■■■■■
「……つまんないなあ」
マンションの一室で、そう呟いたのは部屋の主・支倉饗子。
「つまんない、実につまんない。ちいっとも面白くない」
ベットの上で気だるげに手足を投げ出し、何をするでもなく、まんじりと天井を眺める。
彼女がこうなってしまったのは、先日のDSSバトルが原因だった。
数日前の戦い。支倉は恋語ななせという女学生と戦っていた。そして、彼女は勝った。
……否、それは戦いなどではなかった。
それは支倉にとっていつも通りの『食事』だった。支倉が食べられ、食べた者が支倉になる。普段と何ら変わらない生活の営み。
試合内容もなにもなく、最初から最後まで、恋語が支倉の手のひらの上で踊っていただけ。
そういうものに見慣れていない視聴者にはエキサイティングに見えたのだろう。
だが、支倉にとっては違う。ただの日常だ。
意外性もなにもあったものではない、これならフードファイトでもやった方が楽しかっただろう。
さらに言えば、それが起こした結果も彼女にとっては面白くない。
確かに支倉は食べられた。『イート・ライク・ユー』も発動した。
……しかし、恋語ななせには彼女が期待したような変化はなかった。
VRという状況もあり、もしかして私が増えちゃったりするのかな?となんとなく期待していたのだが、結果は知ってのとおり。
期待外れも甚だしい。これなら増えたほうが楽しかった。そうしないと決めたやつはあほだ、と彼女は思った。
「はあーあ、なんかもうやんなっちゃったな……」
ようするに、期待外れに期待外れを重ねられたことにより、現在の支倉饗子にはDSSバトルへのモチベーションがこれっぽっちも残っていないのだった。
そもそもとして、彼女にはDSSバトルに参加する理由はない。
カードを手に入れた経緯は既に他人事であるし、一回戦はなんとなく面白そうだからやってみたものの結果はあのザマ。
一応ファイトマネーは貰ったものの、それをモチベーションにするのも無理だ。
彼女には以前の『自分』の遺産があり、お金には困っていない。運営から貰った額など、はっきり言ってはした金である。
そういう事で、彼女にはもう続ける意思も、戦う理由も何ひとつ存在しなかった。
「やめちゃおうかな……私も暇じゃあないし……」
もはやリタイア待ったなし。
こうしてDSSバトルから参加者が減っていくのであった……。
いずれは参加者現象に歯止めがきかなくなり人口減少、生産性低下、租税乱造されるSSキャンペーン……焦った運営は労働力を賄うためにレプリカントを創造し、使役し、そして反乱されるだろう。
逃げるハリソン・フォード、追うライアン・ゴズリング……AR表示されるラブプラスは、全人類をフヌケにする……人間とは、人間らしさとは何なのか……ブレードランナー2049、絶賛公開中……。
ぴんぽーん!
その時、どこからともなく音が響いた。
それは……何を隠そう、玄関のチャイムの音である。
「うん?なんだろ、宅配便かな」
弛緩していた四肢の筋肉に力を入れ、支倉はがばりと身体を起こした。
ベットの脇に脱ぎ捨てられたスリッパを履きなおし、玄関にむかってぱたぱたと足音を立てながら向かう。
「はーい、どちら様ですかー?」
そう言いつつ、扉を開ける。
するとそこには、一人の少女が立っていた。
それは。
「ああ、うん……あれ?なんで?」
混乱する支倉。
それもそのはず。そこに居たのは、そこに居るはずのない人間だった。
「こんにちは、『私』。入ってもいい?」
少女……『支倉饗子』は、扉を開けた支倉饗子にそう言った。
■■■■■
「……つまんないなあ」
病院の一室で、そう呟いたのは部屋の主・進道ソラ。
「つまんない、実につまんない。ちいっとも面白くない」
ベットの上で気だるげに手足を投げ出し、何をするでもなく、まんじりと天井を眺める。
彼女がこうなってしまったのは、先日のDSSバトルが原因だった。
数日前。彼女は今と同じ病室で、ある試合を視聴していた。
彼女の能力『Cinderella-Eater』の効果は『物語を食べること』。彼女はその日もその能力を使ってDSSバトルを食べ、味わう事で喪われた味覚の代償行為をしていた。
そして運が悪いことに、その試合に出ていた選手の能力は『食べられることで自己を上書きすること』だった。
試合結果はその選手の勝利。すこし変則的だったが、それ自体は何の問題でもない。
……問題なのは、ソラがその選手を、『物語ごと食べてしまった』事だった。
その結果、互いの能力が複雑に作用しあい、新道ソラの人格は『支倉饗子』に上書きされてしまったのだ。
ここで読者の方々は「それは負けた試合の内容だから正史にはならないんじゃないか」と思うかもしれない。たしかにそうだ。それが書かれた試合はネットの闇に消えた。
だが、聡明な読者なら気づくはずだ。つまり『ソラが試合を食べるのはどんな正史でも変わらない』、そして『ソラが求める限り進道美樹は試合を食べさせる』。
つまり、支倉饗子が本戦に残ってしまった以上、こうなることはどうあっても避けられなかったのである。
たとえこのSSが再びネットの闇に消えたとしても、その結果だけは変えることが出来ないだろう……。
一方、当の本人はさきほどからずっと天井を見続けていた。
つまらない、と言ったのはDSSバトルについてではない。
『支倉饗子』はDSSバトルに興味などない。彼女の興味は食べる事にのみ向いている。
だが、現在彼女はその『食べる事』が出来なくなっていた。
正確には、味わうことが出来なくなっている。新道ソラには味覚がないからだ。
元の人格は能力で補っていたのだが、それは上書きされることによって消えてしまった。彼女は今、完全に味を感じられなくなったのである。
「はあーあーあーあー……なんでこうなっちゃったかなあ、もう」
口をついて出てくるのは溜め息ばかり。それも無理はない、彼女は生きがいを喪ったのだ。
一応、まだ『次の自分に食べられる』という目的はあるものの、現在の進道ソラの肉体は美味しそうからは程遠い。
ろくに食べていなかったのだろう、肉が薄い上に運動不足で締まりがない。怪我はともかくこんなに不味そうなのはいただけない。食べる方にも失礼というものだ。
これを食べるのに適した体に作り替えるには、並々ならぬ努力が必要とされることが予想される。そして、それに伴うストレスも並大抵のものではないことは明らかだ。
だが、今の彼女にはストレスを食事で発散できない。健康のために食べるには食べるが、味がないのではいまいち気が乗らない。そも食べ過ぎはよくない。
運動で発散してもいいが、しかしやりすぎて身体を壊しては元も子もない。今の身体は虚弱で、長時間の運動はまだ早いだろう。
「うーん、どうしたもんか」
乗っ取った相手の健康を気遣う、という変な状況になっているが、彼女はいたって真面目である。
せめて食事に彩りでもあれば、と考えるもののうまい方法は思いつかない。
こんな事では、いずれストレスでご飯が喉を通らなくなってしまうだろう……そうなれば日本のお米消費量は激減し、コメ農家は廃業、国内のお米産業は大打撃を受けるだろう。
そうなれば外国からの輸入米が蔓延り、それに反発したレジスタンスが徹底抗戦……帝国は新しいデス・スターを建造……逃げるマーク・ハミル、追うアダム・ドライバー……ジェダイ……シス……宇宙のバランス……スター・ウォーズ/最後のジェダイ、12月15日公開……。
味覚がないのが、こんなにつらいなんて。
出来る事なら誰かに変わってもらいたいが、そもそも変わった結果がこれである。じゃあ私の代わりは誰が……。
「ん、代わり?」
そこで、彼女は閃いた。
発想を逆転させよう。私が味わえないのなら、誰かが代わりに味わってくれればいいのだ。
そして、味覚のない私でではない、味覚のある『私』に味わってもらえば、それは私が味わっているのと変わらないのではないだろうか、と。
自分の代理に自分を立てるのは簡単。きっと向こうも納得してくれるはず。
だって他ならぬ私のお願いだもんね!
そうと決まれば話は早い。ソラは自分の思いつきを叶えるべく、彼女の『お姉ちゃん』、DSSバトルの運営を一手に引き受けている魔人・進道美樹を呼び出すのだった。
■■■■■
VR空間。地形は『軍用施設』。
そこでは今、史上最大・空前絶後の戦いが始まろうとしていた。
目撃者は言うだろう、あんな戦い見たことがない、と。
参加者は言うだろう、この戦列に加われたことすら光栄の極みだ。と。
運営者は言うだろう、なんでこんな戦いをするかになったかはノーコメントで、と。
そう、これこそは二十一世紀を代表することになるだろう大戦争。
その名も……。
【腹ペコ魔人大激突!チキチキ・フードファイト帝王決定戦!】
「なんでさーーーーーーーー!!!???」
軍用施設内・特設ステージにてそう叫んだのは変幻怪盗ニャルラトポテト(本名・鳴神ヒカリ)。
彼の困惑も無理はない。試合開始五分前にいきなり「今回はちょっとルールを変えることになりました」と言われ、詳しい説明を聞く間もなくVR空間に送り込まれてみればこんな状況である。むしろ困惑で済んでいるのは驚異的な環境適応能力というしかない。
もしここにいるのが他の参加者であれば、怒ったり泣いたり喚いたり、運営に苦情のリプライを送ってブロックされたりしたのだろうが、変幻怪盗ニャルラトポテト(本名・鳴神ヒカリ)はそうはしない。
なぜならば、彼女(彼)は開始前の運営からの報告に際し、一つの手紙を受け取っているからである。
その手紙は……ファンレター、それも進道ソラからのものだ。
内容は「美味しいごはんがんばってください!ファイトです!」の一文のみ。
だが彼女(彼)にとってはそれで十分!
むしろ今では、この訳の分からないルールをわざわざ忠告してくれた(ように読める)というだけで、彼の心は温かいものに満たされ、明らかな異常を受け入れてしまったのだ。ちょろい。
実際のところ、手紙はフードファイト参加者全員に送られた汎用レターなのだが、まあ知らぬが仏である。
もちろん、こんな頭の変な状況になったのには理由がある。裏から進道ソラが手を回したである。
具体的には『お姉ちゃん』を呼び出し「この試合のルールをフードファイトにして」とお願いしたのだ。精一杯の可愛い声で。
お姉ちゃん・進道美樹はそれに応えた。
むしろ応え過ぎた。妹可愛さにやりすぎた。
彼女は戦場セッティングプログラマや各種企業、世界各地の闇フードファイト連盟などあちらこちらに手を回しまくって、ひとつの試合を世界的な一大フードファイト大会に変えてしまったのだ。
本来ストップをかけるはずの社長が、『露出卿』の無修正放送の件で事情聴取を受けていたため不在だったのも大きかっただろう。
社長がいなければ美樹が実質トップ、止められる者など誰もいなかったのである。
様々な思いと困惑、ソラの暗躍と美樹の暴走、そして今はいない社長の胃痛を乗せて、今世紀最高のフードファイト大会は始まろうとしていた……!
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(全選手入場と紹介・割愛)
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ステージ上、所定された席に座った怪盗ニャルラトポテト(本名・鳴神ヒカリ)は周囲を見渡す。
隣には、彼が座ったような席が何個もつながっている。その数、およそ五十席。
今回の戦いはフードファイト大会、つまり一対一ではなく大人数で行われ、その中から優勝者が決められるのだ。
残りの席にも、先ほど紹介されたフードファイターや運営に用意されたNPCフードファイター、VR八兵衛などが座っている。誰もが歴戦のつわものといった面構え。油断ならぬ強敵どもだ。
だが、彼らの事は置いておいても構わないだろうとニャルラトポテト(本名・鳴神ヒカリ)は考える。
なぜならば、自分が勝つべきなのはあくまでDSSバトルであって、フードファイト大会ではないからだ。
最初の衝撃から一息おいて冷静になった彼は、VR空間内にいた運営関係者を相手にルール確認(と言う名の尋問)をおこなった。すると、ある事実が判明した。
すなわち、DSSバトル自体のルールは変更されておらず、フードファイト大会はあくまでVR戦場内で行われるイベントに過ぎない、という事だ。
なぜそうなったかと言えば理由は簡単であり、もともとDSSバトル用に組み上げられたプログラムをフードファイト用に組み直すには時間が足りなかったからである。
門外漢のニャルポテト(本名・鳴神ヒカリ)にはよく分からないが、プログラミングはそんなに便利なものではないらしい。
そのため一応フードファイト大会の体は成しているものの、DSSバトルの勝敗には関係がないということだった。
勝つためには従来通りの方法で勝てばいいのである。
そういう事で、ニャルポテ(本名・鳴神ヒカリ)の狙いはフードファイト大会優勝ではなく、会場に居るであろう対戦者・支倉饗子をどさくさに紛れて倒すことなのだった。
「ヤンス!絶対優勝してみせるでヤンス~!」
左の席に座ったVR八兵衛の声を聴き、ニャルポ(本名・鳴神ヒカリ)は我に返った。もうすぐフードファイトが始まる時間だ。
見れば選手はほとんど席についている。だが、その中に支倉饗子の姿はない。
(どこだ、どこにいる……まさか、観客側に?)
そう思い、観客席を見る。しかし人でごったがえすその中から個人を見つけるのは至難の業だろう。
なにより彼は支倉の顔を直接見たことはない。前回の試合の放送を見たきりである。
そう、前回の試合。支倉饗子は対戦相手の少女に『食われた』。
そのことにより能力の概要は分かったが、その戦闘能力についてはまったく不明のままだ。
もしかしたら彼よりも強いかもしれない。なにか隠された技能を持っている可能性もある。
つまり、何をしてくるのかわからない。そこが不気味だった。
「すみません、遅れました」
その時。ニャポ(本名・鳴神ヒカリ)の右の席に、彼女が現れた。
『おおっと、ここで最後の選手が入場だ―ーー!!!』ワーワー
「な、」
煽る司会者。騒ぐ観衆。彼らは皆、最後の入場者に期待を込めて注目する。
だが、鳴神ヒカリの反応は違った。
『最後の入場者、栄えある帝王決定戦の参加者の名前はーーー!!!』ワーワー
「な、なんで」
上がりに上がった会場のボルテージに応えるように、司会者は彼女の名を高らかに謳いあげる。
そしてヒカリも、彼女の名を叫んだ。
『支倉ッッ饗子だァァァァァァァァァァアアアッッッ!!!!!』
「なんで君がいるんだ、進道ソラッッッ!!!?」
現れた少女……進道ソラは歓声に沸く観客に手を振ると、隣に座る彼の顔を見て、そして微笑みながら言った。
「今日はよろしくね、『変幻怪盗ニャルラトポテト』さん?」
■■■■■
「も、もう食えないでヤンス……ガクッ」
大健闘を見せたVR八兵衛がついに倒れ、残るフードファイターは片手で数えるばかりとなった。
そしてもちろん、鳴神ヒカリと進道ソラは、その中に残っていた。
ヒカリは目の前に置かれた厚切りステーキにナイフを突き立てつつ、隣に座った少女を盗み見る。その眼付は険しかった。
ここに至るまで、彼らは厳しいフードファイトを潜り抜けてきた。
ある時は極寒の海中に潜り、ある時は大気圏スレスレの空を飛び、またある時は軍用施設に隠された核搭載二足歩行兵器と戦いながら、厚切りステーキを食べ続けた。
そしてその中で、ヒカリはある事実を認めざるを得なくなった。
すなわち、いまの『進道ソラ』が『支倉饗子』だという事を。
認めたくはない。あの病室で、自分が感じたあの温かさが永遠に消え去ったなどと、断じて認めたくはなかった。
だが、軍用施設から現れた無数のミュータントどもを駆逐しつつステーキを食べる最中、彼は『TRPG』によってソラをトレースせざるを得なくなり、そしてその中身を垣間見てしまった。
筆者と読者の発狂を避けるため詳しい描写は省くが、その瞬間に彼は一度壊れた。壊れ、そして自らの能力によって、かろうじて自我を再建したのだ。
一歩間違えば二度と戻ること話できない危ない賭けだったが、彼はそれに勝利し、そして悲しい現実に打ち付けられたのだった。
そして今。彼らは並んでステーキを食べている。もはやこれ以上の妨害が入ることはないだろう、あとはただ食べるのみ、だ。
だが、実際のところ食べる必要はない。
お忘れの読者もいるかもしれないが、これはDSSバトルである。なにもフードファイトで決着をつけなくとも、ヒカリが支倉饗子を殺せば、この無益な戦いは終わるのだ。
かつてのアイドルならいず知らず、現在の進道ソラの肉体に戦闘能力はない。ヒカリであれば軽くひねるだけで殺すことが可能だろう。
……だが、今の今まで彼はそれができなかった。
すぐ隣、手が届くところに居るにも関わらず、である。
何故か?
決まっている。かつて見惚れた女が、味覚がなく飯も満足に食わなかったような女が、笑顔でステーキを頬張っているのだ。幸せそうに、顔をほころばせて。それも、自分の隣で。
たとえその人格がかつての彼女のものではなかったとしても、彼女の幸せを願う以上、その邪魔をすることだけはできない。
もしできる奴がいるとすれば、そんな奴は男でなければ怪盗でもない、ただの屑だ。
「……」
「もぐ、むぐ、もぐ」
ソラの持つナイフが肉を切り分け、まだ赤い断面から透明な肉汁が溢れ出る。
ステーキソースと混ざったそれを、丁寧に肉に絡め、口に運ぶ。
唇が肉をはむ。舌が迎え入れ、歯が噛みしめる。
肉の脂が口内の熱で溶け、柔らかな筋肉繊維がほろりと解ける。
「んっ、むぐ、ふう」
ソラは肉を呑み込むと、また次の肉を切り分けにかかる。
ヒカリは、その様子をまじまじと見つめる自分に気づいた。
だが、それを止めようとは、微塵も思わなかった。
彼が思うのは、ただただ『美味しそうだ』という事だけだった。
ナイフが肉を切り分ける。おいしそうだ。
赤い断面から肉汁が溢れる。おいしそうだ。
肉汁とソースが混ざる。おいしそうだ。
肉にソースが絡む。おいしそうだ。
唇がはむ。おいしそうだ。
舌が。おいしそうだ。
歯。おいしそうだ。
おいしそうだ。
おいしそうだ。
おいしそうだ。
彼女は、とてもおいしそうだ。
「……ぐ、が、ァ」
倒れ伏す進道ソラの喉に、ナイフが突き刺さっていた。
それを実行し、そして倒れた被害者を見下ろすのは、『変幻怪盗ニャルラトポテト』。
鳴神ヒカリではない、変幻怪盗ニャルラトポテトである。
彼女は冷え切った目を進道ソラに向けた。
怪盗にとってそれはただの敵だ。どんな状況でも、倒すことを躊躇することはない。
怪盗にとってそれはただの敵だ。どんな状況でも、食べることなど考えはしない。
『それ』が初めから鳴神ヒカリの内側に居たのか、それとも『TRPG』を重ねる中で徐々に形作られていったのか、それは誰にもわからないだろう。
だが、はっきり言えることは、『それ』が『鳴神ヒカリ』の代わりに、主人格に収まったということである。
もともと彼は『TRPG』の多用によって不安定になっていたし、それは彼自身も自覚があった。ゆえにこうならないよう自我を保つよう努力していた。
だが今回の事件により『鳴神ヒカリ』の人格は一度完全に破壊され、能力で無理やり再建したものも精神汚染によって溶けて消えた。
そして、空いた場所に『それ』が入った。もう跡形もない彼の代わりに。
「ぐ、あ、う、」
「……」
ニャルラトポテトは敵の側にかがみこむと、刺さったナイフに手をかけ、引き抜いた。
「ぐあ、っ!」
「……」
「ぎゃ、ッぁ!」
そして刺した。もう一度。今度は胸に。
「がッ、」
また引き抜く。
「ーッ、ぁ」
また刺す。
「ぅ、あ」
また引き抜く。
「ッぅ」
また刺す。
「ぁ」
抜く。
「…」
刺す。
「…」
抜く。
刺す。
抜く。
刺す・
そうして敵が動かなくなるまで、抜いて刺すことを繰り返した。
静寂。
そして。
『ザッケンナコラー!』『スッゾコラー!』『チャルワレッケオラー!』
アブナイ!暴動だ!
フードファイトを楽しく観戦していた観客たちが、突然の殺人事件発生と、それに伴うフードファイト大会中止に怒ったのだ!
観客たちはパイプ椅子や鉄パイプやちょっと長めのパイプを掲げ、ステージに殺到する。目標は大会中止の原因、変幻怪盗ニャルラトポテト!
「ザッケンナコラー!」
刺す。
「グワーッ!」
抜く。
「スッゾコラー!」
刺す。
「アバーッ!」
抜く。
「ドグサレッガー!」
刺す。
「グワーッ!」
抜く。
「テメッコラー!」
きりがない!
なんたるフードファイト大会の人気と観客動員数を逆手に取った人海戦術か!
「チャルワレッケオラー!ガガガガガ!」
「っ!?」
軍用施設の倉庫からガトリング砲を持ち出した、暴動ガトリング観客だ!
いかに変幻怪盗ニャルラトポテトであっても、ガトリング砲の前ではハリケーンの前のハツカネズミと同じ。銃弾が飛び交う中、慌てて身を隠す!
「ガガガガガ!ワメッコラー!」
「シャ……ッ!!」
「ガガガグワーッ!」
暴動ガトリング観客の喉にナイフが突き刺さる。ニャルラトポテトが投擲したのだ!命中精度!
だが、これで終わりではない。ガトリングは悪夢の始まりにすぎなかったのだ……!
「ゴーメ―スー」
なんということか、量産型ゴメスパロボだ!
それはなんだかんだで量産計画が進んだものの、開発途中で「あっこれ駄目だ兵器向きじゃねえな」と軍用施設にて死蔵されていたものである。観客はそんなものまで使えるのか!?
「ゴーメース―」
「ゴーメース―」
しかも三体!
いかに変幻怪盗ニャルラトポテトと言ってもこれでは苦しい戦いになることは必至!
「……くるなら、来いッ!」
だが、彼女は引かない!
彼女が変幻怪盗である限り、その辞書には撤退の文字はないのだ!
……それに、DSSバトルに決着がついた以上、そろそろ現実に戻れるはずだからだ。
「ゴーメース―」
「ゴーメース―」
「ゴーメース―」
だが。
「……戻れない?」
いつまで経っても、彼女が現実世界へ戻る気配は、なかった。
なぜ。たしかに敵にはとどめを刺したはず。でも、戻れない?
ニャルラトポテトの脳内で疑念が膨れ上がる。
クエスチョンマークが頭の中をグルグルの回るが、しかし答えは出ない。
そうしている間にも、量産型ゴメスパロボたちが迫る!
「ゴメスマッシュ!」
「ゴメスライダー!」
「ゴメスイーツ!」
パイロット観客たちが思い思いのスイッチを押す!
そして!
「あ、間違えた」
そして腹ペコ魔人大激突!チキチキ・フードファイト帝王決定戦は崩壊した。
■■■■■
ニャルラトポテトが目を覚ますと、そこはまだVR空間の中だった。
「う……ぐッ」
身体を起こそうとするが、激痛が走るだけでまったく動かない。
それでもしばらくは動こうとしていたが、痛いだけだとわかると、彼女は諦めた。
「……ッ、はぁ、ふぅー」
次は声を出そうとしてみる。しかし口から出るのは言葉にならない吐息だけ。
動くことも、喋ることもできない。
赤ん坊だってもっと活発的だろう、と彼女は自らの状態を嘲った。
その時、近くで物音をするのを、彼女の耳は捉えた。
なにかが滴る音。
なにかが千切れる音。
なにかが潰れる音。
なにかが折れる音。
正体は分からないが、あの大破壊を経てもなお動くものがいるらしい。
そちらを見ようとしてみたが、もはや首すら動かなかった。
観客であればニャルラトポテトを殺すだろう。
だが、もはや彼女には抵抗するすべはない。
なるようになれ。彼女は心の中でそう叫んだ。
そしてしばらくして、音の主がニャルラトポテトに気づいた。
「あら、あなたは……たしか、宅配便の」
「……」
「あはは、冗談よ。知ってる。ニャルラトポテトさんでしょう?」
その女は、そこに居るはずのない人物。
だが、ニャルラトポテトは彼女を知っていた。
何故か?
なんのことはない、全選手入場の時に名前を聞いていたのだ。
鳴神ヒカリは支倉饗子にしか気を配っていなかったから、その女がいる不自然さに気づけなかった。
だが変幻怪盗たる彼女は、その存在に気づいていた。その不自然さに気づいていた。
しかし、それが意味することにまでは気づいていなかった。
その女は、恋語ななせだった。
■■■■■
試合前。
突然現れた恋語ななせ、恋語ななせの顔をした『支倉饗子』を、支倉饗子は自室に迎え入れていた。
「いやー、まさかそんな風に『成って』いるとは……」
「驚いたでしょ、私も我ながらびっくりだもん」
小さなテーブルを挟んで談笑する二人。他人が見れば、二人の細かい仕草がまったく同じだという事に気づけるだろう。
何を隠そう、今の恋語ななせの人格は『支倉饗子』である。
ななせ本人は、VR空間内での出来事のため、精神汚染がフィードバックされなかったと信じているが、しかし現実はそう甘くない。
魔人能力は一種のミーム汚染である。魔人という個人が抱いた妄想を他者に押し付け、共有することで能力が発動する。
であれば、実際に食べたかどうかは関係がない。本人が『食べた』と認識したのなら、『支倉饗子』は発動する。たとえそれが『物語ごと食べた』などという抽象的なモノであってもだ。
だがしかし、今回はいささか事例が特殊過ぎた。
恋語ななせは実際に『食べた』と認識しているが、一方でVRゆえに『食べてない』とも認識している。
結果、彼女の脳内では支倉饗子を食べた『支倉饗子』と、支倉饗子を食べていない『恋語ななせ』が同時に存在している状態になってしまった。
……ようするに、二重人格と化してしまったのだ。
「難儀な能力をしてるね、私って」
「本当にね」
うふふあははと笑い合う二人。仲のいい姉妹に見えなくもない。
「今はどんな状態なの?」
「んーとね、ななせちゃんが寝ていたり、VRに入っていたり……とにかく意識がない間は私が出てこれる感じ」
「ふむふむ」
「たぶん起きてる間は『僕は人食いなんてしてないー!』って思い続けてるからなんだろうけど、寝ると忘れちゃうのかしらね?」
「なるほどー」
つまり日中はあまり活動できないらしい。
実際、いまも時刻は深夜を回った頃である。
おそらく、ななせは自宅で寝ているつもりなのだろう。
「それで、なんでウチに?ご飯ならあるけど」
「そうじゃなくってね、その、頼みづらいんだけど……」
「そんなこと、自分相手なんだから気兼ねなく言ってよー」
「それじゃあ言うけど……そっちの身体、食べさせてくれない?もうちょっと食べたら人格もちゃんとする気がするの」
まるでお昼代を借りるがごとく、気軽に「食われてくれ」と頼む恋語。だが。
「えー、やだ」
「そんな!」
支倉の答えは否だった。
「どうして!?」
「だって、同じ人に食べられたら食べられ損じゃん……他にもいい人はいそうだし……」
「ぐぬぬ、自分の事だから言いたいことは分かるし納得できちゃう……」
それは共感というにはあまりに奇妙だったが、しかし意思伝達はスムーズだった。
もっとも恋語の言う通り食べたとしても、人格統合が果たされるかどうかは不明なのだが。
「じゃあ代案。こっちなら聞いてもらえると思う」
「ほう、なになに」
代案と聞いて支倉は姿勢を直す。
「えっとね、DSSのカードを譲って」
「オーケー、はいコレ。頑張ってね!」
「早い!もう飽きてるとは思ったけど!」
恋語が代案を言い終える前に、支倉はカードを投げてよこしたのだった。
■■■■■
「そういうわけで、今回からは支倉饗子に代わって私・支倉饗子が試合をすることになったのでしたー、わーぱちぱち」
「……」
ニャルラトポテトは生まれて初めて眩暈を覚えた。
つまり、自分が殺したあの女は、ただのフードファイト参加者だったということなのか。
頭痛がした。もし腕が無事なら頭を抱えていたことだろう。
原状、ニャルラトポテトは身動き一つとれない。
対して『支倉饗子』はというと、おそらく五体満足である。
戦力差など考えるだけおこがましい。彼女はまな板の上の鯉だった。
彼女は観念してとどめの一撃を待つことにした。
怪盗は泣きも喚きもしない、最後まで誇り高いのだ、とかつての鳴神ヒカリは考えていたし、今の彼女も同じ気持ちだった。
……だが、いくら待っても、とどめの一撃はやってこなかった。
代わりにあるのは、先ほどと同じ、なにかが壊れる音。
彼女はそれをしばらく聞いていたが、少し考えるとその正体は明らかだった。
血液が滴る音。
筋肉が千切れる音。
内臓が潰れる音。
骨が折れる音。
……つまり、食べる音だ。
『支倉饗子』が『支倉饗子』を食べる音だったのだ。
はあー、と溜め息をつく。
気づいてしまったのだ。アレは変幻怪盗ニャルラトポテトになど興味はない。
自分を食べること以外に、興味などないのだろう。
なら、とどめを刺しに来るはずもない。待つだけ無駄だ。
そして、変幻怪盗ニャルラトポテト、かつて鳴神ヒカリだった彼女は、考えるのを止めた。
■■■■■
『試合が終わりました。VR空間を解除します』
「んむ、あむ、そっか、試合だったっけ」
アナウンスの音声を聞き、恋語ななせは食事を止め顔をあげた。
足元には進道ソラの亡骸。血液を飲まれ、筋肉を齧られ、内臓を喰われ、骨髄を啜られたソレを彼女は一瞥する。
なぜこんなところに自分がいるのか、少し不思議だったが、そんなことには興味がない。
食べる理由はなかったし、そもそも食べるところの少ない身体だ。
だが、食べた。食べたらきっと、人格の調子がよくなる気がして。
……いや、そんな理由も後付けなのかもしれない。とにかく、食べたかったのだ。
「はー、つかれた」
血に濡れた手で、肩をとんとんと叩く。
服が汚れるがどうせVRだ。気にすることもない。
ついでに汚れを服で拭き、綺麗になった自分の手をじっと見つめる。
血色もいいし、肉付きも悪くない。うん、美味しそうだ。
……でも、最近少しやつれたような気がする。
きっと『恋』というやつが原因なのだろう、と食人鬼は考える。
思えば、恋語ななせの『恋』を台無しにしたのは、何者でもない自分である。
悪いことをしたなあ、とちょっぴり思う。
だって、それで体を壊したら、せっかくの美味しさが落ちてしまう。
自分が美味しい方が私はうれしいし、きっと『僕』もうれしいはずだ。
だから、私が新しい恋を見つけてあげよう。
『僕』が立ち直れるように。『僕』が美味しくなれるように。
新しい恋があれば、きっと『僕』はもっと美味しくなれるだろう。
DSSはそのための手段。
白衣の自分に言った通り、今の私は『僕』が眠っている間しか動けない。
でも、それは現実での話だ。
私が『僕』がVRにいる時には出られるように、『僕』が外にいる時は、私はVRの中に存在できる。私たちは表裏一体なのだ。
そしてVRの中なら、現実で会うよりもたくさんの人に出会える。その中に新しい恋もあるかもしれない。
いや、きっとある。見つけてみせる。他ならぬ『僕』のために。
「待っててね、『僕』。きっと、新しい恋を見つけてあげるから」
恋語ななせはそう呟くと、美味しそうな手で、自分の顔をなでた。
【勝者・支倉饗子(恋語ななせ)】
【変幻怪盗ニャルラトポテト:主人格変更】
【支倉饗子:戦線離脱】
【恋語ななせ:二重参加】
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進道美樹は、病院の廊下で頭を抱えていた。
(なんであんな事しちゃったんだろう……)
考えるのは、例のフードファイト大会の事である。
あの後、結局大会そのものはお流れになってしまい、残ったのは無理を言ったあちらこちらへの多大な借りと、闇フードファイト連盟との確執だけだった。
冷静になって考えてみると、あの時の自分は頭がどうにかしていたとしか思えない。
いくら妹の頼みだからってDSSバトルの戦場に勝手に手を加え、さらに妹本人を戦場に観戦に行かせるなど。
まあ観戦については、直前になってソラが「ヒャアがまんできねえフードファイトだ!」と言い出し、無理やり飛び込んだのが原因なのだが。
しかもそれらを社長の留守中にしでかしたのだ。何と言われるか分かったものではない。
最悪、クビになってしまうかもしれない。
だがそれだけは、なんとしても避けなければならない。ソラの生きがいたるDSSバトルが出来なくなってしまえば、妹は悲しむだろう。そんな事にはしたくない。
そこまで考えて、思考は妹の事にシフトする。
最近のソラは、以前に比べて明るくなった。
むやみやたらとモノにあたらなくなったし、ご飯も食べるようになった。聞く話によるとリハビリも再開したらしい。確実に彼女は美味しくなっている。
少し前に雰囲気が変わって以来、なにか違和感を感じていたが、しかしそれはよくなる前兆のようなものだったのかもしれない。
そう考えると、少しだけ元気が出てきた。ぱんっ、と両の頬を叩いて気合を入れ直す。
(それじゃあ、会いに行こうかな)
美樹は廊下を進む。目指すは、妹の病室だ。
元気そうな顔を一目見れば、これから起こる事へのやる気も湧いてくるだろう。
だが、待っていたのは、想像していたよりももっと悪い事態だった。
「困るんだよねェ、ああいう勝手をされるとさァ……!」
妹の病室からは、語気の荒れた男の声が響いていた。
その声は間違えるはずもない、C3ステーション社長・鷹岡集一郎のそれである。
だが、なぜ彼が妹に詰め寄っているのか。美樹にはわからなかった。
「言う通りにしないなら、君のお姉さんが困るんだよゥ……それでもいいのかいィ?」
美樹には話している内容は分からなかったが、社長がなにかおかしいのは分かった。特に語尾が。
きっと留置場生活で精神をやられてしまったのだろう、かわいそうに。
すこし沈痛な気持ちになったが、しかしそんな人を放っておくわけにもいかない。彼女は覚悟を決めると、妹の病室に踏み込んだ。
「社長、失礼しま」
「もう我慢の限界だァ!食うゥ!お前を食ってやるゥ!!!」
「ワーッ!!?」
そこに居たのは全裸中年男性!滝のような涎を垂らし、今にもソラに襲い掛かろうとしている!
「ヒャーッ!!?」
「ギョーッ!!?」
「ウワーーッ!!?」
「ギャーーッ!!?」
驚く美樹!もっと驚く全裸中年男性!つられて叫ぶ美樹!もっと叫ぶ全裸中年男性!
「ハッ!!?これは!!」
美樹が鞄にしまっていた出刃包丁(刃渡り180mm)の存在に気づく!とっさに構え、突撃!
「くらえーーーッ!!!」
「グワァー――ッ!!?」
出刃包丁は全裸中年男性の急所(詳細は省略)に命中!全裸中年男性はサシミになった!
「だ、大丈夫、ソラ!?怪我してない!」
「え、あ、うん。だいじょうぶ、かな」
出刃包丁を投げ捨て、ソラに駆け寄る美樹。
一方のソラはというと、目の前で起こったことのあまりのあまりさに、なかば放心していた。食人鬼すら放心するほどの緊急事態だったのだ。
「ああ、よかった……私、あなたに何かあったらどうしようかって、それだけが心配で」
「あ、ありがとうお姉ちゃん……でも、よかったの?」
「ソラが無事ならなんだっていいの!」
「そ、そう?でもあれ、社長さんなんじゃ……」
「……え?」
そう言われ、美樹はもう一度全裸中年男性、その亡骸を見る。
よく見てみると、確かに社長みたいな目をしているし、よく見なくとも社長みたいな鼻をしているし、どう見ても社長みたいな口をしている。
確かにそれは、服を着ていないこと以外は、社長に似ていた。
「というか社長だ……」
なぜ社長が死んでいるのだろう。美樹は疑問を覚えた。
だがそれは今はどうでもいい。肝心なのは、ソラが無事だったという事だけだ。
「ああ、よかった……私、あなたに何かあったらどうしようかって、それだけが心配で」
「えっそれまた言うの」
「ソラが無事ならなんたっていいの!」
「えっ怖……」
妹が無事。ただその喜びだけが美樹の脳内を満たしていた。
そして、なぜ社長が妹に襲い掛かったのか、なぜ自分は社長と同じように涎を垂らしているのか、なぜ自分が出刃包丁を鞄に忍ばせていたのかという疑問は、あっという間に霧散してしまったのだった。
【つづく】