第3ラウンドSS・異世界その2

【前回までの取組】

(ナレーション)
DSSバトル第二回戦、ミルカ・シュガーポットと篠原蓬莱のコンビを辛くも打ち破った野々美つくね。
しかし試合終了後、重傷を負ったはずの親方弦一郎が病室から謎の失踪を遂げる。
心を痛めるつくねに追い打ちをかけるかのように、突如黒のオスモウドライバーを自称する謎の少女、御武かなたが姿を現す。
有無を言わさずメタモルリキシし襲い掛かるかなたに止むなく応戦するつくねだが、その力は極めて強大であった。
心身ともに打ちのめされたつくねに、DSSバトル第三試合対戦相手決定の報が舞い込む。
携帯端末に記されたその名は……尻手“スパンキング”翔!



「はじめまして、野々美つくねさん……いえ、オスモウドライバー」
「黒い……オスモウドライバー……!?」
「――変身」

「横綱の力を引き出せていない。力士の気持ちを考えた事がある?あなたのはただのごっこ遊びだわ。それでは私にも……国暗協にも勝てはしない」
「っそんなこと、あたしだってわかってる!わかってるけど……負けない!横綱は、負けちゃいけないんだ!」

「オスモウドライバーと完全なシンクロを果たしていない今のあなたにこれ以上戦う価値はないわ。今後の身の振り方……よく考えておくことね」

「こんな時、親方さんならどう言うのかな。……ううん」
「オスモウドライバー。あたし、あなたのことがもっと知りたい」









 尻手翔、17歳。夏。

 彼は悩んでいた。それはおよそほとんどすべての人間が経験する、将来についての悩みであった。
 ごくごくありふれた、進学か就職かの悩み。だが彼にとってはこの上なく尻ass(シリアス)なものだ。このまま大学へ進んでスパンキングへの見識を深めるか、はたまたプロを志し、スパンカーとして名を広めるか。
 大学での学びは、はたして貴重な尻生の四年間を費やす価値に見合うだろうか。一方卒業後すぐにプロスパンカーとなった場合のことを考えると、ぶっちゃけプロという肩書きは自称だし、収入とかは特にない。

 悩みに悩んだ末に、彼は夏休みを利用して旅に出た。家族の居ない彼にとっては初めての長旅である。それもあえて目的地を定めぬ、あてどもない旅であった。
 自分とは何か。スパンキングとは何か。旅を通じて翔は、もう一度己を構成する基礎を確かめたかった。市井の垢に塗れ、嘘偽りのない自分自身を見出し、以てスパンキングの糧とする計画であった……。











「どうしたんですか親方さん!その頭の包帯は!」

 第二試合の翌朝、つくねが病室を訪ねたとき、すでに親方弦一郎はひとり姿を消していた。そしてその五日後の日没前、つくねの前に再び現れた親方は、篠原蓬莱の襲撃で負った怪我に加えてさらに深い傷を負った姿を見せたのだった。

「いや、いいんだ。何も聞かないでくれ。ちょっとした野暮用があっただけさ」

 親方は力なく微笑んだ。そして白布の小さな包みを懐から取り出した。

「……君に渡すものがある。受け取ってくれ」

 その笑顔の裏側に隠されていると思しき危険な冒険行為について、彼は黙して語ろうとしない。つくねを心配させまいとする心遣いが、かえって彼女に沈痛な思いを与えていることに、彼は気づいていないのかもしれない。

「……そんな!どうして何も言ってくれないんですか!それにその腕のギプスは!」
「いや、いいんだ。とにかくこれを受け取ってほしい」

 つくねは悲愴な声で繰り返し問いかけた。それでも彼はその冒険についてあえて語ろうとはしない。すべてつくねを心配させまいがためだ。だが、つくねは繰り返した。

「それに、その下腹部に浮かびあがったハート型の紋様の痣は!」
「……聞かないでくれ。本当。とにかくこれを」

 親方は黙して語らない。つくねのためなのだ。信じてほしい。

 もういくらかの押し問答の末、ようやくつくねは彼から差し出された包みを受け取った。ハンカチーフの内側、さらに朽ちかけた羊皮紙で覆われていたそれを、つくねは手に取ってまじまじと見つめた。小さな石板のかけら。その上に刻まれた細かな文様は、まるで基板の上に描かれた電子回路を思わせる。

「……これは……リキシチップ? でも、なんだか……」
「ああ。正真正銘、これもリキシチップだ。だが」

 親方は低い声で告げる。

「君だけの、特別なものだ」

 つくねは床に目を落とし、しばしじっと立ったあと、言葉を絞り出した。

「……親方さんは、どうしてそこまであたしのために色々してくれるんですか」

 その問いに、親方は何かの言葉を呑み込み、ただ気まずそうに振り返って窓の外を見た。ティアドロップのサングラスを外し、夕焼けをその目に映しながら彼は言った。

「……今はまだ言えない。すまない。だがその時が来れば必ず――」

 沈みかけた夕日が、たたずむ二人の姿と、あとついでに下腹部のハート型の紋様を赤く照らしていた。










 なだらかな丘陵地帯は一面に緑が生い茂り、爽やかな風が吹き渡る度に波のようにさざめいていた。
 所々には民家と思しき木製の家が建ち、そのどれもが現実世界ではあまり見られないメルヘンチックな造形である。
 同じく散発的に生えた木々もまた、やたらと曲がりくねっていたり見覚えのない果実がぶら下がっていたりと、ここが隔絶した世界であることを主張していた。

「異世界ってどんな所かと思ってたけど、こりゃ悪くないな。いやむしろ良い!」

 戦闘領域の中心に立つのは、ふんどし一丁の巨漢である。その肉体は、前垂れに書かれた『尻意(ケツイ)』の力強い字体に負けず劣らず逞しい。水彩とクレヨンで描かれたようなのどかな童話の世界に筋骨隆々たる彼が存在している様は、もはや前衛芸術めいた悪夢のコラージュである。
 彼は戦場をぐるりと見渡し、尻の底から深呼吸をした。VR空間上とはいえ、それだけで体の内側が浄化されていくような心地である。

「こりゃあ気持ちの良いバトルができそうだ……なあ、あんたもそう思わないか?」 

 前方、10メートルほどの位置に立つ少女に言葉を投げる。
 少女……野々美つくねは、オスモウドライバーを手にしたまま立っていた。否、立ちすくんでいた、と表現した方が正確であるかもしれない。
 つくねは何故か警戒するようにスカートの裾を押さえ、やたらともじもじした様子で翔を見ていた。

「どうした?腹でも痛いのか?」
「い、いえ、別に。お気遣いなく」

 対戦相手であっても、困っていそうな人間に対しては心配をしてしまうのが尻手翔という男である。紛れもない好漢であるが、今この状況のつくねに限っては、その心づかいが逆方向に作用していた。

 試合の前日。突然現れた黒のオスモウドライバー、御武かなた。横綱ならぬ力士の力を操る彼女の前に、つくねは完敗を喫した。
 オスモウドライバーの力を引き出せていないことは、現役横綱にガイにされた時にも痛感した事実であるが、改めてその弱点を突きつけられた形となり、つくねは悩んだ。
 稽古と経験を積めばいずれは使いこなせるようになると、曖昧な希望的観測を抱いていたのではないか。それでは駄目だ。今の自分にできることを探さなければ――と、一晩悩んだ結果。

 ……つくねはひとつの結論にたどり着いた。しかしそれは、彼女にとって……

「……なあ、変身しなくていいのか?」
「へあっ!しっ、しますよ!今からちゃんとします!ちょっと心の準備が整うのを待ってただけで……!」

 つくねは唇を噛んだ。そして苦々しげに目線を落とす。

「(ううん、だめ。あたしにはまだ、オスモウドライバーの真の力を使いこなすことはできない)」

 ためらいがちに、制服のスカートの上から己の腰にオスモウドライバーを巻き付けた。

 「……変身ッ!」

 ベルトのエンブレム下から生じた白布が股下を潜り……「んんんっ」一つのまわしとなった!

 トトン!トトトントトン!トトン!トントン!トトン!トントトン!
 NHK相撲中継のオープニングでお馴染みの寄せ太鼓の音が、どこからともなく響いてくる。

《MODE:UNRYU》《TAKANOHANA》
《たかのぉお~~~はぁなああぁ~~~》

「土俵燃やすぜ!」
「へっ、なるほど……こいつが横綱ってヤツかよ。だがな」

 翔の研ぎ澄まされた尻感覚は、その圧倒的な存在感に僅かな陰りがあることを見抜いていた。

「(なにか心に迷いがあるな。そんな不完全な尻構えで勝てると思ってるなら、俺の尻も舐められたもんだぜ)」




《PUT YOUR HANDS》

 ホログラム行司の合図と共に、つくねが仕切りを構える。翔もまた、見よう見まねで握りこぶしを地面に置いた。
 横綱相手に、真っ向から勝負を挑むというのか――尻手翔の性格や気質は、つくねもこれまでの戦いぶりを見て理解したつもりである。普段のつくねであればこのような状況にも心揺らぐことなく、冷静に構えていたことだろう。
 だが、相撲とは心技体が揃っていなければ真価を発揮することはできない。迷いを抱えたままのつくねは、正面から睨み据える翔の眼光に、ほんの僅かな気後れを感じていた。

《READY》
《HAKKI-YOI》

 戦いが始まった。踏み込んだ横綱の目に飛び込んできたのは、今の今までそこに在ったはずの翔の顔面ではなく――尻であった。
 いかに高速のぶちかましであろうと、予測が立てば対処は可能。“スパンキング”翔ほどの手練れとなれば尚更である。彼の思惑通り、横綱の額がその臀部へと吸い込まれる。しかし、それが最後まで接触することはなかった。

 つくねもまた、その動きを予測していたのだ。打撃系の技に対しては、まず間違いなく『ラスト・スパンKING(最後のケツ叩き王)』 発動を狙ってくるはずだ。
 加えて彼のまっすぐな性格は、相手の技を正面から受け止めることにこそ戦いの喜びを見出している。ドまっすぐな性癖の、尻による受けの悦び。特に他意はない。
 故につくねは、もう一つの武器を取った。すなわち、まわし……この場合はふんどしを取っての寄りである。

「うおおおおおおおお!!??」

 待ち望んでいた尻への打撃の代わりに、翔は圧倒的に不利な後ろ向きの姿勢でふんどしを握られ、空中に吊り出された。

 ……大半の格闘技がそうであるのと同じく、相撲においても後ろを取られることは死を意味するに等しい。後ろ向きでは相手の動きを視認することができず、適切な対応を取ることが困難であるからだ。加えて互いの体が密着した体勢では、スパンキング行為など望むべくもない。

「いっ……けええええええ!」

 横綱は重戦車のごとく寄り出しの歩みを加速した。牧歌的なファンタジー風景の中、フェアリーの住処のそばを、エルフの集落の真ん中を、ふんどしとまわしを締めただけの半裸の巨魁がふたり、くんずほずれつ猛スピードで横切っていく。

「ギャアアーー!!」

 たまたま二者の進行方向にいた哀れなワイバーンが寄りに巻き込まれ無残に轢殺!
 後日このあまりにものすごい光景の目撃談から冒険者ギルドによる決死のモンスター討伐隊が結成されることになるが、今はそれを語るべき時ではない。

 翔に許された抵抗は、雄叫びを上げながら二本線の軌跡を草原に刻みつけることだけであった。










「やったっ!親方さん、これ勝てますよね!?」
「うむ、これほど完全な形となれば、あの“スパンキング”翔といえども逆転はできまい……見事だ、つくねくん!」

 控室では、親方弦一郎と当真ちはやが今にも飛び上がらんばかりに歓喜していた。
 DSSバトル開幕当初から強敵と目されていた“スパンキング”翔への入念な対策が実を結んだ一瞬である。
 だがその一方で、親方の胸と下腹部には一抹の不安がわだかまっていた。
 誰が見ても勝負ありの戦型。スパンキングも封じられた今、尻手翔になす術などあろうはずもない。だというのに、この胸と下腹部に宿るしこりのような違和感は……?

「……む?なんだ、気のせいだろうか……いや」
「親方さん、どうしたんですか?そんなに難しい顔を……あ」

 まず親方がその異変に気付いた。やや遅れてちはやも。
 つくねの前進する速度が、少し……だが確実に落ちている。

「もう何百メートルも押してるし、疲れてきたんでしょうか?」
「いや、横綱たるものそんなヤワな足腰はしていない。しかし、そうなるとこれは一体……」

 つくねもスピードが落ちている自覚があるのか、寄りを基本のすり足からより威力の高いがぶり寄りに切り替えていた。突き出た腹に相手の腰を乗せ、体重を浮かせてより押しやすくする技法である。その様は一見すると、まるで……

「――ああっ!!そうか、そういうことだったのか!」
「親方さん!?なにかわかったんですか!?」
「ああ、我々はとんでもない思い違いをしていた。このままでは……野々美くんは敗北してしまう!」
「な……!」











 無敵の横綱の寄り出しは、いまや誰の目にも明らかなほど減速していた。

「ハァ……ハァ……」

 戦闘開始の地点から800メートルほど移動しただろうか。横綱はなお戦闘領域外に向かって一歩一歩足を進めていく。

「(足が……重い……)」

 やがて二人の目前に、戦闘領域境界を示す石垣が現れた。あの外にまで押し出せば、野々美つくねの勝利は確定する。だがすぐそこに見える壁までの道のりが、これまで歩いてきた距離の何倍もあるように感じられた。

「(重くなって……違う! 地面をふんばる翔さんの抵抗が、どんどん強くなっているんだ!)」

 そう、思い出していただきたい。“スパンキング”翔の尻は今、横綱の腹に乗せられているのだ。そしてその腹肉は、横綱が歩みを進めるごとにぶるんぶるんと振動している。マッサージチェアの如く心地よい振動の衝撃は、当然その上の翔の尻にまで伝わり――

「……! あなたは最初からこれを狙って……!」
「『ラスト・スパンKING』は既に発動していた。ほんの少しずつだけどな」

 尻手翔の『ラスト・スパンKING』は尻へのスパンキング行為を己のパワーとして吸収する。ふんどしを繰り返し吊り上げる動き、そしてがぶりによって尻に打ち付けられた腹の衝撃が微細スパンキング振動となり、横綱の剛力を翔の尻力へと変えてしまっていたのだ!

 普段であれば、もっと早くに翔の策略を見抜き、寄り方を変えていたかもしれない。心の有様が如実に反映される――それが相撲の恐ろしさであった。
 つくねは歯を食いしばった。あと少し、もう少しで勝利に手が届く。勝ちへの焦り、それもまた心を揺らがせる一因であることを、つくねは完全に失念していた。

「これで……終わりだぁっ!」
「やってみな! 我慢比べと行こうぜ!」
 力を振り絞り、石壁へと最後の突撃を仕掛ける。常人の数倍にも膨れ上がった両腕の筋肉と脂肪は、鬼の如きふんばりに打ち勝ち、“スパンキング”翔の腹を石壁に叩きつける。

《YORIKIR――》

 空中に投影されたホログラム行司が高らかに決まり手を告げる。横綱の剛力が、翔の体をそのまま崩れた壁ごと土俵の外へと押し出した――はずだった。

 つくねは我が目を疑った。
 そこにいたのは、土俵際に根を下ろすが如くしっかりと両足で地を掴み、横綱たる己と堂々のがっぷり四つを組んだ……“スパンキング”翔!

「――順(ケツ)自在の術」

 いかなる魔法を使ったのか……翔のふんどしを背中側からしっかりと握りしめていたはずの横綱の両手が、逆にそっくりそのままふんどしを彼の正面から握っている!

 スパンキング道の基礎中の基礎、ハーフターン。相手の攻撃をギリギリまで見極め、尻で受け止めるために、彼らは徹底した練習を積む。
 尻手翔が見せたそれは、疲弊した横綱の握力をため込んだ微細スパンキング力の爆発で振り切り、その懐中で反転するという、ホログラム行司SHONOSUKEの審判眼すらも欺く『術』の域にまで高められた業であった。
 更にそれは取りも直さず、翔の腹でぶち破ったと思っていた石壁が、それとは逆――彼の尻によって打ち砕かれていたことを――すなわち、強力な『ラスト・スパンKING』が発動したことを意味していた。

「いまいち気合の入ってねえスパンキングだったが、十分だ……今度は俺の番だな!」

 翔の尻力が爆発する。そして逆走が始まった。今度は正面から互いに四つに組んだまま、つくねは今まで歩いて来た道を押し返され続けた。道中先程のエルフの集落を横切るときに住民の皆さん総出で矢を射かけられたが、それはまた別の話だ。

 戦場の中心地点、戦闘開始位置を過ぎても翔の勢いは止まらない。貴乃花の巨体を、荷車でも運ぶかのように押し続ける圧倒的なパワー。十分なスパンキングではなかったにも関らず、これほどの馬力を発揮するとは。

「(すごい……やっぱりこの人、すごい!)」
「へへ……押されてるってのに随分嬉しそうな顔するんだな!」
「ギャアアーー!!」

 たまたま二者の進行方向にいた哀れなワイバーンが寄りに巻き込まれ無残に轢殺!
 そして、反対側の戦闘領域境界の手前で、ついに翔が足を止めた。スパンキングパワーを使い果たしたのである。

「……ここまでだな。さあ、仕切り直しだ」




 しかしその時、異変が起こった。横綱の腰に巻かれたまわし、すなわちオスモウドライバーが、かたかたとまるで誤作動を起こしているかのように震え始めたのだ。やがて翔と四つに組む横綱の肉体もまたそれに呼応して細かく波打った。

「……きゃあっ!?」
「うおっ!?」

 そして、オスモウドライバーの心臓部ともいえるリキシチップが、突如としてドライバー本体からはじき出された。それと同時にオスモウ粒子で構成されたリキシ体もまた泡がはじけるように雲散霧消する。中から現れたつくねは、その隙に翔の握る手からベルトを奪い取ると、一度距離を取るように離れた。何かがおかしい。

《MONOII――MONOII――MONOII――》

 草むらの上に転がったチップから不吉なエラー音声が流れ始める。投影されたホログラム行司SHONOSUKE……だがその手の内にあるのは、先程まで持っていた軍配ではなく、抜き身の短刀だ。

《MONOII 承認――YORIKIRI ノ 誤判定ヲ確定》
《プロトコル:HARAKIRI ロック ガ 解除サレマシタ》
《プロトコル:HARAKIRI 発動シマス》

「……まさか!」

 プロトコル:HARAKIRI……その意味するところを察して、つくねの顔は青ざめた。
 切腹!なんと厳しくも凄まじき角界の掟であろうか。相撲の法の体現者たるホログラム行司SHONOSUKEにとって、軍配差し違えの責任を取るとは己の命そのものを差し出すことに他ならない。無慈悲な機械音声が時の訪れを刻み始める。

《3》

「ま……待って、SHONOSUKE!」

《2》

「あたしまだ、あなたとちゃんと話せてないの」

《1》

「SHONOSUKE、お願い!待っ――」

《EXECUTE》

 つくねの懇願もむなしく、カウントダウン終了と同時にホログラム行司は短刀を自らの腹部に突き刺した。電撃と火花が刃から散り開く。行司の像を構成しているポリゴンが光の粒へと還元されていく。

「そんな……SHONOSUKE……嫌……」

 つくねの脳裏に、SHONOSUKEと共に過ごした短くも充実した日々が走馬灯のように蘇る――


     (ほら行こう、SHONOSUKE!)(《PUT YOUR HANDS》)

   (うん、一緒にがんばろう)(《READY》)

    (きゃっ!?もう、いたずらっ子なんだから!)(《NO GAME》)

  (……ねえ、SHONOSUKEは、好きな子っているの……?)(《CHIYONOFUJI》)

     (ふふ、SHONOSUKE……)

            (SHONOSUKE……)


「……SHONOSUKEーーーーーーーーーー!!」

 少女の慟哭が、どこまでも青く澄む異世界の空を哀しく震わせた。そして少女の涙と呼応するかのように、空は急速に暗く曇り始めていった。



「……悪いことをしちまった。大切なものだったんだな。いや、俺が悪い?のか?そこよくわかんねえけど……すまねえ」

 目に涙をためながら呆然と座り込むつくねに、翔はただ声をかけることしかできなかった。その言葉を聞いているのかいないのか、やがてつくねはぽつりとつぶやいた。

「……攻撃しないんですか」
「ん? おいおい、いきなり何を」
「今、あたしは無防備です。ちょっとぶっとばしたら翔さんの勝ちです。それでいいじゃないですか」

 つくねは胸の底にわだかまった思いを吐き出すかのように続ける。

「……さっきのこともそう。あのパワーで土俵外にうっちゃればそれで勝ちだったのに、わざわざ来た道を押し戻して。あたし、翔さんが何をしたいのか、本当にあたしと勝負して勝ちたいのか、ぜんぜんわかりません」

 翔は虚を突かれたように目をまたたかせた。そして自分の中でじっくりと思考を咀嚼するように考えたのち、言葉を絞り出した。それはつくねにとって予想だにしない答えだった。

「お前が、なんだか辛そうにしているように見えたからかな」
「……へ?」

 つくねは思わず目を丸くした。翔は困ったようにぼりぼりと頭を掻きながら続ける。

「いや、たしかに全力で勝たないといけねえんだ。約束がある。とある姉ちゃんのために、俺は絶対勝つと決めた」

 そのことはつくねも彼の試合の録画を見て知っている。尻手翔は、行きずりの他人のために、己の願いを使うと誓ったのだ。

「でもだからといって。目の前に困っているやつがいたら話を聞かないわけにはいかないだろ。俺の尻で助けられる範囲なら、さ。お前は悩んでいて、力をぜんぜん発揮できていない。だからどうしても助けたくなっちまうんだ」

 つくねはそれを聞いて思わず吹き出してしまった。涙を拭きながら咎めるように言った。

「優しいのはそりゃあいいことですけど。女の子にとってはサイテーですよ、それ」
「かもな」

 両者は顔を見合わせて笑った。

「だがな。それが俺の性分なんだ。これが俺、“スパンキング”翔だ。誰にも止められない」

 尻手翔の胸中に浮かんだ思い出は、あの17歳の夏。彼が生まれて初めて、己のスパンキングで人々を救ったときのこと。

「俺は、ケツだ。ラスト・スパンKING(最後のケツ叩き王)。それが俺だ」






「でしたらあたしも……全力でいかせてもらいます。もう、出し惜しみはしません」

 迷いが消えたな。つくねの瞳を見て、翔は直感した。嵐を予感させる一陣の風が吹く。その時、翔はつくねの立ち姿に、あってはならないものを見たのだった。

 否。より正確に言えば、なくてはならないものが見えなかったのだ。

 つくねの脳裏にあの苦い記憶がフラッシュバックする。黒のオスモウドライバー、御武かなたに完敗を喫したあの日のことだ。つくねがオスモウドライバーの力を引き出せていないことを彼女は冷酷に告げた。

 かなたは言った。『力士の気持ちを考えた事がある?』『オスモウドライバーと完全なシンクロを果たしていない』……そこでようやく気付いたのだ。
 己が今まで、下着の上からまわしを付けていたことを!

 本来、まわしは素肌に直接着用するものである。オスモウドライバーもまたそのような用法を想定して作られたものであるはず。であれば、下着越しではシンクロ率が下がってしまうのは当然の理屈であろう。

 導かれる解決策はひとつ。野々美つくねは今、ノーパンだった。

 きっと御武かなたもノーパンでメタモルリキシしていたに違いない。このような簡単なことに気付かなかった己を、つくねは大いに恥じた。
 また何故親方がこの単純な事実を指摘しなかったのかと不思議に思ったが、うら若き乙女に対する大人の気配りを理解するには、つくねは少々若過ぎた。

 ともかく、彼女は(ケツ)断した。第三回戦に、ノーパンで臨むことを……!
 だが、それはつくねが予想もしなかった展開を生むこととなる。


 そう……ノーパンで試合に出ると、恥ずかしい!

 解決策を見つけて舞い上がっていたつくねからは、羞恥心という感情がすっぽり抜け落ちていた。いかに世界チャンピオンといえど、つくねも年頃の女の子である。全世界生配信で己の秘部を晒すようなことになれば、もう二度と表を出歩けまい。

 ジャージにしようかとも考えたが、結局脱がねば同じことだ。ノーパンのままオスモウドライバーを装着するためには、スカートが最適解であることは動かし難い事実であった。そして先程のように着衣の上から装着するやり方ではやはり100%のシンクロは望めまい。
 今や天は渦を巻く暗雲に覆われている。先程までの青空が童話絵本の中だとするならば、この曇天はおどろおどろしい魔術的奇書の世界といったところか。

 向かい合う両者。そこに言葉はいらなかった。ノーパンとふんどし一丁。すなわち光と影。互いに相反しながらも対を為す両雄は、まさに天地和合の相剋が奏でる圧倒的な陰陽太極図の宇宙的絵巻さながらである。

 すう、とひとつ深呼吸をすると、つくねは意を(ケツ)して変身プロセスを開始した。

 もぞもぞと、オスモウドライバーをスカートの下から腰部に巻き付けていく。スカートを巻き込まぬよう、されど大事な部分は見えぬよう、慎重に。
 頬を赤らめながら行うその動作はやたら背徳的かつ煽情的であり、この試合を流していたお茶の間の9割が気まずい空気となったが、試合とは無関係のため詳細な描写は割愛する。

 翔もまた、なんだか見てはいけないものを見ているような気分になり、それとなく目線を逸らした。彼の倫理観は一般常識からかなり逸脱した所にあるが、それでもなんとなく恥をかかせてはいけないような気がしたのだ。

 そしてそのベルトの中心に固定されたそれは――親方に手渡された古代の神秘的アーティファクト。エンシェント・リキシチップである。

「へ、変……身ッ!」

 ベルトのエンブレム下から生じた白布が股下を潜り……「ひゃあんッ!」一つのまわしとなった!

 トトン!トトトントトン!トトン!トントン!トトン!トントトン!
 NHK相撲中継のオープニングでお馴染みの寄せ太鼓の音が、どこからともなく響いてくる。

《MODE:UNKNOWN》《TAKEMIKADUCHI》
《――――――》

「……こりゃあ……」

 翔の頬を、知らず一筋の汗が伝って落ちた。
 過去に対敵したどの相手とも違う、圧倒的な存在感。
 角髪(みずら)という髪型であった。翔は聖徳太子の、あの独特の髪型を思い浮かべた。あれにそっくりだ。
 つくねの……武御雷(タケミカヅチ)の肉体は眩い光に覆われている。まわし姿ではない、華美な古代礼装を身に纏った神。

 それは言わば偶然の産物であった。
 エンシェント・リキシチップ。素肌へ装着されたことによる、オスモウドライバーのシンクロ率上昇。
 そして異世界という、この世ならぬ世界だからこその幻想適性。全ての要素が揃った時、古代日本の一柱が翔の前に顕現したのである。

 翔はかつて対峙した性欲三魔人のことを思い出した。純粋な強さにおいては、この大会の猛者たちには敵わぬかもしれない。いわんや神になど到底及ばぬ。
 だが未だかつて、彼ら以上に翔を戦慄せしめた敵は存在しない。それを思えば、この荒波の如きオーラの中でも平静で居られた。
 どのような相手であれ、翔の基本戦術は変わらない。

「サッコーーイ!!」

 気合一発、彼は己の尻を叩いて武御雷の目前へと突き出した。
 神であろうが悪魔であろうが、その攻撃の全てを尻で受け止める。それこそがスパンカーとしての矜持であり、尻手翔の存在理由(レゾンデートル)であった。

 翔の視界が白く染まる。その白が雷による閃光であると気付いたのは、顔面へ雷光の速度の張り手を喰らった後のことであった。一瞬。すでに武御雷は翔の尻側から正面へと回り込んでいる。

「(不思議)」

 文字通り神の速度で移動しながらも、つくねの思考はゆっくりと流れていた。
 心は凪のように穏やかで、それでいて世界のすべてが感じ取れるかのように研ぎ澄まされていた。
 これが、神の境地。

 つくねは跳ね上がった翔の顔を見る。彼の表情は顔面の筋肉を総動員し、パーツを残らず中心に寄せた結果 * ←こんな感じになっていた。例えるなら梅干しか、肛門のような。
 ……肛門である!己の認識において“スパンキング”翔は顔面を尻と化し、神の一撃すらもスパンキング原動力へと変換せしめた。

ほれひゃ、けひゅら(おれはケツだ)

 顔面ケツ穴の奥から翔はもごもごと呟く。そして深く黙考する。

「(フィストファック原口。もしあの時プリケツの突き出しが3センチずれていたなら、今こうして立っていられる未来はなかった)」

 スパンキングエネルギーが体内を巡り、翔の肉体と頭脳をブーストする。思い返すのは、彼が最も恐怖を感じたあの17歳の夏の日。忘れ得ぬ記憶を引き出し、勇気への糧とする。

「(食糞のマサ。普通の食糞行為に飽き足らず、直接肛門から食糞する事を愉悦とした超級魔人。『キビヤックって知ってるか?』ってえ台詞は、忘れようにも忘れられねえ)」

 全身是尻と化した翔に死角はなかった。雷速で襲い来るつくねの猛攻を、尻に見立てたその顔で、その腹で、その二の腕で、その太腿で迎え撃つ。反応できる。“スパンキング”翔 のスパンキング道は、神にも通用する。

「(犯田“ザ・バニシングレイプ”泰三。一切の姿を見せる事なくレイプを完遂する凶悪な魔人。奴のおかげで、俺はスパンキングの極致たる尻眼に目覚め、不可視の一物を真剣尻刃取りしてへし折ったんだ)」

 いずれも一歩間違えれば己の命や他いろいろなものを失う恐ろしい戦いだった。だが彼は己のスパンキングで人々を救うことを止めはしなかった。

 ふと、つくねが距離を取った。翔は訝しみながらも、尻を突き出した構えは解かない。一瞬でも気を抜けば、それが試合終了の瞬間となるであろうことは肌で感じていた。

「……思い出した……」
「……何をだ……?」
「確か……ギネス記録を作りたいって言ってましたよね?テレビか何かのインタビューで……」
「……」
「作ってみますか?」

 予想外の提案であった。よもや試合中にスパンキングギネス記録への挑戦を打診されるとは。
 スパンカーは沈思黙考した。普通に考えれば、明確な罠。スパンキングすると見せかけ、なにか別の手を打つつもりか。
 だが、あのつくねの……武御雷の、白く光る瞳の真っ直ぐさはどうだ。到底嘘偽りを述べている顔には見えない。そして何より、神の力で存分にスパンキングされる機会など、これを逃せば次に巡ってくる保証はない。

 数秒の後、翔は己の意を(ケツ)した。

「いいぜ……お前がその気なら、俺はこの尻で受け止めるだけだ」

 スパァン! と尻を打ち鳴らし、尻手翔は力強く宣言した。
 それを受け、つくねも笑みを浮かべて構えを取る。歌舞伎役者のように左手を前に突き出し、右手を耳の後ろまで引き絞る独特の構え。大気がビリビリと振動を始める。尻眼を使わずとも、その緊張は如実に伝わってきた。

 ブン――と音がしたような気がする。あるいは、それは衝撃の後に響いたものだったか。
 未体験の力が、翔のプリ尻に叩き込まれた。尻から全身へ、雷の速度で力が伝播する。

「――ソイヤッ!!」

 彼は無意識の内に叫んでいた。そうしなければ体の内側から爆散してしまうと錯覚するほどに、その力は膨大であった。
 間髪入れず、第二撃が尻を穿つ。

「ソイヤッ!!」

 スパァン!!

「ソイヤッ!!」

 スパァン!!

「ソイヤッソイヤッソイヤッ!!!!」

 スパパン!スパァーン!!










「一体なにをしているんだ野々美くん……!みすみす相手を強化するような真似を、何故自分から!」
「親方さん、落ち着いて!主に下腹部に障りますよ」

 興奮し、ディスプレイに噛り付く親方の体を、ちはやがベッドへ引き戻す。

「あ、ああ、すまない……だが、今度という今度こそ私には彼女が分からない。一体何故あんなことを……」
「……つくねは絶対に自分から勝負を諦めたりしません。あの……す、スパンキング、にも……きっとなにか意味があるんだと思うんです」
「うむ……それは例えばどのような?」
「た……例えば、えー……あ、ほら、連続してお尻を叩くことで、エネルギーが体内で暴発してドカーン!みたい、な……?」
「……あ、ああ、なるほど!うむ、中々ユニークな発想だ!そういうこともないではないだろう、うむ!」
「…………すいません」

 人は時に真っ向から否定されるより、優しく肯定された方が傷付く場合もある。

「……今は信じるしかないな。あの子の可能性に……」
「つくね……お願い……!」










 「(楽しい!!)」

 いつしかつくねは、スパンキングに夢中になっていた。
 無論、策があってのことである。だが、翔の信じられないほどプリプリの尻を叩く感触が、絶妙の感覚で入る合いの手が、一種のトランス状態へと少女を誘っていた。
太鼓の如く尻を乱打する武御雷と、野太い合いの手を叫び続ける巨漢。後の視聴者アンケートで9割以上が「我々は何を見せられていたのか」という意見で占められた場面であったが、詳細を書くには余白が足りないため割愛する。

 ともかく、楽しい時間というものは永遠には続かない。翔もつくねも、それは重々承知していた。元より策謀を前提に成り立ったスパンキング……どちらも本気でギネス記録を狙っている訳ではなかった。

「堪能したぜ」

 先に動いたのは、翔であった。心地よいスパンキング音が、途絶えた。神の右手がその尻に埋まっている。動かせない。神速の張り手とて、これほどの数を打ち込まれれば体が覚える。まして翔には命がけで身につけた尻眼があるのだ。

「これで終いだ」

 翔が尻をひねった。神の体が宙を舞った。合気道――ほんの一瞬のズレがあっても成立しないその技を、彼はその場限りの一発勝負で成功させてみせた。飛ばした方向は狙い違わず場外。だが。

 その瞬間をこそ、つくねは待ちわびていた。

「――オスモウドライバー、解除!!」
「な――にぃ!?」

 100キロを優に超える武御雷の体重が、その一瞬で52キロにまで減少した。50キロ以上の質量消失……それは精妙無比を信条とする合気道の技において、あまりにも絶大な差異。そして互いの動きを予測していたつくねが、強化された翔の反応速度を僅かに上回り、次の一手に先んじた。
 翔の肩を掴み、慣性をコントロール。狙い通りの位置へと着地を定める。

《MODE:UNRYU》《CHIYONOFUJI》
《ちよのぉぉ~~ふぅじぃい~~~》

 宙空に行司の声が高々と響く。地に両足をつけた時には、既に千代の富士の姿が完成されていた。
 横綱が手を伸ばした先はふんどしではなく、翔の両脇……『ハズ』と呼ばれる位置。人差し指と親指の間に引っかけるようにして差し入れ、斜め上へと押すハズ押しは、まわしを掴んでの寄りと同じく、相撲の基本中の基本であった。

 今度は声も出なかった。まるで己の体重が無と化したように、翔は自分を持ち上げる千代の富士の大銀杏を見下ろしている。
 『ラスト・スパンKING』によって強化されるのは、あくまで尻手翔の身体能力。体重が増加する訳ではない。
 そしていかな怪力も、それを発揮できる体勢になければ意味を成さない。背骨が伸び、腰が浮く相手とは裏腹、己は腰を落とした理想的な重心位置を維持する。ハズ押しとは、相手の力を無力化する形である。故に基本。故に必殺。これぞ相撲の王道であった。

 唐突に、破裂音が耳朶を打った。
 それはスパンキングの権化たる男の、最後の矜持であった。超音速で動かされた腰が空気の壁を打ち、何もない空中で、手も足も使わぬスパンキングを可能としたのである。
 至近距離での轟音は、横綱と翔、両者の鼓膜を共に破壊せしめたが。

「……やれやれ、まいったなこりゃあ」

 音のない世界で、男は独りごちた。
 一意専心――迷いを捨てた横綱の道に一片の陰りなく。その寄りが、翔に土俵を割らせていた。

 いつの間にか、空は澄みやかに晴れ渡っていた。先程の連続スパンキング祭りの衝撃が天まで響き渡り、荒れた空の暗雲をひとつ残らず消し飛ばしてしまったかのように。

「なあ、一つ頼みがあるんだ」
「……」

 言葉は聞こえない。だが、何を言っているのかは心で理解できた。
 この世界から旅立たんとする光の中で、尻手“スパンキング”翔 は、とびきりの笑顔を浮かべた。

「――俺の尻を、思い切り引っぱたいてくれないか?」

 汗に塗れた横綱の顔にもまた、会心の笑顔があった。

 どこまでも続く紺碧の空に、一発の快音が高く遠く響き渡った。





第3ラウンド第8試合結果

●尻手“スパンキング”翔 -野々美つくね○

決まり手:寄り切り
最終更新:2017年11月12日 01:28