「ちょっとヒカリ! おーそーいー!」
帽子とサングラスをかけた学生服の少女の透き通った声が、辺りに響いた。
そこに駆けてくる、こちらもまた学校指定のブレザーに袖を通した長髪の少女。
彼女は苦笑しながら、その場に待ちぼうけていた二人の少女に謝った。
「たはは。悪い悪い。数学の補習が終わらなくてさ」
彼女は胸の前で手を合わせる。
その様子を見て、サングラスの少女の隣にいたどこかボーイッシュな雰囲気の少女が笑った。
「ナルちゃんも物好きだね。僕には刈谷先生の良さはわからないなぁ」
ヒカリ、またはナルと呼ばれた少女は慌てたように手を振る。
「そ、そんじゃないってば、ななせ! たしかにあの人はちょっと、ほっとけない部分はあるけれど……って違う! それに刈谷センセ、婚約者がいるんだよ! わたしなんて目に入ってねーの!」
少し頬を赤らめながら首を横に振る彼女に、サングラスの少女が呆れたように溜息をついた。
「あんたの年上好きはどうだっていいから。それより早く案内してよね。こっちはこの後仕事なんだから」
悪態をつく彼女に、ヒカリは笑う。
「ああ、ごめんごめん。天下のアイドル様のお時間を頂戴してるんだから、早くしないとな」
二人を先導するように、ヒカリは歩き出した。
彼女は前を歩きつつ、振り返る。
「……それにしたってその格好、いつもながら用心しすぎじゃないか?」
「う、うるさいわね。この格好は、その、アイドルとしての身だしなみっていうか……」
サングラスと帽子の位置を直しつつ、少し恥じらうように彼女は口を尖らせた。
二人の会話に、ななせと呼ばれた少女が笑う。
「ソラちゃんとナルちゃん、そっくりなのに並んで歩いてるんだから変装の意味がないよね」
「これはヒカリが真似してんの!」
ソラと呼ばれたサングラスの少女の言葉に、ヒカリは笑った。
「美容室じゃ『進道ソラみたくしてください!』って言ったらてっとり早いからなー」
「やめてよ。ストーカーみたいじゃない」
「熱心なファンと言ってくれ。……と、ここだよ。ここ」
ヒカリが案内したのは看板に『Eat like you』と書かれた小さな喫茶店だった。
昭和にでも建てられたかのような古い西洋建築の建物で、二人の少女はヒカリの後に続いて少しためらいながら中へと入る。
中にはアンティークな家具や、南米かどこかのお土産のような雑貨が溢れており、少々雑多な印象を受ける。
誰も客のいない店の奥から柔和な笑みを浮かべた女性が出てきて、少女たちを出迎えた。
「あら、また来たの? いらっしゃい」
にっこりと微笑み大人な女性の雰囲気を出す店主に、ソラとななせは少々気圧された様子を見せる。
ヒカリは特にためらう様子もなく、店の隅にあるテーブル席へと座った。
「今日は友達連れて来たんだ」
「ふふ。それじゃあサービスしなくちゃね」
「やりぃ!」
そんな彼女たちの会話を横目に、ソラとななせは小さく会釈しながら席へと着く。
席に着いた二人に対して、ヒカリは自慢するように笑った。
「この前偶然見つけた店なんだ。オシャレだろー? これがこの店、出てくるものみんな美味いんだよ!」
「オシャレ……。まあ、そう……ね」
柱に立てかけられたどこかの部族が付けているような奇妙な面に視線を送りつつ、ソラは歯切れ悪くそう言った。
その隣で、ななせが元気に笑う。
「うんうん! すっごく可愛いお店だね! 僕気に入っちゃったなー」
「あらあら。ありがとう。そう言ってくれと、とっても嬉しいわ」
店主はメニューと人数分のお冷をお盆に乗せて、彼女たちの席へと持ってくる。
『おしながき』と書かれたそのラミネート加工された紙には、いろいろな品名が書かれていた。
「海鮮丼とかラーメンとか……結構せっそうがない品揃えね……」
メニューを見つめるソラの横でヒカリが手をあげる。
「はい! わたしこのチョコレートパーフェー!」
「はいはい。りょーかい」
ヒカリの言葉に店主はメモを取る。
ソラが呆れたような顔をヒカリに向けた。
「ヒカリまーた甘い物? ……絶対太るから、それ」
「ぐおお! やめてくれ! 今は現実を直視したくない!」
「丸くなったら絶対その髪型似合わないからね。私の引き立て役になりたいならってなら、べつにそれでもいいけど」
「……そのときは厳しいと噂のアイドル式体重管理術を教えてくれ」
ソラとヒカリのやりとりの向こうで、それまで悩んでいたななせが一つ頷いて注文を口にした。
「……うん! 僕はこの牛タン定食! 大盛りで!」
「この時間にそんなにがっつり食べるの!?」
ソラの言葉にななせが「えっ!?」と驚きの声をあげる。
「食べ盛りの乙女はこれぐらい食べないと……」
「乙女の定義がおかしい」
さすがのヒカリもツッコミを入れ、それを聞いていた女店主は笑う。
「いいじゃない、いいじゃない。いっぱい食べる子は好きよ。……それじゃあ、あなたは何にする?」
女性の言葉に、ソラはメニューを眺めた。
「うーん、どれにしようかな……」
――いや、でも。
ソラの視界がぼやける。
――だって、そう。
彼女は瞳を閉じた。
――私に、味なんてわからないから。
§
病院のベッドで進道ソラは目を覚ます。
DSSバトルの録画を見ながら、少々うたた寝してしまったらしい。
画面には以前の試合の様子が流れていた。
「――ああ」
なんて。
「……最低な夢物語」
彼女は白い天井を見つめる。
設定も関係もメチャクチャの、ありえない夢。
絶対に起こり得ない物語。
彼女は自身の頬に、水分が揮発したときのような涼しさを感じた。
「こんな物語……食べられたものじゃあないわ」
彼女は病室で一人そう呟いて、静かに目を閉じる。
その物語の味は塩辛く、それでいて少し苦くて。
そしてどこか、懐かしい味だった――。