第一回戦血の池地獄 ラーメン野郎・有村大樹


名前 性別 魔人能力
静間千景 女性 グラスコフィン
早見歩 女性 クレイジートレイン
ラーメン野郎・有村大樹 男性 白虎落とし

採用する幕間SS


本文


 少女、静間千景は空を見ていた。
 血の池の赤を映す、血の池地獄の夜空である。

(なにか――)
 あるいはそれは、彼女の『悪意』もつ感覚器官が成し得た、第六感のようなものであったかもしれない。
(近づいてる……なにが?)
 わからない。が、少しずつ、確実に、だ。
 故に彼女は迅速に準備を進めねばならなかった。

 準備。
 彼女は血の池に立っていた。 足元には波紋の一つもない。
 そして、その周囲の血の水面は、ごっそりと――巨大なクレーター状にえぐれていた。
 その窪地の中央にたたずむ千景の様は、まるで警戒心など欠片もなく、
 濁った赤黒の空をただ観察しているだけの少女に見える。

 しかし、その内心は、ちりちりと触覚を灼くような、不快な予感を感じていた。
(――なに? これは――)

 やがて、その問いに応えたように、赤黒い空の彼方に小さな影が見えた。
 はっきりと、その影は近づいてくる。速い。
 それは紛れもなく少女。
 千景はその相手の名を知っていた。早見歩。
 この『蘇生を勝ち取る』戦いで、緒戦の相手に指定された少女である。

「やめて」
 静間千景はつぶやいた。
 彼方から、うめき声のような声が響いてくる。
 いや、それは亡者のあげる、不明瞭な怨嗟などではない。

「ぅぅ――――」
 その声は紛れもなく『叫び』であった。
 それも、悲しみや痛みを告げるものではなく、戦いへの決意を告げるもの。

「……やめて」
 千景のつぶやきは、その叫びにかき消される。

「ぅぅあ、ああああああああああーーーーーーーッ!」
 もはや、千景からもその少女、早見の表情が判別可能なほど近かった。
 笑っている。それも、おそらくは歓喜で。
 千景の表情がさらに憂鬱げに曇った。

「あああああああぁぁぁーーーーーーーーーっ!」
 早見歩は、絶叫をあげながら空を駆けていた。
 ありとあらゆるモノを『蹴る』。それが彼女のクレイジートレイン、彼女の能力。
 知っている。

 そして、あろうことか、彼女は空を駆けながら大きく跳んだ。
 上方向へ。まったく無意味な跳躍。自分の感情を発散するためだけの動作。
 千景は軽い目まいさえ覚えた。

 とどめには、早見は跳躍しながら宣言した。
「ひさしぶり――――走るの――――!!!
 で、絶・好・調ーーーーーッあたし!!!」 
 肺の中の空気をすべて吐き出すような叫びであった。

「最悪」

 千景は陰鬱につぶやいた。
「やめて。本当にやめて。そういうの」
 周囲を飛びまわる早見を、視界の端で追う。呆れる。本当に。

「――ええ?」
 はるか右上の空中を蹴って、早見は叫び返した。
「なんすか? よく聞こえないス!」
「……やめて!って言ったの!」

 思わず、大きな声で答えてしまった。そんな必要はないというのに。
 空中の一点に据えられた千景の目が、暗く濁った。
 早見は、真正直に、空中を蹴って接近してくる――千景の正面に回り込む。
 まさか正面から。千景はいっそう不愉快な気分を加速させた。

「そういうの……騒がしいの……嫌いなの」
 千景の右手が、かすかに動いた。
 空中がゆがんだ。

「私が」
 そうであることができなかったから。とまでは、教えてやる必要はない。
 空中が光をたたえて、決定的に歪む。
 その歪みは、正面から向かう早見を阻んだ。

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 ――グラスコフィン。
 その名称とは裏腹に、この能力には多大な自由性と創造性があると、静間千景は認識する。
 触れた物体をガラスに変える。

 そう、それだけが定義だ。
 ガラスに限定するならば、その性質、強度は自在であり、
 何をもって『ガラス』と定義し、何をもって『物体』と定義するかは、
 静間千景の認識力と想像力に依存する――。

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「――うぉわぶっ!?」
 早見歩の中途半端な悲鳴が、空中に聞こえた。
 空間に亀裂が走る。透明な光。

「馬鹿みたい……」
 静馬千景の声に、嘲笑う響きはない。心の底からそう考えている。
 早見の突進を阻んだのは、突如として空中に出現した――かに見えた、ガラスの障壁である。
 いった厚さは何十センチほどあるだろうか?

 ――材料は、血液――そして空気である。
 静間千景が立つ、血の海のクレーターであり、周囲に満ちる地獄の大気がそれだ。
 千景の能力は流体にも作用する。

 また、静間千景が生成するのは、固体のガラスにとどまらない。
 部分的に流体のガラスを生成し、さらに能力の局所的解除を精密に制御すれば、
 ほとんど自由自在に構造体を変化させ、生き物のような動きをさせることが可能だ。

 これによって形成したガラスの砦を、静間千景は『カリギュラ』と呼んでいた。
 自在に構造を変形し、迎撃を行う要塞。

「このまま」
 千景は能力の精密制御に意識を集める。
 不可視の巨人が腕を振り上げるように、早見歩の頭上がきらめいた。
 ガラスの構造を部分的に能力解除。分厚い刃状に成型したガラスを落とそうとする。
「――消えて」
「ま、」
 早見歩は、しかし、空中でガラスの分厚い壁に激突し、鼻血を流しながら、大きく体をひねった。

「まだまだまだまだぁぁぁーーーーーだらしゃぁぁああああ!」
 奇声のような雄叫びとともに、早見の蹴りがガラスの壁に打ち込まれた。

 千景は戦慄した、というより呆れた。
 早見がぶつかり、蹴りを入れたガラスの壁は実に5メートルの厚さを持つ部分だ。
 それも、間に流体のガラスを入れて衝撃を緩和するようにしてある。
 だが、この脚力は――いや、この能力、クレイジートレインは―― 

「正、面、突破―――ッス!」
 一瞬の後、ガラスの隔壁は粉々に砕け散り、早見の体はその反動で後方へ跳んだ。
 砕かれたガラスは、さらに手前のガラス隔壁にぶつかり、甲高い音を響かせた。

 千景は唇を噛んだ。
 砕かれたのはもっとも分厚い隔壁部分の一つだが、
 そうした防御はまだ彼女の『カリギュラ』内部には無数といってもいいくらい存在する。

 問題なのは、彼女の『どんな物質でも高速で蹴りだす』能力。 
 千景と同じく、魔人能力というものはその定義通りの現象を引き起こす。

 たとえ何百メートルの厚みがあるガラス塊だろうが、
 彼女が蹴れば、砲弾のように吹き飛んでいくだろう。
 そこに曖昧な解釈などない。
『蹴りだす』という能力なら、どんな物体でも『蹴りだされる』。
 魔人能力の定義の通りの現象が発揮されるのみ――よって、

(ガラスの壁に頼った戦術は無意味)
 千景はすぐに判断を下す。しかし、遠距離攻撃はそれほど怖くない。

 物体を蹴りだす能力は、あくまで『あらゆる場所を走る』能力の反作用にすぎない。
 彼女が物体を蹴る時、かならず自分自身も蹴った方向とは逆へ跳ばねばならない。
 血液だか空気だかを蹴り出したとしても、連射は不可能だ。
 故に、彼女のとる戦い方とは。

「――もう一度!」
 自らの能力で遠くに跳んだ、早見が何か叫んだ。
「行く――――ッス!」
 馬鹿正直に、血の水面を蹴り、跳ね散らしてむかってくる。
 速い。

 少なからず、静間千景は驚いた。
 まさか真正面。何を考えているのか?
 ――気に入らない。
 静間千景は、理由のわからない不可解な行動を最も憎む。


 おそるべきことに、実際のところ、早見歩の頭の中には戦略らしい戦略はなかった。
(加速――)
 彼女が強くイメージするのは『走ること』、それのみだ。
(もっと速く)
 最速で突っ込み、最大の蹴りを撃ち込む。
(もっと速く)
 それはおよそ戦闘からかけ離れた、アスリートのような思考であったが、
 それこそがまさに静間千景のグラスコフィンの弱点をついていた。

 つまり、静間千景自身が反応できない速度での、強力な一撃の連打。


 それでも静間千景は、向かってくる彼女を前に、
 薄く微笑んだように見えただろう。
(来い)
 そう思った。向かってくれば、必ず。
 見る間に両者の距離が詰まり、再び『カリギュラ』の要塞の壁と、千景が急接近する。

 千景は目算する。
 『カリギュラ』には隔壁の外側にまで伸びる『天蓋』が存在する。
 これも分厚いガラス塊によって構成されるもので、能力を部分解除することで落下させ、
 隔壁に近づいた者を迎撃するための『武器』だ。

(蹴った瞬間は無防備)
 よって、そこに落とす。落として殺す。
 その瞬間。 
 ごぼっ、と両者のちょうど中間地点の血の池が泡立った。

「うぉぉっ、てっ!?」
「―――――!」
 早見歩は急ブレーキをかけて、ほとんど直角に、横方向へ跳んだ。

 おそるべき反応速度だ。と、静間千景は感嘆する。
 もしも間に合わなかったら、彼女の身になにが起きていたのか。
 それはわからない。
 わからないということが、千景の神経をじりじりと不快に焦がした。

 そいつには、それほどの得体の知れぬ何かを感じた。

「――ィィィ――」
 血の海から、ひとりの影が浮かび上がっていた。
 血まみれとなったその男は血の池の水面に直立している。
 頭部に巻いた布はすでに真紅に染まっており、黒いシャツに描かれている文字も判然としない。

 それでも、その咆哮を聞いたとき、早見も千景も一瞬で理解した。

『……ィィァラッスァァァッセェェェェェイイイィィィィッ!』
 血まみれの男は、天を仰いで雄叫びをあげていた。
 思わず耳を抑えてしまうほどの咆哮。
 こいつは間違いない。

 ―――――ラーメン屋、なのだ――と。

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 ――闇よりも深いどこかで、『声』が響く。

『魔人と、ラーメン屋との関係は、天使と奇術師のそれに似ている』
 声は落ち着いてはいるが、どこかこわばったような響きもあった。

『天使が奇跡を起こすとしたら、そこにはタネも仕掛けもない。
 ゼロを1にし、1をゼロに変える。そこに法則は必ずしも必要とされない。
 それが魔人』

『ラーメン屋は、ゼロからラーメンを作ることはできない。
 錬金術なら等価交換。科学ならば質量保存……』

『同じ奇蹟を起こしているように見えるが、タネも仕掛けもあるのだ、ラーメン屋には』

『もしもラーメン屋が魔人に勝つようなことがあれば』

『それは、人という種族が、神の奇蹟を凌駕したということに他ならない。
 ――そして、我々はそれを見過ごすことはできぬ』

『有村大樹には独立などさせん。
 確実に……この地獄で、魂ごと消滅してもらう』

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(なんスか、こいつ?)
 というのが、早見歩の有村大樹への第一印象であった。
 水面に顔を出したのはいいが、なぜかその顔にはすでに疲労の色が濃い。
 いまにも倒れそうなほど消耗しているではないか。

 そもそも、いったいどうやって血の池の水面に立っているのか?
(これもラーメン?)

 その姿は、早見歩に得体のしれない禍々しさを感じさせた。
 早見歩の動物じみた直感が告げていた。
 このラーメン野郎の、透き通ったコク旨塩スープのような、純粋な不吉さを。

 まるで死神そのものと相対しているような、
 死を与えるための一個の機械を前にしているかのような不吉さであった。
 それこそが、早見歩が急ブレーキをかけ、この男との衝突を回避した理由だった。

「『剣』は無理か……しかし、触媒が、これだけ豊富なら」
 有村大樹は、不機嫌そうな顔で、かすれた声をあげた。

「いまの俺でも作れる。スープの精髄が枯れかけている俺にも」
 有村の掌から、すくった血の液体がこぼれた。
 それらは、有村の足元で、硬い床にぶつかったように飛沫となって跳ねた。

 早見にはあずかり知らぬことだが、これもラーメン。
 界面張力の『増殖』によって、体重を支えているのである。
 材料は、自分の肉体、そして血の池というスープそのもの――。
 ラーメン屋は、材料さえ十分に確保できれば、魔人能力にも匹敵する奇蹟を起こす。

「さて」
 有村大樹は、無愛想につぶやいて、右手を背中側に伸ばした。
「開店する。――注文を聞こう」
 腕をまっすぐ、早見歩の方へと伸ばす。

 その手には、一丁のリボルバーが握られていた。

(―――、マジっすか?)
 早見は一瞬、息を呑んだ。

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 拳銃を使うラーメン屋、という存在は、ラーメン業界でも極めて異端だ。

 その理由は、近代的武装が、伝統を重んじるラーメン業界に忌避されていることだけではない。
 ラーメンの調理に拳銃はほとんど役にたたないし、
 弾丸を火薬で撃ち出すより、自前のラーメンで同様の現象を引き起こす方が効果的だからだ。

 使い手がいるとすれば、まだ未熟なラーメン野郎が調理の工程を短縮すべく、
 弾倉に極上旨みエキスを封入した鰹節や岩塩を仕込むケース。
 あるいは、戦闘用のラーメンを作らない者が護身用に持つケースがせいぜいだ。

 有村大樹はそのどちらにも当たらない。
 だが、彼がリボルバーという拳銃を接客に使う理由は――

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「Jiminie.」
 有村大樹がかすかにつぶやき、引き金を引いた。
 弾丸が射出される。それも二度――
 早見歩と、静間千景に向かって、それぞれ。

「うぉわ!」
 早見歩は、急加速をかけて弾丸自体を回避した。
 血の飛沫が、移動の軌跡をなぞってはねる。

「それって」
 千景は指の一本すら動かさない。
 弾丸は、空中に透明な亀裂を生んだだけで止まった。
 有村のリボルバーは奇怪なほどの大口径に見えたが、それでも分厚いガラスの隔壁は貫けない。

「なんのつもり?」
 完全に防いだというのに、静間千景は不愉快そうであった。

 理解できない、ということが無条件に腹立たしい。
 それは自分が死んだ理由がわからないという執念に由来するのかもしれない。
 理由の不透明な行動こそ、彼女にとって最も感情を刺激するものだ。

「ねえ」
 静間千景は、そこではじめて軽く腕を伸ばした。
 それに倣うように、空中に透明なきらめきが走る。
 ――すでに、有村大樹の出現位置は、『カリギュラ』の攻撃射程内であった。

 流体のガラスと、関節状に組み合わせたガラスの柱。繊維状のガラスの糸。
 それらの構造体が、まるで巨人が腕を振り下ろす一撃のような、
 複雑な動きをこの静的要塞に可能とさせる。
 能力をほんの少し、部分的に解除することで。

「なんのつもりって聞いたの! 私は!」
 巨大な腕が振り下ろされる。
 その下には有村大樹、だけではない。早見歩も狙える一撃だった。
 苛立ちながらも隙のない攻撃行動。

「いや。すでに」
 有村大樹の体が、ほんの少し重心をずらしたように見えた。
 それだけで横方向へ滑るように動く。
「仕込みは終わった」

 ――事実、滑っているのだ。
 有村大樹は、自身の足元にはたらく界面張力を『増殖』している。
 アメンボが水面を滑るのと同様に、有村大樹はこの血の水面での移動を可能としていた。
 空間切断による転移ができるほど体内厨房が修復できていない、
 苦し紛れのラーメンであったが、回避にはそれで十分であった。

 むろん、早見歩はより迅速に、空気を蹴って回避している。
 不可視の巨人の腕は血の池の水面を叩く。

「もう一杯」
 有村は回避しながら、千景と、早見に向けてそれぞれ、再びリボルバーを発砲。
 空気を震わせる轟音。

「だから、無駄なのに」
 警戒しながらも、静間千景は動かず受ける。空間に二つ目の透明な亀裂。
 いや、受けるしかない。
 弾丸の速度は速すぎ、能力を解除したとしても回避は困難であった。
「なんのつも――」
 静間千景の言葉は最後まで発声されることはなかった。

「luchio-ra.」
 こうして有村の詠唱は完了した。
 その瞬間、空間の亀裂の基点となっていた弾丸が、青白く――
 ホタルイカのように発光し、動き出していた。

「え」
 弾丸から変化した二匹のホタルイカは、イカ特有の触手を遣った動きで、
 ガラスの壁の中を――まるで水中のごとく、何の障壁もないかのように跳んだ。
 いや、わずかにガラスが歪み、その直線の軌跡を残す。



「自己存在情報をカット(切断)・アンド・ペースト(増殖)し、
 他の生命体の遺伝情報に交ぜ合わせる。
 それが俺の、いや、『ラーメン魂』の元祖塩魚介ラーメン……だった」

 有村大樹は、血の池を滑るように動く。

「こうして作成されたキメラの設計図を元に展開する、擬似生命」
 西洋では《使い魔》といい、東洋では《式神》と呼んだ。
 ラーメン屋にとって、擬似生命の創出は初歩であり、到達点の一つでもある。

「元祖ジミニー=リュキオラ」

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(詳細は、同大会参加者・法帖紅の能力を参照。)

【元祖ジミニー=リュキオラ】(ホタルイカ)
核となった精神→独立
モチーフ→ホタルイカ
■召喚持続時間:一分
■設定
「風属性の精霊」の模造品。独立心から生まれた空飛ぶホタルイカ。珍味を求めた迷走の果て。
非力で体は小さいが、空間を切断し、この隙間を貫通して跳ぶ。ほんのり光っている。
有村大樹が最初に調理したラーメン。
■能力名『死を語る佯りの風塵』
空間を切断しながら跳ぶことで、物理特性に左右されない貫通性を発揮する。
独立の志が生み出したため、ごく短時間だが自立行動も可能。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ホタルイカは音もなく、静間千景の『カリギュラ』の要塞を直進した。
 それも、弾丸そのままの速度であった。
 空間を『切断』しながら跳ぶホタルイカを前に、ガラスの隔壁は意味をなさない。

「まずは法帖 紅を地獄に沈める。
 そして、俺は現世に戻る。必ず。絶対」

 法帖 紅を始末し、門外西方に流出した、ジミニー=ルチオラを始めとしたラーメンの製法を取り戻す。
 そのとき、店長やミル彦は、独立を許可してくれるだろうか?
 やってみなければわからない。
 こんなことになってしまったが、有村大樹は独立の道を諦めてはいない。見失っていない!

「きみがどれだけ生に執着していたとして」
 有村大樹は、弾丸を発射した反動で、さらに血の水面をすべった。

 ラーメン屋がラーメンを生成する方法は二つ。
 ひとつは体内のスープから生成する、材料を自分の魂から抽出する方法。
 もうひとつは、材料を外部から確保する方法。
 このとき、体内厨房の破壊された有村大樹は、後者の手段しか取り得なかった。

「独立開業は、執念だけでは成し得ない。
 いいか、独立とは」
 大樹の眼は、すでに火のようになっている。

「味が1割、宣伝が2割。あとの7割は、立地条件――だ!
 情熱だけで独立できると思うなよ!」

 ガラスの隔壁を貫通したホタルイカは、狙いをあやまたず静間千景の胸、頭部に突き刺さった。
 ズゾッ!
 と、血肉が空間の間隙に吸い込まれる、麺をすすりこむような異音が響いた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(弾丸は――単なる触媒! 材料!)
 静間千景は、高速に思考を進めた。

(このホタルイカラーメン生成のための!)
 おそらく弾丸の中にはホタルイカの遺伝子が封入されていたのだろう。
 回避も到底間に合わなかった。
 そのために、『二発』撃ったのだ。
 魔人として強化された反射能力でも、二方向への対処は困難を極める。

(法帖 紅とかいう参加者が同じ能力を使うと聞いた――
 あの魔人能力をラーメンで再現した?
 それとも逆に、このラーメンを、彼女が魔人能力で再現している?)

 人の想像力が天使の奇蹟を形作ったのか、天使の奇蹟を人が真似たのか。
 どちらが先かはわからない。

(いやだ)
 呆気なさすぎる。
 まだ何もわかっていないのに。死んだ理由も、何もかも。
 『カリギュラ』の城塞が透明に歪んで、かすれていく。

(いやだ――)
 早見歩と、有村大樹が互いに接近していくのが見えた。

(絶対に、いやだ)
 千景は離れていく能力制御に、再び意識を集中させた。
 感覚が希釈され、一瞬が何倍かに拡張された。

(私が生き返れないのなら)
 その瞬間、静間千景の最後の攻撃が開始される。

(――誰も彼も死んでしまえ!!!)
 静間千景の意識が途絶える。
 それと同時に、早見と有村の頭上に、無数のガラスのシャワーが降り注いだ。
 それは『カリギュラ』の『天蓋』の欠片であった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 早見歩には、彼女にとっては不幸なことに、地獄の亡者として不似合いな常識と倫理があった。
 彼女なりの正義があったし、他者を思いやる気持ちがあった。
 ゆえに、静間千景よりも敏感に、この対戦相手の禍々しさに気づいた。

(この相手は)
 早見歩は有村大樹に関して考える。
 透き通った禍々しさ。死神そのもののような、あるいは疫病のような気配。

 こいつを現世に解き放つことが、とてつもない罪悪のように感じる。
 そのまま進んだ先にあるのが、破滅以上の断絶であるような、
 なにもかもを台無しにしてしまうような――

(――いま、ここで倒さないと!誰かが。誰が?)
 早見歩は即座に判断した。 回避ではなく攻撃を。 
(あたしが!)
 落下し、降り注いだガラスを、彼女は回避するのではなく蹴り飛ばした。

「――グラスの返却は」
 有村大樹は、それをかわすような動作をとらなかった。
 頭上から降り注ぐ『天蓋』の欠片さえ。

 正面と頭上から降り注いだガラスの切っ先は、彼の体に突き刺さり――
 しかし致命傷とはならなかった。

「丁寧に、やるものだ」

 頭上からのガラスは、血染めのタオルが衝撃と貫通力を緩和した。
 先代からの血と汗が染み込んだ、伝統のタオルである。
 破れたタオルは血の池にはらりと落ちた。

 そして早見が蹴り出したガラスは、体に突き刺さったものの、
 出血しただけでその体は揺らがない。

「だが、礼は言わないとな。
 体内厨房の修復には、外部からの外科治療も必要だった」
 有村は喋りながら咳き込み、血を吐いた。
 吐きながら、体に突き刺さったガラスのナイフを、無造作に動かした。

「魔人能力によるガラス。魂魄の外科手術には適している」
 体内厨房を塞き止めていた箇所を探り、慎重に――だが、素早く切除する。
 一箇所。二箇所。

「さらに臓器の『増殖』。致命傷は避けた。
 そして、いくぞ――」
 すでに仕込みは終わっている、と、有村は言った。
 早見は再び底のしれない凶気を感じた。

「Jiminie. luchio-ra.」

 血の水面を、燐光を発するホタルイカが跳ねた。弾丸の速度。

 すでに、有村大樹は二発の弾丸を早見に向かって撃っていた。
 それはかわされたが、血の海に落ちたジミニー=リュキオラの弾丸は、
 有村の高速調理で容易に起動する。
 生命の素である『海』と、遺伝子情報のプールである『血』、
 ジミニー=リュキオラを生み出すのに、これほど条件の整った舞台はあるまい。

 ――立地条件を完全に支配したラーメンであったといえる。

 ガラスを蹴り出した早見の体は、まさに後方へ跳ねかけた途中であり、
 通常の飛来物ならともかく――、
 弾速で放たれたラーメンをかわすことは、到底不可能となった。

「う、そ……!?」
 早見歩の頭部と脚部を、一瞬でホタルイカが貫き、破壊した。
 ズゾッ、と麺をすすりこむ異音が響き、空間ごと彼女の一部を飲み込む。
 そこまでだった。

 早見歩は、己の判断が正確無比であったことを知る余地もなく、敗退した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「――四発も遣っちまった」
 有村大樹は、血の海に自らの血を吐き捨て、リボルバーの弾倉を確かめた。
「あと二発」
 体内厨房も万全には程遠い。それでも進まねばならない。

「独立する。俺は、必ず」

 独立。それこそが、全ラーメン屋の目指す到達点。
 たとえそのことで世界がどうなろうとも、諦めるつもりはない。
 有村は、ガラスの破片で襤褸のようになった黒いティーシャツを、体に巻きつけた。
 そして咆哮をあげる。

「……ァァァリャァアアアトアアァッシタァァァァ――――ッ!」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『やつの素性を洗え』

 地獄の果ての、深い場所で『声』が告げた。

『ラーメン屋が魔人に勝つなど、あってはならぬ。
 ……やつの言う《独立》とは、何を意味しているのか?』

『これは危機だ』


(念のため:「ラー」→「魔」 「メン」→「法」と一括置換してください)



最終更新:2012年06月19日 10:47