【前回までの取組】
(ナレーション)
野々美つくねは、総合格闘技の世界チャンピオンであることを除けば平凡な女子高生である。
ある夜、彼女は突如天から舞い降りた天使に相撲勝負を挑まれ、辛くもこれを降した。
その戦利品として得た物こそ、人間を一瞬にして力士へと変身させる超科学ベルト……オスモウドライバーだったのだ!
「邪魔するぜぇ」
「うわあああ!力士だぁ!」「逃げろォ!」「だっ、駄目だ、完全にふさがれてるよぉ!」
「たった二人並んで立つだけで廊下が通れないなんて……!なんて横幅だ!」
「そのベルト、こっちに渡してくれねぇかな」
「イヤだよーだっ」
「そ、それ反則じゃないか!肘打ちするなんて……!」
「クックック……嬢ちゃん、相撲を知らねぇなぁ」
「ウアアーッ!」
『……野々美つくね!オスモウドライバーを装着したまえ!』
「……そうだ。あの白いベルト!オスモウドライバーを!」
『説明書を読むんだ!』
「……変身ッ!」
「う……うおおおお!ナメるんじゃねぇー!!」
《READY》
《HAKKI-YOI》
《BUCHIKAMASHI》
「こ……国際暗黒相撲協会バンザーーーイ!!!」
「……私の名は親方。親方弦一郎という。君の父上の、旧い知り合いだ」
「君のお父さんから頼まれていたのさ。君が16歳になったときに渡してくれとね。ああ、一日遅れてしまったが」
「髷を結うには必要だろう?……誕生日おめでとう、オスモウドライバー」
某県某山中、秘密稽古場にて。
嵐の夜であった。吹き荒ぶ雨風の轟音が、分厚い壁越しにも響いてくる。
時折稲光が小さな明かり窓越しに閃き、暗い室内の土俵と、その内側に設置された床几(※1)に座る四つの影を浮かび上がらせた。
(※1床几……しょうぎ。木と布でできた簡易な折り畳み椅子。相撲とは特に関係がない)
影は皆土俵の中心を向いており、その宙空に投影された映像を注視しているようだった。
青みがかったホログラム映像に映っているのは、立ち合いの構えを取る力士だ。
ギリシャ彫刻の如く盛り上がった筋肉と、射すくめるような鋭い眼光が、そのただならぬ力量を物語っている。
さもあらん――そこに映し出されている力士は、今は亡き横綱、千代の富士なのだから。
『こ……国際暗黒相撲協会バンザーーーイ!!!』
男の絶叫と共に、映像は砂嵐へと変わる。一瞬後、ぷつりという音とともに映像が消失した。
国暗協の関取は皆例外なく関取手術を受け、その過程で一種の記録装置を体内に埋め込まれる。
万一不覚を取った際、敵の情報を記録し、次の手に繋げる為のブラックボックス。津名鳥高校の教室から回収されたそれに残されていたのが、この驚くべき映像であった。
四名のうち、もっとも小柄な影が、感嘆とも嘆息とも取れる溜息を洩らした。
「……まさかあのような年端も行かぬ少女がメタモルリキシするとはのう」
「肘魔殺(ひじまさつ)も愚かな男よ。下らぬ矜持を優先するあまり、自ら人質を捨てるとは……
心技体など弱者の戯言、力技体こそ相撲の全てと、常日頃から言っておろうに」
金剛力士像を想わせる、隆々とした筋骨の持ち主が吐き捨てる。彼は十五本目のちゃんこ(※2)を直接静脈に注射し、注射器を土俵外へ投げ捨てた。
(※2ちゃんこ……力士が口にする食べ物の総称。または力士の筋力を増幅する特殊薬物のこと)
「予想外の事態ではあるが、見たところ奴もまた未熟。戦力の整わぬ内に適当な幕内でも差し向ければよかろう」
「あらあら……折角適合者を見つけたんだから、もうちょっと楽しんでもいいんじゃなァい?」
バリトンボイスの力士が茶々を入れた。力士としては異様なほどに細身の男である。
他の三名と同じく、この男もまたまわしを締めていた。
「それにぃ、かーなり派手に動いちゃったから、きっともう『表』……大日本相撲連盟の方も勘付いてるわよォ。あのコももう保護されてておかしくない頃だわねぇ」
「ブフフォ」
四名の内もっとも巨大な影が、相槌めいて獣臭を伴う息を吐き出した。全身をくまなく剛毛が覆い、その中で琥珀色の両眼がぎらぎらと輝いている。
「大釜掘……貴様の悪い癖だ。相撲は勝つことが全て、遊びの余地など不要。さっさとケリを付ければよい」
「ンもぉ、羅刹力ちゃんは堅いんだから……黒呪殺のお爺さんだってそう思わない?」
「ふむ……今回ばかりはワシも羅刹力の意見に賛成じゃのう。黒のオスモウドライバーを失い、我が国暗協の力が大きく削がれた事は認めざるを得ん……一刻も早くアレを手に入れ、戦力の増強を図るべきじゃろうて」
「つれないわねぇー。アタシの味方は灰色熊ちゃんだけってことォ?」
「ブフフォ」
「方針は決まったな。ならば速やかに行動すべし」
羅刹力がそのように促した直後であった。
一際大きな雷鳴が響き、稲光が室内を白く染め上げる。そして再び蝋燭の灯に照らされた薄暗闇に戻った時、土俵の中心に忽然と、車椅子に腰かけた男の姿が出現していた。
その存在を認知した四人の力士の反応は素早かった。床几に腰かけた状態から、スムーズな土下座姿勢へ。彼らは国際暗黒相撲協会のトップ、三役力士である。その猛者たちにこのような真似をさせる車椅子の男は一体!?
「苦しゅうない。面上げい」
しわがれた、老人の声でありながら、それは絶対的な威厳を有していた。大気が鉛に置き換わったかのような威圧感。常人であれば顔を上げるどころか、呼吸すらままならず窒息に至るであろう。
「横綱。貴方様が直々にお見えになるとは……一体どのようなご用向きですかな?」
黒呪殺は確かにその階位を口にした。
横綱……この男こそが、国際暗黒相撲協会の首魁。ただ一人の横綱であった。
誰もその顔を見ることはできない。百戦錬磨の魔人たる国暗協の四天王でさえ例外ではない。
あまりにも重々しい空気が、男の脛から上に視線を上げることを許さないのだ。
「うむ……かの適合者についての沙汰を下しに参った。これを『表』に送るがよい」
国暗協の横綱は、懐から一枚のカードを取り出した。VRカード……この度行われるDSSバトルに参加する為の資格。
黒呪殺は恭しくそのカードを受け取った。和装の裾から伸びた骨と皮だけの手指は、その爪先を見るだけで叫びだしたくなる程の負の感情を産む。三役でもっとも肝の座った黒呪殺だけが、横綱から物品を直接受け取ることができる。
「なるほど、なるほど。あの適合者をDSSバトルへ誘い出す……というお心積もりで」
「然り。かの運営にも我が手は届く。オスモウドライバーの詳細を一切分析し、再び黒のオスモウドライバーを我が手中に収める。白のオスモウドライバーを奪うのはその後でよい」
「しかし横綱!」
声を荒げたのは羅刹力である。四天王でもっとも狂暴なこの男は、搦手の類を嫌う傾向があった。
「今のヤツ程度であれば我々が……否、幕内力士ならば誰もが勝利できましょう!なれば最短の道を――」
「羅刹力」
その一言で、羅刹力の荒ぶる怒気が遮られた。
大気の密度が、一層濃さを増したように思える。それは凄まじいまでの不吉を孕んだ、暗黒の闘気であった。
「汝はいつから私に意見できる程に出世した」
「……は、申し訳もなく。出過ぎた真似をお詫びいたします」
場に満ち満ちていた闘気が潮流のように引いていく。そこでようやく、羅刹力は止まっていた呼吸を再開した。
恐るべしは暗黒横綱。その気になれば、三役力士とて指一本で息の根を止められよう。
「案ずるな。これもまた天竜計画成就の為の一手よ。いずれ全ては我らの物となる。水が高きより低きへ流れるように、これは動かし難い必然である」
横綱は厳粛に宣言した。再び雷鳴が轟くと、その姿は幻の如く消え失せていた。
ただ土俵上に残る禍々しき闘気の残滓だけが、その存在を示す証であった。
「――本当に助かりました。ご協力感謝します、横綱」
「いえ、丁度時間を持て余していましたから。私としてもいい稽古になりましたよ」
「ハッハッハ、ご謙遜を……いずれまたお呼び立てするやもしれませんが、その時は何卒ひとつ、よろしくお願いします」
「ええ、楽しみにしていますよ。それでは」
堂々たる体躯がリムジンに乗り込むと、黒い車体が大きく左右に振れた。走り去る車が見えなくなってから、親方弦一郎と野々美つくねはおもむろに顔を上げた。
「どうだったかね、現役の横綱の実力は」
親方は前を見たまま、穏やかな声で尋ねた。
つくねの表情は晴れやかなものではない。ぎゅっと唇を噛み締め、あるいは溢れそうになる涙をこらえているようにも見える。
「……あたし、オスモウドライバーを全然使いこなせてなかったんですね」
「うむ……それを実感できたなら、わざわざ横綱に来ていただいた甲斐があったな」
国暗協による津名鳥高校襲撃事件から数日。
つくねは親方の元、大日本相撲協会が秘密裡に保有する隠れ家に身を寄せていた。
表向きは何の変哲もないちゃんこ鍋屋だが、店の奥には隠し階段が備えられており、地下へと降りれば面積にして100畳を超える稽古場が姿を現す。つくねはここで相撲の基礎を学んでいた。
オスモウドライバーの力は強大である――相撲に関してはほとんど素人であるつくねでも、国暗協の関取手術を受けた十両力士を瞬殺できる程に。
つくねは今にして思う。自分にはきっと、驕りがあった。過去の横綱の力をそっくりそのまま使えるなら、きっとどんな相手にも負けないという過信があった。己と敵、両者の実力を正確に見極め、分析した結果の自信ならばよい。しかしつくねは、ただその圧倒的とも思える横綱の実力に溺れかけていたのだろう。
親方は、つくねのそのような感情を見抜いていた。長くオスモウドライバーの研究に携わっていたが故、それを手にした者の心理にも詳しかった。そして彼は今日、現役の横綱をこのちゃんこ鍋屋に呼び寄せたのだ。
ちゃんこ屋に力士が出入りした所で何の不自然もない。隠れ家がちゃんこ屋であるのは、そういった訳もあった。
テレビで見た横綱が突然姿を現したことにつくねは大いに驚き、子犬のように目を輝かせてサインをねだるなどしていたが、横綱の目的が自分との稽古にあることを告げられると、その目付きは瞬時にして格闘者のそれに変わった。
表向きには存在を秘匿されているオスモウドライバーであるが、三役(※2)に昇進した力士には相撲協会からその実在と役割について説明を受ける。無論、当代の横綱も既知の事実である。稽古相手として、これ以上の存在はなかった。
稽古は30分程で終わった。正確には、つくねがそれ以上続けられなくなった。
相撲を司りし天使ガブリヨル――それを相手に一晩格闘し、あまつさえ土をつけたつくねが、オスモウドライバーとなった状態ですら、半時間ともたなかった。それが現役の横綱、神の依り代たる者の実力であった。
「そのオスモウドライバーには、現在72のリキシチップが内蔵されている。それによって君は歴代横綱へとメタモルリキシする訳だが……構築される肉体は仮初とはいえ横綱そのものと言っていい。しかし、その身体に蓄積された技術と経験を最大まで引き出すには、操縦者の確かな力量がなくてはならないのだ」
つくねは頷いた。そうでなければ、あれだけの圧倒的な実力差は説明できない。
相撲の基礎稽古、そして歴代横綱についての勉強。親方が立てたプランは、全てつくねをオスモウドライバーとしての完成に導くものだった。
だと言うのに、自分は。己のものでもない力に酔い、うぬぼれて――
「フン!!」
「野々美くん!?いきなりどうした!?」
つくねが自分の両頬を思い切り引っぱたくと、バチーン!と威勢のいい音がした。
今すべきなのは、くだらない自己嫌悪などではない。ポジティブな性格は、つくねの数少ない武器の一つであった。
「親方さん!あたし、頑張ります!うじうじしてるヒマがあったら稽古しなきゃ!」
「あ……ああ、そうだな。前向きなのはいい事だ。ところで野々美くん、ちょっとこちらへ」
親方はつくねを店の奥へと招き入れた。それで、なにか誰かに聞かれてはまずい話をするのだなと、つくねにもわかった。
一つ咳払いをすると、親方はおもむろに背広のポケットからカードを取り出した。
その意匠に、つくねは見覚えがあった。近頃テレビでさかんに宣伝を打っている、VRによる格闘大会への出場資格だ。魔人を含めた、仮想現実世界だからこそ実現可能な、真の『何でもあり』のバトル。
「その顔を見るに、どうやらこれが何かは知っているようだね」
「はい!あれですよね、VR格闘技の!」
「そう、DSSバトル。これはね、今朝日本相撲協会に匿名で送られてきた。宛名には、君の名前が記されていたよ」
「……へっ?あたしですか?どうして?」
「うむ……そこが問題だ。実はね、我々の調査で、DSSバトルの運営元であるC3ステーションに、国暗協の手の者が潜入している可能性が示唆されたのだ」
「国暗協が……C3ステーションの中に!?」
それが事実だとすればとんでもないことだ。C3ステーションと言えば、パソコン機器に疎いつくねでも知っている超メジャー所である。そこに国暗協が潜んでいるとなれば、世界中のメディアに敵の目があるも同義ではないか。
「たっ、大変じゃないですかそれ!」
「そう、大変なんだ。そしてこのタイミングで、差出人不明のVRカードが君に送られてきた。これは決して安価なものではない。しかも日本相撲協会を経由して、だ……これは偶然とは考えにくい」
「……うーん……、国暗協があたしを誘い出そうとしてる……ってことですか?」
「私もそうだと思う。十中八九……いや、ほぼ十割の確率で罠だろう。どうする、野々美くん」
「うーん…………えっ?」
しばし腕を組んで考え込んでいたつくねだったが、ふと我に返ったように声を上げた。
「でっ、出れるんですか?」
「君が出たいと言うのならね。VR空間ならば命を危険にさらすことなく、全力で猛者とぶつかり合えるだろう?実戦稽古には持ってこいだ。きっと今よりも強くなれる」
「それは願ったり叶ったりですけど……そもそもオスモウドライバーのことって秘密なんじゃないんですか?よりにもよって全世界中継の配信で正体を明かしちゃうのはまずいんじゃ」
「ハッハッハ、これまでであればそうだったんだがね、君の高校が襲撃されたことで、どうやら国暗協は既に相当の情報を掴んでいる。であれば、下手に秘匿するよりもいっそ全てを明らかにして、国民の理解と援助を乞おうというのも一つの手なんだ。年々減少傾向にある相撲人口の回復効果も見込めるしね!」
最後の方に相撲協会の本音が見え隠れした気がしないでもないが、そう言われると悪い話ではないように思えてきた。
何より、魔人と戦える。まだ見たことも聞いたこともないような、とびきりの怪物と戦える。それはつくねにとって、抗いがたい魅力であった。
「どうやら気持ちは決まっているようだね」
つくねの口の端に、知らずうずうずとした笑みがこぼれているのを見て、親方は満足そうに頷いた。この子の闘争心は本物だ。それは横綱にとってもなくてはならない素養の一つである。
「この件については既に日本相撲協会からバックアップの約束を取り付けてある。現実でも仮想世界でも、万全のサポートを約束しよう。君はなにも遠慮せず、思い切りぶつかって行くといい」
「親方さん……!ありがとうございます!」
つくねは両拳を強く握りしめた。歓喜と興奮が、小さな身体を震わせていた。
今よりもっと強い自分に。もっと上手い力士に。
いつか、あの横綱の高みへ到達する為に。
数えきれないほどある、大切なものを守る為に。
「あたし、頑張ります!」
野々美つくねは、相撲を取る。