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黄・ヤークシャーが死んだ。彼は数多くの言語に長けた通詞であり、A.ボウイーの相棒でもあり、そして銀天街飛鳥の――
「師匠が死んだよ。まったく、慣れないことをするものだから……。
やれやれ、ピンカートンもハーグレーブもおかんむりらしい。おや、こちらは四季の姉妹からか。冬と春はともかく、出不精な秋やいい加減な夏も連名で抗議文とは、どうやら私は同業者をすべて敵に回したらしい……」
事務所に戻ると、郵便受けが溢れかえっていた。電文も、当然。
探偵に追われる探偵も悪くはないな、と姿見を見て笑おうとしてみたが、そこに立っていたのは目に隈が残る、やつれた女だった。ベレー帽のけば立ちに今気づき、なによりも観察眼の衰えを感じてしまう。
これが銀天街飛鳥だと言い切ることは、鏡の前に立っている私にだって出来ないなと思った。
「君は六道輪廻という言葉を知っているかい?
一般向けには天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道と解される六つの世界を人は死を境にして移り変わり、生まれ変わり続けるという日本仏教でもお馴染みの思想だ。
だが、私たち探偵の場合は少し違ってね。
依頼人道、被害者道、探偵道、助手道、目撃者道、犯人道、これら六界が世界の本当の姿だと定義している(※諸説あります)。
探偵とは修羅の道、助手とは畜生の生き方とはよくも言ったものだ。
けれど、君はそれとも違うな。探偵を知りながら、色々な生き方をつまみ食いしている君はもうどの道にもいられない。一般的には外道、または天狗道とも言うが、我々の流儀に倣って共犯者道と、いうべきだろうね。君らは驕慢だ。天狗のようにかどわかしも行う。
天道にも人道にも背く。放埓に振る舞う。その代わりに、輪廻の輪から弾かれもう二度と生まれ変わることはない。……、私は来世も探偵だ。
じゃあいってくる。もう、君とは、永遠に会うことはないだろうね」
飲みさしのコーヒーを、ソファにもたれうなだれる彼に向けて差し入れてやる。取っ手を指先から最短のところにおいてやることを忘れない。
久々の眠りだ。一週間ぶりだから、少なくとももう一週間は目覚めることは無いだろうな、と思った。
下手な冗談だったが、今なら口を釣り上げてだけ、笑えそうだ。君の無駄口は好きだが、嫌いだった。
振り返ると、自慢だったという高い鼻だけが目に入った。もう、これ以上、今は思いを馳せることは、ないの、だから……。
―戦―闘―空―間―
――古―――城――
古城という字面を裏切って悪いが、私たちは今合戦からいささか外れた位置にいる。
今でいう大阪府、けれど奥まった金剛山の木々の隙間に私たちはいた。
木漏れ日が、いくら藍黒の化粧を施したところで「美少女」と銘打たれた可愛川ナズナの可憐さに影を差すことはできないと主張するようだった。彼女は立っている。
沸き上がる鬨の声は、たとえこれがゆめまぼろしであっても、数多の死を作り出すのだと思うと、少しだけ歯噛みができた。私たちは向かい合っている。
説明が遅れたが、ここは千剣破とも当てられる、南北朝期の大英雄「楠木正成」の居城「千早城」である。
太平記にいわく、百万騎を号した大軍を千足らずの手勢で食い止めたという名城だ。
手薄になった六波羅探偵を崩壊に導き、鎌倉幕府の全国支配の終焉、そして滅亡に至らせる契機となった戦いの最中だ。
眼下では無数の将兵が、極めて一方的だが命を削り、死に恥をさらしている。
将を射よと欲した矢が十数メートルを挟む私たちの距離を分かつ。丁度、真中に突き刺さった。粋な計らいですねと可愛川ナズナは言う。対戦相手は歩を進めた。一歩、一歩、二歩と。
「流れ矢は、貴人。お偉い方、尊き人を戦場で亡き者にする言い訳に使われたと言いますね。世界で二番目の探偵様はさぞお偉いのでしょう」
挑発の文言も堂に入っている。
マジックはミュージックと並んで私たちミステリと親和性が高い。
同じくアルファベットの「M」で始まるよしみかもしれないし、そうではないのかもしれない。それも……今となってはどうでもいいことなのだが。
ただ、驚くべきことに私の中には、まだ戦うという意志があったらしい。
雨に濡れた落葉を踏みしめ、構えを取りながら私は、私に言い聞かせるように言う、言った。
「あれからね……少し考えてみたんだ。もう何もなくなってしまったと思ったが、少しばかりの憤りは残っていると、頭の中を漁っていて気づいたよ。
一週間だったり、それとも二週間かもしれない。バリツを、探偵を、くだらない児戯に、手品と一緒にされて、屈辱だった。それ以上にはしゃいでいた自分が愚かしく思えたよ」
「手品とは失礼ですね。魔法みたいになんでもありなあなたの大味っぷりが私、大キライです。なんですか、世界第二位の瞬間移動って、あんなの通ったらなんでもありじゃないですか?」
「魔法というが、探偵とは真実の前ではかしずくしかない僕であり 純然たる科学的手法だ。ああ、もうひとつ生き方と言い換えてもよかったね。
方法論を地道に積み上げ紡いできたのが探偵の歴史だ。ロジック、アリバイ、トリック……、そう言った単語からさえ逃げ、遙けき過去の住人と同様に『魔法』の一言で片づける。
光や闇やの二元論で逃げ去ってしまう。私は貴様たち畜群を憐れに思い――それ以上に私自身の愚かさに反吐が出る!」
構えは一瞬、一秒を切っても一流には程遠い。そのことを世界二位に過ぎない私は知っている。
銀色の光が空を切った。
可愛川ナズナ、つまり私は銀天街飛鳥の、銀色の推理光線を躱していた。
小手先を使った技術だけで勝負をするのが一流の奇術師、そして極まれば指先だけで勝負を決めるのが一流の探偵だと聞いたことがある。
推理光線とは読んで字のごとく、真実に向けて推理は光の速度で向かう性質を利用して放たれる終息型光学兵器のことだ。
本格派が特に得意とし、一人前の探偵ならば生身ひとつで放て、それこそ脳と人差し指さえ動いていれば犯人を撃ち抜けると言われている。
――本来、光は直進するが、遮蔽物抜きでもやや蛇行した軌跡を辿ったことから、おそらくは変格寄りの叙述派? いいえ、これは違う?
危機一髪という言葉があるけれど、銀天街の指先から伸びる光線は頬をかすめることも、私の歩みを止めることもなかった。
「探偵たる貴女に敬意を表してひとつ忠告を。
本格派、新本格派、幻想派、歴史派の四派閥の重鎮が敵意を露にしています。探偵も一枚岩ではないとはいえ、これだけ敵を作るなんて。あなた、なにやったんです?」
これらは、桜屋敷家お抱えの探偵から得た知識だ。
探偵の秘伝と言えば、派閥外から門外不出、一子相伝も珍しくない。銀天街が第一試合で乱射した推理光線を門外漢が「光魔法」だのと的外れなワードで呼んだのも無理のないことだろう。
私の指摘に対して、何も答えずに溜息をつく銀天街はひどく気だるげで、物憂げに見えた。
あんな的外れな指摘を繰り返す探偵なんて、三流もいいところだ。かつて銀色だった探偵は、泣きそうになったり、笑いそうになったりして、それが果たせず真顔になると少しだけ語調を強めて言った。
きっと、その顔は何かが壊れてしまった人間のものであり、いずれ私がなってしまう、そんな予感を感じさせるものだったんだろう。
そう、敗北は、人を、なにより私を冷たくさせる。みじめに負けて、最愛の人の前で顔を。瞳を合わせることさえ出来なくなると、私は熱くなった目の奥で私自身の心をあざ笑うことになる。
それは嫌だ、絶対に嫌だ! ステッキの反対側の手の平の中、お守り代わりにぎゅっとコインを握り締める。
「雄弁は銀という。君も二度負けて気が立っているんだろう? 思いのたけを吐き出しなさい。これが最後だと思いたまえ! 」
身を抱く様に、振り絞るようにして銀天街は叫ぶ。音が重なった。続き放たれる第二射、歩みを止めない。
疲れという錆にその輝きを減じているけれど、今の、いや一瞬だけでいい、私のように前を向いて戦えるのだと敵の身を案じてしまった。
そして、背後から崩れ落ちる鎧武者の影を見て、私は相手を甘く見過ぎていたことに気づく。
ミスディレクション。
本来背後より敵を気にするはずだった。思考の優先順位を狂わせる、視線誘導、つまりは私たちの十八番だ。
トリックを暴くことに長けたのが探偵なら、その逆手順にも長けているハズと気づくべきだった。
ぬかった!
背後からにじり寄る甲冑姿の御仁を見て、仏心を出したと言っても嘘ではないのだろう。アレは白熱した舌戦だったから。位置取りが正反対であったならどうなっていたことか。
武者のNPCは試合開始直後から真後ろにいて、可愛川ナズナの命を狙っていた。推理光線に臆することなく、必殺の間合いに踏み込むまで歩みを揃えた。
もし、それが生身の人間なら、フェアプレイを損ねると思い、構えを解いていただろう。その必殺の気迫に敬意を表して。だが、どれだけ精巧に作ってあったとしても、たとえ断面から覗く湯気が本物に思えても、それはただの人形だ。
「勝ちたいッ……! 勝ちたい!!!」
だから、勝ちたいと是が非にも望むこのひたむきさに身を委ねたくなる。傍目で見る有象無象にとってなによりつまらない幕切れとわかっていても、心からの叫びを前に頭を垂れ、斬首を待ち望む罪人の様な心持ちにさせられる。
だが、甘えによがって身を翻すまでもなく、私の視線は、彼女の手の内から撃ち出される十円玉を追いかけていた。
マッスルパス。
熟達のマジシャンが有する技術のひとつだ。
言ってしまえば、掌の筋肉だけでコインを打ち上げるという技だ。右手に持ったコインが左手に移動していると言ったネタは、単純だがこの奥深い手管によってなることが多いという。
動かされる距離は人間でさえ数十センチに及ぶが、魔人である彼女が成し得るならその数倍では及びつくまい。
必然、一撃を狙う体勢にあった私は虚を突かれる形になる。
続けざまに、鳩尾を狙って突き放たれた杖の石突がわき腹をかすめ、偉ぶっていても同じ人間ならば血と肉の詰まった皮袋でしかないことをわからせられる。
なかなか……やるッ。
「ぐ、防塵仕込みのこのトレンチコートを越えてくるなんてなかなかいい杖じゃないか。ミスリル? それともアダマンタイト製かい?」
生憎、薬物は持ってきていない。
だが、この痛みは少々の眠気覚ましになったようだ。軽口を叩く余裕をもたらしてくれた。
彼女の袖口から続いてコインが転び出る。あけすけな視線誘導――、二度引っ掛かる愚もなし。
「さぁ? 探偵同様に手の内を明かす奇術師はいませんので。オリハルコンやヒヒイロカネ、ひょっとしたらトラペゾヘドロンかもしれませんね?」
最後は鉱物ではないという野暮なツッコミを彼ならしてくれていたんだろう。
だが、候補も打ち止めだ。
「随分、口上にサービスしてくれるじゃないか? それもマジシャン一流のショーマンシップってやつかな」
さぞ血の滲む努力をしてきたのだろう。
その、掌の内は盛り上がり、特有の形を成していた。一足飛びに結果を出してきた私にはけして手に入らない勲章と言えよう。
ショーマンシップとは観客と寄り添い、盛り上げる姿勢や精神性のことを指す。この若年にして、奇術の殿堂であるマジックキャッスルの入会資格ありと認められただけのことはある。
勝利のみをストイックに求めるならもっとやりようはあった。
だが、彼女にもプライドはあったのだろう。
「だが、本来の探偵という生き物も高慢ちきでね。君のように長口上が好きだし、何より負けず嫌いなのさ」
私に、なけなしだが誇りと矜持といえる物が残っていたように!
銀天街飛鳥が構えを変える。おそらくはこれが彼女本来のバリツに違いない。
バリツの語源に日本語の武術が転じたものであるというのは極めて有力な説らしい(※諸説あります)。
今までが文字通りこどものままごとだったと思えるような、そんな美しい体幹の取り方だった。まるで天空から降り注ぐ流星のように、光のきらめきとはかなさを兼ね揃えた。
戦場の狂熱がひどく遠く思えた。
光の前では人は止まっているに等しいと言ったのは誰だろうか?
私もまた、切り札を出すことにする。三回戦にして衆目に晒すのは躊躇われたが、もう今しかないと思えるのがそれだった。
フォース。
それは――、私が準備を進める前に銀天街が構えを――けれど。
暗転する思考の中、切り札を選ばせることさえ出来なかった。私は敗北を確信した。そして、銀天街の謎めいた言葉を前に勝利も確信した。
「さぁね、私に言えることはただひとつだけだよ、お嬢さん。きっと、言ってもわからないだろうけどね。この私、銀天街飛鳥と言う女は誰にも渡さない、そう誰にも、自分自身、私自らにすら、だ――」
かつて戦前では「大楠公」と呼ばれ、後醍醐天皇に仕えた悪党にして探偵(※諸説あります)「楠木正成」。
最期の戦いとなる湊川の戦いでは五十万以上の敵相手に勝ち目がないとわかってなお戦い、追い詰められた先で弟さん正季の言葉に乗っかって「七生報国」という言葉を遺した。
「たとえ七回生まれ変わっても敵を滅し、国に報います」というあまりにも重い決意を、私は茉莉花の前で誓えるだろうか。
私の名前、ナズナの花言葉は「あなたに私のすべてを捧げます」。
茉莉花の花言葉は「あなたは私のもの」。
遠回しな告白なのか、それとも気づかず素知らぬ顔をしているのがあなたなのか、憎らしく、それ以上に愛らしい。
そうか、今更だけどなんで花の名前を持つ女子高生が楠木正成について考えてるか、思い出してしまった。
はじまりと、おわりのなかで崩れ、のたくり、色とりどりのマーブルになって、すべてがグチャグチャになっていく私の視界の中で――ひとつだけわかってしまった。
つまり、それは一際立派な侍の顔、それが桜屋敷家の探偵と同じだったということだ。
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勝鬨を聞き届けることなく現実に戻ってみれば、もうそこに人の気配はなかった。
……ああは言ったが、彼は彼で道を貫いている。外道邪道と罵られようとも。
いや、貫かされているというべきか――名は体を表す。
魔人能力とその性向は、何かと己の名前に紐づいていることが多いのだから。
……いつか、どこかでこんな推理をした気がする。
だが、どうしても思い出せない――探偵が事件のことを忘れるなど、錆びるどころか朽ちる手前ではないか。
勝利の余韻とやらは、そう喉越し良く続いてくれないらしい――。
仕方なく、ここ数日ではや数度目の自棄酒でも挙げようと事務所の冷蔵庫を開けたところで。
扉に張られたメモの、数字の羅列が目に留まった。
「 2467234712456716712712371346714674014567147357
45024671471367356740156734571257 」
見覚えのない筈の、暗号文。
いや。見覚えが無いなら、なぜ暗号と解る?
どころか――読み方を、私は知っている!
……だが。それが意味するところが何なのかを、私が知るのは――
推理小説の如く、それが始まってしまってからだった。