憎き『逃走王』め!
何としてでも『俺の』VRカードを取り返し、DSSバトルに返り咲いてやる!
そう思ってVR空間にやって来てから、早三週間が経とうとしていた。
DSSバトルは既に三戦を終え、明日いよいよ最終戦を迎える。
俺はもはやそちらについては諦めの境地だった。
一方で、VR空間で開いたラーメン屋はそこそこ繁盛している。
不思議な話だ。
食というのはここでは生命維持に必須の行為ではない。
にも拘わらず客足が衰えないのは、やはりラーメンの魅力よ。
皆それに抗うことができないのであろう。
ラーメンの偉大さを再確認できたことで、俺はもうDSSバトルができなくても満足であった。
明日、店を畳んで現実に帰ろう。
そんなことを考えているうちに、二人の客が店内に入ってきた。
何だかどこかで見たことがある顔の女共だった。
連れではないらしく、間に一席空けてカウンターに座る。
「おっちゃん、ネギラーメン!」
「あの、ネギラーメンを1杯」
おお! どこぞのチャラチャラした男と違ってなんと話の分かる女共だ!
二人は注文が被ったことに驚いたのか顔を見合わせる。
そしておそらく学生だろう方の女が、白衣の女に問いかけた。
「ネギラーメン好きなんですか?」
「好きよ。食べるのはなんでも好き」
その言い方は味の違いなぞどうでもいいという風に聞こえてちょっとムッとなるぞ。
しかしSNS炎上を避けるために口は慎まねば。
白衣の女は続ける。
「うーん明日まで何しようかな。『外』にはでられないし」
学生女が口をはさむ。
「あ、私も明日まで友達が『こっち』に来ないんで暇なんですよ!」
そして、話はまとまる。
「じゃあ明日まで私と食べ歩きしましょうか」
おいおい、それはいいがまずは俺のラーメンを堪能してくれよ。
俺はチャンスを逃していることに気付いていなかった。
二人がDSSバトルに出ていたことのを思い出したのは、現実に帰って放送を見た時だった。
何の因縁だろう。
頼り、裏切り、逃げた私に対する罰なのか。
私は第4ラウンドのマッチングを知り、ショックを隠せなかった。
まずは翔さんとななせちゃん。
当たってほしかった反面、当たらないでほしかった気持ちもどこかにある。
そして肝心な私自身の対戦相手、支倉饗子。
ななせちゃんの第1ラウンドの相手。
凄惨すぎて今まで直接映像を見れなかったその戦いを、私はある目的のために1日中見続けることに決めた。
「はぁ……はぁ……」
吐きそうになるのを必死でこらえる。
ここまでする必要は無いかもしれないし、この考え自体が無駄に終わるかもしれない。
ただ、最後の戦いを前に、やれることはやっておかないと気が済まなかった。
今回の舞台は城下町を中心に草原フィールドが広がる典型的なRPG世界である。
狭岐橋憂はその城下町の入口に立っていた。
「武器は装備しないと効果が無いよ」
「看板はAボタンで読むのじゃ」
「ママー! 転んじゃったよー!」
「あらあら、ポーションでHP20回復しましょうね」
城下町というだけあって沢山のNPCで賑わっている。
憂の能力の特性を考えると初期位置は草原フィールドの方が良いのではと思うかもしれない。
しかし今回憂は『変身しない』。
理由の一つは対戦相手の支倉饗子が戦闘能力が無い――というよりそもそも戦闘する気がなさそうなことである。
それならばサキュバス化しなくてもいくらでもやりようはあるというもの。
「あの、狭岐橋さん、でしょうか?」
ふいに呼ばれて憂は振り返る。
そして凍り付いた。
声の主、饗子にではない。
その隣でいたずらっぽく手を振る女性にだ。
憂の記憶を元に亡き親友をコピーして造られたVR世界の住人、カナである。
「こちら、マンドラゴラのおひたしになります」
三人は近くのバルに足を運んでいた。
異世界ならではの食を味わおうという饗子の提案だ。
特に裏は無さそう、それに二人から目を放したくない。
憂は諾々と従ったのだった。
「支倉さんとはラーメン屋さんで会ったんだよ。美味しいもの一杯紹介してもらっちゃった!」
「ふふ、VR空間といっても味覚の再現は侮れないわね」
「再現ねえ、でもこういうの『現実』には無いんだよね?」
「ええ、どうやらC3ステーションでは『食』の分野に力を入れているようね」
カナが怪しい人型の野菜をかじる。
赤ん坊の泣き声が聞こえた気がするがおそらく空耳である。
二人の会話を聞きながら、憂は気が気でなかった。
饗子の魔人能力『いっぱい食べる君が好き』は簡単に言うと「自分の肉体を食べた相手を乗っ取る」というものである。
それだけなら「食べなければいいだけ」なのだが、この能力の恐ろしいところは「だんだん饗子のことが美味しそうに感じる」という点だ。
しかしこの能力はVR空間で発動すれば現実にフィードバックされることはない。
なので憂の場合は試合判定の一瞬さえ過ぎれば、憂のままで現実に戻れる。
しかしカナの場合、本体がVR空間にあるため、乗っ取られたらそれっきりそのままなのだ。
最悪の場合、勝利も人としてのプライドも犠牲にして動く必要がある。
「こちら、スライムジュレです」
「わっ! 口の中で動くんだけど、生きてる!?」
「これは新鮮だわ」
しかし、そんな緊張感を感じているのは憂だけである。
あくまで屈託のない笑みを見せ続ける二人。
そこでは敵意などいつまでも保てるものではない。
「ペガ刺しになります」
「馬刺しみたいな……鶏肉みたいな……」
テーブルが不思議な料理でいっぱいになっていくにつれ、憂の警戒が解かれていく。
このまま平和に食事会を終え、カナにはバトル前に帰ってもらおう。
「あ、ユウ、食べないんならもらっちゃうよ!」
憂は完全に油断していた。
「うん」
返事を聞くや否や、カナがかぶりついたのは、テーブルの上の料理ではなく饗子の肩だった。
ガタンッ!
テーブルが揺れ、カナの体が突き飛ばされる。
「ユウ! 何するの!」
「カナちゃん、ダメ!」
饗子の能力は『食べ終わる』までは完了しない。
カナを引きはがしながら、なんとか饗子を始末しないと!
憂が饗子を睨むと、饗子は寂しそうな顔でつぶやいた。
「本命はあなただったのよ。私の『いっぱい食べる君が好き』は。なんで食べてくれないの?」
食事会の頭で饗子は既に能力を発動させていた。
今の『いっぱい食べる君が好き』は1日1時間までしか発動できない。
しかしそれだけあれば普通の人間なら、カナを見て分かるとおり、十分影響化に置くことができる。
食事会が始まって40分ほど経つが、カナと同じくらい饗子の近くにいながら憂は全くの正気だった。
まったくもって考えられないことである。
実はそれには、憂の魔人能力『ジレンマインマ』のある特性と、憂の試合前の行動が関係していた。
その特性とは、「憂の変身前の性欲はゼロ」というものである。
これは「変身後に散々発散するから性欲が薄い」とかいう理由ではない。
「性欲が無い自分はただの人間」「性欲がある自分は淫魔」という認識によって成り立つ能力効果の一部であり、『真に』ゼロなのである。
そして、饗子との対戦前。
憂は第1ラウンドのななせ対饗子戦の動画をリピートしていた。
特にななせが美味しそうに饗子の身体をむしゃぶる様を。
そしてそれを見ながらオナニーした。
最初は無理やりだった。
何かを失ってしまう感覚を必死に押し戻して、体を動かし続けた。
そうして一日漬けで、『支倉饗子を食べる=エロ』という認識を、頭に、いや全身に叩き込んだ。
だから今の憂にとって饗子が美味しそうなのは性欲である。
『変身しない』限りは全く興味がないのだ!
こうして『いっぱい食べる君が好き』を封じた憂は、しかし逆にその行為によって自身の変身も同時にできなくなった。
饗子は既にカナに対しても能力を解除していた。
ここから先は、能力による戦いでも腕力による戦いでもない。
そう、『対話』だ。
「なんで私のこと、皆怖い目で見てくるの?
私はただ、『私』に美味しく食べられたいだけなのに」
「それは、あなたのことを食べたくない人を、無理やり食べたくさせるから……」
憂は心を整理する。
饗子は憂が思っていた存在とはずいぶん違っていた。
「でも、あなたを食べたくない人の中には、味方だからこそあなたを食べたくない人もいる。
だって、違う存在だからこそ、恋をして、裏切って、裏切られて、奮い立たされて、友達になって、一緒に美味しいご飯を食べられるんだから」
饗子は思い出した。
一人のまま負けさせも勝たせもしないと言われたこと。
そして、彼女の中に眠る『別の存在』。
第3ラウンドで狐薊イナリに埋め込まれた自己変革の力。
それを思い出したとき、饗子の能力はまたひとつ変貌を遂げる。
「私は、私を美味しく食べてくれる人に食べられたい」
それは、饗子の一方的な恋でない、双方向の愛を探す力。
身も心も一つになりたいと願う相手と出会う力。
長い長い旅路の果てに『いっぱい食べる君が好き』がたどり着いた、しかし一つの出発点である。
「私は、もっともっと美味しいものを求める。
そして、もっともっと美味しくなる」
決意を胸に、饗子はまた電子の海に旅立ってゆく。
「あなたにも、お礼に勝利をプレゼントするわ。
それと、またお食事しましょ。今度は『未来都市』とか……未来の食事って、気にならない?」
憂とカナは笑って饗子を見送った。