【前回までの取組】
(ナレーション)
オスモウドライバーとして日々悪を討つ女子高生、野々美つくね。
ある時彼女の元へ謎の差出人からDSSバトルへの招待状、VRカードが届く。
国暗協の罠を疑いながらもこれに参加したつくねは、一回戦の相手「稲葉白兎」、そして二回戦の相手である「ミルカ・シュガーポット」を降す。
一方そのころ、スパンカーとして日々スパンキングを打つ男子高校生、尻手翔。
彼は尻馴染のヒップスが残した「スパンキングをギネスに……」という言葉と熱い想いを尻に秘め、ギネスに載る方法を得るためこのDSSバトルに参加していた。
一回戦「狭岐橋 憂」、二回戦「露出卿」と、対戦相手と己の尻を通わせ、勝ち抜いていく翔。
次なる対戦相手はこの両名。
果たしてつくねは、翔は、自らの相撲とスパンキングを貫くことができるのか!?
* *
【11/11 20:00 控室】
DSSバトル参加者控室。
試合開始まで、後1時間と言ったところ。
野々美つくねは、親方弦一郎、当真ちはやと共に、今回の対戦相手……“スパンキング”翔の前回戦いの動画を見ていた。
そこに映っていたのは、秒単位の高速戦闘を繰り広げる、全裸の男女の姿。
ちはやは両手で目を塞いでいたが(なお、指の間は不自然に開いている)、つくねと親方は食い入るようにその戦いを見ていた。
僅か10秒以下で終了したその動画が終わった瞬間、つくねはぷはぁーと息を吐いた。
「すっごい……! なにこれ、信じられない!」
「うむ……。私も、この動画を見た時は驚いたよ」
喜色満面の笑みを浮かべるつくねに、親方は苦笑いを送る。
「彼の名前は、“スパンキング”翔。露出卿を降した今、恐らく単純な戦闘能力では今大会参加者でもトップだろう。君の次の相手だ」
「そうですね。うわー……、こんな人と、もうすぐ戦えるんだ!」
親方としては、彼女の父親から預かった大事な子だが、当の本人は強敵との戦いを何よりも楽しんでいる。
全く持って、気苦労が絶えない子だ。それ故に、成長の喜びもあるのだが。
「彼は、どうやら臀部への攻撃を戦闘能力に変換する魔人らしい。近距離戦は、虎の子と言ったところだろう」
「そうだね……。すごく大きいし、強いんだろうね……」
動画を見ていなかったはずのちはやが、なぜか顔を真っ赤にしながら、普通に会話に参加している。
つくねは若干の違和感を覚えたが、まあ気にしないことにした。
「でも、だからこそ、あたし、真っ向からその人と勝負してみたい!」
親方は、やれやれと言った風に頭を振った後、表情を険しくして、つくねの目を見た。
「野々美君。以前言った通り、エンシェント・リキシチップは、横綱としての心技体を極めたものに顕現するという。今なおエンシェント・リキシチップが君の下に現れないということは、君にはまだ横綱として足りないものがあるということだ」
「はい! あたしはまだ、オスモウドライバーの真の力を発揮できていない、ですよね」
「その通りだ。以前言った通り、DSSバトルは実践稽古にはもってこいの場所だ。強者たちとの戦いを通じて、真の横綱になれるよう成長してほしい……と言うのが建前でね」
親方は、つくねの肩をポンと叩き、慈しむような笑顔をみせた。
「楽しんできなさい。“スパンキング”翔は、きっと君の全力を受け止めてくれる」
「……っっ! はいっ!」
ビシッと、親指を突き上げるつくね。この天真爛漫な少女が、戦いを楽しむさまを見ていたい。親方は、確かにそう思っていた。
「さて、それでは私たちはそろそろ移動するよ」
親方とちはやは、前回戦闘において、対戦相手のセコンドに急襲された。
幸い軽傷で済んだが、国暗協も暗躍している今、今後も襲われないという保証はない。そこで、C3ステーションに事情を話し、ガードマン付きの厳重な部屋を用意してもらったのだ。
「向こうにもモニターはあるらしいから、応援してるよ。頑張ってね、つくね」
「うん。親方さんも、ちーちゃんもありがとう。私なら大丈夫!」
つくねは、ピースサインをビシッと決めて、ニカッと笑った。
「誰が相手だろうと、自分の相撲を取るだけだから!」
その言葉には、確かに横綱の風格が匂いたっていた。
* *
【11/11 20:50 公園】
翔は、ざあざあと降る雨の音を聞きながら、暗闇にいた。
公園に設置された、土管のような遊具。雨を避けるために入ったが、なかなかやまない。
そうこうしているうちに、もうすぐDSSバトルの時間になってしまったので、やむを得ずこのままVR空間に入るため、寝転がって目を閉じている。
思い浮かぶのは、前二戦で闘った、熱き強敵たち。
(二人とも、強かった)
狭岐橋憂は、友のため、己のみを捨ててでも勝利を拾おうとした。
露出卿は、露出亜の代表として、祖国の威信を背負って戦い抜いた。
どちらも、紙一重の勝負だった。背負う者の重圧を、そのプレッシャーから感じ取れた。
(俺には、何ができるんだろうな)
スパンキングは、滅びゆく存在だ。
如何に自分が戦おうとも、スパンキングの凋落は変わらないだろう。例えギネスに名を残し、“スパンキング”という言葉が後世に伝えられたとしても、それだけだ。
スパンキングは、消滅する。
(ヒップス……。本当に俺は、これでいいのか)
考えはまとまらず、霧散する。もともと、尻に脳があるような男だ。考え事には向いていない。
今はただ、自分にできることをやるしかない。
ギネスに名を残す。
DSSバトルで優勝して、姉ちゃんの友達を助ける。
尻の届く範囲の人を、助ける。
そして……。
「よっし、行くか」
まずは、戦いを楽しもう。
より強いスパンカーを。より高みのスパンキングを。
“スパンキング”翔は、決してブレない。
* *
【11/11 21:00 異世界】
鬱蒼と茂るジャングル。
天まで昇らんとする山々。
鏡のように透き通る湖。
そして、空にはドラゴンが乱れ飛ぶ。
絵にかいたような異世界。ここが、二人の戦いの場所だった。
ドッゴオオオオオオンンン!
すさまじい爆音とともに、山の中腹が爆発する。
中から飛び出してきたのは、既に《MODE:UNRYU》《CHIYONOFUJI》へと変身した、野々美つくね。
千代の富士。そのぶちかましは天を砕き、闇を切り裂くという。今のつくねに、巨岩など発泡スチロールよりも容易に砕くことができるだろう。
そして、そのぶちかましを真っ向から尻で受けとめる、身長2メートルを超える偉丈夫。
“スパンキング”翔は、試合前の思惑など影もない、太陽のような笑顔で笑った。
「はっ! お嬢ちゃんのそれ、面白えな!」
さっきまで団子の髪型の、小柄で、相撲とは縁のなさそうな体格だった少女。それが今は、翔と視線が寸分たがわず、横幅も随分成長している。
ただ、意志の強そうな瞳だけが、つくねの面影を残しているのはわかった。
尻で受け止めようとした結果、弾き飛ばされる。これは、翔にとって初めての経験だった。
それだけ、つくねの……いや、千代の富士関のぶちかましは、圧倒的な威力を誇るということだろう。
「そっちこそ、さすがですね!」
そして、ぶちかましを正面から受け止められるというのも、つくねにとっては未経験の出来事だった。
横綱の、それも千代の富士のぶちかましなど、相撲取りでなければ全身の骨と言う骨が粉砕するだろう。
それを、一歩も引かずに尻で受けきった。これは、考えられないことである。
未体験の領域。まだ見ぬ強者との戦い。
両者、相手にとって不足無し。
((これだから、戦うことはやめられない))
二人の気持ちは、一つになった。
「さあて、ここまでが軽い尻慣らしってところか。本当のスパンキングを見せてやるぜ」
「私も……私の全力の相撲を、ぶつけさせてください!」
両者、再び立ち合いの構え。翔は尻を突き出す戦闘態勢。つくねは、四股から片手を地面につき、今にも飛び出しそうだ。
もはや、待ったなし。
つくねの両手が、地面から離れる。咆哮を抑え、翔の尻に真っ直ぐ突っ込んでいった。
その時。
ブツン。
耳障りなノイズ音と共に、つくねのシルエットがブレた。
つくねの体が一瞬だけ大きく間延びし、空間に吸い込まれるように消えていく。
そして、その場に残ったのは、翔だけとなった。
「な、なんだってんだ……」
異世界に広がる紫色の空に、大きな白い文字が現れた。
【野々美 つくね Log Out】
「……ろごーと?」
翔は、尻に脳があるような人間だ。英語力など、もっての外である。
『緊急エラー! 野々美つくねのVR空間自主ログアウトを確認しました。対戦者は、大会主催の指示を待ってください。繰り返します……』
鳴り響く警告音と、機械的な女性の声。翔は、尻脳人間であるが、日本語はさすがにわかる。
だが、その意味するところは、何一つ想像がつかなかった。
「んあ。えーっと……それはつまり」
こうして、今大会最大の力対力の勝負は、決着した。
* *
―――戦闘終了―――
“スパンキング”翔 対 野々美つくね
決着時間:3分4秒(野々美つくねのログアウトによる戦闘続行不可能)
勝者:“スパンキング”翔
* *
【11/11 21:05 C3ステーションサーバー室】
『緊急エラー! 野々美つくねのVR空間自主ログアウトを確認しました。対戦者は、大会主催の指示を待ってください。繰り返します……』
「……は?」
鷹岡修一郎は、両腕に抱えたC3ステーションロゴ入りDSSバトル鑑賞セット(ホットドッグと炭酸飲料)を地面に落とし、空いた手で己の頭を抱え込んだ。
「は、はいいいいい!? まてまてまて、自主ログアウトってなんだよ!」
「自主ログアウトと言う事は、リタイアと言うことでしょうか」
進藤美樹が、恐る恐る言葉を発する。
「いやいや、そんなこと良いから! と、とにかくCM! CM流しとけ!」
鷹岡も美樹も、携帯電話を手に取り、各方面に連絡を取る。どれだけ忙しくなるのか、見当もつかない。
こんなことは、DSSバトル始まって以来最大の放送事故である。
特に、露出卿を真っ向勝負で下した“スパンキング”翔と、伝説の怪物リバイアサンを相撲で倒した野々美つくねは、どちらも今大会の大本命だ。
スポンサーもこぞってCMを打っていたし、予想視聴率も40%は下らなかった。
それが、ログアウトによる不戦勝。
「はあああ。なんだって毎度毎度“スパンキング”翔が絡む試合は、ろくな事がないんだろうねええええ!!」
鷹岡は、そのやり場のない怒りをぶつけるように、異世界に一人立つ翔を映した液晶に、たまたまポケットに入っていたチリ紙を全力で投げつけた。
携帯電話機を投げつけたい気持ちだったが、それをこらえた俺を誰か褒めてほしいと思った。
* *
【11/11 21:06 控室】
VR空間で見た最後の光景は、『Log Out』と言う赤い文字と、目を丸くした翔の姿だった。
そのまま真っ白な世界が一面に広がって、『Log Out』の文字が背景に溶ける。あまりの眩しさに眉をひそめたつくねは、瞼を強く閉じた。
「うっ……」
体に、重さが戻る。目の前には、いつもの控室の丸い蛍光灯。
VR空間から、目覚めたのだ。
「な、なんで……?」
ベッドから体を起こし、改めて辺りを見回す。いつもの、選手控室だ。少し広めのこの個室に、今はつくね以外誰もいない。
勝負はこれからだったはずだ。機械の不具合だろうか。
そうつくねが考えた時。
「フヒヒィ。お目覚めドス? つくねすぁん」
耳に不快な甲高い声が、控室の入口から届いた。
つくねが目を向けると、そこにいたのは、ひょろりと細長くいかにも神経質な男と、全身に筋肉の鎧をまとった巨漢だった。
神経質な男は、右手に拳銃を構え、下卑た笑いを浮かべている。
「あ、あなたたちは……」
細長いな男が、拳銃を向けたまま、恭しく頭を下げた。巨漢は、頭のヘルメットにつけたペットボトルから、なにやらちゅうちゅうと液体を吸い続けている。
「私は、国暗協が誇る一切合切8人衆が一人、四股名を火縄と申しドス。得意技は見てのとおり、鉄砲」
「そ、それ、本物の鉄砲じゃあ……」
「そうなんドスよ、つくねすぁん! 知性派の私は、気が付いたドス。相撲は、銃を使った方が強い! これこそが真の鉄砲と言えるドシょう」
なんという問題のすり替え。いくら鉄砲だからと言って、本当に鉄砲を持ち出す奴があるか。
つくねは、一瞬身振りした。これが、国暗協のやり方。想像以上に暗黒で、想像以上に相撲ではない。
隣に立つ巨漢が、突然小刻みに震えはじめた。
「オ、オデ、四股名、ヤヤヤ、ヤベン、コイ」
「おい、ちゃんと名を名乗るドス! 最低限の礼儀ドスよ? ……失礼、つくねすぁん。こいつは、ちょーっとばかしちゃんこジャンキーなんドスねぇ。四股名は、野猿というんドスよ」
「そうなんだ……。君たちが、あたしを起こしたんだね!」
つくねは、怒っていた。
“スパンキング”翔は強かった。この戦いは、自分の格闘人生でも、得難い経験になったに違いない。
それを、こいつらは邪魔をしたのだ。
「……この落とし前は、高くつくよ!」
怒りに満ちた空気を大きく吸い込み、吐き出す。そして腰に巻いたベルト――オスモウドライバーの、バックルに相当する部分に指を当てる。
それを、ぐいと押し込ん……。
「おっと、短気は損気ドスよぉ?」
野猿は、羽織っていたオーバーサイズの羽織を、バッと開いた。
その羽織の中を見たつくねは。目を丸くし、悲痛な声を上げた。
「お、親方さん! ちーちゃん!」
野猿の両脇には、全身をハムのように縛られ吊るされている、親方源一郎と当真ちはやの姿があった。
二人は意識を失っているようで、目を閉じて身動きしない。
もしやその命も……つくねは、その恐ろしい考えを払うように、頭を振った。
「ふ、二人は安全なところにいたはず……!」
「フフヒヒヒヘェ! C3ステーションの護衛如きが、この一切合切8人衆が一人、火縄様を止められるわけがないドショウ!」
「オ、オデガ、ゼンイン、タオシタ、コイ」
「黙るドス!」
ゲシゲシと、野猿の足元を蹴り飛ばす火縄。しかし、野猿は痛そうなそぶりも見せず、ぼんやりと突っ立っていた。
火縄は、ぺろりと舌なめずりをした。
「さて、それではオスモウドライバーを渡してもらうドスよ。そうでなければ、あなたのお仲間は今すぐにぶっ殺して差し上げドスよぉ」
「ま、待って!」
殺すという言葉に、前回の戦いの“あの瞬間”の不安がよみがえる。つくねは反射的に、オスモウドライバーを火縄に投げ渡した。
「おお! これがオスモウドライバードスね! ひぃっひぃっひぃ! これで、私たちも横綱ドスねぇ!」
「さあ、もういいだろ! 二人をはなせ!」
「ヒィ? なんですかぁ? その口の利き方はぁ!」
つくねは、己の思慮のなさを嘆いた。オスモウドライバーのない自分は、ただの総合格闘家だ。奴らの“鉄砲”に狙われている以上、身動きは取れない。
そして今、生殺与奪の権利は、奴らに奪われている。
一度ならず二度までも、仲間を危険にさらしてしまった。そしてどちらも、自分は何もできていない。
無力さに歯噛みする。だが、つくねは思考を止めない。
(どうする。どうする)
つくねは、決して諦めない。
だが、その体は動かなかった。
* *
【11/11 21:10 市街】
夜の街を駆ける、一筋の流星があった。
ビルの屋上から屋上へ、飛び移りながら進む影。
「この先にいるのですね」
夜風の鳴らす風鈴の音を思わせる、涼やかな声。
腰まである黒髪を風に乱しながら、くりくりとした瞳を暗く輝かせる。
「会いたかった……。野々美つくね」
その手には、黒い包帯の如き、厚い布がたなびいている。
黒の、オスモウドライバー。
「――変身」
少女が腰にオスモウドライバーを巻くと、中心のエンブレムから布が股下をくぐり……「んっ……」一つのまわしとなる。
暗黒の粒子が少女の体を包み、その闇が風と共に取り払われたとき。
そこにいたのは、一人の力士だった。
《CLASS:OZEKI》《WAKASHIMAZU》
《わかあぁあ~~しぃまぁずぅぅうう~~》
「土俵際で、がぶりよりのダンスを踊ろうか!」
大関昇進後、圧倒的な勝率を誇った若島津関。
南海の黒豹と言われ、速さに長けた彼の形を模った少女、御武(みたけ)かなたは飛んだ。
そして、特大の四股と共に、C3ステーション選手控室の天井を踏み抜いた。
* *
【11/11 21:11 控室】
突然の轟音と共に、天井をぶち抜いて飛び込んできた力士の姿に、火縄と野猿は驚きの声を上げた。
「あ、あんたは、若島津関ドス!? 水泳やマラソンも得意とし、大関昇進後の勝率では横綱にすら匹敵すると言われた……! し、しかもその腰に巻くものは……!」
黒の、オスモウドライバー。
つくねは、何が起こったのかわからず、声すら出ていない。
かなたは、唇を噛みしめるつくねと、国暗協の二人を見回して、首を傾げた。
「何を……しているんですの?」
「て、てめえ、動くんじゃないドス! こっちには、人質が……」
瞬間、若島津の張り手が野猿を襲った。たまらず後ろに下がる野猿に、若島津は左四つで組む。
その姿を見たつくねが、たまらず叫んだ。
「や、やめて! その人の羽織の中には、人質が……!」
「それが、どうしたの?」
冷ややかな声に、つくねは芯の底が冷えたような気がした。
そのままかなたは、若島津関が得意とした上手投げで野猿を投げ飛ばす。野猿の体はゴロゴロと転がり、控室の壁に激突した。
「親方さん! ちーちゃん!」
「おい、動くんじゃねえドス!」
たまらず駆け寄ろうとするつくねに向かって、火縄は拳銃を撃った。これこそ真の鉄砲! 横綱の張り手にも勝るとも劣らない威力!
だが、その暗黒相撲技が、つくねの体に風穴を開けることはなかった。
若島津関が、その強大なる筋組織で銃弾を止めていたのだ。
「この程度が、鉄砲? よろしい。では、見稽古いたしましょう。真の鉄砲とは……」
かなたは、一息に火縄の懐に飛び込む。
「こういうのを言うんです!」
突っ張り!
相撲取りにとっては標準装備。基本中の基本と言って差し支えない技だが、それを往年の名大関が使うならば、その強さは計り知れない。
火縄の軽い体が軽々と吹っ飛び、野猿の横にどさりと耐えれた。
(今だ!)
状況はわからない。だが、今はつくねに降って沸いた千載一遇のチャンスだ。
二人を解放すべく、野猿の下に向かおうとする。
「あら、ダメですよ」
しかし、それを押し止めたのは、かなただった。つくねの進行を防ぎ、怪我をさせないようにしたのか、コロンと転がすように地面に倒す。
「な、なにするんだ!」
つくねは素早く起き上がる。だが、時すでに遅し。野猿は立ち上がり、羽織を開いて親方の頭を鷲掴みにしていた。
「ウウウーム……。ムグググ……。ユ、ユルサナイ、コイ。コイツラ、コロス、コイ!」
先ほどの上手投げの影響だろうか。親方とちはやは頭から血を流し、苦悶の表情をしている。
その頭を潰さんとばかりに、野猿は頭を掴む手の力を、徐々に込めていく。
「や、やめろぉ!」
つくねが思わず叫び、またもや駆けだそうとする。だが、やはりかなたによって阻まれた。
「やめろ! なんで邪魔をするんだ! キミは、一体何なんだ!」
「別に、いいじゃありませんか」
鈴のような声が、控室に響いた。
「あなたは、前回も彼らを守れなかった。守れないなら、守る必要はないんです」
野猿のアイアンクローで、親方の唇が震える姿が。倒れていた火縄が立ち上がり、拳銃をちはやに突き付ける姿が。
まるで、スローモーションのように、つくねの視界に入りこむ。
「あなたは、何もかも得ようとしすぎた。友人を、師を、そして相撲を。でも、相撲の神様は残酷ですよ。人生の全てを相撲に賭けなければ、微笑んではくれません。その結果がこれです。彼らは、あなたにとってただの弱みです。その程度で相撲を極めようとは、笑止です。
彼らもまた、あなたと出会って人生を狂わせました。相撲は、人を狂わせます。ならば、お互いの為にここで切り捨てなさい。
そして、私のように」
かなたは、若島津関の姿のまま、暗い愉悦に満ちた、淫靡な笑みを浮かべた。
「相撲に、全てを捧げなさい」
つくねは、何も言い返せなかった。
目の前で、親方が握りつぶされようとしている。ちはやが、撃たれようとしている。
あたしのせいで。
あたしと、出会ったせいで。
(あたしが、弱いせいで)
「ああああ!」
つくねは、走り出した。かなたの手を振り切り、オスモウドライバーもつけぬまま、ただ走った。
あたしのせいがなんだ。あたしが弱いがどうした。
だったら、あたしが二人を助けないといけないんだ!
「その手を、はなせえええええ!」
火縄の拳銃が、つくねにゆっくりと向いた。
かなたは、失望したような目をつくねに向け、一つため息をついた。
その時だった。
「よく走った。お嬢ちゃん」
低くたくましい、声が聞こえた。
親方と、ちはやの姿が消えた。野猿の驚く顔が見える。
遅れて、拳銃が撃たれる音。つくねの眼前に迫ってくるそれは、つくねに当たることはなかった。
つくねの目の前には、巨大なる尻があった。
「間に合ってよかったぜ」
“スパンキング”翔が、そこにいた。
* *
【11/11 21:06 公園】
(C3ステーションの控室は、確かここから2キロ先くらいだったか)
翔は、VRから解放されると同時に、雨の中を走りだしていた。
対戦相手の、突然のログアウト。何か、異常事態であることは間違いなかった。
杞憂ならばそれでいい。だが、もしも危機が迫っていたとしたら。
確信はなかった。しかし、何もしない自分を、翔は許せなかった。
ただそれだけの為に、翔は走った。
* *
【11/11 21:17 控室】
「さて、状況は全然わかんねえけど、だれが悪者かってのは、はっきりしてるみてえだな」
翔は、両手に抱えた親方とちはやを優しく下ろす。床は寝づらいだろうが、今は我慢してもらうしかない。
「俺の貴重なスパンキング相手をこんな目に合わせてくれて、覚悟はできてんだろうな」
「ヒ、ヒィヒィヒィ! だが、オスモウドライバーは、すでに私の手の中にあるんドスよ!」
「はぁ? おすもうどらいばーって、何言ってんだお前。わけわかんねーんだけど」
「どうして」
つくねは、翔に語り掛けた。
「どうして、来てくれたんですか」
翔は、不思議そうな顔をした後に、「んー」と息を吐き、ニッと笑った。
「俺の尻の届く範囲だったから」
そして翔は、ずびしとかなたを指さした。
「あんた、少し話は聞こえてたけど、相撲の為に友達捨てるとか、そんなの良いワケがねえだろ。周りの人を守れないで、何が強さだ。全部守ってこその、強さだろうが」
つくねの心中の曇りが、晴れたような気がした。
(そうだ。捨てるんじゃないんだ)
気が付けば、オスモウドライバーはつくねの腰に戻っていた。
呼んだわけではない。オスモウドライバーが、つくねを求めたのだ。
(全部、私が守るんだ)
相撲はもともと、日本を守護する結界であったと言われる。
横綱とは、綱を張って結界を張る者なのだ。
翔の、尻に映るものすべてを守りたいという、強い心。
それを眼前にしたつくねは、横綱にとって最も大切な心を手に入れた。
すなわち、守る心。
「この土俵は、私の土俵だ」
つくねのドライバーが光り輝き、つくねへと吸い寄せられていく。
そして腰に装着されたベルトのエンブレム下から新たなる白布が生じ……「んッ……」つくねの股下をくぐる。
そして、中心のエンブレムから、空中に顕現する四角い板。
それは、オスモウドライバーに隠された、古のチップ。
すなわち、エンシェント・リキシチップ。
誰かを守りたいという強い心に反応したそれは、導かれるようにつくねの掌に収まった。
四股を踏み、両手を天に向けるその姿。
まさしく、塵手水であった。
「私の綱は、誰にも斬れはしない!」
つくねは、まるで試合前に我に気合を入れんとする力士が腹を叩くが如く、勢いよくエンシェント・リキシチップをオスモウドライバーに差し込んだ。
つくねの腰に回った白布から、新たにスカートの如き布が現れた。豪華な刺繍と、馬簾が付いた、大きな前垂れ……化粧回し。
そこには確かに、こう書かれていた。
――『雷電』と!
「――変身!」
トトン!トトトントトン!トトン!トントン!トトン!トントトン!
NHK相撲中継のオープニングでお馴染みの寄せ太鼓の音が、どこからともなく響いてくる。
それと共に、空に雷鳴がとどろき、室内だというのに稲光が如き熱く眩い光に満ちた。
白く輝く粒子がつくねを取り囲み、彼女の肉体と結合していった。
《MODE:KOKON-JUKKETSU》《RAIDEN》
《らいぃぃ~~でぇんん~~~》
「お前の星を数えろ」
白き閃光が止んだ時、そこには、伝説が顕現していた。
崩壊した校舎の中に、平成の大横綱が降臨していた。
197センチ169キロの圧倒的巨躯。生涯戦歴は、254勝にも及ぶ、相撲界祭壇のレジェンド。
雷電爲右エ門が、そこにはいた。
「ひ、ひぃぃぃ! らいで~~ん!」
火縄が、情けない声を上げながら、拳銃を連射する。野猿は、もはやガタガタと震えて身動きも取れない。
銃弾の雨の中、雷電は静かに立ち尽くしていた。
《PUT YOUR HANDS》
オスモウドライバーから投射された光が土俵を形作る。雷電が土俵に入り手を付いた。
「ヒイイ! やめてぇ~!」
土俵の中には、火縄と野猿。1対2など、もはや相撲ではない。
だが、雷電にとっては、もはやそんなこと関係なかった。
《READY》
《HAKKI-YOI》
雷電が、突っ張った。
ただそれだけで、世界は輝きに満ちた。
* *
【11/11 21:34 控室跡地】
「お、目が覚めたか」
翔の陽気な声で、目が覚めた。目をやると、雨の中ふんどし一丁で尻ストレッチをしている翔のにこやかな笑顔が目に入った。
そこは慣れ親しんだ控室ではなかった。
控室だった場所は、ぼろぼろに崩れた廃墟となっていた。何より、つくねが突っ張ったであろう方向には、向こう三軒程の家屋に穴が開いたかのような痕があった。
「すっげえなあ。伝説の大横綱。こりゃ、俺のケツでも受け止められるかわかんねえや」
「あの、二人は……」
「ああ、無事だぜ。そこで寝てるよ」
崩れた建物から引きずり出したのだろう、瓦礫の上に不自然に置かれたベッドの上には、親方とちはやが眠っていた。その体には、翔が着ていたTシャツとジーパンがかけられている。なるほど、だからふんどし一丁だったのか。
「傷はあったけど、俺の尻で塞いどいたから、二、三日もすれば元気になるだろ」
「ありがとう、ございま……っ!」
体を起こそうとすると、体に激痛が走り、また倒れ伏してしまう。
「無理すんな。あんだけ派手に力を使ったんだ。反動もすげえだろ」
「あ、ごめんなさい。試合、こんなになっちゃって……」
「ハッハッハ! 気にすんなよ、そんなこと。生きてりゃあ、またスパンキングすることもあらあな」
翔は、ふんどし一丁でつくねに近づき、「よく頑張ったな」と頭をポンポンと撫でた。つくねは、なんだかくすぐったいような気持ちになる。
お父さんがいたら、きっとこんな感じだったのかもしれない。
「じゃ、俺はそろそろ行くわ。C3ステーションには連絡しといたから、もうすぐ治療班が来ると思うぜ」
「あ、あの!」
つくねは、去ろうとする翔の尻を呼び止めた。
「あたしも、守ります」
翔が、尻を細めた。つくねは、痛みに耐えながらも体を起こし、真っ直ぐに尻を見つめる。
「全ての土俵際なんて、贅沢なことは言いません。でも、せめてこの四股の届く範囲の人、みんなを守りたい!」
翔の心に、試合前のことが思い浮かぶ。
(なにが、スパンキングは滅んでいく、だ)
スパンキングの精神は、継承されていく。
翔自身の、行動を通して。
(俺が、俺である事。それが、スパンキングか)
翔は、にこやかな笑顔で、サムズアップをした。
「ああ、それいいな! すっげー、いいと思うぜ!」
何故だか、翔の尻に光るものがあった。
それがなぜ出たのかは、誰にも分らない。
「次合うときは、良い一番を」
つくねが叫んだ。
「ああ、良いスパンキングを!」
翔は、背後から聞こえる声に、力強く尻を振った。
* *
【11/11 21:40 市街】
「認めない……。あんな、相撲に全てを賭けない横綱なんて……」
オスモウ変身を解いたかなたは、雨の雑踏の中を、傘もささずに歩いていた。
心中は、反省でいっぱいだ。
「……私、変なこと言ってなかったかな」
いや、言っている。間違いなく言っている。かなたは、あまりの恥ずかしさにその場でへたり込んだ。
(オスモウドライバーを持つ女の子同士、仲良くなりたかっただけなのに、どうしてこんなことに……!)
御武かなた、18歳。
相撲を語れる友達が欲しいのに、生来の内気の所為で、ついつい攻撃的な物言いになってしまう、こじらせ女子。
「次はちゃんと相撲のお話、できるかなあ……。野々美つくね……」
いわゆる、スー女である。
* *
【11/12 00:30 C3ステーション社長室】
プルルルル。プルルルル。
社長室の電話は鳴りやまない。
プルルルル。プルルルル。
“スパンキング”翔対野々美つくね戦の苦情は、いつまでたってもやむことはない。
プルルルル。プルルルル。
「……スパンキングなんか」
鷹岡修一郎は、あらん限りの声を絞り出し、叫んだ。
「スパンキングなんか、大嫌いだぁーッ!」
鷹岡は、来ていたスーツのジャケットを、社長室の床にたたきつけた。
まだまだ、この男の夜は長い。