狭岐橋 憂・エピローグ

見上げると、上層階の欠けたC3ステーション本社ビルが目に入ってくる。
そのバーには1組の男女がいた。
女は酒が飲めず、男は未成年である。
ロックのウーロン茶を一口あおり、女――露出卿は話を切り出した。

「運営から特別に聞かされた話であるが、『真の報酬』の対象者は吾輩となるらしい」

天問地文の復讐、鷹岡集一郎の暴走、人類チャンコ化事件。
長い長い1日であったが、この日、DSSバトルは全ての対戦を終了した。
6つの試合に決着が付き、支倉饗子は彼女のVRカードを持つ者がいないため、稲葉白兎は試合に現れなかったため、それぞれ不戦敗となった。
そして視聴ポイントの集計は既になされており、後は明日の表彰式を残すばかりとなっていた。
男――“スパンキング”翔は、やや神妙な面持ちで露出卿の言葉を聞いていた。
しかし、コーラのソーダ割を一気に飲み干すと、翔の表情は爽やかな笑顔に変わっていた。

「そうか、おめで「吾輩は次点のお主に権利を譲渡するつもりでいる」

翔は数秒考え、ゆっくりと口を開く。

「いいのか? お前にだって変えたい過去の一つや二つ、あるんじゃねえか?」

露出卿はまぶたを閉じた。浮かんでくるのはあのドラゴンの姿。救えなかった人々。しかし。

「今日の戦いで一つ思い出したのだ。あれはまさしく天災であったよ。
 あの時、吾輩はもっと救えたのかもしれぬ。だが、救えなかったことが今に繋がっている」

露出卿が基準にしたのはあくまで『今を生きる人間』の側だった。

「翻ってあの娘の場合、過去の行いを自分の『罪』だと認識している」

翔の頭に疑問符が浮かぶのを見て、露出卿は続ける。

「彼女の見せていた意志の強さは本当の強さではない。
 彼女は今も自らの『罪』に対する使命感で動いているのだ」

翔はそこでテーブルを叩いた。

「馬鹿なっ! そいつは俺が背負ってやるって!」

翔に着席を促しながら、呆れ顔で露出卿は言う。

「まったくお主という者は……。いいか、女はただ男に守られているだけを是とはせぬ。
 だが、彼女が願いを叶えられぬなら、その『罪』に押し潰されてしまう可能性があるのもまた真実」

聞いているうちに冷静さを取り戻した翔が答えた。

「要は、俺がありがたく受けとりゃそれで済むってことか」



翌日。

「それではC3ステーションDSSバトル、優勝者は――!」

鷹岡は堂々とした態度で表彰式に臨んでいた。
彼の身柄はこの後警察に引き渡されることになっている。
本来ならば現行犯逮捕も可能であったが、大会の影響力を考え、表彰式の終了までは確保しないこととなった。
彼はその信頼に応え最後の仕事を全うする。

「最多勝者、野々美つくね選手! 彼女には優勝賞金5億円!
 そして、C3ステーションから『現実世界で可能な限りの望みを叶える権利』を贈呈します」

何人か欠けた選手席から拍手が送られる中、つくねは鷹岡の前で手刀を3つ切り、恭しく小切手を受け取る。
彼女が壇上から降りると、また空気の張りつめ方が変わった。

「そして、視聴ポイントを元に独自の集計を行いました結果、本大会で最も支持を集めたのは――!」

鷹岡はそこでも一旦声を区切った。
唾を飲む音さえも許されない静寂にひとしきり酔いしれた後、鷹岡は続ける。

「“露出卿”ことアンナ・ハダカレーニナ選手! 彼女には賞金1億円が贈られます!」

彼女はこの場においても全裸であった。露出亜の魔人にとって全裸は正装なのである。
しかしこの時ばかりは彼女を咎める者はいなかった。
表彰式にミテランジェリ氏が関わっているというわけではない。
さらには映像処理も施さない完全生中継なのにである。
それは、この場の全員が、彼女の出身地・露出亜に敬意を払った結果なのだ。
そして鷹岡の刑期が1か月延びた。

「残念ながら『真の報酬』についてその詳細をこの場でお伝えすることはできません。
 ですがこれだけは申し上げておきましょう。必ずや! 『彼女』の人生は変わる、と!」

鷹岡は最後の台詞を前に、姿勢を正した。

「それでは皆さん、この放送をご覧いただき誠に有難うございました。また、どこかでお会いしましょう」

こうして、予選から数えることおよそ2か月に渡るDSSバトルはその幕を閉じたのであった。



翔は進道美樹の部屋に来ていた。
表彰式の余韻や後片付けの作業でざわめく会場とはまるで無縁な静けさがそこにはあった。

「話は聞いています。『真の報酬』をあなたに譲渡すると」

「ああ、すまねえが頼む。俺を憂ちゃんの過去に送ってくれ」

翔がそう言うと、美樹はため息をついた。

「なんだ、できねえのか?」

「いえ、感心していたのです。迷わず他人のために行動するあなた、いえ、あなたたちに」

美樹は鷹岡に一番近いところですべての試合を見ていた。
だから16のカメラが映す選手たちの行動も、鷹岡の表情も、すべて知っていた。

「社長も私も妹も、あなたたちに救われました。もちろん直接、というのもあるのですが、精神的にも。
 本当にありがとう」

美樹は深々と頭を下げる。

「いや、いいっていいって、これから憂ちゃんとカナちゃんを救ってもらうんだから」

「それなんですが……」

美樹の顔色が不安げに変わる。

「まだあるのか?」

「私の『S・S・C』は、決して無条件に過去を変えられる能力ではないの。
 その過去の展開が『人々を魅了する』ものにならないといけない……」

翔はその不安を笑い飛ばした。

「そんなことか! じゃあ心配いらねえだろ!」

そして豪快な笑いから不敵な笑みに変えて。

「探偵の姉ちゃんじゃねえけど、俺は世界で2番目に面白え奴だぜ?」



星の綺麗な夜であった。
遥か上空に一つの影が見える。
翔はそれを全力で追いかける。

「あれからそんなに経ってねえのに、もう随分と懐かしく思っちまうな」

彼は第1ラウンドでの戦いを思い出していた。
この夜で彼がやらないといけないことは決まりきっていた。
あの戦いの再現だ。
例のマンションにまで狭岐橋憂より先にたどり着き、落ちてくる彼女を抱きとめる。

ただ、第1ラウンドの時とは違うところがあった。
あのとき彼は既に憂の攻撃によるスパンキングを受けていた。
しかし今、彼を強化するものは無い。

(不安が無いわけじゃねえ)

誰もが寝静まった深夜である。
例えば、適当な民家に入り込んで住民を叩き起こし、無理やりスパンキングを頼み込む。
そういうことも考えられないではないが、今、それを実行に移すことはできない。
なぜなら、『そんなのつまらない』からだ。
人命を天秤にかけるに当たっておおよそまともな理由とは思えないが、ここは『S・S・C』影響下。
面白さだけが絶対のルール。

もちろん、彼は能力に溺れるような魔人ではない。
自らのスパンキング道を極めるため、肉体の鍛錬は欠かさない。
その積み重ねと、あとは魔人としての基礎的な筋力強化。
これだけを頼りに、マンション15階の高さから落ちてくる人間を受け止める。

(五分五分、ってとこか)

考えているうちに、影が降下体勢に入り始めた。
まずい!
翔は走るペースを上げる。
ところで皆さんは翔の足の速さについてどうお考えだろうか?
もしかしてその巨体ゆえに走るのは苦手だと思っていないだろうか?
そうではない。
まず一つに、体が大きいということはそれだけストライド、つまり歩幅が広いということだ。
そしてもう一つが重要なのだが、走るという行為には太ももから尻にかけての筋肉が使われる。
全身を余すことなく鍛えている翔であるが、スパンカーとして当然、尻の筋肉は一番鍛えてある。
つまり翔は走るのもめちゃくちゃ速いのだ。

(間に、合えーーーーっ!!)

マンションにはたどり着いた。が、一呼吸置く暇なんてものは全く無かった。
もう既に眼前には憂の一糸纏わぬ姿が! そうだねこのとき全裸だったね。
反射だけで彼女の体を受け止める。
衝撃に骨がみしみしと音を立てている。

(くっ……!)

歯を食いしばるが、腕は地面に向けてずり落ちていく。
やはり、無謀だったのだろうか。

(ふんっ……がっ!!)

肩が、外れそうだ。
このままでは重力に負けてしまう……。

(無理……なのか……?)

と、そのとき!
突如、翔の脳裏にある光景が走る。
それは、天問地文の事件によって混じり合った、第1ラウンド『失われた可能性』の記憶!

(こう……だぁーーーーっっ!!!)

体勢を落とし、後ろに倒れ込む。
その『尻餅』の衝撃で瞬時にパンプアップした翔は、再び憂をがっちりと抱え込む。
そして彼女の無事を確認し、ようやく一息ついた。

数秒して、気を失っていた憂が目を覚ました。

「ん、んん……」

「いてぇとこ、ねえか?」

翔が、あの時と同じ言葉を、あの時をまだ知らない憂に投げ掛ける。

「あなた……は?」

「おう、俺は“スパンキング”翔!」

「“スパン……キング”……翔……さん……」

憂を下ろしながら、翔は話を続ける。

「ヨシオカって野郎は俺がぶん殴っておいてやるから、憂ちゃんは家に帰んな」

「なんでそれを! それに、私の名前……!」

自分の上着を脱ぎ、憂に掛けてやる。
そしてぽんぽん、と憂の頭を軽く叩いた。

「詳しくは説明できねえ。けど、未来で助けを求められたからな」

「未来……?」

翔はこれ以上の追及を避けるため、憂に背を向けた。

「1年後、また会おうぜ!」

後ろ向きに手を振りながら、翔は歩き出した。
憂は呆気にとられ追いかけることができなかった。

「あ、お礼、言ってなかった! “スパンキング”翔さん……」

慌ててマンションの玄関まで行くも彼の姿は既に無かった。
そしてどうやってマンションを出たのか分からないが、憂が朝まで待っていても彼が再び降りてくることはなかった。

この後、元の時代に戻った翔は、また人知れず旅に出ることとなる。
もはや憂のそばには支えてくれるカナがいる。
自分が隣にいる必要は無い、と。
彼は知らなかった。
憂がなぜ表彰式にいなかったのか、その理由を。
この時の憂がまだカナの復活に気付いていないことを。
そして、露出卿が危惧した事態が進行していたことを。



時はさかのぼる。
露出卿と翔がバーで話していたのと同じ頃のこと。

『無茶なお願いしてすみません』

「ううん、恋語さんには前に相談に乗ってもらったから」

憂は恋語ななせとVRカードの通信機能を使って話していた。
全ての試合が終わった後ではあるが、ななせは自身の目的のためにVR戦場へのアクセスを試みようとしていた。
ただし、この特殊な戦場地形に向かうには『対戦相手』が必要だった。
それは、憂も第3ラウンドで戦った『出場選手に縁の深い場所、土地』である。

「なんなら、ついでにあっちのカナちゃんに会ってこようかなって」

憂はその試合で、憂の記憶を元に再現されたNPCのカナと出会っていた。
憂は彼女に対して、現実のカナとは違うもう一人のカナとして友情を築いていた。

『あっ、それはいいですね!』

カードを通してななせの笑い声が聞こえてくる。
VR空間での戦いとはいえ、ほんの2週間前に裏切り合い、殺し合った仲とはとても感じられなかった。

『では、30分ちょうどにアクセスということで』

「うん、また向こうでね」

通信機能を切って、時計を見ながらVRカードの戦場アクセス機能を起動する。
しかしここで予想外のことが起こった。
第4ラウンド、憂は対戦相手がいないためにVR空間にアクセスしなかった。
彼女のVRカードにはその戦場データがインプットされたままになっていたのだ。

彼女が降り立った先は『異世界』。
そこは憂の第4ラウンド本来の対戦相手、サイバーゴーストとなった支倉饗子がとある『実験』を行っている空間だった。

「ここ……は?」

いきなり頭痛を感じ、憂は頭を抱え込む。
そしてそのまま意識を失った。
この後1か月近くの間、憂はVR空間に囚われ続けることとなった。



………………

…………

……

わたし……。

わたし、は……。

そうだ、また、負けたんだ。

……。

ねえ、支倉さん。

「なあに?」

結局、私、乗せられてるばっかりだったんです。

恋語さんのときも、支倉さんのときも。

試合としては勝ったけど、稲葉さんのときでも。

「憂ちゃん……」

それどころか、きっと、私自身でさえ、翔さんに頼りっきりだったんです。

自分でカナちゃんを救いたいなんて、ただの見栄でしかなかった!

「それは……」

こんなことなら……もう私、いらないんじゃないかな?

自分で悩んで苦しんだつもりになったって、結局自分の意思で動いてないんだから。

私なんてもう、いなくなっちゃえば……!

「……いいのよ」

支倉、さん?

「もう、いいのよ。憂ちゃんは、私の中で眠っていてくれたら」

支倉さん……。

「疲れたでしょう? ゆっくり、おやすみなさい」

うん……。

なんだか……とっても……あったかい……。

……

…………

………………



「うーん、美味しくない、かな?」

やせ細った腕に、私は感想をつぶやく。
反対側の腕には点滴がつながっている。
どうやらここは病院らしい。
健康には気を使っていたのであまり馴染みが無い。
あの世界では医者をやっていたけれど、こんな現代的な設備なんて無かったもの。
そういえば、病院食というのは美味しいのかしら?
味が薄いという話もあるけれど、それは塩分を控えるべき病人に対してだけだという話もある。
この身体の場合、何も食べていないだけの単純な衰弱だろうから、おそらく普通の食事が出てくるはず。
残念ながら、その前に退院となる可能性の方が大きいのだけれども。

「ん……」

体を起こして眼鏡を掛け、鏡を見る。
鏡の中の憂ちゃんは辛そうな顔をしていた。
心配しないで、と私は彼女に笑い掛ける。

そこに、突然の来訪者が現れた。
知っている顔だった。
と言っても私の方ではない。憂ちゃんの方。
そう、たしか……。

「夢、さん」

「久しぶりね、ユウちゃん」

違う私になってから最初に名前を呼ばれるときはいつも、なんだか騙しているような気分になって、何も言えなくなる。
私が答えに詰まっている間に、夢さんは話を続けてきた。

「ごめんなさい、あなたを巻き込んで」

「いえ……」

あいまいな返事でごまかした。
ただ、ちょっと夢さんの言い方には引っかかる部分がある。
『巻き込んで』と言うからには、彼女自身にもこの大会で何か目的があった?
その疑問は、すぐに晴れることになる。

「私の本当の名前は、ユメス」

「ユメ……ス?」

「そう、昔ゴメスと共に暮らしていたゴ人のメスのうちの一人。
 私は彼を貶めた国暗協がこの大会の裏に絡んでいることを突き止めた。
 そこで私は復讐のため、コミュニティの人脈を使ってVRカードを手に入れ、出場してくれる子を探していたの。
 国暗協が関わる以上、盤外戦は避けられない。あなたを現実の危機に巻き込むことになると知っていながら。
 それどころか私は、国暗協壊滅のために、あなたを報酬に『転校生』を呼ぶことまで考えていた」

彼女はそこで一息ついて、

「だから、私が今からやることをユウちゃんには気にしないでほしいの。これは、私の償いだから」

上着を脱ぎ始めた。

「支倉饗子は、私が引き取るわ」

「なっ……!」

気付いていたというの?
でも、『引き取る』って……。

「その意味が分かってるの?」

私を『引き取る』というのは、私、つまり憂ちゃんの体を食べるということ。
私は別にそれでもいいけど、あなたはそれで納得なの?
そういうつもりで聞いたのだけど、彼女の答えは私の予想外だった。

「私は、ユウちゃんと違って『完全な』サキュバスになることができる。
 『食欲が性欲に変換される』なんて、そんな程度じゃないの。
 うふ、完全なサキュバスにとって、セックスとは『食事そのもの』なのよ」

彼女の姿が禍々しく変質を遂げていく。

私が怒りというものを感じたのは生まれて初めてかもしれない。
繰り返すけど、私は彼女がこの体を食べてくれるなら別にそれでいいと思っていた。
まだ痩せてるからあんまり美味しくはなさそうだけど。
でも、この人は肉体を食べることなく『私』だけを奪おうとしている。
私にとってそれは、何よりも屈辱だった。
それに、憂ちゃんがあんなに思い詰めたのも……。
憂ちゃんを最初に舞台に『乗せた』のは、あなたじゃない!
今さらまた、憂ちゃんをこの世界に放り出そうっていうの!?

「あ、あなた、なんかに……!」

けど、言葉とは裏腹に私の腰はすっかり抜けてしまっていた。
それに全身の感覚が鋭敏になっている。
こんなに強いなんて。サキュバスの催淫効果……。

「ふふ、強がってもムダよ」

「ひゃう!」

い、今の感覚……VR空間で何度も体を重ねた憂ちゃんの比じゃなかった。
まるで、肉体じゃなくて、むき出しになった『私』そのものに触れられてるような……。

「あ……ぁああ……だめえぇぇぇ……」

吸い寄せられる……何か大きな力に……。

「んっ……わかる? これが、私の、食事」

「あっ……!」

心外ながら、その意味は解ってしまう。
魂が少しずつ千切られて取り込まれていく、いつもの感覚。
これは紛れもなく『食事』なのね。

早くも、彼女の食事は既に半分くらい終わっていた。
そうは言っても、このままなすがままにされている私ではない。
彼女が半分私だというのなら……『食べ返す』までよ!

「むぐ……」

だけど。

「あら? 甘噛み? 可愛いのね」

文字通り、歯が立たない。
あごに力が入らない。
必死で喰らいつこうとするものの、彼女の食事は最終段階に入ろうとしていた。
最後に彼女は私の耳元に、優しい声でささやいた。

「ユウちゃん、『皆』があなたの幸せを望んだの。
 それだけは、誰が仕組んだでもなく、あなたが自分で勝ち取ったもの。
 だから、帰っておいで」

「んむぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーっ!!」

一番、大きな波が襲ってきて、そして私は、支倉饗子を、手放した。



うう、腰が……。

「うーん、『前の私』を自分の目で見るのは初めてね。なんだか新鮮」

「支倉、さん……」

「そんな顔しないで。私は止めようとしたんだから」

「そう、でしたね」

夢さん、ごめんなさい。
あの人はそんな言葉を望んでいないだろうから、心の中だけでつぶやいた。
そのかわりの言葉を口に出して言う。

「ありがとう、ございます」

夢さんも、支倉さんも。
方向は違っても、2人とも私を守るために戦ってくれたから。

「……あ、そうだ! あっちに」

支倉さんは嬉しそうに病室の入口の扉を指さした。
つられて私はそちらに目を向ける。

「彼からの贈り物が待ってるわよ」

彼? 贈り物?
言葉の意味を考えていると、急に後頭部に風を感じた。
振り返ると、窓が開け放たれて、カーテンがはためいている。
そこにもう支倉さんの姿は無かった。
まるで、最初から夢だったみたいに。



おそるおそる扉を開く。
すぐそばに、長椅子をベッドにして、私と同じくらいの歳の女の子が眠っていた。
……お行儀悪いよ。

「ん……あ、ユウ……?」

彼女が目を覚ました。
やっぱり、ずっと、追い求めてきた人だった。
今度こそ、夢でも、仮想空間でもない。
彼女の名前を、私は確かめるように呼ぶ。

「カナ、ちゃん」

私は必死で涙をこらえる。なぜか向こうのほうも泣きそうな声だった。

「この馬鹿っ! なんであんな危ない大会に……」

そうだった。カナちゃんの方からしてみれば、私の方こそ1か月眠りっぱなしで、心配だったんだ。
改変された記憶を紐解いて、適当な答えをでっちあげる。

「ごめんね。もう一度、翔さんに会いたくて」

「もうっ!」

おかしいな。責められてるのに、嬉しさしか感じない。
『喧嘩』がしたかったはずなのに……。
このまま雰囲気に飲まれて私がごめんなさいして終わりになりそう。

(いやいや)

違う。それだと今までの私と一緒だ。
言うべきことはちゃんと言っておかないと!

「でも、カナちゃんだって私に危ないこと隠してるでしょ」

「えっ?」

動揺してる動揺してる。
こっちは全部知ってるんだからね!

「その、ふぉ、ふぉー……ゅぅ……」

うぅ、口にするの恥ずかしいよこの能力名。
ビシッと決めてやろうと思ったのに……やっぱりズルい!

「なんで!? パパとママにしか言ってないのに! バラした!? でも、え~?」

あ、効いてた。顔真っ赤だ。
あっちもあっちで私にバレるなんて思ってなかったんだろうなぁ。
よし、今が攻め時だ。

「私はこんな恥ずかしい能力明かしたのに、自分だけ隠すの酷くない?」

「それは……」

「例えばもしそれで、私の知らないところでカナちゃんが勝手に死んだりしたら許さないんだから!」

「でも……」

うん、分かってる。そんな勝手な言い方無いよね。
勝手に死にかけたのは私の方だし。だから。

「だから私は、もう絶対にその能力を使わせない!」

カナちゃんの、次の反論を用意していただろう口が途中で止まる。

「ユウ……」

『皆』が作ってくれた奇跡は、今度こそ、今度こそ! ちゃんと私の手で守っていかないといけないと思った。
けれどそれは、私1人では到底背負えそうになかった。
さっきの支倉さんのことで、それがよーく分かった。

「何でも話すから、何でも話してよ」

だから、2人で。そのための親友なんだから。

「……ユウ、なんか成長したね」

「何その上から目線!」

「ごめんごめん。でも、これが大会の影響なら、出て良かったのかもね」

本当に、いろいろあったんだから。
落ち着いたら全部包み隠さずに話してやろう。
自分が死んでたなんて知ったらこの子、どんな顔するかな?

「そうだね」

さてさて、『喧嘩』はこれでおしまい!
カナちゃんとやりたいことはまだまだ山のようにある。
まずは……、

「ところでさ、カナちゃんに会わせたい人がいるんだ」

「へぇ、どこに?」

「VR空間!」

約束を果たしにいかないとね!



―― Fin. ――
最終更新:2017年12月12日 22:16