野々美つくねの幕間SS2

 某山中の地下に造られた国際暗黒相撲協会第三秘密稽古場は、暗黒力士たちの放つ熱気によって蒸し風呂の様相を呈していた。
 気合のこもった怒声、肉と肉のぶつかり合う弾けるような音、四股が土を踏みしめる衝撃音、一定の間隔で響くすり足が土俵を擦る音――本場所前の相撲部屋にも劣らぬ……あるいはそれ以上の喧噪が、広々とした稽古場の隅々まで響き渡っている。


 暗黒大関・羅刹力が稽古場の木戸を開け放つや否や、正面から肉の塊が吹っ飛んできた。このような光景は、国暗協の稽古においては茶飯事である。


「フン」


 羅刹力は鼻息を一つ鳴らすと、飛び来る肉塊を左腕でもって無造作に薙いだ。
 宙にある巨漢の体がくの字に曲がり、今度は横へと人形めいて振り飛ばされ、20メートルほど先の土壁に激突してした。
 その生死は羅刹力の関知する所ではない。この程度で死ぬようなら、どの道先は知れている。


「オス!」「オス大関!」
「おう」


 暗黒力士たちの挨拶に短く答えてから、羅刹力は正面の力士を目に止めた。先の巨漢を吹き飛ばした男――災虎銃(さいこがん)の姿を。
 よく張った、稽古充分の体。目を引くのは異形と化した右腕である。左腕に比べ、その太さは二倍近くもあろうか。この腕から繰り出される鉄砲は、まともに入れば幕内の上位力士すら喰らうほどの威力を誇る。


「調子を上げているようだな、災虎銃」
「すんません大関、とんだ失礼を」
「構わん。それより少し面を貸せ」


 災虎銃は暗黒大関を見上げた。巌の如き偉容、鋼の如き体躯。その言動に、今日はごく僅かな違和がある。
 その感情を、彼が表に出すことはない。角界では番付こそが絶対、上の者に歯向かうことはすなわち死を意味する。こと国暗協において、不義不忠は命取りだ。
 故に災虎銃は己の感情を押し隠す。その胸にいかなる野心を抱えていようと、決してそれをさらけ出す事はない。
 その心構えと相撲の力量に限り、羅刹力はこの男を信用していた。


「貴様の腕を見込んで頼みがある」


 廊下の隅、主要な動線からは死角となった位置に移動した羅刹力はそう切り出した。
 泥着の中から取り出した茶封筒を、災虎眼のまわしの中へねじ込む。


「……オスモウドライバー所持者の情報だ。今夜、行って奪って来い。本体はただのガキだ……貴様の実力ならば難しくはなかろう」
「……オスモウドライバー」
「悪い話ではないぞ。事が済めば、貴様の幕内入りを審議会に打診してやろう。貴様には既にそれだけの実力がある……不合理な年功序列などに思い煩う必要はない」


 災虎銃の表情は変わらない。土俵上の駆け引きに熟達した羅刹力にも、その真意を読むことは叶わない。
 だが暗黒大関には確信があった。この男は、必ず首を縦に振るという確信が。


「――わかりました。この話、お受けいたしやす」
「ほう……随分あっさりと引き受けたな。もう少し渋ると思っていたが」
「兄弟子の頼みにあごかます(※1)訳にはいかねえんで」
「フ……殊勝な心掛けだ」
(※1……にべもなく断ること)


 頼んだぞ――と、羅刹力は災虎眼の肩を叩くと、早々にその場を後にした。
 その顔には、悪鬼の如き凶悪な笑みが浮かんでいる。


 出世の機あらば逃す筈はない。いかに表面を繕おうとも、異形と化すまでに鍛え込まれた体が如実にその野心を示している。そうでなくてはならぬと、羅刹力は声もなく笑った。

 その夜。
 険しい山中を下り、公共機関を乗り継いで、災虎銃は野々美つくねの住まう町に降り立った。
 添付されていた資料によれば、八墨川沿いの住宅地に、母親と二人で暮らしているのだという。
 暗黒力士は独り静かに邪悪な笑みを浮かべた。己を知る者の無いこの町で感情をひた隠しにする必要はない。


「(とうとうこの俺にも運が向いて来やがった)」

 オスモウドライバーを奪うことに成功したとなれば、国暗協における己の地位は飛躍的に上昇するとした災虎銃の見立ては正確である。少なくとも国暗協における一般認識として、オスモウドライバーは極めて重要なオブジェクトであり、これを手にすることはかの組織の悲願でもあった。自らまがい物を創り出すほどに。
 暗黒横綱の意志など、一介の十両である災虎銃が及び知ることはない。それも含めての、これは羅刹力の謀略であった。


「(幕内入りすりゃあ本場所で力を見せられる。そうなれば早い段階で三役、ゆくゆくは横綱だって夢じゃねぇ)」


 ぬるい風をその身に受けながら、じゃりじゃりと雪駄を鳴らし、災虎銃は川沿いの土手を行く。
 川に架かる橋のたもとの辺りで、一人の女子学生とすれ違った。制服である。時刻はとうに日の暮れた20時過ぎ、女生徒が独りで出歩くのは不自然な時間帯であったが、災虎銃はそれを気に留めることはなかった。当然、より優先すべき事項があったからである……その時までは。


「お相撲さんですね」


 夜風の鳴らす風鈴の音を思わせる、涼やかな声だった。
 災虎銃が振り向くと、今すれ違ったばかりの女生徒がこちらを向いて真っ直ぐに立っている。
 腰まで伸びた、夜闇に溶けるような黒髪。すらりとした長身だが、眉の辺りで揃えられた前髪と、アーモンド形の瞳がやや幼い印象を与える。


「丁子の香りがします」
「なんだ、嬢ちゃん。家出か?」
「後鉄を付けた雪駄に泥着、すり足気味の歩調。それにアンコ型の立派な体格……かなり鍛錬されていますね」


 災虎銃は頭を掻いた。相撲好きの奇特な少女だろうか。普段であればともかく、今このような者にかかずらっている時間はない。


「悪ィが今急いでんだ。相撲取りとお話しがしたいんなら他当たってくれや」
「――国際暗黒相撲協会の方ですね」


 その一言で、災虎銃の足が止まった。彼が再び振り向くと、少女は学生鞄から黒い布のようなものを引きずり出していた。一見黒い包帯のようなそれの中心部には、力強い二重線に囲まれた黒い桜が咲いている。
 暗黒力士は目を見開いた。黒の……オスモウドライバー!

「てめえ、まさか『力士狩り』!」
「――変身」


 少女が滑らかな動作で腰にオスモウドライバーを巻くと、エンブレムからもう一本の布がその股下を潜り……「あッ……」一つのまわしとなった。同時に、暗黒の粒子が少女の体を包み……闇が晴れた時、そこには一人の力士の姿が顕在していた!


《CLASS:OZEKI》《KONISHIKI》
《こにぃい~~しぃきぃいい~~》


「土俵下が、お前のゴールだ」
「ウオオォーッ!」


 あまりにも予想外の状況であったが、災虎銃の切り替えは素早かった。
 泥着をはだけて半裸になるや否や、気合の雄叫びと共に必殺の右張り手を繰り出したのだ。右腕が唸りを上げ、鉄板のような硬さを誇る掌底が小錦の顔面に直撃した。小爆発にも匹敵する破裂音が、夜の川面を打った。


「貰ったァー!何が目的が知らんがこの俺を狩ろうとしたのが運の尽きよ!脳漿ブチ撒けて死ねぃッ!」


 ぎょろり、と――小錦の黒い瞳が、指と指の隙間から災虎銃を睨み付けた。僧帽筋に埋もれた首がミシミシと音を立てている。4分の1トンを超える小山の如き巨体がおもむろに動き、災虎銃の右腕を掴んだ。


「な、に――」


 これまで災虎銃の鉄砲をまともに受けて立っていたものなどただ一人として居なかった。それが彼の矜持でもあった。ただの一合で、小錦はその拠り所を粉々に打ち砕いたのである。
 既に勝負は決していた。小錦に抱きかかえられた時点で、脱出を果たせるのは横綱ぐらいのものであろう。最盛期においては300キロ近い体重を誇った小錦の、その荷重を存分に活かした鯖折りが極まっていた。
 災虎銃は、己の背骨の軋む音を聞いた。明確な死の予兆が、その野心と闘志をへし折った。


「ま……参った」
「ふふ」


 耳元に吹きかけるような微笑である。憐れむような、あるいは嘲るような――どちらにせよ、対手の心を暗黒で満たすに十分な笑声。


「黒のオスモウドライバーは横綱と成れなかった者たちの無念の集積。敵にかける情けなど、一片たりとも存在しないわ」
「アガッ……た、助け」


 拘束の手は緩まない。肉の山は更に前傾し、慈悲も容赦のなく体重を災虎銃へと乗せ……やがて限界に達した。
 暗黒力士が最後に耳にしたのは、己の背骨が砕ける音であった。


「こ……国際暗黒相撲協会バンザーーーイ!!!」


 断末魔の絶叫とともに、力士の肉体が爆発四散した。黒い雪のような粒子が河原に降り積もる。
 その中に舞い落ちる茶封筒を、いつの間にか変身を解除していた少女が掴んだ。


「……野々美つくね。あのオスモウドライバーは、やはり本物……」


 素早く資料に目を通すと、少女は鞄からマッチを取り出し、封筒に火を放った。
 それを見つめる瞳は、夜の色よりなお黒い。




 御武(みたけ)かなた。18歳。女子高生。そして……オスモウドライバー。
最終更新:2017年11月11日 00:43