第4ラウンドSS・世紀末その2

【翔と、ニャルラトポテト】

 それは、突然の来訪だった。
 翔が仮宿(公園の土管)に氷尻(ひょうけつ)のアイスを食べながら戻ると、土管の入り口をふさぐように、少女は立っていた。
 細身の体躯を、漆黒のロリータ服で包むその姿は、あまりにも公園にはアンバランスだ。
 少女は、憎々し気に口を開く。

「なんつーところに住んでんだよ。“スパンキング”翔……サン」

「ハッハ。住んでみると、意外と悪くないもんだぜ。住めば都ってやつだ」

 翔は高笑いを上げながら、持っているレジ袋から肉まんを一つ差し出した。少女は、黙って手を振り、それを断る。

「それで、敗けた奴に何の用だい。ポテトちゃんだっけか」

「ニャルラトポテトだ。ポテトの方取る人、あんまりいねえんだけどな」

 変幻怪盗ニャルラトポテト。DSSバトルの参加者である。
 もっとも、翔は人のプロフィールをほとんど見ないので、知っているのは名前と顔だけだったが。

「今までの戦いは見ていた。あんたなら、話すに値すると思ったんだ」

 ニャルラトポテトは、真っ直ぐに翔の目を見た。

「力を貸してほしい。鷹岡に捉われた、一人の少女を盗むために」

 翔は、頭をポリポリと掻いた。尻は掻かない。珠のような尻に、傷でもできれば一大事だ。

「どっか、茶店でも入るか。この寒いのに、女の子に立ち話をさせるのもなんだからな」

「……本当に、相手のプロフィール見てねえんだな」

 ニャルラトポテト……本名、鳴神ヒカリ。
 男性である。


* *


【かなたと、鷹岡】

「くっ……は!」

 御岳かなたは、人気がなく静まり返った裏路地で、ゴミ捨て場に頭から突っ込んだ。額から血を流し、意識は朦朧としている。
 その姿は、魁皇を形どっている。歴代最強とすら謳われる、攻守ともにバランスの取れた名大関。
 それが今、なすすべもなく倒れ伏していた。

「困るんだよねえ……。僕のシナリオを崩されちゃうとさあ」

 カツカツと靴音を鳴らし、にやけた笑みを浮かべる、ブラックスーツに身を包んだ男。その手には、割れたビール瓶が握られていた。
 紛れもなく、C3ステーション社長である、鷹岡修一郎である。

「野々美つくねを勝手にパワーアップさせてくれたのは、実にありがたかったよ。ノーパンで恥じらう姿も、反響が良かったしね。
 でもね、国暗協を潰そうってのはやりすぎだ。彼らは、このDSSバトルを盛り上げるためのスパイスなんだからさ」

 かなたは、僅かに唇を震わせる。それはまるで、横綱にビール瓶で殴られたときの如き感情。
 恐れが、かなたの全身を包んでいた。

「ま、今日はこんなところでいいや。僕は、肉体労働は苦手なんでね。もう、邪魔しないでくれればいいから」

 踵を返し、眩い大通りへと抜けていく鷹岡。それを、かなたは黙って見届けるしかなかった。

 鷹岡の手には、虹色のオスモウドライバーが握られていた。


* *


【翔と、ニャルラトポテト・2】

「以上が、事の顛末だ。鷹岡は、進藤美樹と進藤ソラを、お互いの信頼関係を利用して飼い殺してやがる。わたしは、それが許せない」

 ニャルラトポテトは、手に持つ透明なグラスを握りしめた。中に入れられたコーヒーが、静かに揺れる。
 翔は、既に号泣していた。どこが琴線に触れたのか、ニャルラトポテトにはよくわからなかったが、話し始めてから5分後にはすでに泣いていた気がする。

「お前、すげえ良い奴だなあ。進藤とか言う子も、お互いに切ねえなあ。鷹岡、良い奴ではねえと思ってたけど、許せねーよお」

(与しやすいなあ。この人)

 ニャルラトポテトは、心の中でほくそ笑む。
 自分がもしもこの男をだます気であれば、軽々と騙せてしまうのではないだろうか。
 翔は、尻で涙を拭った。さりげない衝撃映像にニャルラトポテトは口から心臓が飛び出そうなほど驚いたが、翔は気にしない。

「それで、俺はどうすりゃーいいんだ。その子を、連れてけばいいのか」

「いや、そっちは一応考えがある。外に連れ出すこと自体は、わたしがやる。翔サンは、安全な場所に匿ってほしい」

「その子の動きは鷹岡にマークされねえのか」

「ああ、進藤姉妹は、体内にGPS装置を埋め込まれている。鷹岡は、いつでもそれを確認できるんだ。だが、心配はない。それを無力化する方法も、既に考えてある」

「で、その子と合流した後の脱出手段は……」

「わたしが、ビル内でひと暴れすんのさ」

 ニャルラトポテトは、にやりと笑う。

「鷹岡がそっちに気を取られている間に、進藤姉妹はビルを出ていく。鷹岡が気づくころには、後の祭りってわけだ。
 あとは、姉妹で話でも何でもしてもらって、ゆっくり和解してもらえばいい。鷹岡が今までしてきたことを伝えれば、何とかなるだろうさ」

 翔は、手を顎に当てる。しばらく押し黙った後、口を開いた。

「それ、ちょっと無理だろ」

 ニャルラトポテトは、翔の言葉に目を丸くした。

「C3ステーションって、銀座にあるでかいビルだよな。ガードマンも山ほどいるだろうし、警備システムも強固だろう。一人でかき乱すのは、ちぃーっときついぞ。
 第一、お前鷹岡にすでにマークされてるんだろ。あいつもバカじゃねえんだから、お前がC3ステーションに乗り込んだ時点で、すぐに進藤ちゃんたちの存在に思い当たるだろ。お前は、姿を見せちゃいけねえ。
 そもそも、鷹岡もどうするか考えねえと。ああいうやつは、蛇みてえに陰湿だ。進藤ちゃんが逃げ出したからって、それで諦めるとは思えねえ。金と人脈の力で、必ず追い詰めようとするだろう。心を折らねえと、一生逃げ続けることになっちまう。それは、幸せじゃねえよ」

 ニャルラトポテトは、口をぽかんと開ける。

「……翔サン、思ったよりちゃんと考えてんだな」

「お前、俺をなんだと思ってんだ」

 翔が、ケラケラと笑った。

「暴れるのは、俺の方が向いてんだろ。その間に、お前が進藤ちゃんたちを連れていけばいい」

「いや、待て待て。そこまでやらせるわけにはいかねえよ。大企業に殴り込みかけるんだぜ。指名手配とか、普通にされるぞ。その点わたしは、もう手配されてるから……」

「心配すんな。俺、KGBとかに国際手配されてっから、日本の警察には元から追われてんだよねー」

「え、そうなの?」

 想像だにしなかった翔の言葉に、ニャルラトポテトの声が裏返った。

「悪の組織的なやつらに、色々やらかしてるからな。その縁で、結構国家の偉い人とかもぶん殴っちゃったみたいなんだわ。結構機密だから、あんまり知ってる人はいねえけど。
 稲葉白兎とか、お前もそうだけど、大会中の身柄は保証されるじゃねえか。だから日本に滞在できたけど、C3ステーション潰したら大会終わっちまうからな。
 身柄拘束される前に、また適当に海外にでもいくさ。」

 絶句するニャルラトポテトを尻目に、翔は自らの尻からスマートフォンを取り出し、コール音を鳴らした。

「もうちぃっと人手が必要だな。何人か声かけるぜ」

「おいおい、勝手に進めるなよ。わたしは、あんたが信頼できるからと思って話をしたんだ。勝手に人を巻き込むのは……」

「安心しろ。俺の知り会いは、みんな尻愛(しりあい)だ。信用はできるぜ」

 ヘイ(Siri)、と電話に話す翔に、ニャルラトポテトは何から突っ込んでいいかわからなかった。


* *


【鷹岡と、C3ステーション】


 C3ステーション、社長室。
 銀座の一等地に構えられたビルの頂上に位置するこの部屋は、鷹岡の私室を兼ねている。
 鷹岡は、壁一面に広がる大きな窓から見える景色がお気に入りだ。
 ここから一望できるほとんどの人が、自分の番組を見ている。ここにいると、そう実感できる。

 このビルは、鷹岡の城だ。

 鷹岡はほくそ笑みながら、自分の机に向かった。

「さあて、今日もお仕事お仕事……っと」

 けたたましくドアが叩かれたのは、その瞬間だった。鷹岡は、朝の優雅なこの時間に、騒々しくすることを好まない。
 不愉快そうに眉を寄せながら、「入りなよ」と声をかけた。
 ドアを開けた専務は、額に弾の汗をかきながら、あわあわと口を震わせていた。

「た、大変です、社長! ビルの前に……あ、あの……!」

 全裸の女性が! と言う言葉を聞いたときの、鷹岡の心境や如何に。


* *



【翔と、露出卿】

「すまねえなあ。こんなこと頼んじまって」

「ふむ。他人行儀なことを言うな、“スパンキング”翔よ。我らは、共に尻を交えた仲。三千世界の果てであっても、助けを求めるならばそこに駆けつけようではないか」

 C3ステーション本社ビル前。
 入口に立ち並ぶのは、『尻意(ケツイ)』と前垂れに書かれたふんどし一丁の筋肉男と、全裸の美女。
 早朝の銀座は、往来が激しい。何が起こっているのかと、興味本位で思わず足を止める人の群れが、C3ステーション前に集っている。

「それに……なかなかのギャラリーである。悪くない」

「はっは。そう言ってくれればありがてえな。そんじゃま、くれぐれも死人は出さねえでくれよ」

 翔が尻をスパンクし、気合を入れた。

「ふむ、誰に言っておるのだ、翔よ」

 ビル内から、雑踏の如く出てくる武装兵たち。
 露出卿は、静かに剣を腰のベルトから抜いた。

「人を活かす剣を振るわせれば、吾輩の右に出る者などいないよ」

 一閃。
 ただ一瞬剣が煌めいただけで、武装兵の装備は解除される。
 ついでに、周囲に集まっていた観衆の服も解除される。
 後には、悲鳴を上げる全裸の男女だけが残った。

「さあ、行け! ここは、吾輩が引き受けた!」

「おう、頼んだぜ!」

 叫ぶ露出卿を尻目に、翔はビル内に向かって駆け出した。
 阿鼻叫喚の地獄絵図になっている玄関前を、ギャラリーの間からチラと見て苦笑いする人影があった。
 既にオフィスレディに変装し、会社内に潜入していたニャルラトポテトは、全裸の男女が蠢くさまを見て、一人ごちた。

「……活人剣とか言ってるけど、社会的には死ぬんじゃねえかな」


* *


【鷹岡と、進藤姉妹】


 何故、こんなことをする。こんなことをして、なんの益があるというのか。
 防犯カメラに映る尻丸出しの侵入者を目で追いながら、鷹岡は必死に考えていた。
 “スパンキング”翔は尻で人を吹き飛ばながら、階段を全速力で登っていく。明らかに、社長室を目指している動きだ、
 “スパンキング”翔の強さは、DSSバトル視聴者の誰もが知っている。とても、この男を止められる警備など用意はできていない。

「ええい、全く! 僕は、スパンキングに呪われてるのかなああああ!」

 今まで、全てが鷹岡の書いた絵図の通りに進んでいた。そうやって、今の地位を手に入れた。
 こいつだけだ。
 “スパンキング”翔だけが、鷹岡の思い通りに動かない。

「理由はわからないけど、もう叩き潰さないと気が済まないよ……!」

 もうすぐ社長室にたどり着くであろう敵に相対するために、鷹岡は金庫からベルトを出した。
 それは、まさしく、虹色のオスモウドライバーだった。


 鷹岡は、たどり着けなかった。ニャルラトポテトと“スパンキング”翔が手を組んでいる可能性に。
 鷹岡は、油断した。翔の目的が自分であると判断した瞬間から、モニターから目を外してしまった。
 鷹岡は、本来最も注意を払うべき存在を、おろそかにしてしまったのだ。
 モニターには、はっきりと映っていた。
 OLに扮するニャルラトポテトが、進藤ソラの乗る車イスを押す。
 そして、その後ろから手を引かれる、進藤美樹の姿が。


* *


【翔と、鷹岡】

 社長室の扉を開けると、鷹岡が不敵な笑みを浮かべ、拍手を鳴らした。

「いやあ、流石だねえ。“スパンキング”翔君。強い強いとは思っていたけど、ここまでとは思わなかったよ」

「はっはっは! 光栄だな!」

 快活な笑顔でサムズアップをする翔に、鷹岡の腸は煮えくり返っていた。
 しかし、それを見た目にはおくびにも出さない。常に底の知れない男でいる。それこそが、鷹岡の戦術だからだ。

「それで、今日は何の用だい? まさかここまでやっておいて、近くに来たからちょっと寄ってみたってわけじゃないだろう」

「話が早くて助かるぜ、鷹岡サンよ。わかりやすく言うと、この会社を潰しにきたのさ!」

「……はあ?」

 鷹岡が、間の抜けた声を上げた。次いで、くつくつと腹の底から笑いが出る。これは、心底の笑いであった。一言、「失礼」と言って口元を抑える。

「会社を潰すって、頭の悪い話だね。暴力で潰れるような会社があるかい? 保険もかけているし、今日出勤していない社員も山ほどいる。この程度の損害なんて、どこからでも補填はできるのさ。
 本当にそのためだけに来たんだとしたら、あまりにも愚かと言っていい。やはり、頭の中までお尻になってしまっているのかな。おっと、こいつは失言だったな。すまないね。
 なんにしろ、例え君が僕をこの場でぶちのめしたとしても、僕が数日休暇を取るだけで、会社は痛くもかゆくもない。
 個人なんて、無力なものなんだよ」

 笑いを上げる鷹岡の耳に、甲高い声が響いた。

「その個人の犠牲の上で成り立つ会社なんて、潰れちまった方がいいと思ってんだよ」

 カツカツとヒールの音を立てながら、社長室の扉を悠々と歩く甘ロリに身を包んだ少女。
 変幻怪盗ニャルラトポテト。
 翔が、笑顔で手を振る。

「よう、ポテト。首尾はどうだい」

「おかげさまで、ばっちりさ」

 その瞬間、鷹岡の脳裏に進藤ソラが結びついた。
 モニターに目をやる。本来進藤ソラが常駐している部屋は、既にもぬけの殻だった。
 鷹岡は、内心の動揺を表に現さず、口笛を吹いた。

「こいつは驚いた。あの偏屈な子を、どうやって連れ出したんだい」

「簡単な話だ」

 ニャルラトポテトは、厭らしく笑った。

「進藤ソラは、1日合計1時間だけ、聖母みたいな気のいい子になれるんだよ」


* *


【狭岐橋と、支倉】

 都内の某個室居酒屋。
 夜は大人の社交場となるが、昼である現在は気軽に個室でランチが取れる、便利な場所となっていた。
 進藤ソラは、車イスに乗ったまま入れる個室内で、明太子スパゲティを平らげていた。

「うーん、やっぱり味がしないなあ。食感は楽しいんだけどなあ」

「ソラちゃんはすごくおいしいよ、ハアハア」

 そして、進藤ソラを背後から抱きしめ、耳元をぺろぺろと舐める女がいた。
 1回戦で翔と激突した女、狭岐橋憂である。
 すでにサキュバス化しており、進藤ソラに熱烈なアプローチ……というかセクハラをしている。
 これは、決して趣味ではなく、進藤ソラを食べない(・・・・)ための方策だ。

 進藤ソラは、支倉饗子が出演するDSSバトルを魔人能力『Cinderella-Eater』で食した。
 そして、精神にのみ『いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)』の影響を受け、支倉饗子と化した。
 だが、第2ラウンドにおいてニャルラトポテトが叶えた『おまじない』により、『いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)』は1日合計1時間の任意発動能力へと変質した。
 その影響を受け、進藤ソラは1日合計1時間だけ支倉饗子の人格が表出する、二重人格体質となったのだ。
 進藤ソラは、鷹岡の策略と壮絶な過去により、色々とこじらせてしまっている。
 しかし、支倉饗子はその能力の凶悪さを除けば、至って心優しい少女である。
 C3ステーションに潜入したニャルラトポテトが接触し、現状を説明すると、二つ返事で「それなら、ここにいちゃいけないね!」と言ってくれた。
 そして、進藤美樹を説得し、共に脱出してくれた。

 二人を外で受け取ったのが、翔からの連絡を受けて待機していた憂だ。
 彼女は、サキュバスとなれば食欲が全て性欲に変換される。『いっぱい食べる君が好き(イート・ライク・ユー)』に対抗するには、もってこいの能力なのだ。
「お腹すいた」とぶーぶー口を鳴らした進藤ソラ(支倉饗子)が食事をしている間、進藤美樹には席を外してもらい、サキュバス化した憂は息を荒げながらソラの動かない足を股間に持っていったりしていた。

(翔さん、大丈夫かなあ……)

 もう少しすれば1時間が過ぎ、支倉化はしなくなる。そうしたら、二人に鷹岡の所業を話し、ご実家まで送り届ける。それが、憂の役目だ。
 これほどまでにこじれた二人の関係を、すぐに解せるとは思わない。それ相応の時間が必要だろう。
 けれど、きちんと話し合えば、分かり合えないはずがない。
 私だって、出会えたのだから。
 自分の魔人能力を肯定してくれるカナちゃんと。どこまでもお人よしの翔さんと。
 そして、恋語さんと。

(次会った時は、ちゃんと謝りたいな)

 憂は、ソラの素足を自分の顔に乗せながら、恋に一生懸命な少女との再会を祈った。


* *


【翔と、鷹岡と、ニャルラトポテト】


 鷹岡は、懐にしまっていたハンディモニターを取り出す。
 しかし、そこに本来示されるはずの、進藤美樹と進藤ソラの居場所を示す光は消えていた。

「二人の体内に埋め込んだGPSも無力化しているのか……」

「ああ、そいつはわたしが壊させてもらった」

 そう言って、ニャルラトポテトは姿を変える。
 それは、第3回戦で“理解”した戦友、枯葉塚絆の姿だ。

「どこに埋め込まれていようと、発信機は機械だ。『金属曲げ(クリップアート)』で、クシャっとやっちまえば、すぐに壊れちまう。あとは、外科手術でゆっくり摘出してもらえばいい。
 ちなみに、体内の鉄に『触れた』と認識できるかどうかは、きっちり事前に確認済みだ。抜かりはねえぜ」

「いやはや、こいつは参ったなあ」

 鷹岡は、顔だけでにやりと笑った。
 しかし、翔とニャルラトポテトから見えない机の下では、忙しなく膝を揺すっている。
 補填できる、どころの騒ぎではない。大損害だ。DSSバトルの要と言える二人が、自分の手の平から逃げ出している。
 その事実が、鷹岡には何よりも許せず、不快だった。

(こいつは、高くつくよ)

 逃げ出した二人を、どこまでも追い詰め、どこまでも搾取する。
 元来、荒事は好かない鷹岡だが、自分のメンツを潰した相手には、徹底的に報復をしなければならないことを知っている。
 進藤姉妹に舐められたままでは、今後の自分の地位は立ち行かなくなるだろう。裏切ればどうなるかを、思い知らさなくてはならない。

 だが、今はこの状況を収めることだ。
 オスモウドライバーを、いったん机にしまう。翔に対する個人的な恨みの範疇は、もはや超えた。この二人にかかずらってはいられない。一刻も早く体勢を立て直し、捜索隊を組織しなければならない。
 鷹岡は、パチパチと手を鳴らした。

「で、これからどうするつもりだい。二人を連れて行って、もう目的は達したんだろう。会社を潰すと言っても、さっき言った通り個人の力で会社を潰すのは不可能だ。
 このビルを灰燼に帰せば、ひょっとしたら会社は倒産するかもね。でも、そんなことしたら路頭に迷う人が出てしまう。それは、君たちも望むところではないだろう。
 正直言って、こちらは彼女らが抜けただけで大損害なんだ。もちろん、今後彼女らを追うつもりもない。今日はこんなところにして、帰ってくれないかなあ」

「確かにそうだなー。ここに勤めてる人らにゃ、あんま迷惑かけたくはねえし。お前も、随分疲れてそうだ。俺もこの辺りで帰りてえのはやまやまなんだけどよ」

 翔は、にやりと笑った。

「そもそも俺は、お前のことそんなヤワなケツだと思ってねーんだよな。とことん叩き潰さないと、お前は必ず進藤ちゃんたちを追う」

「……なに?」

「お前と似た奴を、俺はよく知ってんだ。両腕が義手になっても、半年で中東最大の犯罪組織を復活させた奴に……な」

「君は、何を言っているんだ」

 尻リリリリ。尻リリリリ。

 何処からか、電話のコール音が鳴った。翔が、ケツの隙間からスマートフォンを取り出す。衝撃映像に鼻水を吹きだす鷹岡を尻目に、翔は電話に出た。

「おっ、終わったかい。サンキュな」

 翔はスマートフォンを放り投げ、鷹岡はそれを片手でキャッチする。

「お前に話があるって」

 鷹岡が、恐る恐る電話口を耳に当てる。

「……鷹岡だ」

『どうも、お久しぶりです社長。この度は、多分なご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした……って、もう皮被る必要はねえんだけどな。あ゛? 誰の皮が被ってるだ? 殺すぞ、クソが』

 その声に、鷹岡は聞き覚えがあった。

「刈谷くん、か」


* *


【鷹岡と、刈谷】

『ご明察。DSSバトルの視聴率も相変わらずやたら高えし、派手に稼いでいるみてェじゃねえか。全く、羨ましいことだ。こちとら、その日暮らしの根無し草だってのによ』

「そんなことはどうでもいい。何故、君がこの電話に出ている。現状を、理解しているのか」

『もちろん。あんたが大損害食らってることも、さっさとケツ狂いとカマガキとかいう最悪の変態二人を追い返したいことも、内心怒り心頭で草の根分けても『S・S・C』保持者を探し当てたいことも、すべて理解している。俺は、あんたのやり口も性格も、全部把握してんだよ』

 鷹岡は歯噛みした。
 刈谷は、目下の取引相手としては優秀だが、与しやすい相手だった。だが、この男にイニシアチブを取られると、ここまで厄介とは。

『まあでも、一緒に仕事をしていた仲だからな。この苦境を乗り越えるため、俺の純粋な親切心から融資させてもらった。なあに、遠慮するな。ほんの100万リラ程度だ。中東にダミー口座を作って、そこからな」

「な、なに!」

 鷹岡は、驚嘆の声を上げた。
 100万リラは、円にして約3千万円に上る。それほどの金額を、ポンと振り込んだというのか。
 刈谷は、電話口の向こうで押し殺した笑いを上げる。

『吃驚したか。安心しろ。口座も金も“借りた”だけだ。そこのケツ男の友人に、中東の犯罪組織のボスがいてな。そこから借りた。俺が、あんたにそんな大金送るはずねえだろ。
 振り込まれた金は“返却”すると、一瞬で消え失せる。さながら、すぐに引き出されたかのようにな。謎の海外口座から振り込まれ、一瞬で消えた大金。物は残らねえけど、履歴は残るんだ。銀行はどう思うかね。
 少なくとも、警察が入ることは間違いねえ』

「……お前、知っているのか」

『知っているもクソも、あんたが不正経理をしてねえはずがねえだろ』

 鷹岡は、携帯電話を潰さんばかりに握りしめた。動悸が止まらない。
 それは、この大企業の社長が初めて見せた、明らかな同様だった。

『警察は、徹底的にあんたの口座を調べつくすだろう。その中で、隠し口座も、不正献金も、脱税の証拠も、全てが白日の下になる。
 気づかなかっただろ。当然だ。そのために、そいつらはビルの中で暴れまわってたんだからな』

 社員はほとんどが露出卿により無力化し、誰もまともに仕事をできなかった。
 妙な金の動きを、誰も察知ができない。気づいたとしても、隠ぺい工作もままならぬ。
 進藤ソラを救出し、鷹岡を破滅させる。これは、二重の作戦だったのだ。

『ちなみに、これから方々に手を回そうとしても無駄だ。そこの尻野郎の友人には、国際的ジャーナリストとして名高い、幸田俊治がいる。すでに、C3ステーションの経営状態について、下調べはついているらしい。
 呆れた人脈だろう。俺は、つくづく敵に回したくないと思ったぜ』

 鷹岡は唇をわななかせながら、憎々しい声を絞り出した。

「なぜ、お前がこんなことをする」

『非常に残念なことに、どうやら俺はそこにいるカマのクソガキに借りがあるらしい。ハッピーエンドの押し売りだ。もらいたくてもらったわけじゃねえが、借りたもんはなるべく早く返さねえとな』

 しばしの沈黙。歯を噛みしめる鷹岡に、刈谷は演技なのか本心なのか、どこか穏やかな声を出した。

『あとさ、子どもを助けるのが大人の仕事だ。俺は、本当にそう思っている。あんたも、そうだったんだろう。俺たちもそろそろ、正義のヒーロー目指してもいいんじゃねえか。鷹お』

 その先の言葉は、鷹岡の耳には届かなかった。
 持っていたスマートフォンを振りかぶり、地面に叩きつける。プラスチック音を響かせ、カラカラと電池が取れた。
 翔が「あ、俺のスマホ……」と寂しげにつぶやいたが、ニャルラトポテトは意に介さず、鷹岡に言葉を向ける。

「全部理解しただろ。この会社は潰れない。そんな意味もないんだ。あんたはもう、お終いだから。
 C3ステーションの社長じゃなくなれば、もはや二人を追う必要もない。それで終わりだ。わたしたちの勝ちだよ、鷹岡」

 ハアハアと息を切らす鷹岡は、黙って自分の机に近づく。

「まだだ。まだ終わっちゃいない。ここで貴様らを殺して、あの二人を手に入れる。そうすれば、過去は変えられる」

 机の中から出すのは、虹色のオスモウドライバー。
 それを見た翔は、ニャルラトポテトを庇うように、前に立つ。

「ポテト、下がってろ。こいつは、強えぞ」

 このベルトを、翔は見覚えがあるのだ。
 野々美つくね。あの、雄々しい横綱の姿は、未だに目の奥に焼き付いている。

「何が、正義のヒーローだ。そんなもん、とっくに諦めてんだよ。国暗協に心を売って、のし上がった日からなあ!」

 変身と、鷹岡は叫んだ。
 鷹岡のドライバーが光り輝き、腰へと吸い寄せられていく。
 そして虹色の光を放つベルトのエンブレム下から白布が生じ……「アァイッ……」鷹岡の股下をくぐった。
 トトン!トトトントトン!トトン!トントン!トトン!トントトン!
 NHK相撲中継のオープニングでお馴染みの寄せ太鼓の音が、どこからともなく響いてくる。
 虹色に輝く粒子が鷹岡を取り囲み、そのひょろりとした肉体と結合していった。

《MODE:UNRYU》《ASASHORYU》
《あさぁぁ~~しょぉぉりゅうぅぅ~~~》

 人によっては、史上最強と評価されることもあるだろう。
 強さを追い求める、孤高の存在。その顔は、歌舞伎絵の如き迫力がある。
 平成最大のヒール横綱。朝青龍がそこに顕現した。

「俺は最初から千秋楽だぜ」

 朝青龍と化した鷹岡は、まるで白鵬を睨み付けるがごとく翔を見やり、勢いよくぶちかました。


* *



【鷹岡修一郎】

 いつからだったろうか。夢を見なくなったのは。

 いい暮らしがしたかった。いい服を着て、良い飯を食べて、自分のことを社会に認めさせたかった。
 そのために、金が欲しかった。手を汚す事なんて、簡単だった。人をだますことにも、地獄に落とす事にも、何も感じなかった。

 でも、本当に昔はどうだっただろうか。

 僕は、どんな夢を見ていたのだろうか。

「ボクは、世界に衝撃を与える番組を作りたいんだよ! 誰もが見て、心振るわせて、感動の涙を流すような、そんな番組を!」

 そんなことを言った、ケツの青いガキがいた。

 ガキの僕は今の僕を見て、どう思うかね。

 知ったこっちゃ、無いけどさ。

 僕が、黒く塗りつぶされていく。
 虹色のオスモウドライバーに……。


* *


【つくねと、ミルカ】

 太陽が輝く空を、猛然と1匹の巨大な怪鳥が飛んでいた。
 その上に乗るのは、この怪鳥の主である、魔人能力『怪物園』の持ち主、篠原 蓬莱。
 そして、その“友達”であるミルカ・シュガーポットと、野々美つくね。つくねの友人である、当真ちはやだった。

「うわー、気持ちいい! ありがとね、ミルカさん! よもぎさん! ほら、ちーちゃん、人がゴミの様!」

「なに、目が潰れそうなこと言ってんのよ、あんた。本当にありがとうね、よもぎさん。なんか、移動手段みたいに使っちゃって……」

 蓬菜は、もちろんですと首を縦に振る。

「私、お友達とどこか行くことって、あまりなかったですから、嬉しいです。それに、友達が楽しいと、私も楽しいですし。ね、ミルカさん」

「私はまあ……否定はしないけど」

 えへへ、と笑顔になるつくね。それを見たミルカ達は、なんとはなく嬉しい気持ちになった。
 第2回戦以降、4人はVRカードの通信機能を使って、たまにお茶をするくらいの仲になっていた。
 お姉さん気質のミルカと、ほわほわした蓬菜。元気印のつくねに、ツッコミ役のちはや。四人の馬は、不思議と合った。つくねが話すことと言ったら、DSSバトルと総合格闘技と相撲のことばかりだったが。
 今日は、つくねがトレーニングをした後の休息日。また、4人でどこかに出かけようという話になったのだ。

「銀座って、私はあんまりいかないんだよね。ミルカさんは、行きます?」

「私は、よく行くかな。紅茶の美味しいお店があるの。オススメよ」

「おおー、さすがミルカさん。大人だねー」

「大人ですね」

「ちょっと、つくねちゃんはともかく、蓬菜は対して歳変わんないでしょうが」

 4人の会話は、いつもこんな軽口ばかりだ。でも、少しずつ距離が詰まっていく感覚に、4人ともが心地よさを感じていた。

 轟音が、響いた。

 その音源は、空高くそびえ立つバベルの塔の如き、乳白色のビル。
 C3ステーション本社ビル。
 その最上階の壁が、ばらばらと崩れていた。

「ヨモギさん!」

「はい!」

 つくねの一声で、怪鳥は進行方向を変える。
 その先にいたのは、ビルから落下する“スパンキング”翔と、それを追うように飛び降りる、虹色のオスモウドライバーを締めた朝青龍関の姿だった。

 つくねの心臓が、ドクンと高鳴った。


* *



【つくねと、鷹岡】

「いてて……」

「無事かね、翔」

 翔は、瓦礫の中から這い出した。露出卿が、珍しく心配そうな顔をして、翔に手を差し出した。
 その後ろでは、全裸のギャラリーたちが、ワーキャーと叫び声をあげながら、逃げ惑っていく。
 目の前には、鷹岡であったはずの朝青龍が、フシューフシューと息を荒くしていた。
 ニャルラトポテトが、打ち抜かれた社長室の壁穴からひょいと顔を出した。どうやら、ぶちかましには巻き込まれなかったらしい。翔が、ほっと胸をなでおろす。

「この男が、鷹岡修一郎かね。前に会った時とは、随分雰囲気が違うようだが」

「オスモウドライバーってやつだ。以前、見たことがある。だが、様子がおかしい。オスモウドライバーは相撲取りにはなれるが、地上30階から落ちて無事な相撲取りはいない」

 お前も地上30階から落ちて無事だったのかよ、と尻をはたきたい気持ちを抑え、露出卿は朝青龍関の腰から上を見上げた。

 そう、見上げたのだ。

 露出卿の身長は168センチメートル。朝青龍の身長は184センチメートル。確かに差はあるが、露出卿の頭が朝青龍の腰にあるというのは、どう考えてもおかしい。

「さっきは、俺よりも小さいくらいだった。こいつ、どんどん大きくなってやがる」

「それこそが、虹色のオスモウドライバーの力よ……」

 鷹岡が、声を出す。その声は、低く呻くようで、人間が発せられるようなものではない。

「虹色のオスモウドライバーは、七人の力士の力を合わせることができる……。私は、朝青龍をベースに、七人の横綱の力を合わせた」

 朝青龍。
 白鵬。
 千代大海。
 日馬富士。
 貴乃花。
 曙。
 そして、稀勢の里。

「全員の相撲パワーの集合体となった今の私は、朝青龍ではない。さしずめ、朝白千代日馬稀勢曙貴乃花関と言ったところか……」

「だせえな」

「うむ。ださい」

「うごおおおおお!」

 鷹岡は絶叫しながら、もはや翔の身長にも及ぶであろう手のひらで、突っ張りを放たんとする。その破壊力は、家をも壊し、C3ステーション本社ビルすらも塵にするだろう。
 もはや、鷹岡は完全に冷静さを欠いていた。

「まてええええ!」

 その時、空から絶叫が聞こえた。

 上を見ると、ひとりの少女が落ちて来た。

「むむ、翔よ! 空から女の子が!」

「あれは、……つくね!?」

 空飛ぶ怪鳥から飛び降り、オスモウドライバーをすでに腰に巻いた少女。
 野々美つくねは、既に臨戦態勢だ。

「オスモウドライバーをそんなことに使うなんて、許さない!」

 もはや、朝白千代日馬稀勢曙貴乃花関の体長は、10メートルを越えつつある。
 そんな体では、土俵には入れない。
 これはもう、相撲ではないのだ! つくねが怒るのも無理はない。
 つくねは空中で、エンシェント・リキシチップをオスモウドライバーの中心に勢いよく固定する。
 それはさながら、白鵬戦で朝青龍が魅せた裂ぱくの気合のようであった。

「――変身っ!」

 トトン!トトトントトン!トトン!トントン!トトン!トントトン!
 NHK相撲中継のオープニングでお馴染みの寄せ太鼓の音が、どこからともなく響いてくる。
 それと共に、空に雷鳴がとどろき、稲光が如き熱く眩い光が走った。
 白く輝く粒子がつくねを取り囲み、彼女の肉体と結合していった。

《MODE:KOKON-JUKKETSU》《RAIDEN》
《らいぃぃ~~でぇんん~~~》

「お前の星を数えろ」

「おお、雷電! 大相撲史上未曽有の最強と呼ばれる、伝説的横綱じゃねえか! あれなら、朝白千代日馬稀勢曙貴乃花関の圧倒的パワーにも、対抗できるかもしれねえ!」

 なんだかモブみたいなことを言い出した翔を背に、雷電と化したつくねは、着地と同時に両手を地に着いた。
 普通に地上30メートルより高いところから落ちている気もするが、雷電だから大丈夫だ! さすが雷電!

《PUT YOUR HANDS》

 ホログラム行事が出現。オスモウドライバーから投射された光が土俵を形作る。

《READY》

「阿呆が……!」

 朝白千代日馬稀勢曙貴乃花関もまた、地に両手をつく。サイズ感はまるで違う。
 それでも雷電ならば、雷電ならばやってくれる。
 そう、全裸のギャラリーたちも思っていた。

《HAKKI-YOI》

 雷電が、突っ張った。
 鷹岡に、雷光の如き速さの突っ張りが突き刺さる。


 だが、吹き飛んだのは……雷電。
 朝白千代日これもう面倒くせえな。鷹岡の突っ張りは、もはや神格とすらいえる雷電の突っ張りに、打ち勝ったのだ。
 つくねの腰からオスモウドライバーが外れ、変身が解ける。スカートの中が露わになるが、今日はノーパンではなかったらしい。よかった。

 ノーパンではないことによる、シンクロ率の低下。そして、同じく神格たる7人の横綱の力。もしくは、つくねの練度不足でもあるかもしれない。
 しかし、どのように理由を考えようと、結果は変わらない。鷹岡の……虹色のオスモウドライバーの力は、雷電を上回ったのだ。
 よく考えたら、七人の横綱にボコボコにされたら、流石に雷電でも辛いんじゃないかと思う。

「ぐっ……あああ!」

「つくね!」

 悲痛な声を上げ、地面に着地した怪鳥から駆け寄るミルカ達。
 つくねは、苦しそうに呻きながらも、鷹岡を見上げた。

「あの人、虹色のオスモウドライバーで負の感情を増幅されている……。相撲の悪しき慣習に、心を捉われているんだ。このままじゃ、オスモウドライバーに支配されて、本物の化け物になっちゃう!」

 状況は、絶望的だった。

「ふあははははあはは! この場にいる全員だ! 全員を殺す!」

 鷹岡の、悪魔の如き笑いが、響き渡った。
 もはや鷹岡は目的を見失い、力に溺れる魔物と化していた。


* *


【翔と、スパンカー】


「さて、どうしたもんかな。俺と露出卿二人で闘っても、ちょっと手に余るんじゃねえかな……」

「というか、まず勝ち目はあるまい。先ほどの雷電と言うフォーム、恐ろしい強さであった。それが、赤子の如くやられるとはな」

 殺戮を求める魔獣の如き鷹岡を前に、翔と露出卿は膝をつく。
 ここは、VRではない。死地に親しんだ二人とはいえ、勝ち目のない戦いをするわけにはいかない。
 なにか、方法はないか。ふと、露出卿が翔の肩を叩く。

「そういえば、お主の能力はどうだ。『ラスト・スパンKING』ならば、無限のパワーアップが可能なのではないか」

 翔は、無念そうに尻を振った。

「いくら露出卿のスパンキング力でも、あいつに勝てるほどに力を溜めるのは、時間がかかりすぎる。それに、俺たちがスパンキング行為に興じていたら、鷹岡の足止めも出来ない。なんとか、他の方法を……!」

 翔は、後ろを振りむいた。そこには、露出卿に衣服を切り裂かれ、鷹岡の脅威に怯える群衆がいた。
 惨劇を聞きつけ、ぞろぞろと集まってくる人々や、どこから来たのかテレビクルーまでいる。
 翔の目が、輝いた。

「エア・スパンキングだ……!」

 露出卿が、怪訝な顔を向ける。

「流石に、そこまで意味不明の言葉を出されると、ちょっとついていけんな。説明をするが良い」

「スパンキングが、尻を叩くことだってのはわかるな」

「お主、吾輩を馬鹿にしておるのか」

「だが、俺の能力『ラスト・スパンKING』は、精神攻撃すらもスパンキングととらえる。そこで、ここにいる人たちに、俺のケツを叩くつもりで、何度も空中スパンキングをしてもらうんだ。
 一人一人のスパンキング力は小さいが、集まれば大きな力になる。露出卿一人でスパンキングしまくるよりも、早くスパンキングパワーがたまる……と思う」

「ふむ。ずいぶんと自信がなさそうだな」

「そんなこと、やったことねえからな」

「では、やってみろ」

 露出卿が、翔の尻を思い切り叩いた。翔の全身に力がみなぎる。露出卿は剣を携え、鷹岡に向き合った。

「その間は、吾輩に任せるが良い。なあに、足止めくらいならば、できるだろうよ。吾輩は、露出亜の威信を背負う最強の剣士、露出卿だ!」

 飛び込んでいく露出卿。それを尻目に、翔はギャラリーに叫んだ。

「みんな、聞いてくれ!」

 はっきり言って、スパンキングの地位は低い。その上、自分の能力は常識を外れている。
 翔は、異常者ではない。自分の能力が、つまはじきにされることなど、分かっているのだ。
 それでも、今はこれしか方法がない。

「俺は、ケツを叩かれれば叩かれるほど、強くなる魔人なんだ! みんなが、俺のケツを叩こうというつもりで空中に手を振れば、それが俺の力になる」

 翔は、頭を下げて叫び続ける。
 冷たい視線だろうか。異常者を見るせせら笑いだろうか。何度も、そんな扱いは受けて来た。それ自体は、特に何も思わない。
 だが、もしも自分を信じてもらえないせいで、この人たちを危険にさらしたら……。
 自分の尻の届く範囲の人々を、守れなかったら。

(そんなの、俺はごめんだ!)

「ちょっと信じられねえかもしれねえし、何言ってるかわからねえかもしれねえけど……。頼む! 俺を信じて、俺のケツを、エア・スパンキングしてくれ!」

 翔は、あらぬ限りに絶叫した。
 その場が、静寂に包まれた。
 背後からは、露出卿と鷹岡が激しく切り結ぶ音が聞こえる。長くはもつまい。
 急がなければならない。露出卿のスパンキングを無駄にしないためにも。

「……あんた、“スパンキング”翔だろ?」

 観衆の一人が、呟いた。翔は、ぱっと顔を上げる。

「DSSバトルで見たぜ。ギネスを目指してるっていう」

「ああ、そうそう。サキュバスの女の子の、願いを叶えるって言ってた。格好良かった」

「後ろにいるの、露出卿だろ。古城の一戦、燃えたよなあ」

「つくねちゃんとの勝負も、名勝負だったよな」

 ざわざわと、声が上がる。少しずつ。しかし、力強く。

「信じねえわけがねえだろ! スパ翔!」

「俺たち、あんたのファンなんだ!」

「むしろ、あんたのケツを叩きたいと、ずっと思っていたんだぜ!」

「スパンキング!」
「スパンキング!」
「スパンキング!」

 翔に、力が沸いてくる。
 幾人ものエア・スパンキングによって、翔の尻は叩かれる。
 いや、それ以上に観衆の声が一つとなり、大きなうねりとなって翔の尻を叩くのだ。

(ヒップス、見ているか)

 翔は、気が付けば涙ぐんでいた。

(こいつらみんな、スパンキングしてるんだぜ)

 翔は、これまでの全てに感謝をした。
 ここに来るまでに戦ってきた、戦友たち。DSSバトルで闘った、強敵たち。協力してくれた、幸田やトム・ベンジャミン。そして、ヒップス。
 翔の過去全てが、翔の今を形作る。
 そして、それらは今、結実する。

 翔に、スパンキングを。

 今、スパンカーたちの心は、一つになっていた。


* *


【翔と、SSC3に関わる全ての人々】

 翔の尻をエア・スパンキングするのは、その場にいた観衆にとどまらなかった。

 つくねの介抱をちはやと蓬菜に任せ、ミルカは魔人能力を発動していた。たまたま居合わせたテレビクルー。そのカメラに向かい、イメージを対象の脳内にそのまま伝える能力『公共伝播』によって。

『翔さんのケツを、エア・スパンキングして』

 ミルカの思いは、電波に乗って、どこまでも届く。

―――

「ずいぶんなことに巻きこんじまったなあ。悪いね、翔サン。頑張れ」

 変幻怪盗ニャルラトポテトが、翔の尻を叩く。


―――

「起こり得ることは、起こる。魔人がいるこの世界では、これも普通のことか」

 <私>が、翔の尻を叩く。


―――

「なんだかわからんが、楽しそうなのじゃ!」

 狐薊イナリが、翔の尻を叩く。


―――

「今こそ出すぜ! ゴメスパンキング!」

 ゴメスが、翔の尻を叩く。


―――

「ありゃ、尻の旦那随分苦戦してるみたいだね、まあ俺っち協力する義理も恩もないけど、あんたに惚れてる女の子が泣くかもしんねえから、空中で腕振るくらいしてもいいかもね。しかし、すげえ高度な変態行為だこと」

 稲葉白兎が、翔の尻を叩く。


―――

「困っている人は、助けてあげたいわよね」

 支倉饗子が、翔の尻を叩く。


―――

「ふふふ、いつか翔さんの尻は破壊してみたいですね」

 荒川くもりが、翔の尻を叩く。


―――

「……クソが。マジで、やってらんねえな。この貸しは返さなくていいから、もう関わらないでくれ」

 刈谷融介が、翔の尻を叩く。


―――

「私も、少しでも力に……!」

 ミルカ・シュガーポットが、翔の尻を叩く。


―――

「素晴らしい演出! 素晴らしい舞台だ! 踊りたまえ、“スパンキング”翔!」

 ”アクトレスアクター”蜜ファビオが、翔の尻を叩く。


―――

「この展開……燃えんじゃねえか!」

 葉隠紅葉が、翔の尻を叩く。


―――

「あんなのが暴れてたら、茉莉花の身も危ないかもしれないからね」

 可愛川ナズナが、翔の尻を叩く。


―――

「世界で二番目のスパンキング、まだ習得していないからね! 死ぬんじゃないよ、“スパンキング”翔!」

 銀天街飛鳥が、翔の尻を叩く。


―――

「おりゃ~! 連打連打連打~! あはは、楽しい~」

 枯葉塚絆が、翔の尻を叩く。


―――

「いずれあなたと切り結ぶことを、楽しみにしていますよ。それが、私の腕を上げることでもある」

 珀銀が、翔の尻を叩く。


―――

「あなたは、恋されてるんだから……。こんなところで、死んじゃだめだよ」

 恋語ななせが、翔の尻を叩く。


―――

「あんな厄介な妖怪、バシッとやっつけちゃってよね」

 裏見ハシが、翔の尻を叩く。


―――

「翔さん、勝って……っ!」

 野々美つくねが、翔の尻を叩く。


―――

「翔さん、死んじゃダメ……! 死なないで!」

 狭岐橋憂が、翔の尻を叩く。


―――

 誰もが、翔の尻を叩いた。
 誰もが、スパンキングをした。
 世界に、スパンキングが広がった。

(こんなにも誇らしいこと、他にねえや)

 翔は、夢を見ているかのようだった。
 ヒップスと共に見た夢が、今目の前にあった。


―――

「いただいたぜ、お前らのスパンキング」

 翔は、戦意の欠片も魅せないような、穏やかな笑みを浮かべた。
 全身からは金色の光を放つその姿は、もはや『スパンKING』ではない。
 言うなれば、『シリ・ブッタ』。もはや翔は、仏の域にまで達する精神性となっていた。

「なんという……!」

 翔のあまりの変貌に気を取られた露出卿が、鷹岡の張り手を避け損ねる。まともに食らった一撃に、露出卿は吹き飛ばされた。
 それを受け止めたのは、“スパンキング”翔だ。
 およそ、100メートルと言ったところか。その距離を、一足飛びで、一瞬でつめたのだ。
 翔は、優しく露出卿を地面に寝かせる。

「待たせたな」

「いや、待った甲斐はあった」

 露出卿が、にやりと笑みを浮かべた。

「良い尻だ。お主の尻を、見れてよかった」

 翔は、やはり穏やかに笑った。
 露出卿はその笑顔を見て、もはやこの男に敗北はないと確信した。

「なんだそれは……」

 鷹岡が、翔に向かってくる。
 もはや、その体は20メートルを超える。小山の如き大きさの、相撲取りとすらいえぬ異形の怪物と化していた。

「なんだそれはああああ!」

 鷹岡が、張り手を振り下ろした。
 翔は、ろくに力を入れる様子もなく、ただ自然に右手を前に押し出した。
 それだけで、人外たる質量を持つ鷹岡の体は、中空に吹っ飛んだ。

「があああああ!」

 鷹岡の右手が、溶けるかのように力を失い、元の右腕に戻った。身長20メートルの体に、ヒョロヒョロの右腕が付いている姿は、とてもシュールだ。

「なにを……何をしやがった貴様アアアア!」

「お前の穢れを、浄化したのさ」

 翔は、ゆっくりと尻をふる。尻の軌道は、一つの絵を作り出していた。
 描かれたのは、仏。
 そう、翔は尻文字で写経をしたのだ。

「お前が捉われているのは、お前自身の悪心だ。それを払えば、お前を怪物にしている力の源は消える」

「やめろ……!」

 鷹岡は、猛然と距離を詰めた。

「やめろおおおお!」

 翔は、静かに尻を構えた。

「お前も、理想に燃えたことがあっただろう」

 尻に、キュッと力を籠める。

「思い出せ。本当の自分を。お前が捉われた、全ての枷を外して」

 そのまま、尻を突き出した。

「俺は、お前を許すよ。お前も、俺の尻の届く範囲だから」

 スパンキングは、受容の格闘技。
 世界でいちばんやさしい格闘技だ
 鷹岡が、翔の尻に突っ込んだ。鷹岡の力が、邪気が、欲望や執念までも、翔の尻に吸われている。

「うごああああ! やめ、やめろおおおお!」

 鷹岡の体が、縮んでいく。
 虹色のオスモウドライバーも、金も、高価な服も、何もかも消えていき……。

 そこには、ただの鷹岡が残った。

「あ……」

 鷹岡は、邪気の抜けたような顔をする。
 どこかすっきりしたような、全裸のおっさんが一人、瓦礫と化したC3ステーションの前に、跪いていた。

「ふむ、良い体である」

 傷だらけながら、それでもなお美しい露出卿は、凛とした声で呟いた。
 金色に光る翔は、両腕を広げて鷹岡にゆっくりと近づく。

「ずいぶん、働いてたんだな。心を殺して。自分を殺して」

 翔は、ぎゅっと鷹岡を抱きしめた。

「お疲れ様」

 翔の言葉を聞き、鷹岡の目に涙があふれた。

「ほんと、君に関わるとろくなことがないよ……」

 鷹岡は呻くように呟き、翔の胸に縋りついた。
 その、情けなくも満足げな表情がどこから来るものなのか、鷹岡以外に知る者はいないのだろう。


* *


【翔と、ななせ】


 その対戦相手の通知が鳴り響いたのは、鷹岡を倒した直後だった。
 ニャルラトポテトは、翔がVR空間に入り込むとき、「まあ、痛い思いさせないであげてよ」と、苦笑いをしていた。

 そこは、砂漠だった。
 バイクに乗ったモヒカンが闊歩し、海は干上がり、朽ちた東京タワーが真ん中からぽっきりと折れている。
 世紀末。周囲に何もない砂漠の上に、翔とななせは向かい合っていた。

「えーと……」

 ななせは、目を点にしている。翔は、自分の尻に快音を響かせ、にこやかに笑った。

「なんか、おかしいとこあるかい」

「いや、光りすぎなんですけど……。え? スパンキングすると、そんなことになるの?」

「ああ、俺もびっくりしてる。意外と保つんだな、スパンキング力」

 翔は、まだ金色に光っていた。
 鷹岡との戦いから、まだ一時間も経っていない。たまりすぎたエネルギーは、未だ衰えていないのだ。

「ポテトが、お前のこと心配してたよ。あんまり、痛めつけないでやってってな」

「ポテト……? あー、ニャルちゃんか。ふーん、そうなんだ。そっか……」

 ななせは、翔に気取られないように、頬を一瞬赤らめてほんの少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべる。
 翔が、ゆっくりと歩み寄る。ななせは、ビクッと腕を上げた。

「お前、恋してんだってな?」

 予想外すぎる言葉だった。この、尻に脳があるような人から、こんな言葉が出てくるとは。

「能力は、願いを叶える事。そのためには、おまじないが必要。でも、『今は恋を叶えるおまじない』を諦めてしまったから、過去を変えるために戦っている……。わりいな。いろいろ、聞いちまった」

 ここまで来て、狭岐橋さんのことが思い当たる。
 そうか、僕と戦った後も、彼女は翔さんと会って、いろいろ話していたんだな。
 僕の能力への対策を講じられているという警戒心よりも先に、彼らの関係を想像して、ほっとした。狭岐橋さんの恋が順調に進んでいるようで、よかった。
 その、ななせのどこかほっとした表情を見て、翔はニッと笑った。

「恋語ちゃん。お前、悪いやつじゃねえな。なんとなく、そんな気はしてたけどよ」

 神々しい、仏陀の如き笑顔。翔の何もかも見透かしたようなその笑顔に、ななせの良心はズキズキと痛みだす。

「……そんなことない。僕は、狭岐橋さんにもひどいことをした」

「んなこと、姉ちゃんも気にしてねえよ。ずっと、心配してたぞ。悪いことしちゃったとか、会って謝りたいとか、そんなことばっか言ってた」

「そんなの……!」

 翔が、瞬間移動が如き速度で、ななせの目前に出現した。
 あまりの速度に風が吹き、ななせは思わずたたらを踏む。
 その右手を、翔の逞しい手が掴んだ。

(しまった、先手を取られた)

 相手の話に耳を傾けるなんて、初歩的なミスだ。人のよさそうな顔に、油断した。
 振りほどこうと身をよじるが、びくともしない。この状況を打開する『おまじない』を考えないと……!

「俺のケツを、叩け」

「はい?」

 予想外の一言。なにこれ、こわ。

「いきなり、なに言ってんのさ!」

「俺のケツは、今『ケツ・ブッタ』だ。お前の邪念も、雑念も、何もかも吸い取ることができる」

「はあ……?」

 突然、何を言いだすんだ。
 掴まれた手にも、戦意が感じられない。傷つけないように触れようとする気遣いが、伝わってくる。

「……翔さん、戦う気ないんですか」

「ないことはない。けど、先にやっとくことがあんだろ。
 今ここで、告白しちまえ。どうせ全国放送だし、俺たちの一戦は注目度が高い。ここで言っちまえば、相手にも絶対伝わるだろ」

「な、なんで……! そんな見世物みたいなことをしなくちゃいけないのさ」

 ななせの体が、硬直した。
 この人の狙いがわからない。僕を追い詰めるためだろうか。それにしたって唐突すぎるし、頭が悪い方法だ。
 僕が、そんなことをするわけがない。
 僕のおまじないは、諦めたことで効果を失った。もう、『恋が叶う』という願いは成就することが無い。
 進むことも、下がることもできない。僕にできるのは、過去を変えることだけだっていうのに。

「そんなこと……できるわけないじゃん。絶対に失敗する告白なんて、できないよ」

「100%なんて、この世にはねえ!」

 翔の大声が、世紀末に響き渡った。
 吃驚したモヒカンが、バイク数台を巻き込んで転倒し、爆発炎上している。その悲鳴をBGMに、翔は言葉を続けた。

「やらねえで、何がわかるってんだ。俺だって、やってみたら仏陀になれた。人に理解されない、スパンキングなんて能力を持つ俺が、こうして徳を詰めたんだ」

「それとこれとは、話が……」

「同じだ。今ないものを嘆いても仕方がねえ。でも、今あるものを使って、先に進むことはできる。お前はまだ、想いも伝えてねえんだろ」

 翔の言葉の熱意に、ななせは翔が何の他意もなく、ただ自分の為に言葉を放っているということを感じていた。
 それでも、受け入れられない。受け止められない。
 この人は、僕とは違うから。

「翔さんみたいな強い人には、僕の気持ちはわからないよ」

 ななせは、唇を噛みしめて俯いた。その目に、涙が溜まる。
 わかっていた。自分が、スタート地点に立とうともしない、臆病な人間だって。
 だから、おまじないをかけるのさ。確信がないと、何もできないから。
 恋を叶えるのも、恋がなくなるのも、本当は怖いんだ。
 恋をして、それに向かっているときがいい。

 何も決まっていない時が、一番安心できる。

 翔は、ゆっくりと頭を振った。

「そんなことねえ。俺だって、怖かった。自分がしていることが正しいのか、ずっと不安だった。こんなことで、スパンキングは認められるのか。ヒップスは喜ぶのかって。
 だけど、行動してみたら、みんなは俺を、スパンキングを認めてくれた。お前だって、俺のケツをエアで叩いてくれたんだろう。ちょっと前は、考えられなかったことだ」

 ななせは、先ほどのテレビ中継を思い出す。あれは、あくまでもエア・スパンキングだった。だが、確かにスパンキングだった。自分が男性のお尻を叩くなど、少し前は確かに考えたこともなかった。
 翔はななせの手を離し、肩に手を置いた。覗き込むその目の中には、どこまでも真っ直ぐな瞳が広がっている。

「自分が変われば、世界は変わる。失敗が決まってるなら、成功する場所まで進むんだ。お前は一人でそれができる奴だと、俺は思う。
 俺は、その後押しがしてえんだ。おまじない、みたいなもんかな。素敵なヤツとは、言えねえけどな」

 翔はハッハッハと笑った後、ななせにプリッとケツを向けた。
 ななせは、ギュッと手を握りしめる。

 僕も、前に進めるだろうか。
 この、もどかしいほどの恐怖を乗り越えて、その先へ。

 蒼空に、尻の破裂音が響いた。
 それは健やかで伸びのある、澄んだ空気のようなスパンキングだった。

「いただいたぜ、お前のスパンキング。そして、臆病な心も、な」

 翔は、ななせの頭をポンポンと叩いた。

「ケツ向けちまって、悪かったな。お前の怯えは、俺のケツが受け止めた。あとは、前に進むだけさ」

 ななせは、不思議と胸がすくような思いがしていた。
 前に進む恐怖も、挫折する恐れも、今はない。
 心に残ったものは、結局ただ一つだけ。
 あの人への、恋心。それだけ。

 体中から想いが溢れて、頭を、瞼を熱くする。もう、視界はぐちゃぐちゃだ。
 瞳から溢れ出す想いに、瞼で蓋をする気もない。
 僕から零れ落ちたなら、あの人の所へ飛んでいってしまえばいいだろう。

「翔さん……」

「叫んじまえ。溢れる想い、止めてはおけねえだろ」

 俺の、スパンキングへの思いと同じさ。翔は、笑ってサムズアップをした。
 それが、最後の後押しとなった。


 恋語ななせは、砂漠の海に向かって、叫んだ。
 想い人の名前を、ネットの海に乗せて。
 どうか届けと、願いながら。


「……なんか、すっきりしました」

 涙で濡れた顔をぐしぐしと拭って、照れくさそうにするななせに、翔は満足げに頷いた。

「いい趣味だぜ、恋語ちゃん」

「翔さんだって、狭岐橋さん、すごく良い人です。いい趣味だと思いますよ」

「ん? なんでそこで、姉ちゃんの話が出てくるんだ」

 ななせは、目を点にした。あれ、この人もしかして。

「翔さん、狭岐橋さんのこと、どう思ってます」

「おお、俺みたいな生意気な年下にも構ってくれてよ。優しい人だと思うぜ。いい姉ちゃんだよな!」

 ああ、狭岐橋さん。この人だめだよ。メチャメチャ鈍感だよ。

「狭岐橋さんは、苦労するなあ……」

 一人ため息をつくななせをよそに、翔は勢いよく自分の尻を叩いた。

「さて、それじゃあ戦うか。言っておくが、俺は今俺史上最強に強いぞ」

「いや、ちょっと無理ですかねー。勝ち目ないですねー」

「うーん、すまんが俺もちょっとそう思う」

 はっはっはと笑う翔に、ななせも笑った。
 それは、これまでの戦いのように、策謀の渦巻いた笑顔でも、決死の覚悟を持った笑顔でもない。
 純粋な、恋する女の子の笑顔だった。

 あ、と翔がいたずらを思い付いた子どものような表情を見せた。

「じゃあ、これで決めるか」

 ひらひらと手を振る翔。ななせもまた、「そういうのもいいですね」と楽しそうな顔を見せる。
 二人は、右手を天に掲げた。


 思えば翔の戦歴は、戦いの至高、DSSバトルとは思えぬものばかりだった。

 話し合いによる決着。
 8秒で決着。
 スパンキングの乱打による、視聴者の困惑。
 そして、その最終戦は。



「「最初は、ぐー……!」」



 なお、蛇足であるが、ななせは現実世界に帰還後、想い人に予想通り振られることになる。
 だが、それでもまだ諦めきれないななせは、その後も恋心を持ち続ける。
 一度玉砕することで一つの『恋』は終わり、また新たに『恋』は始まっていく。
 『新たな恋』の行方は、おまじないにも分らない。


 僕っていったい、何で出来てる?
 お砂糖、スパイス、いろんな素敵。
 素敵な恋と、素敵な出会い。素敵なあなたと、素敵な僕。
 もう、あなたを振り向かせるおまじない(魔人能力)はいらない。
 僕が絶対、あなたを振り向かせるから。
 けれど、おまじない(私へのエール)は許してね。
 恋する乙女には、必要だから。


<ななせの恋物語:終着。そして、その先へ>



* *



―――戦闘終了―――

 “スパンキング”翔 対 恋語ななせ

 決着時間:5分22秒(“スパンキング”翔のパー勝ちによる)

 勝者:“スパンキング”翔


* *


【狭岐橋と、カナ】


 多くは語らない。
 翔が鷹岡との戦闘後、進藤美樹に直々にお願いをしたこと。
 進藤美樹は、それを快諾したこと。
 翔と狭岐橋に、感謝を述べていたこと。
 それらが、厳然たる事実である。

 ただ一つ、あえて言うならば。

 狭岐橋憂は、親友と大喧嘩をし、また仲直りをしたという事実。

 それだけを語れば、この話は十分にハッピーエンド足り得るだろう。


* *


【インタビュー・ウィズ・スパンキング】



狭岐橋憂(DSSバトル第1試合対戦相手)

「しょ、翔さんの本を出すんですか! ぜぜぜ、絶対に買います! そうですよね。翔さん、凄く格好いいし、C3ステーションの事件から有名人ですもんね! まあ、悪い意味でもというか、凄く指名手配されていますけど……。
 あ、あの、翔さんはすごく良い人なんです! 私の願いを代わりに叶えてくれたし、たくさん話も聞いてくれたし。お、お尻がプリプリだし……。ああああ、さ、最後のはカットしてください! お願いします!」



露出卿(DSSバトル第2試合対戦相手)

「翔は、実に見事な偉丈夫であったな。あれほどの体の持ち主は、二人とおるまい。吾輩も、堪能させてもらった。眼福であったぞ。ふむ? 誤解を生むような発言をするな? 何の話だね。
 彼は、今どこで何をしているのか。露出亜の情報網にも引っかからないのだよ。ぜひ、一度露出亜に招き、今度はVR世界でなく手合わせを願いたいのだが。
 彼を一言で表すならば……やはり、底抜けの善人と言う言葉が、一番合うのではないかな」



野々美つくね(DSSバトル第3試合対戦相手)

「翔さんは、すっごい強い人でした! でもそれだけじゃなくて、なんていうか、信念があるんです。強い思いが、体も強くしていて、本当に強い人はこういう人なんだなあって。少し、憧れちゃいましたね!
 それだけじゃなくて、すっごい優しいんですよね。あたしの迷いを察して、体当たりでぶつかってきてくれました。また、一緒に相撲取りたいな。今度は、あたしがスパンキングも覚えて、戦わないといけないですかね。
 だから、なんていうか、うーん……。すごく、いい人だと思います!」



恋語ななせ(DSSバトル第4試合対戦相手)

「翔さんですか。女の敵ですよ。狭岐橋さんの気持ちに全然気づかないばかりか、行方不明になっちゃうなんて。次に姿を現したら、グーパンですよ。僕は、乙女の恋心をないがしろにする人には、容赦しないんです。
 僕自身は……、そうですね。すごい人だなって思います。いろいろな面で規格外なんですけど、そこじゃなくて。信じるものがあって、それを貫きとおすことができる意思の力が、すごいなって。あんまり言いたくないけど、感謝してます。後押しを、してくれたから。
 なんだかんだで、いい人だと思いますよ」



鷹岡修一郎(C3ステーション元社長)

「なんだ、面会とか言うから珍しいこともあるもんだと思ったら、翔君のことか。彼は、本当に厄介なやつだったさ。いろいろなことを思い通りにコントロールしてきた僕を、こんな目に合わせた奴なんて、他にいないよ。
 今は、消息不明なんだってね。そりゃそうだよ。あんな奴、一般社会に収まるわけがない。折り合いってのがないと、この世界じゃ生きていけないよ。
 でもねえ……、あんな子どもみたいな顔してケツを振ってる奴が、一人くらいいてもいいのかもしれないとは、思うんだよね。僕みたいなやつも救おうとするなんて、アホだよ。アホみたいに良いやつ。本当に少しだけだけど……憧れちゃうよね」





「全く、みんな同じようなことばっかり言って。面白い本になるか怪しいところですね」

 幸田俊治は、インタビュー記事をまとめながら、クスリと笑った。
 C3ステーション元社長を撃破し、DSSバトルでも特異な勝率を誇った男、尻手翔。
『スパンKING』、『尻が見た悪夢』、『AAA(トリプルエー)』……。彼の持つ数々の肩書は、今ではほとんど聞くことはない。
 あの、全世界に放送されたDSSバトルにより、たった一つの肩書に統一されたから。

「どこに行っちゃったんでしょうね。“スパンキング”翔君……」

 彼は今も、どこかで、スパンキングをしているのだろうか。

 それを知る術は、幸田にはなかった。
















* *



【“スパンキング”翔】


 ドゴオオオオオン!

 東欧、クロアチア。石造りの建築がおしゃれな市街を、大型バイクで疾走する一つの陰があった。
 ロケット砲の掃射により、次々と爆発が起きる。それを、超人的なドライビングテクニックで躱していく、身長2メートルを超える筋骨隆々の日本人。
 その後部座席には、両腕を無くした黒人があわあわと蠢いていた。

「何故だ……。中東で爆発寸前の義手をちぎり取り、素早く牛舎の外に投げ飛ばしたときと言い、てめえは何故このオレのような男を助ける。許されるならば、てめえが何のためにこんなことをしているのか、聞きたい」

「そんなの、決まってんだろ」

 翔が、ひときわ大きなロケット砲を、ジャンプして躱す。その背後で、最高に大きな爆発が起こった。
 宙を飛びながら、絶叫するトム・ベンジャミンに笑いかける。

「俺の尻の届く範囲だからさ」

 “スパンキング”翔は、変わらない。

 これまでも、これからも。

 ギネスブックに載る方法を探して、世界にスパンキング(衝撃)を与え続ける。
最終更新:2017年11月19日 01:25