テノリライオン
The Way Home 第14話 イーゴリ
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匿名ユーザー
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片手斧のグリップの革を、新しい物に巻き直す。
ぎりり、と細い革の鋭く粘る音が、革とグリップの間に練り込まれる。
それが終わると、柄と刃との接合部分を確認する。 ビスを軽く締めなおし、布で拭きながらヒビやぐらつき、錆びつきがないか仔細に調べる。
そんな動作にゆらゆらとたゆたう研がれた刃の峰に、バタリアの夕日のかけらが塗られては滴り落ちていた。
「あの・・・イーゴリさん、ですか」
遠慮がちに自分を呼ぶ声に、ガルカはふっと斧から顔を上げる。
その視線の先には、戦士の鎧を身に纏ったヒュームの年若い青年が立っていた。
頷くイーゴリに軽く会釈すると、彼は多少おどおどと喋り出した。
「すみません。 あの・・・俺、あなたの演説を聞きました。 それで、決断するのが遅くなったんですけど・・・俺も、参加させてもらいたいんです。 いいでしょうか・・・?」
「勿論。 大歓迎だ」
笑ってイーゴリは大きな右手を差し出す。 それを握った青年は、その力強さにかすかに嬉しそうな表情になる。 そしてふと、彼の頬に残る黒い傷に目を留めた。
「それ・・・妖魔に付けられたっていう傷、ですか」
「ん、ああ、そうだ。 ちいと人相が悪くなったが、まぁ特に何の支障もないよ」
鷹揚に笑うガルカを見て、引き返すように沈む彼の表情。
「あの、俺が言うのも何ですけど・・・どうして、こんな恐ろしいクエストの頭に? 俺は、話を聞いただけで始めは怖くて、自分は参加すまいと思ったってのに」
「それでも、こうして来てくれただろう? 大して変わらないさ」
はにかんだような笑顔を浮かべる青年だったが、まだ話し足りなさそうな、立ち去り難そうな雰囲気が、彼の立ち姿から伺えた。
「・・・まぁ、何やら世界の安全なんてものもかかってきてしまったしな。 それに自分の進退とはいえ、一人で落ち延びる訳にもいかんし、そのつもりもなかった」
「それは、やっぱりお仲間の・・・?」
「そうだな、それもある」
何やらいつもよりお喋りになっている。
青年にまぁ座れと手と目で示しながら、イーゴリはふとそんなことを思った。
真摯に食い入る青年の眼差しのせいだろうか。 それとも大きな戦いに臨む覚悟の、または美しく暮れかける夕日が作り出す、有難くもないセンチメンタリズムのせいだろうか。
いずれにしてもその時、イーゴリは強いてそのお喋りを止める気にはならなかった。
* * *
「知っていると思うが、ガルカってのは、転生するんだ」
「?・・・はい」
突然飛んだ話の内容に、きょとんとする青年。
「ああ、すまない、飛躍したな・・・ええと」
くしゃりと苦笑いすると、イーゴリは手の斧を地面に置き、ごそごそと火打石を取り出した。
そして準備していた薪に火をつけながら、話を続ける。
「俺は若い頃、クリスタル戦争に出兵してな。 何しろ世界が混乱していて、若いというよりも幼かった俺は、訳も判らずがむしゃらに戦っていた」
石を打ち合わせる音が止まり、薪に火が点く。 イーゴリがひとつふたつ息を吹きかけると、真紅の点が徐々に枯れ木に広がっていった。
「その頃、俺には同じガルカの親友がいた。 いや、親友というよりは保護者かな・・・俺よりも、ずっと歳は上だったから。 何くれとなく世話をやいてくれたし、戦いの中でもずいぶん救われた」
照り返す暖かさをその色で表すかのように、ゆっくりとイーゴリの顔にオレンジがさしていく。
彼の表情は昔語りをする者特有の、懐かしいような寂しいような色をたたえ、目の焦点は徐々に成長する焚き火の炎を通り越して結ばれていた。
そのせいだろうか。 普段は快活で年齢差を思わせないこのガルカが、一気に老け込んだ印象になった。
青年はそんな彼をじっと見ながら、黙って聞いている。
「ある時、俺は無茶をしてしまった。 先走ったあげく獣人の斥候と鉢合わせして、完全に追い詰められるという失態をした」
イーゴリは眠るように目を伏せる。 100年を超える記憶。
「―――まぁ、よくある話だな。 俺は駆けつけた彼に助けられて逃げおおせ、彼は、死んだ」
止まぬ剣戟。 獣人の唸り声。 血の匂い。 折られる片手斧。 振り絞る、逃げろと命ずる声。
何年経っても、何度似たような場面に出会っても、決して塗り潰されることのない硬い記憶。
もう幾度目とも知れないその記憶の再生をまた瞼の裏で眺め、イーゴリは顔を上げた。
「でな、ガルカってのは、転生するわけだ。 穏便に行けば、死期を悟ると旅に出て山に登り、新しい体を得て降りてくるらしい―――らしいってのはまぁ、言い伝えだからだ。 何しろ帰ってきたらそいつは子供になってて、前の記憶はきれいさっぱり無くなってるんだから。 自分達の事なのに言い伝え止まりってのも、おかしなもんだよな」
はは、と自嘲ぎみに笑う。 青年は初めて聞く話に何と返していいか判らず、身じろぎ一つせず彼の言葉を聞く事で応えている。
「勿論、戦で死んだりして穏便に行かないガルカは山ほどいる。 まぁ彼もそれだ。 しかしガルカの数がどんどん減っているという訳ではないから、山に登ったりしなくても転生自体はするんだろう」
気が付くと、太陽は遥かな稜線の向こうに姿を消そうとしていた。
キャンプのあちこちで同じように焚き火がともりはじめ、舞い上がる火の粉が星になっていく。
彼の話は続く。
「穏便なケースなら、一年ほどで転生して帰ってくる。 が、そうでない場合はどうなるのか。 これも、結局誰にも判っていない」
「じゃぁ、その人も・・・」
「ああ、もう転生したかもしれない。 していないかもしれない。 ・・・ん、つまり、だ」
つい自分の語りに沈み込んで、未だ青年の質問に対する答えに辿り着いていないことに気付いたイーゴリは、心なし丸まっていた背中をよっと伸ばして結論に持って行く。
「もしまだ転生していなかったら、転生した時にこの世界に誰もいないってのはあんまりだろう? だからせめて、俺の力が及ぶなら、今の世界は今のままにできるだけ長く残す努力をしたい。 そう思った訳だ―――」
二人の間に、沈黙が落ちる。
知らず知らずに、病の床に臥す人を目の当たりにするような面持ちになっている青年が、ふと気付いたように言った。
「でも・・・転生したら、前の記憶は無いんですよね? そうしたら、もしお二人がまた会えたとしても、そんな過去も、お互いの顔も判らない・・・?」
「うん、そうだな」
穏やかに答えるイーゴリ。 焚き火を棒きれで返し、空気を送る。 炎が一瞬ぱっと明るくなった。
「―――だから、これは俺の自己満足だ。 俺のヘマで、転生の山とやらに登る事もできなかった彼に・・・いや、ヘマをした自分に、かな。 いつまでも女々しく償いをしてるのさ」
軽く空を仰ぐ。 まだ星の少ない空には、探すべき星座も見えない。
悲しそうな、異議のありそうな目をして自分を見る青年に気付き、また苦笑いしてイーゴリは言う。
棒きれをぽいと焚き火に投げ入れながら、一転した明るい口調で。
「何もその事ばっかりに囚われて生きてきたわけじゃないぞ。 後続の面倒を見るっていう仕事もあるしな。 こいつもまだまだ危なっかしいし」
「こいつ?・・・ あ」
完全にその巨体の影になっていて気付かなかったが、イーゴリが首を回して目を向けた背の裏を覗き込むと、小さなドリーが彼の背中に寄りかかってくーくーと居眠りをしていた。
まるで親子のような光景に、思わず青年の顔もほころぶ。
「―――俺もたいがい長く生きた。 ぼちぼち旅に出たくなるのかもしれんな。 ならその前にひとつふたつ、自分を満足させるための行動をしてもそうバチは当たるまいよ」
軽く笑いながら傍らに置いていた片手斧を取り上げ、それを拭いていた布をしまう。
「ま、そんな所だ。 手放しで褒めてもらえるような、ご大層な英断じゃないのさ。 考えて勇気を出して戦う事を決めた君の方が、よっぽど男らしいってもんだ。 ・・・や、すまなかった。 つまらん繰言に付き合わせてしまったな」
少し照れくさそうに詫びるガルカに、ヒュームの青年はきっぱりと首を振った。
「そんな事はないです。 それに・・・」
真面目くさった顔と、何かを伝えたくて仕方のない声で、青年は言う。
「・・・そんな、つよくて優しい自己満足なんか、俺は見たことがない」
青年の言葉に、意表を突かれたような表情になるイーゴリ。
更に照れくさそうに、しかし安らかな笑顔で、ありがとう、と呟いた。
彼らの頭上で、星が生まれる―――
to be continued
ぎりり、と細い革の鋭く粘る音が、革とグリップの間に練り込まれる。
それが終わると、柄と刃との接合部分を確認する。 ビスを軽く締めなおし、布で拭きながらヒビやぐらつき、錆びつきがないか仔細に調べる。
そんな動作にゆらゆらとたゆたう研がれた刃の峰に、バタリアの夕日のかけらが塗られては滴り落ちていた。
「あの・・・イーゴリさん、ですか」
遠慮がちに自分を呼ぶ声に、ガルカはふっと斧から顔を上げる。
その視線の先には、戦士の鎧を身に纏ったヒュームの年若い青年が立っていた。
頷くイーゴリに軽く会釈すると、彼は多少おどおどと喋り出した。
「すみません。 あの・・・俺、あなたの演説を聞きました。 それで、決断するのが遅くなったんですけど・・・俺も、参加させてもらいたいんです。 いいでしょうか・・・?」
「勿論。 大歓迎だ」
笑ってイーゴリは大きな右手を差し出す。 それを握った青年は、その力強さにかすかに嬉しそうな表情になる。 そしてふと、彼の頬に残る黒い傷に目を留めた。
「それ・・・妖魔に付けられたっていう傷、ですか」
「ん、ああ、そうだ。 ちいと人相が悪くなったが、まぁ特に何の支障もないよ」
鷹揚に笑うガルカを見て、引き返すように沈む彼の表情。
「あの、俺が言うのも何ですけど・・・どうして、こんな恐ろしいクエストの頭に? 俺は、話を聞いただけで始めは怖くて、自分は参加すまいと思ったってのに」
「それでも、こうして来てくれただろう? 大して変わらないさ」
はにかんだような笑顔を浮かべる青年だったが、まだ話し足りなさそうな、立ち去り難そうな雰囲気が、彼の立ち姿から伺えた。
「・・・まぁ、何やら世界の安全なんてものもかかってきてしまったしな。 それに自分の進退とはいえ、一人で落ち延びる訳にもいかんし、そのつもりもなかった」
「それは、やっぱりお仲間の・・・?」
「そうだな、それもある」
何やらいつもよりお喋りになっている。
青年にまぁ座れと手と目で示しながら、イーゴリはふとそんなことを思った。
真摯に食い入る青年の眼差しのせいだろうか。 それとも大きな戦いに臨む覚悟の、または美しく暮れかける夕日が作り出す、有難くもないセンチメンタリズムのせいだろうか。
いずれにしてもその時、イーゴリは強いてそのお喋りを止める気にはならなかった。
* * *
「知っていると思うが、ガルカってのは、転生するんだ」
「?・・・はい」
突然飛んだ話の内容に、きょとんとする青年。
「ああ、すまない、飛躍したな・・・ええと」
くしゃりと苦笑いすると、イーゴリは手の斧を地面に置き、ごそごそと火打石を取り出した。
そして準備していた薪に火をつけながら、話を続ける。
「俺は若い頃、クリスタル戦争に出兵してな。 何しろ世界が混乱していて、若いというよりも幼かった俺は、訳も判らずがむしゃらに戦っていた」
石を打ち合わせる音が止まり、薪に火が点く。 イーゴリがひとつふたつ息を吹きかけると、真紅の点が徐々に枯れ木に広がっていった。
「その頃、俺には同じガルカの親友がいた。 いや、親友というよりは保護者かな・・・俺よりも、ずっと歳は上だったから。 何くれとなく世話をやいてくれたし、戦いの中でもずいぶん救われた」
照り返す暖かさをその色で表すかのように、ゆっくりとイーゴリの顔にオレンジがさしていく。
彼の表情は昔語りをする者特有の、懐かしいような寂しいような色をたたえ、目の焦点は徐々に成長する焚き火の炎を通り越して結ばれていた。
そのせいだろうか。 普段は快活で年齢差を思わせないこのガルカが、一気に老け込んだ印象になった。
青年はそんな彼をじっと見ながら、黙って聞いている。
「ある時、俺は無茶をしてしまった。 先走ったあげく獣人の斥候と鉢合わせして、完全に追い詰められるという失態をした」
イーゴリは眠るように目を伏せる。 100年を超える記憶。
「―――まぁ、よくある話だな。 俺は駆けつけた彼に助けられて逃げおおせ、彼は、死んだ」
止まぬ剣戟。 獣人の唸り声。 血の匂い。 折られる片手斧。 振り絞る、逃げろと命ずる声。
何年経っても、何度似たような場面に出会っても、決して塗り潰されることのない硬い記憶。
もう幾度目とも知れないその記憶の再生をまた瞼の裏で眺め、イーゴリは顔を上げた。
「でな、ガルカってのは、転生するわけだ。 穏便に行けば、死期を悟ると旅に出て山に登り、新しい体を得て降りてくるらしい―――らしいってのはまぁ、言い伝えだからだ。 何しろ帰ってきたらそいつは子供になってて、前の記憶はきれいさっぱり無くなってるんだから。 自分達の事なのに言い伝え止まりってのも、おかしなもんだよな」
はは、と自嘲ぎみに笑う。 青年は初めて聞く話に何と返していいか判らず、身じろぎ一つせず彼の言葉を聞く事で応えている。
「勿論、戦で死んだりして穏便に行かないガルカは山ほどいる。 まぁ彼もそれだ。 しかしガルカの数がどんどん減っているという訳ではないから、山に登ったりしなくても転生自体はするんだろう」
気が付くと、太陽は遥かな稜線の向こうに姿を消そうとしていた。
キャンプのあちこちで同じように焚き火がともりはじめ、舞い上がる火の粉が星になっていく。
彼の話は続く。
「穏便なケースなら、一年ほどで転生して帰ってくる。 が、そうでない場合はどうなるのか。 これも、結局誰にも判っていない」
「じゃぁ、その人も・・・」
「ああ、もう転生したかもしれない。 していないかもしれない。 ・・・ん、つまり、だ」
つい自分の語りに沈み込んで、未だ青年の質問に対する答えに辿り着いていないことに気付いたイーゴリは、心なし丸まっていた背中をよっと伸ばして結論に持って行く。
「もしまだ転生していなかったら、転生した時にこの世界に誰もいないってのはあんまりだろう? だからせめて、俺の力が及ぶなら、今の世界は今のままにできるだけ長く残す努力をしたい。 そう思った訳だ―――」
二人の間に、沈黙が落ちる。
知らず知らずに、病の床に臥す人を目の当たりにするような面持ちになっている青年が、ふと気付いたように言った。
「でも・・・転生したら、前の記憶は無いんですよね? そうしたら、もしお二人がまた会えたとしても、そんな過去も、お互いの顔も判らない・・・?」
「うん、そうだな」
穏やかに答えるイーゴリ。 焚き火を棒きれで返し、空気を送る。 炎が一瞬ぱっと明るくなった。
「―――だから、これは俺の自己満足だ。 俺のヘマで、転生の山とやらに登る事もできなかった彼に・・・いや、ヘマをした自分に、かな。 いつまでも女々しく償いをしてるのさ」
軽く空を仰ぐ。 まだ星の少ない空には、探すべき星座も見えない。
悲しそうな、異議のありそうな目をして自分を見る青年に気付き、また苦笑いしてイーゴリは言う。
棒きれをぽいと焚き火に投げ入れながら、一転した明るい口調で。
「何もその事ばっかりに囚われて生きてきたわけじゃないぞ。 後続の面倒を見るっていう仕事もあるしな。 こいつもまだまだ危なっかしいし」
「こいつ?・・・ あ」
完全にその巨体の影になっていて気付かなかったが、イーゴリが首を回して目を向けた背の裏を覗き込むと、小さなドリーが彼の背中に寄りかかってくーくーと居眠りをしていた。
まるで親子のような光景に、思わず青年の顔もほころぶ。
「―――俺もたいがい長く生きた。 ぼちぼち旅に出たくなるのかもしれんな。 ならその前にひとつふたつ、自分を満足させるための行動をしてもそうバチは当たるまいよ」
軽く笑いながら傍らに置いていた片手斧を取り上げ、それを拭いていた布をしまう。
「ま、そんな所だ。 手放しで褒めてもらえるような、ご大層な英断じゃないのさ。 考えて勇気を出して戦う事を決めた君の方が、よっぽど男らしいってもんだ。 ・・・や、すまなかった。 つまらん繰言に付き合わせてしまったな」
少し照れくさそうに詫びるガルカに、ヒュームの青年はきっぱりと首を振った。
「そんな事はないです。 それに・・・」
真面目くさった顔と、何かを伝えたくて仕方のない声で、青年は言う。
「・・・そんな、つよくて優しい自己満足なんか、俺は見たことがない」
青年の言葉に、意表を突かれたような表情になるイーゴリ。
更に照れくさそうに、しかし安らかな笑顔で、ありがとう、と呟いた。
彼らの頭上で、星が生まれる―――
to be continued