第1ラウンドSS・高速道路その1

 全国高校生スパンキング甲子園、決勝戦。

 この夏の日は、とても暑かった。

 千葉県は富津市。マザー牧場の「緑の広場」において行われた、この戦い。
 この場に立っているのは、全国のスパンカーから選ばれし、ただ二人の男。

 一人は、身長2メートルを超える、筋骨隆々の大男。全身から活力が溢れ出るような、云わば陽のスパンキング力を持つ。
 その尻は、芸術的と言っていい肉付きとハリを持ち、そのまま彫刻にしたならば、ドナテッロの「ダビデ」にも匹敵するだろうと言われている。
 熱いスパンキング魂を燃やす、まさにミスタースパンキング。稀代のプリケツを持つ、尻に愛され、尻を愛した男。
 名を、尻手翔。

 対するは、身長はせいぜい160センチメートルを超える程度と言ったところか。肉付きは、お世辞にも良いとは言えぬ。中肉中背の、凡夫。
 しかし、その目の奥に燃える炎と、尻の美しさでは、翔にも引けを取らなかった。
 ケアにケアを重ね、シミ一つ、汚れ一つ見当たらぬ張りのある尻。彫刻に例えるならば、読んで字のごとく「尻の美しいヴィヌス」か。
 決してスパンキングの神には愛されぬ。しかし、スパンキングに対する執念のみで、神に反逆してきた。
 スパンキングの本場、アメリカから太平洋を渡り、翔と戦うためだけに来日した男。
 名を、ヒップス・T・スパンキー。

「お前との尻縁も、ここで終わりか」

 先に口を開いたのは翔だった。その手は、ふんどしで締められた自分の尻をパチパチと叩く。ふんどしの前垂れには、大きく「尻意(ケツイ)」と書かれている。
 油断なき、ウォーミングアップ。
 尻手翔が、これほどまでに慎重になる相手は、他にいない。

「イェアー。勝った方が、真の“スパンKING”ケツネ」

 ヒップスもまた、いつスパンキングされてもいいように、ブルンブルンとTバックで締めた尻を揺らす。アメリカ訛りが取れないその発音を、もはや笑うものなど誰もいない。
 行住坐臥スパンキング。それが、男達の日常だった。
 翔は、どこか寂しそうに、目を伏せる。それを見たヒップスは、やれやれと言った風に、肩をすくめる。

「オヤオヤ、そんなことでは困りケツネ。ミーが唯一認めた、ミーのライバル。この戦いに、不純な尻などいらないでケツヨ」

「……んなこと、わかってるよ」

 わかっている。翔には、痛いほどわかっているのだ。
 ヒップスのスパンキングを支えるのは、恵まれない体格を無視した、苛烈なオーバースパンキングと、それに耐え抜く精神力だ。
 だが、それにも限界がないわけがない。
 これまで、数え切れないほどヒップスのスパンキングをしてきた、翔だからわかる。
 この戦いが、ヒップスの最期のスパンキングになる。

 翔は、涙で濡れた尻を拭った。大丈夫。今必要なのは、悲しむことではない。
 正々堂々と、全力のスパンキング。それこそが、ヒップスの求めるものだ。

「安心しろ。手心は加えねえ。お前のケツ、ひーひー言わせてやるよ」

「ハッハァー! それでこそ、ショウでケツ! それでは、いくでケツヨ!」

 試合開始の合図を待つでなく、二人は走った。
 青春と呼ぶにふさわしいそれは、一瞬で燃え尽きるような、灼熱のスパンキングだった。


* *



「あれが、もう1年も前の話か……」

“スパンキング”翔は、C3ステーションが用意したVRマシンに寝ころびながら、手に持つドッグタグを見やる。
 そこには、ヒップスの尻アルナンバーが刻まれていた。

「約束は、果たすぜ」

 翔は、戦場へと臨む。
 生涯たった一人の親友との、誓いを守るために。


* *


「いやあ、いよいよ開幕だねえ!」

 C3ステーションサーバールーム。
 ここは、全てのVR空間を統括管理することができる、C3ステーションの中枢と言える場所だ。国内最大企業の機密が溢れんばかりに詰め込まれており、入ることができるのは当然、限られた人間だけである。 
 そんな、現代経済の要所とすら言える場所で、鷹岡集一郎は映画観戦じみた様相だ。持ち込んだコーラとポップコーンを、脂ぎった手で平らげる。

「おいしいものはたくさん食べてるんだけど、この映画館のポップコーンってもののおいしさはまた別物だね。安っぽい味だと思うけど、ついつい食べちゃうんだよなあ」

「……どうして、この対戦相手なんですか」

 鷹岡の後ろで立ち尽くす進藤美樹は、にやけた笑いを浮かべて各試合のモニターを見やる鷹岡に、疑問を述べた。
 その視線は、第4試合……“スパンキング”翔対狭岐橋に向いている。

「狭岐橋選手は男性と戦って実力を発揮できるタイプの選手ではありません。少なくとも一試合目では、女性を当てて実力のほどを見るべきだったのでは」

「いやあ、結構ちゃんと男性対策を考えているらしいし、何より勝利への執念が違うからね。案外、良い勝負するかもよ。それよりも、僕の興味は“スパンキング”翔君の方なんだなあ」

“スパンキング”翔。名前を調べれば輝かしい経歴が出てくるものの、その実核心に触れたものはほとんどない。
 特に、スパンキングというものの情報が少なすぎる。ある者は、格式高い競技スポーツと言う。ある者は、伝説の格闘技と言う。ある者は、失われた暗殺術と言う。そのどれもが説得力があり、信ぴょう性はない。
 翔自身についても、全国高校生スパンキング甲子園と言う謎の大会で優勝していたり、中東最大の犯罪組織のドン、トム・ベンジャミンを暗殺した上組織自体も壊滅に追い込んだという。若干18歳の少年が持つ経歴ではない。
『スパンKING』、『尻が見た悪夢』、『AAA(トリプルエー)』……。様々な肩書はあれど、その全てが翔のパーソナルを物語らない。
“スパンキング”翔は、鷹岡集一郎ですらその実態をつかめぬ、謎に満ち溢れた存在なのだ。

「まあ、いろんな面で試金石ってとこだね」

 鷹岡は、にやりと笑い、コーラをズゾゾゾと吸い尽くした。


* *


「ここが……戦場?」

 狭岐橋の目に飛び込んできたのは、車の免許を持っていない自分には、あまりなじみのない風景だった。
 パーパーと、そこら中からクラクションの音が聞こえる。先が見えないほどの大渋滞を見せる、車の列。
 カーブ、ジャンクション、インターチェンジが所狭しと組み合わさり、さながら迷宮の如き道路事情。
 あまりの複雑さに、八岐大蛇と揶揄される、日本最大の高速道路。

 首都高速道路が、今回の戦場であった。

「……悪くは、ない」

 むしろ、自分の戦法を考えると、適所と言ってもいい。
 狭岐橋は、この日のためにZONAMAで購入した“武器”を、握りしめる。

 私は今日、人を殺す。

 心の中で唱える。例えVR空間であったとしても、それは変わらない。
 正直言って、抵抗がないわけではない。だが、それを上回る、強烈な思いに、突き動かされる。

「カナちゃん……、絶対に救って見せるからね」

 それは、勇気などではない。
 もっと切実で、もっと悲壮的な何かだ。


* *


「てめえ! ひき殺すぞ!」

「おっと、ごめんごめん。でも、どうせ車進んでねえぞ」

“スパンキング”翔は、徒歩で高速道路を練り歩きながら、怒声を上げる運転手に片手を上げた。

「すげえなー。VRとは思えねえわ」

 翔は、クラクションのオーケストラに耳を塞ぎながら、油断なく辺りを尻回す。
 狭岐橋……と言ったか。対戦相手らしき女性は、付近にはいないようだ。強者がいれば、翔の尻が反応しないはずがない。

「戦闘空間の広さは2㎞四方だっけ。まあ、時間は1日あるっていうし、ゆっくり探すかな」

 翔は、常にポジティブであり、呑気である。それは、自分の望みをかけた大一番でも、変わらない。あくびをしながら、悠々と歩きだした。

 その時だった。

 喧騒の中から、僅かに風を切る音が聞こえた。
 考えるより先に、尻が反応する。翔がその場を飛び退いた瞬間、翔のすぐ隣にあった車の、天板がひしゃげた。

「ぐえええ!」

 車両内の運転手が、断末魔の悲鳴を上げる。
 その悲鳴が消えるか消えないかと言ううちに、車は閃光を放ち爆発炎上した。
 爆風と、飛び散る車の破片。それらが、常人であれば決して避けられぬ、圧倒的速度で翔に襲い掛かった。

 だが、翔の尻は既に爆発を向いていた。

 まずは爆風によるスパンキング。【ラスト・スパンKING】発動。翔の身体能力が劇的に飛躍する。
 その後は、更に一瞬の出来事だ。
 翔は、飛散する破片を次々と自らの尻で受けとめた。
 翔に向かってきた破片だけが、的確にその場に落ちる。翔のプリケツにより運動エネルギーの一切を吸収された破片は、もはや転がるガラクタにすぎぬ。
 運転手の体が、黒焦げになって崩れ落ちた。そこかしこから悲鳴が上がり、車を捨てて脱兎のごとく逃げ出す民衆。

「いくらVRとはいっても、あんまり気分のいい光景じゃねえな……」

 翔は、放置されたボンネットに昇り、まっすぐに天を見つめた。

「さて……、上か」

 しかし、翔の目には澄み渡る蒼天以外に、何も入らなかった。


* *


「は、外しちゃった……。うえっ」

 背中から羽を生やした狭岐橋は、小さく餌付いた。仮想現実と言えど、体感者からすれば現実と変わらない。燃える運転手を見て、気分が悪くなる。
 だが、狭岐橋の心は折れない。

「でも、大丈夫……。これなら、負けない」

 何十本ものスローイングダガーを差し込んだベルトを、ぐっと握りしめる。豊満な胸にパイXでたすき掛けしたベルト。
 その光景は、童貞を一撃で殺しかねない破壊力を持っていた。
 サキュバスとしての狭岐橋は、この姿を見られたくて股間を疼かせていた。だが、そんな扇情的な姿を他人に目視されることはない。

 狭岐橋がいるのは、地上から約20キロの上空だからだ。
 対流圏を突き抜け、成層圏に差し掛かる高さ。もはや、人間の目ではとても認識できる距離ではない。

 高高度からの、スローイングダガーによる狙撃。
 それこそが、狭岐橋の取った戦法だ。
 今回の相手が男性とわかった時点で、この戦法を取ることは決定した。
 この距離であれば、相手には視認されず、変身は解除されない。また、人間は上からの攻撃に徹底的に弱い。さらに、よほどの飛び道具を持っていない限り、20キロメートル上空の敵に対する迎撃は不可能である。
 何より、狭岐橋は“ある感覚”を持って、敵を一方的に認識するというアドバンテージを持つことができた。

「すんすん……うう、ジンジンしちゃうよう……」

 狭岐橋は、股間をもじもじとすり合わせながら、懸命に鼻をヒクヒク動かした。
 サキュバスは、男性の位置を探る能力に関しては、右に出る者はいない。
 狭岐橋は、翔の全身にまとわりつく雄臭を以て、20キロメートル上空からでも、その正確な位置を把握することができているのだ。

「よ、よし! 行くぞ!」

 実験は終わった。ここからが本番だ。
 狭岐橋は、両手で幾本ものダガーを掴んだ。
 絶対に勝つ。そのためならば、なんだってする。

「いっけええ!」

狭岐橋の手から、ダガーが放たれた。

* *



翔の耳に届くのは、尋常ならざる速さの風切り音。
それも、1本や2本ではない。数十本以上のダガーが、上空から自分に向かって飛来してくる。
とても、躱しきれる速度ではない。尻で受けなければ、致命傷は必至だろう。

「悪くねぇ」

強烈なスパンキングとなるだろう。
翔は、にやりと笑う。
人っ子一人いなくなった高速道路上で、高々と尻を上げた。

「いただくぜ、お前のスパンキング」

コォォォと、翔が深く息を吸った。
ダガーが、雨のように翔に届くその時。

翔の尻は、閃きとなった。

「ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリィーッ!」

翔が、裂ぱくの気合と共に、尻を何度も突き出す。残像で、尻がいくつにも分裂して見える。さながら、尻ラッシュだ。
尻は、確実にダガーを叩き落とす。もはや、明らかに翔には当たらないであろうダガーすらも、わざわざ飛び込んで尻で叩き落とす。
それはもはや、人間の姿ではない。尻の姿をした、怪物だ。
スパンキングに携わる者は、翔のこの圧倒的尻ラッシュを目前にして、畏敬を以て翔を『AAA(トリプルエー)』と呼んだ。

そう…… All Ass Alien(ケツだけ星人)と。

「オラオラオラーッ! さぁ! もっと来い!!」

【ラスト・スパンKING】は、尻への攻撃を受ければ受けるほど強くなる能力。
ダガーを受ければ受けるほど、翔の速さは上がっていく。翔自身も、もはや自分が手の付けられない存在になりつつあることはわかっていた。

だからこその、油断だったのだろうか。
その攻撃は、完全に翔の認識の外から行われた。

天に尻を突き出す、翔の目前。
高速道路のアスファルトが、突然ひび割れ、砕け散った。
能力名【ジレンマインマ】。サキュバスに変身することで、常人をはるかに超える身体能力を手に入れる。
風のように地面から飛び出した狭岐橋憂は、翔に深々と拳を突き立て、勢いのまま空へと飛びあがった。


* *



“スパンキング”翔と言う男のことは、調べればある程度の情報を手に入れることはできた。
尻を叩けば叩くほど、強くなるというふざけた特殊能力。だが、中東の犯罪組織を一人で潰したという戦績が、狭岐橋を絶望に包んだ。

「こ、こんなの相手が悪すぎるよ……」

狭岐橋は、ただの女子高生なのだ。【ジレンマインマ】で常人をはるかに超える身体能力を得ることができるとはいえ、戦ったことは一度もない。
そんな自分が、百戦錬磨の『尻が見た悪夢』に、勝てるとはとても思えなかった。

「でも、勝たなきゃ……。カナのために、絶対!」

経験値に劣る自分が、相手を上回るためには何をすればいいのか。
狭岐橋は、愚かだった。愚かで、ひたむきで、普通の女子高生だった。
明らかに戦闘力を上回る相手を倒すため、捨て身になる以外の方法は、思いつかなかった。


上空からのダガーの連射は、あくまでも布石。翔の尻を、空に向けるためのものだ。
真の必殺は、奇襲。
ダガーに紛れて自分が超高速で降下し、地面を貫いて接敵する。そして、翔の無防備な正面を、手拳で貫く。
地面を間に置くことで、拳が当たるまでは翔に自分を見られない。すなわち、能力が解除されない。それこそが、この作戦の肝だった。

そして今、狭岐橋の目には、目を見開く翔の表情が写っている。
自分はもうすぐに能力が解除されるだろう。激突の勢いで浮かび上がった自分は、当然落ちていく。地面に激突すれば、死は免れない。
だが、先に翔が死ねば、私が勝利する。
手拳は、翔の豊満な胸に深々と突き刺さっている。まず間違いなく、致命傷だ。その命は、もうすぐ事切れるだろう。
もちろん恐怖を感じないわけがない。だけど、カナのためならば、VRの恐怖など、耐えてみせ……

豊満な胸?

狭岐橋に、強烈な違和感が去来する。
手拳が深々と突き刺さる翔の胸は、豊満すぎる。サキュバス状態の私か、それ以上の大きさがある。しかも、張りもすごくて、艶があり、ダイナミックで、まるでギリシャの彫刻の如き完成度だ。
男性が、こんな胸を持っているはずがない。
翔が、にぃっと笑った。

「いいスパンキングだ」

翔の胸からは、脚が生えていた。踵がこちらを向いている。なんということだ。
今、狭岐橋が貫いたのは、胸ではない。

尻だ。

「お前がダガーを投げてくれなかったら、危なかった」

翔は、体を腰から180度捻転し、そのままS字状に体を折り曲げることで、胸への攻撃を尻で受けることに成功したのだ。
翔の体勢を図にすると、こう!


前       後
   頭   
  尻 胸
  脚腰
  足 腹


伝わっかな? とにかくこんな感じです!
この人間離れした捻転を実現したのは、翔の魔人能力、『ラスト・スパンKING』である。
『ラスト・スパンKING』は、翔の全身体能力を強化する。
それは、柔軟性も例外ではない。

(そんな)

翔の笑顔と共に、狭岐橋の魔人能力が解ける。重力が、体にのしかかる。
それは、“あの時”と同じ。
間近に迫る、死の感覚。
そして、親友の命が奪われていく感覚。

「イヤアアアアアア!」

狭岐橋は、思わず悲鳴を上げた。


* *



「カナちゃん。私の魔人能力……その、引かない? 気持ち悪くないの」

「えーっ。いや、確かに驚いたけどさあ」

ケラケラと笑うカナちゃん。その顔には、侮蔑の色も、距離を取る気配もない。いつも通りの、カナちゃんだ。

「でもなんか、ユウらしいっていうか。生真面目な能力だよね。私は好きだよ」

「ええっ。なんか、私らしいって言われると、複雑なんだけど……」

「まあ、なによりも、嬉しかったかな」

「……え?」

「ユウが、私に秘密を教えてくれたこと。本当にうれしかった。ありがとう。ユウの秘密は、私も背負うよ。二人一緒なら、辛くないでしょ。私たち、親友なんだからさ」

「カ、カナ……ちゃん」

私は、目から涙が溢れるのを、止めることができなかった。
でも、カナちゃんは私に能力を隠していた。『for you』なんて、悲しくて、残酷な能力を。
だから、そう。私は、カナちゃんを生き返らせて、一番初めに言うんだ。
バカって。自分ばっかり隠しごとして、何が親友だって。いっぱい文句言って、いっぱいケンカして。
それで、私も背負うよって。一人だけ秘密を抱えさせてごめんって。
だから、だから……!


* *



いつまでたっても、狭岐橋が地面に叩きつけられることはなかった。
恐る恐る目を開けると、そこには“スパンキング”翔の顔があった。

「いてぇとこ、ねえか?」

見ると、自分は翔の腕に抱きかかえられている。
どうやら、落ちてる自分を抱きしめ、そのまま着地したらしい。

「……な、なんで。助けたんですか」

「女の子の悲鳴聞いて、助けない理由なんてないだろ」

翔は目が見えなくなるくらいに細め、にこやかに笑った。
その笑顔がまぶしくて、なんだか狭岐橋は無性に涙があふれて来た。

「んおっ! 大丈夫か? どっか痛むか?」

「ちがっ……違うんです……。大丈夫です」

翔にゆっくりと下ろされ、立ち上がる。
翔は、度々ケガや体調を気にしてくれて、さっきまで尻を振り回していたとは思えないほどの紳士だった。
翔は、きょろきょろと辺りを見回し、高速道路わきの縁石を指さす。

「さってと、そんじゃあ、あそこ座るか」

「え。あの、えっと、勝負は……」

「ああ、その辺の話をしようぜ。お前、ワケアリなんだろ」

「え、あ、いや、それは」

「スパンキングは、コミュニケーションだからな」

翔は、輝く笑顔でサムズアップを決めた。
その姿は、噂で聞いていた怪物ではない。
ついつい自分のことを話してしまいたくなるような、ただの好青年だった。

「届いたぜ。お前の、悲しいスパンキング。あんなスパンキング打つ奴、放っておけねえよ」

死闘。決闘。熱闘。数々の戦いが行われてきた、DSSバトル。

その頂点たる今大会で行われたのは、まさかの対話であった

* *



燃え盛るマザー牧場。折れていく木々。崩壊していく、ジンギスカン焼肉屋。
尻手翔は、緑の広場の中央で、全身から出血し倒れるヒップスを、腕に抱いていた。
ヒップスは、もう長くない。言葉に出さずとも、それは翔も、ヒップスも、感じていたことだった。

「HEY、ショウ……。“スパンKING”の称号は、お前のものケツネ。この勝負、完全にミーの負けケツ……。」

「ああ……、そうだな。完全に、俺の勝ちだ」

翔は、笑顔を崩さない。それが、勝者の責任だから。
勝って悲しむなど、許されない。
ヒップスが、ふらふらと右手を上げる。翔は、黙ってその手を握った。もはや、目が見えていないのか。
ヒップスは、弱々しく翔の手を握り返した。

「ショウ……、ギネスブックに、載るケツネ」

「ギネ……なんだ、それは」

「ショウも知ってのとおり、スパンキングは、もうすぐこの世から消えてなくなるケツネ……」

そんなことは、分かっている。
世間では謎に包まれた競技と言われているが、要するに知名度が低いだけだ。
全世界でスパンキングの競技人口は、わずかに6人。甲子園とか言うものの、結局高校生は翔とヒップスの二人だけだった。
今日だって、ぶっちゃけマザー牧場で勝手にスパンキングし合っていただけだ。管理の人には、すっごく怒られた。二人で平謝りして何とか許してもらった結果が、この火災だ。おそらく、もう二度と「緑の広場」を貸してはくれまい。
スパンキングは、競技としては完全に風前の灯火だった。

「けれど、ギネスブックに載れば……。ショウが、世界一のスパンカーとしてギネスブックに載れば……永遠にスパンキングの名は世界に残るケツネ」

この尻を絶やさぬために。
スパンキングに生きた男たちの人生を、無駄にはしないために。

「頼む、ショウ……。ギネス、ブックに……!」

「ああ。任せろ」

翔には、ギネスブックがいったい何のことなのか、皆目見当もつかなかった。
だが、これから逝くライバルの……親友の頼みを、聞けないはずがない。

「今日から、俺は名を変える。俺の名は、必ずギネスブックに載る。載せてみせる」

俺が、最後の一人だから。
俺が、“ラスト・スパンKING(最後のケツ叩き王)”だから。

「あの世で見ていな。“スパンキング”翔の名が、ギネスブックに載る様をな」

“スパンキング”翔の言葉を、ヒップスは最後まで聞けていたのだろうか。
それすらも、翔にはわからなかった。


* *



夕日を背に、二人は話し合っていた。
狭岐橋は、うつむいたまま、絞り出すように。翔は、遠くを見ながら、頷いて。

「私、どうしてもカナを生き返らせたいんです。きちんと会って、謝って、もう一度ちゃんと話したいんです」

狭岐橋が、一通り話し終えた。
沈黙が続き、ちらと翔を覗き見る。
翔は、号泣していた。目からは滝のように涙があふれ、鼻からはとめどなく鼻水が溢れていた。

「しょ、翔さん!?」

「お前、辛かったなあ。よくここまで頑張ったよ。ほんと、尊敬するよ」

ポンポンと、翔の大きな手が狭岐橋の頭を叩く。
その手は暖かく、狭岐橋より歳は若いだろうに、まるで父親のような度量を感じる。
翔が、ぐっと涙をぬぐって勢いよく立ち上がり、伸びをする。

「よぉーっし、決めた! 俺も、お前の願いを叶える。俺かお前かどちらかが『真の報酬』を手に入れれば、そのカナって子は救えるだろ」

「え、ええっ!?」

突然の申し出に、狭岐橋は声を上げた。
それは、狭岐橋にとっては、願ってもいない話だ。
だが、それは翔が自身の願いを諦めるということに他ならない。
狭岐橋は、慌てて手を振った。

「い、いやでも、翔さんにも願いはあるんじゃないですか」

「ああ、まあな」

翔は、何かを思い出すかのように、僅かに目を瞑る。
しかし、それは一瞬。すぐにまた、快晴のような笑顔を見せた。

「俺の願いは、自分でも叶えられっからな! それよりも、人の命の方が大事なのは、当然さ。お前の願い、必ず叶えようぜ。カナちゃんって子のためにもよ!」

狭岐橋は、今日何度目かわからない、涙が瞼に溢れた。
カナちゃん、私、男の人は苦手だったけど。ヨシオカは本当にサイテーなやつだったけど。

すごく格好いい人は、いたよ。

「よろしくお願いします。“スパンキング”翔さん」


* *


―――戦闘終了―――

“スパンキング”翔 対 狭岐橋 憂

決着時間:1時間13分(狭岐橋憂の降参による)

勝者:“スパンキング”翔


* *



もうちょっとだけ待っていてくれよな、ヒップス。

俺は俺の力で、ギネスブックに載って見せるからよ。


* *



「なるほどねえ。こういう結末は、予想外だったなあ」

鷹岡は、食べつくしたポップコーンの空き箱を放り投げ、席を立った。もはや、一切の興味を無くしたと言った風に、出口へと向かう。
進藤美樹は、鷹岡の背に言葉をかける。

「どうでしたか。“スパンキング”翔は」

「ダメだねえ。甘っちょろすぎる。あんな奴、視聴者受けしないよ。人は、過激なバトルを求めているんだから。
そうでなくても、すぐにやられちゃうんじゃないかな。裏社会で名を轟かせてたっていうから、期待していたのになあ」

そこまで一息に喋り、鷹岡は美樹を残して、部屋を出ていった。

甘い。確かにそうだろう。刺激的な味を好むソラも、きっと気に入らないに違いない。
だが、それでも。
この、魔人同士が血で血で洗う戦いの場を。戦闘のためだけに存在するVR空間と言う場を。
戦わず、言葉を交わすために使うという、前代未聞のイレギュラーを起こした彼ならば。

“スパンキング”翔ならば、もしかしたら“何か”を変えられるのではないか。

進藤美樹は、そう夢想せずにはいられなかった。
最終更新:2017年10月29日 01:02