第1ラウンドSS・港湾その1

■20XX/10/28 01:09
 静まり返っていた。だというのにざわめきはやまなかった。港湾施設の無骨な照明に照らし出されてぼんやりと宙空を見上げる彼女の姿が、そのチャンネルにただ、映され続けている。

静まり返っていた。

マイクが捉えるさざなみの音は、それはそのままモニタの向こう側の視聴者たちの、不安げなざわめきを代弁している。もう二十分近く、動きのない映像が続いているにも関わらず、その惨劇の様子を一部始終でも見ていた視聴者たちはチャンネルを切り替えようとはしなかった。或いは、ただ動けなかったという者も相当数がいただろう。

「あぁーっと。今、審議の結果が出たようです!」

静寂を切り裂いたのは、この試合の実況を担当したアナウンサーの声だった。恐慌と興奮で上ずりそうになるそれを、DSSを支える一翼である自負とプロの意地によって押さえ込み、高らかに読み上げる。

「一回戦第五試合、勝者は……!」


◆ ◆ ◆



■20XX/10/27 19:15
「いっただっきまーーす!」
湯気立ち上る膳を前に、ぱんと両手を合わせる。
「んふーーっ!」
本日のお夕飯はちょっと奮発して「かなまる苑」の厚切り牛タン定食(¥980・学割込)。かなまる苑はお手頃価格で美味しいお肉を提供してくれる我ら小町坂高校体育会の味方なのです。
その名の通りたっぷりとした肉厚の牛タンを、たっぷりの小口ねぎとともに頬張る。むっちりぶつんと小気味よい歯ごたえと共に噛み切れば、口いっぱいに広がる香り高い肉汁。それが来たらばお約束、大ぶりのお茶碗に盛られた白米をわしわしとかき込みます。
ああ至高。ああ至福。肉欲は今ここに満たされり!

「(そういえばれいちゃんが肉欲とか人前で言うなって言ってたっけなあ)」

なんでだろう。人は誰しも肉を食べたい欲望を宿しているというのに!
……そりゃまあ?ちょっとだけ?乙女的にははしたないかナーって、思いはするけれどさ。
確かに、デートってやつをするならお肉よりもおしゃれなイタリアンなんかがやっぱり憧れるところだよね。…イタリアンってパスタ!ピザ!ドリア!しか知らないけど。具体的にはさゐぜり屋とかぷり長座。
「おっと、いけないいけない。ごめんよ僕の牛タンちゃんたち!」
ごはんを食べながら別のご飯のことを考えるとはなんたる無礼!これは実質浮気!ダメ、ゼッタイ!
まずは一旦の仕切り直しとしてセットで着いてくる牛テールのスープをすする。肉汁を洗い流し、しょうがと胡椒のぴりりとした刺激が食欲を改めて呼び起こし、つけあわせの野沢菜を一口、しゃきっとした歯ごたえとともに口の中はニュートラルに。そして改めて牛タンちゃんをお迎えするのですはむっはふっ!

さて。
本来ならこれでおかわり三杯といったところだけど、今日は我慢。あんまり食べると眠くなっちゃうしね。
それに、今日は大事な試合だから景気づけに贅沢をしたってわけじゃあ無いんだ。皿の上に残った最後のひと切れを未練がましく眺めながら、僕はそう思い直す。
何しろそう、人はタンのみに生くるにあらず、なんだ!

【かなまる苑の厚切り牛タン定食を、牛タン一切れ残して完食する】

それが今回のおまじない。
託した願いはーーま、後のお楽しみってことで。

「よっし、やるぞーー!」


◆ ◆ ◆



■20XX/10/27 20:12
「ごちそうさまでした」
私……支倉饗子はそう言って、ぱんと両手を合わせた。
今日の夕食は果物を多めにした。栄養が偏ってはいけないけれど、そうはならない範囲で植物性の糖分を多めにとって、この後の事に備える。
この後のこと。……DSSバトル。
正直、気が乗るか乗らないかで言えばあまり乗らない。戦う事はそれほど得意ではないし、用意された報酬も、私の望みとは何の関係もなかったから。
だけども、まあ。
「興味があるかないかでいえば……少しはあるかなあ」
C3ステーションが提供する、VR空間での魔人同士のバトル。つまりそれがDSSバトルだ。
VR空間ではありとあらゆる現象が再現可能で、しかもそれは現実世界にフィードバックされない、というのは、たしかC3ステーションのホームページに載っていた売り文句だったか。
成程、肉体的には確かにそうなのだろう。
では、精神的な事象はどうだろうか。
……例えば、私の《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》のような。
何が起こるかを考えるとどきどきする。
心臓から送り出される血流が、先ほど食べたばかりの芳香化合物を全身に送っていく。
「……うん、ストレッチとかはちょっとしておこうかな。時間はまだあるしね」
何より、身体が硬かった(・・・・・・・)ら、相手の人……恋語ななせちゃんに申し訳ないからね。
恋語なんてすごい苗字だと思ったけれど、うん。
彼女になら、ちょっとだけ恋しても、いいかもね?

◆ ◆ ◆


■20XX/10/27 23:56
VR戦場地形『港湾』。
その中で僕がスタート地点に選んだのは、港湾地区の一角、倉庫街だった。平坦で走りやすい道と、逃げ隠れに適した適度な建造物や障害物は、比較的相性がいいと判断したからだ。
……まあ、死ぬ時は一瞬で死ぬけど。
というのが、これまでの経験則だ。もちろん、だからと言ってできることを怠るつもりはない。人事(おまじない)を尽くして天命(願い)を待つのが僕のモットーだからね。

『さあ、こちらの港湾フィールドでは間もなく第五試合が開始されようとしています!
戦うのはF-リーグからまさかの選抜!? そのポテンシャルは無限大! 恋する乙女は無敵です! 恋語ななせ選手と……おぉっとお、こーれーはー?』

さて、おなじみのアナウンスが響き……んん?

『たった今入った情報です!変更!出場選手の変更をお伝えいたします!』

………は?

『鍵山亜里沙選手に変わりまして、支倉饗子選手! いま、VRフィールドにエントリー致しました! 
経歴不明! 能力不明!
しかし彼女が手にしていたのは間違いなく鍵山選手が持っていたVRカードだ! これは一体どういう事だーーーっ!?』

「いや本当にどういうこと!?」
煽り立てるようなアナウンスに思わずツッコミを入れてしまう。何がたった今入った情報だよ! これ仕込んでんじゃん! ゼッタイ仕込んでるじゃん!!
確かに、大会開催に至るまでに出場者……或いはその候補には幾らかの変動があった。出場候補最右翼の一角であった残虐ストリーマーキルヶ島シャバ僧が死体で発見されたのは出場枠を巡ってのことだというのは容易に想像できる。
つまりは、そういう出来事が、彼女にもあったのだ。

「……っていうか考えてきた対策台無しのやつじゃん! なんで僕の枠でこういうことするかなーー!! 責任者、出てこーーい!!」

『さあ、時間がやってまいりました! 試合……開始です!!』

うん聞いてないね! 知ってた!!


◆ ◆ ◆


■20XX/10/28 00:08
走る。走る。
僕は走っていた。
まったく情報のない相手と戦うのは初めてかもしれない。
そういう時の対応は大きくふたつ。
十分に情報を探るか、或いは先手必勝か。
僕はもちろん

「先手ーー必勝ぅ!」

恋もバトルも、攻めたものが勝つんだい!

だから走る。走る。
走っていた。
具体的に言うと、貨物運搬用のトレーラーを乗り回して、走っていた。
そう。だいたいの魔人は!トレーラーでハネれば!しぬ!!
……戦場を知らされてより後に考えた、基本戦術がこれ。
あとは片っ端からおまじないで運転技法を手に入れればオッケー。
ちなみにいくつかのおまじないがムリゲーだったので僕は一生フォークリフトとクレーンは操作できるようになりません。まぁ……乙女の人生の中でクレーンやフォークリフトの操作が必要になること……多分無いでしょ……。
それに、あんな《乙女の尊厳を奪うおまじない》なんてできないよーだ! え、内容は何だったのかって? うん、聞かないで!

「……」
閑話休題。
幸運にも先に相手を発見できて、先制攻撃を仕掛けることができたのは二重に幸運だった。このあたりはおまじないによらない(ムリゲー判定食らって確定で先制攻撃されるの避けたかったのさ)から、日頃の行いだね。やっほう。
ごろりとアスファルトに転がる相手の姿は、ぴくりとも動かない。……動く力もなさそうだけど、しかし試合終了のアナウンスもない。
「(……どういうことだろう)」
その姿をじっと見つめながら、思案する。
気になることと言えば、もう一つ。
「ていうかあれ……鍵村サンじゃん」
横たわる“彼女”の姿は、事前のプロフィールで見知っていた本来の対戦相手……鍵村亜里沙に間違いなかった。

「……」
まずいなあ。
これ、よく考えなくても相手の術中にハマってる気がしてきたぞう。
なんらかの能力が働いているのは間違いなさそうで、しばらく悩んだ後、僕はトレーラーをおりて倒れる彼女を直接確認することにした。
念のためにトレーラーでもう一度轢いておくことも考えたが、それで食いでが減ってしまうのはちょっと避けたかったしね。

「……うひー……」
手頃な武器として拾っておいたバールのようなものでつんつんと彼女をつついてみたりして、様子をうかがう。思ったほどにグロテスクな惨状ではなかったが、それでも脱力した人間を調べるというのは、こう、独特の抵抗があるよね。
小さく呻く彼女はやはり息はまだあるみたいだけれど、さりとて動ける様子でもない。
「……んん?」
そしてふと、気づいたことがあった。
彼女は、僕が攻撃を加える前に既に傷を負っていたようなのだ。
その真新しい傷跡を指先でなぞって思案する。
トレーラーではねるような攻撃では、到底つかないような傷。例えるなら、そう

「(まるで、何かに噛みちぎられた(・・・・・・・)みたいに……)」

指先についた血をべろりと舐めて、その芳香とともに飲み下す。いやそれで何かわかるわけじゃあ無いんだけどさあ。

「ねえ」
「!?」

不意に声を掛けられて、僕はびくりと肩を強張らせた。一拍おくれて、バールのようなものを構えて向き直る。
声を掛けてきたのは、作業服姿の女性だ。……港湾作業員?NPC、だろうか。
異質だったのは、彼女の作業服と、口周りにべっとりと血がついていたことだ。僕は思わず、生唾を飲み込む。

いい(・・)のよ」
「な、何が……」

作業服の女性の言葉はなんとも要領を得ない。ぼんやりとして焦点が定まらず、しかし爛々と輝くように血走った眼が、なんとも不安な気持ちにさせてくる。
ぬめるような潮風も相まって、これってとってもホラーじゃない!?

貴女()のために用意した私だもの。遠慮なんて、しないで?」
うわ言のような口調で、NPCは続ける。ぞわりと背中が総毛立つ感覚を覚えて、僕はことさらに声を上げた。
「だから、何が!」
「で、でも、でも、ね?本当に、ほ本当にいらないんだったら、わたしが食べてしまってもいいわよね?ね?」
「あ、聞いてないなーコレ!!」

口元から溢れる血と唾液の混合物を拭いもせず、そのNPCは飛びかかってく怖い怖いちょっと本当に怖いよ!? 思わずバールのようなものを振るって叩きのめしてしまった。
さしたる抵抗もなく倒れ伏したNPCを見下ろして、早鐘を打つ鼓動と呼吸を調える。
び、びび、びっくりしたー!
何これ! なんなの!? おかしくない……!? NPCバグった!?
……なんて慌てはしない。恐らくはそういう攻撃で、そういう能力なのだ。倒れるNPCの身体をつぶさに観察すれば……ほうら。
「やっぱり」

NPCの首筋には、やはりなにかに食い千切られたような跡があった。これまでの状況から、能力は類推できる。分っていることはふたつ。
「たぶん、噛まれると汚染? 増殖? か何かをする能力」
こう、ゾンビ的な。
めっちゃ厄ネタじゃん。こわ。
そしてもうひとつ。類推と言うよりは直感だけど、でも自信と確信がある。
「この能力の影響を受けた者は……“彼女”を目指してくる」
だってあんなにも美味しそうなのだ。そう考えれば、納得も行く。
僕の推理の正しさを証明するように(結構成績だっていいのだ。へへん)……辺りには、NPCか、観戦者か。いずれも支倉饗子の能力に汚染されたであろう者たちが、血走った目でいつの間にかそこかしこから様子をうかがっていた。囲まれている。
「なるほど、誘い込まれた……のかな、コレ」
最初にトレーラーではねた彼女を振り返ってひとりごちる。形成は不利だったけれど、引いて態勢を立て直す選択肢はなかった。
だって彼女は皮膚や骨の一片まで僕のものなんだ。有象無象なんかには渡しはしない。僕はバールのようなものを担ぎ直す。
「よぉーっし! やったろうじゃないか! 恋する乙女は無敵なんだいっ!」
彼らを睨みつけて、そう高らかに宣言する。おまじないに、大きく叫び声を上げた。願いに呼応して近場のコンテナが荷崩れを起こし、幾人かを押し潰す。
構わず殺到する群衆に、一心不乱にバールのようなものを振るっては応じた。

「(あれ……)」

「(何か、おかしい、ような……)」

些細な違和感は、すぐに塗りつぶされた。


◆ ◆ ◆


■20XX/10/28 00:37
「ハァっ! ハァッ、はっ……!」
視界が赤い。
どれほど戦っただろうか。
少なくとも、辺りに動く者が居なくなるまでは戦い抜いた。
身体が熱い。
喉が渇いた。
お腹が空いた。
たくさん身体を動かしたからかな。

動いているのは唯一。いや唯ニ。
こうして息を荒げている僕と…

「……ふふ。がんばってくれたんだね。私のために」

今にも倒れそうな僕を抱き支えている、彼女だ。

いい(・・)のよ」

耳元で囁く彼女の声が脳髄を震わせる。
彼女はそう呟いただけで、ごほごほと激しく咳き込んだ。きっと、最初のトレーラーの傷が響いているのだろう。
ああ、ごめんね。ごめんね。痛いよね。

「いいのよ、いいの。だって、ねえ、恋語さん。そんなことよりも、私は」

ぜえぜえと息を荒げながら彼女は言葉を継ぐ。


「いっぱい食べる、君が好きなの」



堪らず、僕は彼女の首筋に齧り付いた。

張りのある肌と、うっすらとした脂肪の舌の、筋肉の弾力と、血の温感。渾然と口の中に広がるそれに、僕はつかのま陶酔する。
戦いの中で、どうにも痛めてしまったらしい。両手はひしゃげて使い物にならなかったから、お行儀は悪いけれど這うようにして押し倒した彼女に舌と歯を走らせる。

……ああ、だめだ。

味蕾から脳へと感覚をかき乱されながら、か細く僕は考える。

……これは、だめだ。

不思議と冷静な僕の中の一部は、ことここに至って彼女の能力の全容をようやく把握した。

……だから、今すぐ離れなくちゃ。

乳房を、臓物を、顔を突っ込んで犬のように貪り喰らう。

こんなことは今すぐやめなければならない。だって大切なものがあるんだ。願い、願い。僕の、一番大切なもの。そのために。

「(ああ、でも……なんだっけ、それ)」

思い出せない。
一番大切なもの?
彼女、彼女を食べること。一つになること。
それより他に何があると言うんだろう。

そうさ、他のことなんて何もかもどうでもいい。
眼球を舐め転がしながら、僕は全く確信する。
……他のことはどうでもいい。
捨てていい。
諦めていい。
今この瞬間が、ずっと続けばいいんだ。

彼女の口蓋をこじ開けて、その舌を噛み切る。
むっちりぷつんと小気味のよい歯ごたえとともに噛み切れば、口いっぱいに広がる香り高い肉汁。
恍惚と共にそれを飲み下したのを最後に、僕の意識はどろりと溶け去っていった。

◆ ◆ ◆


■20XX/10/28 01:10

……夢から覚めていくような、現実が押し寄せてくるような。
そんな感覚を覚えて、目を開く。僕の目に写るのは、どこのご家庭にでもある丸い照明器具が放つ、真っ白な光。
あー……帰ってきたんだな。
ぼんやりする頭を抱えて、むくりと起き上がる。VR空間から戻ってきたときにいつも見る、慣れ親しんだ光景だ。
だけど、どこかいつもと違う空気感。何かを忘れているような、置き去りにしたような。
忘れたいような。
「……あ」
思い出して、しまった。
「あああああああああっ!!」
弾かれる様に起き上がり、駆け出す。
自室の扉を開き、トイレの扉に駆けこんで、便座の前にしゃがみ込む。
「うぼげぇぇっ!! げぇぇぇぇっ!」
吐き出す。お腹の中の全てを吐き出す。
理性で考えれば、今吐き出しているのは数時間前に食べた牛タン定食だったものなのだろう。
VR空間の中の出来事は、現実にはフィードバックされない。それは基本原則だ。
「うげぇぇぇぇぇっ!! うぇぇぇぇぇっ!!」
だけど。思い出してしまう。思い返してしまう。
肉を噛み千切る感触、血を飲み下す感覚。なにより、それを美味しいと感じてしまった僕自身!
「うぇぇぇぇぇ……うぇぇぇ……」
この声が、吐こうとして発される呻き声なのか、それとも泣き声なのか。
僕には区別できなかった。
だから、という訳ではないだろうけど、この時の僕はまだ気が付かない。
僕が奪われた物。乙女の尊厳、人の誇り。
それより、もっともっと大事な物が、無くなっていることに。

◆ ◆ ◆


■20XX/10/28 01:16

のろのろとトイレから這い出て、自室に戻る。
ぼすん、とベッドに横になり、ヘッドボードに置いてあったスマホを手に取る。
アクセスする先はC3ステーションのホームページ。試合結果速報のページだ。
そこに書かれていた文字は、半分予想通り、半分期待外れだった。

 DSSバトル1回戦第5試合
 ○支倉饗子-恋語ななせ●
 1時間2分
 決まり手:魔人能力による精神汚染

以下つらつらと書かれている解説を見ると、どうも僕たちの試合の結果は審議によって決められたようだった。
支倉饗子の魔人能力は『自分を他人に食べさせることで、他人を自分自身にする』という恐ろしい物。完全にホラー映画的思考の産物であるその能力はしかし、DSSバトルに持ち込むと一つの論争を引き起こす。
曰く、『この能力が発動し、支倉饗子が食い殺されて対戦相手だった支倉饗子だけが残った場合、勝者と判定されるのは支倉饗子か対戦相手か』。
支倉饗子の能力が決まったのだから、支倉饗子の勝ちなのか。
支倉饗子は試合の過程で殺されたのだから、対戦相手の勝ちなのか。
どちらの解釈もありうるのだが、審議の結果今回大会においては云々。

(……まあ、戦った側としては勝てた勝てなかったの話じゃないんだけど、さ)

あんな恐ろしい魔人能力が存在するなんて。世界はまだまだ広いのだ。
VR空間から現実世界に反映されなかったのは運がよかったとしか言いようがない。
何しろ、自分を食べさせることで……あれ?

(……なんだろう、この違和感)

何かを忘れているような。
いや、正確には、何かが欠けていることを思い出さないようにしているような……。

自分を食べさせる魔人能力。
自分を食べさせる。
つまり、相手は彼女を害する、若しくは殺す……。

「……え」

気が付いた。
僕が奪われた、一番大切な物。

「……え、嘘、嘘だ……」

僕の一番大切な願い事。
僕の一番大切なおまじない。

「なんで、なんでなんで!? どういう……ええ!?」

“DSSバトルに出場し対戦相手を殺す”ことで、【恋を叶える】おまじない。
条件は満たしたはずだ。結果はどうあれ、戦いの過程で僕は間違いなく支倉饗子を殺している。
なのに……恋が叶った、おまじないが成立した感触が、ない。

「どうして!? どうして《エンゼル・ジンクス》!? 僕、ちゃんと……」

その時、脳裏によぎったのは記憶の断片。
支倉饗子を食べている時の、僕自身の思考の記憶。

 ……他のことはどうでもいい。
 捨てていい。
 諦めていい。
 今この瞬間が、ずっと続けばいいんだ。

「う……うわああああああああっ!!」

《エンゼル・ジンクス》唯一の制約。
自ら諦めた願い事は、一生叶う事はない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

「……終わった。終わっちゃった……僕の、僕の……」

僕の、初恋。

「うああああ……ああ、ああああああ……」

今度こそ、僕は泣いていた。
こんな形で、初恋が終わっちゃうなんて。
諦めないと誓っていたのに。
いつか叶うと信じていたのに。

僕の初恋は。
ここで。
おしまい。


……


「……いやだ」

いやだ。
いやだ。
いやだ。
そんなのはいやだ。
恋をしているのが僕なんだ。
この恋こそが、僕なんだ。

それを失ってしまえば、そこに残るのは何者でもないからっぽだ。

がじりと親指を噛みしめる。

誰か、誰か助けてよ。
僕を作るそれを失ってしまうのは、死ぬよりも殺すよりも、人食いよりも怖いんだ。

「ぁ……」

ひいひいと乱れた甲高い呼吸で、過呼吸を起こしそうになる。何ができるわけもないけどじっとしていられなくて、癇癪を起こした子どものように机の上のものを手当り次第にぶちまけた。

「ああー!」

その中には、VRカードもある。
こんなものがあるから!
こんな大会に出ることになったから!
ぼろぼろと涙を流しながら、引きちぎってやろうかと手に取り…

「……っ!!」

“その情報”が、脳裏に流れ込んでいた。

「……『真の報酬』……!」


【一つだけ、過去の出来事を改変する事が出来る】

「は……」

これ、これだ。
繋がった。命綱一本、蜘蛛の糸一本でつながった!

「はは」

やり直そう。
この恋を取り戻そう、あんな人食いなんて、なかったことにしてしまおう。

「ははは」

「あはははははははははははははははははー!!!!」

僕は笑った。
笑い転げた。
そうだ、簡単なことじゃあないか。

道があるなら、恋する乙女は無敵なんだ。

どうせなかったことになるのだから、どんな手を使ってでもそれを手に入れてみせようじゃないか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)……!

<恋語ななせ1回戦:了>
<勝者:支倉饗子>
<ななせの恋物語:喪失>

GK注:このSSの執筆者のキャラクター「恋語ななせ」
最終更新:2017年10月29日 01:00