テノリライオン
野ばら 2
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匿名ユーザー
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―――10月6日 光曜日―――
「おはよー」
呟きながら小さなケースのフタを開け、その口で水槽のふちをコツコツと叩く。
餌の粒が沈み始めるよりも速く、その音に気付いた金魚たちがあたふたと水面に上がってきた。 ゆっくりと散らばる餌の粒を、小さな口を忙しく動かし競うように拾う赤い宝石たち。
「もうちょっと優雅に食べられないの、君達は」
目を細めて呟くと、一匹が尾びれで水面をぱしゃっと弾いた。 飛沫が散って、私はくすりと笑う。
ふわふわと漂う金魚達があらかた餌を食べ終わったのを見届けてから、時計に目をやる。
十時十五分前。
約束は十時。
とんと餌のケースを置いて早足に水槽から離れ、部屋の奥の棚に収まっているボトルの水をぐいと飲み、更にパンを一つ取り出しくわえる。
もぐもぐと食べながら二階へ上がろうとして、壁にかかった鏡がふと目に入った。
「…………」
何とはなしに足を止めて、その奥の自分を眺めてみる。
後ろの髪の毛がひと束はねているのを見つけ、かしかしと手櫛で梳かして直す。 前髪がちょっと伸びてきてるかな……
――何やってんのかしら。
はっと、鏡の向こうの真面目な視線に我に返る。 目の前のおかしな自分の視線を振り切るように鏡から離れて、足音高く階段を上がった。
クローゼットを開け、一応街の外まで出られる服を適当に選ぶと、それを部屋の壁につけて置かれた鉄製のベッドの上に次々と放る。
部屋の中央にはやはり鉄製の、小さなテーブルと椅子。
この家にあるもので炎を受け付けるものと言えば、据え付けの少ない家具類と布団、服、それと隅に積まれた本ぐらい。 およそ女の子らしくない部屋だけど、気にしても仕方ない。 燃えないものの方が安心できるのだ。 水槽も、そう。
手早く服を着替え、再度時計を見る。 十時五分前。
もういるだろうか。
冷たいテーブルを回り込み、まだ早朝の空気が残る殺風景な部屋を横切っていく。
服のボタンを留め終えて窓の前に立ち、錠を外した。
外側に押し開いた木戸の間から溢れる眩しい光に、思わず目を瞑る。 快晴だ。 もう季節は秋口だが、今日は意外と暖かい。
目の軽い痺れが収まった所で、家の前の道を見下ろすと。
あちこち探すまでもなく、昨日の夜食堂で声をかけてきたエルヴァーンが、少し離れた街路樹にもたれて腕を組んでいるのが目に入った。 腰には昨日と同じ細身の剣がさがっている。
「――ふぅん」
その姿を実際に見て、何故か今更ながら、昨夜の一幕がからかいの類ではなかったのだという事に思い至った。
窓の開いた音が聞こえたのか、彼の横顔が、視線だけでちらとこちらを見たような気配を感じる。
ふいと室内に戻り、テーブルに置いていたパンを再び齧りながら階段の方へ歩き出した。
とりあえず下の階は軽く片付けよう。
* * *
きっかり十分後。 玄関のベルが鳴った。
手にしていた布巾をぽいと台所に投げて、扉へと歩く。 自然と顔が引き締まる。
「おはようございます」
「どうぞ」
挨拶をするヴォルフに頷き道を空けると、頭一つ以上も高い彼の長身がすっと私の前をかすめて部屋に入る。 扉を閉めて振り返り、その長身を通り越してテーブルに戻ると、彼の手が封筒を一つ差し出していた。
「授業料です」
「……前払い?」
「ええ」
とりあえず受け取り、中を見て数える。十万ギルだ。
「ちょっと、こんなに貰うほど教える事ないわよ」
「半分はあなたに割いてもらう時間代です。 残り半分については、それだけの価値のあるものに、私がします」
「……五万ぶんはもぎとって帰る、という訳ね」
「はい」
――これが不思議なのだ。
必要な事しか言わない。 その内容に関わらず、イエスもノーも繕わない。 社交という観点から見れば、まず「失礼」の部類に入るだろう。
なのに、私には何故かその簡潔さが、抗い難く心地良い――
私は封筒から五万ギルを数えて抜き出すと、残りを彼に突き返した。
「なら半金にしましょう。 残りは終わった後に。 価値は私にも判断させて」
十万という数字に遊びはない。 斜に構えるのはここまでにしよう。
「――判りました」
一瞬だけ考えた後、ヴォルフは封筒を受け取るとそれを懐に収めた。
「さて。 で、私は五万ギルぶん、何をすればいいの?」
鉄製の椅子に腰掛け、まっすぐに彼を見ながら私は尋ねた。
「とりあえずは、見せて頂きたいと思います。 炎をベースにした魔法の発動を一通り。 それから、全段階ファイアをモンスターと私にお願いします」
「ふぅん、じゃぁ街の外でやりましょうか……え、あなたに?」
「はい」
立ったまま、肯定だけを顔に乗せた彼が答える。
「受けてみないと判らない事があるかもしれませんから」
「…………」
この男は、一体何で出来ているのだろう。
初めて、自分より奇異な存在を見たような気がする。
「――了解。 行きましょうか」
私は顔を伏せて立ち上がった。
もしかしたら思ったよりハードな仕事になるかもしれない、と思いながら。
* * *
数刻後。 ラテーヌの林から、二頭のチョコボがサンドリアに向けて軽やかに踵を返した。
そこに残る、同じ数の人影。
「――あれからでいい?」
私は木陰を透かして見える、一匹のオークに顔を向けながら言った。
「ええ。 お願いします」
ヴォルフは頷くと、数歩後退して私から距離を取る。
私の周りから音が引き、木々の間の涼しい空気に立つ自分の体が、急に鮮明に意識された。
軽く深呼吸をし、乱れてもいない息を整える。
やはり、「見られている」事に違和感があるのだろうか。 目を瞑っていても勝てるような相手なのに、必要以上の緊張感を覚えている。
ぼそりと呪文を呟く。 ブレイズスパイク。 文言は同じの筈だ、別に聞かせる必要も無いだろう。
紅い光が体を包み、一瞬で私の内側に収束し皮膚の下で炎の茨となる。 続けて無造作に腰の剣を抜きながら、ちらと斜め後ろを伺った。
気配も無く、軽く腕を組んでヴォルフはそこに立っている。 相変わらず読み取れる表情は無い。 が、私をじっと見るその目に、ごく僅かながら今まで見た事のない力がこもっているのが判った。
途端に緊張が増すのを感じる。 それを振り切るように、彼の姿を視界から追い出して次の呪文を唱えた。
右手に下げていた剣に蛇のような炎がぐるりと絡みつき、ぼっと音を立てて弾けると薄い皮膜となって刀身を覆う。
自分に考える暇を与えない。 次の呼吸で素早くバーンを唱え、視線の先のオークに放った。
「グァウ!」
怒りの唸り声と共に振り向き、手にした棍棒を振りかざしてオークが突進してくる。 隙だらけだ。
私は軽く剣を構えると最初の一撃を左に跳んでやりすごす。 そしてすれ違いざまに、灼ける剣を敵の胴にがつんと叩き込んだ。
獲物にありついた炎が嬉しそうな音を立ててオークに食らいつき、その体を焦がす。
振り回される棍棒が空を切った瞬間を見計らい、まずファイア。 発動と同時にオークの体を大きな炎の舌が嘗め回す。 それに驚き振り払おうとする棍棒の思わぬ動きが、私の肩口をがっと捕らえた。
が、そこにも瞬く間に炎の茨が絡みつく。 軽く顔をしかめる私から走る紅い波は、素早くオークの腕を這い上がりその太い首を締め上げていた。
ふっ、と荒い息を吐いて後ろに跳びすさる。 茶色い髪が短くなびいて両脇の風景を切り取った。
私もここまで炎一辺倒の戦いは初めてだ。 形を変えて絶え間なく場に残る炎に気温が上がっているのだろうか、早くも汗が滲み出す。
が。 その激しさとは裏腹に。
自分を取り囲む炎の姿に、私の胸の内は、砂地に少しずつ水が染み込むようにその表面が硬く、重くなっていく。 すくんでいく――
二度三度、荒く武器を交える。どちらの打撃が当たっても炎が産声を上げる。
下草を蹴って間合いを取り、ファイアII。 先程よりも貪欲な炎が勢いよくオークを呑み込んだ。 獣人の苦しげな叫び声。 鼓膜でそれを跳ね返す。
全段階ファイアの注文を受けてるけど、この敵はもうもちそうにないか――
ぐらりと体勢を崩すオークを見て、この戦いが依頼されたものであった事をいつのまにか失念していた自分に気付く。 そして、近くにその依頼者がいて、自分を見ている事にも。
ぽっと現れたそんな思考に、反射的にその依頼者の姿を探して軽く顔を巡らせる。
するとその瞬間。 オークの棍棒が思い切り振り上げられる影が、目の端に映った。
(しまった)
間に合わない。 あの軌道では側頭部を直撃される――!
「!!」
が、その棍棒は振り下ろされずにぴたっと止まった。 鋭く飛来した石つぶてがオークの顔を直撃し、一瞬怯ませたのだ。 獣人が顔をしかめ、不快そうな唸りを漏らす。
予期せぬ出来事に戸惑う私を無視し、私の腕はその瞬間を無駄にしなかった。
がっと剣を握り直すと、その切っ先を体重をかけて敵の喉笛へと突き込み、一気に貫いた。
* * *
――他に、人はいない。
獣人から引き抜いた剣をだらりと下げたまま、私はやや荒い息と共に足下の死骸に目を落としていた。
思考は回っても、心の動きが鈍い。 まだ炎に当てられて麻痺している。
涼しい風に乗って、横から歩み寄るエルヴァーンの静かな足音が聞こえてきた。 いつの間に石つぶてなんか拾っていたんだろう。 それともあらかじめ用意していたのか――
視界の外から、彼の平淡な声が響く。
「大丈夫ですか」
…………『大丈夫ですか』?
こんな格下のオーク相手に、援護。 挙句に、労りの言葉?
「――――」
突然、まだ硬く塗り込められている私の胸の奥底に、何か刺々しいものが生まれた。
そのものの正体を理性が割り出すよりも早く、それに突き動かされた私の剣が閃く。
ひゅんと振り抜かれた刃はヴォルフの喉元寸前の空間をびたりと刺して、彼の出すぎた行動と言葉を斬り捨て止まる――はずだった。
――ギィン!
が。 その切っ先が彼の眼前に及ぶ直前、私の刃は鋭い衝撃に阻まれてびりりと震える。
ぎょっとして見るとそこには、鞘から垂直に抜かれた彼の剣と、その向こうで僅かに眉根を寄せつつもまだなお冷静な、彼の眼差し――
「!!」
全身の毛が、かっと熱く逆立つような感覚。 体がふわりと勝手に動いていた。
瞬時に彼に向き直り、改めてその手元を狙い思い切り剣を繰り出す。
この男、とんでもない腕前の持ち主だ。
最初の防ぐ一刀は、その抜いた気配すら判らなかった。 オークに放った石つぶてだって、私のほんの一瞬の隙を把握しての牽制行動だ。 おいそれと出来る事じゃない。
頭はそう分析しているのに、胸の奥に生まれた刺々しい衝動はお構いなしで乱暴に私を操る。
きん、きん、きん。
鋭い剣戟が、ラテーヌの林のしじまに細かい傷をつけていく。
(落としてやる)
がむしゃらにその柄を狙う私の剣の動きを、ヴォルフの剣はいとも容易くいなしていた。 刀身の移動も足さばきも最低限で、無駄というものが一切ない。 恐らく自己流の私と違って、理論に則って訓練されたものだろう。 実に主に似つかわしい。
それは一種異様な光景だったに違いない。 無表情な二人が、攻と防に分かれて無言で剣を交えている。
ただ二人の間で違うのは、その表情の静けさが、本物か否かという事と。
圧倒的にかけ離れる、力量――
体勢を崩そうと真っ直ぐに突いた剣の切っ先を、首を左に傾けてひょいとかわされる。 彼の背後で躍る長い白髪が、嘲笑うように私の剣先をなぶった。
右に跳び、突き出した剣でそのまま肩口を払おうとするも、それより速く跳ねる彼の剣が私の刃を撫で上げる。 鋼と鋼の擦れる、じゃぁっという音が間近に響いた。
耳障りな金属音が、炎に炙られて硬く萎縮していた私の心の殻に大きなヒビを入れる。
すると、割けたその隙間からやっと姿を現すのは、私を突き動かす衝動の源。
”――馬鹿にするんじゃ、ないわよ”
昨日の夜、食堂で私を見下ろしていた彼の涼しい眼差しが、何故か鮮明に蘇った。
口元が歪む。 腹の底から突き上げる気合いの声が喉を割った。
「てぇっ!!」
理性を欠いた怒号と共に、左に大きく振り上げた剣が唸りを上げる。 と同時に、剣の柄を紅い影がゆらっと包んだ。
(……いけない!)
エンファイアの魔力はとうに切れている。 私だ!
己の腕を引き止めようと咄嗟に足を踏ん張るのと、険しくも冷静さを保っていたヴォルフの瞳が驚きに見開かれ、一転した鋭い太刀筋で私の剣を弾き飛ばしたのは、ほぼ同時だった――
* * *
ヴォルフが駆け出す。 陽の光を反射して大きく宙を舞う、私の剣の軌跡を追っている。
弧を描いた末に、どっと音を立てて地に刺さる剣。 追いついた彼が足取りを緩めながらそれを引き抜くと、ゆっくりと振り返り、引き返してくる。
そして、武器を失った腕と共に呆然と立ち尽くす私の前まで戻ると、腰の鞘にするりとその剣を収めた。
ちんっ、という澄んだ音が、舞台の幕を引いて消える。
「――失礼しました」
頭上から、低い声が降りてきた。
……何について、謝っているんだろう。
違う。 それは違う。 私の方に、何か言わなきゃいけない事があるはずだ。
剣を弾かれた痺れと、そしてうっすらと残る腕の熱さに、思考が乱れてまとまらない。 彼の言葉がすっかり風に流されても、私はまだ返事をできずにいた。
「配慮が足りませんでした。 ……今日は、ここまでで」
霧のように穏やかなヴォルフの言葉に、段々頭が冷えてくる。
そうだ。 私が起こしたのは、癇癪だ。 彼の冷静に行き届いた行動に、掌の上で転がされているような気がしたんだ。
こんな理不尽で幼稚な衝動が、まだ私の中に残っていたなんて。
驚いた――
私は恐る恐る顔を起こす。 そして静かに私の様子を見守るエルヴァーンを、上目遣いで見上げた。
悪かった、という趣旨の事を何か言おうと思っていたのに。 目が合った途端に出てきたのは、こんな言葉。
「……参考に、なったかしら」
「――はい、とても」
とても。
初めて彼が、言葉を飾った。
帰りましょう、と言ってヴォルフは帰還魔法を唱え始めた。 同意と反省の証に、私は大人しくその魔力の渦に身を委ねる。
とても、という言葉の向こうに、どんな感想があるのかしらと思いながら――
to be continued
「おはよー」
呟きながら小さなケースのフタを開け、その口で水槽のふちをコツコツと叩く。
餌の粒が沈み始めるよりも速く、その音に気付いた金魚たちがあたふたと水面に上がってきた。 ゆっくりと散らばる餌の粒を、小さな口を忙しく動かし競うように拾う赤い宝石たち。
「もうちょっと優雅に食べられないの、君達は」
目を細めて呟くと、一匹が尾びれで水面をぱしゃっと弾いた。 飛沫が散って、私はくすりと笑う。
ふわふわと漂う金魚達があらかた餌を食べ終わったのを見届けてから、時計に目をやる。
十時十五分前。
約束は十時。
とんと餌のケースを置いて早足に水槽から離れ、部屋の奥の棚に収まっているボトルの水をぐいと飲み、更にパンを一つ取り出しくわえる。
もぐもぐと食べながら二階へ上がろうとして、壁にかかった鏡がふと目に入った。
「…………」
何とはなしに足を止めて、その奥の自分を眺めてみる。
後ろの髪の毛がひと束はねているのを見つけ、かしかしと手櫛で梳かして直す。 前髪がちょっと伸びてきてるかな……
――何やってんのかしら。
はっと、鏡の向こうの真面目な視線に我に返る。 目の前のおかしな自分の視線を振り切るように鏡から離れて、足音高く階段を上がった。
クローゼットを開け、一応街の外まで出られる服を適当に選ぶと、それを部屋の壁につけて置かれた鉄製のベッドの上に次々と放る。
部屋の中央にはやはり鉄製の、小さなテーブルと椅子。
この家にあるもので炎を受け付けるものと言えば、据え付けの少ない家具類と布団、服、それと隅に積まれた本ぐらい。 およそ女の子らしくない部屋だけど、気にしても仕方ない。 燃えないものの方が安心できるのだ。 水槽も、そう。
手早く服を着替え、再度時計を見る。 十時五分前。
もういるだろうか。
冷たいテーブルを回り込み、まだ早朝の空気が残る殺風景な部屋を横切っていく。
服のボタンを留め終えて窓の前に立ち、錠を外した。
外側に押し開いた木戸の間から溢れる眩しい光に、思わず目を瞑る。 快晴だ。 もう季節は秋口だが、今日は意外と暖かい。
目の軽い痺れが収まった所で、家の前の道を見下ろすと。
あちこち探すまでもなく、昨日の夜食堂で声をかけてきたエルヴァーンが、少し離れた街路樹にもたれて腕を組んでいるのが目に入った。 腰には昨日と同じ細身の剣がさがっている。
「――ふぅん」
その姿を実際に見て、何故か今更ながら、昨夜の一幕がからかいの類ではなかったのだという事に思い至った。
窓の開いた音が聞こえたのか、彼の横顔が、視線だけでちらとこちらを見たような気配を感じる。
ふいと室内に戻り、テーブルに置いていたパンを再び齧りながら階段の方へ歩き出した。
とりあえず下の階は軽く片付けよう。
* * *
きっかり十分後。 玄関のベルが鳴った。
手にしていた布巾をぽいと台所に投げて、扉へと歩く。 自然と顔が引き締まる。
「おはようございます」
「どうぞ」
挨拶をするヴォルフに頷き道を空けると、頭一つ以上も高い彼の長身がすっと私の前をかすめて部屋に入る。 扉を閉めて振り返り、その長身を通り越してテーブルに戻ると、彼の手が封筒を一つ差し出していた。
「授業料です」
「……前払い?」
「ええ」
とりあえず受け取り、中を見て数える。十万ギルだ。
「ちょっと、こんなに貰うほど教える事ないわよ」
「半分はあなたに割いてもらう時間代です。 残り半分については、それだけの価値のあるものに、私がします」
「……五万ぶんはもぎとって帰る、という訳ね」
「はい」
――これが不思議なのだ。
必要な事しか言わない。 その内容に関わらず、イエスもノーも繕わない。 社交という観点から見れば、まず「失礼」の部類に入るだろう。
なのに、私には何故かその簡潔さが、抗い難く心地良い――
私は封筒から五万ギルを数えて抜き出すと、残りを彼に突き返した。
「なら半金にしましょう。 残りは終わった後に。 価値は私にも判断させて」
十万という数字に遊びはない。 斜に構えるのはここまでにしよう。
「――判りました」
一瞬だけ考えた後、ヴォルフは封筒を受け取るとそれを懐に収めた。
「さて。 で、私は五万ギルぶん、何をすればいいの?」
鉄製の椅子に腰掛け、まっすぐに彼を見ながら私は尋ねた。
「とりあえずは、見せて頂きたいと思います。 炎をベースにした魔法の発動を一通り。 それから、全段階ファイアをモンスターと私にお願いします」
「ふぅん、じゃぁ街の外でやりましょうか……え、あなたに?」
「はい」
立ったまま、肯定だけを顔に乗せた彼が答える。
「受けてみないと判らない事があるかもしれませんから」
「…………」
この男は、一体何で出来ているのだろう。
初めて、自分より奇異な存在を見たような気がする。
「――了解。 行きましょうか」
私は顔を伏せて立ち上がった。
もしかしたら思ったよりハードな仕事になるかもしれない、と思いながら。
* * *
数刻後。 ラテーヌの林から、二頭のチョコボがサンドリアに向けて軽やかに踵を返した。
そこに残る、同じ数の人影。
「――あれからでいい?」
私は木陰を透かして見える、一匹のオークに顔を向けながら言った。
「ええ。 お願いします」
ヴォルフは頷くと、数歩後退して私から距離を取る。
私の周りから音が引き、木々の間の涼しい空気に立つ自分の体が、急に鮮明に意識された。
軽く深呼吸をし、乱れてもいない息を整える。
やはり、「見られている」事に違和感があるのだろうか。 目を瞑っていても勝てるような相手なのに、必要以上の緊張感を覚えている。
ぼそりと呪文を呟く。 ブレイズスパイク。 文言は同じの筈だ、別に聞かせる必要も無いだろう。
紅い光が体を包み、一瞬で私の内側に収束し皮膚の下で炎の茨となる。 続けて無造作に腰の剣を抜きながら、ちらと斜め後ろを伺った。
気配も無く、軽く腕を組んでヴォルフはそこに立っている。 相変わらず読み取れる表情は無い。 が、私をじっと見るその目に、ごく僅かながら今まで見た事のない力がこもっているのが判った。
途端に緊張が増すのを感じる。 それを振り切るように、彼の姿を視界から追い出して次の呪文を唱えた。
右手に下げていた剣に蛇のような炎がぐるりと絡みつき、ぼっと音を立てて弾けると薄い皮膜となって刀身を覆う。
自分に考える暇を与えない。 次の呼吸で素早くバーンを唱え、視線の先のオークに放った。
「グァウ!」
怒りの唸り声と共に振り向き、手にした棍棒を振りかざしてオークが突進してくる。 隙だらけだ。
私は軽く剣を構えると最初の一撃を左に跳んでやりすごす。 そしてすれ違いざまに、灼ける剣を敵の胴にがつんと叩き込んだ。
獲物にありついた炎が嬉しそうな音を立ててオークに食らいつき、その体を焦がす。
振り回される棍棒が空を切った瞬間を見計らい、まずファイア。 発動と同時にオークの体を大きな炎の舌が嘗め回す。 それに驚き振り払おうとする棍棒の思わぬ動きが、私の肩口をがっと捕らえた。
が、そこにも瞬く間に炎の茨が絡みつく。 軽く顔をしかめる私から走る紅い波は、素早くオークの腕を這い上がりその太い首を締め上げていた。
ふっ、と荒い息を吐いて後ろに跳びすさる。 茶色い髪が短くなびいて両脇の風景を切り取った。
私もここまで炎一辺倒の戦いは初めてだ。 形を変えて絶え間なく場に残る炎に気温が上がっているのだろうか、早くも汗が滲み出す。
が。 その激しさとは裏腹に。
自分を取り囲む炎の姿に、私の胸の内は、砂地に少しずつ水が染み込むようにその表面が硬く、重くなっていく。 すくんでいく――
二度三度、荒く武器を交える。どちらの打撃が当たっても炎が産声を上げる。
下草を蹴って間合いを取り、ファイアII。 先程よりも貪欲な炎が勢いよくオークを呑み込んだ。 獣人の苦しげな叫び声。 鼓膜でそれを跳ね返す。
全段階ファイアの注文を受けてるけど、この敵はもうもちそうにないか――
ぐらりと体勢を崩すオークを見て、この戦いが依頼されたものであった事をいつのまにか失念していた自分に気付く。 そして、近くにその依頼者がいて、自分を見ている事にも。
ぽっと現れたそんな思考に、反射的にその依頼者の姿を探して軽く顔を巡らせる。
するとその瞬間。 オークの棍棒が思い切り振り上げられる影が、目の端に映った。
(しまった)
間に合わない。 あの軌道では側頭部を直撃される――!
「!!」
が、その棍棒は振り下ろされずにぴたっと止まった。 鋭く飛来した石つぶてがオークの顔を直撃し、一瞬怯ませたのだ。 獣人が顔をしかめ、不快そうな唸りを漏らす。
予期せぬ出来事に戸惑う私を無視し、私の腕はその瞬間を無駄にしなかった。
がっと剣を握り直すと、その切っ先を体重をかけて敵の喉笛へと突き込み、一気に貫いた。
* * *
――他に、人はいない。
獣人から引き抜いた剣をだらりと下げたまま、私はやや荒い息と共に足下の死骸に目を落としていた。
思考は回っても、心の動きが鈍い。 まだ炎に当てられて麻痺している。
涼しい風に乗って、横から歩み寄るエルヴァーンの静かな足音が聞こえてきた。 いつの間に石つぶてなんか拾っていたんだろう。 それともあらかじめ用意していたのか――
視界の外から、彼の平淡な声が響く。
「大丈夫ですか」
…………『大丈夫ですか』?
こんな格下のオーク相手に、援護。 挙句に、労りの言葉?
「――――」
突然、まだ硬く塗り込められている私の胸の奥底に、何か刺々しいものが生まれた。
そのものの正体を理性が割り出すよりも早く、それに突き動かされた私の剣が閃く。
ひゅんと振り抜かれた刃はヴォルフの喉元寸前の空間をびたりと刺して、彼の出すぎた行動と言葉を斬り捨て止まる――はずだった。
――ギィン!
が。 その切っ先が彼の眼前に及ぶ直前、私の刃は鋭い衝撃に阻まれてびりりと震える。
ぎょっとして見るとそこには、鞘から垂直に抜かれた彼の剣と、その向こうで僅かに眉根を寄せつつもまだなお冷静な、彼の眼差し――
「!!」
全身の毛が、かっと熱く逆立つような感覚。 体がふわりと勝手に動いていた。
瞬時に彼に向き直り、改めてその手元を狙い思い切り剣を繰り出す。
この男、とんでもない腕前の持ち主だ。
最初の防ぐ一刀は、その抜いた気配すら判らなかった。 オークに放った石つぶてだって、私のほんの一瞬の隙を把握しての牽制行動だ。 おいそれと出来る事じゃない。
頭はそう分析しているのに、胸の奥に生まれた刺々しい衝動はお構いなしで乱暴に私を操る。
きん、きん、きん。
鋭い剣戟が、ラテーヌの林のしじまに細かい傷をつけていく。
(落としてやる)
がむしゃらにその柄を狙う私の剣の動きを、ヴォルフの剣はいとも容易くいなしていた。 刀身の移動も足さばきも最低限で、無駄というものが一切ない。 恐らく自己流の私と違って、理論に則って訓練されたものだろう。 実に主に似つかわしい。
それは一種異様な光景だったに違いない。 無表情な二人が、攻と防に分かれて無言で剣を交えている。
ただ二人の間で違うのは、その表情の静けさが、本物か否かという事と。
圧倒的にかけ離れる、力量――
体勢を崩そうと真っ直ぐに突いた剣の切っ先を、首を左に傾けてひょいとかわされる。 彼の背後で躍る長い白髪が、嘲笑うように私の剣先をなぶった。
右に跳び、突き出した剣でそのまま肩口を払おうとするも、それより速く跳ねる彼の剣が私の刃を撫で上げる。 鋼と鋼の擦れる、じゃぁっという音が間近に響いた。
耳障りな金属音が、炎に炙られて硬く萎縮していた私の心の殻に大きなヒビを入れる。
すると、割けたその隙間からやっと姿を現すのは、私を突き動かす衝動の源。
”――馬鹿にするんじゃ、ないわよ”
昨日の夜、食堂で私を見下ろしていた彼の涼しい眼差しが、何故か鮮明に蘇った。
口元が歪む。 腹の底から突き上げる気合いの声が喉を割った。
「てぇっ!!」
理性を欠いた怒号と共に、左に大きく振り上げた剣が唸りを上げる。 と同時に、剣の柄を紅い影がゆらっと包んだ。
(……いけない!)
エンファイアの魔力はとうに切れている。 私だ!
己の腕を引き止めようと咄嗟に足を踏ん張るのと、険しくも冷静さを保っていたヴォルフの瞳が驚きに見開かれ、一転した鋭い太刀筋で私の剣を弾き飛ばしたのは、ほぼ同時だった――
* * *
ヴォルフが駆け出す。 陽の光を反射して大きく宙を舞う、私の剣の軌跡を追っている。
弧を描いた末に、どっと音を立てて地に刺さる剣。 追いついた彼が足取りを緩めながらそれを引き抜くと、ゆっくりと振り返り、引き返してくる。
そして、武器を失った腕と共に呆然と立ち尽くす私の前まで戻ると、腰の鞘にするりとその剣を収めた。
ちんっ、という澄んだ音が、舞台の幕を引いて消える。
「――失礼しました」
頭上から、低い声が降りてきた。
……何について、謝っているんだろう。
違う。 それは違う。 私の方に、何か言わなきゃいけない事があるはずだ。
剣を弾かれた痺れと、そしてうっすらと残る腕の熱さに、思考が乱れてまとまらない。 彼の言葉がすっかり風に流されても、私はまだ返事をできずにいた。
「配慮が足りませんでした。 ……今日は、ここまでで」
霧のように穏やかなヴォルフの言葉に、段々頭が冷えてくる。
そうだ。 私が起こしたのは、癇癪だ。 彼の冷静に行き届いた行動に、掌の上で転がされているような気がしたんだ。
こんな理不尽で幼稚な衝動が、まだ私の中に残っていたなんて。
驚いた――
私は恐る恐る顔を起こす。 そして静かに私の様子を見守るエルヴァーンを、上目遣いで見上げた。
悪かった、という趣旨の事を何か言おうと思っていたのに。 目が合った途端に出てきたのは、こんな言葉。
「……参考に、なったかしら」
「――はい、とても」
とても。
初めて彼が、言葉を飾った。
帰りましょう、と言ってヴォルフは帰還魔法を唱え始めた。 同意と反省の証に、私は大人しくその魔力の渦に身を委ねる。
とても、という言葉の向こうに、どんな感想があるのかしらと思いながら――
to be continued