テノリライオン

灯り草 1

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corelli

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「……不覚を――取ったな」
「司祭さま! 司祭さまっ!!」

 薄雲に覆われた昼下がりの空の下、風がざわめく草原の片隅に、小さな教会が佇んでいた。
 クリーム色の外壁が、緑の海原にひっそりと映える。正面にある濃い茶色の扉は両開きで、大きく頑丈そうだ。 安息日ごとにこの建物に集う人々を護るような、それは優しい貫禄に満ちている。
 しかしその扉は今、片方がまるで慎みのない角度に開け放たれていた。冷たい草いきれが、勝ち誇ったように堂内へと吹き込む。扉の脇で小さな燭台の灯火が震えた。

「司祭さま、しっかり――お願いです、しっかりなさって……!」
 石造りの壁と床、年輪の狭い木でできたいくつもの長椅子が、悲痛な声を静かに跳ね返している。
 重厚な扉の正面で、神を塗り込めたステンドグラスが高く、鈍く輝いていた。柔らかい白。羽毛のように暖かいその光が見守るのは、質素な祭壇と――その前に倒れ伏す、一つの人影。そしてそれを必死に看るように屈み込む、小さな人影だった。
「申し訳ありません、私が到らないばかりに――っ!! ああ、どうか少しだけお待ちください、今、いま急いで人を――!」
 小さい方の人影、今にも泣き出しそうな声を迸らせるのは、タルタル族の少女だ。
 少女、と言っても、すでに幼年の域は越えている。が、成人しても他種族の子供ほどの背丈、そして外観を留めるタルタルである事を差し引いても、彼女のたたずまいには幼さが色濃く残っていた。
 そんなあどけない彼女の面には今、玉のような汗と死に物狂いの焦りがはりついている。
「よい……間に合う……ものではない。 これも、天命……だろう」
 彼女の膝元で、堂内に響く前に消える、細い声が応えた。
「それよりも、祈りを……。 私のために、祈って、おくれ……」
 彼女の傍らでぐったりと床に伏すもう一人は、壮年のエルヴァーン族の男性だ。 必死に呼びかけるタルタルの声に応えて口から漏れる言葉に力はなく、いっそ安らかですらある。 彼もまた額にじっとりと汗を浮かべているが、その温度はとても低そうで、静かな意志をたたえた顔色もまるで石膏のように青白かった。
 タルタルの少女の小さな手が、僧衣に包まれた彼の体を必死にさする。白と群青を基調としたその僧衣は約(つづま)やかながらも不思議に気高く、彼の聖職者としての位の高さを窺わせた。
 過剰な装飾を排し、細い帯で動きやすそうにきりりと整えられたその様には、一糸の乱れもない。
 ただ一点、鮮血のにじむ、肩口の切り傷を除いては――。

「毒というのも――存外、苦しくないものだな。 忌むべき存在だと、常々……思っていたが……。ああ、こんな所にも……」
 神の慈悲は――と呟いて、司祭と呼ばれた男は長い息を吐いた。
 傷口の小ささと吐息の重さ。そのギャップにおぞけが立つ。タルタルの少女は大粒の涙をこぼしながら、勢いよく立ち上がろうとする。
「駄目です! やっぱり、急いで誰か呼んでまいりますから――どうか、戻るまでお待ちくださ……っ」
 しかし、そんな気丈な声を裏切り、彼女の足はふらっとよろけた。力なく投げ出されていたはずの司祭の手が伸びて、彼女の腕を支えるようにぐっと掴む。
 必死に司祭を励ましていたタルタルの少女も、その実限界まで消耗しきっていたのだ。純白の衣をまといながらもまだ癒し手として未熟な彼女に扱えるのは簡単な治癒魔法のみであり、その全てを振り絞るように費やしても、目前に倒れる司祭の体を蝕む毒薬の暴走は終わらなかったのだ。
 床の上で司祭の瞳がうっすらと開き、くしゃくしゃに濡れた少女の顔をとらえる。 そして淡い笑みを浮かべると、彼は静かに言った。
「旅路に……赴く者を、独りに、しては……いけない。 そう、教えたはずだ……」

 聖堂を囲む燭台の灯がゆれる。数本は火を抱き、数本はふっつりと消えていた。
 無惨になぎ倒された礼拝用の椅子。ひしゃげた水盆。ヒビの入った読経台――

「し――司さ……」
 緊張の糸を断ち切られたように、少女はかくりと膝をついた。溢れる涙が喉を塞ぐ。自分の腕を引き止めるような彼の手を恐る恐る取ると、彼女は震えながらもそれを祈りの形にしてぎゅっと握った。
 司祭は満足そうに頷く。 炊事や雑用に少し荒れた彼女の指先を愛おしそうに見やりながら、彼は囁いた。
「よいか……皆の――手を借りて、急ぎ私を、葬り終えたら……すぐにでも……ここを、離れなさい。私の……不在が広まれば……また、再び、彼等が……」
「そ、――」
 深い悲しみと戸惑いに満ちた彼女の声が、涙と共に落ちてくる。
 節くれ立った司祭の手。今は刻々と冷えゆくそれを幾つもの雫に暖められながら、司祭はあえぐ声で詫びるように言った。
「お前の……修養を、見届けることが――出来ず…………残念、だよ……。 こんな形で……放り、出してしまって……済まない……。どうか……許して、おくれ……」
 タルタルの少女は息を詰め、ぶんぶんと首を左右に振る。それは恩師の最期の言葉を片っ端から拒むようで、司祭は再びその口を開くと、言い含めるようにかすれる言葉を紡いだ。
「お前は……ここを……離れる、のだ。あれは……捨て置け。忘れてよい……。及ばなかったのは……私の力……」
「そんな、そんな事、仰らないで下さい! 司祭様は立派に、お勤めを果たされました! こ、これから――私に、代わりが務まるか――」
「……お前には……託さない」
 司祭の低い、しかし決然とした言葉に少女は言葉をとぎらせる。そして泣き濡れた顔に、苦悶に満ちたやるせなさを浮かべた。司祭はそれを諫めるように、また慈しむように、かすかに首を左右に揺らす。そしてゆっくりとまぶたを閉じると、予想を上回る強い声で言った。
「アルタナ聖詩編第18節、32項」
 その言葉を受け、少女の小さな唇が弾かれたように開いた。灼けるような絶望が突き上げる。彼女は震えながらも深く息を吸うと、瞳を閉じて唱い出した。

 ――恩寵あふるるアルタナよ めでたき腕(かいな)に護るべし 注ぐ綺羅水美空の台(うてな) 常世を巡りし御子の手を――

 まるで螺子仕掛けのオルゴールが回るように。
 あどけない彼女の口から流れ始めるのは、地上を離れる魂を讃え、とこしえの安息を願う聖典の詩――

 天を覆う薄雲が払われたのだろうか。
 二人の頭上で、鈍かった日の光を散らすステンドグラスの煌きが、すぅっと力を増した。

 涙声でつかえつかえに流れる可憐な声。その紡ぐ聖句と白い光に包まれ、静かに微笑みながら、逞しい司祭は安堵のため息をつくように言った。
「ありがとう……私の……可愛い、フォーレよ……。 お前に……神の、ご……加護が、あらん……こと、を……」

 毒が回り切る。少女の悲痛な声が司祭を呼ぶ。召される最期の吐息が言葉になった。

「さあ…………」


 新しい道を、捜しにお行き――


  *  *  *


 からりと晴れた空から、飛空挺がゆっくり舞い降りてくる。
「跳ね橋が上がるぞー!」怒鳴り声が響いた。 同時に橋のたもとできりきりと音を立て始めるのは、機械の部品と呼ぶにはあまりに馬鹿げたサイズと言える、見上げるばかりの歯車。
 合計4つの歯車が、この国の技術力を象徴する巨大な跳ね橋に命を吹き込む。まるで上空に向けて門が開くように吊り上がるその間を、空飛ぶ船が悠然と滑り降りてきた。
 着水。大容量の水しぶきと、それに伴う破裂音にも似た水音が港に響く。
 この数時間ごとに行われるアトラクションに、初めてバストゥークを訪れた者はこの橋の、ひいてはこの国の技術力の高さに驚き、小さな子供は飛空挺そのものの威容に目を輝かせ飛び跳ねるのだ――が。

「なあ、こないだまとめてパチったタバコ。誰が持ってったんだよ」
「知らねー。 っつーかあの後ビータが配ってたじゃん。 お前そん時もらわなかったのかよ」
「マジか、あいつぜってー俺の分ちょろまかしてやがるわ。 ふざけんなっつの」

 バストゥーク共和国、豊かなバストア海を臨む港区の一角。
 工業国家らしい石造りの街並みの隅に吹き溜まるようにして、十人近い少年達が思い思いに地べた座り込んでいた。
 いかにもと言えばいかにもすぎる光景だ。規則正しい生活を送る女子供は怯えたようにそこを迂回し、分別のありそうな大人も、ちらりと苦々しい視線を送るばかりで関わり合いになろうとはしない。
 札付き予備軍、とでも呼ぶべき少年達だった。だらしなさが彼らのステイタスであり、斜に構えた思想が彼らの共通言語だ。
 この町の隅をまるで自室のようにしている彼らにとっては、港の喧噪も跳ね橋のアトラクションももうとっくの昔に聞き飽きて、BGMにすらならなかった。

「にゃあ」
 何やら可愛らしい鳴き声に、少年の一人が気だるげに振っていたダイスから顔を上げた。野良猫がいる。港から上がる魚のおこぼれや、釣り人との交流で生活しているのだろう。
 少年は口の中で何事かつぶやきながら、手にしていたタバコをその猫に向かってぴんと弾いた。
 火種の標的にされた野良猫は身軽にとびすさる。無体な仕打ちに恨みがましげな表情を残すと、猫はそのままいずこへともなく逃げていってしまった。
「おいおい、そんなんしてっとミスラに嫌われるぜぇ」
 それを見ていた少年が、ひやかすような声をあげた。タバコを弾いた少年はまたダイスを掴み、声の方を見もせずに口元をゆがめて言い返す。
「へっ、女に振る尻尾なんか持っちゃねーよ。あんなやつら、じゃまくせぇ」
 彼の言葉に、同意するような忍び笑いがそこここから漏れる。そういう年頃なのだろう、よく見れば、彼等の中に少女の姿は一つもない――が、その反面。
 一般的に女性しかいないミスラ族を除き、そこにはそれ以外の全ての種族が揃っていたのだ。
 ヒュームの少年が風俗雑誌を読んでいる横で、ガルカの少年がむきだしの火薬をいじっている。タルタルの少年がタバコをくわえ、ナイフをもてあそぶエルヴァーンの少年を眠そうな目で眺めている。

 工業国家バストゥークという、ここヴァナ=ディールにおいてそれなりに先進的なお国柄であるが故の、歪んだ開放感もあるのだろう。しかし各国家が慢性的に命題としつつも未だ叶わずにいる「異種族間のユニオン」をいち早く実現しているのが、その内で行き場を失い浮遊している不良少年達であるという、皮肉な事実がここにあった。

 口を開いたままの少し汚れた麻袋と、大きなピンセットのような道具を持った老爺が、居住区と跳ね橋を繋ぐ階段をのんびりと降りてきた。袋の中には紙くずや空になった瓶が入っていて、がさがさ、からからと渇いた音を立てている。 温厚な物腰であたりを見回す彼は、この港区を自主的に清掃して回っているのだろう。
 手にした道具であたりに落ちている紙くずなどを拾い、麻袋に放り込みながら、老爺は散歩でもするように移動する。その視線が、遠くでたむろしている少年の集団を捕らえた。
 彼らの周囲に、自分の仕事がたくさん発生しているのが、そろそろ弱くなってきた彼の目にも見て取れた。どうしたものかと思案するように、老爺はしばしその場に立ち尽くす。
 と、少年たちの間から、粗野な笑い声が弾けた。小さな怒声や、ばんばんと何かを叩くような音も聞こえる。
 哀しげな溜息をつきながらその場を離れる弱々しい老爺の背を、一体誰が責められようか。

「あー、なぁーんか面白れー事ねーかなー」
 エルヴァーンの少年が、抜けるように晴れ上がった空を仰ぎながら唐突に言った。 見る者が見たら勿体なさで卒倒するような生地で縫われたズボンで、どっかりと地べたに座り込んでいる。彼は目を細め、片手でくるくると小さなナイフを回す。
「ディギーの連中もあれからすっかり大人しくなっちまってよー。てんで潰し甲斐がなかったぜ」
「意外とあっけなかったよな。派手にやるつもりだったのに、あれじゃあ俺達、弱い者苛めしてるみたいじゃねぇか」
 笑い声が響く。 エルヴァーンの少年がその中で言った。
「いっそさー、無制限かつ合法的に人をぶったおせたりとか、そういうさー。何かねーの。スカっとしてぇなー」
「えー、合法じゃあ面白くないよ。相手が嫌がって悔しがるからいいんじゃんか。やってもいいよ、なんて言われたら興醒めさ、刺激がなくてダメだよぅ」タルタルの少年が、かわいらしい口調で物騒な事を言う。それを皮切りに、少年達はとりとめもない与太話を始めた。この間は何を万引きしただの、誰とどんなケンカをしてどれだけケガをしただの。
 しかし彼らの「武勇伝」は、どうひいき目に見ても求めるスリルやスケールというものに欠けていて、結局不良少年達はまた不満げに黙り込んでしまう。そんな中、終始陰鬱げに俯いていたガルカの少年がぼそりと言った。
「でっかい武器とか欲しいよな。大体やってる事がチンケだからつまんねーんだよ。誰でもやってんじゃん、ケンカとか盗みとかさ。 もう飽きた、そういうの」
「ばっか、金ねーっつの、金」それを聞いたヒュームの少年が、手にした干し肉のかけらを食いちぎって咀嚼しながら訳知り顔に言い放つ。
「あんなぁ、俺らが町中でかっぱらえる武器なんか――たかが知れてんだろ。それ以上のもんはな、もう俺らとは違う世界にあんだよ。たっけーとか盗れねーとか、世界の果てにあるとか、いろんな意味でな」
 事実だった。桁の外れた大きな力なぞが、一般市民が生活する領域にそうそう転がっている道理がない。それを指摘した当人は軽く得意げだが、聞かされた周囲にはどこか白けた空気が流れてしまう――と。
「あ、」
 それまでほとんど口を開かなかったヒュームの少年が、不意に間の抜けた声を上げた。何だよジョーイ、と誰かが問う。問われた少年は顔を上げて言った。
「いや――なんか思い出した。こないだな、行商から帰ったおやじが言ってたんだよ」
 皆の視線が一斉に彼に集まる。安物のシャツをだらりと着た彼は目を輝かせ、急かされるように話し始めた。

「えっとな、こっからそう遠くない所に、何だかでっけぇ剣を家宝みたいにしてる屋敷があるんだと。んで、そこにいんのは武闘派のオッサンが一人っきりで――いや、なんかよくわかんねぇけど親父の口ぶりからすりゃ偉い奴らしくて――ああ、まぁそれはどうでもいいか」
 何だよそれ、しっかりしろ、と野次が飛ぶ。少年は懸命に記憶を探るようにして喋り続ける。
「でな、その剣はどうもその、いろんな奴に狙われてるらしいんだ。そんでオヤジが言うには、そんなに欲しがる奴がいるんなら、きっと実はすげぇ名のある剣とかじゃねーのかって。けど、その剣を狙って来る奴来る奴、そのオッサンが全部ぶっ倒して追っ払っちまうんだって。しかもそんな剣が手元にあるのに、それは絶対に使わないんだ。なんかそういうのってさ、いわくありげじゃね?」
 謎の多い話は総じて魅力的なものだ。少年達は一気に興味を引かれ、へぇ――という声がそこここから漏れた。
「……相手が一人ならさ、うまいことすりゃどうにかなりそうだよな」
「剣は持たねぇのか。ってことは、やりようによっちゃあ――」
「ちょっと面白そうじゃん?」
「おいジョーイ、その屋敷ってどこにあんだ。この近くか?」
 問われた少年は、ええっと、と唸ると、眉間に皺を寄せて言った。
「どこだっけ、確か……うーんと、コンシュタットの、ちょっと奥の方とか――」
 その言葉に、だぁっと皆が一斉にのけぞる。
「ふざけんな、ぜんぜん近かねーぞ! んなヤベぇ所まで徒歩で行けるか!」
 唾を飛ばし、エルヴァーンの少年が苛立たしげにがなった。
 どれだけ息巻いてみても、所詮は少年で一般人。下手をすれば祖国から出ずに一生を終えても何ら不思議のない彼らにとって、街周辺よりも遠い場所はもはや魔境に等しいのだ。

「なぁんだよ、畜生……」
 肩すかしをくらって、紙風船に穴があいたような溜息が場に流れる。が、その腑抜けた空気は何故か雨散霧消することなく、ゆっくりと彼らの中で、共通の方向性を産んだ。
 誰かが呟く。
「……そういう事ならさ――兄貴じゃね?」
 だよな、とすかさず誰かが応える。
「本職だよ、本職。コンシュタットどころかしょっちゅうジュノまで行ってるし、チョコボだって乗れる」
「つーか剣だろ? 兄貴がいただきに行って、全く問題なしじゃん」
 皆がそれぞれに力強く頷き、車座のようにたむろするその輪から外れた、更に隅へと視線を移した。
「兄貴! なぁ兄貴!」
「――うっせーな。聞いてるよ」

 ぶっきらぼうな声のする方向に、少年達の熱い視線が注がれた。
 が、「兄貴」と呼ぶ彼らの目線は、異常に下向きの角度を取っている。それはとりもなおさず、その「兄貴」がごろりと――頭の後ろで腕を組み、ついでに足も組んで、地べたに仰向けに寝っ転がっているからだったのだが――。
 仲間達の呼ぶ声に、むくり、と「兄貴」が大儀そうに起き上がった。 しかし何故か、少年達の視線の角度は大して変わらない。
 灰色の短い髪。挑戦的な瞳。小さな手足、子供のような体躯。
 皆の大きな期待と仰ぐような憧れを一身に受ける「兄貴」は――小さなタルタルだった。

「兄貴ぃ、聞いてたんならいっちょ行ってみてくださいよぉ」
「俺らじゃ無理なんすよー。ねー、兄貴ならきっと一発だよ」
 無邪気に焚きつけるような仲間の言葉に、彼は鬱陶しそうにぼりぼりと頭をかいた。種族特有の幼さをねじ伏せて余りある、極めつきに不機嫌そうな表情を浮かべ、彼は唸るように応える。
「あのな。何を勘違いしてんだか知らねーが、俺は別に世界最強でもなんでもねーんだよ。おめーらがバカ話で盛り上がんのは勝手だが、その場のノリだけで俺を祭り上げんな」
 彼のすげない口調と返答にも、少年達の輝く瞳は全くひるまない。「兄貴」が自分達の期待を裏切ることなどないと芯から信頼しきっている、暑苦しいまでに真摯な瞳だった。
「だってルード兄ぃ、冒険者試験にパスしてずいぶん経つじゃないっすか」少年の一人が、心外だとでも言いたげな声を上げる。
「こないだジュノから戻ってきた時の鎧、おれ見ましたよ。むちゃくちゃごつくて、一気に冒険者らしくなってたじゃないすか」
 何を大袈裟な。ルードは内心で苦笑いをする。そこに別の少年が割り込んできて、ルードの傍らにある剣を見ながら言った。
「大体その剣だって、そもそも戦士として腕っこきじゃなきゃ背負えねーじゃないですか。あーいいよなぁ、ヒーローっぽくって。俺も冒険――」
「ばーーか」
 まるで自分の事のようにうきうきと喋る少年の声を、ルードは途中でぶった切る。なるほど兄貴だ。実際この集団においては年齢で言えば彼が一番上なのだが、ぱっと見で判らないそんな数値よりもよほど確かな「貫禄」、そして残る少年達がそれを一人残らず認めている空気。その中に、彼らの小さなピラミッドが浮かび上がっていた。

「いいか、冒険者冒険者って一つ覚えみてーに言ったって、いざ入ってみりゃそんなもん、ピンキリなんだよ」
 動きやすさ以外何も重視していないような緑色の町着を着ながら、その不釣り合いさをむしろ誇らしげに無視するように、己の身の丈ほどもある大剣を携えたルードは言った。
「魂刈りのヴロクダとかな、あんなのはほんの一握りの中の、さらに一つまみだ。残りはみーんな十把一絡げの――」
「え、たまがり――何すか?」
 きょとんと問い返してくる少年に、「知らねーか」とルードは呟く。そして不良教師のような調子で、改めて口を開いた。
「いいか、試験通りましたー、はいなりましたー、はい強くなりましたー、なら苦労はねぇ。 血ヘド吐いて天辺極めてる奴もいりゃ、俺みてーに上を見んので精一杯って奴もいる。大体、誰でも強くなれるみてーな保証なんざ、なーんにもねぇんだよ。そうだな、全員同じなのはせいぜい――まだくたばってねぇって所だけだ」
 思いがけず生々しい兄貴分の言葉に、少年達の軽口はまるで石を呑まされたようにぴたりと止まった。
 港の跳ね橋が上がる、きりきりという音が響く。 青い空から舞い降りる飛空挺。 その巨体が水面を蹴立てる音が収まると、ヒュームの少年がおずおずと言った。
「――あ、兄貴は……そう簡単にくたばる訳、ないっすよ」
「ふん? そうかぁ?」
 皮肉げな笑みを浮かべ、疑問形で切り返すルード。 自信の裏返しという奴だ。が、札付きとは言え町でぬくぬくと育つばかりの少年たちに、そんな腹芸は到底通じなかったようだ。「そ、そうですよ!」と、彼らはこぞって声を上げる。
「俺ら魔物とかと戦ったことないから知らねーけど、すげーでけえ奴とかいるんでしょ? そんなのと普通に渡り合えるなんて、それだけで十分凄いっすよ」
 そう言って恐々と肩をすくめる少年は、脳裏に一体どんな凶悪なモンスターを描いているのだろう。ルードは黙ったままかすかに鼻で嗤った――が。

「そうそう。タルタルでただでさえ身体が小せえのにさ、それで他の奴らに混じって前線で斬り合うなんざ、普通以上に強くなきゃありえねーっての」

 そのセリフを聞いた瞬間。皮肉な笑みを浮かべていた彼の瞳の奥に、まるで熾火のような黒い炎がかすかに燃え上がった。
 しかし自分達の話にすっかり興奮している少年たちは、彼のそんな微細な変化には気付きもせずに喋り続けている。
「でもなー、せっかくそんな腕っ節があるのによ、もう俺らとあんまつるんでくんねーのはなー、もったいねーっつーか」
 そんな事をぼやく一人に、隣の少年が蹴りを入れる。
「ばっか、兄貴はもうプロだっつーの。そこらの普通の野郎なんか相手にできるか。下手したら再起不能で済まねーだろ。なぁ兄貴?」
「さぁな――ま、好きに言ってな」
 片頬を吊り上げ、放り投げるようにそう言うと、ルードはまたごろりと横になった。瞳の色はとっくに、いつもの墨色へと戻っている。
「えー、兄貴ぃ……」
 悪友たちの、まるでお預けをくらったかのような不満げな抗議の声を、ルードは瞼の向こうに聞いていた。
「ちぇー」「おいちげーよ、コンシュの屋敷の話だったじゃねーか」「そうだ、っつーか結局どこらなんだよ――おいジョーイ!」「聞いてこい、今すぐ親父んとこ行って聞いてこい!」

 どうやら、彼は嫌でもそこへ送り出される事になるらしい。
 ま、理由なんかどっちでもいいけどな――と、ルードは内心で肩をすくめた。


to be continued




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