テノリライオン
The Way Home 第18話 アルカンジェロ&バルトルディ
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匿名ユーザー
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「・・・ザルツェ、アルテニアス、ヴァイ・グリーデル・ユ・・・ビー・・・えーとーーー」
「ビー・・・」の時点で、バルトはテーブルの上に積み上げられた本の山から一冊をすっと片手で引き抜くと淀みない手つきでそれを繰り、ぴたっとあるページで動きを止め本を反転させてすいとルカの前に滑らせた。
そこには今彼女がもつれさせた呪文の全文とその意味する所、注意すべき点などがまとめられている。
「ふーん・・・天の器に満たされし氷塊もて、ねぇ・・・どこにあんのよ、それ」
半分テーブルに突っ伏すようにして活字を追うミスラの駄々っ子のような呟きに、ふっと鼻で笑う短い白髪のエルヴァーン。
ぶつぶつと呪文を復唱するルカをしばし見守り、その視線が本から離れ始めたのを見計らうと、彼はテーブルの上に投げ出されたままの彼女の右手を取った。
ルカが眉を寄せ、天井を仰いで目を閉じると同時に、バルトはその手を通して呪文の「気配」だけを送る。
彼女の練習に付き合ううちに、彼はいつのまにかそんな芸当を身につけていた。
いくら実際に唱える状況下で慣らすのがいいとは言え、幾度も反復される呪文に毎回力を注ぎ込んでいては、魔力がいくらあっても保たない。
「・・・ユ・ビルスト、ファオヴェ、リルト・リルト・シャッツ?」
唱え切った呪文の正誤を、その語尾を上げて尋ねる。
よろしい、という風に笑って頷く、沈黙の黒魔道士。
* * *
「よーーっし! これであらかた覚えただろーー!!」
一通りのおさらいを終え、椅子の上で思い切りうーんと伸びをして叫ぶルカ。 その前にカップに入ったお茶を置くと、バルトはぽんぽんとルカの頭を叩いた。
小さなねぎらいにへにゃりと笑い、椅子に沈み込んだままだらーと全身の筋肉を弛緩させる。
バルトはそんな彼女の斜め前に座り、テーブルの上に散らばる本とメモの山を軽く片付ける。
「しっかしまぁ・・・魔道士さんってのはよくやるわねぇ、ほんと・・・ヴォルフもフォーレも、大したもんだ・・・」
言いながらルカは、くわーっと大欠伸をする。 寄宿舎の窓からは綺麗な満月が見えていた。
(休んどく?)
ペンと新しいメモを一枚取って、バルトは訊いた。
「んー・・・いや、もうちょっとやれるかな―――そだ、万一の時の為に、カンペでも作ろうか」
怠け者の学生のような言葉に、二人して笑う。
「まぁ、戦場のどさくさでそんなもん読めない訳で・・・んー、じゃぁせめて、忘れた! と思ったらそっち見るからさ。 そしたら思い出せそうなポイントを口頭で教えて。 口パクで」
ふむ、という顔になるバルト。 ちょっと空を睨んで考えると、ルカに向かって口を動かす。
「・・・の、怯えを散らすはシルフの薄羽・・・パラナだ」
バルトの口の動きを読み取ると、ルカはその先の呪文を記憶から引き出して続けた。
「―――――」
「集え陽光、灯れ蛍火、芽吹け蔓草・・・リジェネ」
「―――――」
「・・・清冽なる森のせせらぎよ・・・ポイゾナ」
「―――――」
「デリンヴァールドルト・・・サンダガ」
さすがに頭に染み込んでいるのだろう、呪文を間違えたりはしないが。
何やら段々答えが短くなってくる。 見ればテーブルに頬杖をつき、少し瞼が落ちぎみだ。
ここ数日、慣れない勉強で根を詰めたしな。 無理もない―――
そう思うと目だけで僅かに微笑み、肩と背中の力をふと抜いたバルト。
そして、次の言葉を刻む。
「―――――」
「・・・? もう一回」
「―――――」
「・・・!! ばっ・・・、もう―――!」
呪文のつもりで見ていたから判らなかった。
その唇の動きが表す言葉と彼の視線に同時に気付いたルカが、不意を突かれてぼっと赤くなる。
―――それは以前、まだ声を失う前の彼から、時折聞いていた言葉。
「・・・うわ、目ぇ覚めちゃったじゃんか・・・」
あらぬ方を見ながら、火照った頬をごしごしと擦る。 椅子から垂れる尻尾もぼさぼさだ。
バルトはと言えば、彼女のそんな様子をにまにまと眺めている。
「ちょっと、それ本番でやったら呪文全部飛ぶからね、勘弁してよ」
何とも言えない表情で、それでもどうにか彼を睨みつけながら、ルカは抗議らしきものを口にしてみせた。
愉快そうな黒魔道士は、素知らぬ顔で自分のカップを手に取っている。
* * *
待機に入ってから明日で三日目。 そろそろ星の神子の準備も整うだろう。
日々の勉強の中に半ば無意識に埋没させていた、覚悟と緊張感―――
心の中に浮かんでは消えるそれらを改めて手元に引き寄せながら、ルカは側に座る彼の首もとにふと目を留めた。 そこにはまだ、鮮やかに白い包帯が痛々しく巻かれている。
それを見るたびに、ルカはまるでその布が、彼の声をせき止めているような錯覚に陥るのだった。
あれを外せば、声が出るんじゃないかしら。
そうしたらきっとこの人は、こんな所でじっとしていないに違いない―――
「―――もどかしいね」
両手で持っていたカップをゆっくりとテーブルに置くと、ルカはぽつりと呟いて彼の包帯に手を伸ばし、そっと触れた。
「喋り足りないでしょ?」
白い布を撫ぜる。 バルトはバングルのはまった彼女の腕に目を落とし、穏やかに微笑んだ。 こんな時にはいつも見せる、もう全てを受け入れているような、己の内に篭るような、あの笑顔だ。
でも、ルカにはもうはっきりと判っている。 あれは、見せかけ。
その笑顔の下で、白い包帯に戒められたあのとびきりよく吼える魔術の獅子は、今なお爛々と目を輝かせているのだ。
そんな猛獣を内に抱えながら、この大局に先陣でときの声を上げられない。 それはどんなにかやるせない事だろう。
「治そうね」
包帯から手を離し、彼の手を取る。
ぎゅっと握ると、改めてそれがてのひらである事が思い出されるような気がした。
ずっと練習で握っていたからだ。 そう思って、何だか可笑しくなる。
握り返して来る彼の手に視線を落としながら、ルカは小さく言葉を続けた。
「―――生きて、帰って、治すんだよ。 ・・・まだ、」
見たい。 彼が紡いだ呪文が、この世界で踊るのを。
聞きたい。 その声が、森羅の力と戯れるのを。
それに―――
「まだまだ、言わせたい事が、沢山あるんだから・・・」
バルトの顔にゆっくりと、暖かい笑顔が灯った。
そして、応用。
彼はその握る手に、魔力以外のものの気配を乗せてみる―――
* * *
寄宿舎の窓からいつしか去った、満月。
天頂を目指しながら、ジュノに集う戦士達を、ヴァナ・ディールの地上に生きる者達を、いつもと変わらず明るく照らしている。
その光の及ばぬ場所へ赴く者達に、忘れないでくれと訴えるかのように―――
to be continued
「ビー・・・」の時点で、バルトはテーブルの上に積み上げられた本の山から一冊をすっと片手で引き抜くと淀みない手つきでそれを繰り、ぴたっとあるページで動きを止め本を反転させてすいとルカの前に滑らせた。
そこには今彼女がもつれさせた呪文の全文とその意味する所、注意すべき点などがまとめられている。
「ふーん・・・天の器に満たされし氷塊もて、ねぇ・・・どこにあんのよ、それ」
半分テーブルに突っ伏すようにして活字を追うミスラの駄々っ子のような呟きに、ふっと鼻で笑う短い白髪のエルヴァーン。
ぶつぶつと呪文を復唱するルカをしばし見守り、その視線が本から離れ始めたのを見計らうと、彼はテーブルの上に投げ出されたままの彼女の右手を取った。
ルカが眉を寄せ、天井を仰いで目を閉じると同時に、バルトはその手を通して呪文の「気配」だけを送る。
彼女の練習に付き合ううちに、彼はいつのまにかそんな芸当を身につけていた。
いくら実際に唱える状況下で慣らすのがいいとは言え、幾度も反復される呪文に毎回力を注ぎ込んでいては、魔力がいくらあっても保たない。
「・・・ユ・ビルスト、ファオヴェ、リルト・リルト・シャッツ?」
唱え切った呪文の正誤を、その語尾を上げて尋ねる。
よろしい、という風に笑って頷く、沈黙の黒魔道士。
* * *
「よーーっし! これであらかた覚えただろーー!!」
一通りのおさらいを終え、椅子の上で思い切りうーんと伸びをして叫ぶルカ。 その前にカップに入ったお茶を置くと、バルトはぽんぽんとルカの頭を叩いた。
小さなねぎらいにへにゃりと笑い、椅子に沈み込んだままだらーと全身の筋肉を弛緩させる。
バルトはそんな彼女の斜め前に座り、テーブルの上に散らばる本とメモの山を軽く片付ける。
「しっかしまぁ・・・魔道士さんってのはよくやるわねぇ、ほんと・・・ヴォルフもフォーレも、大したもんだ・・・」
言いながらルカは、くわーっと大欠伸をする。 寄宿舎の窓からは綺麗な満月が見えていた。
(休んどく?)
ペンと新しいメモを一枚取って、バルトは訊いた。
「んー・・・いや、もうちょっとやれるかな―――そだ、万一の時の為に、カンペでも作ろうか」
怠け者の学生のような言葉に、二人して笑う。
「まぁ、戦場のどさくさでそんなもん読めない訳で・・・んー、じゃぁせめて、忘れた! と思ったらそっち見るからさ。 そしたら思い出せそうなポイントを口頭で教えて。 口パクで」
ふむ、という顔になるバルト。 ちょっと空を睨んで考えると、ルカに向かって口を動かす。
「・・・の、怯えを散らすはシルフの薄羽・・・パラナだ」
バルトの口の動きを読み取ると、ルカはその先の呪文を記憶から引き出して続けた。
「―――――」
「集え陽光、灯れ蛍火、芽吹け蔓草・・・リジェネ」
「―――――」
「・・・清冽なる森のせせらぎよ・・・ポイゾナ」
「―――――」
「デリンヴァールドルト・・・サンダガ」
さすがに頭に染み込んでいるのだろう、呪文を間違えたりはしないが。
何やら段々答えが短くなってくる。 見ればテーブルに頬杖をつき、少し瞼が落ちぎみだ。
ここ数日、慣れない勉強で根を詰めたしな。 無理もない―――
そう思うと目だけで僅かに微笑み、肩と背中の力をふと抜いたバルト。
そして、次の言葉を刻む。
「―――――」
「・・・? もう一回」
「―――――」
「・・・!! ばっ・・・、もう―――!」
呪文のつもりで見ていたから判らなかった。
その唇の動きが表す言葉と彼の視線に同時に気付いたルカが、不意を突かれてぼっと赤くなる。
―――それは以前、まだ声を失う前の彼から、時折聞いていた言葉。
「・・・うわ、目ぇ覚めちゃったじゃんか・・・」
あらぬ方を見ながら、火照った頬をごしごしと擦る。 椅子から垂れる尻尾もぼさぼさだ。
バルトはと言えば、彼女のそんな様子をにまにまと眺めている。
「ちょっと、それ本番でやったら呪文全部飛ぶからね、勘弁してよ」
何とも言えない表情で、それでもどうにか彼を睨みつけながら、ルカは抗議らしきものを口にしてみせた。
愉快そうな黒魔道士は、素知らぬ顔で自分のカップを手に取っている。
* * *
待機に入ってから明日で三日目。 そろそろ星の神子の準備も整うだろう。
日々の勉強の中に半ば無意識に埋没させていた、覚悟と緊張感―――
心の中に浮かんでは消えるそれらを改めて手元に引き寄せながら、ルカは側に座る彼の首もとにふと目を留めた。 そこにはまだ、鮮やかに白い包帯が痛々しく巻かれている。
それを見るたびに、ルカはまるでその布が、彼の声をせき止めているような錯覚に陥るのだった。
あれを外せば、声が出るんじゃないかしら。
そうしたらきっとこの人は、こんな所でじっとしていないに違いない―――
「―――もどかしいね」
両手で持っていたカップをゆっくりとテーブルに置くと、ルカはぽつりと呟いて彼の包帯に手を伸ばし、そっと触れた。
「喋り足りないでしょ?」
白い布を撫ぜる。 バルトはバングルのはまった彼女の腕に目を落とし、穏やかに微笑んだ。 こんな時にはいつも見せる、もう全てを受け入れているような、己の内に篭るような、あの笑顔だ。
でも、ルカにはもうはっきりと判っている。 あれは、見せかけ。
その笑顔の下で、白い包帯に戒められたあのとびきりよく吼える魔術の獅子は、今なお爛々と目を輝かせているのだ。
そんな猛獣を内に抱えながら、この大局に先陣でときの声を上げられない。 それはどんなにかやるせない事だろう。
「治そうね」
包帯から手を離し、彼の手を取る。
ぎゅっと握ると、改めてそれがてのひらである事が思い出されるような気がした。
ずっと練習で握っていたからだ。 そう思って、何だか可笑しくなる。
握り返して来る彼の手に視線を落としながら、ルカは小さく言葉を続けた。
「―――生きて、帰って、治すんだよ。 ・・・まだ、」
見たい。 彼が紡いだ呪文が、この世界で踊るのを。
聞きたい。 その声が、森羅の力と戯れるのを。
それに―――
「まだまだ、言わせたい事が、沢山あるんだから・・・」
バルトの顔にゆっくりと、暖かい笑顔が灯った。
そして、応用。
彼はその握る手に、魔力以外のものの気配を乗せてみる―――
* * *
寄宿舎の窓からいつしか去った、満月。
天頂を目指しながら、ジュノに集う戦士達を、ヴァナ・ディールの地上に生きる者達を、いつもと変わらず明るく照らしている。
その光の及ばぬ場所へ赴く者達に、忘れないでくれと訴えるかのように―――
to be continued