「おいおい、勘弁してくれよ。マジで本名まで載せやがって」
ニャルラトポテトこと鳴神ヒカリは、その男のもとに押しかけるなりそう愚痴を漏らした。
「まあまあ、そうしないとフェアじゃないだろ? それにね、そっちの方が面白いと思うんだよ。僕は」
そう言って笑うのは、C3ステーションの総合プロデューサー鷹岡集一郎だ。
とあるオフィスビルの応接室で、彼は鳴神を出迎えた。
「他の参加者だって平等だ。C3ステーションの情報網を駆使して集めたデータをホームページに掲載しているよ。……そうそう、能力といえば」
彼はその顔に柔和な笑みを浮かべる。
「記載されたキミの能力の続き――四段階以後については本当のところどうなるんだい? 観客からは結構不満の声もあってね。もうちょっと正確な情報を載せたいところなんだけど」
鳴神は体を投げ出すように鷹岡の対面のソファーに深く腰掛け、肩をすくめた。
「さあ? 魔人能力は感覚的なもんだしなぁ。……それに、たとえ知ってたとしても教えはしねーよ」
「はは、急に押しかけておいて『対戦相手の情報を寄越せ』だなんて言っておいて自分はそれかい? それじゃあ怪盗ではなく強盗だ。相手の承諾を得ない一方的な強奪……きちんと返すだけ刈谷くんの方がマシだな」
鷹岡の言葉に彼女は片眉をあげ、彼を睨みつける。
「ふん……。わたしの能力にも制約はある。だが自分の弱点を公表するバカがいるか?」
「隠しても無駄だと思うけどねぇ……。なにせ相手は刈谷くんだから」
鷹岡は口の端を吊り上げ、言葉を続けた。
「彼は物や概念を借り入れる力を持つ。その対象はキミの魔人能力だって例外ではないよ」
「……随分と簡単に教えてくれるんだな」
「なにせキミは怪盗だからね。情報収集のためにC3ステーションを荒らされ回っても困るのさ」
鷹岡の言葉に鳴神は肩をすくめる。
「……わたしの”怪盗”は能力じゃなくてただの趣味だから、そんな大それたもんじゃないよ。最近の怪盗は銃と変装だけじゃなくて、手品や奇術、電子機器に大それた装置まで扱わなきゃいけないらしいしな。だからたとえば『世界で二番目に盗みが上手い探偵』でもいたなら、わたしはその足元にも及ばない……そんなレベルのお遊戯だと思うよ」
「探偵は怪盗の対極のようなものだろうに」
「最近はそいつらも手を組んだりするんだぜ。おたく、アニメとか見ないくち?」
彼女の軽口に、鷹岡も合わせて笑う。
「僕も目的の円滑な達成のために四方八方と手を組むのは見習いたいところだね。まあ僕がキミたちに情報提供するには、そういう側面もあるんだよ」
鷹岡は司会を行っているときのように、腕を広げる芝居がかった仕草を見せる。
「それに観客には事前に知り得る限りの情報を公開した方がウケがいいんだ。だが僕も一人でC3ステーションを運営しているわけじゃないから、情報は多くの人の手を仲介する。……遅かれ早かれ、キミの能力を使えば僕の知り得る情報なんて筒抜けになることだろう。なら隠しても意味はないだろう?」
「ふうん。情報、ね。――たしかに今回は、情報戦になりそうだ」
彼女は自身が入手した対戦相手の写真をテーブルの上に出して、その顔を眺める。
こざっぱりとした好青年がその写真には写っていた。
「……刈谷融介。もうちょっと探ってみるか。どっちにしろわたしは誰かさんに本名を公開されたせいで、住処を追われているからな。腰を落ち着けることもできやしない」
「おやおや、それは可哀想に。そんな酷いことをするやつがいるんだ?」
鷹岡の言葉に鳴神は「言ってろ」と悪態をついて立ち上がった。
その場を後にしようとする彼女の背中に、鷹岡が声をかける。
「……ああ、そうだ最後に一つ聞かせてくれないかい?」
鷹岡の言葉に鳴神は足を止めた。
「進道ソラって知ってるかい?」
鳴神は一瞬沈黙する。
鷹岡の口から出た、彼女と同じ外見をした包帯だらけの少女の姿が一瞬脳裏を過ぎった。
彼女の舌に、絶望の味が広がる。
「ああ――」
鳴神は笑って振り返った。
「――昔のアイドルだろ? 憧れてたんだ、わたし」
彼女の言葉に鷹岡は頷く。
「……なるほど、そうだったのか。通りで似ていると思ったんだよ。……まるで双子みたいだ」
「だろ~? 憧れのソラちゃんになれるように外見は頑張ったからな~」
その顔に笑みを張り付かせる鳴神に、鷹岡も元の柔和な笑みを浮かべる。
「……そうか。変なことを聞いたね」
「ああ? そうかぁ? まあ……どうでもいい話だけどなぁ」
鳴神は歩みを進めて部屋の扉を開けると、鷹岡へと振り返る。
「またな、プロデューサー……最高のショーを魅せてやるよ」
「……ああ、楽しみにしているよ」
鳴神は笑って外に出る。
彼女がその足を一歩進めたときにはもう、その顔に笑みはなかった。
§
「――はい? 僕ですか?」
声をかけられ、少女は足を止めた。
「うん、そうキミだ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
雑踏が風のように通り過ぎる交差点の中。
街中で少女を呼び止めた好青年は、笑みを浮かべながらその手を差し出した。
少女は一瞬驚いた後に、笑顔でその手を握る。
「……いいですよ! ちょうど今日中に10回、人に親切にしなきゃいけないところだったんです! 良かったー、これって親切に入りますよね? なんでも聞いてください!」
少女のハイテンションに、青年は苦笑しつつ口を開いた。
「それじゃあ……怪盗ニャルラトポテトについて知っていることを教えてくれ」
青年の眼が怪しく少女を見つめた。
「ニャル……?」
少女が首を傾げると同時に、青年は笑う。
「……よし。当たりだ」
「へ? へ?」
そう言って青年は握っていた彼女の手を放す。
それと同時に、彼女は何かを思いついたかのように手を打った。
「……あ。思い出した」
彼女は記憶を探るように言葉を紡ぐ。
「ニャルちゃんとは友達で……占い系のサイトで知り合って、前におまじないに必要な水晶ドクロをどこかから取り寄せてくれたことがあったんですよ。それってめちゃくちゃ貴重なやつでして。それでこの前DSSバトルに誘ったら興味を持ってくれて……」
彼女はそこまで話すと、またも首を傾げる。
「……ってあれ? なんであの子のこと、ど忘れしちゃってたんだろう……」
「ああ、大丈夫。ちょっと記憶を借りていただけだよ。もう返済してる」
「ええ?」
驚きの声をあげる彼女に、青年はにっこりと微笑む。
「俺は刈谷融介。……DSSバトルの参加者さ」
§
『さあて今宵戦うは自由自在の変幻怪盗と、その力をひた隠しにしていた元CEO! どちらも実力は折り紙付きの魔人たちだ!』
鷹岡のアナウンスに沸き立つ会場の様子が、VR空間の空中に表示されたモニタの中へと映し出される。
刈谷の姿は既にVR空間「ステージ:豪華客船」の中、甲板の上にあった。
柵の向こうに見えるのは静かな海原。
四方を水平線に囲まれた静かな船上で、彼は周囲を見渡す。
「……姿は無し、か」
戦闘の開始位置は各々が指定した位置から開始できる。
変幻怪盗という対戦相手の肩書に警戒して、彼は見通しの良い場所に陣取っていた。
しかしその目論見は果たされなかったようだ。
彼の見渡す限りにおいて、少女の姿はない。
前方の空中へと浮かぶ仮想モニタの中で、鷹岡が吠えた。
『それでは第1試合! 変幻怪盗ニャルラトポテトVS刈谷融介! レディー……ファイト!』
開始の合図とともに、刈谷は全方位へと神経を尖らせる。
すぐに後方から、一枚のカードが飛来した。
彼が振り返ると、その足元にカードは突き刺さる。
それは彼を狙った攻撃ではなかったらしい。
刈谷は目を細めると、足元の甲板に突き刺さったカードを引き抜いて書かれている文字に目を通した。
そのカードには”招待状”と大きく書かれている。
「――罠か」
カードを握りつぶし、刈谷はそう呟く。
しばしその場でうつむいた後、彼は船内へと歩みを進めた。
§
「フハハハハ! よく来たなぁ! 待ちわびたぞぉ!」
テーブルに頬杖をついて座るドレス姿の変幻怪盗ニャルラトポテトこと鳴神を見て、刈谷は目を細めた。
カジノルーム。
ルーレットやスロットマシーンが置かれる華やかな部屋の中央、舞台上に鎮座したテーブルの前に彼女は座っていた。
その奥にはNPCのディーラーが立っている。
「……いったいどんな仕掛けを用意したのやら」
刈谷はつぶやきながら周囲を見回す。
NPCや鑑賞参加者たちが大勢いて、ステージを遠巻きに見つめていた。
その数はおよそ80人ほど。
――たとえ全員が襲いかかってきたところで、対処できない数ではないな。
刈谷はそんなことを考えながら、ステージへと近付く。
「……さて、こんなところに呼び出してどういうつもりだ?」
彼はそう言って鳴神を睨みつけた。
彼の能力『貸借天』。
その力が発揮されるのは接触したものに限る。
それを使ってバトルを盛り上げる最適解……それは相手の力を利用することだ。
周囲の物品の力を利用するのでは盛り上がりに欠ける。
所詮それは無関係の借り物の力に過ぎない。
よって彼が狙うのは劇的な”最高のカウンター”だ。
相手の全力を引き出した上で、それを借り入れて相手に返す。
それにはまず相手の誘いに乗り、相手の有利な土俵に立つ必要があった。
もしも相手が相撲取りであれば、刈谷は喜んで土俵入りしたことだろう。
彼の視線を受け流して、鳴神は微笑む。
「なに、ゲームをしようと思ったんだ」
鳴神はテーブルの上に置かれたトランプを手に取った。
「わたしの能力『TRPG』は、残念ながら戦闘に特化した能力ってわけじゃあない。あんたの能力ほど強くないし、いやひょっとしたら今回の参加者の中では最弱かもしれない」
「……謙遜は美徳じゃないぞ」
言い捨てる刈谷に、鳴神はその綺麗な顔をいやらしく歪めて笑う。
「本心だよ。だからこうして待ってたんじゃないか。お互い対等なステージを用意して、な」
刈谷はその言葉を疑いつつも、ステージに向かって歩きだす。
鳴神はくつろいだ様子のまま、彼が到着するのを待った。
「座れよ」
刈谷は一瞬ためらいつつも、鳴神の横の席へと座る。
鳴神はその様子をみて、足を組みつつ笑った。
「種目はポーカー。ルールは最低限のものだ。ベット、レイズ、コール、ドロップ。チェンジは当然1回きり」
鳴神は手遊びのようにトランプをシャッフルする。
「賭け金はそれぞれの資産から。わたしはだいたい盗んだ美術品を合わせても1億がいいとこだ。だからそれ以上のチップを上乗せするのはよしてくれよ。面白くならないから」
鳴神の言葉に刈谷は目を細めた。
「……本気でカードゲームで勝負をつけようっていうのか?」
「本気も本気。あんたの能力は預金残高がネックなんだろ? だったら平和的にそれを賭けて戦おうじゃないか。トんだ方が負け――シンプルだろ?」
刈谷はしばし逡巡し、目を閉じる。
「……オーケイ。良いだろうこんなくだらないゲームにはお似合いの勝負方法だ」
彼はそう言って手を差し出した。
「検分させてくれ。怪盗相手にトランプ勝負なんて、狐の自立AI相手にタイピング速度を競うようなもんだからな」
「おいおい、自慢じゃないがわたしはそんなすげー腕は持ってねーっての」
鳴神は彼の手に触れないようにしながら、その手に持つカードを手渡す。
刈谷はそれを確認したのち、正面に立つディーラーへと渡した。
ディーラーからチップが二人に配られる。
鳴神はそのチップを指で空中に弾いた。
「このチップは1枚100万。あんたをトばすには800枚ぐらいは取らなきゃいけない計算だ」
「そうか」
刈谷は鳴神の顔も見ずにそう答える。
「……早速始めよう」
鳴神の声を契機に、ディーラーから二人に5枚ずつのカードが配られた。
二人はそれぞれ自分の手札に目を通す。
鳴神はその手を見てうなった。
「……うーん、様子見かなぁ」
鳴神がチップを2枚投げると、刈谷は手札をテーブルの上に置く。
「レイズ……10枚上乗せだ」
無表情のままそう言った刈谷の顔を見て、鳴神は苦笑した。
「強気だなぁ……。じゃあオリだよ、降り。ドロップ。わたしの負けだ」
鳴神の言葉に、両者の手札が明かされる。
鳴神の手には6のワンペアが握られていた。
一方の刈谷の手札は、スペードの10、J、Q……。
「……おいおい、おっさん。初手から最強札とか、もうちょっと展開考えてくれよ」
鳴神の言葉を受けて、刈谷は彼女を睨みつける。
「――何度やっても無駄さ。”運”を借りた俺に、お前は絶対に勝てない」
その手札にはロイヤルストレートフラッシュの役が完成していた。
§
その後5戦、ポーカーは続いた。
結果としては両者小物の役を出し合って、鳴神が1000万ほど負ける結果になっている。
「……”運”はそろそろ尽きてくれたかな?」
鳴神の言葉を無視して、刈谷は配られた手札を見つめた。
――バカバカしい。
刈谷は頭の中で、どうやってこの戦いを華々しい展開で終わらせるかを考えていた。
そもそも、彼が「運を借りた」と言ったのはただのハッタリである。
彼の能力で運なんて希少な物を借りたら、いったいどれだけの金額がかかるか彼には予想もできない。
彼が借りたのはカードだ。
最初にカードを調べたとき、5枚のカードを借り入れた。
初手はその5枚をすり替えたに過ぎない。
その後も手札が配られる度、手元に残したカード5枚を入れ替えて役を育てていく。
都合、一度の勝負ではチェンジ5枚も合わせ、15枚の中から5枚選んで次の回へと持ち越すのを繰り返しているのと同じだ。
そんなことを数回繰り返せば、確実に勝てるような役が完成する。
「――そろそろ決着をつけようじゃないか」
刈谷は鳴神を挑発するように視線を向けた。
「まどろっこしいのは好きじゃない。俺は次に5枚交換する」
そう言って手札を置いた後、彼はチップを50枚置いた。
「さっさと終わらせよう。――俺の勝ちで」
彼の借り入れたカードには、既にフォーカードの役が揃っていた。
そんな勝ちを確信した彼に、鳴神は笑う。
「……いいだろう。わたしはこのカードのままでいく」
鳴神はさらに、残った40枚弱のチップを上乗せした。
鳴神の全財産がそこに賭けられる。
刈谷は無表情を維持したまま、同じくチップを乗せた。
ディーラーが刈谷のカードを回収し、1枚ずつ彼にカードを配り直していく。
「――わたしの能力はな」
鳴神が口を開く。
「他の女性になりきる能力だ。それは女性でさえあれば、架空の少女にだってなりきれる」
刈谷は会話に応えない。
一枚、また一枚とカードが配られる。
「とはいえそれにも制約がある。フィクションや創作でもいいが――それは実在を信じられた実績がなくてはいけない。魔人能力っていうのは、そういうものだからな」
その部屋からカードを配る音以外の騒音は消失している。
観衆も静かに、二人の様子を観察していた。
「そう、だから対象は空想の少女じゃダメなんだ。でも実在を信じられた存在であれば能力をトレースできる。悪魔の手先とされた魔女、巫術を操った巫女、妖術を操った妖怪……」
刈谷は配られた手札を手の中に入れ確認する。
そして借りていたフォーカードとなる手札5枚を返済して、瞬時に手札から5枚を借り、入れ替えた。
「わたしも実物なんてのは見たことはないけどな。……でもたとえば岐阜の山奥には、千年も前から妖怪の頭領が住んでいる――なんて噂がある。妖怪だぞ、妖怪。こんなVRなんかが発展した時代に妖怪だ。……だけどそれは実在すると信じられている」
鳴神はそう言うと、配られた手札を一枚ずつ公開していく。
「そいつの力は……”サトリ”と言われる妖怪に近い。相手の心を読むんだ。どうやら表情筋に関連するらしくて、顔を見なきゃわからない。――でも、ポーカーフェイスごときじゃあ”私”にはきかないんだ」
鳴神はクスリと笑う。
その手札にはストレートフラッシュの役が出来ていた。
「わたしの勝ちだよ。……おっさんの手札は、フォーカードなんだって?」
1億のチップを奪い取り、鳴神は笑う。
刈谷は手札を伏せたまま、彼女の顔を睨みつけた。
§
刈谷は内心動揺していた。
心が読まれていたこと。
その上でイカサマを見破られたこと。
そして1億の資産を奪われたこと。
それぞれは彼にとって些細なことだ。
しかし元々そこまで精神的に余裕があるわけではない刈谷の心が揺さぶられるのは、それで十分ではあった。
彼は思考を覗かれるような視線を受けながら考える。
――どうすればいい。どうすれば相手を出し抜ける。
……いや、そもそもやはりこんなまどろっこしいポーカー勝負だなんて――。
「どうしてもっていうなら、今の負けも貸しにしてやってもいいけど?」
そんな彼の思考を邪魔するように、鳴神は笑った。
「どうだ? 悪くない話だろう? いつも借り物の力を使ってるんだし、借りの一つや二つ今更恥じることでもないだろ? ハハハハ!」
――死ね。クソが――!
頭に昇る血を押さえ込もうとしつつ、彼は思考をまとめる。
……相手に思考を読まれたとしてもポーカーで必ず勝てなくなるわけじゃない。
相手のレイズなんかに応じなければ、結局は手札が全てだ。
それなら――。
彼は次の手を考える。
しかしその前に。
「――ねえ、ユースケ」
その女が、そこに出現した。
三白眼に荒れた肌。
彼女はその容姿に似合わない可愛らしいドレスを着て、彼へと笑いかける。
「あなたがそんなことしても、誰も喜ばないからさ。……そんなに寂しいなら――」
笹原砂羽の姿をした女は、刈谷へとその顔を近づけた。
「――私に抱かれてみる?」
刈谷の中で、押さえきれない何かが溢れた。
「あいつの口で――」
その腕に力がこもる。
「――ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!」
瞬間、刈谷は目の前の彼女を殴り飛ばした。
彼の能力を使い、拳の前の空気を借り入れた真空圧のパンチ。
拳を打つ瞬間に返却される空気は、さらなる風圧を作りその勢いを増す。
「ぐがっ!」
高速の拳で殴り飛ばされた鳴神は空中に弾き飛ばされる。
そして同時に、その能力によって構築されていたテクスチャが剥がれていった。
「――『貸借天・即日借入』!」
刈谷は能力を発動させ、鳴神の持つ笹原砂羽のテクスチャを奪い取る。
彼は一瞬たりとも許せなかった。――別の人間が、彼女の姿で、彼女の声で、彼女を侮辱するような言葉を喋るのが。
そして奪った能力は、逆にそのテクスチャを刈谷の姿へと上書きしていく。
「――そうだ」
鳴神は拳の勢いに吹き飛ばされながら、小さく呟く。
「それでいい」
鳴神は強く壁に打ちつけられ、苦痛の声を漏らしつつその場にしゃがみ込んだ。
「――がああ!」
一方で声を上げたのは、笹原砂羽のペルソナをかぶった刈谷の方だった。
「『貸借天・一括返済』……!」
頭を抱えてうずくまりながら、刈谷はその能力を解除する。
「……畜生! クソが! なんだよ……! ふざけんな!」
テクスチャが剥がれ、刈谷の姿が元に戻っていく。
「――俺はそんなヤツじゃない! 俺はもっとクズで、最低で……お前がそんな風に思えるような男じゃないんだよ!!」
刈谷は地面を叩く。
その慟哭は、この場にいない女性へと宛てられた声だった。
鳴神がコピーした女性の思考が逆流入して、刈谷の脳内を侵犯する。
そんな無防備な状態の刈谷のもとへ、鳴神が近付いた。
「ふざけてんのは――」
彼女は刈谷の襟元を掴んで起き上がらせる。
「――てめぇの方だろうが!」
その拳は彼を殴り飛ばした。
それは細い少女の拳だ。
故に、刈谷は大したダメージを受けない。
「わたしの能力は存分に味わったはずだ……。直接お前の脳髄に叩き込んでやったんだから、もうわかってんだろうがよぉ!」
鳴神は叫ぶ。
「――お前に救われ、お前に与え、お前を愛し続けるあの女が! どんな風にてめーを想い続けてやがるのか!」
「……うるせぇ! 俺はそんなもん、求めてねぇんだよ!」
刈谷は再び拳を振るう。
その拳は空を切り、ポーカーのテーブルを叩き割った。
チップとカードが宙へと舞う。
「わからず屋が――! てめーにはきちっと返済してもらうからな! あんたがハッピーエンドになってもらわねぇと、”私”が報われねぇ!」
鳴神はそう言い放ち、ステージから飛び降りた。
着ていたドレスが宙を舞い、瞬時に彼女の姿は観衆の中へと紛れ込む。
「逃がすかよ!」
激昂した刈谷は船室の床へと手を当てて叫ぶ。
「お前に俺の何がわかるってんだ――! ……『貸借天・即日借入』!」
彼が叫ぶと同時に、その場にいたNPCたちがざわりと動いた。
彼は戦いを観察する視聴者に聞こえるよう、声を張り上げる。
「たった今! この豪華客船を”貸し切った”! この規模でも1分あたりなら相場は二百万程! はした金だ!」
VR空間の物品だろうと、彼の認識する金額で残高は減っていく。
しかしそれでも、彼の預金残高には遠く及ぶものではない。
「乗組員に次ぐ! 怪盗ニャルラトポテトと思わしきヤツは殺せ! NPCと俺以外、もしくは同じ顔のヤツは皆殺しにしろ!」
彼の言葉に従い、客室乗務員やディーラーたちはその懐から軽機関銃を取り出した。
お客様の安全を守るために彼らが常時武装しているのは当然のことである。
――そして虐殺が始まった。
最前列の観客として視聴していた一般視聴者たちが皆殺しにされていく。
その様子を見て刈谷は笑った。
「……何が愛だ、信頼だ。そんなくだらねぇもんは、この世界ではなんの役にも立たねえんだよ……クソが!」
彼がそう言ってテーブルの残骸を蹴り飛ばした瞬間。
船を震わせるほどの轟音が響いた。
「な……!?」
刈谷は天井を見上げる。
「何が――!」
困惑する彼に、テーブルの残骸の前にいたディーラーが拳銃を突きつけた。
「――お前の負けだ」
そのテクスチャが剥がれ、ニャルラトポテトの顔が姿を現す。
刈谷が足元を見ると、机の残骸に隠されてディーラーが転がされていた。
「なんだと……?」
彼が聞き返す。
銃弾ぐらいであれば、即座に借り入れ、返却をすることができるだろう。
しかしそう考える刈谷に、彼女は笑った。
「この船を爆破したんだ。動力部と船底に数か所。この船は沈む――つまり、全損だ」
「な――!?」
船はいま、刈谷の貸借天の能力下に置かれている。
それが意味することは――。
「この規模の豪華客船の建造なら、数千億円かかる。そんな船を借用中に沈めた……違約金はいくらかなんて野暮なことは言わねぇよ。――平たく言えば、トんだんだ。お前は」
その言葉にぐらり、と刈谷の視界が揺れた。
「預金残高ゼロのお前が、もう能力を使うことはできない」
鳴神は笑う。
「選ばせてやるよ。このまま撃たれて痛い目を見るか、それとも降参するか」
刈谷は目を伏せた。
迷う様子を見せる彼に、鳴神は優しく言った。
「――あなたを撃つのは辛いの、ユースケ。お願い……降参して」
鳴神の顔で、鳴神の声で、彼女はそう伝える。
刈谷はその表情を強張らせた後、大きく息を吐いた。
「……わかった、俺の負けだ。……降参する」
そう言って彼が両手をあげると、鳴神は銃を下ろして腰元のホルスターに収めた。
『――勝者! 変幻怪盗ニャルラトポテト!』
VR空間にモニタが現れ、鷹岡の声が響く。
観衆の声に祝福され、ニャルラトポテトはその笑顔をモニタへと向けた。
§
「……ったはー。マジ勝てないと思った。おっさん強すぎだよ」
床にへたり込み、ニャルラトポテトこと鳴神ヒカリはそう呟く。
同じく床に座った刈谷は、彼女を見て自嘲するように笑った。
「……全部借り物の力さ。その借り物すらも、全て失った」
刈谷は溜息を吐く。
……4戦もあれば預金残高が尽きるかもしれないとは思っていた。
しかしまさか一戦ですべてを使い尽くされるとは――。
そんな刈谷の様子を見て、鳴神は笑みを浮かべる。
「ああ、あれさ。嘘だよ」
「――え?」
鳴神はVR空間の中、運行を続ける船の揺れに身を任せながらケラケラと笑い声をあげた。
「わたしはあくまでも怪盗で、テロリストじゃないんだよ。爆弾なんて怖くて持ち込めやしない。……あのとき、揺れなんてなかったろ? 船底に穴が空いたっていうのにさほど揺れないなんて、そりゃおかしいじゃないか」
「じゃああれは……」
「船のスピーカーに仕掛けをしてね。爆音を流しただけ。――なに、電子機器の操作ぐらいは昨今の怪盗として履修必須科目だからさ」
鳴神は舌を出す。
「わたしは最初からずっと、あんたが怒って高価なものを借りてくれるのを待ち続けてたんだ。ポーカーもあんたの恋人に変身したのも、挑発して頭に血を昇らせるため。気に障ったなら謝るよ、ごめんね童貞野郎」
「……お前謝る気ねぇだろ、変態カマ野郎」
「勝負は時に非情なのさ」
そんな軽口を交わしつつ、刈谷は溜息をつく。
「……まんまとハメられたってことか」
「あ、こっちのストレートフラッシュも当然イカサマね。トランプも怪盗の心得だからなー」
彼女は笑って立ち上がる。
「……でもね、嘘に塗り固められたわたしだって、わたし自身は本物なんだ」
鳴神は刈谷に手を差し出す。
「……借り物の力がどーこーだなんて、あんたが思う必要なんてない。その力はきっと誰かの役に立つし、みんなのことを幸せにできる。少なくとも……わたしの中の”私”は、そう信じてる」
鳴神は彼に微笑みを向けた。
「――ねえ、ユースケ。わたしはあなたが好き」
鳴神は”彼女”の言葉をなぞる。
「……まあこれこそ借り物の言葉なんだけどな。でもそれでも、あんたがいい男だってのは彼女の記憶を通して知ってるよ。あんたはもっと、自分のことを好きになっていいんだ。自分のことを受け入れて、周りのことも受け入れていいんだ」
鳴神は口の端を吊り上げて、皮肉げに笑った。
「……わたしみたいにな」
刈谷は溜息をついて、その手を取る。
「……俺はお前のことが嫌いだよ。気色悪い」
「へへ、だと思った」
刈谷はその手に支えられて立ち上がる。
その顔には、少しだけ笑みが浮かんでいた。