第3ラウンドSS・溶岩地帯その1

「“ジャガイモの()え方を、知っているかい”」

 画面の中の探偵は、そう言った。

「……なんだこれ」

 モニタに映し出されたのは、変幻怪盗ニャルラトポテトこと鳴神(なるかみ)ヒカリ宛てに送りつけられてきた映像だった。
 『幕間(まくあい)銀天街(ぎんてんがい)飛鳥(あすか)』と書かれたその映像ディスクの中には、鳴神によく似た少女が捕らえられた映像が収められていた。
 その映像には男の声がナレーションのように付いていて、長々と説明を続けている。

「こんな劇を()ってわざわざ送りつけて来るなんて、よっぽど暇なんだな」

 鳴神はリモコンを操作して、次の対戦相手の試合へと画面を切り替えた。
 そこにはショートボブのスタイルの良い少女が映る。
 そんな少女の戦いを流し見ながら、鳴神はさきほどの映像の内容を考える。

「……ジャガイモねぇ」

 ジャガイモというのは土の中で切り身を培養(ばいよう)して育てあげるものだ。
 それはまるでB級映画なんかでよくある、培養液の中で成長する肉塊(にくかい)のようだと鳴神は思っている。
 体を2つに切り刻んで培養し、そのうち元の形に成長した頃に元の2倍になった量を食べる。
 平たく言ってしまえば、それが現代のジャガイモの育成原理だ。

「それにしても、わたしは”俺”なんて言わねーんだけどなー。ロールプレイング(なりきり)が足りないね」

 頭の中に世界で二番目の探偵の姿が思い浮かべ、鳴神はそう呟いた。
 そしてその皮肉げな笑みを想像して、彼女は目を細める。

「いや、待てよ……」

 考えを(めぐ)らす彼女の前の画面の中では、狐耳のAIが跳ね回っているところだ。

「もしかして、何かあるのか……? そんな簡単なミスを、あの探偵がするはずはない」

 何せ相手は世界で二番目の探偵だ。
 小悪党の鳴神とは、思考回路が違う。
 鳴神は頭を(ひね)って、考えこんだ。

「一人称違いの謎……? ……うーん、ダメだ。どんなメッセージが込められてんのか、さっぱりわかんねー」

 鳴神はそう言って、ソファーに深くその身を沈める。
 モニタの中では、次の対戦相手である枯葉塚(かれはづか)(きずな)微笑(ほほえ)んでいた。


  §


「まーたテンション高ェなぁオイ」

 獅子(しし)(なか)()(ぞう) は、控室でコーヒーを飲みながらそう毒づいた。
 いま彼の目の前には、狭い部屋の中で踊るようにステップを踏む少女の姿があった。
 新しい靴の試運転らしい。

「そうなんだよねー。なんたって次は溶岩だもん。私、溶岩なんて間近(まぢか)で見るの初めて」

 少女はいつもの微笑(びしょう)を浮かべてそう言った。
 そんな様子に以蔵は溜息(ためいき)をつく。
 彼が彼女のサポートをしだしてしばらく経つが、その様子は始終一貫して能天気なものだった。

「浮かれて足滑らして、マグマダイブなんてアホなことするんじゃねェぞ」
「うん、大丈夫大丈夫。……あ、そういえば」

 彼女は軽く頷いたあと、首を傾げて以蔵に視線を向ける。

「お兄さん、私の下着って興味ある?」
「ブフッ!」

 突然の脈絡のない質問に、以蔵は飲んでいたコーヒーを噴き出した。

「ゲホッ……ゴホッ……! 突然、何言いだしてんだ! そんなん興味あるか!」

 以蔵は声を張り上げる。
 だがそれは嘘だ。

「お前みてーなガキに欲情するわけねェだろ!」

 嘘である。
 今年36にもなった獅子中以蔵であるが、女子高生がアリかナシかといえば大アリだ。
 当然のことである。
 しかも少女のその顔は可愛らしい方に入ることだろう。
 少なくとも平均よりは、顔もプロポーションも整っている。
 36の男子にとって、そんな女子高生が愛でる対象であるのは、全く疑う余地がないほどの真実であった。

 しかしそんなことは口が裂けても言えない。
 そして彼女に手を出すようであれば、それは犯罪である。
 ディーチューバーの末路としてよくありがちな、未成年に手を出しての逮捕……。
 以蔵はそんな光景を思い浮かべ、必至に目の前の少女に向ける好意を振り払った。
 獅子中以蔵は、危機管理がしっかりとでき、そしてまた未成年である少女の未来をきちんと考えられる大人なのであったのだ。

 そんな彼の様子を見て、少女は人差し指を自身の口元にあてる。

「うーん、そっかぁ。お兄さんが欲しいっていうなら、べつにあげてもよかったんだけどなー」

 少女はどこか残念そうに言うと、上目遣いで以蔵を見つめた

「……誰にも言わないよ?」
「こ、こら……! 女の子がそういうこと言うもんじゃありません!」

 以蔵はつい、いつもの放送用のキャラクターを忘れて真っ向から注意してしまう。
 その様子に少女は首を傾げたまま、微笑んだ。

「そっかぁ。お兄さんじゃなかったのかぁ」
「ああぁん? 何の話だ?」
「ううん、こっちの話」

 少女はそう言って話題を切り上げると、以蔵の前にあるテーブルの上に目を向けた。
 そこに置かれているのは、手のひらサイズの灰色のブロックだ。

「……なにこれ?」

 彼女の言葉に以蔵は頷く。

「ああ。用意しておいた武器さ。次の試合で使ってくれ」

 彼の言葉に少女は考えるような素振(そぶ)りを見せた。

「……使うって言っても、これがなんなのか全然わかんないよ」
「それは今から説明する」

 少女は首を傾げつつ、そのずっしりとした重さのブロックを手の中で転がす。

「……それにしてもお兄さんも物好きだよね。こうやって私に協力してくれるなんてさ」
「お、おう……まあ、な……」

 以蔵は言えない。
 今や勝手に彼女のプロデューサーを名乗り、試合外に隠し撮りしたさまざまな映像や生写真で広告収入を得ていることを。
 以蔵はコホン、と咳払いを一つした。

「……まあ物好きだって言うなら、お前の方が俺より何倍も物好きだよ。こんなバトルに好き好んで参加してるなんてな」

 そう言って以蔵は笑った。

 VRの戦闘では基本的に、命に関わることはない。
 しかし稀に身体に大きな後遺症を及ぼすこともあれば、VR内での痛みに関しては普通に感じる。
 いくら魔人とはいえ、決して女子高生が自らすすんで行うような趣味ではないはずだ。

 少女に何か望みがあるとは聞いていない。
 以蔵はそんな彼女が戦いの中に身を投じることを、心底不思議に思っていた。

「それは、だって――」

 そんな以蔵の様子に、少女は静かに微笑む。
 それはいつも通り、どんなときだってこれまで彼女が浮かべてきた笑顔だった。


「――とっても、楽しいからね」


  §


「うぁっちぃ……」

 灼熱(しゃくねつ)のマグマがたぎるステージの中、鳴神ヒカリはそう(つぶや)いた。
 岩石と溶岩に覆われたステージ”溶岩地帯”。
 その真っ只中に、少女たちの姿はあった。

 マグマ地帯の中央に浮かぶ広い岩盤の上。
 その端に立って微笑むのは、夏服の学生服を着た彼葉塚絆。
 対する逆側に立つのは、ロリータ服と呼ばれるような可愛いらしい服に身を包んだ鳴神。

「失敗したなぁ……。もっと薄着で来るんだった」

 試合の前からすでに、その服装によってコンディションに差が付いているようだった。

「よろしくねー! ニャルちゃん!」

 遠くから叫び挨拶(あいさつ)をする絆に、鳴神は手をあげて応えた。

「……へーい」

 ――なんだか気が抜ける相手だな。
 鳴神がそう思うと同時に、試合の開始を告げる司会の声が響いた。

『変幻自在の怪盗、ニャルラトポテト、バーサス! 金属の申し子、彼葉塚絆!』

 鳴神はその声を受け、すぐにその場を離れる準備をする。
 彼葉塚絆の戦術は事前に予習していた。
 金属を打ち出す散弾銃のような攻撃。
 それに対抗する手段を、鳴神は持たない。
 至近距離から撃たれ殺されるる前に、距離を取る必要があった。

『それではレディー……ファイトッ!』

 声とともに鳴神は地面を蹴り、溶岩に浮かぶ中央の広い岩盤から飛び立った。
 その周囲に散らばる小さな足場へと、マグマを飛び越え跳び移っていく。

「……すぐに仕掛けてはこないか」

 鳴神は周囲を見渡し状況を分析する。

 見れば対戦相手の絆は、いつも通り鉄パイプをその手に持っていた。
 それは彼女の能力《金属曲げ(クリップアート)》に相性が良い、基本装備なのだろうと鳴神は考える。
 溶岩地帯に他の金属物質は存在しない。
 溶岩の主成分はケイ素。
 ただしケイ素は製錬しなければ金属的性質は帯びないため、溶岩やそれが固まったのであろう周囲の岩盤を絆が操ることは不可能だ。

「さて、どうしたもんかね……」

 一方の彼女が持つ能力《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》は、怪盗として他人になりすます能力でもある。
 溶岩とは地球上の中でも有数の過酷な生存環境であり、そこにNPCは配置されていない。
 よって一回戦の豪華客船のときに観客の中へと紛れ込んだような使い方をすることはできないだろう。

 つまり今回の溶岩地帯は、お互いに絡め手無しの真っ向勝負となるのであった。

「……しょうがないな」

 鳴神は追ってくる絆の方を向いて、懐から銃を取り出した。

「ふふふ……! 今こそわたしのガンシューティングで鍛えた銃技を見せるときか……!」

 彼女が取り出したのは、改造されたエアガンだ。
 それは弾からすべて強化プラスチックで出来ており、絆の能力である《金属曲げ(クリップアート)》の対象にはなりえない。
 空気(エア)の力といえど改造されたそれを至近距離から撃たれれば、致命傷になりえるだろう。

「……まあ数発も撃ったら壊れるだろうけどな」

 その強い射出力に、レプリカの剛性(ごうせい)では耐えられない。
 とはいえ、数発を頭に打ち込めば脳震盪(のうしんとう)ぐらいは起こせることだろう。

「ガチの戦闘能力者相手とはいえ、どうにかして近付くことができればこっちにも勝機(しょうき)が――」

 後ろから迫る絆の姿が視界に入り、鳴神はその言葉を止めた。

「……う、浮いてる……」

 絆はいつも通りの柔らかな微笑みを浮かべたまま、溶岩地帯の空中をスゥっと並行移動していた。

「なんだあれ……」

 唖然とする鳴神の言葉に、絆はそれを見せつけるようにして腕を広げた。

「……じゃーん。空中浮遊」

 鳴神はその様子を用心深く見据(みす)える。

「なるほど……アイゼンか」

 ――アイゼン。
 それは靴底に付ける、登山時に滑落(かつらく)を防ぐための金具だ。
 本来は地面をしっかりと踏みしめるためのそれは、今は彼女の能力でその体を空中に繋ぎ止めるための足場に使われているようだった。

「どうかな? これで溶岩の影響を受けないかなーって思ったんだけど」

 彼女は《金属曲げ(クリップアート)》を発動し、アイゼン自体を動かすことで自身の体を浮かせているのだろう。
 鳴神はそう考えつつ、眉をひそめる。

「あいつの能力は金属を動かすことだったはずだよな……。それなら」

 鳴神はそう独り言を呟いて懐に手を入れると、そっとトランプを取り出した。
 そしてそれを数枚、連続で投げつける。

「それっ!」

「――わわっ」

 プラスチックで出来たカードが絆に迫り、それを避けようとして彼女は身をひねる。
 そして空中で大きく姿勢を崩した。

「うわわわっ! あぶないっ!」

 溶岩に飲み込まれそうになった直前でなんとか踏みとどまり、絆は胸を()で下ろした。
 鳴神は(あき)れて声を漏らす。

「……そうなるよなぁ」

 アイゼン、つまり靴の部分のみが浮いているということは、空中に浮いた小さな足場に立っているようなものだ。
 安定して滑空(かっくう)するならいざしらず、いくら自在に足場を動かせるとはいえ空中の上でアクロバティックに動き回るのは難しいことだろう。

 絆は空中を(すべ)るのを諦めたのか、素直に地面へと足を付ける。

「さすがだなー。まさかこんな簡単に破られちゃうなんて」

「そりゃどうも。……ところで提案があるんだけどさ」

 鳴神は笑いながら言葉を続けた。

「ゲームをしよう」

 ――戦闘系の能力者相手に正面戦闘は不利。
 いろいろと考えた挙句(あげく)に鳴神が出したのは、そんな結論だった。
 鳴神は一回戦・二回戦と、そんな試合運びをするように動いていた。
 しかし――。

「え? なんで?」

 絆の返答に、鳴神は顔をひきつらせる。
 ――腹芸は通用しないか。
 そんな考えを巡らせた鳴神に、絆は笑った。

「こんなに楽しい戦いなのに、ルールを壊すなんてもったいないよ」
「……戦闘狂(バトルジャンキー)かよ」
「そうかなぁ。おやつを食べたりするのも好きだよ。同じように、こうやって遊ぶのも好きっていうだけ」

 そう言って絆は鉄パイプを鳴神へと向けた。

「バン」

 鉄パイプから切り離された散弾が鳴神へと撃ち放たれる。
 鳴神はそれをかわしつつ、岩の影に姿を隠した。
 岩越しに絆が声をかける。

「だって魔人能力を、誰にはばかることもなく使えるんだよ。とっても楽しいと思わない?」

 ガギン、と鳴神が背にする岩に絆の散弾が撃ち込まれた。
 鳴神はそれに舌打ちする。

「こりゃあどうやったって不利だな……。弾切れしたところを近付くか――」

 その言葉を遮るように、鳴神の頭の上を風が通り抜けた。
 背にしていた岩が崩れ落ち、その向こうにいた絆と視線が交差する。

「おいおい……弾切れもしてくれないのか」

 それは金属の鞭だった。
 絆は手に持った鉄パイプを鞭のようにしならせ、振り回していた。
 鞭はたやすく岩を切り裂き、風切音を辺りに響かせる。

「変なとこに当たったらごめんね。痛いかも。痛めつけるつもりはないんだけど……まあそれも経験かも。もしかしたら目覚めちゃうかもしれないし」
「目覚めるってなんにだよ……! ――って、わわっ!」

 鳴神の首を狙うようにして振るわれた金属の鳴神は慌てて避けた。

「ちょ、ちょっと待った! 交渉しよう! お前は何が目的だ!?」

 その言葉に絆はきょとん、とした表情を見せる。

「なにって……勝つことかな?」
「な、何かあるんじゃないのか? 願いとか、希望とか……」

 鳴神の言葉を理解できないかのように、絆は首を傾げた。

「戦うのに、理由が必要なの?」

 そう言って鞭を振るう絆に、鳴神はまたもその表情を引きつらせる。

 ――こいつ、ヤバイ!
 鳴神は説得が通じない相手を前に、考えを巡らせた。

 正面きっての戦いは得策ではない。
 荒川くもりの能力を――いや、あの能力を使って、彼女は絆に負けている。
 恋語ななせの能力も、今は速効性がない。
 それならこの状況で一番戦いに適した能力は――。

 鳴神は岩盤に撃ち込まれた鉄の破片を目にし、絆の顔へと再び視線を向けた。

 ――そうだ、《金属曲げ(クリップアート)》!
 相手の能力をコピーすれば、オリジナルに勝てはせずとも、その攻撃を止めることが出来るかもしれない。
 一瞬でも隙ができれば、エアガンの弾を叩き込むことができるだろう。
 鳴神はその戦略を頭の中で組み立てる。
 しかし、足りないものが一つあった。

 鳴神は絆の鞭の攻撃を避けつつ、叫ぶ。

「お前は――!」

 それは鳴神にとって必要な発動条件。

「――何考えてんだよ!」

 鳴神の言葉に、絆は首を傾げた。


  §


 鳴神の能力《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》は相手の思考をトレースし発動する能力だ。
 それには相手の素性を理解し、相手を観察することが必要となる。
 しかし――。

 鳴神の問いかけに、絆は答える。

「特に何も考えてないけれど……」

 ――『キャラが立っていない』。
 それは彼女を酷評(こくひょう)するディーチューブでの感想の一つだったか。
 鳴神は考える。
 ――違う、そんな雰囲気じゃあない。
 彼女はキャラが立っていないだとか、そういうことじゃあなくて。
 ――まさか、人格が破綻(はたん)しているのか……!?

 鳴神は眉間にしわを寄せ、自身の二回戦に戦った相手のことを思い出した。
 支倉饗子(はせくらきょうこ)は現象だった。
 その現象に支配されるルールとして、彼女は人格を固定されていた。
 なので鳴神と支倉の能力の相性上、思考をトレースすることはできなかったが、本来ならトレース自体は可能であったはずだ。

 しかし鳴神には彼葉塚絆の思考を推察することはできない。
 彼女の立ち振る舞いがわからない。
 彼女の行動を、予想できない。
 思考をトレースするヒントがない――!

 鳴神が相手に変身するということは、相手を理解するということ。
 しかし鳴神には彼女のことを理解できない。

 絆の微笑が模倣でき(わから)ない――!

 鳴神は彼女に尋ねる。

「お前は――思考を破壊されたのか?」
「へ? いや、何も考えてないだけっていうか……楽しければそれでいいかなぁっていうか……」

 曖昧な彼女の返事を、鳴神が理解することはできなかった。
 よって鳴神は考え過ぎなほどに、更に考察し推察し、相手の思考をトレースしようと試みる――!

 ――絆の前回の対戦相手は荒川くもり。もしや荒川にその精神を破壊されていたのか……?
 ……いや、違う。
 支倉の能力がVRから漏れ出さないように、精神汚染の類のVRの出来事は現実には反映されない。
 ならばそれは、元から壊れていた?
 そうだ。
 彼葉塚絆は、荒川くもりと戦う前からその精神がとっくの昔に壊れ果てていた――!

 鳴神は思慮(しりょ)深い性格からそう結論付けた。

 鳴神には『普段からあまり何も考えていないだけ』の彼女の能力をコピーすることができない……!

 一方の絆はといえば、目の前の鳴神の様子に首を傾げつつも「まあいっか」と一言漏らして、ポケットから手のひら大のブロックを取り出していた。

「これ、なんだかわかる?」

 未知の生物に突然話しかけられたかのように、鳴神はビクリと震えた。
 絆は鉄パイプをその場に捨てて、言葉を続ける。

「実は、私もよくわからないんだけど」

 絆はそう言いながら、そのブロックを溶岩に投げ入れた。
 ジュゥ、と音を立ててその金属塊(きんぞくかい)から煙が立ち昇る。
 それに気付いて、鳴神は声をあげた。

「――亜鉛(あえん)か……!」

 鳴神の言葉に聞き覚えがあった絆は、手を叩いた。

「おお、それそれ! 正解!」

 鳴神はそれを聞いて顔を険しくする。

「溶岩の温度は900℃から1100℃。亜鉛の融点(ゆうてん)は420℃で――そしてその沸点は907℃……そういうことか」
「え? どういうこと?」

 絆は首を傾げながらも、溶岩から立ち昇る亜鉛の煙へと手を突っ込んだ。

「でもこうすれば凄いことができるって――以蔵さんに聞いたんだ」

 それを見て、鳴神は声をあげる。

「お前……!」

 ジュワ、と絆の腕が煙の温度で焼け焦げる。
 しかし眉一つ動かさない絆の姿に、鳴神は恐怖を感じた。

「……熱くないのかよ……!」
「いやすっごく熱いよ。熱いっていうかもう、感覚も何もない感じだけど……でも、こうした方がたぶんこの戦いは楽しくなりそうだから」

 青白く光る煙の中で片腕を焼き付かせながら、絆は微笑んだ。
 鳴神にはその笑みが、狂気に彩られているようにしか見えない。
 楽しさのみを追い求める絆。
 一方の鳴神は、自身の譲れない信念のみを追い求める。
 ゆえに、両者が相容れることはない。

「以蔵さんが言うには、この煙は吸い込んだりしても猛毒なんだってさ」

 絆はそう言うと、《金属曲げ(クリップアート)》を発動した。
 気体となり体積が膨れ上がった亜鉛の空気が、鳴神に迫る。

「いっけー」
「ぐっ……!」

 まるで周囲一帯を覆い尽くすようなその包囲網から、鳴神は逃れることができない。
 容易に辺りを取り囲まれ、灼熱の亜鉛蒸気に縛り上げられる感覚が鳴神を襲った。

「――ぐああああああ!」

 亜鉛の蒸気で鳴神の手足を掴み、絆はその体を自身の近くへと引き寄せる。

「あ、これ熱い? もしかして……楽しんでくれてるのかな?」

 灼熱の蒸気を受けながら、鳴神は声を絞り出す。

「んなわけ……あるかぁ……!」

 ――どうにかしないと。
 鳴神は必死で頭を巡らせる。

「そっか……。楽しくないんだ。残念」

 絆はそう呟くと、残った無傷の方の腕を鳴神の首へと回した。

「じゃあ早く殺しちゃうね?」

 その手にゆっくりと力が込められていく。

「すぐ終わらせるから」

 絆はそう言って、いつも通り微笑んだ。



  §



 ――それに、鳴神が笑った。

「……“ジャガイモの殖え方を、知っているかい”」

 ――ジャガイモ?
 鳴神の言葉に絆は首を傾げる。
 鳴神は構わず言葉を続けた。

「わたしの能力《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》は、第五段階になれば人格を永久に消失する」

 首をしめられながらも、鳴神は言葉を絞り出す。

「……だけどそれじゃあダメなんだ。わたしはわたしのまま戦い続ける必要がある」

 鳴神はまっすぐと、絆の目を見つめた。

「――だから、その方向性を変えてみせる!」

 鳴神はそう言って、亜鉛の蒸気を振り払った。
 それは既に先端が空気中の酸素と結合し、粉のような酸化亜鉛に変化していた。
 その為、同一の物質として絆が認識できなくなり、スルリと鳴神はその体を滑らせることに成功する。
 慌てて絆は亜鉛の蒸気を操作しなおすが、鳴神はその隙を逃さない。

「力を借りるぜ……! 狐薊(きつねあざみ)イナリの思考を展開する! インストール――《自己変革アルゴリズム》!」

 鳴神の声に従って、その表層アバターがイナリの姿に変化していく。
 完全に狐娘の姿となった鳴神は、拳をお辞儀させてウインクした。

「わらわの力を、見せてやるのじゃー!」
「……わぁ、イナリちゃんだー。すごい、本物みたい」

 思わず絆は鳴神の変身に感心して、煙の動きを止めてしまう。
 イナリの姿となった鳴神は間髪入れず、自身のコメカミにその人差し指を突き立てた。

「――そして!」

 イナリ姿の鳴神が口の端を吊り上げ、シニカルな笑みを見せる。

「”わたし”と”わらわ”の思考を、並列展開する! ……のじゃ!」

 鳴神の表層アバターにデータキューブが模様のように表示され、それはバグったゲームのように点滅した。
 鳴神は口を開く。

「これがいま自己変革した、《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》第四段階! 《並列演算(デュアルコア)》!」

 鳴神はそう言って、それまでの様子を呆然と見つめていた絆の腕をつかむ。

「枯葉塚おねーさんの属性を書き換え、その人格を矯正するのじゃー!」
「……えっ、なにそれ!? こわい!」

 しかし絆が抵抗する間もなく鳴神はその腕を通し、瞬時にハッキングを行った。
 絆のアバターにノイズが混じり、その姿がブレる。

「うあっ……!?」

 絆は自身の内面を襲う違和感に叫ぶ。
 鳴神は彼女の腕を拘束したまま、言葉を放った。

「《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》は発動した時点でそれ以外の能力を失うから、”わたし”がその力をコピーすることはできないんだけれども……」

 絆の中に、イナリ属性が広がっていく奇妙な感覚が広がる。

「……その原理を、”わらわ”の力で再現してやるのじゃー!」

 《自己変革アルゴリズム》。
 それは一回戦で狐薊イナリが白菜の属性を書き換えたときのように。

 《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》。
 それは一回戦の豪華客船で、ニャルラトポテトの能力が刈谷の思考へ介入したときのように。

 鳴神とイナリの力が混じり合い、絆の人格をイナリに書き換えていく!
 そしてその能力のもたらす現象は、二回戦で鳴神が戦った相手、支倉饗子の《いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)》に酷似していた。

「くははー! 見たか! これぞイナリポテトの《RPG+革命(アールピージー・かくめい)》じゃー! ジャガイモのように、相手の中に同じものが増殖していくのじゃ!」

「あ、あああ……!」

 絆の叫び声が響く。
 鳴神はその手を解き、絆から離れた。
 すると絆のVRアバターが変化して、その姿を変えていく。

「……コ……」

 絆は頭とおしりに、違和感を感じて声をあげた。

「……コーン……?」

 まるで狐娘のように耳と尻尾を生やした絆に向け、鳴神は親指を立てた。

「グッドなのじゃー!」

 絆は首を傾げつつ、自身の頭に生えた第二の耳を触る。

「……って、これにいったいなんの意味がー!? 狐っ()属性がついただけ!? たしかになんだか心のなかには、イナリちゃんを感じるけど……!」

 絆のそんな言葉に、鳴神は答えた。

「彼葉塚絆が完全にイナリポテトに変化するわけじゃあないけれど……それでも”イナリ”の因子を埋め込み、ある程度の思考を誘導した今の状態の彼女であれば――」

 鳴神の表層アバターが、元のロングヘアの姿へと変化する。

「――その思考を、展開できる!」

 鳴神は自身の顔に手を当てた。

「インストール! 《金属曲げ(クリップアート)》!」

 彼女はそう叫ぶと、自身の周囲に広がっていた亜鉛の煙に手を突き入れた。
 その腕を蒸気が焼け焦がす。

「お前のオリジナル能力に勝てるほどじゃあないけれど……それでもわたしの位置に近い方の煙なら、多少は操作できる!」

 広がる亜鉛の蒸気が、絆へ向かって(うごめ)いた。

「返すぜ! 燃焼亜鉛!」

 周囲に広がる亜鉛の煙に狐耳をぴょこぴょこと振りながら、絆は周囲を見回す。

「……でも私が触れたら、その煙はまたこっちで動かせるはず――!」

 絆が亜鉛の蒸気に手を伸ばしたその時。
 絆の視界を、煙が覆った。

「――見えない!?」

 煙幕として広がる蒸気に視界を塞がれ、一瞬絆の足が止まった。

「……こっくりさん、こっくりさん」

 絆の耳に、煙の向こうからの鳴神の声が届く。
 それと同時に、煙を突き破り一筋の軌跡(きせき)が見えた。

 絆は思わず飛んできた10円玉に手を伸ばして――。

「――チェックメイトだ!」

 そして死角から現れた鳴神が、絆に銃を突きつける。

 ――しかし。

「……いらっしゃい!」

 それを予測していた絆は、その右足の裏側を鳴神へと向けていた。
 足の先からアイゼンの刃が伸び、鳴神の腹を突き刺す。

「なっ――!」

 うめき声をあげる鳴神に、絆は微笑んだ。

「――私の中に入ってきた”イナリポテト”なら……きっとこうするって思ったから」

 《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》の能力は思考や記憶も共有する。
 イナリ因子を埋め込まれた絆は、目の前の鳴神の行動を読み切っていた。
 鳴神は腹部に刃を貫通させ、顔を歪ませる。

「……へ。へへへ」

 その顔には笑み。

「”イナリポテト”の思考を読まれちまったか――くそ」

 鳴神はそう言いながら焼け焦げたもう一方の腕を、ゆっくりと絆に向けて伸ばす。

「だけど――試合前の”ニャルラトポテト”の思考はどうかな……!?」

 絆はその言葉に嫌な予感を感じて鳴神を引き剥がそうとする。
 しかしその足の先の刃が深々と食い込んでおり、身を捩ることもできなかった。
 そして鳴神の腕は、まっすぐに絆の胸元へ向かう。

「……へ?」

 突然の出来事に唖然とする絆。
 鳴神の腕は、彼女の胸をがっつりとつかんでいた。

「――《金属曲げ(クリップアート)》!」

 鳴神の声とともに、絆の胸元が弾け飛ぶ。
 上半身の服が千切れ、絆の乳房が露出した。

「って……えええー!?」

 そのふくよかな絆の双丘がぷるんと震える。
 試合の配信先、世界中から歓声が上がったのは言うまでもない。

「へへ……! 怪盗……なめんなよ……!」

 鳴神は自身の懐から、一つのブラジャーを取り出す。

「きゃああぁ! それ、私の下着!」
「そうだ……お前の部屋からすべての下着を盗み出したのは……わたしだよ!!」
「えー!? ニャルちゃんがー!? お気に入りのやつがいくつかなくなってたから、てっきり以蔵さんかと!」

 絆は顔を赤らめながら、その胸を両腕で隠した。
 鳴神はその顔にいやらしい笑みを浮かべる。

「そして取り替えたんだ……! 同じ柄、同じサイズの、ワイヤー入りのブラジャーを用意してな……!」

 鳴神は腹部からだらだらと血を流しつつ、言葉を続ける。

露出亜(ロシュア)出身でもなけりゃあ、その格好じゃ、戦えないだろ……!」

 鳴神は勝利を確信した顔で、高笑いをあげる。

「はは……はははははははは! これでわたしの……勝ちだ……!」

 そうして。

「降参……し、ろ……あれ……なんか……ふわっ……て……?」

 腹を刺されたまま高笑いをあげたことによる出血多量により、鳴神はその場で気を失ったのであった。



  §


「ぐええええ! 頭が! 頭が割れるぅぅ!」

 病院の一室にて、鳴神は頭を抱えていた。
 《自己変革アルゴリズム》の後遺症である。
 《TRPG(ティー・アール・ピー・ジー)》の第四段階を無理やりこじ開けたその代償に、彼女は重度の頭痛に襲われていた。
 そんな鳴神の控室のドアが開き、声がかけられる。

「……どうもー。お邪魔します」

 その姿を見て、鳴神はその顔を更に歪めた。

「――んだよ。敗者を笑いに来たのか?」

 そこにいたのは彼葉塚絆だ。
 彼女はフフ、と声をあげて笑った。

「それも楽しそうだねぇ」
「はー? お前性格悪すぎんだろ。そんな性格だったか? もっと何の特徴もない、モブみたいなキャラじゃなかった?」
「えー、それって陰キャってこと? ひどいなー」

 苦笑する絆を横目に、鳴神は手首にアゴを乗せて溜息をついた。

「……ったくよー。せっかくの連勝記録が水の泡だよ。恨み言の一つでも言わせてくれ」

 鳴神の言葉に笑いながら、絆はお見舞いとして持ってきたメロンを差し出す。
 鳴神がそれを黙って受け取ると、絆はその顔から表情を消して口を開いた。

「……ねえ。胸を触ってきた、あのときのことなんだけど……」
「あん? 謝らねーぞ。あれも戦略のうちだ」

 ぶっきらぼうに答える鳴神に、絆は首を横に振った。

「そうじゃなくて……なんで心臓を貫いて、私を殺さなかったの?」

 絆の言葉に、鳴神は目を細めた。
 ブラジャーのワイヤーは心臓に近い位置にあるので、鳴神は絆が気付く前に貫けたはずだ。
 鳴神は頭をバリバリとかくと、溜息をつく。

「……はー、言わせんなよ恥ずかしい。ただ単に――」

 鳴神は視線を逸らし、窓の外を見つめた。

「――わたしに人を殺す勇気がなかっただけさ」
「……そっか」

 絆はその横顔を見つめる。


 絆は以前の荒川くもりとの戦いを思い返していた。
 あのとき、絆はリアルですらくもりを殺そうとして最後の一撃を入れた。
 死の恐怖、そして戦いの高揚感(こうようかん)にすべてを任せて、躊躇(ちょううちょ)なく。


「あなたは――強いんだね」

 絆の言葉に、鳴神は感慨(かんがい)もなく答える。

「は? 弱いよ。最弱だ。今までは運がよかっただけ。……やっぱり戦闘系の能力者と正面きって戦ったら、手も足も出ないな」

 鳴神は溜息をつく。

「戦いの練度(れんど)が一味も二味も違う。……こんな戦い続けてたら、あいつを助けることなんて――」

 鳴神はそう言って、その先の言葉を(にご)した。
 その姿を見て、絆が微笑む。

「ねえ、ニャルちゃん」
「……なんだよ」

「……私が優勝したら、願い事叶えてあげようか?」

 絆の言葉に、鳴神は一瞬目を丸くする。
 しかしすぐに、溜息をつきながら笑った。

「いらねーよ。見てろよ、わたしは自分の力で()い上がってやるからな」
「……そっか」

 残念そうに笑う絆に、鳴神は笑いかける。

「なんだってそんなこと言ってくれるんだ? わたしたち、知り合いでもなんでもないだろ。ただ偶然戦い合うことになった、対戦相手だ」

 そんな鳴神の言葉を受けて、絆は笑った。

「……うん、そうかも。……でも、一緒に遊んだらお友達じゃない?」

 その言葉に、鳴神はまたも目を丸くする。
 そして今度は、こらえきれずに笑いだした。

「……く、ははは……。そうか、そうだな。お前は楽しんでたんだもんな。……わたしもちょいと、気を張りすぎちまったかな」

 鳴神の言葉に、絆は微笑みながら尋ねる。

「……せっかくのVRだもの。そっちの方が、楽しそうじゃない?」
「……それもそうか」

 鳴神は笑って、彼女に手を差し出した。

「それじゃあ、よろしくな。”絆おねーさん”」
「……うん。よろしくね。ニャルちゃん」

 絆は微笑み、そして二人ともが笑う。
 VR空間での戦いに明け暮れた二人。
 そうして会話を交わすことで、二人はわかり合うことができたのだった。


<勝者:枯葉塚絆>
<変幻怪盗ニャルラトポテトの戦闘不能による判定負け>


GK注:このSSの執筆者のキャラクター「変幻怪盗ニャルラトポテト」
最終更新:2017年11月12日 02:12