笹原砂羽は、大層驚いたように言った。
「なんていうか……広いわね!」
「そうだな」
刈谷融介は、いかにも真剣な面持ちで言う。
「それに、人が多い」
ここは日本有数のテーマパーク、『パチェっと!パーク』だ。中南米の刃物、マチェットを常備している操り人形のパチェットくんがはびこる、おそろしき空間である。
パンフレットを睨み、むむむと唸る砂羽。
「さ、まずはどこに行こうかしら」
「そうだな」
刈谷はいかにも真剣な面持ちで言う。
「砂羽に任せる」
「えっ!?いいの!?」
「もちろんだ。今回のプロジェクトリーダーはキミということになる」
午前九時、二人は園内でしっかりと頷きあった。
それはDSSバトル前日の、番外戦術を避けるための行動でもあったが——有り体に言ってしまうならば、完全にデートである。
そして二人とも、遊園地に来るのは初めてだった。
◆◆◆◆◆
「まずはこれ!断頭ジェットコースターよ。やっぱりそれっぽさが大事だわ」
「すごい名前だ」
「ね!カッコいいわね」
刈谷は押し黙った。彼に女性のセンスは理解できない。
「あっ!あっちにパチェットくんがいるわ!」
「マチェットが返り血で錆びているんだが」
「そういうとこもお茶目で可愛いわね」
刈谷は押し黙った。彼に女性のセンスは理解できない。
「それで、ここに並べばいいんだな?」
行列に指をさす。ロープの内側で人々が長蛇の列を作っている。最後尾の近くには、ちょうど『30分待ち』の看板が建てられていた。
「……ちょっと待ってくれ?待つのか?三十分も?」
「……そうらしいわね」
二人は深刻な面持ちとなる。まさかそんなに待つとは思っていなかったのだ。園内のアトラクションなど一日で全て回りきれるとさえ考えていた。
とはいえ、長期休みにもなっていない金曜日の朝である。まさかかなり空いている時間帯だと彼らは思ってもいないだろう。
「バカバカしい。こんなとこに居られるか!俺は帰らせてもらう!」
「ちょっとユースケ!そんなこと言って、どんどん人が並んじゃったらどうするの?」
「……確かに」
そうしてしぶしぶ、列に並ぶことになる。
「次はどこがいっかなー」
「これなんかどうだ?『火吹きドラゴンの歯磨き体験会』」
「嫌よ!そんなの。なんで遊園地に来ておじいちゃんの介護みたいなことしなくちゃいけないの!?」
「そこまで言うことないだろ……!!ドラゴンだぞ!ドラゴン!!おい!聞いてんのか!?」
ギャイギャイと騒いでいるうちに、三十分なぞあっという間に過ぎてしまう。二人はえらく真剣に従業員の話を聞き、恐る恐るジェットコースターに乗り込んだ。
「こ、これ、事故とかさぁ。起こらないわよね?」
ガタガタと揺れながら、ゆっくりと上昇するコースター。砂羽はおっかなびっくりで刈谷に話しかける。
「心配するな。自動車事故なんかよりよっぽど確率は低いらしい」
引き締まった表情で答える刈谷に少し安心する。しかしどうにも変だ。こういうとき、彼は怖気付いている自分をみて意地の悪い笑みを浮かべるようなタイプの人間なのに。
「そうなの?本当に?本当に大丈夫なのね?」
「心配するな。自動車事故なんかよりよっぽど確率は低いらしい」
「あの、ユースケ?もしかしてすごく怖がってる?」
「心配するな。自動車事故なんかよりよっぽどおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!?」
「きゃあああああああああああああ!!」
高速戦闘さえも可能としている刈谷曰く、自分でコントロールできない浮遊感は非常に怖いらしい。
◆◆◆◆◆
「……今日は散々だ」
「そんなこと無いわよ!とっても楽しいわ」
お昼過ぎ。食事の時間はレストランがめっちゃ混むという当然の事実を見落としていた二人は、ベンチに座ってマチェット・チュロスを食べていた。
園内の自動販売機が意味不明なほど高価で刈谷が機械を叩き潰しそうになっていたが、そこはプロジェクトリーダー権限で砂羽が止めた形になる。
「ね、半分ずっこしましょ」
「しねぇよ。お前のそれキリング・ソース味だろ。俺そんなん辛くて食えねえって」
「私だって甘ちゃん味なんて食べてらんないわよ!でもいいでしょ?なんかそれっぽいじゃない」
なんかそれっぽい。それは初めての遊園地という状況において、極めて魅惑的な響きであった。
「じゃあ……一口ずつにしよう。それならギリギリいけないこともないかもしれない可能性があると思われる」
「そうね。それじゃあ口を開けて?あーんしてあげるわ」
「は?お前が先に食えよ。あーんしてやるからよ」
ここにおいて、二人の思惑は完全に一致していた。つまり、相手にこの過剰な味付けが施されたチュロスを先に食べさせ、悶絶させる。あとはそれを介抱した後に「やっぱり無理な話だったなあ」などとボヤいておく。そうすれば遊園地デートっぽさの演出とともに自身への被害を免れるのではないかという、卑しい魂胆である。
彼らはお互いの口元にチュロスの切っ先を突きつけたまま、ピクリとも動かない。さながらレイピアでの決闘である。
「砂羽。俺たちは妥協する必要がある」
「興味深い提案ね。続けて?」
「話はこうだ。せーのでお互いに口を開けて、かじる」
「ずいぶんシンプルね」
「こういうのは簡単なほどいい。そうだろ。覚悟は決まったな?」
「ええ」
砂羽の目が面白いくらい泳いだ。全然覚悟決まってないじゃん。
「砂羽ァ!お前、おま、そういうとこだぞ!」
「えい」
「ゔぉあああああああああああああ!!」
会話中に口を開けているところにチュロスを突っ込まないという暗黙の紳士協定を、暗黒面に堕ちた砂羽が破ったことで勝負は終結した。彼女は辛党なのである。
口の中が辛くて仕方がない刈谷は当然自販機で飲み物を買うのだが、やはり高くてキレていた。砂羽はケラケラと笑っていたが、本気で暴れだしかねなかったのでやはりプロジェクトリーダー権限で止めた。
◆◆◆◆◆
結局その後は三回も『火吹きドラゴンの歯磨き体験会』に乗ることになる。剣と盾に分かれて炎のブレスをしのぎつつ剣で歯磨きをしていくこのアトラクションを、砂羽はたいそう気に入っていた。おかげで刈谷は三回とも盾役だ。
夕飯は反省をもとに、ちょっと早めに食べた。砂羽は『ヤマンバのミートシチュー』を、刈谷は『火吹きドラゴンのステーキ』を。
「名前がちょっと恐ろしいけど、このシチュー美味しいわね」
「ヤマンバの用意した肉だもんな」
「どうしてビーフシチューってはっきり言ってくれないのかしら……」
なんて会話をしたのを覚えている。
そうして今はどのアトラクションに乗るでもなく、ぶらぶらと園内の人気のない場所を歩いていた。
「断頭ジェットコースター、楽しかったわね」
「嘘だろ、オイ。あれならパチェットくんコースターの方がマシだ」
「アレ、子供用じゃない!恥ずかしかったわ!親子連れの中に私たちだけ混じって!」
「些細なミスだ。『六脚ロバの千鳥足メリーゴーランド』とか、『残虐コーヒーカップ』はどうだった?」
「もちろん、楽しかったわ!でもやっぱり火吹きドラゴンの歯磨き体験会が最高ね」
「次は俺にも剣をやらせてくれ」
「嫌よ。私、剣より重いものは持てないもの」
「物騒なやつだ」
口のはしをひくつかせるようにして刈谷は笑う。つられて砂羽もクスクスと笑った。
「ねえ。今日、すっごく楽しかった」
「そうか」
「また来ましょう?……来れるわよね?」
「ああ」
刈谷は不自然なほど自然に笑みを浮かべた。
「もちろんさ」
砂羽は少しだけ目を伏せた。それでも、彼女もまた笑顔を作って見せた。
「ねえ、それじゃあこれに乗りましょ」
刈谷の後ろ、その上の方を指差す。
「観覧車か」
他とは違い、なんのひねりもない前時代的とすら言えるアトラクション。それでも、それっぽさにはなかなかのものがある。
砂羽は、二人の時間を大切にしたかった。刈谷は先週の一試合目以降、怒鳴るようなことが減った。嬉しい反面、自分にだけは遠慮しないでほしいと思っていた。
そう、彼女は自分にだけは遠慮しないで欲しかったのだ。
だから嘘をつかれたことが、本当に悲しかった。