第1ラウンドSS・豪華客船その2

「やってくれたな」
「そりゃどうも」

C3ステーション社内食堂。昼時ならば社員でごった返すこの空間も、始業したばかりのこの時間ではひっそりと静まり返っている。

しかし、ただ一箇所。全ての扉から遠く、観葉植物により視線が遮られている位置。あえて衆人環視に紛れ込むことで諜報を避ける、密談用のテーブルだけは違った。

今その機能は発揮されていないが、彼ら三人の会話が他人に聞かれていないことだけは確かである。

「ずいぶん手が早かったじゃないか」
「警戒されているんだ、貴方は。むしろ何故こうなると思わなかったのか疑問だね」
「思っていたさ。今回は貴様が偶然に味方された、それだけのこと」

「かっ、刈谷さん!相手を挑発しないでくださいませんか!?」

甲高いヒステリックな声。二人は彼女の方を見やり、ひとまず矛を収めることにした。

そう、この場には三人いる。

DSSバトル参加者にして無職、『貸借天』刈谷融介。
同じくDSSバトル参加者にして無職(自称怪盗)、『TRPG』変幻怪盗ニャルラトポテト。

そして。
C3ステーション社長秘書兼コンテンツ構成作家、『D・S・S』進道美樹。

「す、すみません。お言葉を遮ってしまって」
「いえ、お気になさらず、マドモワゼル」
「そうだな。どうでもいいことだ」

二人から睨まれているのをあえて無視して、刈谷は口火を切る。

「話をしようじゃないか。俺たちは互いに、聞きたいことが山ほどある。そうだろ」

◆◆◆◆◆

『というわけで、明日はウチの警備をしてくれたまえ。好きにしてくれていいけど、進道君に迎えさせるから合流するように。じゃ、バイバーイ』
「クソがぁァァァーーーっ!!!」

刈谷は通話を切ってから叫び、携帯端末を投げ捨てた。
時刻は午前0時。日付が変わりDSSバトルの対戦相手が発表された瞬間、彼の元に鷹岡集一郎から電話がかかってきたのである。

内容は至って簡単。変幻怪盗ニャルラトポテトに対応するため、対戦相手の刈谷にも協力して欲しいとのことだった。

つまり、

(こちらで仕組んだ)対戦相手の(社長直々に目を掛けてやってる)刈谷にも(その方が面白そうだから)協力して欲しい(つーかしろ。な?)

というわけなのだ。イライラしっぱなしである。

かつて相場よりかなり高く自社を買い取ってもらった手前、刈谷は鷹岡にいくらかの借りがある。そのためこういった細々としたお願いを断るわけにもいかない。


その上、これは刈谷にとってもメリットのある話であった。彼は他の参加者全員に対する身辺調査を探偵事務所に依頼していた。それも複数の大型事務所にである。

公開された情報だけではなく、さらに踏み込んだ様々な情報を得るためのものだった。刈谷にとっては、むしろ彼らの生い立ちやその信条の方が魔人能力などより重要なものなのだから。


しかし、この変幻怪盗ニャルラトポテトに対しては全て空振りに終わったのである。それも当然。怪盗の身元なんぞわかるわけないのだ。

分かったのは、ネットゲームにおいて同名のキャラクターが散見されるという事と、それらはみな多彩な銃撃を扱える能力を持っているということのみ。


「全部分かってて仕組みやがったな、あのクソ野郎」

刈谷にとって、鷹岡集一郎は参考になる人物であった。確かな情報収集能力に基づいた采配に、一つの物事に複数の意味を持たせる効率の良さ。
それが『自分が見てて面白いもの』の為に行使されているのはいただけないが、実力だけは確かな男だと感じている。そういうところがムカつくのだが。


故に、彼は疑問に感じていた。

「そもそもこのDSSバトルは何が目的だ?」

単なるお祭りの可能性も高い。だがそれだけでない可能性も高い。更に言えば、仮に目的があってもくだらないものだろう。
刈谷が優勝や過去の改変でなく、バトル参加者と触れ合う機会を持つことそのものを目的としているのと同じように。


「ユースケ……このベッド、なんか寝づらい。モワモワしてる」

寝室から砂羽が這い出て来る。ここは万が一に備えて予約しておいたホテルのスイートルーム。ところが彼女にとってはその高級さがお気に召さなかったらしい。

「諦めろ」


それだけ言って、刈谷は砂羽を引っ張って寝室へ向かう。眠たげな彼女を見ていると、苛立っているのがバカらしく思えた。

「そもそも、モワモワってなんだよ」
「いやほんとにモワモワしてるんだって……嘘じゃないから」

万が一とは、だれにとってのことだろうか?刈谷は分かっていて知らんぷりをすることにしていた。


これは、罪滅ぼしのようなものなのだから。


◆◆◆◆◆

DSSバトルを運営しているのはC3ステーション第一放送局である。構成作家である進藤美樹も、社長秘書のかたわら顔を出すことがしばしばであった。

栄えある一回戦が始まるまで残りまもない今、第一放送局では怒号が飛び交っていた。準備は万全。しかしもっとできることがある、より面白くできると誰もが真剣なのである。


浮かない顔をしているのは自分だけかもしれない。美樹は室内をそっと覗いたあと、入らずに廊下を進んだ。今日の彼女は社長秘書としての仕事が詰まっている。刈谷融介と合流し、社内の警備を点検しなければならない。

刈谷融介。美樹は彼のことを不気味に感じていた。あの鷹岡が「おちょくった方が面白い」と感じた相手。そんな態度で接する鷹岡を、皮肉を交えながらも常に笑顔でかわし続けている人物。ものすこい精神力だ。

おまけに『貸借天』という能力。あれが公開された後、美樹は自分の記憶を必死に振り返った。社長秘書として、自分はかつて彼と握手をしたことがあったかもしれない。それはマズい。


もし、私の記憶や能力を知らず知らずのうちに借りられていたら?

そう思うと恐怖でえづきそうになる。自分は鷹岡に利用されている身だが、逆に言えば彼に保護されてもいるのだ。もし能力が露見すれば、自分はこの世のあらゆる人間から狙われても仕方がない。


「進道さん!」

振り返る。快活そうな若い女性。たしか第一放送局のADだったはずだ。

「どうしたの?」

「すいません、お伝えしたいことがあって。ただ、ちょっと複雑な話なので進藤さんか社長の判断を仰ぎたいんです。お時間大丈夫でしょうか?」

「そうね……わかりました」

チラリと腕時計を見る。多少遅刻することになるかもしれないが、背に腹は変えられない。些末事を社長に直接報告されても面倒だ。


「手短に頼むわ」
「ありがとうございます!」

ガバリと頭を下げられる。自分が評価されているのは構成作家や社長秘書としての能力ではなく、『D・S・S』という能力だけだ。しかし周囲は自分を社長の懐刀であるエリートのように見てくる。美樹にはどこか罪悪感があった。

「それじゃあ食堂に行きましょう。この時間なら誰もいないはずだわ」


「なるほど。私も同行させていただきますがよろしいですね?」


柔らかい声に怖気が走り振り返る。そこに立っていたのは多分に漏れず刈谷融介であった。

「なぜここに!?連絡が来ていません!それに来客用のパスを首から下げていただきませんと困ります!」

「ああ、社員の権利を借りておりますのでご心配なく。パスはあとで改めて貰いに伺いますよ。ただ、急いだ方がいいかと思いまして」

刈谷は笑みを崩さない。

「鷹岡社長からは『好きにしていい』と言われております。それに進道さん、1番危険なのは貴方なんですよ。もし貴方の記憶を奪われでもしたら、怪盗はやすやすと目的を果たすでしょう。それでは面白くないのではないですか?」

どきりとする。『面白い』と言われると、どうしても自分の能力が頭をよぎる。彼はどこまで知っているのだ?VRカードによる過去改変の情報を、どこまで精度を高めて追跡している?


「そもそも、貴方が既に怪盗でないとも言い切れません」

笑顔のまま、刈谷が手を差し出す。つけていた革手袋を外し、素肌が晒されていた。美樹には手の周囲が禍々しく歪んで見える。

「触れていただいてもよろしいですか?そうですね……『変装』の権利を借ります。すっぴんになってしまうことはお許しください。大丈夫、進道さんはお綺麗ですから」

触れる。『貸借天』の対象になる。それは本当に安全なのか?ぐるぐると思考が巡る。吐き気がしてきた。


「わ、分かりました」
「ありがとうございます。もちろん、そこのお嬢さんも」

ポカンと二人を見守っていた女性は、そこで弾かれたように反応する。

「はい。あの、刈谷選手ですよね!?もしよければお話伺ってもよろしいですか?」
「もちろんです。まあそれより先にお二人のお話を済ませてしまいましょうか」


進道は困惑した。こいつは何を言っているのだ?

「あ、あの」
「さあ行きましょう。食堂でよろしかったかな?」
「もー、刈谷選手はどこから聞いてたんですかぁ?」
「あの、すいません」


その困惑は、刈谷がこちらの都合を優先したことによるものではない。

「どうしましたか?」
何をとぼけているのだ、この男は。


「この子はもともと刈谷さんの会社から第一放送局に移ってきましたよね?」


その言葉と共にADが硬直する。そしてけったいな笑い声をあげた。

「クッハッハッハ!とんだ盲点だ。能力深度が第三階梯に到達するまで息をひそめているべきだったな。
それでわたしをどうするかね?こちらは幾らでも『やりよう』がある。もっとも、こんなときはさっさと逃げるのが怪盗の美学でもあるがね」

彼女は、変幻怪盗ニャルラトポテトは不敵に笑いながらこちらを見た。

「まあそう言うな。俺としてはこんなに早く出会えたのは嬉しい誤算だ。そもそも俺は君を捕まえるつもりはない」
「……なに?」

怪訝な顔をするニャルラトポテト。対する刈谷の表情はこちらからでは伺えない。それより彼は今なんて言った?


「つっ捕まえないんですか!?」

「捕まえたらそちらも困るでしょ。俺の対戦はどうなるんですか。それに『好きにやっていい』と言われてますから。もちろん好き勝手やらせていただきますとも。ええ、存分にね」


進道美樹は己の思考が誤りであったと感じた。彼は忍耐力が高いのではなく、鷹岡と同じく他人を振り回すことになんの頓着もない人物なのではないだろうか?

◆◆◆◆◆

「話、だと?」

食堂の一角にて、三人は対峙していた。

「そうだ。そもそも進道さんと話をしたがっていたのは貴方だろう」

ニャルラトポテト、否、鳴神ヒカリは刈谷融介に対して怒りを燃やしていた。C3ステーションに元社員がいる?社長から好きにしていいと言われている?なんだそれは。癒着ではないか!

「如何にも。だが貴様に聴かれたくはない」
「無理だって分かってるだろう」
「すみません。一刻も早くニャルラトポテトさんにお話を伺いたいのはやまやまなのですが、これは仕事でもあるので……」

ヒカリは既に返信を解き、普段の姿に戻っていた。即ち、進道ソラと酷似したアバターの姿に。

「良いでしょう。わたしも貴方に話があって来たのです。妹さんについて、ね」


美樹は固唾を飲んでこちらを見ている。刈谷はといえば、食堂で買ったポテトを手づかみでほおばっていた。

「お二人もどうぞ。話ってやつは緊張してると進まないもんです」

そしてまた一口。ヒカリは無視することにした。

「単刀直入に言わせていただきます。わたしが盗みに来たのは、あなたがた姉妹なのでございます」

ヒカリはC3ステーションについて調べたことを思い出す。この社内、貴賓室でさえも価値のある美術品などは見当たらなかった。社長の意向だろう。そのため彼らは自分がなにを盗もうとしているのか頭をひねっていたに違いない。


「わたしは——」

変身。その顔が焼けただれたものに変わる。

「進道ソラさんにお会いしました。なぜかわたしの姿と似ていた彼女に、興味を覚えたのです。そして彼女の記憶を追体験してしまった。

それはもう恐ろしい記憶でした。今でも思い出します。しかしそれ以上にわたしは、ソラさんが持つ愛に心を乱されたのですよ。美樹さん。あなたへの愛です」

美樹の顔を見ると、どうにも怪訝な表情だ。説明を逸ったか?しかし、つくろってもどうしようもないことだ。

「愛ですか?あの子が、私に」

「如何にも!彼女はあなたの為に、あえてDSSバトルを望み、それ以外を酷評しているのです。DSSバトルを書かざるを得ないあなたを支える為に!」

進道美樹はその言葉を受け、俯いてしまった。


——彼女の頭の中には二つの考えが渦巻いていた。

一つは、鷹岡に騙されていたということ。心情としてはこちらの方が断然いい。

もう一つは、目の前の怪盗に騙されているということ。ただ、そんなことをするメリットが分からない。そして相手の利益が分からないからこそ、それが信じられるかどうかも判断できなかった。

「四回戦が終わったあと、改めてお伺いします。その時までに、お気持ちを決めてください。どうかよろしくお願いします」

深々と頭を下げるニャルラトポテト。小悪党を自認する彼だが、今だけはそんな気持ちになれなかった。美樹の熟慮が、妹への愛ゆえだと信じることができたからだ。


「……すみません。優柔不断で。なんというかこう、気持ちがモワモワしてしまって」

「構いませんとも。さあ、わたしの話は済んだ。貴様の番だ……なにを笑っている?気持ち悪い」

「いや、悪い。モワモワって流行ってるのかと思ってな」

それは彼が見せた初めての苦笑だった。

弛緩した空気の中、ヒカリも美樹もポテトに手を伸ばす。


それは、致命的な隙。


「それじゃあ聞かせてもらうぜ。お前、そんな能力を持ってて恥ずかしくないのか?」

二人の手を、刈谷がしっかりと掴んでいる。

先ほどまでポテトを手づかみで食べていたのだ。もちろん、彼の手には手袋などつけられていない。

「離せェッ!!」

鳴神ヒカリは狂乱する。腕を振り回すが、既に手を離されていた。しかし見ているのはそこではない。彼の目は自らの手を見ていた。青白く、分厚い、醜い手。

「返せ!!ボクの能力を返せよっ!!」
「もう返した」

刈谷の瞳は嫌悪で冷え切っていた。ヒカリはそれを自らの醜い姿のせいだと認識する。

「このぉっ!!」

殴りかかる。なにに阻まれることもなく、拳はしたたかに刈谷の頬を打ちつけた。

「そうか」
「なにがだっ!!」

「お前は俺だ」

理解しがたい発言だった。その顔で、その体格で、その能力で、自分と同じだと?

「見ただろう!本当のボクを!!どこが同じだっていうんだ!言えッ!!」

ドン、とテーブルを殴りつける。美樹が俯いたままビクリと震えた。しかし目の前の男がその顔色を変えることはない。

「そういうとこだよ」

それだけ言うと刈谷は立ち上がる。

「進道さん。今日のことは適当に報告しておきます。あなたが鷹岡社長にどうお伝えするかは……あなたに任せます。残念ながら、私からは今の所それ以上できることはありません。

そして、変幻怪盗ニャルラトポテト。俺がお前に言えるのはこれだけだ。俺は恥ずかしい。こんな能力を望み、そして手に入れてしまったことが、恥ずかしくてしょうがない」


◆◆◆◆◆

鳴神家は五人家族だった。優しい両親に優秀な兄と、粗忽なところはあるが愛嬌のある妹。ヒカリさえ居なければ完璧な家族だっただろうと、自分でも思う。

なぜ自分は、こんなにも醜く生まれてしまったのか?それは兄や妹とはことなり、両親の顔のパーツを奇跡的な悪いバランスで配置したような顔だった。そのくせ変に色白で、体はでっぷりとしていた。ふきでものは顔だけでなく、首や背中にも及んだ。

妹は自分に辛く当たった。家という空間を共有していることそのものに嫌悪を発しているようだった。それもそうだ。自分だけがこんなにも醜いのだから。

兄は自分に全く興味がないようであった。最後に言葉を交わしたのは小学生の頃だったのではないだろうか。当然だ。醜い自分とは関わりたくなかったのだろう。

両親は自分の扱いに頭を悩ませているようだった。活発な二人と違い、内向的で友達もいないのは自分だけだ。仕方ないだろう。醜い自分に友達などできるわけがないのだ。

オンラインゲームで性別を偽るのに時間はかからなかった。そして嘘が膨らみ、バレそうになるまでも。そして『トランス・ロール・プレイング・ガール』……全てを偽る能力。

何度思ったことか!見た目さえ良ければ……美しく生まれてさえいればと!!『美しさ』という才能に、自分は焦がれていた。

そんな自分では、あの活発そうなADに一週間かけても第三階梯まで『なりきる』ことができなかったのは当然だと言えた。しかし一番マシなのが彼女だったのだ。

アバターが進道ソラに影響されたのも、ある意味当然だったのだろう。ゲームのかたわら、彼はよくアイドル番組を見ていた。美少女を見るだけでなく、他人への媚び方を学習するためでもあった。

特定の個人に肩入れしファンになることはついぞなかったが……誰よりもまっすぐで、努力していた少女がいたことはぼんやりと覚えている。意味のない記憶だ。

そう、『TRPG』、能力を手に入れた自分は、まず家を出た。きっと自分がいた頃より幸せだろう。一人になり、怪盗となり、あらゆるものを盗んだ。しかし。

しかしである。


なぜ、この空虚さは埋まらないのか?


進道ソラと出会い、わかった気がした。愛だ。ボクは、愛してもらえたことがない!

誰かボクを愛してくれ。ボクを……認めてくれ。

せめて、偽りの「わたし」でいいから。

◆◆◆◆◆

試合開始から数十分。ヒカリは刈谷を探していたが一向に見つからなかった。彼は自分の能力からして刈谷は人がいないところにいると思っていたのだ。

ところがダメ元で入ったパーティー会場にて、ヒカリは刈谷を見つけることになる。

「……は?」

30,720,250円。

目をゴシゴシとこする。

30,720,250円。

なんのことかと思うかもしれない。

なんてことはない。このリアルVR空間においては、デカデカと刈谷の頭の上で数字が常に光り輝いているのである。

「まあ、刈谷さん!その頭の数字はなんなんですか?」

「ああ、これはですね。私がこのDSSバトルのためにいくら使ったかを表しているのです。お願いしてつけてもらいました」

「それでは、もうこんなに?豪快なのね」

「なあに、優勝すれば五億です。安いものですよ」

あはは、うふふ、と笑っている。遊んでいるのか?このわたしと戦おうとすらせず、観客とお喋りとは。

——殺す。


進道ヒカリのアバターであるニャルラトポテトは、メインジョブがガンスリンガー、サブがローグである。そのスキルにより彼女は華美なゴシックロリータのドレスを着ていても、その存在を誰にも気づかせなかった。

そして飜る拳銃。ドレスと同じくミソロジーレアのエンドコンテンツ、最強装備だ。無論クラン内の囲いから献上してもらったもの。そこから放たれる弾丸はニャルラトポテトのDEXにより命中とクリティカルに補正がかかる。

音より早く後頭部に吸い込まれる弾丸。


銃声が響く頃には、既に刈谷の拳がヒカリの喉を深々と貫いていた。


「ゴッ……げぇッ!!」

「悪いな、あのとき拳を受けたのはわざとだ」

ミソロジーレア武器による銃撃は凄まじい運動エネルギーを刈谷に与えた。そしてそれは刈谷のものとなる。この男に対し、物理的攻撃は通用しない。

わざとと言うならば、パーティー会場で待っていたのもわざとだ。無防備な背中を晒せば、こいつは必ず不意をうってくる。そこまで踏まえてのスタート位置だった。

うずくまったヒカリに対し、刈谷はサッカーボールキックを叩き込んだ。壁を破壊し廊下まで吹き飛ぶ。30,721,981円。

彼の魔人としての身体能力は一般的なものだ。しかし、非力なヒカリには耐えられないものであった。

めり込んだ壁からズルズルと落ちるヒカリ。明らかに生気がない。というか首がへし折れて頭が肩に触れている。

「やあやあ、皆さん、応援ありがとうございます!」

何が起きたか分かっていない観客に声をかける。彼らはにわかに騒ぎ出す。盛り上がれるきっかけがあらばなんでもいいのだ。

ところがそのとき。


『遅延詠唱・蘇生』


緑色の光が輝き、変幻怪盗ニャルラトポテトがその姿を変える。
きらびやかな黒衣の美少女から、深紫のローブを纏った美女へ。


「クッハッハッハッハ!!これが、『魔女』だ。貴様の攻撃に意味などない」

とある小説に登場する、ありとあらゆる魔術を収めた紫衣の魔女。迫害され、処刑された彼女の人生を……ヒカリは実感を持って自らと同一視し、その姿を得た。

「おいおい。俺だって他人から『命』を借りてくることはしなかったぜ」

「なんとでも言え。わたしは、貴様にだけは勝つ」

緑の光と共にローブを翻すと、そこにはまたしても『怪盗』の姿。瞬くマズルフラッシュ。

「阿呆が!!」
「おごっ……。阿呆は貴様だ」

またしても運動エネルギーを借りたことによる高速打撃を受け、予めかけておいた蘇生呪文により復活するニャルラトポテト。しかしそれは、先ほどの二の舞などではない!

「クッハハハハ!!気分はどうだ。にはパラライズ・ポイズン・ウィーク・ブラッド・カース……その他あらゆる状態異常攻撃を打ち込ませてもらった」

うずくまる刈谷。どこかから血を流しながら、もんどりうって倒れている。指がピクピクと動いている様子は滑稽ですらある。

ニャルラトポテトは、賭けに勝った。『貸借天』は確かに誰のどんなものでも借りることができる能力だ。しかし……自分のものはどうなのか?

答えは否。刈谷融介は、自分のものを借りることが出来ない。さらに言えば、自分のものを他人に貸すことも出来ない。

「既に『状態異常』のバッドステータスは貴様自身のものだ、刈谷融介。貴様にそれを打開できるか?」

何が俺と同じだ。
ボクはおまえより苦しかった。
ボクはおまえより悲しかった!

「……てやる」

「何か言ったかね?」

麻痺したはずの体が、もぞもぞと動いている。しかし状態異常の重ねがけは出来ない。何かされる前にこの場を離れるべきか?

「ぶっ殺してやる」

31,505,476円。

またもあの冷たい瞳が鳴神ヒカリを貫いた。一瞬だけ体が竦む。

そして、その一瞬が致命的だった。

豪華客船。その船体が、余りにも呆気なく崩壊する。どこもかしこも、この場でさえも。

「悪いな……。この船から『耐久』を、奪った。一瞬で沈むぜ、こいつは」

刈谷融介は今回なにも借りていなかった。正真正銘、人からなにも借りることなくこの場に臨んでいた。能力を使わないことはできないが……それが、『TRPG』を自分が心置き無くぶちのめすための条件だと感じていたのだ。

しかし結果はふがいないもの。幼い頃の自分と鳴神ヒカリを重ねた彼の感傷が、明確に戦闘の足を引っ張っていた。そもそも他人から『状態異常耐性』でもなんでも借りていれば良かったのである。

『ニャルラトポテトが多彩な銃撃を扱える』なんてことは、予め分かっていたのだから。

「クッ、クッハハハハ!ハッハッハッハ!!」
「なにがおかしい」
「おかしいもなにも……思いつかなかったのか?」

バサリ。またもニャルラトポテトは、紫衣の魔女へと姿を変える。

「まさか『魔女』が、空を飛べないなんてことはあるまい。一人で死ね」

「嫌だね」

崩壊した動力炉からの爆風がこの場を包んだのは、その瞬間であった。

「『障壁』ッ!」

それは反射的な行動。範囲攻撃を防ぐ最適解。

「ハッ。借りるぜ」

それを見逃す刈谷ではない。35,770,148円。

(バカだな)

一人飲み込まれる変幻怪盗ニャルラトポテト……鳴神ヒカリ。

(バカだ、俺は。奴に過去の自分を重ねて……侮った。今回だけは『人のモノを借りない』つもりでいても、結局コレだ。情けねえ。死んだほうがいいんだ)

沈む、沈む。

そして沈んだのは、船と、刈谷祐介のみであった。

◆◆◆◆◆

「ハーッ!ハーッ!」

爆炎に苛まれながら回復魔法をかけ続けるのは恐ろしい苦痛であった。しかしヒカリは耐えた。『魔女』の記憶が持つ火あぶりの刑の記憶がなければ途中で諦めていたかもしれない。

「ハーッ!ハーッ!耐えた!耐えきったぞ!!これで、私の……勝ちだ!!」

海上数百メートルから眼下をねめつける。船の藻屑ひとかけらすらない。あの爆発は耐久力を失った船体全てを破壊しつくしてしまったのだ。

「待て……本当に勝ちか?奴はまだ戦闘不能ではないかもしれない」

『魔女』の障壁の中でも素早く脆いものを唱えたが、あの程度では傷一つつかないだろう。

(魚から『呼吸』を奪い、海中に潜み攻撃の機会を狙う……あり得る。だが、そう考えて突撃しても、なにかしらの反撃があるだろう)

だが、と思考を進める。

(完膚なきまで叩きのめさなければ、気が済まない)

そうしてもう一度海面を睨みつける。船の破片一つない。人類に迫害された童話の『人魚』に変身すれば、海中でもそうそう負けはしない。

(待て。船の破片が……ない?)

普通、もっといろいろと浮かんでいるのではないだろうか。

(まずい。何かわからないがまずい!)

急降下。グングンと海面に迫る。

近づく水面。

そして。

◆◆◆◆◆

鳴神ヒカリは進道美樹の説得により、進道姉妹とおなじ社内の居住スペースに居座ることを許されていた。適当なところに放り出せば警察に捕まってしまうからである。
「ま、本当のところはどーでもいいんだよね。なにかしらが盗まれてもそれはそれで面白いし」とは鷹岡の談。

というわけで、彼が目覚めたとき、進道ソラがヒカリを心配そうに覗き込んでいても不思議ではないのだ。

「うわっ!?」
「きゃっ!?」

お互いに仰け反る。

「す、すまない。それで、恥ずかしい話なんだが……わたしは勝ったのか?それとも……」

「それは……貴方の負けよ。場外負け」

「場外?確かルールでは、船体から1キロだったはずだ。わたしはそんなに遠くには行っていない」

ソラは首を振る。

「違うわ。刈谷融介が海から『質量』借りて、船体を高速で沈めたの」

「……は?」

「破壊された船体は、その破片一つ一つから平均を取った地点が中心となるわ。抵抗のない質量ゼロの海では、さぞぐんぐん船は沈んだでしょうね。あなたはあっという間に場外になったわ」

ずいぶん口調が大人びているな、などど場違いなことを思った。それは、彼女の諦めがそうさせたのか。

「そうか……負けたのか、奴に」

ベッドを殴りつける。ヒカリは能力に目覚めてから、自らの暴力的衝動を抑えられない傾向にあった。

「その、なんて言ったらわからないけど……彼も悪い人ではないのよ」

「慰めのつもりか?」

「そうよ。これは慰め。だって、あなたはわたしを盗み出してくれるんでしょう?」

ソラは震える手でぎこちなくヒカリの頬を包み込んだ。顔が近づく。肌が熱を持つのが分かる。その手を通じて熱が伝わっているのかと思うと、ますます顔が赤くなってしまう。

「わたしは進道ソラ」
「わ、わたしは……ボクは、鳴神ヒカリ」

「ヒカリ。彼は昔、わたしを人工神経が完成した時の被験体にしてもいいと言っていたわ。完成したら売ってくれるとも」

「そ、それがどうした」

「あの人はきっとお金しかないひとなのよ。『金さえあれば』って思って生きてきた人なのよ。わたしには分かるわ。わたしは自分に、『可愛い顔しかない』って思って生きてきたから。
だから、アイドルしかなかったの」

「そ、そんなことはない!そんなことはないよ!君は……美しかった!!顔だけじゃない!他のなにもかも……全てが!今も!!」

ヒカリはソラの手を振り払い起き上がった。

「ありがとう、ヒカリ。その顔で言われるとちょっと複雑だけど」

「ご、ごめん」

「冗談よ。何かあったときは、あの未だに思春期こじらせてるおじさんを頼りましょう。『今のところ』は『これしかできない』って言ってたんでしょう?ならあとでまた力を貸してくれるわ。

お姉ちゃんをへこまされた借りを返してもらう必要もあるものね」

(こ、こんな子だったのか……)

彼女の強い瞳に見据えられながら、先日の憎悪に燃えたもう一つの瞳を思い出す。

(『金さえあれば』。『美しくさえあれば』。なるほど、確かにボクたちは同じなのかもしれない。
だがボクは、この能力を恥だとは思わない。確かに嘘をつき続けたのは恥だ。だけど……これがなければ、ボクはあの家で燻り続けているだけだった。これは、必要な力だ)

ただ。ただ一つだけ、ヒカリは認識を改める。

(辛かったのも、苦しかったのもボクだ。だけど、きっと奴は、ボクより虚しかったのかもしれない)

◆◆◆◆◆

「ちょっとユースケ、まだ飲んでるの?」
「っせーな!ボケ!!死ね!!」

刈谷融介はそれはもうベロンベロンであった。なにを隠そう、彼は酒に弱い。

「なぁ、砂羽。お前、本当に俺について来て良かったのかよ。もっといるだろ、いいやつがさあ。オイ、聞いてんのか!なにも、俺みたいなやつの……」

「聞いてますよー。ほら、もう寝ましょ」
「聞いてねぇだろ……」

言われるがままに寝室に向かう刈谷。そのままベッドに倒れこむと、すぐにグースカと眠り込んでしまう。

「あなたは、私がこんなになるまで放っておいたことを自分のせいみたいに思ってるみたいだけど。

……逆。こんなになっても、あなただけが私を助けに来てくれたの」

そっと額を撫でる。その顔は子供の頃からはどこか変わっていた。

「整形して、身長も伸ばして。そこまでしないと、他人から見た目で判断されてしまうものなの?私ももっと可愛かったら、もう少し丁寧なお客さんを相手にできたのかなぁ」

もう寝よう、と砂羽は思う。最近は少しずつ、きちんと夜に眠れるようになっている。そして、もぞもぞと同じ布団に潜り込む。

二人は恋人ではない。もはや上司と部下でもない。ただ、お互いがお互いに対する負い目を持っていることだけが、二人を同居人たらしめていた。

「うぅん……モワモワする……」
「あっ!モワモワするって言った!ほらやっぱり!そうでしょ!?モワモワするでしょ!?」


姿を偽る少年と、本来の姿を失った少女は、こうして二度目の出会いを果たした。

しかし。なにもかもを他人から奪い取ってきた男と、なにもかもを奪われたままの女は、未だにすれ違っている。
最終更新:2017年10月29日 00:07