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「ふ、ふふ、くふふふふ」
密やかに笑みをこぼすだけのつもりだったが、お腹の底から次々に湧き出てくる衝動がある。我慢はできず、するつもりもなく、だから僕はそれに従った。
「はは、ははは! あっははははははははは!!」
可笑しかった。
まったくもって可笑しかった。笑いが止まらないとは正にこのことだろう。
手にしたVRカードには、CSSステーションからのメッセージが届いていた。その内容が、なんとも笑える。
ごく簡便な祝辞とともに、事務的に伝えられたそれは全く以てシンプルなものだ。
『DSSバトル第1ラウンド ベストバウト選出のお知らせ』
ね、笑えるでしょ? 笑えよ。笑って。
ひいひいとお腹を抱えて僕はベッドの上を転がりまわった。
下位リーグで連戦連敗を重ねること実に三十戦近く! 結果はやはり負けだったとは言え、そんな僕がこんなにも注目を集め、評価され、讃えられたのはもちろん初めてだ。加えてこれにより多額の賞金が入り、そして何より僕の目指すところである『真の報酬』に大きく近づいたことを意味する!
全くもっていいことづくめ! そりゃあ笑みも溢れるってもんです! へっへへー! ああ、本当に……。
「ーー最悪」
反吐が出る。
選出基準は、主に視聴者たちの投票によるものだそうだ。つまり、“あれ”を見て、喜び、これこそが我らの求めるコンテンツだと飛びついて、投票した奴らが最多数だったということだろう。
一体どういう顔をして見て、どういう顔をして投票したのだというんだろう。想像するだに怖気が震う。
今もお腹の底からせり上がってきている衝動が、そのまま蛆虫になって吐き散らしてしまいそうな……そんな錯覚すら覚えた。
「でも、まあ、いいよ」
その衝動を飲み下して、身体の内に蛆虫を飼ったまま僕は立ち上がる。
能力も、身体のスペックも他の参加者に大きく劣る僕にとって、次の試合までの一週間は無駄にできないものだ。
やるべきことは、たくさんある。
「おまえらがそういうのがお好みだっていうんなら」
「望み通りに、踊ってやる」
◆ ◆ ◆
「こんにちわ、翔さん!」
「ん、おっと。ああ、こんにちは、憂ちゃん」
「相変わらずちゃん付けなんですね……私、翔さんより年上ですよ?」
「そんなこと言ってもなあ……じゃあ、憂さんって呼ぶか?」
「……うう、それはそれで変な感じが」
「だろ? じゃあ憂ちゃんだ」
「ううう……」
ほんとは、憂、って呼び捨てにしてもらいたいんだけど。
そんな事恥ずかしいし、はしたなくて言えないよう。
さておき。どういう経緯で私が翔さんと会っているのか、説明しないといけないだろう。
あの戦い……DSSバトル1回戦の後、私はすっかり翔さんに惚れこんでしまった。
月曜日に登校した時彼の魅力を語ったら周囲にドン引きされたのは記憶に新しい。解せぬ。
そして、そこから私が翔さんに再会するための大冒険が始まったのだ。
月曜日の放課後に千葉県暴走半島に渡り、
火曜日に木更津近辺を根城とするレディースと激しい戦いを繰り広げ、
水曜日にVRカードに個別連絡機能がある事に気が付いて翔さんに連絡を取り、無事再会を果たした。
……レディースとのバトル、しなくてもよかったなあ……まあ、これも何かの経験だと思っておこう。
というか、VRカードの連絡機能に関する説明とか、なかったよね? 隠し機能とかなんだろうか。
ちなみに今日は木曜日。
昨日翔さんと再会してから、流れでDSSバトルの他の試合の映像を見る事になり、その続きを行う予定である。
さすがにどの試合も濃厚な戦いが繰り広げられており、1日ではとても咀嚼し切れなかったのだ。
「さてと、それじゃ行こうか。昨日の漫喫でいいよな?」
「はい。男女二人で映像が見れるところって、意外と選択肢がないですしね……」
「ホテルとかでも高校生じゃ泊まりづらいしな。旅先じゃ結構苦労したなぁ」
「そうですよね、信用とかないですし……そ、それに男女二人でほ、ホテルとか」
「?」
「な、なんでもないです!」
ああもう、私ったらばかばか、はしたない!
気づかれなかったからいいですけど、こんなんじゃ翔さんにエッチな子だって軽蔑されちゃいますよ!
頭をふるふると振って、変な考えを頭から追い出す。
そして、翔さんについて歩いていこうとした、その時だった。
~♪
「?」
電子音のような、静かな、しかししっかり耳に届く音が響く。
たしかこの曲は……“パッヘルベルのカノン”。
どこから聞こえてくるのかは分からなかったが、確かに私たちの近辺から響いている。
「んー……? あ、俺じゃないみたいだな」
と、翔さんが懐から黄緑色の何かを取り出して、言う。
VRカード?
「昨日憂ちゃんから連絡が来たときこの音が鳴ったんだよ。でも今回は俺じゃない。……ってことは」
「あ」
慌てて、私も手持ち鞄からVRカードを取り出す。と、脳裏に情報が流れ込んできた。
「話したい事があります。連絡ください……? 差出人は……あ」
差出人を確認して、思わず間抜けな声が出てしまう。
それほどまでに、彼女の名前は私の中で印象的な物だった。
差出人は、恋語ななせ。
DSSバトル1回戦において、もっとも劇的な敗北を喫した少女。
◆ ◆ ◆
恋語さんが待ち合わせ場所に指定してきたのはVR空間の一つ……「豪華客船」だった。
試合のある時以外は各VRフィールドは一般向けに解放されており、VR観光客でごった返している。
ちらと伺った所によると、やはりポーカー勝負が行われたカジノ・エリアが、特に賑わっている様子だ。
私も映像を確認したけど、なるほど確かに。この手の勝負事には疎い私が見ても手に汗握るものだったから、たしかに名勝負だったのだろう。
「(それにしても……確かにここなら)」
お互いがどこにいても確実に会えるし、それにその、あんまり考えたくないことだけど……危害を加えられるリスクも低い。
参加者同士が接触するなら、うってつけの場所と言えるだろう。
……その辺りまで、考えてのことなんだろうか。
ここを待ち合わせ場所に指定した、恋語ななせという少女のことを、私はよく知らない。
それでも参加者の中ではプロフィールがはっきりしていた方なので(露出卿とかAIとか魔王とかなんなの?)、彼女が過去に参戦していたF-リーグの試合映像のいくつかはチェック済みだ。
小さな身体を目いっぱいに動かして、表情もくるくる動かして、使える手は何だって使い、それでもダメで打ちのめされて、しかしすぐに起き上がって前を見据える。そんな女の子だった。
率直な印象は、こんな妹がいたら可愛いだろうな、と言ったところだろうか。対策を取るのに特に役には立たなかったが、そんな風に好感を覚えたものだった。
……それだけに、先日の彼女の試合は少なからず衝撃的だった。
実際の所、私はあの試合を最後まで見ることができなかった。モニタ越しに繰り広げられる惨劇を前に、情けない話だが私は耳目を塞いで翔さんの尻に隠れることしかできなかったのだ。
だから試合の、特に終盤の経緯については彼の口づてに聞いたに過ぎない。翔さんは彼なりに随分言葉を選んではくれたが、それでもこみ上げる本能的な忌避感は抑えられなかった。
……その当事者たる恋語さんから接触があった。それの意味するところは何だろうか。DSS絡みであろうことは分かるけど……。
「あの……狭岐橋、さん?」
「ひゃいっ!?」
不意に声を掛けられて、意識は耽溺した思考から現実に引き戻される。思わずびくんと肩まで跳ねさせてしまったのだから、我ながら小心極まりない。
振り返れば果たして、そこに居たのは私を思考の迷宮ーーとまではいかないか。思考の新宿駅ぐらいの感じに捉えて離さなかった少女。恋語ななせさんが立っていた。
「あの、ごめんなさい! 呼び出したのは僕なのに、お待たせしてしまって」
ぺこんと彼女は腰ごと体を折り曲げてお辞儀をする。見れば、確かに約束の時間を僅かに過ぎていた。
彼女が遅刻した理由は、その顔を見れば想像に難くない。土気色に淀んだ顔色と、泣きはらしてはむくんだ目元。そして深く彫り込まれたような隈を、メイクで必死に隠そうとした努力の跡が伺える。
あまり上手ではないのはーー確か十六歳だという話だから、お化粧もまだ覚えたばかりなのかな?
「あ、ううん。私も今来たところだから」
それを思えば責める気にはなれなくて、ふるふると両手を振ってそう返す。
……咄嗟に出たとは言え、なんかデートみたいなことに。
「なんかそれ、デートみたいですね」
彼女も同じことを考えていたらしい。どちらともなく、顔を見合わせて小さく笑いあった。
少し歩きませんか、という恋語さんの申し出に従ってしばしの間船内を散策した。豪華客船、というだけあって品のいい調度品で統一された船内はその設備も充実している。
カジノエリアに劇場、きらびやかに彩られたおしゃれなラウンジに展望台やエステサロンなんてものまである。VR空間でエステに行って何か意味があるのかは疑問だが、エステがあるのだ。エステが。
「あ、見てください!プールバーなんてものもあるんですね!アバター用の水着とかどこかで借りられるのかなあ」
「恋語さん、プールバーにプールはないよ…」
「えっ」
ビリヤード台のあるバーのことだよ。
そんな他愛のないやり取りをしつつ船内を周り、私たちはカフェラウンジで一休みをすることになった。傍から見れば仲のいい友達か、あるいは姉妹にでも見えるのだろうか。……どちらが姉に見えるのか。きわどいところなのでこれ以上言及はしないでおきたい。お姉さんこれでも大学生なんだぞ。
「思いのほか……普通に楽しんでしまった……」
「うん……こういう所…デートで来たいよね……」
「夜の海から街の灯を二人で眺めながらディナーとか」
「それ」
「相手はやっぱり尻手さん?」
「……」
踏み込んでくる恋語さんに、思わずちょっとたじろいでしまう。
「いや、わかります。わかりますって。あれで惚れなかったら嘘ですよ、ウン」
「……むう」
お見通し、な顔をされてしまった。
だが彼の良さが分かるひとがあらわれたのはちょっと嬉しくもある。何しろスパンキングなので学友達からは全く理解を得られなかったのだ。サキュバスコミュニティのお姉さんたちは応援してくれたけど。…許されるならこのまま翔さんの格好良さについて語り明かしてしまいたぁい。
なんて考えている所に、ちょうどウェイターさんが注文の品を運んできた。
私はミルクティーとチーズケーキ、恋語さんはコーヒーだけを。
「……恋語さんもケーキ、頼めばいいのに。それぐらいごちそうするよ?」
「……。食欲、ないので」
あ、と。
私はそこで自分の失敗に気づかされた。
当たり前だ。気丈に、楽しそうに振る舞ってはいても恋語さんは話せば話すほど、普通の十六歳の女の子で、そしてあんなことがあった後なのだ。
「あの」
「いいんです。ちょうどいいや、本題に入りましょう」
謝ろうとする私の言葉を遮って、恋語さんは唇を引き結ぶ。自然と、私も居住まいを正した。そう、そもそも女子会を開きに来たわけではないのだ。楽しかったけれど。
「僕は……『真の報酬』を目指しています」
「それは……」
「わかってます。狭岐橋さんもそうなんでしょう。試合……見ましたから。その……お友達のことで」
私と翔さんの試合……ひいては“話し合い”の様子は中継されていた。だから、彼女も知っているのだろう。
「だから僕は……もし僕が届かないのなら、狭岐橋さんのような人に報酬を手にしてほしいと思いました。人のために頑張ることができて、そのために覚悟を決めることができて。あと、恋する乙女というのがいいです。ポイント高いです。」
恋する乙女。
十六歳の女の子が大真面目に口にすれば絵になるけれど、それより少しだけ大人の私にしてみればちょっとだけ気恥ずかしくて、頬を赤らめる。
「だから……お願いします。協力して下さい。次の試合を、一緒に盛り上げて欲しいんです」
「……?」
彼女の語るところはこうだ。
真の報酬、を願うなら必要なのは勝利ではなく支持。だから勝ち負けより以前にまず試合を盛り上げたい。そのために協力をして欲しい、と。
「そうです。僕みたいな魔人が一瞬で負けてしまったら、あるいは【相手が死ぬおまじない】なんかで一瞬で勝っても、それじゃあ報酬にはきっと届かないし……だからまず、試合を盛り上げたいんです! それに協力して貰えるなら僕は試合そのものは負けたって、勝ち負けに関わらず賞金を全部渡したっていいです!」
「待って、待ってよ恋語さん」
言っていることは分かる。
勝利よりも支持が必要だということも、一瞬での決着は避けたいということも。
その点について、たしかに私達の利害は一致している。
けれど彼女の言葉には大きな穴もあった。
「協力するも何も……次の試合で私達が当たるかどうかなんてわからないじゃない」
マッチングが発表されるのは試合の直前になってからだ。確かに私たちは当たりうるが、それを決めるのは運営だろう。
「いえ、わかります……僕に限っては次の試合に誰と当たって、どこで戦うことになるのかは。運次第だけど選ぶことだって」
「え……あっ!」
一瞬遅れて、彼女の言わんとしているところに気づく。
“エンゼル・ジンクス”。彼女の能力ならおまじないで次に当たりたい相手を選べるし、無理なら無理で“絶対に当たらない”事がわかる。だから当たりたい相手に順におまじないをすればいいと、そういう事だろう。
私が気づいたのを察して、恋語さんは一つ頷いた。
「既に能力は発動していて、【おまじない】も充分実行可能なものです。戦場はここ」
だからこうして接触してきた、と。
そういう事らしい。
事前に相手が分かるというのは、なかなか馬鹿にできないアドバンテージじゃないだろうか。そう考えて私は舌を巻いた。
「……もう一つ聞いていいかな」
そうまでして彼女がほしい『真の報酬』
それはなんなのか。
「ーー恋」
そう答える彼女の瞳は、どろりと澱んでいた。
◆ ◆ ◆
「恋する乙女……かぁ」
明日の朝までに返答が欲しい。
そう言い残して、彼女はVR空間からログアウトしていった。
自分が叶わないのなら、あなたのような人に報酬を手にして欲しい。恋語さんの言葉は、私も同意見だ。
けれど私たちは、一つのモノを取り合っている敵同士でもある。
「(それに)」
恋のため、そう答えた彼女の澱んだ瞳が、嫌な予感としてちりちりと私の首筋をさいなんでいた。
「どうする? 受けるのかい?」
「どうしようかなぁ……」
ミルクティーのおかわりを注ぐVRウェイターの言葉に、私は応じt
「!?」
「あはは、良いねえ、その二度見」
人懐っこい笑みを浮かべていたのはVRウェイター……に、扮する本大会の運営責任者。鷹岡プロデューサーその人であった。
「VR空間の出来事って、ログが残るんだよね。いやあ、なんか面白い話をしてるみたいだったからさ。つい来ちゃったよ」
「あ、あ、あの、これはその……」
背中からどっと汗が吹き出る。
恋語さんは勝敗や賞金の譲渡についてまで言及していた。これは八百長を持ちかけたにも等しい。
そしてそれを、よりにもよって運営責任者に聞かれてしまったというのだ。
「ああ、まあまあ、そんな固くならないで。僕らとしては特に問題ないからさ」
「…………え?」
目を丸くする。
責任者(このひと)は何を言っているのか。
「いや、そりゃ諸々手を尽くしたガチの八百長ならどんな手を使っても潰すんだけどね」
鷹岡プロデューサーはさらりという。
「恋語君のそれは……ま、あれはどう見ても駆け引きと言うか、“なにかやる”ための布石だろうねえ。これぐらいは盤外戦術のうちさ」
「……恋語さんは裏切るつもりだって。そう思うんですか」
「さあね?案外本音を言ってるのかもしれないし、同じ目標を持つ相手を策略で潰しに来ているのかもしれない……君がどういう結論を出すにしろそれはそれで」
「面白くなりそうだ」
「……」
人懐こい、と思った彼の笑みは何一つ変わっていないのに、それがそのまま人を食ったような笑みに見える。
思考をかき乱されたまま、私は……。
◆ ◆ ◆
「……よし」
狭岐橋憂は、こちらの申し出を受け入れた。
戦闘の流れについていくつかの合意をしてから、しばらく後。
僕は、NPCや観戦者がひしめくパーティーホールで開始の時を待っていた。
これで、か細いながらもこちらの計画の糸は繋がった形になる。綱渡りは、まだまだ続くけれど。
軸になるのは四つのおまじない。
【戦う相手を選ぶおまじない】
【戦う場所を選ぶおまじない】
【致命傷をうけても少しの間生き延びるおまじない】
そして、未だに達成されざる最後の一つ。
勝負は、これにかかっている。
……いや、そもそも勝負の土俵に上がれるかどうか、が。
やがて、試合開始の合図が鳴り響く。
と、ともに。
「……っとと」
僕は思わずよろめく。船体が大きく揺れたのだ。
彼女が空から攻撃を仕掛けてきているのだろう。“とにかく派手にやって欲しい”とは、事前に頼んだとおりだが……。
「……マジ?」
これは、想定以上、予想外だ。
揺れとともにホールにいくつも縦の線が走った。
そう思った次の瞬間には、ホールにいる男だけが血の花を咲かせて倒れ伏していたのだ。
こんな芸当までできてしまうなんて。
ーー“なるべく盛り上げる”という縛りがなければ、危惧したとおり決着など一瞬だったろう。
冷や汗を拭う間もなく、ホールの天井を突き破って彼女は降り立ってきた。
「さあ、踊ろう。……ななせちゃん」
なるほどあれが……“サキュバス”である狭岐橋さんの姿か。
先に言葉を交わしたときとは別人のような姿と、仕草。蠱惑的な肢体を惜しげもなく晒して唇を舐める姿に、思わず目を奪われそうになる。
……と、いけないいけない。
「遠慮します!!」
そう叫んで、走り出す。
「……あは」
小さく笑って、彼女は手筈通りに追って……来ない?
振り返ると狭岐橋さんはなんか下腹に指を這わせていた。その……いわゆる、ナニというか。
うぉい!
と思わず叫んでしまう。
大丈夫!? これ本当に大丈夫なやつかなあ!?
そこからしばらくの間は、追いかけっ子が続く。
船内を縦横無尽に駆け回り、入り組んだ廊下や数々の障害物を駆使して逃げ、合間を縫って簡単なおまじないを通して攻撃を加える。
それでも彼女は止まらない。警備員の銃弾や落下するシャンデリアなんかを人目を引く派手なアクションで持っていなし、ものともせずに追ってきて、隙を見ては
「そーれぇ♪」
「ひぎゃあああ!?」
振るわれた爪で、とうとうブラを剥ぎ取られてしまった。
いやその、打ち合わせ通りではあるんだけど。
こうして彼女はいたぶるように僕の服を剥いでくる。視聴者の目を集めるためだ。
ううぅ……は、恥ずかしい……!!
「あら……ごめんね?手元が狂っちゃった」
くすくす笑いながら(大概ノリノリだなこの人も!)、僕の胸元に走る赤い線を示した彼女は、こともなげに逃走ルートを先回りして
「んっ……」
れろり、と舌を這わせて来た。
「ひゃうっ……!?」
びりびりと走る快感に、思わず声が漏れてしまった。サキュバス、恐るべし。とはいえ……。
「(ここまでは手はず通り、計画通り……!!)」
仕上げは、近い。
◆ ◆ ◆
よくもまあ、考えつくものだ。
私は感心していた。
考え付き、文字通り身体を張ってそれを成し遂げている。身体に触れたとき、服を剥ぎ取るとき、否応なく伝わる抑えきれない羞恥の震えは私の心だって震わせた。
いや私はレズじゃないけど。私はレズじゃないけど! 時代は尻手翔×狭岐橋憂だし!
彼女の心意気に応えるべく、私もまた服を脱ぎ捨てた。ほら、一人だけ恥をかかせるわけにもいかないし。
とにかく、打ち合わせ通りに進めれば、この先のプールバーで私は彼女を組み伏せることになる。
そこでななせちゃん(変身してる間はこう呼ぶ。なんか……テンション上がっちゃって)が降参を宣言して、決着。
『なるべくなら……死ぬのは怖いな』
そう言っていた彼女の意を汲んだ形だ。
少し“休憩”を挟んで、終わらせてしまおう。そしてその後はもう一度……
「(女子会、ちょっと、楽しかったな)」
彼女の恋についてだって、出来る限りの協力をしてやりたい。
……?
そんなことを考えている間にふと物音が耳についた。
あちこち暴れまわっていたから、調度品か何かが崩れたのだろう。
ずしんと大きな音を立てて床に転がったのは大きな棚で、問題はそこじゃない。
「(これは……!)」
死体だった。
棚の後ろからずるりと倒れてきたのは、男の死体だ。男、の……
何故?どうしてこんな所に?
意図的に、棚の後ろに隠れていた。そうでもなければ、起きないような位置関係だ。
……例えば、不意打ちで私の能力を解除するために。
ぞわり、と、寒気がした。
一応警戒はしていたから、男の人は気配を察知する限り、壁や天井越しに攻撃をして排除してきた。細かくは覚えていないが、彼もその一人だろう。
しかしその排除が、混み合うこの船内で完璧であったかというと自信はない。
「(一つ間違えれば……)」
どうなっていただろうか。
鷹岡さんの言葉を思い返す。
あの時の澱んだ瞳を思い出す。
あの子は、あの子は……。
考えたくはない。確信には至らない。それなら……。
私は一度深呼吸をして、決着の場所に向かった。
◆ ◆ ◆
プールバーの扉が開け放たれる。
飛び込んできた狭岐橋さんが組み伏せて、僕は降参する。それで決着だ。
彼女は気づいただろうか、気づいてくれただろうか、それとも……気づいてしまっただろうか。
彼女はまずナイフをあちこちに放つ。
きっと隣室のNPCたちに向けてだろう。短く断末魔が聞こえた。
それが途切れるのを待つことなく
「……っ!!」
彼女の爪は、外気に晒される僕の胸を貫いた。
「ぁ、は……!」
「…………」
狭岐橋さんは、唇を噛み締めている。
「どうして」
どうして?
「……ち、ちが、う」
【致命傷から少しだけ生き延びる】おまじない
もう少しだけ、僕は動ける。
「ぼ、僕は……あちこちに……死体を隠しただけだ。ほんとうに、それだけ」
げほりと咳き込む
「狭岐橋さんの、能力には、……なにも、影響しない」
「……?」
彼女の顔色に、疑念と困惑が浮かぶ。
「組み伏せられて、降参。ほんとうに、ほんとうに、その、つもり、だったんだ。でも、そうは、ならなかった」
ああ、よかった。彼女はきちんと、僕を疑ってくれて。そして
「……ありがとう、裏切ってくれて」
【最後のおまじない】の条件を満たしてくれて。
その発動を持って僕は、
……非力な彼女を組み伏せた。
◆ ◆ ◆
……見ているか、蛆虫ども。
お前たちの、望み通りの筋書きだ。
不正をする、
ぺてんにかける、
裏切らせる、
その上で、絞め殺す。
泣いて喚いて這いずり回って、墜ちてく姿がお好みだろう。
ああ、絶望と興奮、それから狂気で、またぐらがいきりたつ。
血走った目で、彼女の首を締め上げる。
「ねえ、これぐらい、いいでしょう」
「いるじゃあないか」
声が震える。
「大好きな人も、支えてくれる人も、一緒に乗り越えてくれる人も、愛も尊厳も!貴女には!」
僕にはいない。
「これしかない、これしかないんだ!ぼくにはもう、この恋しか!」
歪んだ顔で、彼女は僕を見上げてくる。
どんな顔を、僕はしているのだろうか。
血と涙を撒き散らしながら、両腕に力を込める。
「お願いだ。だからさあ、死んでよ!これだけなんだ!こうするしかないんだよ!」
「死んで、死んで、死んでくれよ!ねえ!お願いだよ!お願いだ」
「死ねよおおおおおぉっ!!!!」
かすれた声が、響き渡った。
第二ラウンド
○恋語ななせ − 狭岐橋憂●
37分15秒
決まり手:絞殺
◆ ◆ ◆
「はー……はー、はー……」
息が荒い。
呼吸が苦しい。
「なんでだろう……僕、勝ったのに」
そう。勝ったのだ。
28回の敗北と1回の引き分けを経て、ついに掴んだ初めての勝利。
これがゲームか何かなら、けたたましいファンファーレと共に僕を祝福する賛辞の言葉が舞い飛ぶところだろう。
実際、DSSバトルが一種のゲームじみたコンテンツであることは事実だ。
だが、これはゲームであっても虚構ではない。
紛れもない現実だ。
だから、この手に残る殺人の感触も、現実だ。
「……僕の、恋」
恋に至るための戦い。その筈だった。
いや、今でもその筈だ。今は否定されてしまった僕の恋物語を取り戻すために、僕は戦いを続けている。
だけど、そのために失ってしまう、失ってしまった物は多い。
乙女の尊厳、人の誇り。
戦うために手段を選ぶ、戦う者として最低限の矜持。
そして。
「う、うーーー」
太ももをもぞもぞしながら擦りあわせる。
これまで感じた事のなかった違和感が、僕に否応なく突きつけられる。
そう。僕の太ももと太ももの間には、いまだにアレが鎮座している。
つまり……僕は未だに、男なのだ。
「やだ……やだぁぁ……やだようこんなの……」
もちろん【女の子に戻るおまじない】は即座に願った。
おまじないの方法はすぐに思いついた。
それは……“×××××××××××”。
無理なおまじないでは、ない。
大統領と握手しろとかエベレストに登頂しろとかそういった物に比べれば、だいぶ優しい物には違いない。
だから、僕はまだあきらめてはいない。
あきらめてはいない。
あきらめてはいない、のだけれど。
「なんで……なんでなんだよう……なんで、僕が、こんな」
つらい。
つらい、つらい、つらい。
こんな事誰にも相談できない。
僕の恋するあの人も、両親も、もちろん狭岐橋さんにだって。
……あの、偽りの女子会を思い出す。
豪華客船から街並みを眺めつつ二人でお茶。
あの時はそれどころではなかったのだけど。
……ちょっぴり、ちょっぴりだけ、楽しかった。
また女子会が出来るかどうかは、分からない。
「うああ……うああああ……」
他に誰もいない部屋。
男の子が一人、泣いていた。
<恋語ななせ2回戦:了>
<勝者:恋語ななせ>
<ななせの恋物語:未だ帰らず>