天より伸びよさかしまの樹
それは、世界樹と呼ばれていた。
世界樹。
各地の創生神話において、世界を構成するとされる一本の樹。
たとえば北欧神話のユグドラシル。
たとえば中国山海経に記される建木。
たとえばハンガリー神話の天まで届く樹。
様々な文化圏において、「世界を支える、世界そのものである樹」の伝承は事欠かない。
だからだろうか。国も地域も文化も問わず、誰ともなしに、「それ」のことを、世界樹と呼ぶようになったのは。
――それは、樹だ。
全長30万km超。ひどく巨大な、従来の植物系統の枠で図ることもできない存在だが、間違いなく樹木だ。
――それは、樹だ。
たとえ根が遥か天に根差し、そこから地面へと伸びて、大地には枝葉が向いている、そんな逆転の異形であろうとも、間違いなく樹木だ。
――それは、樹だ。
その枝の一本の先端に至るまで、人一人が通ることのできる空洞が存在する、人為的な迷宮を為した建造物であろうとも、間違いなく樹木なのだ。
いつからか存在していた、忽然と天から生えて地面へと伸びる、世界樹。
記録によれば、多くの研究機関、あるいは軍事機関が調査のため中を訪れ、そして、その正体について確たる成果も得られずに樹の中から放逐されたとされる。
だが、それにより、この巨大構造物に関する幾つかのルールは判明した。
大地に突き立てられた枝には一本に一つずつ扉があり、世界樹へ入ることのできる人間は、扉一つにつき、一人ずつ。
中に入った人間には、人ならざる『案内人』が同行する。
『案内人』は来訪者に告げる。
「ようこそ怒りの後継者、万能の叡智を秘めた水曜の瞳を欲するなら、汝、最優を示せ」
かくて今日も世界樹の枝へ、欲深き者が足を踏み入れる。
万能の叡智が眠るという、天上高き世界樹の根へ至る、唯一人となるために。
己の紡ぐ物語こそが最優であると、世界に訴えかけるために。
◆ ◆ ◆
さて、ある日、謎の迷宮に閉じ込められ、怪しいぬいぐるみ型案内端末に、「ようこそ、あなたはこのダンジョンに選ばれました。最奥に辿り着いたら、全知全能の力が手に入ります。なお、候補者はほかにもいますが、全知全能の力は一人しか受け取れません」とか言われたら、どんな反応をするのが一般的だろうか。
『OK、テレビカメラはどこに仕込まれてる?』
うん、いい反応だ。オレでもそう言う。というか、実際そう言ったな。
『ふざけるな! 早くここから出せ!』
悪くない。人は混乱したとき、感情が爆発するもんだ。ただ、カトゥーンだったら真っ先に見せしめ爆殺されちまうパターンだけどな。
『デスゲーム展開きた! オリジナリティなさすぎwwwwwwww』
おうおう、いい度胸じゃないですかそっち系強い業界の人ですかそうですか。でも、そういう舐めプな態度で世の中うまくいくことはそんなにないのよ?
『……え?』
言葉を失う。これもよくある普通のリアクションだな。
まあ、結論から言えば、今まさにオレが取らざるを得なかった反応がこれだった。
ただし。普通でないところがあるとすれば。
絶句したオレの方が、このクソダンジョンのデスゲームの案内人で、ゲームに巻き込まれた側であるはずの小娘が、まったく動じた所もなく、次々と物理で罠を踏みつぶしていっている、というところだ。
「懐かしいなあ! 州警のシミュレーションでこんなのあった!」
女は、手にした警棒で床から射出された刃を受け、その勢いのまま空中に身を翻した。
格子状のワイヤーの隙間を宙で身を捩じって潜り抜け、一回転して着地する。
オレだったら三度は死んでいること間違いない魔術師の工房を、女は汗一つかかずに潜り抜けた。
「10点! 10点! 10点! カチュア=マノー選手、満点です!」
勝手に実況をつける余裕すらある。
え、何それ、明らかにこわいんですが……。
少なくともオレが把握している限りにおいて、この世界樹の外の世界は、こんなデストラップが建物に搭載されているのが常識な修羅の国なんかではなく、生きるの死ぬのといった血なまぐさい世界観は、少なくとも社会の表側では一般的ではないはずの平和な世の中であるはずだ。
つまり、そんな社会の真っ当な構成員であれば、まず、命の危機という事態に脳がフリーズし、何らかの決意や覚悟の上でようやく踏み出すことのできるような試練が、このトラップハウスであったはずなのだが……。
「……あ、で、ええと、なんでしたっけ。キミ」
女は胸ポケットからオレ――今のオレは、ゆるキャラめいた狼男のぬいぐるみの姿だ――を取り出した。
狭い隙間から解放されたオレは改めて、しげしげと、自分が担当することになった候補者を観察する。
年の頃は二十歳過ぎというところか。
背は小さいが、手足を見るに華奢ではない。というか、先ほどの動きからわかる。その体つきは分類するならば、アスリートや武道家の類だ。
着ているのは、警察の制服。オレはそっちの業界に詳しくはないが、年齢からすれば大した階級ではないだろう。
髪は栗毛を短く刈り込み、化粧っ気はあまり濃くない。
大きな目で、もし私服なら幾つか幼く見えるのかもしれない。
「二分三十秒前に名乗ったぞ……。ったく。オレはウォー……」
「ああ、そうだ! ウォーたんでした!」
「最後まで言わせろよ! 聞いたのおまえだろ!!」
「で、ウォーたん」
「聞きゃあしねえ!!」
理解した! オレは! こいつが! 嫌いだ!!
人類の叡智である言葉による意思伝達を大事にしない奴はド許せぬ!
だが、こいつのことをどう思おうが、オレがこいつの案内役になったことは覆せない。
「くそ。いいか、よく聞け婦警」
「府警?! いやー、そう見えちゃいます? 照れるなー。でも、いかにワタシができる女オーラを漂わせてても、中央府警所属じゃないんですよねー。いや、でも将来のって意味じゃ間違いじゃないかもですけどね! へへへへ」
話が! かけらも! 通じない!!
……まさかオレがうっかり内職してるン年のうちに、世の中の言語がバベルったのか? おかしいのはオレの方か?
「聞けやマッポ!!」
「そうですねえ、そろそろマッポー二巡目だもんねえ」
もうやだこいつ……。
脇道に逸れまくる話題を軌道修正しつつ聞いた話によると、こいつの名前はカチュア=マノ―。州警所属の公務員らしい。
こいつを治安維持機関の一員に採用した試験官の正気を疑うねね、オレは。
で、驚くことに、このポンコツ女マッポが「世界樹」に足を踏み入れたのは、「全知全能の力が手に入る」という噂話に惹かれたから……ではなく、単に職務の一環、州警の指名手配犯がこの世界樹の中に逃走したのを追って、ということらしい。
「つまり、おまえさんは、ここがどういうところかも知らずに、なんとなく、指名手配犯を追っていて迷い込んできた、と」
「あい」
「……別に全知全能の力が欲しいとか、そういうことは」
「ないですー。というか、ぜんちぜんのーのちから? ぷぷっ。そんなのあるわけないじゃないですか。ラノベの設定ですか。今ワタシがほしいのは、そんなものよりほかほかの卵うどんですー」
……あああああ、どうせいと!
「あのなあ。世界樹に入った以上、最奥で力を手に入れるか、途中で野垂れ死ぬかの二択なんだよ」
「なるほど。本当にデスゲームっぽいですねえ」
「デスゲームなんだよ!」
「んじゃあ、犯人が死なないうちに急いで逮捕しないとでありますね!」
「なんでそうなる!」
叫び終わる前にまたオレは、ポンコツ婦警の胸ポケにねじ込まれた。
「よっしウォーたん、次行きますよ次ッ!」
――こいつが、候補者? 特異点?
信じられない。
前回の「剪定/選定」の候補者8人も曲者揃いだったが、一応全員に「全知全能」を求める理由があった。
なのに、こいつには、それがない。
システムのバグで、適性のない人間の侵入を許した?
それもないはずだ。オレが再覚醒させられ、派遣されたということは、正規の手順でこいつが「剪定/選定」の候補者になったことは間違いない……はずなのだが。
ともあれ、「魔術師の工房」を潜り抜けたなら、次は――
ポンコツ婦警が部屋の奥の扉を蹴破る。
それを出迎えたのは、
「わお、ブッダ……」
25mプールほどの大きさの部屋と、その奥で鎮座する八面六臂の異形な彫像だった。
部屋の床、壁面の素材は木製のはずだが、奇妙な光沢を放っている。言い換えれば、これまでと同じ。この世界樹の素材は、オレが候補者だった頃からずっと不明だった。おそらくは、これからも永遠にそうだろう。
そして小娘。八面六臂の仏像は世の中には存在しないぞ。
どうせ言っても聞かないから口にしちゃやらないがな!
これが、二つ目の試練、女教皇の教導。
前回の選定で、一人目の犠牲者を出した難関だ。
「ええと、ウォーたん、これも、試練ってやつなんだよね」
「ネタバレはできないがな。そういうルールでね」
おそらくは、このポンコツ女はここで死ぬ。
身体能力に長けた候補者は前回、何人もいた。無傷で魔術師の工房を突破したやつだって、一人や二人じゃあなかった。
そして、その、身体能力だけを頼みにしたものこそをこの試練は狙い撃つ。
ポンコツ婦警はぐるりと部屋を見渡した。
「――彫像の手には、本と、チャクラムかな? 三日月型と円形が一つずつ、黒白の縞々な棒、のこり二つの手は無手、手のひらには……穴が空いてる。彫像の奥に、入ってきたのと同じタイプの扉。壁には、だいたい5mおきに柱が立ってる。柱は黒と白が順番に塗り分けられてる」
オレを一瞥しつつ、わざわざ、確かめるように口にする。
なるほど、ただのポンコツというだけではないらしい。
あからさまな確認は、状況把握のため自分に言い聞かせるのと同時に、案内役であるオレの反応から、何かヒントを探ろうとしてのものだろう。
この体には表情から情報を洩らせるような高度な機能は許されちゃあいないんだがね。
「入口に立っている時点では、部屋にも彫像にも動きはなし。つまり――」
そう言って、ポンコツ婦警は帽子を脱ぐと、フリスビーめいて前へ放り投げた。
瞬間、彫像が動く。
六本の腕のうち、空いた右手が掲げられ、帽子へと向けられ――
一秒、二秒、
帽子が床へ落ちると同時、
ジッ
手のひらから一筋の黒の光線が放たれ、床に着弾。
どぉぉぉぉぉぉん!
派手な爆発を起こし、「帽子の周囲だけを」爆散させた。
床に転がった帽子は無傷。
「……二秒猶予を用意して、向けられた手にびびって逃げ回ったら即死。安全地帯は、動かないこと、ですか。いい趣味してますねえ」
御明察。だが、それでは、この部屋の理解は「半分」だ。
ポンコツ婦警は動じることなく帽子が落ちた場所まで歩く。
彫像が動く。右の手が掲げられ、一秒、二秒。
光線、射出。爆発。
だが、その爆風は、ポンコツ婦警とオレの周囲のみを薙ぎ払うに留まる。
「お見事」
「えへへー」
思わず出た言葉だが、紛れもない本音だった。
オレが眠っている間に、外の警察のレベルが上がったのか、こいつが特殊なのかはわからないが、このポンコツ娘は、妙なところで頭が切れる。
「落ち着いてるな」
「よく、先輩たちから、空気が読めてないって言われるんですよー」
まあ、そうだろうな。
だが、それが今はいい方向に働いている。
さて、この部屋の本番はここからだ。
「それじゃあ、――行きますねえ」
ポンコツ婦警は、気楽に口にすると、
―― 一直線に、駆けだした。
???
いや、ちょっと待て。
なんでそういう結論になる?
彫像と女の距離は20m。
一流のアスリートでも、3秒前後は駆け抜けるのに必要だ。
対して、特定地点通過から光線の射出までは2秒。どうしたって間に合わない計算だ。
入口から10m地点を通過。
彫像の左手がポンコツ婦警に向けられる。
入口から15m地点を通過。
彫像の右手の射出口がポンコツ婦警に突き付けられる。
この部屋の試練は「法則性の理解」。
部屋の中を5m前進するごとに、あの八面六臂像からは「侵入者を掠めるように射出される黒の光線」と、「侵入者を狙うように射出される白の光線」が交互に発射される。
そのルールを看破し、ゆっくりと進むこと。それが唯一の攻略法だ。
光線を防ぐことはできない。どんな防具でも、頑強な肉体でも、即死は免れない。
どんな新素材の防具でも不可能だ。
この「世界樹」内のトラップは、外の世界の科学技術の数世紀は先を行く。
いや、「外の世界が、ここの技術から数世紀遅れている」というのが正しいのかもしれないが。どっちにしろ結果は同じ。
だから、一息に、10m以上を進んだ時点で、このポンコツ婦警の死は確定だ。
黒の光線が逃げ道をふさぎ、白の光線がポンコツ婦警ごとオレを爆発させるだろう。
そんな、確定したデッドエンドを。
「てや」
部屋に充満した白い煙が、塗りつぶした。
見えない。何が起きている? わからない。何が起きた?
見えない。何が起きていない? わからない。
なぜ、二秒過ぎたのに、オレたちは爆死していない?
目の前を、何かが通り過ぎる感触。風圧。
間違いない。こいつの胸元を裂くように、何かが振るわれ、ポンコツ婦警はそれを紙一重で避けたのだ。この視界の利かない空間で。
胸ポケットにいるオレにもわかる、地面を強く踏みしめる衝撃。
そして「何か」に全身を叩きつける揺れ。
体当たり? あの六本の腕を掻い潜って? 正気か?
目隠しも同然のこの状況で?
それができるとすれば、もはや人の五感でなく、目に頼らない蝙蝠や蛇の知覚に近い。
上下左右、でたらめな方向、冗談のような勢いで、ポンコツ婦警の体が揺れる。
どういう理由、どんな反応速度かはわからないが、一撃必殺のあの殺人彫像の六本の腕を、さけ、受け、いなし、流し、止め続けているのだ。
そして、
世界が、ぐるりと回転した。
オレをポケットに入れたまま、婦警が空中で逆上がりめいて回転したのだ、と理解するまでに、数秒の時間が必要だった。
逆上がり。
だとすれば、鉄棒の代わりに、奴が回転の軸としたのは――
ぎちり、と、耳障りな音がして、どす、と重量感のある振動が床を震わせた。
折ったのだ。
全身の体重をかけて回転することで本来の可動域を越えた運動を彫像の腕に強要し、あろうことかこいつは、あの殺人メカの腕部、殺人光線の射出部位を捩じ切ったのである。
なおも、ポンコツ婦警のジェットコースターめいた動きは止まらない。
もしもオレに、昔と同じように胃と口があったとすれば、とうに食べたものを吐き出していたことだろう。
ぼきり。どが。べきり。ごす。
白の視界の中、鈍い破壊音だけが響く。
あの彫像が、破壊されている。
本当に? 視界が利かない中、オレはまだそのことを信じられなかった。
壊される?
前回の剪定/選定で、読心能力を備えたプロボクサーを爆殺した、あの人形が?
オレたち残る7人の候補者に、このダンジョンのクソっぷりを刻みつけた恐怖の象徴が?
素手で? 人間にそんなことが可能なのか?
掠めただけで人間を爆死させる白黒の光線を六本の手からそれぞれ放つ殺人兵器を?
銃弾に耐え、直接打撃系のPSYですら破壊できなかった、あれを?
あんな小娘が捩じ切っているというのか?
白の煙が薄れていく。
目の前の、彫像のシルエットが、輪郭が、鮮明になっていく。
六本の腕が、全てもがれ、折られ、地面に転がった――その姿が、オレの眼前に現れる。
「おい」
「どしたのですか、ウォーたん」
どうしたもこうしたもない。
オレには、候補者を導く案内人として、何が起きたかを知る必要があった。
いや、そんな役目抜きで、何が起きたのかを知りたかった。
「おまえ、何した?」
「? だって、あの光線、床に仕込んだ爆薬を光センサーで起爆するためのものでしょう? だったら、人体に当たっても無害ですし、煙幕で無効化できるじゃないですか」
……いや、その理屈は、おかしい。
あの光線は、そんなモノじゃない。
外の世界の科学技術で似たようなことを起こすならばそういう理屈になるだろうが、あの彫像が放つのは正真正銘、触れたものを無差別に爆発させる謎の殺人レーザーだ。
もう、クリアしてしまった以上、構わないだろう。
オレは、この部屋のロジックを説明し、ポンコツ婦警に聞き直した。
おまえは、本当は、何をしたのか、と。
それに対して、こいつは、心底不思議そうに言った。
「ウォーたん。そんなSFみたいな技術、世の中に、あるわけないじゃないですか」
その瞳には、かけらも疑いがない。
自分の口にした言葉を、こいつは心底信じている。
まるで、それが、世界の真理であるかのように。
そこで、オレはようやく理解した。
この世界には、通常の物理法則を捻じ曲げる存在がいる。
超能力、魔法、魔人能力、PSY、ギフト、天与――呼び方は様々だが、共通するのは、「自分の確信によって世界の法則を上書きする」ということ。
前回の剪定では、8人中7人の候補者が、そういう異能者だった。
こいつもまた、「そういう存在」なのだ。
「おまえ、超能力って、信じるか?」
「ウォーたんもそういうこと聞きます? あるわけないじゃないですか、そんなの。全部トリックですよ。警察の中にもそういうの自称する人がいるし、それ前提で対策部署とかありますし、信じられないですよね、本当に」
おそらく、その性質は「超常の否定」。
そんな超常は存在するはずがない、と確信することで、そのロジックを自分の中で納得することで、超技術や異能の類を、ただのトリックへと堕落させるもの。
名付けるとすれば『常識強制』。
異能などあるはずのないという確信と誤認が生んだ、矛盾の異能である。
だとすれば、あの力押しで、この試練が突破できたことにも説明がつく。
そういえば、この部屋に入るとき、こいつは扉を「蹴破っていた」。
本来ならば、直前の試練を突破して、その承認がされなければ開かない、破壊などできないはずの扉を、だ。それも、この異能のせいだろう。
「……超能力とか、嫌いなのか?」
「嫌いっていうか。そもそも、そんなのないですし」
もちもちとオレの体をもみほぐしながら、ポンコツ婦警は答える。
その口調は、これまでのIQの低いやりとりとは違い、少し憂いを帯びたものだった。
「……もしも、そんなものがあったとして。本当に強く願うことで世界が変えられるんだとしたら」
込められた気持ちは、諦め、祈り、怒り、あるいは、復讐。
何に対しての? ――おそらくは、世界の法則に対しての。
「どうしようもない悲劇に会った人間は、その状況を変えられなかった人は、「願う気持ちが弱かった」ってことになるじゃないですか」
また、普段の軽い語調に戻ったポンコツ婦警に、オレは何にも言葉を返せなかった。
「じゃあ、さくさく行きましょう、さくさく! こんな物騒なトラップがたくさんじゃあ、早く指名手配犯さんを逮捕しないと、身柄確保できなくなっちゃいますもんね!」
二つ目の部屋の終着点、「女教皇の教導」の扉に躊躇うことなく手を伸ばすポンコツ婦警。
オレは、それを制して止めさせた。
黙って行かせてもいいが、これは案内人の仁義で、先達のお節介だ。
「ここまでは、「末端枝」。おまえだけを試す、言ってみれば、おまえが主役の道だ」
前回の案内人は、愉快犯の最低のクソ野郎だった。
黙って八人の候補者を先に行かせ、そして、一人の異常者によって起こされた惨劇を笑って眺めやがった。
オレは人でなしだが、やられて嫌だったことを人にやるような下種ではない。
「だが、この扉の先は違う。他の候補者と合流し、競い合わされる、比較淘汰の場だ」
「……どういうことですか?」
ポンコツ婦警は全く危機感を覚えた様子もなく、きょとんとした表情でオレの義体を摘まみ上げた。
頼むからむにむにと腹を揉みながら伸び縮みさせるのはやめていただきたい。
途切れそうになる緊張感を繋ぎ留めつつ、オレは言葉を続ける。
「扉を開けた瞬間、首を刎ねられるかもしれない。気のいい人間を相棒にしたと思ったら背後から刺されるかもしれない。いつお前の人生が打ち切りになってもおかしくない」
だから、ここから先は、改めて命を賭けろ、と。
そんな、我ながら唐突な脅し文句に、
「なるほど」
あろうことか、この婦警は、何が面白かったのか、にへら、と笑ってきやがった。
「いつも通りってことですねえ」
オレは遅ればせながら理解する。
樹が、この、緊張感も何もないような婦警を候補者とした理由。
それは、超常を否定する非凡な異能があるからだけではない。
この、異常な状況下における異常なほどの平常こそを、『根』は望んだのだ。
かくて、彼女は扉をくぐる。
次の瞬間には全てが終わっているかもしれない、そんな、樹系の道行の始まりを。
◆ ◆ ◆
世界樹を遡る、一人目の候補者。
警察官、カチュア=マノー。
国府州警第十四区所属。
制圧具術、歩走息、闘手技、活殺法等を総合した、州警流制圧術を高い水準で修める。
世の超常を否定し、彼女の理解する「通常の物理法則」の現象へと貶める異能『常識強制』を持つ。
目的は、候補者の一人である政治犯……州警の指名手配者を逮捕すること。
◆ ◆ ◆
この話は、四人の候補者の物語だ。
この節は、誤認の特異点の物語だ。
地の枝より入りて、天の根へと、さかしまの世界樹を遡行する道行。
愚者が世界へ至る、或る彼方への行程だ。
四人は争うかもしれない。
四人は手を取り合うかもしれない。
出会い次第奪い合い、次の階梯へ至るは一人。そんな樹もあるだろう。
運命の邂逅で絆を結び、全員で天へ至る。そんな樹もあるだろう。
この樹の存在を否定する、そんな選定もあるだろう。
この樹が何かを探る、そんな剪定もあるだろう。
選定せよ。その道を。
剪定せよ。その根を。
この世界樹は、新たに描かれる軌跡を、待っている。
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最終更新:2020年08月23日 01:12