。
労働組合の影響が強い民主党政権だが、現在政権が直面している問題は二分法的に経営者と労働者の対立概念では片付けられない状況にある。労働組合は民主党が政権をとるまでは一枚岩的にサポートしていたが、実際に政権をとった時点から各労働組合の立場の違いが表面化する。従来からの伝統的な正社員を守りたい労働組合と、もう少し雇用が多様化している実態を守りたい労働組合の雇用対策はすり合わせが難しい。今後いろいろな問題を決定していく上で、民主党は誰の支持を得て政策を講じるのかを踏み絵的に迫られることになろう。
直接雇用と関係なさそうな政策で言えば、鳩山政権は温室効果ガス削減25%という目標を打ち出している。財界がこれに反対するのは当たり前だが、製造業の労働組合も猛烈に反対している。一方、サービス業の労働組合は自分たちの業界にはあまり関係なさそうだからと沈黙を決め込んでいる。そういった構図はいろんなところに出てくる。それをうまくさばいてこそ本格政権と言える。
「無駄な予算」削減がもたらすもの
次に、民主党の無駄な予算の削減がもたらす雇用の影響にも触れたい。もちろん、「無駄」の定義をはっきりさせたうえで、限りある予算をより有効な政策に振り向けることは重要だ。しかし無駄な予算といえども、そこには一定の雇用が付随していることはまぎれもない事実だ。ケインズ経済学では、穴を掘って埋めるだけでも雇用を生み出す重要な支出なのだという主張がある。
たとえば、独立行政法人に対して幹部の天下りがけしからんとこれを逐一つぶしていくと、確かに支出は節約できるが、そこで雇われていた人たちや独立行政法人の支出で生活していた民間企業は所得の糧を失ってしまう。無駄な予算で雇われていた労働者は無駄な労働者だったのだろうか。さすがに民主党もそこまでは踏み込んでいない。そのバランスをどう取っていくのかも注視したい。
「失われた10年」が繰り返されようとしている
さらに、深刻になると思われるのが若年者の失業問題だ。大学でゼミナールを運営しているので、毎年の就職状況の差は肌で感じる。理不尽なことに、就職状況は入学した年でほとんど決まってしまっている。入学したときには卒業時の景気は分からないわけだが、3年生の秋くらいに景気がよくなれば就職活動はラクになり、そうでないとよくできた学生でも苦戦する。
かつての「失われた10年」がまたもや繰り返されようとしている。90年代の半ばに就職氷河期という言葉が使われ始め、年を追うごとに新卒者の就職が厳しくなるという時期をかつて迎えた。現状では正社員は過剰に保護されており、本人がよほど悪い勤務態度をとらない限り解雇はできない。そのため、会社内での年齢構成に即したフレキシブルな採用ができず、しわよせが若い人にきている。中途採用市場も十分に機能しているとはいえず、新卒のときにあぶれてしまった若い人たちが再チャレンジができないまま今日に至っている。
確かに雇用形態は多様化したが、拡大したのは、社会保障のセーフティネットがないままの非正規雇用である。中途採用で基幹人員を補充するルートは細く、きちんとした社会保障がカバーされる雇用の身分になるということが中途では難しい。本来なら、90年代の教訓を踏まえて、戦後最長といわれる景気回復期に、社会保障のセーフティーネットを非正規までカバーし、年金の一元化とか医療保険の一元化をもっと熱心にやるべきだった。民主党には遅まきながら、その対応を期待したい。
もう一つうまくいかなかったのは、正社員雇用の過保護すぎる部分を改める作業だ。残業代不払いを合法化し、長時間労働、心身の健康被害を招きかねないとしてホワイトカラー・エグゼンプション導入は失敗に終わったが、これは、いきなり正社員全体に網をかけるような性急な施策で、いかにも無理がある。景況に左右されない基幹正社員を確保したうえで、中途採用も新卒採用ももう少しフレキシブルに対応する施策が望ましいのだが、それができない内に、再び景気後退局面を迎えてしまった。ひとつのノイズだったのは、団塊世代の大量退職だったと思う。その穴を埋めるべく、新卒採用を大盤振る舞いしてしまった。その反動で、現在就職氷河期が繰り返されようとしているのだ。
80年代までの正社員中心主義は終焉した
今後の雇用問題を考えるうえで大前提としなければならないのは、80年代までの、正社員中心主義はもはや維持するのが難しいということだ。
冷戦によって中国が資本主義のマーケットに出てこなかったがゆえに、先進国は軒並み高度成長にあわせて給料を手厚く支給し、雇用者の生活向上を図ることができた。しかし、現在は、同じ労働をはるかに安価に提供できる中国などの国が出てきた。中国の低賃金労働者と同じ仕事を日本でしていても、正社員で安定した給料がもらえるという状況はありえない。
多くの労働者を安定した正社員として遇し、それなりにいい給料を支払っていきたいと思っても実現不可能だ。景気の波や仕事の質によって給料がアップアンドダウンすることは避けられない。失業はしないけれども、給料が下がることを甘受せざるをえない層が出るのはやむをえない。高い技能を発揮して日本でしかできない仕事をこなす雇用者は当然高い給料を払われるべきだろう。そうでないと、安定した雇用と高所得を得るというのは難しい。
こうした労働市場の変化に大学はどう対応すべきだろうか。実学指向ということがしきりに言われるが、大学で学んだ知識が即戦力として生かされるのは少数の理系学部のみであって、大半の文系学部はそうではない。恩師や友人とのつながりだとか、今まで知らなかったものを知ることで、未知なるものへの恐怖感を軽くしてくれるとか、そういうものがパッケージになって大学の卒業証書に込められている。それに代わるオルタナティブな進路があるかというと、大学に入らないで、職人になったほうが確実に稼げるというものでもない。大学を卒業することに何の価値もないとか、昔より価値が低下したわけではないと思っている。
私自身はゼミの学生をどう教育しているかというと、どういう状況にあってもきちんと自分の人生が狂わないように身を処し、新たな知識を身に着ける力を育成している。私の場合はたまたま経済学が媒介となっている。人生をたくましく生きていく力、屈しない、へこたれない、人生をあきらめない態度はどうやったら養えるか。古典・教養も大いに役立つだろうし、学問を究めるというプロセスが人生をうまく生きていくこととつながっていると確信している。大学時代を通じてそうしたコアな部分が形成されれれば、卒業生としてたくましくいきていけると思う。(談)
土居丈朗(どい・たけろう) 大阪大学経済学部経済学科卒、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。その後、東京大学社会科学研究所助手、慶應義塾大学経済学部専任講師、同准教授、カリフォルニア大学サンディエゴ校客員研究員、財務省財務総合政策研究所主任研究官等を歴任。専門は、経済政策、財政学、公共経済学。主な著作は「財政学から見た日本経済」(光文社新書)、「日本政治の経済分析」(木鐸社、井堀利宏氏と共著 )、「財政読本」(東洋経済新報社、井堀利宏氏と共著)、「アリとキリギリスの日本経済入門」(東洋経済新報社)、「地方債改革の経済学」日本経済新聞出版社刊(日経・経済図書文化賞、サントリー学芸賞受賞)など多数。