第2ラウンドSS・軍用施設その1

「……うぇ」

 変幻怪盗ニャルラトポテトこと鳴神(なるかみ)ヒカリは、隠れ家として使っているホテルの一室で吐き気を覚えていた。

 DSSバトルの第一試合。
 録画されたその配信データをザッピングしつつ見ていた彼女の視線に止まったのは、次の対戦相手――支倉饗子(はせくらきょうこ)凄惨(せいさん)な試合だった。
 その映像では鳴神の友人でもある恋語(こいがたり)ななせが、相手の支倉饗子を(むさぼ)り食っていた。
 血の(したた)る港の片隅で対戦相手を喰らい尽くす恋語の姿が、その画面いっぱいに映っている。

「……こいつは」

 鳴神は思わず口元を押さえた。
 恋語の試合の結果は敗北。
 決まり手は精神汚染と画面に映し出される。

「精神感応能力の魔人か……」

 戦闘の動画を見ただけではどんな能力か判断が付かない。
 鳴神はそう考えると、携帯端末を操作して恋語に電話をかけた。



「……戦わない方がいいよ」

 電話口から聞こえた恋語ななせの第一声は、それだけだった。

「ニャルちゃんの能力とは、壊滅的に相性が悪いから」

「相性が悪いのは……まあわかってるけど」

 精神感応系の能力は鳴神のコピー能力、《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》とは相性が悪い。
 理由は、その発動条件にある。
 彼女の能力は対象女性の思考や行動、素振(そぶ)りなどをトレースすることで発動する。
 よって彼女は精神に攻撃を受けた場合、発動が困難となってしまう弱点を持っていた。
 しかしそう答えた鳴神に訴えかけるように、恋語は言葉を続ける。

「支倉さんと出会うと――彼女を食べたくなるんだ」

 真剣な声色(こわいろ)で、電話先の恋語はそう語った。

「わけもわからないうちに、意識が食人に誘導されていく。僕はそれで――」

 一瞬、電話口で咳き込む音がした。
 鳴神は謝る。

「……ごめん。思い出させちゃったか」

「ううん。大丈夫。――それで僕は……彼女になったんだ」

「……彼女になった?」

 鳴神の言葉を、電話口の恋語は肯定する。

「うん。彼女を食べて、彼女の意識を取り込む……それが彼女の能力《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》。彼女を食べてから試合が終わるまでの一瞬、僕は支倉饗子になっていた」

「……なるほど。それで”精神汚染”か」

 もしこれがVRでなければ、恋語ななせは支倉饗子となりきってしまって、その事実を語る者はいなかっただろう。
 鳴神は内心、その能力に恐怖を覚えた。

「……そんな能力受けて、お前大丈夫なのか? なんかいつもの調子が出てねーみたいだけど」

 鳴神と恋語は、鳴神がネカマだった頃からの付き合いだ。
 女性のフリをしているのを看破されて以来、鳴神は彼女に対して女性の仮面を被ることはないし、彼女もまた鳴神相手に猫をかぶったりするようなこともなかった。
 そんな鳴神の言葉に、恋語は答える。

「本当に大丈夫。……だって最後に勝つのは僕だから。――ふふ」

 彼女は突然笑い出す。

「あは。あはははははははは!」

 彼女はひとしきり笑ったあと、一方的に通話を切った。

「……あ、おい! ――ったく」

 鳴神は画面を見つめる。
 そこには恋語との通話時間だけが表示されていた。

「……中二病はわたしだけで十分だっつーの」

 恋語にはまだ精神汚染の後遺症が残っているのだろうか、と鳴神は考える。
 どちらにしても、恋語ななせは支倉饗子の能力に敗北したのだ。

「次はわたし……か」

 鳴神はちりちりとした不快感とともに、何かが背後から這い寄ってくるような感触を覚えた。


  §


『レディース! エーンド! ジェーントルメーン!』

 VR空間”軍用施設”。
 軍事基地を再現した空間。
 その兵舎の中に、鳴神の姿はあった。

『さあ今宵始まるは世紀のバトル! 戦うのは夢幻の怪盗ニャルラトポテト! 対するは狂気の精神汚染、支倉饗子――!』

 口上が流れる中、鳴神はいち早く周囲を観察する。
 誰かが寝ていたのかシーツが乱れているいくつかのベッド、直前まで兵士がカードで遊んでいたかのようなテーブル。
 どうやら近くに支倉饗子の姿はないようだった。
 そもそも広いVR空間では開始地点は自由に選択できるので、両者の開始位置が被ることは(まれ)なことであった。

『それでは第四試合、開始――!』

 始まりのゴングが鳴り、試合が開始する。
 鳴神は瞬時に駆け出した。

「この空腹感を刺激される感じ……! 既に侵食されてるってことか……!」

 鳴神はそう(つぶや)く。
 どうやら支倉饗子の能力に視界は関係ないようだった。
 もし視覚を通して発動するのだとしたら、支倉は今頃第一試合の中継を見た観客にリアルで襲われ、既に第二の支倉饗子となっていることだろう。

「まあ視覚による能力なら、さらに大惨事になってただろうけどな」

 前回の試合で支倉饗子は複数のNPCに襲われていた。
 能力の対象が複数であるのだから、もしもVR中継という視覚を介した能力発動が可能であれば、放送された時点で支倉パンデミックになっていたことだろう。
 そうならないということは、”彼女を見る”ことが能力の引き金ではないようだった。

「距離か、それともフェロモンのようなもんなのか……?」

 ――まあ直接視線が通ればアウト……なんて発動条件だったら、まるで神話のゴルゴーンみたいだな。
 鳴神は頭の中に、無数の蛇の髪を持つ魔物の姿を思い浮かべる。

「……”ペルセウスは鏡のように磨いた盾を使って、石化の魔眼を直視しなかった”――か」

 彼女は兵舎の中を駆け抜けつつ、頭の中にいろいろな選択肢を浮かべる。

「……まずはアレを探してみるか」

 彼女は支倉饗子の存在に注意を払いつつ、探索を開始した。


  §


 支倉饗子は航空機の滑走路をゆっくりと歩いていた。
 彼女は対戦相手を探しながら、その顔に微笑みを浮かべる。

「まーだかな」

 彼女は歌うように言葉を(つむ)いだ。
 彼女にとってこの戦いは自身を無限に食べてもらう()捕食の祭典。
 美味しく食べられることだけが彼女の望みだった。

「……あれ?」

 そんな彼女の前に、それは現れた。
 鉄の塊の飛行物体。

「ええっと……ラジコン」

 それは一機のドローンだった。
 空中に浮かぶ円形の黒い塊は、その両サイドに機銃を取り付けている。
 その先端が、彼女に向いた。

「――ああ。それじゃあ食べられないじゃない」

 無数の銃声があたりに響いた。
 瞬間、そのドローンは空中で爆散する。

「……私を食べて欲しいのに」

 彼女が呟く。
 するとその背後から、もう一人の影が現れた。

「食べる気がないなら私が食べちゃおうかな」

 一人、また一人とその影が増え、言葉を同調させていく。

「ううん、でもやっぱりあの人に食べて欲しいもの」

 無数のNPCの軍人たちが、支倉饗子に付き従うように現れた。
 その手には(みな)、小銃を持っている。

「腕をもいで足を切り落として……そうして私を食べてもらいましょう」

 その軍隊の顔には、みんな一律の微笑みと口元から滴る血の跡。
 そうして支倉饗子たちの行進が、始まった。


  §


「そんなんありかよ……!」

 支倉饗子を取り囲む軍人NPCに操るドローンを撃退され、無機質なモニタが並ぶ管制室にいた鳴神は一人悪態をついた。

「……どちらにせよ、時間はなさそうだな」

 彼女は空腹を感じて、ブロック状の固形物をかじる。
 それは軍用の戦闘糧食(レーション)だ。
 VRといえど、それをかじっている間は空腹を紛らわすことができる。

 空腹というのは性欲に似ている。
 たとえ切望する特定の相手がいたとしても、とりあえずは手近な物で満たすことで、それを抑えることができる。

 もちろんそれは一時的なものだ。
 そして一時的に空腹を紛らわすことができたとしても、欲求とはその禁欲の期間が長ければ長いほど、解放への焦燥(しょうそう)は加速度的に増えていくものでもある。
 鳴神に残された時間は少なかった。

「巨大ロボットでもあるまいし、一発ド派手に決着ぅ! なんてのはわたしの趣味じゃねーんだけどな……。こっちは()せる為の怪盗なんだ。強盗殺人とは勝手が違う」

 誰にともなく、鳴神はそう独り言をつぶやく。

「……とはいえ数時間は持たねぇな……1、2時間……いやもしかたらもっと……」

 鳴神は不安の言葉を漏らした。
 同じ空間に支倉が存在することが、こんなにも自身の胸を締め付けるだなんて。
 ――支倉は果たしてどんな気持ちでわたしを待ち受けてくれているのだろうか――。

「……と、やべっ」

 一瞬、鳴神は思考のトレースにより《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》が発動しかけていたことに気付く。
 鳴神が能力を発動し支倉の能力をコピーした場合、鳴神は自身の能力を失い支倉饗子になってしまうだろう。
 そしてその後は、肉体の食わせ合いになるしかない。

「……それはどうにも、盛り上がりに欠けそうだな」

 その場合、画面に映るのは同一の容姿をした二人のかじり合いになる。
 ――待ち受ける結果としてはダブルノックアウトが精々か。
 お互いに相手に自身の体を食わせることを望み合う。
 それはまるで尾を食い合うウロボロスのようで――。

「……ごめんだね」

 鳴神の脳裏に映し出されたその光景が彼女にとって甘美(かんび)な姿に映るのは、はたして《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》の精神汚染か。
 鳴神はその想像を打ち払い、立ち上がった。

「さてさて、頑張れわたし。早くしないと、支倉になっちまうぞ」


  §


「どこかなー。ここかなー。それともここかなー」

 無邪気な声があたりに響く。
 支倉はNPCとともに、しらみ潰しに基地の中を探し回っていた。
 航空機の格納庫を見回り、管制室に足を踏み入れ、ゆったりとした女の足で少しずつ。
 それでも着実に一歩一歩、鳴神の隠れることができる範囲を狭めていく。

「……あは」

 彼女がそんな倉庫の片隅で、白地の布がはみ出たロッカーを見つける。
 まるで子供が隠れそびれたようなその様子を見つけて、支倉は笑顔を浮かべた。

「私のこと、食べてくれるかな」

 支倉饗子が近付く。

「食べて欲しいな」

 無数の支倉饗子が笑う。

「早くしないと食べちゃうよ」

 支倉饗子が扉を開けた。
 ガチャリ、と音がしてその中身が露出する。

「……あれぇ?」

 そこには誰もいなかった。
 入っているのは白いシーツと、赤いポリタンク。

「ざんねん……ごはんは、まだ先かぁ」

 支倉饗子は自身の唇を舐める。
 相手を求める心。強烈な飢餓(きが)(かん)
 それらの感情が()い交ぜになり、支倉の思考を染め上げた。
 ――食べてくれないなら、たまには私が食べるのもいいかもしれない。

 彼女がそんな夢想をしていると、周囲にいた軍人NPCの支倉饗子がロッカーの中で光る物に気が付いた。

「これは……発信器?」

 それは親指ほどの小さな機器だった。
 ロッカーの扉に仕掛けられていたそれは、扉を開いたことがきっかけになったのか、何らかの信号を今も放っていた。

 瞬間、首を傾げる支倉饗子の耳に倉庫の外からエンジン音が聞こえてきた。
 その騒音はあっという間に、彼女のいる倉庫へと近付いてくる。
 そしてすぐに壁を打ち破り、その巨大な兵器が姿を現した。

「……くるま」

 装甲車だ。
 周囲を取り囲むNPC支倉饗子が手に持ったアサルトライフルをそれに向け、次々と引き金を引く。
 しかし装甲車はその勢いを止めずに、倉庫の中を蹂躙(じゅうりん)した。
 そして破砕(はさい)(おん)とともに、無数の支倉饗子を()き殺す。
 同時にその衝撃は周囲の機器やロッカーの中身を破壊した。
 ロッカーに詰められていたガソリンが散乱し、倉庫内の電線が露出する。

 パチン、と。
 発火した火花があたりにぶちまけられたガソリンに引火して、倉庫には激しい爆発と轟音(ごうおん)が広がった――。


  §


「ぶへぇ!」

 鳴神は炎に包まれた倉庫を抜け出し、外の舗装(ほそう)()からそれを見つめた。
 今も炎は勢いを上げ、倉庫を焼き尽くさんとしている。
 暗闇の中で炎に照らされた軍事基地は、まるで朝日を受ける夜明けの街のようだった。

「わたしはテロリストじゃあないっつーのに……」

 地面を這いつくばっていた鳴神は仰向けに腰を下ろし、夜空を見上げる。
 VRの星空を見ながら一息ついて、鳴神は燃え上がる倉庫を見つめた。

 そして、その存在に気付く。

「――ふふ」

 一つに(まと)められた長い髪。

「ふふふ」

 ところどころ焦げた白衣が、風になびく。

「見ーつけた」

 燃え盛る倉庫を背景に、彼女はその笑顔のシルエットを闇に浮かべた。

「あ……」

 鳴神は声を漏らす。
 ――逃げなくては。
 鳴神の体は動かない。
 その間も一歩、また一歩と、支倉饗子は鳴神に近付いてくる。

「ねえ」

 支倉の呼びかけに、鳴神は答えない。
 その背筋に氷のような寒気が走った。
 ――一刻も逃げ出さなくてはいけない。

 しかし鳴神は、支倉の姿から目が離せない。
 ――逃げる? なぜ逃げるんだ? だってこんなにも――。

「ミディアムとレア、どっちが好き?」

 支倉は(ひざ)をつき、鳴神に覆いかぶさる。
 鳴神の鼻孔(びこう)に、ふわりと支倉の匂いが届いた。

 ――こんなにも、美味しそうな匂いがしているのに。

 まるで絡み合う男女のように肌を密着させて、支倉はその焼け焦げた指を鳴神の口へと近付けた。

「美味しく、食べてね」

「ん、ぐ……や……ぁ……!」

 こじ開けられるようにして、鳴神はその指を口内に受け入れた。
 支倉はまるでソースのように唾液(だえき)を指に絡める。
 鳴神の粘液(ねんえき)がくちゅりと音を立てた。
 どこか淫靡(いんび)な表情を浮かべる支倉の指を受け入れつつ、鳴神は(ほお)を上気させて呟く。
 彼女の頭の中に、恐怖心と背徳感と食欲が同時に渦巻いていた。
 支倉はただただ笑う。
 鳴神はぼんやりとした頭で、それに(こた)えた。

「……いただき――ます」

 ガチリ、と。
 骨を噛み砕く音が響いた。

 支倉が笑う。

 くちゅり、と。
 肉を(つぶ)す音がして。

 支倉が笑った。

 そうして、夜の基地に咀嚼(そしゃく)(おん)の水音だけがこだました――。






「”こうして変幻怪盗ニャルラトポテトは支倉の体を貪り喰らい、精神汚染により支倉が勝利しました”――」

 ふいに。
 鳴神ヒカリは呟く。

「――なんてストーリーはな」

 その口から支倉の血を滴らせ、彼女は()えた。

「”不味(マズ)()ぎて食えたもんじゃあない”んだよ!」

 噛み千切った支倉の指を吐き捨て、鳴神は自身の顔に手を当てる。

「インストール――《Cinderella-Eater(シンデレラ・イーター)》!」

 鳴神の味覚には酷い塩味が広がっていた。
 進道ソラの能力をコピーした鳴神は支倉饗子を突き飛ばす。

「いい気付けだ。こんなしょっぱい物語、あいつに食わせられるわけがない」

 そう言いながら、鳴神はその場に立ち上がる。

「――たとえホラーだろうが宇宙的恐怖だろうが……私が用意する物語は、いつだって甘々のハッピーエンドなんだよ!」

 鳴神はその顔に笑みを浮かべながら、地面に座る支倉を睨みつけた。

「あの素直じゃねー童貞刈谷(かりや)なんかと違って、お前は信念も何もないただの現象だ。能力が一人歩きした悲しい概念(がいねん)だ。……だからお前を、一人で勝たせるわけにはいかない」

 鳴神は言い切る。

「……そして、同時にお前を一人のまま負かすわけにもいかねぇ!」

 彼女は右腕を前に突き出して、支倉を指差した。

「支倉饗子! てめぇの《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》をぶったおーす!」

 その言葉に支倉は怪しく微笑む。

「ふふ……。倒すって……どうやって?」

 彼女は立ち上がり、鳴神へとその視線を向ける。

「こうしている間にも、《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》はどんどんあなたを侵食(しんしょく)していく……」

 そんな彼女の言葉に、鳴神は笑いながら自身の頬に手を当てた。

「お前を倒すのは――こいつさ」

 途端(とたん)、鳴神の姿にテクスチャが張られていく。
 その姿に、支倉は(まゆ)をひそめた。

「……恋語ななせ」

 彼女は目の前に現れた少女の名を口にする。
 恋語ななせの表層(ひょうそう)テクスチャを被った鳴神は、その口調を真似(まね)て笑った。

「”僕”の雪辱(せつじょく)を晴らさせてもらおうかなって」

「ふふ。おかしな人。……一つ教えてあげようか」

 支倉は恋語の姿となった鳴神を見下(みくだ)すように見つめる。

「あの子、私に負けたの。なすすべもなく……ね」

 彼女の言葉に、鳴神は口の(はし)をいやらしく吊り上げた。

「わたしからも一つ、いいことを教えてやろう」

 その顔は恋語のままだが、彼女が絶対にしないような皮肉めいた表情を鳴神は浮かべる。

「恋語はFランクのプレイヤーだ。その成績は()められたもんじゃない」

 鳴神は支倉を見返しつつ、静かに言った。

「だけどそれは、あいつが弱いからじゃあないんだ」

 鳴神はそう言うと、自身の顔に手の平を当てる。

「恋語ななせの思考を展開する――! インストール、《エンゼル・ジンクス》!」

 鳴神の背後に天使の羽のようなイメージが浮かび上がった。

「”僕”はね、弱いよ。試合も全然勝てない。でも――”わたし”は違う」

 鳴神はその胸元に手を入れると、ふところから10円玉を取り出す。

「……あいにく、わたしはキュートで乙女な”おまじない”なんて使えなくてね。悪いがニャルポテ式の這い寄る感じな”お(まじな)い”でいかせてもらうぜ!」

 鳴神はその銅貨を指先で空中に弾く。

「”心から願う”! こっくりさんこっくりさん、『《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》をぶっ倒したい』!」

 鳴神の言葉とともに、10円が宙を不規則に動いて文字を描いた。

「『道路を走行中の黒猫の宅配便のマークを触る』だぁ!? そんなもん、今すぐできるわけねーだろーが!」

 鳴神はおまじないの出したその結果に、不満の声をあげる。
 それを見て、支倉が笑った。

「ふふ……これでおまじないは失敗ね」

 支倉は10円玉が力を失い落下するのを見ながら、目を細める。

「恋語ななせもおまじないを達成できず、諦めた。つまりそれは今この瞬間、あなたの勝利がなくなったということ……違うかしら?」

 彼女の言葉に――鳴神は、笑った。

「……へ。違うね」

 落ちてきた10円玉をつかむと、鳴神はもう一度それを弾く。

「次だ! こっくりさんこっくりさん、『支倉にかかった能力を解除して、普通の女の子に戻したい』!」

 10円玉はまたも空中に文字を描いた。

「『ラーメン次郎丸を5分で完食』!? ラーメン屋があるステージで言ってくれ!」

 そう叫ぶとまたも10円玉を掴みとり、もう一度弾き願いを叫ぶ。

「ああ!? 今度は『鮎の友釣り』だぁ!? 次! 次!」

 何度も何度も。
 彼女は繰り返し能力を発動する。
 そしてその度に、次々と”諦めた”。
 恋語ななせの《エンゼル・ジンクス》の数少ない制約、『諦めた願いは叶わない』。
 しかし鳴神はその実現を諦めた(そば)から次の願いを思い浮かべ、その制約を気にせず無数の願いを量産する。
 鳴神の無限の発想力が、その制約を打ち崩した。

 一方の支倉は次々にコインを弾くその様子を、ただ呆然(ぼうぜん)と見つめている。

「――こっくりさんこっくりさん……ああもう狐狗狸(こっくり)さんでもAIの狐でもなんだっていいから――! 『支倉の能力を、一日合計一時間までの任意発動にしてくれ』!」

 都合13度目の願いが宙を舞った。

「――出たな」

 鳴神は笑う。
 10円玉の軌跡(きせき)が描いた文章は、『10分以内に4段トランプタワーを完成させる』。

「わたしの勝ちだ。そこで見てろ支倉ぁ!」

 鳴神はその場にしゃがみ込むと、兵舎から持ってきていたトランプを取り出す。

「まさかこんなことに使うことになるとはな! うおおおトランプは怪盗の必須技能! トランプは怪盗の必須技能!」

 鳴神はそんな掛け声とともに、二枚ずつ丁寧にトランプを重ねて地面にタワーを作っていく。

「……ねぇ」

 それまでじっと見ていた支倉が、同じくしゃがみこんで鳴神に声をかけた。

「んだよ! 今忙しいんだ、話しかけるな!」

「……私に邪魔されるとは思わなかったの?」

 支倉の言葉に、鳴神は視線をトランプから離さずに答える。

「支倉……いや、《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》が邪魔をする理由はないだろ」

 鳴神は、あっけらかんとそう言った。

「まあわたしが支倉饗子の思考をトレースしようとしたら、《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》をコピーしちまうからな。本当のところ、お前が何を考えているかなんてさっぱりわからないし、知る気もないよ」

 彼女はそう言いながら、トランプを組み立てていく。

「――だから、能力とその仕組みについてだけを考えた。その結果……『《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》は勝利を目指さない』と判断したよ」

 タワーの一段目が組み上がった。
 それは風でも吹けばすぐにでも崩れそうな脆弱なパズルのようだった。
 鳴神は言葉を続ける。

「《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》は意思を持たない”現象”だ。もしもそれが知性や記憶を維持するなら、『自分を食わせる』なんてサイクルを維持できるはずがない」

 ゆっくりと。
 慎重にトランプの積み木を組み立てる。

「……『生きたい』って本能は、遺伝子に刻まれた生命の根源なんだ……ってあちゃあ」

 トランプタワーが崩れる。
 鳴神はまた一から、それを組み直し始めた。

「植物なんかは自ら食われる生命サイクルのシステムを構築してたりもするけどな。だけど知性ってやつは、そういうのに向いてないんだよ」

 先程よりも慎重に、それでいて手慣れた手つきで鳴神は塔を組み立てる。

「……《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》の能力を連続した現象として成り立たせるには、理性や記憶なんて存在しても邪魔なだけだ。だから支倉饗子は、以前の宿主の記憶はもちろん、()捕食(ほしょく)欲求(よっきゅう)以外の感情はほぼ削ぎ落とされているはずだ」

 鳴神の言葉を咀嚼するように、支倉は空を見ながら首を回す。

「……でも私、自分からDSSに参加してるのよ?」

「そうだな。狂気に支配されているはずのお前がなぜか参加している。――そう、それがおかしな事なんだ」

「おかしな事?」

 首を傾げる支倉に、鳴神は答える。

「きっとそれは――プログラムされていたからなんだろうな」

「プログラム?」

 またも尋ねる支倉に、鳴神は手先に神経を集中させつつも頷いた。

「……最初は、お前が能力の被害者を増やそうとしてたのかと思った。でもVRを通したモニタの向こうにまでお前の力は及んでいなかったし、恋語も試合が終わったあとで《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》には感染していなかった」

 それは、VR内では《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》は増殖できないということを意味する。

「……ということは、だ。この大会に参加したのは《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》の意思じゃあないんだよ。何か全くべつの意思が存在した。その正体はわたしにもよくわからない。誰かの能力によるものなのかもしれないし、お前の出自に関係あることなのかもしれない。しかし重要なのは、お前にとって『DSSバトルはどうでもいい』ということだ」

 ようやくタワーの一段目が完成し、鳴神は息を吐いた。

「つまり《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》というシステムは、この大会での勝利を必要としていないってことさ」

 鳴神は支倉に視線を向けると、穏やかな笑みを浮かべた。

「……だからお前は、わざわざわたしのトランプ遊びなんか邪魔したりしない」

 支倉はその視線に困惑したような表情を浮かべる。

「でも……私、とってもあなたに食べられたいわ。あなたは素敵だもの。トランプを崩せば、あなたに美味しく食べられるんでしょう?」

「残念だけどそれは物理的に不可能なんで、諦めてくれ」

 タワーの二段目に取り掛かりつつ、鳴神は苦笑する。

「わたしはお前のことを美味しく食べることはできない。……味覚が死んでるからな」

 それは進道ソラと出会ったときのことだ。
 あのとき彼女の体の一部が転写され、鳴神の体の至る所を焼き尽くした。
 その舌も、それに漏れない。

「……だから、お前をもっと美味しく食べてくれる人と当たるまで、その食われたい快感はとっておくといい」

 鳴神は支倉へ悪戯(いたずら)っぽく視線を送る。

「気持ちいいことって、我慢すればするほど気持ちよくなるもんだろ?」

 支倉はその言葉に、少しだけ頬を緩めた。

「すけべ」

 今までの微笑みよりもやや柔和な印象の笑みを浮かべる支倉に、鳴神も笑う。

「へへへ。まあお前が一番好きな人に食べてもらえるように、お前の意思で任意に発動できるようにしておいてやるからさ。わたしは支倉饗子の欲求も、《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》の存在も、否定しない」

 トランプタワーが完成へと近付く。
 あと二段。

「……どっちにしろ、このタワーが上手く完成しなきゃダメなんだ。いくら怪盗にあこがれてトランプ手裏剣を訓練していたわたしとはいえ、時間制限がある上にドンドンお前を食いたくなるこんな状況じゃあ、これを上手く作れるかどうかなんてわからない」

 鳴神の手は微細(びさい)に震えていた。

「お前の在り方としては、このトランプタワーが完成しようが完成しまいが関係ないはずだ。……だったら、運に任せてこの行く末を私と一緒に見届けてくれないか?」

 鳴神の言葉に、支倉は考えるような仕草を見せる。

「……待つのは、ちょっとだけよ」

「ああ。もし失敗したら、今度こそお前を食べてやるよ。わたしもたぶん、我慢できそうにないし」

 鳴神の答えに、支倉は笑った。

「……ふふ。どうしよう、困ってしまうわ。私……」

 支倉は自身の胸を押さえて、鳴神を見つめる。

「ちょっとだけ、食べられたくなくなっちゃった」

 呟くように彼女は言葉を続けた。

「私は私が食べられるその瞬間まで、あなたと一緒にいたいし、あなたに美味しく食べられたい」

 彼女の言葉に、鳴神は頷く。

「……まあ美味しく食べられたいなら、とりあえずわたしが味覚を回復させるまでは最低限待ってくれ。きっとこの大会で優勝したら、味覚も取り戻してみせるからさ」

 鳴神の言葉に支倉は目を伏せた。

「あなたは……ズルい人なのね。そんなこと言われたら、あなたに勝って欲しくなるもの」

 彼女の言葉を、鳴神は笑い飛ばした。

「ハハ、わたしがズルいだって? そんなこと今更(いまさら)気付いたのか? わたしの名はニャルラトポテト――」

 トランプタワーの最後の一段を作りきって、鳴神は支倉へと笑いかける。

「――怪盗さ」

 風が吹き、二人の間のトランプはそれに乗って空へと舞い飛ぶ。
 その風が過ぎ去ったとき、鳴神を襲っていた空腹感は消え失せていた。




<勝者:変幻怪盗ニャルラトポテト>
<支倉饗子の降参>
最終更新:2017年11月05日 01:22