第2ラウンド第1試合その2・後日談

――重い目蓋を開けてみれば、腕の中には確かなぬくもりが存在していた。
淡いシャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。
暗闇の中でもよく分かる栗毛色の長髪、白い手足。
怪物園の主――篠原蓬莱。影を操る少女。

「負けちゃいましたね……私たち」

私に抱きついたまま、落胆の言葉をポツリと漏らす。
それでようやく事態を飲み込めた。
――私たちは野々実つくねと戦い、敗北したのだ。

気まずい空気が部屋に立ち込めている。
……いや、その空気を作っているのは私だった。
何を切り出すか、何を言ったらいいのか、複雑な心境のまま。
天蓋の窓を見ると、今夜は満月だった――。

「ねぇ、蓬莱」
「……なんですか、ミルカさん」

次にかける言葉を持たぬまま、彼女の名前をつぶやく。
長い沈黙の中に、私たちは立たされている。
月は黄金に輝いている。――どんな暗闇にも動じない輝きを放ちながら。
たとえばその月が銀色に変わったとき……。

「あの月を取り替えることも出来るのよね?」

あの時はVR空間だったから、事なきを得たが。
外道太郎を、銀天飛鳥を、そして私を――無差別に死に追いやったあの月。
もしもアレが現実世界に出たとき……想像を絶することが起こるだろう。



「死んじゃいますよ」



少女は自嘲気味につぶやいた。
誰が――とは言わずに。

蓬莱は第1試合以降、多くの人に目を付けられてしまった。
テレビを付ければコメンテーターが地球滅亡を熱く語り、元凶である彼女を捕まえて欲しいと訴えていた。
SNSでも彼女の能力議論がたびたびトレンドに上がり、嫌でも目に入ってしまう。
ある者は切実に、ある者は面白半分に「彼女を殺せ」とつぶやいていた。

一般人はもちろん、魔人でさえ『銀色の月』に怯えている。
――誰もが恐れていた能力者が野放しにされていることを、世間は決して許さない。
誹謗中傷の爆心地で私たちは戦っていた。


そんなことがあって、第2試合で見せた蓬莱の狂気は変な話、人間らしい行動だった。
怪物園は彼女一人が背負うには重すぎる――。
彼女を表舞台に立たせたのは間違いなく失敗だった。誰もが『もしも』と悲観を嘆くようになってしまった。
その悪意を一身に背負わされた彼女の心は、とっくにドス黒く染まってしまったのだろう。
そんな中、蓬莱が第2試合で取った行動は「自ら悪役を買って出ること」。
――詰まるところ、自身の破滅を望んでいた。

「ごめんね、蓬莱……。ごめん……」

私が弱音を吐かなければ彼女が出て来ることもなかった。
山奥でひとり静かに暮らすべきだった少女だ。
本当は全て自分が背負うばずだった悪意を、蓬莱に背負わせてしまった。
もしも過去を変えられるなら――彼女に、平穏を。

「…………」

肩を震わせて怯えている蓬莱を、ぎゅっと抱きしめた。
朝が来るまで――ずっとこうしていたかった。



その夜、彼女がすすり泣く声を何度も聞いた。



◇ ◇ ◇



「おやおや、随分と久しぶりじゃないか。
 もちろん覚えているさ。銀色の月を退けたのかい?
 いやいや、これからだね。お前さんは毒にやられているじゃないか。
 それに――もうすぐ、破滅の日がやってくる。一番先に倒れるのはお前さんだよ。
 一度満ちた月は欠けるだけ。新月になったとき――審判の時は訪れる。せいぜい頑張んなさい」

(第4ラウンドへ続く)
最終更新:2017年11月12日 12:35