#blognavi
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起点。
いわゆる物語、フィクションを読んだ時に
「この人はどうやってこのストーリーを思いついたんだろう」
と考えることがあります。
作者がこの物語を立ち上げる実質的な出発地点にしたものは何なんだろう、どの部分なんだろう、という、いわば舞台裏、しかも最もコアな演出家の楽屋にあるカバンの中を覗きたがるような、そりゃもう実に無粋なエロ心であると言えますが。
「この人はどうやってこのストーリーを思いついたんだろう」
と考えることがあります。
作者がこの物語を立ち上げる実質的な出発地点にしたものは何なんだろう、どの部分なんだろう、という、いわば舞台裏、しかも最もコアな演出家の楽屋にあるカバンの中を覗きたがるような、そりゃもう実に無粋なエロ心であると言えますが。
ある1つの事柄から天啓のようにアイデアが閃いて、それを核にストーリーからテーマからキャラクターから全てが生成され巻きついて物語としてまとまった、そんな「起点」。
と言っても実際は人様の作品に秘められたそんなものがおいそれと判る訳がない、というかそもそも全ての物語がそうやって生まれてきている道理もないので、単なる私の私による私のための妄想なわけですが。
そして何故いきなりこんな事を言い出したのかと言えば、そういや某ひぐらしはHome"sick"というたった一つの単語から全てが爆発したんじゃないかなぁなんて事を、仕事をしながらふと思いついたからだったりします。
と言っても実際は人様の作品に秘められたそんなものがおいそれと判る訳がない、というかそもそも全ての物語がそうやって生まれてきている道理もないので、単なる私の私による私のための妄想なわけですが。
そして何故いきなりこんな事を言い出したのかと言えば、そういや某ひぐらしはHome"sick"というたった一つの単語から全てが爆発したんじゃないかなぁなんて事を、仕事をしながらふと思いついたからだったりします。
まぁそれはともかくとして。
こういう手法(?)はおそらく、短編やショートショートの類により求められるものだと思うんですね。
ある一つのものを見て、もしくはある一つの状況を見て、そこからどれだけ発想を膨らませられるか。
ネタバレしてしまいますが、私が最も敬愛するショートショートの神、星新一の「午後の恐竜」は、ある朝突如として「生命の進化する様」を描いた幻が世界に繰り広げられたが、それは核ミサイルが大量に発射されてから着弾するまでの地球が見た「走馬燈」だった、というもので。
あまりに強烈なオチに、幼心に愕然とした後に茫然としたものです。
この恐ろしい発想力。間違いなく財産だと思います。惜しい人を亡くしました。
こういう手法(?)はおそらく、短編やショートショートの類により求められるものだと思うんですね。
ある一つのものを見て、もしくはある一つの状況を見て、そこからどれだけ発想を膨らませられるか。
ネタバレしてしまいますが、私が最も敬愛するショートショートの神、星新一の「午後の恐竜」は、ある朝突如として「生命の進化する様」を描いた幻が世界に繰り広げられたが、それは核ミサイルが大量に発射されてから着弾するまでの地球が見た「走馬燈」だった、というもので。
あまりに強烈なオチに、幼心に愕然とした後に茫然としたものです。
この恐ろしい発想力。間違いなく財産だと思います。惜しい人を亡くしました。
で、そんな華麗な発想の元となるのはやはり、日々を無限に流れていく物事に楔を打ち輪郭を持たせて留め置く観察力、そしてそのままなら無関係であるそれらを平気な顔で結びつけ生まれ変わらせていく自由なセンスではないかと。
そしてそういった営みの全ては人間の固有能力、「想像力」へと集約されるわけで。
これに優れた人こそ、その善悪はともかくとして「ハイスペックな」人間だと思うのです。
そしてそういった営みの全ては人間の固有能力、「想像力」へと集約されるわけで。
これに優れた人こそ、その善悪はともかくとして「ハイスペックな」人間だと思うのです。
いつのまにか話がデカくなりすぎたのでここらで逃走。
ふろしきをたたみそこねるコモノなわたくし。
ふろしきをたたみそこねるコモノなわたくし。
カテゴリ: [雑記] - &trackback() - 2007年09月27日 23:26:20