~1~
極寒の露出亜(ロシュア)にあっても人々の憩いの地はある。
裸海沿岸の避暑地ヤーリーモク。
そう、ヌーディストビーチである。
ともすれば猥褻物陳列、風営法違反、迷惑防止条例にも問われかねないこの地を作り上げたのはただ一人の男であった。
「先生、飲み過ぎですってば」
ヌーディストビーチ内でも随一の高級裸バル(最近バルって言っとけばオシャレ感があると思います)のマスターは心配そうに声をかけた。
当然の事であるがスキンヘッドに整った髭が似合うダンディなマスターは裸である。
しかしながら、全裸ではない、彼の職業意識がそうさせるのかムキムキの筋肉を包むように黒のエプロンをまとっており、首元には襟とネクタイがある。
裸バルの支配人らしい裸エプロンネクタイ姿は実に様になっており、ちょうどエプロンで乳首が見えるか見えないかという絶妙の着こなしが一流店の証であると言えよう。
グラスを拭く姿も実に裸エプロンだ。
「俺はよ、マスター」
先生と呼ばれた男が返事をした。
こちらもタイプの違う口から顎までを覆う髭面の男。
やや小柄ではあるが引き締まった肉体を持つ紳士だった。
「もっと、美しい物を作りたいんだ、わかるか?」
店にはさまざまな全裸の老若男女が楽しげに会話を繰り広げている。
その中にあって男はやや浮いている。
彼は下着をつけているのだ。
「ですがねぇ、ミテランジェリ先生。貴方が居てこそのヌーディストビーチですから」
彼の名はミテランジェリ。
ロシュアのイタリアは美裸野(ミラノ)に生まれた神の如き芸術家であり、女装癖のある露出亜人であった。
彼は孤高のゲイ術家である。
引き締まった胸板にはレース付きの淡いピンクのブラジャー。
その股間を包むのもまたピンクのショーツであり。
ピンクの網タイツはその引き締まった脛から太ももを強調してしまっている。
若き天才、神童などと呼ばれ世界的な素晴らしい絵画彫刻の腕前を持っていた彼は世界的な芸術賞の授賞式で初めて世界にその姿を現した。
その時、芸術家達は彼のランジェリー姿をミテしまった。
彼らはミテランジェリを変態と呼び、表舞台から追放したのだ。
「今回も、ほら。なんでしたっけ?DSSバトル?それにこのビーチのデータを使わせてほしいって打診があったんでしょう?」
「はン!くだらねえ、何がヴァーチャルだ。どうせ俺の能力が目当てなんだろうさ」
ミテランジェリは魔人である。
彼の能力は『芸術無罪(アーティストノットギルティ)』、彼の作る芸術作品はあらゆる罪に問われないという脱法能力である。
どんなに卑猥な作品であっても彼を罪に問う事は出来ない。
だがしかし、彼自身は作品ではなかったので女装姿でフツーに出歩くと逮捕される。
「この街は俺の作品だ、ここでなら裸でいようと俺の作品の一部だからな、司法も変態どもを罪には問えない。そのデータを流用すりゃ。どんな卑猥な試合だって放送できるだろうさ。あの鷹岡とかいう胡散臭い男も流石に放送事故が多すぎて辟易したらしい。無理やりにでも放送できるようにしたいんだとよ」
「その依頼を受けて、すぐデジタルデータを作ってしまえるんですから、やっぱりミテランジェリ先生は天才ですよ」
「ふん、街の設計図の元があるからな、デジタル化程度は片手間さ、報酬金はそれなりだったが。俺の創作意欲になにも喚起を起こさない下らない仕事だったよ」
そういってグビリとグラスの中身を飲み干した。
「次だ!もう一杯、マスター!」
「飲み過ぎですって、先生。あ、そろそろ試合始まるんじゃないですか?せっかくですし見てみましょうよ」
「はン、どうせ…」
マスターがリモコンを操作し店内の大画面モニターを点灯させる。
「あ、もう戦ってますね」
「どうせ…」
そう言いながらミテランジェリの目はモニターを凝視している。
画面には全裸の女と全裸の女が戦う様子が映し出されている。
「おっ、露出卿ですね。流石はロシュアの期待の星」
「これだ…」
「相手も中々良い体をしています。やはり露出趣味があるんですかね」
「これだァ~!!」
「せ、先生?」
「躍動する筋肉!美しき肉体!巨大な大波!これだ!クソ下らねえ絵の依頼で気が滅入っていたが、これだ。これこそがエンタメで芸術だ!東京都庁のの壁面画の依頼はこの戦う全裸女達で決まりだ!」
こうしてヴァーチャルリゾート地で行われるこの戦いは。
めでたく東京都庁のデカい壁面に描かれる事になったのだった。
後に、この壁面画がミテランジェリの最高傑作のひとつと呼ばれるのは、また別の話である。
~2~
見上げれば透き通るような青空だった。
輝く太陽からは溢れんばかりの夏の日差しがこぼれている。
白い砂浜はどこまでも続いている
エメラルドグリーンの海は静かに波を打ち寄せる。
海岸沿いには白亜の建物群が並び立つ。
ビーチ沿いのカフェテラスやレストランでは現実世界とリンクした視聴者達(高額有料会員、セレブ中のセレブ達)が全裸で声援を送っていた。
白い砂浜を美しい女が飛ぶように駆ける。
地を足で蹴るたびに舞い上がった砂が陽光に輝いた。
女は腰に革のベルトを巻いただけのほぼ全裸である。
ベルトに下げられた黄金の騎士剣が眩い太陽光を反射する。
ズォン!
女の走るすぐそばを一条の光の矢が貫き、砂が爆ぜる様に舞い上がる。
青空に黒い影をまとった人影が舞う。
羽と光輪を持つその影は天使と呼ぶに相応しい形をしていた。
「一つ!」
女が呟く。
天使はキリリと弓を引き絞り矢を放つ。
ズォン!
鈍い音と共に光となった矢が女に向かって降り雪いていく。
砂を巻き上げながら地の中を巨大な何かが追ってくる。
海の中にも蠢く巨大な影が二つ見える。
「二つ、三つ、四つ」
影の犬、いや狼だろうか。
影の獣が巨体に似合わない速度で砂浜を走る。
銃を構えた虚ろなる兵士たちが隊伍を組み進軍する。
「5、6。ふふ、随分と大盤振る舞いだな。戦い方が自由になったものだ」
女は振り返りもせず影の動きを分析する。
「つまり複数の影の連携をとるのは彼女というわけだ」
裸で走る女。
露出卿は笑みを浮かべた。
彼女を追う影は数を増してゆく。
~3~
「いや、恥ずかしいんだけど」
「良いじゃないですか、ミルカさん。木を隠すには森の中、裸を隠すには裸の中ですよ」
「いやいやいや~?もうちょい何かないかな~、蓬莱ちゃん。物陰に隠れるとかさァ」
裸にサマーハットとサングラス、申し訳程度に腰にパレオを巻き、肩からタオルを掛けることで肝心な所だけは隠しギリギリOKかな、いや全然OKじゃないよね。
なミルカ・シュガーポットは恥ずかし気に抗議の声を上げた。
「ほらほら、堂々としていないと気付かれちゃいますよ?」
一方、恥ずかし気もない感じで裸体を晒すのは篠原蓬莱。
サングラスと麦わら帽子こそしているが、その豊かな胸は惜しげも無く外気にさらされている。
「隠さなくても良いのにな、ミルカさん綺麗なんだし」
「いや、単純に恥ずかしいって」
これまでの戦いを通じてミルカは蓬莱と仲良くなれたと思っている。
必要以上に仲良くなってしまった気がする。
ヤバいかもしれない!
が、仲良くなったところで蓬莱の本質が大きく変化したわけではないとも感じていた。
彼女の『兄』が、サイコパスと表現したその精神性。
一般常識とは乖離する独特な思考による行動。
全裸でも気にしないということもその一部であろう。
一部であるとミルカは信じたい。
信じるしかない!切実に!
兎に角にも人間性の欠如は蓬莱が一般社会で生きていくのを難しくしている事に変わりはない。
それを現したような蓬莱の魔人能力『怪物園』は。
お友達と称される影を纏った獣を呼び出す能力である。
「No.16『ANGEL』予定通り。No.9『SHARK』No.15『WHALE』No.18『LEVIATHAN』攻撃の機会を伺って。No.13『WOLF』No.6『UNDEAD』引き続き牽制を続けて、No.3『LILLIPUT』は情報収集を密に」
ミルカの魔人能力『公共伝播』はイメージを脳内に直接伝える能力である。
言葉による齟齬をイメージの共有によって無くす事は戦力が集団である限り非常に有効である。
影の獣たちは蓬莱によって呼び出された者だが、それぞれに僅かな意思、獣性めいた本能があり、召喚者である蓬莱でも完全には統率がとりにくい。
その連携の誤差を、ミルカによってイメージを共通化された影の獣たちの動きは適格だ。
獣たちに支持を飛ばした蓬莱はヨモギをじっと見つめる。
「な、なに?」
「私はミルカさんの事が好きです」
「うえ?まあ、そりゃね。私も蓬莱ちゃんの事好きだけど」
「せっかくのリゾート地なんですから、試合も良いですけれど楽しみましょう」
といって蓬莱は店員に飲み物を注文した。
「いやいや~、それと裸であることは別だとお姉さんは思うな。なんか百合百合しい雰囲気で誤魔化そうとしてない?蓬莱ちゃん」
「ダメですぅ!服着たら居場所がばれちゃうじゃないですか」
「こっち見てないで試合に集中しよ?ね?」
「うふふ、ミルカさんの肌綺麗ですよね。っと違った、ミルカさんのおかげで同時展開も随分楽ですし、運用も段違いですから」
そういって蓬莱は人差し指をくるくると回す。
「やっぱり、仲良くなっても、その性格はお姉さん的に不安だわ」
露出卿を追う影の数が増す。
「うふふ、さあ追い詰めちゃいましょうね。だいぶスプラッタにしてもこの放送では合法との事ですし」
「まあ…、しょうがないか…。限りなくしょうがなくない気がかなりするけれど。それもエンターテイメントでしょ」
裸の女たちは優雅に盤面を詰めていく
~4~
「大丈夫ですか?卿」
少女は自分の姿と声を電脳世界に映し出す力を持っている。
VR世界の外から露出卿をサポートしているのだ。
「ふむ、数が増えたな。攻撃は厳しいが…まだまだだよ」
空を舞う羽虫の群れ。
地を蠢く蟲の群れ。
砂浜から市街地への道を絶妙に妨害されることで露出卿の進路は制限されている。
「追い詰めるつもりであろうな。だが、それまでは安全というわけだ」
ダゥン!ダゥン!
ガキ!ガキィン!
飛来する銃弾を剣の柄で事も無げに弾き露出卿は走る。
丁寧に編み込まれた黒髪が風になびく。
「まったく安全には見えませんが」
「ハハ、吾輩が信じられぬか?」
「いえ、まあ大丈夫でしょう」
「で、あろう?それで?」
と露出卿は少女に言葉を促す。
「『篠原 蓬莱』、ミルカ・シュガーポットのサポートという事ですが。実質的な戦闘担当は彼女です」
「物理面ではそうであろうな、だが鷹岡はともかく、戦いの選出者たちはあくまでミルカを主に置いたのだ、そこを見誤っては痛い目をみるだろう」
「能力は『怪物園』、ご覧の通りで18種の影を纏ったお友達、獣を呼び出す事。人格に欠如が見られ不安定、ミルカとの共同生活で随分改善されたという事ですが。こと戦闘においてはその異常性は脅威であるかと」
「なるほど、人格の欠如、影を纏った獣の友人…ふむ」
「何かお気づきになられましたか?」
「おそらくは、な。念のためこの場所の地盤データを解析しておいてくれ」
一気の足の回転を速めた露出卿が加速する。
それは夏の海辺を吹き抜ける風の様だ。
一拍の時を置いて影も追う速度を上げる。
露出卿が浜辺に突き出た大岩の上に飛び乗り影の獣たちを振り返った。
「さて、前座を片づけるとしよう」
~5~
篠原蓬莱は孤独な少女だった。
両親は多忙である。
しかし最初は愛情はあったように思える。
だが、両親が蓬莱に接する時間は蓬莱の求める時間に比して圧倒的に少なかった。
蓬莱が求めるものが両親にとって重荷になると両親は仕事に逃げるようになった。
何不自由ない生活こそが蓬莱の幸せであると言い訳し更に交流の時間は減っていった。
篠原蓬莱は孤独な少女だった。
彼女の兄、いや姉というべき者がいた、名を蓮華という。
蓮華は蓬莱に優しく接してくれはしたものの、独特の感性を持っていた。
一般的な社交性はあるもののその思考は蓬莱とは相容れないところがあった。
蓮華にとって重要なのは自分自身である、その美しさをより際立たせるならば女にも男にもなった。
必要であれば優しくなり、必要であれば怜悧にも振る舞う。
悪気はない、妹への悪意もなく、むしろ愛情すら持っている。
しかしあくまでも自らの美しさを中心に考え、それゆえに性転換能力にまで目覚めた。
その行動は幼い蓬莱に理解できるはずもなく、蓮華との隔絶は埋まることがなかった。
篠原蓬莱は孤独な少女だった。
そんな少女が魔人能力に目覚め、呼び出した影を纏ったお友達。
さて纏われた影の中には何が潜んでいるのでしょうね?
~6~
露出卿が空を舞う。
大岩を蹴り、天高く跳ぶ。
「さて、その“纏われた影”の中にいるのは誰であろうかな!」
キィン!
黄金の光が、抜き放たれた騎士剣の剣閃が。
一条の光となって戦場を駆け巡る。
「秘剣!露出天国(ヌーディストヘブン)!」
露出卿に迫りくる影が微塵に斬り裂かれた。
~7~
露出天国(ヌーディストヘブン)は活人剣の極みと言える技である。
人を傷つける事無く衣類のみを微塵に切り捨てる極致の秘剣。
その実用性は理解しがたくあるが。
「なに、美しい物を見つければ、隅々まで鑑賞したくなるであろう。包み紙など無粋よ」
とは使い手たる露出卿の言である。
影を纏った何者かの、纏った影が切り捨てられ。
その中身が露わになる。
~8~
「蓬莱ちゃん?」
どさりと隣に座った少女が崩れ落ちたのを見てミルカは慌てて抱き起した。
その少女、蓬莱の意識は薄く、荒く息を吐いている。
「何が起きたの?」
戦場である浜辺を見る。
黒い影が霧散したあとに。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
篠原蓬莱が倒れていた。
「ど…ういう事?」
トンッ。
軽い着地音。
ミルカの目の前に露出卿が降り立った。
「その子は」
と露出卿は答える。
「孤独故に友人を欲した、良くある話だ。想像上の友達と遊ぶというのは別に何という事は無い。一人遊びは幼年期に誰でも通る過程だな」
ミルカは蓬莱を庇うように抱きしめる。
「さて、その子が他と違ったのは実際に友達を生み出してしまった事だ。ある程度の意思があり自分の事を理解して接してくれる友人をだ。この世で一番自分自身を理解してくれるのは…」
「その子自身ってこと?」
「宜しい。そう、その子の友人は彼女自身だ、だが幼い少女にあまりにも多様な演技をすることは出来ぬ。せっかく生み出した友人に個性がない。自らを鏡で見ても孤独は癒されない。まずは姿をそれぞれに変えそして個性を与えるしかない。その個性とは」
「自分の性格の一部を極端にしたものを投影した」
「惜しい。おそらくは、自らを分けたのだ。自分の性格をな。だから本体である篠原蓬莱の精神には欠落がある。当然だ。束縛を、毒気を、細やかさを、華やかさを、陰気さを、虚ろさを、頑迷さを、勇猛さを、凶暴性を、協調性を、社交性を、内気さを、従順さを、尊大さを、豊かさを、抱擁性を、狂気を、貪欲さを。すべて友人として分けてしまったのだから」
ミルカは息をのむ。
「あれらを戻せば、その子は真っ当な精神を得るだろう。君が寄り添わなくても社会的な生活を得られる。それが君たちの望むものではないのか?」
「お断りします。この子は今のままでも十分に自分を生きています。戻すとしても、それはこの子が決める事です」
その返答を聞いて露出卿は呵々と笑った。
そっと蓬莱を地面に寝かせ。
ミルカ・シュガーポットは露出卿と対峙する。
「まだ吾輩と戦う気概はあるかね、DJ」
「勿論です、私は世界最高のエンターテイナーだとこの子が言ってくれたんです。ここで無碍に負けを認めるわけにはいきません」
するりと、サマーハットから二挺の拳銃が取り出される。
「それでは、PartyTimeの時間です」
~9~
浜辺に近くの店舗に居座るNPC達が突如として恐慌状態に陥った。
彼らは通常NPCと違い現実世界とリンクした仮想実体(アバター)である。
高額の会費を支払う事で安全に臨場感あふれる戦闘を直近で見ることを選択した、世界有数の資産家達。
彼らは直近で見ているが故に。
ミルカ・シュガーポットの『公共伝播』の影響をダイレクトに受けたのだ。
ダァン!ダァン!
ミルカが銃弾を発射する。
「くっ!」
本来ならばいとも容易く避けられるはずの露出卿が避けきれない。
肩に銃弾を受け流血する。
露出卿の腕が僅かに震えている。
「怖いでしょう?私はとても怖い。蓬莱のお友達に何事もなく立ち向かい。こんなに裸ばかりの中から私達を見つけ出し、余裕をもって接する貴方がとても怖いの」
「なるほど、恐怖…久しく感じていな…い感情である…なあ」
その底に強い意思はあるものの、露出卿の瞳は恐怖で涙を溢れさせんばかりに潤み。
口元も歪み声は震えている。
「久し…く危険を感…知することを恐怖と切り離し…てしまってい…た」
「合理的な戦闘styleが仇になりましたね」
RadioDJであるミルカの発音は妙にネイティブ感がある。
じわり、とミルカは露出卿と距離をとる。
相手が恐怖ですくんでいるとはいえ、その力量の差は歴然であり。
一瞬の隙でミルカの首と胴は離れるに違いない。
だが、その恐怖こそが武器になる。
「私は弱いわ、DSSで何人かと戦ったけれど、ほとんどが蓬莱ちゃん任せで。いつも怖かった。でも」
「でも?」
「私がやられると負けちゃいますからね、怖くて怖くて仕方ないけれど動いて逃げる事はできる」
「吾輩は逃げる事が出来ぬと」
「そうでしょう、私は逃げる敵を撃つ程度の事はしますし、逃げても貴方に勝利はない。私はその間も貴方の精神を蝕む事ができる。長期戦なら私が有利です」
ズズ…と露出卿の腕が動く。
「おっと、私のほんの少しの勇気が伝播してしまいましたね?怖い、怖い。貴方の一挙手一投足が私にとっての恐怖です。貴方が動けば、結果的に貴方は動けませんよ」
じりじりとミルカは間合いを測る。
「そしてエンターテイメントとしてもこれは問題ありません。人は怖い物を見たい生き物です。怖さと緊張感はエンタメとして成立します」
ダァン!ダァン!
撃ち放たれた銃弾は露出卿の肌に触れた瞬間移動し軌道を変える。
露出卿の魔人能力『高速5センチメートル』は肌で触れた物を5cm移動させ、5cm以内の者を引き寄せる事が出来る。
「死ぬ事がこんなに怖いと思ったのは久しぶり、ね」
と露出卿は呟いた。
~10~
ほんの僅かに手が届かなかった。
たった5cmだけの距離だったのに、もう少し手を伸ばせば届いたかもしれないのに。
ほんの僅かだけ押し戻すことができたなら。
僅か5cmだけでも押し留める事ができたなら、救う事ができたかもしれないのに。
少女には力が足りなかった。
恐怖で足がすくみ、動く事が出来なかった。
動けたところで何になるだろう。
何の力もない少女に何ができただろうか。
でも僅かに5cm手を伸ばせば。
僅か5cm押し返す力があれば。
もう一人だけでも救えたかもしれない。
もっと沢山の人を救えたかもしれない。
泣きじゃくる自分よりはるかに幼い女の子を抱きしめて、少女はそう思った。
かつて、その国を龍(ドラゴン)が襲った。
生き残ったのは僅かに二人。
その時、少女は魔人の力に目覚めた。
僅か5cmを支配する力に。
でも、本当に必要だったのは。
本当に欲しかったのは、恐怖のなかでも行動できる意思だったと。
思う時がある。
~11~
露出卿が崩れ落ちるように跪いて手を地面へとつけた。
ミルカは僅かに安堵の息を漏らし銃を露出卿に向けた。
「ほんの少し昔を思い出すことができた。ほんの少しだが、あれを思い出せたことに感謝する、ミルカ。少しだけ手を伸ばすことができたよ。そして地盤データの解析、ご苦労様」
目の前に居るミルカとこの場にいない誰かに露出卿は感謝の言葉を述べた。
ゴゴゴ…。
低い、それでいて大きな音が鳴り響く。
「大地に触れた、正確にはこの地面の一部を正確にイメージして触れたのだ。イメージさえできれば。地盤の一部のみを動かすことができる」
ダァン!ダァン!
ミルカの銃撃が露出卿に突き刺さることはなかった。
大地が震動する。
巨大な地盤が連鎖的にずれを起こしたのだ。
わずか5cmだが。
それが連鎖していけば巨大な地震にさえつながる。
バランスを崩しミルカの放った銃弾はあらぬ方向へと飛ぶ。
沖からは巨大な津波が押し寄せる。
「流石に吾輩の懐刀、解析能力は上々、データ付きの露出生放送もしっかりこなしてくれる」
露出卿の懐刀の少女の魔人能力は『匿名露出自撮り生放送コメント付き(アカバンガール)』自身の露出と引き換えにあらゆるデジタル世界に映像と音を届けることができる。
津波を見た瞬間、ミルカの視線は浜辺に倒れた18人の篠原蓬莱の方へ向けられる。
そして後ろに倒れている篠原蓬莱の方を振り向く。
ミルカ・シュガーポットは彼女たちであり彼女である蓬莱の事を心配したのだ。
それは、彼女が目の前の露出卿の恐怖よりも、迫りくる津波の恐怖よりも、彼女の事を心から案じているという証だった。
「吾輩をここまで恐れさせた事はスパンキング翔以上だ。ミルカ・シュガーポット!!そして友を案じた故の行動は!」
振り返ったミルカが恐怖を伝播させ銃を撃つより早く。
露出卿が剣を振るう。
「見事というほかはない!!」
その一閃がミルカのVR空間での命を刈り取った。
勝者、露出卿。
~12~
とあるメイド喫茶で二人の女性が紅茶を飲んでいる。
いや、正確には一人と一人×19人だ。
「なんで増えてんの?」
一人の方の女性、ミルカ・シュガーポットがもう呆れるしかないという声を絞り出した。
「うふふ」
と19人の代表格である篠原蓬莱が笑った。
「影を纏うとか中二病っぽくてやめたくなっちゃんじゃないですか?」
「いや、そういう事じゃないから」
「お好みでしたら、前の姿にも戻れますけれど?」
「やめて、店の中でデカくなったら店が潰れるから」
「良いじゃないですか」
「よーくーなーい!だからなんで増えたの?」
「だって、みんなミルカさんとお茶が飲みたいって言うんですもん」
「え~?」
好意からくる言葉にミルカは弱い。
「影を纏うと小さくなる私は良いんですけど。No.18『LEVIATHAN』とかプンスコものですよ」
「あ゛~、わかった。わーかーった。だとしてもよ」
「なんです?」
紅茶を飲みながらどれかは解らない蓬莱が答える。
「ここじゃなくてもよくない?」
嫌そうな声でミルカが声を絞り出す。
彼女は全裸ではないがサマーハットにサングラスをかけて若干変装している。
「ここだから良いんじゃないですか。あの絵好きですよ、私達」
「やーめーてー」
店からは東京都庁が良く見える。
そこには大きな波の前で、剣を構えた全裸の女と二挺拳銃を構えた全裸の女が対峙するとても芸術的な壁画が描かれていた。
何故かその絵を法的に問題視する者はおらずむしろ絶賛されている有様である。
「とっても綺麗ですよ、ミルカさん」
19人分の声が見事なハーモニーを奏で。
ミルカ・シュガーポットは頭を抱えて唸る事しかできなかった。
~13~
「流石に良い絵であるな、芸術家ミテランジェリ一世一代の大仕事であろうよ」
東京都庁を一望できる高級ホテルの一室で露出卿は呵々と笑った。
その姿は全裸である。
「そうですね、卿。とても見事です、さらに言えば一応モデル料も振り込まれて良い限りですが」
淡々と報告する少女は普通に服を着ていて特に裸ではない。
「吾輩たちに必要な分以外はプラーチン大統領に送っておけ、あの絵は露出亜の地位向上にも役に立つだろう」
「了解しました」
と少女はPCを操作し送金を行った。
「しかし卿、今回の決着は少し不本意な点もあるのでは?」
「そうだな、結果的に人質を取ったようなものであるからな。あの時驚きで恐怖が消えれば良し、津波に飲まれた場合でも吾輩の方が頑健さで生き残れると踏んだ故の判断であったが。そこで友人の心配をするとは、吾輩はミルカ・シュガーポットという女性を見くびっていたようだ。全く不甲斐ない限りよ」
「可哀想な事をしましたしねえ」
少女は哀れみたっぷりで東京都庁に描かれた裸の女の絵を見た。
少女はロシュアの魔人ではあるが、一般的な常識も持ち合わせている。
「ふむ、そうであるな。次は正々堂々と戦いたいものだ」
「そういう事ではないんですけど。そうですよ~」
「ん?そうなのか?」
ワイングラスの葡萄ジュースを露出卿が飲み干す。
「これで、とりあえずは幕引きか。勝ち星では一歩及ばぬ結果となってしまったな」
「そうですね、おや」
少女のPCに警告サインが出る。
「卿!」
「これは、龍(ドラゴン)か」
PC画面には朝日を浴びる青い龍のエンブレムが輝いている。
そっと、露出卿が腰のベルトに手を触れた。
「これを使いたくは無いがな。このプロトオス…」
トトン!トトトントトン!トトン!トントン!トトン!トントトン!
NHK相撲中継のオープニングでお馴染みの寄せ太鼓の音が、どこからともなく響いてくる。
それはまた別のお話しなのかもしれない。
おしまい