第4ラウンドSS・世紀末その1

『ダンジョン&ダンゲロス』

国内外二十カ国以上でサービス展開される、VRMMOの老舗にして大家だ。
僕はそこで、彼と出会った。
世間から何かと色眼鏡(という表現だってだいぶオブラートに包んでいる!)で見られがちな僕たち魔人にとって、ネットやゲームの世界というのは生のままの自分で振る舞える数少ないオアシスだ。
僕はそこでは単なるいちプレーヤー、プリーストのナナでしかなかったし、ニャルちゃんもまたただのローグでしかなかった。
あっいや。ただのローグじゃないわ。廃人だった。なんかやばいアイテムとか色々持ってた。
とにかく僕はそこで、ゆるゆると冒険をしたりラウンジで取り留めもない話をするのが大好きだったんだ。

「えっいやだってネカマじゃん」

……というのは今でも失言だったと思う。
ごめんて。いや本当に。ごめんて。
あまりにもステロタイプな姫ムーブだったから……そういうネタというか……周りの男どもは知っててノッてるもんだと思ってたんだよ……ごめんて……。

そうやって、穏やかで取り留めのない日々を過ごしていたある日、僕のお母さんが倒れて病院に運び込まれた。
病気の発見が遅れてしまっていたそうで、なんでも難しい手術をしなければならないという。
お父さんは大丈夫だと言っていたけれど、それは心配をさせまいという意図以上のことは感じられなくって、いても立ってもいられなかった僕は、おまじないに頼ったんだ。
【お母さんが元気になるおまじない】、それは――ダンジョン&ダンゲロスで、レアアイテム『水晶ドクロ』を8時間以内に手に入れる事。

『水晶ドクロ』…ハイエンドダンジョンの奥地で入手ができるレア素材。

ダンジョン自体、僕のレベルでは手に余る場所だったが、決して悲観はしなかった。
VRでいつもつるむ仲間にはそれを楽々こなせるだけのレベル帯の人間だって数多くいたのだ。
だから心配はいらない。大丈夫、きっとできる。

僕はすぐにログインして、ラウンジにいた仲間たちにすべてを正直に話した。
お母さんが病気になったこと、僕が魔人であること、僕の能力と、水晶ドクロがどうしても必要であること。
穏やかでばかばかしくて、とりとめもなく遊んだ日々の価値を僕は信じていたし
彼らならきっと協力してくれると、信じていたからだ。
この時のことを思い出すと今でも血の冷える思いがする。
魔人という異端が社会の中でどういう意味を持つのか。ふわふわとした疎外感ではなく実感とともに初めて知ったのがこの時だったろう。
帰ってきたのはいくつものログアウトメッセージと、ラウンジの中の静寂だけだったんだ。

「………じゃ、まあ、とりあえず――出発するかあ」

ううん、一人だけ、僕の言葉に答えてくれた人がいた。
だからかろうじて、もうだめだというあきらめの言葉に押しつぶされずに済んだ。

「ニャル……ちゃん……」

「……わたしはさ。すごいと思うよ、ナナのこと」

…曰く、自分は嘘つきだから。
自分が何者であるか、目の前の人間に向き合ってさらすことができるのは、ひどく勇気のいる事だという。心のままに笑って、怒って、悲しむことができる人間は尊いのだという。
彼の言ったことの意味を知るのはもう少し後のことだったけれど…

「だから、わたしが力になる」

「でも……」

ローグとプリースト。
ニャルちゃんのレベルが高いとはいえパーティと呼ぶにはあまりにいびつで、そして野良でパーティを募るには時間も乏しかった。

「関係ないね」

と、ニャルちゃんは笑う。

「わたしがそうすると決めたら、そうなるのさ。ハッピーエンドが信条でね。
そしてナナの勇気に敬意を表して、わたしのことも教えよう。
わたしは本当はね―――魔人で、怪盗なのさ。手に入れられない、ものはないよ」

自信たっぷりにふてぶてしく彼は笑う。
思えばきっと、この時だったのだろう。
……僕が恋に落ちたのは。

「あと本当は男」

それは知ってる。

◆ ◆ ◆


「………えー、あとはご想像の通りと言いますかなんといいますか」

「きゃーー!!」

両手で顔を覆う僕こと恋語(こいがたり)ななせと、目を輝かせる年上の友人にして恋する乙女仲間、笹原(ささはら)砂羽(さわ)ちゃん。
砂羽ちゃんは年の割に(というと失礼だけれど)しばしばこうして幼い顔を見せる。
先の試合の協力のお礼がしたいというと、こうしてその……僕の、思い人の話をせがんできたのだ。
改めて話すと!これは!とても!恥ずかしい!
あと改めて話すとやっぱりニャルちゃんがかっこういい!しんどい!つらい!
いいなあいいなあ、運命だね、なんて無邪気に笑う砂羽ちゃんの顔を見れば、まあ。
恥ずかしかったりしんどかったりした甲斐はあったかな?
こんなかわいいひとを放っておいて刈谷(かりや)融介(ゆうすけ)は全く何をしているというのだ。
それにしても

「(運命、かあ)」

ぼんやりと考える。
シンデレライーターとかオスモウシンギュラリティとか大会の裏に渦巻く陰謀だとかゴメスが実は洗脳されていただとか。
そんなことは全く知る由もない僕だったけど、ふとそうして、世界の外側、とでも言うのかな。大きな話を考えることがある。
例えばカミサマみたいなのがいるとして、そいつは何を思って僕にこんな能力を与えたのだろう。
目覚めた当初は、この願いを叶える力を素直に喜んだものだ。
けれど違った。僕のおまじないはいつだって「絶対叶わない」のと裏表で、何度もそれに苦しめられた。
運命の神様がそうしてのたうつさまを見て喜んでいるのだとしたら、そいつはきっとサドの変態なのだろう。

「(でも)」

これはやはり、僕に必要なものなのだと、最近になってそう思う。
エンゼル・ジンクスは願いを叶える力じゃない。願いを殺す呪いでもない。その本質は、決着をつける能力(・・・・・・・・)だと、今ではそう思う。
一度願えば、あとは必ず叶うか、諦めるか。そして僅かな猶予期間しかない。
臆病な僕が、あのひとの背中を追って一歩踏み出すために、これはきっと、必要なものだったのだ。

――決着、つけないとな。

◆ ◆ ◆


「ふふふ……やった、やったよ(しょう)さん……!」

雨の中、ピンク色の傘をさしてスキップしかねない勢いで駆けながら、狭岐橋(さきばし)(ゆう)はにやけっぱなしだった。
何しろ、DSSバトル初勝利である。
恋語ななせの30戦近く無勝の記録には遠く及ばないものの、やはり負けが込んだ後の勝利というのはなかなか感動的な物だ。

「褒めてもらう……は、ちょっと高望みしすぎですけど。でも、よかったなって言ってくれるかなぁ」

ごく自然に年下に褒めてもらうという発想がでる憂。まあ、翔……尻手(しって)“スパンキング”翔も大概年齢に似合わない巨漢であるので無理もないかもしれない。
「……試合前の話だと、この辺りのはずなんだけど」

憂と翔は、互いの試合直前にもVRカードで連絡を取り合っていた。たしか、翔は雨宿りのため公園の遊具の中に入っている、と言っていたような。
みっちりと遊具内に詰め込まれた翔を想像して、憂はちょっと笑ってしまった。
笑ってしまった笑みが、不自然に硬直する。

公園の中に、巨漢()が立っていた。
雨だというのに傘も差さず、仁王立ちの様相である。
全身を包むのは黒のボディスーツ。そしてその上からは黒いまわし。
はっきり言って不審者の群れだったが、憂にとってそんな事はどうでもよかった。
男達が囲むのは、土管のような形の1つの遊具。その中で体を丸め、眠っているように見えるのは……。

「翔さんっ!」

思わず上がった声に、男達が一斉に憂の方を見た。
しまった、と思う。
再三描写された通り、彼らは全員男だ。
男に見られている……つまり、憂の《ジレンマインマ》の淫魔変身能力が発動できない!
だが、憂とて後には引けなかった。なにしろ翔のピンチなのだ。

「翔さんに何をしようとしてるんですか! 誰が許しても私が許しませんよ!」

声を張り上げる憂に巨漢達がぞろぞろと集まっていく。

「これ以上騒がれると、面倒なことになるな……」

巨漢の内の誰かが、ぼそりと言った。

「いいだろう、嬢ちゃん。お望み通りかわいがってやる」

巨漢達が、一斉に憂へと突進する。
憂は、思わず目をつぶった。

◆ ◆ ◆


力士達が憂に殺到する様子を、翔はどこか夢うつつで見ていた。
先ほどVR世界で横綱に尻をはたかれたばかりである。
どれほど精妙に作られた世界であっても、VRと現実の間には数値化、言語化できない差異が存在する。その差を身をもって味わうとき、だれの身にも多かれ少なかれ発生する事象がある。
すなわち、VR酔い。眩暈のような感覚と認識されるそれは、すくなくとも今の翔の肉体を弛緩させていた。
今の翔に出来る事は、力士に憂が蹂躙されようとするのをぼんやりと眺める事だけである。

(やめろ)
(俺の目の前で)
(俺の尻の届くところで)
(俺の尻合いを……憂ちゃんを……傷つけるな……!)

その心の叫びはどこにも届かない。
だが、願いは届いた。

肉同士がぶつかり合う乾いた音が響き渡る。
だが、それに続いて予想された音……骨の砕ける音、或いは少女の悲鳴……そういった物が、いつまでもやってこない。
それもそのはず。狭岐橋憂のいたところには、彼女の小柄な姿とは似ても似つかぬ存在が立っていたのだから。

それは、巨体であった。
人並みの身体というにはあまりにも大きく、強く、精悍に過ぎた。
それは、まさしく力士のみに許された肉体美であった。

《CLASS:OZEKI》《KONISHIKI》
《こにぃい~~しぃきぃいい~~》

「土俵下が、お前らのゴールだ」
「「「う、うおぉぉぉっ!?」」」

小錦関である。
小錦関の巨体が、力士たちの突進を余すところなく受け止めていたのだ。

一瞬、狭岐橋憂が小錦関に変じたのかと誤解する者もいるかもしれない。
だが、そのような勘違いは小錦関の腰に巻かれたまわしを見れば一瞬で解消するだろう。
すなわち、漆黒のまわしの中央に咲く、二重線に囲まれた黒い桜……!

「く、黒のオスモウドライバー……!」
「力士狩り!? バカな! 先ほどまでの小娘はどこに!?」
「……彼女には安全なところに行ってもらっているわ」

小錦関……いや、小錦関に変じた黒のオスモウドライバー、御武(みたけ)かなたは、小さな、だがよく通る声で答えた。

「よかた*1に寄ってたかってかわいがりなんて……恥を知りなさい」
「しゃらくせぇー!」
「うるさい……ふっ!」

小錦関の呼気が響く。ただそれだけで、小錦関の筋肉が膨張し、全身に力がみなぎる。
そのまま、全体重、全筋力を、掴みかかっている力士たちに集中させ……一気になぎ倒す。

《ABISETAOSHI》

「「「こ、国際暗黒相撲協会バンザーーーイ!!!」」」
浴びせ倒し。その場で相手を倒すだけのシンプルな決まり手。
ただそれだけの技で、国暗協の猛者力士たちがティッシュを丸めるように片づけられたのだ。
恐るべきは黒のオスモウドライバーの力。……いや。

(……それだけ、か?)

翔は、VR酔いにかすむ頭を抱えて、感じた違和感を咀嚼する。

(あれは、力士だから強い、鍛えてるから強い、みたいな単純な理屈じゃない。
もっと、こう……何かが間違いを起こしたかのような(・・・・・・・・・・・・・・・・)……)

だが、翔に悩んでいる時間は与えられなかった。
小錦関、すなわち黒のオスモウドライバーの視線が、今度は翔に向けられたからである。

◆ ◆ ◆


(なんで、なんで、なんで……!?)

憂は混乱していた。
公園で巨漢達と対峙していたと思ったら、どこかのビジネスホテルの部屋の中にいたからだ。
いや、それだけが原因ではない。その程度の事なら、以前体験したこともあり初めてではない。
……そう。

この感覚は知っている(・・・・・・・・・・)! 忘れるはずもない、あの時の……でも、どうして!?)

混乱している憂は、部屋の中をぐるぐると熊のように徘徊する。と、何かが床に落ちているのを見つけた。
定期入れのようだ。開いた状態で落ちており、中には定期と、誰かの学生証が入っている。
それを見た瞬間、憂は心臓を掴まれたかのような心持になった。
震える手で拾い上げ、学生証に刻まれた文字を読み上げる。
何故そんな事をしたかは分からない。だが、そうせずにはいられなかった。

◆ ◆ ◆


「次は貴方よ、尻手翔」
「……そうかい、それは光栄だ。尻を鍛えた甲斐があるぜ」
「貴方がどれだけお尻を鍛えたか知らないけれど、すぐに無駄だと思い知るでしょうね」
「何?」
「貴方は私に勝てない、と言ったのよ。すぐにわかるわ。
……ああ、そうね。1つだけ教えてあげる」

そして、小錦関の顔をした黒のオスモウドライバーは、その柔和な顔を笑顔で歪ませて、言った。

◆ ◆ ◆


「素晴らしヶ丘大学付属高校……3年2組」
「御武……か、な……」

◆ ◆ ◆


「私の名前は御武かな(・・)た。
……憂は私の物よ」

◆ ◆ ◆


それは、忘れるはずもない、失ったはずの親友の名。

「カナちゃん……っ!!!」

◆ ◆ ◆


「そうかい。……だが、あんたみたいな危ない奴に憂ちゃんを渡すわけにはいかないな」

翔は何時もの軽口で応じる。だが、それがかなたの逆鱗に触れた。

「お前が……憂ちゃんなんて、呼ぶなっ!」

かなたは、小錦の姿で、幾つかの構えを取る。

「フォームチェンジ」
《CLASS:SEKIWAKE》《KIRINNZII》
《きりぃい~~んじぃい~~》

「幕内を這いずりまわってこそ……見える光があるんだ」

次の瞬間、かなたは小錦の姿から、『花のニッパチ組』と呼ばれた名関脇、麒麟児へと姿を変えていた。

「だいぶ小さくなったな?」
「貴方には彼で十分……とはいえ、彼を侮らない事ね」

麒麟児はツッパリを得意とする力士だ。確かにその手数は圧倒的で、侮っては怪我をするだろう。……だが。

(スパンキングであるならば……受けられる!)

そう、打撃技は文字通りのスパンキングである。翔が策を弄するまでもない。
ただ、その尻で受ければよいだけだ。

「……シュァッ!」

裂ぱくの気合と共に、かなたが距離を詰める。そのままツッパリの構えだ。
VR酔いからはすでに覚めていた翔は、迷わずそれを尻で受ける。
だが。

「……っぐ、あぁぁぁぁ!?」

悲鳴を上げたのは翔だった。
翔の尻が、割れている。
二つに、などという冗談めいた話ではない。ツッパリが命中した地点から、蜘蛛の巣状にひび割れが走り、それぞれが裂傷となっている!

「あなたのお尻は、スパンキングの威力をそのまま力に変える……。
だけど、ダメージを完全に無効化できているわけではないわね? 一定程度軽減はするようだし、残ったダメージは強化された力で相殺しているけれど……完全に無効化はしていない。
ならば、私の……私達(・・)の『無限の攻撃力』で問題なくダメージは与えられる」

かなたは歌うように言う。
そして、さらにツッパリを繰り出す。翔はそれを傷ついた尻で受けるしかできない。

「あなたなんかに……あなたなんかに! 憂の、憂の何が! 分かるって! いうの!
ふざけないで! 憂ちゃんなんて……あなた達(・・・・)にそんな呼び方をする資格はない!」

幾発ものツッパリを繰り出しながら、怒りと歪んだ快楽に支配された顔で御武かなたは回想する。
自分が、この『無限の攻撃力』を手に入れた日の事を。
全ての始まりの日を。

◆ ◆ ◆


「――認識のコンフリクト?」

時は遡る。
とはいえそれは彼女にとっての主観時間の話だ。
本質的に、ここは世界における時間とは関係のない場所だから、そういう認識は無意味なものだ。

「ええ、私たちはそう呼んでいるわ。」

蜜ファビオ、と名乗った女は、柔和な笑みを浮かべながら頷いた。

「矛盾する魔人能力どうしがかち合ったとき。必ず、どちらかが優先されるわ。――それが認識の衝突(コンフリクト)。優先される側になるのが、第一の条件」

芝居がかった口調で、しかしどこまでも自然に蜜ファビオは言葉を継ぐ。
なるほど確かに思い当たる節はあると、御武かなたは頷いた。

「ではなぜ、自分の能力が“優先”されたのか。その答えに至ることが、第二の条件。」

彼女と話していると、まるで自分まで舞台の上の住人になったのかというような錯覚を覚える。だから“こう”答えるのが自然な気がして、彼女の脚本に沿ってかなたは応じる。

「“自分は神に愛されている”」

たっぷりと間を取って、蜜ファビオは満足げに笑った。

「そう、世界の外側に選ばれた確信。そこに至れば、貴女はもう『転校生』よ」

『転校生』
曰く、ロジックの異なる魔人。
無限の攻撃力、無限の防御力、世界を渡る力。
そして依頼と報酬を得て―――

「自分だけの、世界」

それを、創り出すことができる。
それができるなら。それができるなら、或いは
とうに失ってしまった私の親友。
彼女を、取り戻すことだって―――

「憂…」

『転校生』御武かなたの旅と戦いは、こうして始まった。

◆ ◆ ◆


「カナちゃん……!」

私、狭岐橋憂は飛んでいた。
無論、淫魔化しての事である。心は高ぶっているものの、さすがに脱ぐような心理状態ではないため自重している。
幸運なことに、雨は私がビジネスホテルで気が付いてから程なくしてやんでいた。

「翔さんの匂いは……あっち!」

男の匂いを避け……逆に、少なからず思いを寄せている翔さん個人の匂いを追って飛行する。
さすがに現実世界で殺人に及ぶわけにはいかないため、VRでの戦いの時に比べて飛行経路の選択は慎重だ。うっかり男の視界に入らないよう、細心の注意を払って移動する。

(《For You》が使われた以上、カナちゃんはいるんだろうけど……迷惑かけるわけにはいかないものね)

心の中でそう呟きながら、公園まで100数十メートルの地点で高度を一気に下げる。
この位置からなら、公園を一方的に見る事も可能だ。

……尻にひび割れが入った男性が、倒れている。

「っ……翔さん!?」

たまらず、一直線に公園に飛ぶ。
翔さんは顔を地面につけ倒れている。翔さんの視界に自分が入る心配はない。
……だから、それに気を取られて気が付くのが遅れた。

目を丸くしてこちらを見ている、ひとりの力士。
男性。
が。

「えぇぇぇぇぇぇー!?」

《ジレンマインマ》解除。飛行の慣性を保ったまま、公園に突っ込んでいってしまう。
いくら魔人と言えども、高速飛行の最中にコントロールを失ったら死ぬ。
え。まさか私、また?

「カナちゃん、ごめ……」
「ばかーっ!!」

次の瞬間、何事もなく地面に立っている私の眼前を、高速で飛んできた力士が通り過ぎ、地面にめり込んだ。

「……えー、と」

《For You》……大切な人の危険を肩代わりする能力を使ってくれたのは、分かる。
でもその。あの。なんで力士さんが。
え、ま、まさか。

「か、カナちゃん?」
「……憂」

がばっ、と、まるで低予算のコメディアニメのように、何事もなかったかのように力士さんは起き上がる。
そして、言った。

「なんであなたはいつもいつもいつもいつもそううっかりなのよ!?」

……。
ああ、この口調。
ちょっぴり名前を呼ぶ時のイントネーションが違うけれど。
声も今は力士さんのだみ声だけど。

「カナちゃん」
「……何、憂」
「……カナちゃんだぁ……」

涙がこぼれてくる。
第3ラウンドではVRでの出会いだったけど、今度は、本当の。

「……違うわよ」

力士さんは、カナちゃんは言う。

「私は確かに御武かなでだけど、貴方と一緒に生まれ育ったカナとは少し違う。同一人物だけど、別人なの」

……なにそれ、訳分からない。
訳が分からないついでに、カナちゃんに集中していた感覚がだんだん周囲の状況を拾い始める。
公園の街灯。
土管状の遊具。
ぼろぼろのお尻を丸出しにして倒れている翔さん。

……翔さん!!

「しょ、翔さん! しっかりしてください!」
「ってて……うう……おい力士野郎……」

憂が駆け寄ると、翔はよろよろと立ち上がり、力士に尻を向ける。

「俺は、まだ、立ってるぜ」
「ちょっと翔さん!? ぼろぼろじゃないですか! なんでこんな」
「……憂」

感情のない声。見ると、力士さん……カナちゃんが声と拳を震わせて、こちらを見据えていた。

「なんでよ……なんでそいつら(・・・・)にそんな優しい事が言えるの?
 そいつらは……ひどい、奴らなのに」

なんとなくだけど、カナちゃんが言葉を選んだのが分かる。

「ひどくなんてないよ! ……そりゃ、クズみたいな奴だっているけど、翔さんはいいひとだもん!」
「なんで分かるのよ!?」

カナちゃんが声を荒げる。

「どうして……憂はいつもそうなのよ……いつも、ずっと……だから、憂は……」

カナちゃんの全身がぶるぶると震えている。寒気があるのか、腕を抱え込む。

「あぁぁぁぁぁ!!」

そのまま……カナちゃんは、ものすごいスピードでどこかへと走って行ってしまった。

「カナ、ちゃん……」

どうしたんだろう。何があったんだろう。
そもそも、あの女子高生(・・・・)のカナちゃんはどこから来たんだろう。
……私は、翔さんは、これから何ができるだろう。

「……って、いけない! 救急車ー! ええとそれともC3ステーションの医療チームの方が……!?」

◆ ◆ ◆


「……ほァっ!?」

思わず声が裏返ってしまった。
恋語ななせは、わたし……変幻怪盗ニャルラトポテトの大切な友人だ。
できる限りのことはしてやりたいと思う。
そんな彼女が真剣な声音で頼みがあると言ってきたのだから。夜半の来訪に応じるのだってやぶさかではない。

「うー……な、何度も言わせないでよ…っ!」

問題はその、頼みの内容だ。
ななせは涙目で睨みつけてくる。

「僕を……女にして下さいっ…!」

恋語ななせは大切な友人だ。
しかし憎からず思っている女の子からこんなこと言われたらさ。
そりゃ、声とか裏返るじゃん。

… … …。

「あ、あーー、ハイハイハイ!おまじないね、おまじない。ウン、なるほど!わたしはてっきり――」
「てっきり、なんだと思ったんだよぅ!」

自分の言動を思い返して、ななせは顔を真っ赤にしている。唇を尖らせて、すけべ、とすねたように呟いた。
ごめんて。
つまりその、アレだ。
ななせは二回戦以来、()のままであるという。
女に戻るためのおまじないに協力してほしいということだ。

「その……戻れば、ニャルちゃんにだってメリットはあるでしょ?」

…まあ確かに。ななせが女に戻れば、わたしの能力で再び彼女の能力をコピーできるようにだってなる。
いや、メリットなんてなくっても協力はする気だが。

「で、その、おまじないの内容は?」
「……」
「内容は?」
「…………」

「協力してくれる?」
「なんで言質取るところから始めようとするの!?」
こいつちょいちょいそういう所あるな!!

恋語ななせは大切な友人だ。
そして恩もある。
二回戦で、支倉饗子と戦ったとき、わたしは彼女をコピーした。
同時にトレースした思考と記憶から流れ込んできたのは大量の“わたし”だった。
どんな顔をしていた、どんな話をした、どんな風に笑った。
能力を使う度に剥がれ落ち、失っていった“わたし”を、彼女は覚えていてくれたのだ。わたしはわたしに生じた欠落を、埋めることができた。
この時、こうして自分を取り戻すことができなければ、先の戦いで第四段階の扉を開くことはできなかっただろう。

「そんな風に言わなくてもさあ、ちゃんと協力するって」

だから、出来る限りのことはしてやりたい。
恋語ななせは大切な友人だ。
そして彼女の思考をトレースしたわたしは、彼女の想いも知っている。
恋語ななせは大切な友人だ。
……自分は、彼女をどう思っているのだろう。
恋語ななせは大切な友人だ。
恋語ななせは大切な友人だ。
恋語ななせは大切な友人だ。
そうやって思いを馳せたとき、どこか頭にもやがかかったようになって、どうしてもここから先に思考を進めることができない。
あるいはこれが、彼女が失った「願い」の代償なのだろうか。

「友達だろ?」

口をついてしまった言葉に、ななせの顔を直視できない。
そう、と、彼女は安堵するように呟いて、おまじないを口にした。

「じゃあさ――」



「キス、して」



◆ ◆ ◆


僕は、ずるい女の子だ。

唇に触れた柔らかな感触と、じんわりと触れた体温をぺろりと舌で撫ぜて、その記憶を反駁する。

身体の中がぐるぐるして気持ち悪い。
だからしばらくこうさせて。
――そう言って、僕はニャルちゃんに体重を預けている。
しがみつくように背中に手を回して、その体温と体臭をからだ一杯に受け止める。
……嘘だ。
確かに身体の中身が作り変えられる感触はあるが、立てないほどでも動けないほどでもない。

「あー……わかるよ。わたしも、初めて能力を使った時はそんな感じだった」

まさかの共感。
そして、役得。
ニャルちゃんはいたわるようにして、僕の背中をさすってくれる。
ああ、幸せ。
幸せだ。
じんわりと心の奥が温かくなる。
早鐘を打つ心臓の感触も、伝わってしまっているだろうか。
…………もし。
もし、僕が真の報酬を得られたとして。
そうなったら、この口づけも、この抱擁も。
虚構(うそ)になってしまうのだろうか。
そんなことを思えば、胸が締め付けられるような心地を覚えた。
僕の物語の、"決着"は、――最後の戦いは、近い。

◆ ◆ ◆


「……行くんですね」
「ああ」

翔さんの答えは簡潔だった。
だけど、その答えの意味するところは、とても膨大だった。

「悪いな、憂ちゃん。こんな検査にまで付き合ってもらっちゃって」
「ご心配なく。講義は自主休講してますので……ああ、そうそう。ギネスブックには載るそうですよ? 鷹岡さん、今回の大会では各試合にあらゆる種類のギネスの計測員を配置してるんだそうで」
「露出卿とのあれか。なら、スパンキングをギネスブックに乗せるって目的は達成だな」
「鷹岡さんは第4ラウンドで記録更新することを目指してるとか何とか」
「なんでだよ」

俺、何か悪いことしたかなー、という翔さんの笑いに、私は営業スマイルで答える事しかできない。

「……検査の結果は見ましたし、聞きましたよね」
「ああ」
「カナちゃん……あの力士さんから、翔さんの受けたダメージは甚大です。
すくなくとも、今後一線級のスパンカーとして活動していくのは無理だろうって。
だましだましやっていくとしても、それでも10年持てば奇跡だって。
ましてや、無理をすればスパンキングどころか日常生活でも支障をきたしかねない……って」
「ああ」
「……だったら!」

私は声を振り絞った。
視界がぼやけ頬に温かい何かが伝ったが、連戦の疲れと気のせいだろう、という事にした。

「なんで次の試合を棄権しないんですか!? VRとはいえ、影響が皆無とは言い切れない。無茶をすればどうなっても保障はしかねる……お医者さんだってそうおっしゃってたんですよ!?」
「おいおい、俺は大丈夫だよ。お医者さんと俺のどっちを信じるんだ」
「医療分野ではお医者さんです!」
「そっか」
「そっかじゃないですよ! もー!」

ぷんすか、とおこる私に、翔さんは苦笑いを浮かべると、一転して真剣な表情でぼそりと言った。

「……約束」
「え?」
「真の報酬でカナちゃんを生き返らせる。約束しただろ?
その約束はまだ叶えられてない」
「っ……そんな、それって……」

ああ、この人は、まだ私との約束を大事に思ってくれているのか。
カナちゃんの同一人物の別人に、あんなひどい目にあわされて、なお。

「あ、それと、別にカナちゃん……力士のカナちゃんにぼろぼろにされたのも恨んでないからな。
これは俺の力不足だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「~~~~っ!」

声にならない声を押し殺す。
この人は、この人は本当に。なんて、なんて……。

「……バカ」
「知ってる」

それからしばらく、私と翔さんは無言で時間を過ごした。
やがて、戦いの時が……来る。
さすがに並んでVRに入るわけにもいかない。私は、用意された部屋に向かうべく立ち上がった。

「……それじゃあ、そろそろ私は行きます」
「ああ、がんばってな、憂ちゃん」
「はい、翔さんもお気をつけて」

涙をぎゅっと、袖口で拭いて、私は翔さんに尻を向けた。

◆ ◆ ◆


僕が《エンゼル・ジンクス》を使うにあたって、一つだけ守っている決まり事(ジンクス)がある。
それは、“おまじない自体に干渉するおまじないはしない”事。
能力的に制約はない、多分やればできると思う。
だけどやらない。なぜか。
それは、さいころを掴んで叩きつける所業に近い、と思っているからだ。
確かにそうすれば、運命はその手につかめるのだろう。
だけど、それは無粋だ(・・・)
本当にそのおまじないが叶うときは……きっと、それは叶うようにできている。
そう思っている。

だから今回。
僕は、神様のサイコロに運命をゆだねる事にした。
つまり、おまじないでマッチングを選ばないことにした。
「おまじないでニャルちゃんに当たる」のも
「おまじないでニャルちゃんに当たらない」のも
どっちも違うと思ったから。

結果は、残念ながら外れ。
だけど、それを悲観はしない。
運命を受け入れ、運命を乗りこなす。
それが僕だから。

◆ ◆ ◆


「―――ん?」
僕がVR空間にログインすると、プレゼントボックスが新規受信のメッセージを発していた。
何の気なしにボックスを開いてみれば、中身は二つ。一つは……

「詫び石だこれ」

ダンゲロストーンが10個。
なんでも獅子中以蔵の表記が云々かんぬん。まあ、貰えるというんだから貰っておこう。
そして、もう一つは。

「……ニャルちゃん」

送り主は誰あろう、変幻怪盗ニャルラトポテト。
その中身は、アイテム名:『祈る水晶のチャーム』
……あの日二人で手に入れた、水晶ドクロを素材に錬成される『ダンジョン&ダンゲロス』のゲーム内アイテムだ。

「……ありがとう」

その意味を。
彼の意図するところを受け止めて、そのアイテムを抱きしめる。
僕はチャームの中に仕込まれた、データキューブを展開(・・・・・・・・・・)した。
T R P G(ティー・アール・ピー・ジー) 》第四段階 《並列演算(デュアルコア)
RPG+革命(アールピージー・かくめい)
データトレース
 属性置換
 アバター変換
 Now loading…..

◆ ◆ ◆


男がその地に降り立ったとき、どよめきが起きた。
今大会きっての武闘派のひとり、彼こそがだれ有ろう尻手"スパンキング"翔。
その大男が世紀末を模したVR戦場に降り立ったとき、これまでの出で立ちとは大きく異なる点が二つあった。

一つはふんどし。
彼は日ごろ愛用している尻意(ケツイ)の意匠が込められた白ふんどしではなく、
赤フン――狭岐橋憂から贈られた、真新しいそれを身に着けていた。

一つは尻。
大会を通して老若男女を問わず、多くの人々を魅了してきた彼のプリケツは最早見る影もない。
痛ましく醜悪な、ひび割れのような傷跡が生々しく刻まれていた。
痛みか、あるいは腰部の機能そのものにも支障を来しているのだろう。
歩く姿もどこか、ぎこちなさが見て取れた。

それを目にしたモヒカンアバターに扮した観客たちは、はじめ驚愕とともにどよめきを起こし、
やがて一定の納得とともに、下卑た期待に満ちた笑いを広げてみせた。
恋語、恋語だ。
あの女が、きっと何かをしたに違いない。

はじめ無名であった恋語ななせは、この大会を通して一躍有名になった。
一回戦における劇的な敗北
二回戦における裏切りを巡る策謀――恋語と狭岐橋の密約を巡るVRログは、後日何者か(・・・)の手により流出している。
三回戦での、対戦相手の恋人を刺客に仕立て上げる手腕。

スパンキング翔とは対照的な、陰湿なダーティファイトの数々は、彼女に歪んだ人気を与えた。
だから彼のこの尻の惨状を、観客たちは恋語ななせが何かを仕掛けたものだと信じて疑わなかった。
観客たちは期待している。
尻手翔が転落していく様を。
恋語ななせがのたうちまわる様を。

指笛とともに、品のないヤジが尻手翔に投げかけられた。


◆ ◆ ◆


なんだ、その恰好は。
奇しくも僕らの見解は一致していたらしい。

「どうしたんですか、その――」
「ま、色々あってな」

翔さんはこちらの言葉を遮ってからりと笑った。

「ななせ嬢ちゃんこそ、聞いてた話と色々違うじゃあないか」
「まあ、色々あったんですけど――あ、下の名前で呼ぶのはナシ」

下の名前は狭岐橋さんだけとかにするべきだと思う。

「悪い」

と、翔さんは笑う。

「僕、いろいろ考えたんです。
そうしてやっぱり、貴方と戦うなら。勝ち方に、拘るなら」

胸元の、『祈る水晶のチャーム』が揺れる。

「正面から、正々堂々倒すのが一番だって」

堪え切れなくなった観衆の一人が吹き出し、あたりは下品な笑いで包まれた。
何を白々しい、といった所なのだろうか。

「そうか! やっぱり、最後を飾るならそうでなくっちゃあな!」

笑ったのは翔さんも一緒だったけれど、彼は僕の言葉を真正面に受け止めてくれた。
だからつられて僕も笑う。

「今の僕は――強いですよ」

細身の鎧、大ぶりの盾、銀色に輝く片手剣。
それが僕の、今の出で立ちだ。
顔の右上にはネームプレートと、HPとMPのゲージが表示されている。

《神殿騎士》ナナ Lv89

ネームプレートには、そう記されている。
あの日から、彼と一緒に冒険がしたくて、助けになりたくて。
僕はプリーストから神殿騎士にジョブチェンジをした。そうしてたくさんの冒険をした。
ニャルちゃんを追って走った恋の日々の、その証明。
ニャルちゃんから受け取った能力による、『ダンジョン&ダンゲロス』のアバターの再現。
それが、僕だ。
いちばんつよい、僕の姿だ。

「そうか、そうだなあ」

なんたってレベル89だ。きっと手ごわいに違いないと、腕を組んで翔さんは頷く。
少しの間何かを言いかけて、言葉を作れなかった彼は、ただ、尻を向けた。

「――へへっ、上手く言えねえや。ぶつけてこいよ、受けて立つぜ」

二つの影が、交錯する。

◆ ◆ ◆


強い、と、歯噛みをした。

「う、おおおおっ!」

どれだけの時間が経っただろうか。
打ち込む幾つもの剣戟は、あの傷だらけの尻に受け止められてしまう。
全盛期のプリケツを失ってなお、彼の合気の技術は健在だ。

「っ、あ!」

疲れにわずかに震え始めた両腕の隙を彼は見逃さず、
甘くなった打ち込みは受け止められ、捻られ、手にした剣は弾き飛ばされてしまう。

「っ! 《ホーリーソード》!《エンチャントパワー》!」

直ぐに神殿騎士の魔法で剣を作り出す。
翔さんは、神聖耐性を持っていた。
この剣では不利は否めない。HPもMPも、じりじりと減っていく。
それでも――それでも!
負けられない。負けるわけには、行かない!
ニャルちゃんから贈られてきた能力は三つ。
《TRPG》《自己変革アルゴリズム》――この二つによるアバター変換。
そして最後の一つは、《エンゼル・ジンクス》

【ななせが、幸せになりますように】

―――優しい彼はきっと、祈らずにはいられなかった。
そして、その意味を知って後悔もしているだろう。
だから勝たなきゃいけない。おまじないを、達成しなければならない。
幸せになるためじゃない。
大好きな彼を、悲しませないために。

……勝とう。
誰よりも強くて、優しいこの人を破って。
《セイントクレスト》《エンチャントバーサーク》《聖剣解放》《騎士の宣誓》《奥義一閃》
残るMPを注ぎ込んで、僕は勝負に出る。

「う、ああああああああああっ!!!!」

◆ ◆ ◆


強い、と尻を鳴らして唸った。

今の自分では尻で受けてなお、ダメージは蓄積していく。
能力は発動するが、一定水準を越えれば彼女は守りに徹して時間切れを待っている。
そうしてその間に、《リジェネレイト》で回復し《金剛城壁》で身を守るのだ。クレバーな戦い方だ。

ヒップスのような執念ではない
憂のような覚悟ではない
露出卿の練り上げた技術でも
野々美つくねの純粋な探究でもない

あるいは自分が万全であったなら、苦にもならない相手だったかもしれない。
それでも確かに思うのだ。
恋語ななせは、強い。

決着の時は近い。
自分は蓄積したダメージが
恋語ちゃんは魔法とスキルを手繰るMPが
それぞれ限界に近いのだ。

スパンカーとしての復帰は絶望的だ。
この戦いが、スパンキング最後の歴史となるだろう。

ヒップス、今の俺の尻を見て、お前は何て言うだろうか。
露出卿、あんたのおかげで、俺は一つ強くなれた。
野々美の嬢ちゃん、あんな勝負を、俺はまたしたかった。
憂ちゃん。
俺は――

「(憂ちゃんの願いが、今は俺の願いだ)」

だから勝とう。
誰よりもまっすぐで、一生懸命なこの少女を破って。

相手の目に強い光が籠る。
彼女は眩い光を宿した剣を振りかぶった。
俺は、どうする?
―――決まっている。

「――俺が、尻だ」

すべて受け止め、そして、叩き返す!
見ているかヒップス、これが――
「これが!俺の!

最後のケツ叩き(ラストスパンKING)だああァァァァ!!!」

◆ ◆ ◆


【認識の衝突(コンフリクト)

決死の一撃を放った、刹那の虚脱の間に。
恋語ななせはふと思考する。

僕の【決して叶わない恋】
ニャルちゃんの【幸せを願う祈り】
果たしてこれは両立しうるのだろうか。

僕の幸せは、きっとこの恋なくしてはあり得ない。
諦めたおまじないは、厳然と立ちはだかる。
ならばきっと、選ばれるのはどちらかだ。
それを決める、運命の神様みたいなやつがいるとして、選ばれるのはきっと、そいつに、愛――

「(――関係ない!)」

折れた剣を投げ捨てて、胸元のチャームを握りしめる。

そうだ、関係ない。
僕が欲しいのは、大好きなあの人の愛だけだ。
神様だって運命だってほかのどんな奴だって――それ以外が何を思ったって関係ない!
お前らが何を思ったって、僕は、知るもんか!

自分で選んだ愛する人と、自分で選んで進んだ道だ。
いま判った。今決めた。

僕はこの道を、この恋を、この苦しみを、あの抱擁を、あの口づけを、彼の祈りを

虚構(うそ)になんて、しない―――!!

◆ ◆ ◆


「ちめい、しょうを、おっても…」

歯を食いしばる。

「すこし、だけ、うご、ける……っ!」

チャームを握ったこの拳を、僕は彼の鼻先に

「おま、じない……っ!!」

叩きつけた。


第四ラウンド 第四試合
○恋語ななせ - "スパンキング"翔●
1時間19分45秒
決まり手:右ストレート


◆ ◆ ◆


「……負けたのに、そんなに気持ちよさそうに笑ってるんですね」

……そうかな。俺、そんなに笑ってたか?

「はい。眠ってるんならすごくいい夢を見てるんだろうなって、そんな感じの顔でした」
そうだなあ。いい夢は見れた……いや、今でも見てるよ。

「そうですか? うーん、どのあたりをもっていい夢なんでしょう」

全部だな。
DSSバトルで戦って戦って戦って戦って、戦い抜いた。
それは夢みたいなお祭りで、お祭りみたいな夢だ。
お祭りは何時か終わる、夢は何時か覚める。
だからこそ最高だし、終わったり覚めても、残るものがある。

「あはは。何言ってるんだかよく分からないですよ翔さん」

バッサリだなあ。
……さて、運営の結果発表を待とうか。

「? 翔さんは負けたんだから、もうあんまり関係ないんじゃないですか?」

そうでもないさ。真の報酬の対象者は、発表されるまで結果は分からない……少なくともそういう事になってる。
だったら、俺や憂ちゃんが対象者になってる可能性もゼロじゃないさ。
運命に勝てる奴は、最後まであきらめない奴なんだ……って、どこかの漫画の主人公が言ってた。

「ふーん。……ところで、諦めなかったうえでダメだったらどうするんですか?」

笑ってごまかす……その後で、別のやり方を探すさ。
別に、DSSバトルの真の報酬だけが過去を変えるやり方って決まったわけでもない。
カナちゃんをよみがえらせる方法は、見つかりにくいだけでどこかにきっとある。だったらそれを探すだけだ。

「……ずるいです。そんな事言われちゃったら、離れられなくなっちゃうじゃないですか」

約束しただろ? 俺は憂ちゃんと。憂ちゃんだって、VRのカナちゃんと。
だったら、それが叶うまでは絶対にあきらめない。
ななせちゃ……恋語ちゃんが俺に教えてくれたことだ。

「……あ、ななせちゃんは苗字呼びにしたんですね。なるほど、まずは第一歩、って事ですか……」

面と向かって文句言われたら、さすがに俺だって考えるさ。
ところで、何が第一歩だって?

「な、なんでもありません! さ、待ってる間話でもしましょう!
たわいもない話や、大切な話、いろんな話を、好きなだけ!」

そうだな。偶にはそんな時間も、悪くない、か。

「ええ。……さて、早速ですけど映像記録を見せてもらっていいですか?」

今の試合の? いいけどさ、結果は知ってるんじゃないのか?

「いいものは何度見てもいいんですよ。何しろ……
スパンキング翔の、ラストスパンキングですからね!」

<スパンキング翔のラストスパンキング:了>
<狭岐橋憂の恋と探索行:未了>



「………。」

そして密かに、
その様子を見ていた少女が、いた。
彼女は何か口を開きかけ、姿を見せるか少し迷い、
そして、踵を返す。
後には何も、残らない。

◆ ◆ ◆


「あら、おかえりなさい」

蜜ファビオは、いつもの様に柔和に微笑んで、後輩を出迎える。
彼女は手ぶらで、そして、うつむいていた。
御武かなたは無言だったが、それ故に、雄弁だった。

「…お仕事、駄目だったの?」

優しく問いかける。
彼女は首を横に振るった。
意外、というほどでもない。元より使い出のない魔人能力しか持たなかった彼女は、
しかし転校生のスペックの活かし方と戦い方を学ぶのに貪欲であったし、
黒のオスモウドライバーを手に入れてからはその弱点も補完された。
未だなりたての部類であるとはいえ、そうそう後れを取るとも思えなかった。
で、あるなら

「…"報酬"、受け取れなかったのね」

御武かなたは、今度は頷いた。

「どうして?ずっと、探していた子なのでしょう?」

「……。」

押し黙るかなた。
しかしそれは続く科白への"間"であると蜜ファビオはよくよく理解していたので、
静かに、彼女が言葉を繋ぐのを待った。

「……憂が、生きていたの」 
「そうね」

だから、彼女は報酬になりうる。

「……私より、年上になってた」
「うん」
「もうすぐ、二十歳になるって」
「うん」
「好きな人が、いるって」
「そう」

一度口を開けば、かなたの言葉はとめどなく溢れ始める。
柔らかく微笑んだまま、蜜ファビオは後輩の言葉を受け止める。

「わ、わたっ、私……できなかった…!
生きていて、笑っていて、恋をしているあの子を、連れてくることが、できなかった…!!」

じわりとかなたの目の端に雫が浮かび、そしてさしたる抵抗もなくこぼれ始める。
その姿を、美しい、と、思った。

「どうして…!どうしてぇ……どうして私は、あそこにいないんだろう…!」
「そうね、悲しいわ。とっても、悲しい脚本(ものがたり)

すがりつくかなたを抱きしめる。

「いまはゆっくり休んで、それから、考えていけばいいわ。私たちは、貴女の味方よ」
「ファビオさぁん――!!」

わあわあと幼子の様に、御武かなたは泣きじゃくった。
『転校生』御武かなたの旅は、今少し、続くのだろう。
どういう答えを出すにせよ、それまで寄り添ってやろうと、蜜ファビオは思った。

<『転校生』御武かなたの旅:未了>

◆ ◆ ◆


"決着"をつけよう。

僕とニャルちゃん―――ヒカリくんの、最後の試合が決着した。
それを待って、走る、走る。走っていた。
彼のところに向かって。
大好きな彼のところに向かって。

急がなければ胸に詰まったこの言葉が、こぼれてしまいそうだ。
長いようで短い、戦いの日々が終わった。終わらせるなら、きっとこんな日がいい。
美容院への予約も済ませた。
これが終わったら、髪を切りに行こう。 

◆ ◆ ◆


恋語ななせは、転校生ではない。そうはならなかった。
しかしそれは彼女が世界からの寵愛を拒絶したからであって
認識の衝突(コンフリクト)に敗北したからでは、無い。

彼女の恋は実らない
彼女は幸せになる

―――だから、その衝突の結果を知る者も、いない。

◆ ◆ ◆


「――好きです!!!
あの日手を取ってくれたその時から!
一緒に冒険して、一緒に話して、一緒に笑って!そうしてる間、ずっとずっと好きでした!
きみの笑顔が好き!誰かの為に怒るきみが好き!ハッピーエンドに向かう君が好き!
泣いていても打ちひしがれても、すぐに立ち直る君が好き!!
僕は、ずっと、きみの隣に、いたいんだ!どうしようもなく、好きだから!」


◆ ◆ ◆


恋語ななせは、大切な―――


<恋語ななせ4回戦:了>
<勝者:恋語ななせ>
<ななせの恋物語:決着3秒前>

<"観客"の目:シャットダウン>
最終更新:2017年11月19日 03:06

*1 余方。力士ではない一般人のこと。素人。