ハンニバルの時代
四 第二次ポエニ戦争 ファビウス・マクシムス
ハンニバルに誤算があったとしても、ローマが滅亡の危機に瀕していたことに変わりはない.軍神の化身のような強敵を体内に抱え込んでしまったローマは、ここに至って完全な危機体制の樹立を決断した.独裁官の選出である.
傲慢王タルクィニウスをルキウス・ユニウス・ブルートゥスが追放し、それまでは王の諮問機関に過ぎなかった元老院が統治機関となって以来、ローマ人は権力の集中を異常なまでに嫌ってきた.したがって常時の最高職である執政官も定員は二名であり、互いの決定に拒否権を持つという仕組みで権力の分割が図られている.また、軍事面でこそ絶対的な指揮権を委ねられていた執政官であったが、内政面では元老院の強い意向を受けざるを得なかった.そうした政治体制のローマにあって、非常時にのみ指名される独裁官という臨時官職は、僅か六ヶ月の任期とはいえ国政の全権を一身に集める異例の存在なのである.
独裁官に任命されたのは、五十八歳の老将クィントゥス・ファビウス・マクシムス.ガリアで戦績を重ね、二度まで執政官を務め上げた堅実な武人であった.
独裁官となったファビウスは、ハンニバルの戦略を冷静に見抜き、かつそれに対する有効な対処法を考案する.戦っても勝てない相手とは、戦わないことにしたのである.
ファビウス・マクシムスは、イタリア半島を荒らし回るハンニバルの背後を、五万の軍勢を率いてぴったりと追跡した.会戦を挑まれても絶対に応じない.情けないようだが、ハンニバルにしてみればこれほど嫌な敵はいなかった.敵地で孤立状態にあるハンニバルは、ローマ軍に戦ってもらえなければ、そこに存在する意味すら失うのである.
ファビウスはさらに、ハンニバル軍の予想進軍路上を焦土化する.本拠地ヒスパニアから遠く離れたハンニバル軍は補給も増援も受けられない状態にあり、兵糧は現地での略奪のみに頼っていた.ファビウスはこれに着目し、ハンニバル軍が略奪によって回復できないよう、その行く手を焼け野原にしておいたのであった.
だが、ハンニバルの戦略に欠陥があったように、ファビウスの戦略も大きな問題を抱えていた.持久戦法は確かに有効ではあったが、支持を得られなかったのだ.
ファビウスが焦土化したのはイタリア半島内の土地である.いくら敵の略奪を許さないためとは言え、焼き払われた地の人々が強い不満を持つのは当然であった.また、それを実行する兵士たちも憤懣やるかたない思いであっただろう.無念は、不満となった.
ファビウスは「コンクタトル」という綽名で呼ばれるようになる.のろま、というほどの意味であった.あまりの不評に、元老院さえファビウスを非難するようになっていた.
政治的に追い詰められつつあったファビウスにも、理解者がたった一人だけ存在した.しかし皮肉にもそれは、ファビウスが滅ぼそうとしているハンニバルその人だった.
ファビウスがハンニバルの弱点を突いたように、ハンニバルもまたファビウスの急所である支持率の問題に狙いを絞った.彼はある土地を略奪した際、ファビウスの所有する農地がそこにあると聞いて、その畑だけには害を加えることを許さなかった.
また、ファビウスに行く手を阻まれた際には、牛の角に枯れ木の束を結び付け、深夜になるとそれに火をかけて牛の群れを放ち、敵の襲撃かと警戒して動かずにいるローマ軍の前を闇に紛れて悠々と通過した.慎重なファビウスが夜間の戦闘を避けるであろうことを予想した上で、その慎重さが非難の的になるようにショーを演じてみせたのである.
戦争というよりも政争であった.ハンニバルが政治劇を演じるたびに、ファビウスの支持率は下がっていったのである.一方、独裁官の補佐役にあたる騎兵長官のミヌキウスは、ファビウスを「ハンニバルの家庭教師」と呼んで嘲弄し、兵士達の人気を集めていた.
やがて、ファビウスは一時的にローマに召喚される.その間、軍の指揮を任されたミヌキウスは、ファビウスが決して戦闘を仕掛けないよう命じていたにも関わらず、直ちに攻勢に転じた.結果は華々しい勝利となり、これによって元老院や民衆の支持を得たミヌキウスには、ファビウスが戻ってからも軍の一部を指揮する権利が与えられた.
念願の指揮権を手にしたミヌキウスは、ファビウスを無視してハンニバルとの本格的な戦いを始める.しかし、ミヌキウスの栄光はハンニバルが意図的にくれてやったものに過ぎなかった.ハンニバルは突出してきたミヌキウス軍を簡単に包囲し、殲滅にかかった.
後方の丘陵で待機していたファビウスは、全てが予期した通りになったのを見届けると、溜め息をついてから全軍を激励した.
「さあ、ミヌキウスを思うものは我に続け.あれは立派な愛国者だ.戦いを急ぐあまり過ちを犯したとしても、それは後で責めるとしよう!」
包囲が崩されたことを知ったハンニバルは早々に軍を退いた.そして、年にも似合わず威勢よく丘を駆け下りてくる好敵手ファビウスを遠目に眺めながら、部下たちと笑いあって次のように語ったという.
「私は以前から度々諸君に言っていただろう.山の頂にああいう雲がある時には、すぐに激しい嵐が襲ってくるものだとね」
壊滅こそ免れたものの、ミヌキウスの軍団は多大な損害を被った.しかし、ファビウスは敗戦の責任者について何一つ非難がましい言葉を吐かなかった.やがて老将の陣幕を訪れたミヌキウスは、かつては政敵であり、今では恩人となったファビウスにこう言った.
「父よ、あなたは今日二つの勝利を得ました.勇気をもってハンニバルに、そして智謀と深切をもってあなたの同僚に.一方の勝利では我々を救い、他方の勝利では我々を教えたのです.あなたを父と呼ぶのは、これより名誉ある呼び名が無いからだ.しかし、あなたの恩恵は父よりも大きい.父からは私一人が生まれただけだが、あなたは私だけでなく多くの兵士たちをも救ってくださった……」
ファビウスはハンニバルとの政争に束の間の勝利を収めた.だが、独裁官の任期は僅か六ヶ月に過ぎない.そしてローマ人の大半は、まだミヌキウスのように真実を悟ってはいなかったのである.
最終更新:2010年06月18日 19:07