私は弱い。
私は、あの日見た美しい光景を、いくら切望しようとも創り出すことはできない。
私は、強くなりたい。
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『荒川 くもり』が破壊の権化だとするなら、『枯葉塚 絆』は貪欲に勝利を求める鬼だ。
1回戦の対『狐薊 イナリ』戦。事前公開のプロフィールだけでは測れない成長特性をもつイナリに対し、絆は先ず見に回った。食べ歩きという形をとりながら、今のイナリに何ができ、何ができないのか。得物の種類・特性は。自身はどうすれば、目の前の彼女を打倒できるのか。過去の記憶を重ねながら彼女を見つめる一方、底冷えするような冷徹さをもって絆は目の前の敵を観察していた。
一度戦闘に入れば、その行動は速かった。状況不利と見るや瞬く間に転進、パワー勝負になると判断し自前の金属製ゴーレムを作り上げて正面からの殴り合い――からの、イナリ自身となった街の欠片を投擲し場外判定をとるというルールの隙を突いた勝利。イナリにも迂闊な部分があったとはいえ、これで絆の勝利への嗅覚の鋭さを疑うことはできないだろう。
「いや、普通に考えすぎではないのか?」
満を持して持論を展開するくもりの弟――雨に対して、今や絆のサポーターとして駆けずり回る男、『獅子中 以蔵』はにべもなく返す。
「あいつはそんな細かい事を考えながら戦ってはおらん。センスは認めるがな、アレはそういうタイプではない」
「……ああ。俺もそう思ったよ」
ミルクを垂らしたコーヒーカップに一口付け、こくりと喉を鳴らす雨。ここは雨とその兄である晴也が経営するコンビニを構える商店街、その一角にある個人経営の喫茶店。15,6人も入れば一杯の店内は、何十年も時間が止まっているかのように、窓の外と趣を違えていた。
「初めて見た俺も、印象としては柔くてゆるいって感じしか受けなかった。まあ、」
この二人が同席するに至る経緯は、長い説明を挟む必要は無い。以蔵が次の対戦相手であるくもりの身辺調査にとりかかった所で、雨が家の近辺をうろついていた彼(雨自身は、以蔵が絆のサポーターであることは事前の調べで知っていた)に声を掛けたというわけである。以蔵としては即座に遁走する選択肢もあったが、雨に害意が無いことを確認できた後は、腰を落ち着けて話そうという彼の提案を呑んだ。くもりの弟である彼が、彼女の不利になる情報を吐くとは思えなかったが、それでも話の端々から得られる手がかりはあるかもしれない。
「だからこそ気になったんだ。受ける印象が、あまりにも鮮烈すぎる」
「……どういう意味だ?」
「何らかの方法で――例えば、あの戦いが小説のような読み物として表現されているとして、その地の文が一々ゆるい語り口調でツッコミをしてくるような――あえて彼女の印象を柔く見せようとしているような、そんな節があるように感じたよ」
「はは。何を言うかと思えば」
突拍子もない考えである。くだらない言いがかり、妄想だ――そう言おうとした以蔵だったが、これまで自身の見てきた彼女の姿を思い返し、その考えは決して一笑に付すようなものではないと気づいた。彼の言う事をそのまま認めるわけではないが、確かに絆に対して以蔵は、はっきりと根拠のないまま理解したつもりになっているような、漠然とした印象を事実かのように思い込んでしまっているような、そのような点が確かにある。
「まあ、単なるガキの推測だよ。んで、ここから先はさらに推測だが、今まで言ったあの子の特性――勝利への道筋を組み立てる能力、警戒を抱かせないような印象に見せる力――は、あの子自身が持ち合わせている能力とは全く別個のもの」
「いよいよ分からんな、言っている意味が」
「誰かに理解してもらいたくて話してるわけじゃないからな。だが、事実――『彼女は、神に愛されている』」
「……ふむ」
散々持論を並べ立てた挙句今度は神、ときたものだ。口では推測とのたまってはいるものの、雨の言葉の端々に確信めいた何かを抱いているのを以蔵は感じ取っていた。
「おとなしそうに見えたが、やけに吹くではないか。それがお前の魔人能力か、荒川 雨」
「……ノーコメントだ」
その言葉は半ば肯定を含んでいたが、これ以上は話さないという態度の表明でもあった。もとより以蔵も、今日は彼についての調査に来たわけではない。
「では、そろそろ此方の質問にも答えてもらおうか。荒川 くもりについてな」
「ああ。返答は選ばせてもらうが」
以蔵はプリントアウトしたニュース記事を、テーブルの上に広げた。日付は10年以上前、とある山奥の村にて起こった惨劇の様子を綴った記事だった。
「魔人能力に覚醒した少女が暴走。自身の両親を含む83人が行方不明――おそらくは死亡させ、その村自体も建物・ライフラインを含む辺り一帯を平らにされた――記事内では名前が伏せられているが、お前の姉の起こした一件で間違いないな?」
「……ああ」
コーヒーを飲み干す雨。ふう、と一息つき、以蔵の眼を見る。
「よく見つけたな。そんな昔の小さな記事」
「被害を見れば決して小さくは無いが……折しもあの頃は、福岡の868人連続殴殺事件に大阪の通天閣倒壊の件も重なっていたからな。確かに扱いとしては小さくなっていた」
言いながら以蔵は、ニュース記事の下から今度は写真を印刷したものを取り出す。森の中にぽっかりと開いた、直径10m程の大きな穴だ。
「昨日、俺がその村でとった写真だ。これは何だ?」
「…………」
「荒川 くもりの能力は、掌で触れた物を破壊するという能力だったはずだ。穴の深さを測ろうとしたが、まるで底が見えなかった――これも、お前の姉がやったことなのか」
「――ノーコメントだ。だが」
印刷された穴に、雨は人差し指で大きくバツをする。
「補足しておくと、今の姉貴の能力じゃこの現象は起こせない。『全壊』は理屈じゃ何でも壊せるって能力だが、姉貴の認識で物と認識できなきゃ行使は不可能だ。地球まるごとをぶっ壊すのは不可能、おそらく日本列島、四国程度でもまだ無理だ。一般的な体積の限界線で言えば、おそらくは山一つ程度」
「ふむ」
以蔵は冷め始めたウインナーコーヒーに口を付け、思案する。くもりの能力について一部でも詳細を聞けたのは大きいが、彼にはそれ以上に気になる点があった。
「『今の』荒川 くもりの能力――か」
「……それについちゃ、あまり話したくないな。話したところで、おそらくあんたの想像した以上の情報は無いし、そもそも『そう』なっちまったら、もう誰にも、どうしようもない」
語る気は無いといいつつも、その理由は雄弁に『一つの事実』を以蔵に伝えていた。
「いいだろう。後は、そうだな」
続けて質問を投げかけようとする以蔵を、雨は静止した。
「以蔵さん、あんたがあの子を勝たせたいってのは分かった。今の話――調査内容から、それに値する充分な執念・意志を持ち合わせてるってことも」
残った冷水を一気に飲み干し、雨は続ける。
「今からあんたに、姉貴の弱点を教える。だから、頼む」
雨は頭を下げ、言った。
「あんたら二人、次の試合で、姉貴を負かしてくれ。初戦を見て分かった……姉貴はやっぱり、この世界に居るべき人間じゃない」
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「げ、っほ、げっ――」
荒川 くもり対枯葉塚 絆のマッチが始まり、1分が経過。状況ははっきりとくもり側が不利だった。
(事前の通告から分かっていたけれど、このフィールド。そして、この相手……あまりにも偏っている)
今回、二人の戦場として選ばれたのは航空機。上空を飛行している状態での戦闘となるため、飛行能力を持たない魔人であれば、実質的に狭い機内のみでの戦闘となる。くもりの空間破壊では、一時的な擬似飛行は可能なものの、時速数百キロで飛行する航空機にはとても追いつけない。機外に放り出されれば、即場外となるだろう。
そして、機内に留まるならば、其処は鋼鉄の檻――枯葉塚 絆が最も得手とする、金属を自由自在に操ることのできるフィールドだ。位置が把握されれば、常時生殺与奪の権利を握られ続ける事になる。
(一応、策は考えたけど。そう上手くは、いかない、なあ)
くもりの策は、開幕で飛行機を墜落させ、混乱に乗じて絆へ接近し能力を喰らわせること。コクピットに乗り込み、乗員と操縦系統を破壊したまでは良かったが、次の瞬間に待っていたのは絆の遠隔攻撃だった。天井や床から、銃撃のように金属の塊がくもりへ降り注ぐ。
がたがたと揺れる機内の中、兎にも角にも距離を詰めようと、急所を守りながら客室に繋がるドアを開けたくもりを待っていたのは、無数に作られた金属の壁だった。所々に隙間が見えるが、それは絆が意図的に作ったもの――客室の最後方で、絆は高みの見物とばかりにくもりの様子を窺っていた。
(この壁は一体ものじゃないから、能力じゃいちいち一枚ずつ破壊しなきゃ先に進めない。身体強化でもこれだけの壁を壊すのには時間がかかる)
いっそのこと、飛行機ごと破壊してしまった方が早いのではないか? という思考が一瞬くもりの中によぎったが、それこそ彼女の思うつぼ。金属の変形で絆自身は機内に留まり、逆にくもりは簡単に放り出される。くもりとしては空間破壊を併用しつつ、愚直に前進を続ける他無かった。
「簡単にはいかせない、よ!」
壁に手を当て、絆が念じると、先程と同じく金属の銃弾――そして、触手のようにしなる金属の鞭がくもりを拘束にかかる。近距離では一撃必殺の威力を持つ『全壊』だが、一旦守りに入るとその効力は薄い。僅かな当たり判定で鞭をいなそうとするものの、全てを防ぎきれるわけではない。銃弾も決して威力が高いわけではないが、こう数が多くてはいくらなんでも対処のしようが無い。
「っ、ぐ」
鞭に左腕をとられた。好機とばかりに、絆は舌なめずりをする。
「いっけぇ!」
「ぐ、うううぅぅぅああああ!!!」
ぐるん、と鞭が一回転。巻きついた鞭は、いとも容易くくもりの左腕を引きちぎる。初体験の痛みに取り乱しかけたが、直ぐに残った右手を使用し痛覚を破壊――遮断した。
(ん……流石に、今回は、やばいかなあ)
絆までの距離は未だ遠い。更に、気になるのは彼女の服装だ。スポーツウェアのような軽装の下に、全身に張り付くアンダーアーマーを着込んだ状態。
(気づかれた、のかな。誰にも、言ってない、はずだけど)
彼女の『全壊』には、対人において一つの弱点があった。相手が服を着込んでいた場合、それがそのまま彼女の能力に対するガードとして機能する――これはくもりの認識による問題だが、彼女は服とそれを着る人間を別個として捉えているため、一遍に破壊ができない。脱衣麻雀よろしく、一枚ずつガードを剥いでいく必要があるのだ。
(徹底した遠距離からの攻撃、能力封じの腕狙い、服装によるガード……普通で思いつかない策じゃないし、早計かもだけど。もし漏らしたとするなら、あめちゃんかなあ)
朦朧とする意識の中で、再度くもりは前を向く。右腕をとられれば、文字通りもう打つ手が無い。
「ねえ、おねーさん、もう降参しない? 多分無理だと思うよ、ここから逆転なんて」
屈託のない笑みを浮かべ、絆は言う。彼女の言うとおり、どこから見てもここからくもりが攻勢に出ることは不可能に思えた。くもり自身にも、それは分かっている。
「そうですねえ……」
それでも、参ったは言わない。そもそも、彼女がこの大会に参加したのは、此処にある全てを根こそぎ破壊するためだ。勝つの負けるので退く理由はなかったし、他に何かできることがあるなら――
(私の中の、なにか)
絆へは届かない。なら、壊すのは、私。
(私の――『弱さ』を、壊す)
くもりは右掌を、こめかみに当てた。同時に、しびれを切らした絆の攻撃がくもりへと向かう。
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枯葉塚 絆。彼女は神に愛されている――雨はそう言った。
しかし、同様に、荒川 くもりも、また。
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「うぅ――ぅぅぅうううう」
(何? おねーさんの様子が、何だか)
「ううううううああああああああああ!!!」
くもりの咆哮。そして閃光。絆は試合前、以蔵に言われた言葉を思い出す。
『徹底した遠距離からの攻撃、能力封じの腕狙い、服装によるガード。そこを特に気をつけることだ――ああ、あと、念のため一つ。プロフィールには書かれていないが、相手は遠隔攻撃能力を隠し持っている可能性がある。様子がおかしいと感じたら――』
(射線から、できるだけ遠く、逃げる!)
能力で壁に穴を作り、離脱する。鉄パイプに両足を乗せ、機外へと離脱し――
「っか!!!」
飛び出した瞬間、くもりより後ろの機体部分は、跡形も無く消し飛んだ。
(――叩き落す!)
多少の動揺はあったが、今は惑うべきではないと勝利への執念が叫ぶ。絆は鉄パイプからの金属弾銃撃を行いながら、再度残った機体へ取り付くタイミングを窺う。
「……どうして」
一方、くもりは先程とは打って変わって、弱弱しい声で何事かを呟き続ける。
「お父さん、お母さん、みーちゃんえっちゃんゆうくん、高橋さん三村さん広田さん弓削さん大隅さん、私は私は私は何で何で何で、私は知りたかった知りたかったただそれだけで、私は私は私は私は」
ばっ、と唐突に顔を上げた。視線の先には、絆の姿。
「――ねえ。あなたの事、教えて」
再びの咆哮。大きく旋回しながら、絆はギリギリで放たれた閃光を避けた。
「っ、終われええええええっ!!」
機体に取り付き、能力を発動。残った床、天井から棘を放ち、くもりを串刺しにする。
「は――あは、は」
くもりは、狂ったような笑みを浮かべながら、絶命した。
『荒川 くもりの死亡を確認。本バトルの勝者は枯葉塚 絆です』
「……何だったんだろ、今の……」
勝利を手にしながらも、絆の脳裏には、狂笑するくもりの姿が焼きついて離れなかった。
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「勝つには勝った、が」
生中継を見ながら、雨は不満げな表情を隠さなかった。
「――こうなっちまうのか。やっぱ」
「まあ、仕方ないだろう」
晴也はいつも通りの笑顔で、雨の肩に手を置く。
「それに向き合わざるを得ない、その時が来た。そういう事ではないか?」
兄の問いには答えず、雨は黙ったままノートPCを閉じた。
GK注:このSSの執筆者のキャラクター「荒川 くもり」