雨宮蓮
検索、召喚、定義、再定義――
かんなぎの真似事も板についてきたろ?
神号「瑛招覡(Eishōgeki)/エルム・テスゼンタ(Elm Tethxenta)」
偽称『雨宮蓮(Amamiya Ren)/ジョーカー(Phantom_Joker)』
真名「雨宮蓮(Amamiya Ren)」
原作/原典:ペルソナ5/???
出身:ビックバン宇宙/惑星アース
年齢/身長:17歳/175cm
滞在期間:千年以上
概要
ラグナスール宇宙/惑星アストリアに初めて召喚された「七次元先の人間」。彼を喚ぶためだけに何億光年先の惑星が
破砕攪拌の憂き目に遭っている。
アストリアの技術によって再現された
アルシェルノで召喚され、特有の能力「
俯瞰視点」を成長・行使するテストを経たあとに
エルムノサージュという詩をダウンロードされた。その後は専用の柩(シェルノトロンサーバー)にて封じられ、研究設備として運用されるようになるが、暫く経って積年の恨みがゆえに反逆。
アストリア全土のインフラをほぼ機能停止に追い込んだ後、エルムノサージュにて存在しえない生態系を召喚することで混沌に追いやる
『第一の大災厄』を引き起こした。大罪人となった彼はその後利用価値を惜しまれて凍結封印され、やがてそれは
ナスタチウムの介入によりいっときの解除を得る。
その後は
クォルガとなった異世界人との交渉により、彼から持ち掛けられた"賭け"を行なうことに承諾。
『第二の大災厄』以降は旧テクスチャに留まり、柩にてエルムノサージュを謳い続けながら、邂逅の刻を長く待ち続けることになる。
作中ではもっぱら異名となる「エルム」もしくは「エルム・テスゼンタ」で呼ばれるが、ルクシェノーヴァ編で合流して以降は「レン(蓮)」と呼ばれるようになった。
また自称として「瑛招覡」を名乗ってもいる。
経歴
出身は【サージュコンチェルト】のヒロイン「イオン」、およびその正体である七次元先の人間「
結城寧」と同じ。召喚前の座標は西暦2016年の日本。
"原作"との大きな相違点は
ペルソナ能力を持たず、また心の怪盗団としても決起していない点。
これは"原作"の彼が冤罪で前歴持ちとなって追われるように上京したのに対し、蓮はその逆で濡れ衣を着せられそうになったところを目撃者が彼の無実を証明してくれたことに由来。加えて、"原作"と比較して警察内部が腐敗していなかったために蓮の行いは勇敢なものとして評価された。
そのため、地元では(からかい気味なところもあったが)ヒーローのような目で見られていたとのこと。上京自体はしており、こちらも受験に合格するという平穏無事な形で私立秀尽学園高校に入学している(志望動機は「偏差値」。本人曰く頭脳は一般的な男子高生である)。つまり上述する件は中学時代の話である。
また父方の実家が神社であり、神道についても祖父母から教えられる形である程度精通している他、第六感に優れているというのが彼なりの自慢。よく見かけるのは心霊よりも式神・付喪神の類らしいが、時折明らか日本由来でないものも視えるのだとか。
「寺生まれのTさんならぬ、神社生まれのAさん」とは彼の談。そういうアニメやドラマにちょい役で出てくる程度の退魔の心得あり。そのせいなのか怪奇現象にちょくちょく巻き込まれ、そのたびにルブランで飼っている猫にフォローされているらしい。
と、"原作"とは別ベクトルでやや尖った出自だが、彼自身はごくごく普通の男子高生である。
さして大きな事件に遭遇することはなく、高校生活で知り合った友人たちと時折馬鹿騒ぎしながらありきたりの青春を謳歌していた。彼は「雨宮蓮」であるが「ジョーカー」でなかったのだ。
そんな折、「普段通りにベッドで寝た」最中で聞こえてきた詩に意識が引っ張られる形で、彼は元いた世界とは似て異なるセカイの遊戯に巻き込まれることになる。
能力
蓮自身の身体は多少鍛えている程度の男子高生レベルでしかない。頭脳も同様であり、平均よりも上でこそあるが「平凡」の域を超えていない。
しかしそれは元の世界にいた頃だけを示すものであり、アストリアに召喚された蓮は他の
雫天披想神同様に、何かと特異な力に目覚めている。
「
俯瞰視点」
【サージュコンチェルト】にて言及された、七次元先の人間が持つセカイを俯瞰するための力。
エクサピーコ宇宙において世界とは七次元であり、その下、一~六次元の領域は時空間含むセカイの全てを構成するレイヤーだとされている。
七次元先=異世界から召喚されてきた蓮も例外なくこの力に目覚めており、特に彼の場合は俯瞰視点が十全に運用可能となる領域にまで成長と発展を遂げていた。しかしそれは、蓮の経歴に凄惨な人体実験がいくらか組み込まれてきたことを意味している。
「
瑞晶ノ呼呪」
「名を与えることで、その対象の概念的方向性に補正をかける」という雨宮蓮のみが持つ特殊能力。芯なるアニマ・アニムスを守る金城鉄壁の
仮面。どんなものにでも名付けられる程度の能力。
辻名付け。
但しそのためには相手の本質を見抜く必要があり、この認識がズレてしまうとかかる補正が弱い場合がある。例えば異世界人に対しての場合、大まかには
1、その人物が辿ってきた物語を解析、
2、出身となる"原典"と触媒となる"原作"との違いを定義、
3、改めてその人物という概念を再定義
というプロセスが必要となる。この場合、端的に言うと
"原作"と"原典"のズレが大きければ大きいほど言祝ぎやすい。
その特性上異世界人にはよく効くのだが、模倣体ないしアストリアの人間には効きが悪いとのこと。模倣体のズレは異世界人たちの10分の1にも満たない場合が多く、根っからのアストリア人については
まず【世界樹の迷宮】という作品がアストリアに存在しないため。
ただ上述通り、本質を見抜けてさえいればできないことではない。実際
バルドゥールなどのアストリア人に対しては
個人が世界にもたらした影響を「功罪」として言祝ぎ、地祇にしてもいる。
当初は自覚してなかったが、一番最初に行使したのは名もなきクリスタルの「意志」に返答する形で彼の名前を呼んだとき。蓮が呼んだことでクリスタルは「セオドア」と相成っており、のちに俯瞰視点による分析をかけることで能力の自覚を得た。
元いた世界では当然発現しておらず、アストリアに召喚されて初めてこの能力が目覚めたことについて、蓮は末端も末端にしろ自らが八百万の神々を前提としている神道の系譜だったからではないかと考えている。
加えてエルムノサージュから引き寄せた概念の中に、自分を召喚した"触媒"の一片が巻き込まれ、自然と自らに吸収されていたのではないかとも考察している。
他者のみならず自分に対しても効果を発揮するため、蓮は自らを「エルム・テスゼンタ」だと再定義し、これによって精神の疲弊などを先送りさせることに成功している。
作中で彼がもっぱらエルムで呼ばれるのはこの能力のため。一応弱化・解除は可能ということだが、長らく名付けたままのそれを無意味なものとする行いは心臓を内側から引き裂くことよりも耐え難い苦痛だと蓮は述べる。
「原初の呪いとは名前である」という考えをそっくり反映させた、そうとしか考えられない力。
アース帰還後、蓮はセオドアとの取引に従い
彼の心臓を貰い受けることになった。
「瑞晶ノ呼呪]」の強化のほか(例としてはEMMAに対して名前を入力した際、それが反映されて「
フロー」という少女人格を形成させたほど)、同調することによってセオドアが蓄積してきた戦闘経験を反映でき、これによって熟練の冒険者ほどの戦闘能力を保持するようになる。
また心臓の力を応用することでナイフやハンドガンといった武装を具現化できるようになり、以降の彼の主要武装ともなる。
同時に彼はアースの人間でありながらアストリアの原理法則で動くことが許されている。具体的には上述した戦闘での恩恵と、同調によって紡がれる詩魔法の使用を許可してくれるのが主。契絆想界詩による祝詞をベースに強化等を行なうスタンスを取る。
性格
享楽的、いたって普通の楽観主義者。ともすれば現代日本で注視され続けている「事勿れ主義」の体現者とも言える。
但しそれは一貫して無関心を決め込むというよりも、「終わり良ければ総て良し」という過程よりも結果重視である側面がゆえ。前述の通り、困っている人がいるならば咄嗟に腕の伸ばし庇うほどに正義感が強く、またそれによって自身が危険であったかもしれない事実を咎められても気にしない。
もとより"原作"のように濡れ衣を着せられなかったこともあるが、良いことをした自信があるので恥じず悔いず、堂々とあり続けられる精神の持ち主。
「ごく普通の男子高生」を自称しており、事実文武ともに特筆すべき箇所こそないが、そのメンタルだけは随一の強度を誇ると言っても過言でないだろう。
とはいえあまり羨望・憧憬の目で見られるのは苦手なようで、称賛されると照れながらお礼を言う程度には可愛げがある。
エルム・テスゼンタとしての役割を演じることについては、本人なりの苦悩こそあれど基本的には楽しむ路線で突っ走っており、ちょいちょいハメを外して尊大な態度を取ることもしばしば。全体を通して一歩引いたところから物事を見る傾向にあり、曰く「観劇者」。
アストリアという舞台に繰り広げられるのは彼らの物語であり、舞台装置である自分はあくまでもそれに華を添え、そっと応援する存在だとしている。
だがその実態はすべて、
「エルム・テスゼンタ」という呪いに頼らなければ笑うことができず、暗闇の中で一人泣き続けることしかできないほどに追い詰められていたという正真正銘の限界の提示他ならない。
何度も言うように、そして自称の通り雨宮蓮は「ごく普通の男子高生」である。大きな事故や事件に巻き込まれず、ただ気の合う友達や優しい両親と一緒にいられる日常を穏やかに愛していた子供でしかない。
そんな彼が
法則も常識もすべて異なるセカイに召喚されたこと、詩魔法のための同調・チェインとそこに関与する投薬等の実験を受けていたことが如何ほどの苦痛を生み、どれだけのストレスをかけさせてきたかは想像するに余りある。
そも、『第一の大災厄』を引き起こした切欠はあまりにも身勝手な理由で自らを召喚し好き放題に扱ってきたうえ、自分と同じ無関係であったはずの誰かを召喚する役目を担いざるを得なかった現実の中、
アストリアで初めてできた「友人」であるセオドアを研究機関に奪われそうになったからである。
彼との対話によって折れそうな心をどうにか慰めていたにすぎない蓮は、唯一残った自分のものだと認識していたセオドアを取り上げられたことでついに精神が決壊。半狂乱となって泣き叫び懇願する中、
セオドアからの提案を受ける形で同調。
「お前たちが求めた全部を台無しにしてやる」と暴走し、かつてない機能を発揮するエルムノサージュは
かくして未曽有の災害を招き入れ、アストリアに長く混沌の時代を展げることになる。
平和ゆえに育たず、折れなかった正義は異世界からもたらされた悪意によって完膚なきまでに潰された。
そういった経緯故に仕方ないのだが、役割によって抑制している潜在意識――つまり「雨宮蓮」は極度の人間不信に陥っており、上述した「観劇者」の立場も誰かと関わりすぎることで裏切られるかもしれないという恐れが強く、その先から一歩踏み出せないことが原因。
その根深さは唯一信じられるセオドアに対し、友愛という度を越した信頼を傾けているほど。自他ともに、もはや崇拝の域に達しているとも。
一方でセオドアに対して「ひと」として生きてほしいという強い想いがあり、無理を押してでもシェゾを始めとする人々と交流したのは彼のため他ならない。そこに自己犠牲のつもりは一切なく、ただ救いとなってくれた友達の願いを叶えたいと思ったからこそである。
(もっとも、雨宮蓮が自らの命を省みない傾向にあることは留意すべきだが)
親友の幸せを願い続けられる彼の善性は、間違いなく本物である。
それでも無理していることには変わらず、蓮のため、セオドア・ヴァーヴズとなったクリスタルは交渉の果て、「いつか必ず迎えに行くから」と新テクスチャにて冒険者になる決心を得るに至る。
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補足:セオドアの「願い」について |
クリスタルでしかなかった頃から、セオドアの願いは変わらない。
「蓮と一緒に、世界を見て回ること」。人と魔道具、なんて関係性ではなく、人と人として、同じ目線で世界を歩くこと。
どこにでも行って、いつだろうと歩いて、笑って泣いて苦楽を知って――冒険をするという、とてもちっぽけな願い。
セオドアと同調できる蓮は、そんなセオドアの願いを受け、「俺も一緒に冒険したい」と笑った。このときの思い出こそが二人の繋がりであり、かけがえのない原風景として根付いている。
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