――重い目蓋を開けてみれば、腕の中には確かなぬくもりが存在していた。
淡いシャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。
暗闇の中でもよく分かる栗毛色の長髪、白い手足。
怪物園の主――篠原蓬莱。影を操る少女。
「負けちゃいましたね……私たち」
私に抱きついたまま、落胆の言葉をポツリと漏らす。
それでようやく事態を飲み込めた。
――私たちは野々実つくねと戦い、敗北したのだ。
気まずい空気が部屋に立ち込めている。
……いや、その空気を作っているのは私だった。
何を切り出すか、何を言ったらいいのか、複雑な心境のまま。
天蓋の窓を見ると、今夜は満月だった――。
「ねぇ、蓬莱」
「……なんですか、ミルカさん」
次にかける言葉を持たぬまま、彼女の名前をつぶやく。
長い沈黙の中に、私たちは立たされている。
月は黄金に輝いている。――どんな暗闇にも動じない輝きを放ちながら。
たとえばその月が銀色に変わったとき……。
「あの月を取り替えることも出来るのよね?」
あの時はVR空間だったから、事なきを得たが。
外道太郎を、銀天飛鳥を、そして私を――無差別に死に追いやったあの月。
もしもアレが現実世界に出たとき……想像を絶することが起こるだろう。
「死んじゃいますよ」
少女は自嘲気味につぶやいた。
誰が――とは言わずに。
蓬莱は第1試合以降、多くの人に目を付けられてしまった。
テレビを付ければコメンテーターが地球滅亡を熱く語り、元凶である彼女を捕まえて欲しいと訴えていた。
SNSでも彼女の能力議論がたびたびトレンドに上がり、嫌でも目に入ってしまう。
ある者は切実に、ある者は面白半分に「彼女を殺せ」とつぶやいていた。
一般人はもちろん、魔人でさえ『銀色の月』に怯えている。
――誰もが恐れていた能力者が野放しにされていることを、世間は決して許さない。
誹謗中傷の爆心地で私たちは戦っていた。
そんなことがあって、第2試合で見せた蓬莱の狂気は変な話、人間らしい行動だった。
怪物園は彼女一人が背負うには重すぎる――。
彼女を表舞台に立たせたのは間違いなく失敗だった。誰もが『もしも』と悲観を嘆くようになってしまった。
その悪意を一身に背負わされた彼女の心は、とっくにドス黒く染まってしまったのだろう。
そんな中、蓬莱が第2試合で取った行動は「自ら悪役を買って出ること」。
――詰まるところ、自身の破滅を望んでいた。
「ごめんね、蓬莱……。ごめん……」
私が弱音を吐かなければ彼女が出て来ることもなかった。
山奥でひとり静かに暮らすべきだった少女だ。
本当は全て自分が背負うばずだった悪意を、蓬莱に背負わせてしまった。
もしも過去を変えられるなら――彼女に、平穏を。
「…………」
肩を震わせて怯えている蓬莱を、ぎゅっと抱きしめた。
朝が来るまで――ずっとこうしていたかった。
その夜、彼女がすすり泣く声を何度も聞いた。
◇ ◇ ◇
「おやおや、随分と久しぶりじゃないか。
もちろん覚えているさ。銀色の月を退けたのかい?
いやいや、これからだね。お前さんは毒にやられているじゃないか。
それに――もうすぐ、破滅の日がやってくる。一番先に倒れるのはお前さんだよ。
一度満ちた月は欠けるだけ。新月になったとき――審判の時は訪れる。せいぜい頑張んなさい」
(第4ラウンドへ続く)
最終更新:2017年11月12日 12:35