「ごちそうさまでした~」
本日も茶碗4杯のノルマを平らげ、くもりは空の食器の前で手を合わせた。
「それじゃ、私は先に寝るね~。時間になったらVR空間の方にダイブするから、その後は暫く起きないかもだけど」
「ん……そうか。今日が初戦だったか、くもり」
タンクトップ1枚の筋肉質の男――くもりの兄である晴也が、流し台でプロテインを作りながら振り向く。
「相手は確か、桜屋敷家のエージェントだろ」
テレビのニュースに視線をやりながら、食卓でひじきの煮物をちびちびと口に運ぶのは、くもりの弟の雨。
「他の相手も一筋縄じゃいかねえだろうが、デケエ組織ってのは可能性だけ言えば『何でもやれる』。念のためリアルの方のガードは俺らでやっとくが、そっちでも気をつけろよ。姉貴」
「ありがと、あめちゃん。ま、仮にも今回の大会のために選抜されたメンツなら、そんなお寒いことはしないでしょ~。だから」
食器を流しに運び、くもりは右目だけを開き二人を見た。
「一応言っておくけれど。二人とも、手出ししないでね?」
「勿論。正々堂々の勝負だな!」「……わかった」
晴也は満面の笑みで、雨は溜息混じりで頷く。くもりも応えて頷くと、鼻歌を歌いながら洗面所の方へ向かっていった。
「雨」
プロテインを飲みながら、晴也は尋ねる。
「くもりは勝てると思うか?」
「分かんね。勿論姉貴は強いが、他の奴等がそれを上回る可能性は充分在る――俺が干渉できりゃ、1,2割は勝率上げれるかもしれねえけど」
「――まあ、勝つことだけが目的ではないしな。くもりが楽しんでくれることを願おう」
「俺個人としてははめっちゃ勝って欲しいけどな。勝つと負けるじゃファイトマネーが5倍は違ってくるらしいし……うちは食費が+2人分くらいかかるから、当座のカネはいくらあっても足りねえくらいだ――あ、そういえば兄貴、勝手にプロテインの種類高いのに変えただろ! 近頃店の売り上げも中々ふるわないって言ってたろーに」
「む……いや、こちらの方がタンパク質の含有率がだな……」
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「んぅ……むにゃ」
VR空間へのダイブの後、未だにねぼけ眼のくもりをたたき起こしたのは、ライオンの咆哮であった。
「ひゃうっ!? ……っうわあ、本当にサバンナだ~」
くもりが辺りを見回し、感嘆の声をあげる。彼女が降り立ったのは、戦闘領域の中心に近い位置。一面に広がる草原、走り回る野生動物達、ぎらぎらと照りつける太陽は、現実世界と比較しても全く遜色がなかった。
「よっし、と」
くもりはおもむろに、近くにあった手頃な樹に掌をあてた。目を見開く。
「んっ……んー、やっぱり、そう上手くはいかないか……」
能力を発動し、破壊により樹から適当な長柄武器を作ろうと考えたくもりだったが、出来上がったのは折れた樹の残骸と、1mそこそこの不恰好な木の棒。イメージ通りの部位破壊であればもっと小奇麗で取り回しのよい物だったはずだが、今彼女が手に持つのはどこかの未開拓地の部族が使うような極々簡易的なものだった。
破壊行動を行動原理とするくもりにとって、しかしあまり気乗りがしないのが『自然破壊』であった。これは勿論、彼女がエコロジストだからではなく、ただ単純に自然物に対する興味が薄いからである。それは逆に言えば、人工物に対する破壊行動に傾倒しているともいえた。彼女いわく、様々な人間の意志から形作られた構造物を破壊――そして理解することが、自身にとって最高の愉悦なのだと。
そしてその興味は、眼前に立つ魔人に対しても例外ではなかった。
「『可愛川ナズナ』よ。よろしくね」
ブルーのドレスに黒のマントで身を包み、頭の上にはシルクハットを被った少女。金属製のステッキを手にもった風貌は、彼女のミステリアスな魅力を充分に引き立てているといえた。10人居れば10人は美少女と答えるであろう、美しく整った顔立ちに均整のとれたスタイル。微笑む彼女を前にくもりは、ただ一点を見つめていた。
(――情念)
その瞳に宿る意志。涼やかな見かけの中で、その一点だけが燃えていた。桜屋敷家代表の代理人として参加していると聞いていたが、どうやらただの雇われ魔人でないであろうことは確かだった。おそらく彼女は、何の打算もなく一直線に、本気でくもりを倒しにかかってくるだろう。
「『荒川 くもり』です。本日は、よろしくお願いしますね」
普段着のロングスカートとセーターで戦場に降り立ったくもり。有り体に言えば、彼女にはこの大会を通して達成すべき強い動機が有るわけではない。きょうだい三人、細々と生活していくのに必要な資産はあった(少々くもりの体重が落ちる可能性はあったが)し、現世にも過去にも強い希望や執着は無い。もっと言えば、この世界自体から抜け出すという道もあった。
それでも、こうして相手と対峙すれば――強烈に匂い立つ。その強かな意志を叩き折り、踏みにじり、粉々にしてやりたいという、彼女の本能が。ただそれだけの為に、彼女はここに立っている。
(彼女の能力は、確か――視線誘導)
短い挨拶を終え、双方共に得物を構えた。背の低い草が生えた地面の上をじりじりと反時計回りに移動し、サークリングで徐々に距離を詰め合う。
「はあっ!」
初撃はナズナからの、ステッキの投擲。横回転で迫るステッキに対し、くもりも手に持った槍をナズナに向け放った。
(『アトラクションショー』……能力は使われている……のか?)
どちらにしろ、その攻撃から目をそらすことはできない。くもりの能力である『全壊』でのステッキの破壊自体は容易だが、その発動までのタイムラグにはどうしても人体の反応速度が絡んでくる為、タイミングを外せばダメージを受ける恐れが有る。その体格に反して反応自体は悪くないくもりだが、受けに使うには多少なりともリスクを負う必要があった。
短い躊躇の末、くもりは身体を今までと逆――左側へ運びそれをかわす。自身の放った槍の行方をちらと見るが、ナズナの姿は既に其処になかった。
「速い……」
動き出し以外のスピードにはくもりも自信があったが、ナズナはその上を行く程の速さがあった。一瞬で視界外へ消え去ったナズナの姿を追い、くもりは視線を――動かせない。
(……やられた!)
自身が投げた槍をぼうと見つめるくもりの背後から、先程投げたステッキを手にナズナが迫る。ギリギリのタイミングで振り向き、振りかぶられたステッキを今度こそ両の手で受けた。
「っは!!」
握った手で念じると、ステッキは粉々になる。ナズナは振りかぶった勢いそのまま、くもりを飛び越し背後へと回り込む。対するくもりは、
(あ、すごい……草多い)
今度は足元の草原に目を奪われていた。またも背後から、ナズナの後回し蹴りがくもりを襲う。
「見えなくても――!」
足音。風音。そして体格を加味すれば、攻撃の打点は何択かに絞れる。後を向いたままの不完全なバックナックルだったが、それは運良くナズナの脚を弾いた。
(でも、このままじゃ)
振り向きざま、くもりは空を見上げる。美しく澄んだ空は高く、ちぎれた雲がいくつも流れていく。それはまるで羊が群れをなすように、
(だからそうじゃない、でしょ!!)
ナズナの拳が遂にくもりを捉えた。今度はガードすらできずもろに攻撃を喰らい、重量級のくもりの身体が10m以上吹っ飛んだ。
(……この相手。想像以上に、難しい)
辛うじて受身をとりながら、くもりは目の前の相手の強さを身に沁みて感じていた。視線だけでなく、その誘導の自然さ故に瞬間的に意識さえ持っていかれる点は、単純に姿を捉えられない事以上に厄介だ。くもりの心の動きは、まさに奇術師であるナズナの手玉に取られていた。
(でも、こうでなくちゃ)
対策を考えるくもりの口端が、無意識に吊り上る。この高揚感は、彼女が久々に感じるものだった。かつて『死なず』の勇者共と繰り広げた、いつ終わるとも知れない殲滅戦の記憶――
(――そう。結局、やってることは)
魔王としての記憶を手繰り寄せるうち、今の状況と重なる部分がある事にくもりは気づく。一点に注目を集め、他方向から攻める――陽動作戦。彼女が異世界で学んだ用兵術の中でも、初歩的なものだ。マクロな視点で見たそれを、ナズナはミクロ視点で行使しているに過ぎない。尤も、一番厄介な相違点は、ナズナのそれは分かっていても不可避であるという所なのだが。
(……本当に?)
否。回避の方法はある。くもりは能力発動のため見開いていた目を瞑り、立ち上がった。
(これで『視点』は無くなった。代わりに私の能力も封じられたけど)
見なければ、見せられない。少なくとも、意識を引っ張られることは無くなる。
「とはいえ、これだと攻め手が無いな……」
額に手を当て、考え込む。自身の能力が使えない上、視界の無いままで積極的に相手を追うことは難しい。当然相手は普通に殴りかかってくるため、アドバンテージは未だ相手側にある。幸い相手にもアウトレンジでの攻撃方法はほぼ無さそうなのは救いだが――
(っ、来る!)
草を蹴る音。果たして、ナズナは再び背後から突っ込んできた。今、くもりが視界を奪われていることは当然把握しているだろう。それはそれで相手も想定内のはず――小細工抜きで、殺りに来る。
だからこそ、くもりもこのワンチャンスで勝負を決める必要があった。
「っしゃああああ!!!」
振り向きざまに今までで一番の大声を出し、大きく腕を広げるくもり。数度左右にステップを切るナズナだが、くもりもそれに反応し構えの向きを変える。ここまで距離が近づけば、気配を察知することはくもりにとって比較的容易であった。
「どうした、可愛川ナズナ! あなたは、私に勝つつもりなんでしょう! こんな所で躊躇して、私に勝てるとでも!?」
中々突っ込んで来ないナズナに対し、くもりが吠える。安い挑発ではあったが、一部は事実でもあった。先の通り、状況的にはナズナ側が優位である。もしここで決めきれないのであれば、ナズナは自身の地力不足を露呈することに他ならない。
(言われなくて、も!)
数秒の後、遂に互いの距離である近距離へと侵入する。いつの間にか持っている2本目のステッキを牽制気味に前へ出しながら詰め寄るナズナに向かい合うくもり――その瞳が、大きく開いた。
(……!?)
ナズナは咄嗟に、マントの内にしまったビー玉をくもりの眼前へばら撒き能力を発動する。後、ノータイムで跳躍。
(脳天に一撃。それで、終わり!)
能力発動で、1秒弱はフリーズさせられる。この距離でこの隙は文字通りの命取りだ。勝利まで、残り一手。
「どうやら」
その算段をあざ笑うかのように、くもりは垂直に跳んだ。
「当たりを引いたのは、私の方でしょうか?」
(動けたの……!?)
空中で向かい合う二人、どちらも互いの身体に攻撃は届く状態。既にステッキの距離ではないと判断し、ナズナは雑にくもりの身体を打ち其れを手放す。対してダメージを受けたくもりだが、致死ダメージには届かないため無視、両手で拘束にかかった。
身体をよじり抵抗するナズナだが、ここに至り遂にアドバンテージを手にしたのはくもりの側。飛び込んでくるナズナを受け止めるような形で、くもりは彼女の身体を抱き締める。
「終わらせます」
背後に回した手でナズナの二の腕を掴み、能力を発動する。ナズナに痛みは無く、ただ四肢の感覚だけが抜け落ちていった。
「っあ、」
「殺しはしません。ギブアップを、お願いできますか?」
少し体勢を変えて、お姫様抱っこのような形でくもりはナズナを支え、着地した。
「……なんで」
「あなたの四肢を動かす神経は、私の能力で破壊しました。人体の破壊には前々から興味があったので、色々と調べていたんです。そして、それは私自身の身体に対しても」
ナズナが首だけ動かして見上げたくもりの瞳は、どこを見ているのか分からず、虚ろだった。
「視神経を焼き切りました。あなたの能力に対抗し、かつ私の能力を活かすには、これが最善だった」
見えなければ、見せられない。VR空間とはいえ、自身の身体に傷を入れることを、くもりは一切躊躇しなかった。様子を見るに、むしろ歓喜していたと言ってもいい。
「まあ、ここで決め切れなければ、最後の隠し玉もバレてしまっていよいよ隙は見せてくれなかったでしょうけど。あなたも、もう打つ手はありませんよね?」
ナズナは答えなかった。ゆっくりと呼吸をしながら、くもりから目をそらす。
「……そういえば、何故あなたはこの大会に? 桜屋敷家の代表代理とは聞いておりますが」
ナズナは答えない。ふう、と溜息一つ、くもりはナズナへ近づく。
「私は、あなたの心が折れる音を聞きたい。きっとあなたは、大事な人の為に戦っているんですね……背負っている情念が、私と一人分違うのを感じました」
無抵抗のナズナの頬へ、くもりはそっと手を当てた。
「大事な人との記憶。関係性。あるいは、感情。もしそれが私に壊されるとしたら、あなたは絶望してくれるでしょうか? もう二度と立ち上がれず、打ちひしがれたまま、息をする存在となるのでしょうか? 壊れ行く物、人は美しい、そうは思いませんか?」
光を失った瞳で――もしその瞳が生きていたなら、不気味に輝いていたことだろう――語りかけるくもりを、ナズナは僅かな戸惑いと恐れ、そして強い嫌悪を孕んだ眼で睨みつけていた。
「――まあ、無理なんですけどね。あなたを壊すために、私はまだまだ、あなたを知らなくてはならない」
想いの強さは伝わったが、それだけでは彼女の能力は使えない。その形、色、質感までをためつすがめつ、眺めながら理解する必要がある。あやふやな概念に干渉するには、くもり自身にもそれなりの準備が必要だ。
「今度は現実で仕合いましょうか。あなたのような人を壊せるなら、私も法を犯す価値はある」
『可愛川ナズナを戦闘不能と判断。本バトルの勝者は荒川 くもりです』
アナウンスを確認し、くもりはぐるんと腕を回し、伸びをする。
「うーん、今日の戦いも楽しかった……けど、此処はあんまり壊す物もなかったし、その点はちょっと消化不良かも。今度は街中のフィールドにならないかなあ……」