狭岐橋 憂・プロローグ Side.K

私のいた学校について「私立ならではの部分は?」と聞かれたら、何パーセントかは「修学旅行で海外に行くこと」だと答えるだろう。
もうどれくらい前の話かも思い出せないけど、あの日、私たちは修学旅行の真っ最中だった。
エキゾチックな寺院。
歴史を感じさせる内部の装飾に私は見入っていた。
生徒の列の前方で解説する先生の話も耳に入らないほどに。
今ならば、私はこの寺院が作られた時代にも、
装飾に語られる神話の時代にさえも行くことができるだろう。
でもきっとこの時と同じ感動は湧いてこない。
私の心は乾いてしまった。
隣で同じように天井を見上げる親友・憂を、この直後に失ってしまったから。

「お前ら、日本人だな?」

寺院から外に出たときには既に囲まれていた。
武装した男が数十人。

「ようこそ! 【LOVE・サバイバー】の縄張りへ!」

リーダー格らしい大柄の男が大きく手を広げる。
その姿はまるで演説で大げさなポーズを決め民衆の情に訴えかける政治家であった。

「率直に言う! 組織拡大のためにお前らの金が欲しい! それに……」

男の視線に背筋が寒くなる。
私たちを順に見渡しながら見定めるような視線。

「お前らの貞操も欲しい!」

私たちの学校は女子高だった。
当然、生徒は女の子しかいない。
無駄なあがきだけど、私たちはお互いに身を寄せ合った。
泣き出す子もいた。
私たちの姿を目に、唯一の男性である先生が男の前に進み出た。
先生も、足は震えていた。

「お金は渡します。ですからどうか、この子たちは逃がしてやってくれませんか」

「嗚呼、今時なんという素晴らしい教師! 金も我が身も顧みず、ただただ生徒の安全に気を配る!
 どれほどの聖職者か! 許されるならば、この教師を仲間に引き入れ、心ゆくまで女子高生の身体を味わわせてやりたい!」

「えっ!?」

そこで動揺はしてほしくなかったな。
なんて思っていると、男がするりと懐から銃を取り出した。

「だがやはり、男は死ね!」

私の世界が終わったのは、このときだった。
男が引き金を引く。
弾が、先生にめがけて飛んでいく。
集団の中から一人の生徒が、憂が飛び出す。
憂が、先生を突き飛ばす。
憂が、弾を受ける。
憂が、倒れる。
憂が……。

「ちぃ、一人減っちまったじゃねえか。今度こそ……」

「ウガァーッ!」

「な、なんだ!?」

私には憂しか目に入っていなかったが、音は聞こえていた。
テロリストの一部の悲鳴と、そいつらが吹き飛ぶ衝撃。
そして、一人の男の声が。

「トム……おめえ!」

「おお、これはこれは我が友・尻手翔ではないか! なんだその目は。
 このオレが本当は蚊も殺せない善人だとでも思ってたのか?
 許されるならば、それが勘違いだということを、その身に刻み込んでやりたい!」

テロリストたちが銃を構えるのを横目に、私は憂のところに駆け寄る。
心臓は……止まっている。
息は……していない。
瞳孔……見てもよく分からないけど、感じが、いつもと、違う。
憂は魔人だった。
とんでもない力を持っていた。
でも、男の前では無力だった。
そんな憂がどうして飛び出したのかは分からない。
ただあるのは、憂が死んだという事実だけ。

「悪りい、その嬢ちゃんは間に合わなかった。俺が奴を逃がしたせいだ」

尻手翔という名らしい男が、私に声を掛ける。
そんなこと、謝られても意味がないのに。

「そこの先公! 俺のケツを蹴れ」

尻手翔は血迷ったことを口にした。

「は?」

「そういうモンなんだよ、俺の魔人能力は」

「……っま!」

先生は驚いているようだけど、この人数相手に一人で戦えるのが魔人じゃないわけないじゃない。
魔人が怖いのはしょうがないけどさ。
それでも、使命感からか、先生はよろよろと立ち上がった。
そして、弱弱しく尻手翔のお尻を蹴った。
尻手翔の筋肉がわずかに盛り上がる。

「おい先公、もうちょい気合いを――」

尻手翔の言葉は一斉に発射された銃声の音にかき消された。

「――っつ! だが、なんとか耐えたぜ! ありがとよ、『お前ら』のスパンキング!」

とっさに瞑っていた目を開けると、尻手翔の筋肉は、常識ではありえないほど膨らんでいた。
後に知った彼の能力『ラスト・スパンKING』の発動だった。
お尻に攻撃を受ければ受けるほど強くなる。
最初の先生の蹴りでわずかに強化された尻手翔は、銃弾のひとつひとつを捌きながらパワーアップに利用していた。

「とはいえ、さすがにこの人数を守りながら戦うのは辛れえ! 俺が道を拓くから、逃げれる奴から逃げてくれ!」

そこからは阿鼻叫喚だった。
真っ先に逃げ出す子。
追うテロリスト。
遮る尻手翔。
最初は震えて逃げられなかった子も、友達に支えてもらい、後に続いていく。
尻手翔は強かった。
一人一人が訓練されていたであろうテロリストを、ことごとくお尻ひとつでいなしていく。
それだけに、私の中で怒りが湧いてきた。
こんなに強いのに、なぜこいつらを逃がしたのか。
そのせいで憂は……!

「ちい、やはり一般兵では何人揃っても一緒か!」

お互いの人数が半分くらいになった頃、たしかトム……と呼ばれていたリーダー格の男が叫んだ。
するとトムの横から一人の男が声を掛ける。

「へへへ、どうですダンナ? 一踏み一万ドル、契約します?」

この場では異質な男だった。
武装もしていなければ、格闘にも向いていなさそうなひょろい体格。
会話の内容も含めて考えると、おそらくはトムの雇った魔人だろう。

「許されるならば、お前を散々使い倒した上で、契約料など踏み倒したい!
 だがいいだろう『シャドー』! 尻手翔を始末できるなら、一万ドルなど安いものだ!」

「へへ、お買い上げぇー」

そう言って『シャドー』は歩みを進め……尻手翔は凍り付いた。

「!?」

金縛りにあったように全く動けないようである。
『シャドー』が得意げに口を開く。

「へっへっへぇー、あっしの『影踏み』に掛かるとぜーーったいに動けないのでやんすよ。
 ダンナもさすがに正面からなぶり続ければ死ぬでやんしょ?」

それは、絶望的な宣言。
この場で唯一状況を変えられる男を失った。
もはや、先生は殺され、私たちは堕とされる。
それならばいっそ、私も憂と同じ世界に……。
でも、できなかった。
憂は特別だけど、今残っている皆だって大切な友達だから。
だから、ムカツくけど、今あの男を失うわけにはいかない。
私はどうなってもいい。
皆が、逃げられるように!

「へっへーい!」

突然お腹に衝撃を受けた。
だけど、後ろに倒れることができない。
お腹を抱え込むことも。
どうして、私の目の前に『シャドー』がいるの?
どうして、魔人に殴られても大丈夫なの?
その問いに対して、『認識』はすぐに追いついてきた。
『大切な人と、位置を入れ替える魔人能力』。
『大切な人』というのが、のっけからかなり拡大解釈じゃないかなぁとは思うものの、とにかくこれで――。

視界の端で、尻手翔が一瞬の状況の変化に気付いたようだ。
もちろん視点の変わらない『シャドー』の方が入れ替わりには早く対応できた。
だけど、もう能力を知られてしまった『シャドー』は尻手翔の敵ではなかった。
尻手翔の影は『シャドー』の足をするりとかわし、尻が『シャドー』の顔に突き刺さる。
『シャドー』は泡を噴いて倒れた。

「さて、残党整理よ!」

私は殺る気に満ち溢れていた。
憂を殺した奴らを、絶対に許せない!
と、構えたのに。

「お前、何言ってんだ!」

尻手翔が遮る。

「大丈夫よ、さっき魔人に目覚めたから」

「いや、でもよ、あの感じだとお前の能力ってテレポートとかだろ? 普通の魔人の身体能力だけじゃ銃には勝てねえぞ?」

「えっ……」

それは知らなかった。
憂の能力なら多分銃にも勝てただろうし、目の前の尻手翔も銃をものともしなかった。
だからてっきり、魔人なら銃に勝てると思ってしまっていた。

「まあ、魔人に目覚めたのは別の意味で都合がいい。俺の尻を蹴ってくれ」

「は?」

先生と同じやりとりを繰り返すことになった。

「だから俺の能力はそういうモンなんだって」

それはもう分かっている。
私が言いたいのは「女にやらせる?」って部分なのだけど。
まあいい。
こいつらを逃がした恨みだ。
私はそれはもう殺すぐらいの勢いで、尻手翔のお尻を蹴った。

「よっしゃー! お前のスパンキング、受け取ったぜ!」

「キモイ!」

私の魔人の力を受けてはるかに膨れ上がった尻手翔は、そのまま残党共を空の彼方へ吹っ飛ばした。

「許されるならば、こんな雑なまとめ方じゃなく、ちゃんとしたバトルで負けたぁーーい!」

修学旅行から戻ってから、私は登校する気が起きなかった。
友達と顔も会わせ辛く、寮も引き払った。
ご飯を食べるのとお風呂に入るためだけにリビングに降り、あとの時間は部屋で過ごした。
パジャマも着っぱなしだ。
引きこもり、というやつだ。
別に魔人になったからといって疎まれているわけではない。
多分、最後まであの場に残っていた子たちが気を利かせてくれたんだろう。
だから理由はそうじゃない。
理由はもちろん、憂がいないからだ。
憂がいつもの席にいない風景を見たくなかった。
そんなことしても憂が生き返るわけじゃないのに。
あの日、もう少し早く私が能力に目覚めていれば、憂の身代わりになれた。
だけどもう時間は戻ってこない。
絶対に。

「絶対に?」

頭の中で何かが引っかかった。
あの日……そうだ、あの日。
「ぜーーったいに動けない」尻手翔を、私が、この私が動かしたんだ。
そうだ、私の能力は『絶対』を覆せる。
じゃあ、じゃあ、「死んだ人間は『絶対に』生き返らない」っていうのは?
何の根拠もないけど、でも、覆せるかもしれない。
もし、そんなことができるのなら。
憂が取り返せるのなら。

「それが、できるなら……『私は、神に愛されている』」

その言葉を鍵に、私の『転校生』への扉が、開いた。
そして私は自分の能力に名前を付けた。
これは憂、あなたのための能力。

『for you』
最終更新:2017年11月26日 13:24