第一回戦血の池地獄 早見歩
採用する幕間SS
本文
『血の池地獄』
戦闘領域:半径1kmほど
亡者の血で真っ赤に染まった池の地獄
その広大さは、池というよりもむしろ海を彷彿させる
巨大な岩塊が浮かんでおり、それを中心とした半径1kmほどが今回の戦闘領域である
半径1km圏内には岩塊以外の陸地は存在しない
各々は戦闘領域内のどこかにランダムに転送される
転送されたその瞬間から戦闘開始とする
【第一回戦 血の池地獄 早見歩VS静間千影VSラーメン野郎・有村大樹】
***
「へぇ……」
白のロングスカートをふわり、はためかせ。
並木道にひらひらと舞い落ちる一枚の紅葉のように、静かに、穏やかに、そしていささか哀しげに。
静間千影は水面へ着地した。
「地獄にも……太陽ってあるんだ……」
さんさんと照りつける光と熱が、彼女を歓迎した。
それは彼女の言う通り、太陽なのか、もしくは鬼火の群れであろうか。
その正体は分からない。
「まぁ――」
どちらでも良い。わずらわしいことに変わりはなかった。
トランクケースから日傘を探すが、長い入院生活には不要だったのであろう。
その存在を見つけることは出来なかった。
代わりに見つけたバスタオルで、仕方なしに汗を拭く。
見渡す限りの雪景色を『一面の銀世界』と表現することがある。
ならば、静間千影が今見ているこの景色は何と表現するべきか。
赤く、赤く、どこまでも赤く。
見渡す限りの血の海が彼女の眼前には広がっている。
さしずめ――
「『一面の緋世界』……とでも言うのかな」
一人ごちた。と同時に、彼女は声を挙げて笑った。
(何を考えているのだろう。 ピクニックにでも来たつもりなのか。 違う。 私は――――)
「殺し合いに来たんだ」
輪郭を持ったその言葉は、彼女の心に、一本の冷たい芯を通す。
置いてきた白、身についた黒。
冷たい青に包まれながら、『過去』を求め、静間千影は歩き始めた。
***
「うおぉっ!?」
有村大樹は、乱暴に投げ飛ばされた。
海面から、ぶはぁと顔が浮かぶ。
(蒙古タンメンよりも赤く、天下一品よりも濃厚で、二郎よりも粗雑に強大……)
有村大樹は、自身が浸かる血の海を見ながら、驚愕の意を露わにした。
「これが……地獄……」
ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。
それは、血の海の迫力に気圧されたのか、はたまたラーメン野郎としての性か。
その目は、『死人、有村大樹】から『ラーメン野郎・有村大樹』へと変貌していた。
「まずやるべきは――」
右手を握り、開き、また握る。
掌の開閉動作を繰り返し、自身の状態、言わずもがな、『体内厨房』を把握する。
(6、7割といったところか……)
やはり完治には至らなかったが、それは当然の結果と言える。
『オリジナルラーメン』の詠唱が残した爪痕は、それほどまでに大きかった。
だが。
「一期一杯……!」
Tシャツにプリントされた文字を握り締め、一人ごちた。
一生に一度、あるかどうかの一杯。
その理念を掲げたTシャツを纏う有村大樹には、後悔は無かった。
あと何杯のラーメンが作れるかは分からない。
それでも、それでも――――
目の前のラーメンには全力で挑みたい。
「ィィァラッスァァァッセェェェェェイイイィィィィッ!」
ただ、ただ、『現在』を見つめ、有村大樹は泳ぎ始めた。
<補足>
本来、『ラーメン』とは、それぞれの店が古より伝えし、円環の理である。
しかし、その神秘への道標は、気の遠くなる時間を以って僅かずつ、確実に蓄積していくしか方法が無い。
故に、『ラーメン』は受け継がれ、店主独自の改良が施されていく。
このシステムは『のれん分け』と呼ばれ、現在にも広く根付いている。
***
「おっとッス」
トタン、と、まるで塀から飛び降りた猫のように、軽快な音を響かせながら早見歩は水面に着地した。
彼女にとっては、この血の池すらも『地面』に他ならない。
そのすらりと伸びた脚をバネにし、小柄な身体をぴょんぴょんと弾ませる。
身体のリズムから一泊遅れて、ふわふわと揺れるショートカットの髪。
まるで、運動会を待ちきれない子供のようだ。
「どうせだったら――」
無間地獄が良かったんスけどね。早見歩は一人ごちた。
(無間地獄、そこは、上下左右無限に広がる地獄)
進行役の三兄弟の言葉を思い出す。
無限に広がる地獄。
すなわち、どこまでも走れる地獄。
早見歩が思い切り走れる無間地獄を望むのは当然と言えるだろう。
「まー、しょうがないッスね! 勝ち進めばいいんスよ!」
自信があるのか、能天気なだけなのか。
一際大きなジャンプをし、早見歩は笑った。
「しっかし……戦闘領域と言っても――」
どこまでが戦闘領域なんスかね。
早見歩は思案に暮れた。
周りは海。見渡す限りの海、海、海。
奥にはうっすらと岩のようなものが見えるが、おそらく、あれがフィールドの中心なのだろう。
「目印みたいなものも無いっぽいッスね……」
そう、彼女が懸念しているのは『リングアウト負け』であった。
早見歩のスタイルは至極単純、「走ること」である。
故に、彼女の心配は最もである。
ルールに『リングアウト負け』がうたわれている以上、明確な境界があるはず。
ふらふらと境界線を探し歩く。
と――
「ケイコク! ケイコク! 戦闘領域から離れようとしています! 10秒以内に戦闘領域内に戻らないと失格となります! 10、9、8、……」
割れんばかりの声が、頭の中に直接響いてきた。
(そういう事っスか……)
薄っすらと涙を浮かべながら、早見歩は理解した。
ぐらぐらする頭の痛みが引くのを感じ、早見歩は一人ごちた。
「もう一度……現世でもう一度走るっス!」
自身に語りかけるのは、戦う理由を再確認しているのだろうか。
羽織っているジャージの裾をまくり、頬をパンパンと叩く。
『未来』を目指し、早見歩は走り始めた。
「うっしゃー! いっくぞーっ!」
***
「忘れ物だよ。シンデレラ」
無造作に投げられたそれは、緩やかな放物線を描く。
事象に頭がついていかなかったからか。
それの最期を見届けたかったからか。
早見歩は、ただ、ただ、それを目で追った。
世界が一瞬、ひどくゆっくりに感じられて。
それは、綺麗な――とても綺麗な音を立てて、割れた。
それは――早見歩の左足であった。
遡ること1時間前。
水飛沫、いやさ血飛沫を上げながら疾走する早見歩が目にしたのは、
木漏れ日のような、素朴だがどこか暖かさを感じさせる女性。
彼女は、白いロングスカートをたなびかせ、トランクケース片手に、水面を歩いていた。
そしてまた、彼女も早見歩を見ていた。
瞬間――
血の海から現れる無数の人形の群れ。
その数は100体を超えている。
人形は瞬く間に早見歩を囲む。
「何スか!?」
その人形は、まるでその女性を生き写したかのようであり、
艶のある髪も、純白のロングスカートも、さらには頬を染める朱すらも再現していた。
女性は、人形の群れに潜んだ。
木を隠すならば森の中。
ここからどのような攻撃を仕掛けてくるのか。はたまた罠の可能性もある。
早見歩の下した判断は――
――ガシャン!
全て蹴り倒すことであった。
「うりゃーッス!」
人形に右足刀を一閃。
その反動を利用し、隣の人形に左足刀を突き刺す。
「1,2!」
そのまま空中で身体を捻り右踵による後ろ回し蹴り。
右足を軸にし、左廻し蹴りを放つ。
「3、4!」
宙に投げ出された格好になったが、左足はそのまま『空気』を蹴る!
――『クレイジートレイン』――
左足で空気を踏みしめ、右前蹴り。
左足はそのまま、後方へ蹴りを放つ。
両足を一旦引き戻し、膝のバネによる開脚蹴り。
「5,6,7,8!」
前方回転からの右踵落としの直後、左足で空気を蹴りこみ、体制を立て直す。
そのまま一体の人形の膝を砕き、胸を蹴破り、顔面を踏み抜く。
空中に『着地』すると、早見歩の立ち位置は人形の目線上にあった。
そこから、人形の頭部を『足場』とし、走り抜ける。
『足場』にされた人形は、例外なく頭部を踏み抜かれていた。
まるで、ゴム鞠のように、所狭しと弾け跳ぶ早見歩。
前後左右上下、360度の多角的攻撃こそが彼女の真骨頂である。
さらに、右足を『空気』に引っ掛け――
――反動をつけたまま蹴りを放つ!
てこの原理、分かりやすく言えばデコピンの要領で放つ蹴りである。
複数の人形がまとめて吹き飛ぶ姿が見えた。
「……22、23、24、25!!」
暴走列車は止まらない。
パチ パチ パチ
無機質な拍手の音が聞こえてきたのは、およそ半数の人形が破壊された後であった。
「『ガラスに変える能力』……ってとこッスか」
目の前の女性、静間千影に向け言い放った。
人形を蹴り割った感触から、早見歩はそう判断した。
恐らく、血の海からガラス人形を作っているのだろう。
水面を歩いていたのも、足元に透明なガラスを作っていたと考えれば合点がいった。
「私が答えると思ってるのかな?」
瞬間。沈黙。走る。
静寂を破ったのは――
「無駄な努力、ご苦労様」
――静間千影の言葉と、再度水面から現れた人形の群れ。
再びその身を人形の群れに潜ませる静間千影。
「なら……増えるよりも早く、全部蹴っとばせばいいッスね!」
早見歩は再び人形を蹴り壊す。
繰り返される映像。
早見歩は跳ね、
人形は崩れ、
唯一違うのは、
早見歩の頬に流れる鮮血であった。
頬は、まるで鋭利な刃物で切られたように、どくどくと血流を零しだす。
目を凝らさなければ決して見えない透明な凶器。
これは……ガラスだ!
「準備完了ってトコかな」
静間千影の声が響く。
「あなたの能力で逃げられると面倒だったから……罠を張らせてもらったよ」
「罠……」
「この周囲には、無数の透明な刃を設置させてもらったの。 貴方がお人形遊びをしている間にね」
静間千影のその言葉には、ぬめりとした殺気のようなものが感じられた。
「だから……走りたければ、お好きなだけどうぞ?」
瞬間、何かが脚に飛び刺さった。
左足に痛みが走り、ぽたぽたと血が零れ落ちる。
血に濡れたそれは、恐ろしく細いガラスの針であった。
恐らく、自身の髪の毛をガラス化したのであろう。
(このまま、じわじわと来るつもりッスね……)
ならば、と。
早見歩が至ったのは、なるほど、彼女らしい豪快な回答であった。
「いやー、忘れてたッス」
戦場に、殺し合いに似つかわしくないほど素っ頓狂な声をあげ、早見歩は笑い出した。
「良く良く考えたら、ここ、水の上なんスよね。 お互い、普通に水面を歩いてたから、うっかりしてたッス!」
(何を言って……!?)
静間千影が早見歩の言わんとしていることを理解したのは、早見歩が足を振り上げた後だった。
「つまり……水中戦も有りってことッスよ!」
震 脚 !
早見歩の脚が振り下ろされる!
高速移動を可能とし、どんな物質でも蹴り出すことの出来る早見歩の『クレイジートレイン』
脚力のみに特化した魔人能力。
その魔人レベルの脚力が、一点を目掛け振り下ろされる!
衝突と同時、響き渡る金切り音!
そう、早見歩が振り下ろした先には、静間千影が作ったガラスの足場!
透明なガラスの足場は、みるみるうちに折れ曲がり、その勾配を鋭角に変えていく。
ガラス人形の群れは、勾配に逆らわず、ボトボトとその身を血の海に沈め始める。
それは、静間千影も例外ではない。
血の海に投げ出される。その瞬間。
水面が、静間千影に触れたその瞬間、再びガラスの足場を作成する。
ガラス人形が沈み行く中、からがら脱出に成功した静間千影。
その眼前には。
「かくれんぼは終わりッスね!」
早見歩が左足を振りかざしていた。
早見歩の左前蹴りが静間千影の腹部に突き刺さる。
一撃。
一撃で仕留めなければ、逆に自分がガラスへと変えられる。
故に、必殺の一撃で決めるしかない。
事実、その一撃は、静間千影の意識を断ち切るには十分であった。
だが。
「私は……絶対に生き返らなきゃ。絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に……」
静間千影の執念は、その一撃すら凌駕した。
最も、彼女が身体に隠し巻いていたバスタオルを、瞬時に防弾ガラスへ変えていなければ、結果は違っていたことだろう。
口元に血を零しながら、静間千影は静かに告げた。
『グラスコフィン』
見る見る内にガラス化していく早見歩の左足。
右足で空気を蹴り、束縛から左足を無理やり引き抜いた時には、すでに膝から下はもぎ取られていた。
***
「忘れ物だよ。シンデレラ」
そう言って投げられた左足を、早見歩は淋しげに、それでいてどこか他人事のように見つめていた。
その一瞬の虚脱を、静間千影は逃さない。
早見歩が意識を取り戻す、が、時はすでに遅く。
水面から勢い良く飛び出したガラス欠片に腹部を撃たれ、そのまま早見歩は血の海へと沈んでいった。
「ちょっと……疲れたかな」
静間千影は一人ごちた。
ふう、と大きく息を吸い込みゆっくりと吐く。
もう一度大きく息を吸うと――
「やれやれ……少しは休ませてほしいんだけどな」
――むせ返るような魚介と塩の匂いが鼻についた。
ラーメン野郎・有村大樹 推参!
***
「ィィァラッスァァァッセェェェェェイイイィッ!」
起動詠唱。アクセスを開始する。
体内厨房――完全とは言いがたい厨房ではあるが、その隅々にまで火をくべる。
寸胴がグラグラと煮え立つ。
その目はスープの煮え立つ音を聞き分け
その耳はスープの芳醇な香りを嗅ぎ
その鼻はスープのコクを余すことなく味わい
その口はスープの質感を感じ
その皮膚はスープの眩さを見る
五感全て。是すなわち『ラーメン』
沸騰(イグニ)――茹麺(ハルト)、定義(ベースド) 、深化(オプト)――展開(リリース)――――――。
有村大樹の高速湯きり『白虎落とし』により、瞬く間に連結・完了されていく。
すでにその手には、黄金色の輝きが握られていた。
帯状に走った光が、空間を切り裂いていく。
かつての形を維持すべく、切り裂かれた空間はみるみる内に閉じられていく。
その力を利用した有村大樹の瞬速移動は、変則的な飛行運動を可能としていた。
「ラーメンとか……苦手なんだけどな」
声と同時に有村大樹を襲いかかるは、水面から飛び出すガラス片。
先ほど早見歩を静めた一撃である。
有村大樹は空中でその身をひねり、ガラス片をさける。
海外の派遣傭兵レベル の身体能力を持つ有村大樹には造作も無いこと。
だが、その着地点を予想して再び放たれるガラス片。
一閃
次元断裂による瞬速移動により、その攻撃すらも捌いた。
初撃を捌ききった有村大樹は辺りを見回した。
だが、そこに静間千影の姿は無い。
(逃げたか……?)
そう考える有村大樹を、その鋭利な殺意を以って、再びガラス片が襲う。
無数のガラス片は、正確に有村大樹の下へ射出された。
(この正確さ……どこかで見ているな……)
捌き、かわし、撃ち落し。
ガラスの足場が作られていることから、やはり近くに居ると考えるのが妥当であろう。
となると、水中……?いや……
(なるほど、考えそうなことだ……)
幾度となく放たれるガラス片を防ぎながら、その手の黄金色の輝きをガラスの足場に突き刺す。
ガラスの足場には小さな穴が空き、有村はそこに左手人差し指を捻じ込む。
「d&」
シングルアクションによる詠唱。
塩の属性。
その属性が司るは『増殖』
捻じ込んだ指先は、血の海に触れ――
――含まれる酸素を膨張させる。
「d&、d&、d&……」
増殖、増殖、増殖。
許容量を超え、並々と注がれた酸素は熱を生む。
気が付けば、辺りには湯煙が立ちこめていた。
「鏡状のガラスか……児戯だな」
静間千影は、自身の周囲を覆うように、鏡状に磨かれたガラス板を具現化していた。
それにより、周囲の情景と同化していたのである。
だが、今、そのガラス板は曇っており、鏡の役割を果たさない。
ガラスに湯気は大敵という、ラーメン野郎ならではの解法を示したのだ。
「覚悟しろ。 俺のゲンコツは……濃厚だ!」
有村大樹の拳は、鏡ごと静間千影を撃ち抜いた。
その威力は、まるで豚の大腿骨で殴られたかと錯覚するであろう。
コラーゲンと良質なタンパク質を多く含んだ一撃。
静間千影はトロトロに煮込まれたまろやかな体制のまま、フィールド中央の岩塊に叩きつけられた。
***
有村大樹は、瞬速移動により、岩塊へ向かった。
どんぶりをカウンターに乗せるまで、食事は続いているのだ。
「まだ……ごちそうさまは聞こえていない」
「もう……少し……」
有村大樹が向かってきている姿が静間千影の視界に写る。
早見歩の蹴りと有村大樹の拳。
すでに意識を失っても可笑しくないほどのダメージを抱えている。
が、傷ついた身体に鞭を撃ち、静間千影はそれを続けた。
果たして間に合うだろうか。
否。
間に合わせなければならない。
「絶対に生き返るんだ……絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に」
その瞳はガラスのように透明でありながら、酷く濁っていた。
***
有村大樹の目に浮かんで来たのは、そびえ立つガラスの塊であった。
かつて岩塊だったもの。
岩塊はその無骨さを脱ぎ捨て、眩いばかりに輝いていた。
(……!?)
一瞬の逡巡の後、有村大樹は恐るべき結論に達した。
(あれほどの巨大なガラスが必要な理由は唯一つ……)
「レンズか!」
太陽光線を集光し、膨大な熱エネルギーを射出する!
これが、静間千影の切り札であった!
***
「元々は岩の塊。そう都合良く出来てはいないか」
岩塊のガラス化に成功した静間千影は、荒い息を抑え、一人ごちた。
切り札として目をつけていたこの岩塊だったが、大きな欠点が有った。
「指向性が欠如してるって……欠陥品もいいとこだね」
そう、今のままでは、太陽光線を集光することは出来ても、そのエネルギーを射出することが出来ない。
「だから」
「私が……補ってあげなくちゃね」
頭部だけを残し、自身の身体をガラス化したまま、静間千影はガラスの塊の一部となった。
***
沸騰(イグニ)――茹麺(ハルト)、
茹麺(ハルト)
体内厨房の寸胴に、仮想麺を投げ込む。
茹麺(ハルト)
さらに投げ込む。
茹麺(ハルト)
さらに。
茹麺(ハルト)――茹麺(ハルト)――茹麺(ハルト)――茹麺(ハルト)!
寸胴には溢れんばかりの仮想麺が投げ入れられている。
(へへっ、ミル彦が居たら何て言うかな)
(これは『オリジナルラーメン』じゃないぜ……ただ麺を多く入れてるだけだ。ギルティにする気も無い)
(だから……許してくれよな。ミル彦!)
定義(ベースド)、深化(オプト)――展開(リリース)――――――。
その手には、今までよりも遥かに大きな――遥かに透き通った――黄金色の剣が握られていた。
***
有村大樹の起動詠唱の終了
それと時を同じくして――
その熱は全てを飲み込み――
その光は全てを包み込み――
水面は蒸発し、鉄臭い嫌な匂いに満ち――
――ガラス塊から熱線が放たれた。
襲い掛かる熱の龍
有村大樹は瞳を閉じた。
刹那。
その瞳は見開かれ、その身体は染み付いた型を取っていた。
『湯きり』である!
――目線の近くまで己の右手を持ち上げ
――丹田に力を込め
――呼吸により身体の隅々にまで血液を巡らせる
――その手が振り払うは、魔と水分
――後は
――全力で振り下ろす!
切っ先から放たれる光の激流が、熱の龍とま正面からぶつかり合う。
暴風と暴風。
ぶつかり合う二つのエネルギー。
瞬間、世界から音が――――
――――――ガッツリッ!
光の激流は、熱の龍をも呑み込み、荒れ狂う様相で駆け抜けていった。
綺麗に割られた割り箸のように、海が割れる。
一泊遅れ、ズゾゾゾゾと豪快なすすり音が辺りを蹂躙していく。
塩ラーメンに申し訳無さそうに乗せられたバターのように、かつて岩塊だったモノたちは、
光の中に溶けていった。
<補足>
古来より、湯きりとは退魔の技法であると伝承されてきた。
『唯切り』『結切り』と、語源となった言葉には諸説あるが、その意味は以下のようにほぼ等しい。
「唯一つの是を以って魔を断ち切る」
「是を以って魔との結びを切る」
よって、退魔師であった陰陽師こそが、ラーメン野郎のルーツであると囁かれている。
***
ガシャン、と、ドンブリの割れる音がする。
体内厨房を酷使した反動だろうか。
有村大樹の口元からは薄っすらと血が滴っている。
(だが……手にした勝利は大きい……)
有村大樹は勝利の余韻に浸り、独立への夢に一歩近づいた。そう思った瞬間。
水面から飛び出してきた早見歩の姿があった。
「棚ボタみたいで悪いッスけど……あたしも負けられないんス!」
そのまま抱きつかれ、二人は血の海に誘われていった。
「不覚……。 この油断は俺のミスだ!」
赤黒い血の海の中で有村大樹は一人ごちた。
瞬間。
沸騰(イグニ)――茹麺(ハルト)、定義(ベースド) 、深化(オプト)――展開(リリース)――――――。
体内厨房に火をともす。
(どこから来る?)
早見歩は水中でも自在に動ける。
片足を失ったとは言え、その能力は健在と考えるべきだと有村大樹は判断した。
故に、水上に上がろうとすれば、そこを狙い撃たれる恐れがある。
そのため、有村大樹は早見歩を迎え撃つ姿勢をとった。
(どこだ?)
水の流れを感じる。
早見歩が高速で移動しているのがわかる。
(どこから来る?)
周囲を旋回し、隙をうかがっているのか。
ならば我慢比べだ。
(どこから?)
早見歩は、まだ攻撃を仕掛けてこない。
水の流れを勢いを増している。
間違いなく水中には居るはずだ。
水の流れは、より勢いを増している。
身体を支えることする困難になってきた。
(まさか……? しまっ!)
水の流れは激しさを増していく!
有村大樹はその流れに逆らえずに飲み込まれていく。
有村大樹の悪手、それは早見歩を迎え撃とうとしたことである。
早見歩は、水中を高速で旋回し続け、渦を作った。
早見歩の狙いは、有村大樹を引き寄せることにあったのだ。
渦の中心、そこには早見歩の姿が。
「うりゃーっ!」
打ち上げるような腹部への蹴り。
有村大樹は、くの字の体制のまま、勢いをつけ水中から放りだされた。。
***
空中に放り出された有村大樹を、早見歩が追いかける。
『クレイジートレイン』による空中歩行により、空気を蹴りつけ、有村大樹の懐へ。
そのまま両手を有村大樹の腹部へ押し当て。
空気を蹴る。
蹴りつける。
蹴り続ける。
見よう見まねの浸透剄と言ったところだろうか。
拳法の知識の無い早見歩であるが、その脚力にて放たれる剄は、有村大樹に十分すぎるほどのダメージを与え続けていた。
くの字のまま上昇し続ける有村大樹と、追いかけ続ける早見歩。
(もう少しッスか……?)
早見歩は、文字通り手ごたえを感じている。
「グゥッ……」
漏れた嗚咽が、有村大樹の苦しさを物語っていた。
「ウオォォー!独立!絶対独立!」
その手には黄金色の光が握られていた。
『切断』による瞬速移動。
それを振るおうとした瞬間、有村大樹は気づいた。
高速で突き上げられる衝撃に、その身体はくの字を描き、空気抵抗によりその腕は曲がることを許されない!
腕を曲げることが出来なければ、振るうことも出来ないのだ、と。
「だが……それでは俺の意識は刈り取れん!」
『増殖』により、傷ついた内臓、肋骨を再生する有村大樹。
それでも早見歩は剄を撃ちつづける。
「このまま我慢比べでもいいんスけど……多分もうそろそろだと思うんスよねー」
(どういう意味だ……?)
有村大樹が思考を始めたその瞬間。
「ケイコク! ケイコク! 戦闘領域から離れようとしています! 10秒以内に戦闘領域内に戻らないと失格となります! 10、9、8、……」
割れんばかりの声が、二人の頭の中に直接響いてきた。
「何だこれは!?」
驚愕を隠し切れない有村大樹に、にんまりと笑顔を向けながら早見歩は告げた。
「リングアウト負けの警告っスね。ようやく来たッスか」
早見歩は剄の手を休めず、説明を続ける。
「無間地獄の説明、覚えてるッスか?上下左右無限に広がる地獄ってやつなんスけど」
「何で無間地獄だけ、戦闘領域をわざわざ上下左右無限って言ってるんスかね」
「他の地獄は、左右は区切られてるけど、上下は無限? それも変な話だと思うんスよ」
「だから」
「血の池地獄の戦闘領域は、上下左右に半径1kmほど。で、今は上空1km付近ってことっス」
上昇し続ける二人。
有村大樹は、押し黙っている。
「警告音が鳴ったってことは、どうやら正解みたいッスね」
そう言うと、早見歩は有村大樹の腹部に押し当てていた腕を収め、くるんと回転した。
腕の代わりに、早見歩の右足が有村大樹の腹部に押し当てられる。
「見事だ……」
有村大樹のその言葉に、えへへ、と照れくさそうに笑う早見歩。
最後に、もう一度有村大樹ににんまり笑顔を向け
「うりゃーっ!」
有村大樹を思い切り蹴り上げる。
その反動を利用し、自身は地面へ向け急降下していく。
降下中、頭の中に響く警報が鳴りやみ、代わりに別のメッセージが聞こえてきた。
「第一回戦 血の池地獄。静間千影、死亡。有村大樹、リングアウト。勝者! 早見歩!」
最終更新:2012年06月19日 10:46