〈私〉プロローグSS


 どうすればダンゲロスSSのキャンペーンで優勝できるのか。

 兵庫県は神戸市近郊。詳しい住所は伏せさせて頂くが、〈私〉はある一軒家に着いた。

「やあよく来たね。そこに座ってくれ。」
「そちらこそ元気そうで何よりだよ。」

 出迎えたのは家の主だ。
 彼と〈私〉は親しい友人で、こうして良く相談に乗って貰っている。

 〈私〉は座布団に胡座をかきながら、土産袋を彼に渡した。

「神戸屋のパンだ。受け取ってくれ。」
「神戸屋のパンか。俺は神戸のパンなら大体好きだな。」
 会うたび〈私〉が彼に神戸屋のパンを渡すのは、彼のことを神戸屋先生と呼んでいる故である。
 なので、ここでも親しみを込めて神戸屋先生と呼ぶ。

 神戸屋先生とは学生時代からの付き合いだが、彼の神戸好きはその頃からだ。
 何度か神戸を案内して貰った事もあるが、その神戸への知識深さには驚嘆させられる。
 彼を神戸屋先生と呼ぶのは、そういった理由からだ。

「それで、今日はどういった用件だい?君のことだから、どうせまたロクでもない内容なのだろうね。食べながら聞くから話してくれ。」
「まあ言い返したところで神戸屋先生には敵わないか。用件というのはね、新しいダンゲロスSSの試合が行われるそうなんだ。」
 手短に伝えた〈私〉の用件を聞くなり、神戸屋先生は神戸屋のパンを咀嚼した。

「DSSバトルについては君も既知だろう?どうだい、これは〈私〉達が楽しむ為の良い機会だと思うんだ。」
 神戸屋先生とは文筆の趣味を持つ同士である。これまで作者としてDSSバトルに何度か参加させて貰っていたので、今回も神戸屋先生と戦いたいと思って誘ったのだ。

「今回の舞台も概ねいつものダンゲロスの世界だそうだ。思えば何度かDSSバトルに出ているとはいえ、〈私〉達は直接サシで戦ったことはないだろう?今からでもキャンペーンに向けて人物をあてがってみないか?」
 神戸屋先生は〈私〉の長々しい口上を聞き終えると、パンを飲み込み、一つあくびをして答えた。

「君には二つ答えよう。一つ、俺はダンゲロスには大して期待してない。一貫して匈奴とか蝦夷のような立ち位置だからな。」
「面白い例えだね。教科書にあまり登場しないという意味かい?」

「外部からの侵略者という意味さ。俺は参加しない。」
「なぜだい。〈私〉は先生に出て欲しいのに。」
 〈私〉は食い下がったが、こういうときの神戸屋先生は意地でも自分意見を変えない
 元はと言えば誘ったのは〈私〉のワガママだし、彼が断る理由は山程ある。

「それにだ。二つ、君はついこの間、俺とサシで小説の出来栄えを比べて勝負をすると決めたばかりじゃないか。ソレの日取りと被らないのかい。」
「それが実は、大いに日程が被ってしまうんだな。まあ、なんとかなるさ。」

「暇な奴だな。俺は趣味の旅行で忙しいよ。まあ応援してやるから頑張ってくれ。」
「そうだ、神戸屋先生が参加しないんなら、俺に協力してくれないか。」

 いきなり申し出てみたが、神戸屋先生もこれには嫌そうな顔をした。
「さっきも言ったろう。十月は旅行で忙しいんだ。だいたい、DSSバトルくらい、君の実力ならなんとかなるんじゃないのか。」
「まあ聞いてくれよ。今回はちょっと試したい事があってさ。それは神戸屋先生の知己があってのものなのさ。」
 断りはするが、話を聞いてくれるのが神戸屋先生の美点だ。
 〈私〉は会話の中でアイデアを出すタイプの人間なので、彼のような友人は貴重だ。

「とりあえず内容を確認してからだなあ。見てみないことには、何も言えないよ。」
「流石は神戸屋先生だ。VR技術の進歩は先生も知るところだろう。今回のDSSバトルもVRに則って行われるんだがね、〈私〉の案はそれに乗っかってやろうと思うのさ。」

「VRとは風流だな。それで、何をしてやるつもりだい?」
「ダンゲロスで〈私〉が戦うのさ。面白いだろう?」
 神戸屋先生は一気に怪訝な表情になった。

「おいおい、ダンゲロスってのは魔人が戦うものだろう。君は魔人ではない。幾ら君のような変人でも、誰か他の魔人を当てがうのが筋じゃないか。」
「それについては問題無いよ。神戸屋先生も前に言ってたろう。『起こりえないことは、この世にはないのさ』とね。」

 この世ではおしなべて起こり得ることのみが起こる。
 可能性さえ立証できれば、それらは全て起こってしかるべしだ。

「神戸屋先生。要は〈私〉が納得出来るか、どうか。という問題なのさ。納得できれば、それは起こり得る。それが人間の主観と言うものだろう?」
「それなら俺からも言わせて貰うけどね、言外の内容についてはどうするつもりだい?ダンゲロスの連中、君が説明してないことについて好き勝手解釈するつもりだぜ。」

「安心しなよ。主観とはクオリアを切り取って見た一側面に過ぎない。例え他の人間から見た〈私〉が〈私〉ではなくても、〈私〉であることに変わりは無いのさ。
故にこそ、〈私〉の否定は〈私〉の肯定と並行すると言えるね。」
「成る程な。ならもう一つ付け加えさせて貰うけどね、現実的に考えれば、DSSバトルに参加するには、何か手続きが必要なんじゃ無いのかい?」

 手続きと言えば、そう。""この世界""では、DSSバトルに参加するには、ネットの参加表明ではなく、VRカードというものが必要なのだった。
 それに気付いてくれるとは、やはり良い友人を持ったものである。

「そうだ。VRカードという代物が必要でね。高名な神戸屋先生のことだ。この世界ではVRカードを持っていたりしないかい?起こり得ないことは何もないだろう?」
「馬鹿なのか君は。なぜそういうことを言ってしまう。現実に持って無いものを、俺が持っているわけ無いじゃ無いか。」

「ああ、しまった。そうだね。君が持ってる可能性は無いわけか。」
「まあ、持ってそうな奴に一人心当たりはあるな。なにせ、起こり得ないことは、この世にはないからね。」

 不気味な文句を聞き、その後は三ノ宮にあるドイツ料理店などの話をして、お開きになった。
 さてさて。鷹岡氏が主宰するDSS世界大会の参加資格を得るには、VRカードを手に入れる必要があるのだが、神戸屋先生は現実にそれを持っていそうな人間に、心当たりがあるのだという。

 流石は神戸屋先生だ。
 だが、時間的余裕という問題もある。
 名残惜しいが、〈私〉は大阪の職場に戻った。

 ここで個人情報を公開しておくと、〈私〉は趣味で小説を書いている。そして、現実では小さな事務所でアイドルプロデュースの仕事をしている。
 趣味の小説はネット上にも公開してはいるが、あまり評価は得られていない。

「遅かったじゃん。プロデューサー。」

 事務所に戻った〈私〉を出迎えたのは、黒髪長髪の文系のような外見をした十代後半の少女だ。
 いかにも本好きのような雰囲気を漂わせる彼女の名前はファックマリア様だ。
 〈私〉はファックマリア様の奴隷であり、ネット小説アイドルという斬新なキャラクターを演じて人気を得るため、〈私〉にネット小説を書かせているわけだ。

 そのネット小説の評判は、先に述べたとおりである。
 ファックマリア様は〈私〉の頬をグーで殴り飛ばした。
 〈私〉は机の角に頭をぶつけた。

「何してたの?担当アイドルを待たせるなんて随分と良いゴミ分じゃん?」
「アガァっ!申し訳ございません。ファックマリア様…!」
 ファックマリア様は待たされることが何より嫌いなのだ。これはファックマリア様に不快な思いをさせてしまった〈私〉の完全な過失だった。

「ゴミ分のくせにちゃんと謝れるんじゃん。それで?あんたがDSSバトルに参加してアタシの名声を高める件はどうなったの?」
「ははぁ…!それについては、VRカードがないことには如何様にも出来ぬ次第でして…!」
 〈私〉がことの次第を説明すると、ファックマリア様は4度目の怒りを覚えた仏像のようなご尊顔をなされた。
 3度目の怒りを超えた仏様は、丁寧に舌打ちをなされた。

「ちっプロデューサーの命もこれまでか。」
「お、お待ちください!〈私〉の友人にVRカードを持っている人間に心当たりがあるとのこと。今からその者に会おうと存じております。ああ〜どうか神様仏様ファックマリア様〜〜。」

 こうして〈私〉は担当アイドルと共に、慣れない車を運転して大阪の刑務所を訪問した。
 すぐに面会が許可されたのは、事前に神戸屋先生が話を通してくれていたかららしい。これには友人に感謝してもし尽くせない。

 さて、神戸屋先生がVRカードを持っている可能性のあると指摘した人物。その囚人は、大阪の刑務所でも特に重犯罪者だけが収監される、特別レベルの房に収監されていた。

 刑務所長との書類の手続きを手早く済ませた〈私〉は、ファックマリア様を引率しながら、房に足を運んだ。

「これはこれは、来客とは随分と珍しいものだ。」

 この業界に携わった者なら知らない者はいないだろう。全身を拘束具に縛り付けられた、この男の名前は秋葉原元康。
 今更説明するまでもないが、秋葉原元康は数々のアイドルと楽曲を世に送り出したが、猥褻物陳列、そして未成年淫行の罪で現在は服役する元天才プロデューサーだ。

「秋葉原元康、今日は貴様に面会したいという者がいるので連れてきた。怪しいことをすれば即射殺する許可が出ている。」
 刑務所長が分かりやすく〈私〉達を紹介してくれた。

「秋葉原元康様。お名前はよく存じ上げております。〈私〉は元康様の足元にも及ばないような新人プロデューサーでして、この子は担当アイドルの…」
「良い良い、謙遜は止しなさい。伝説と雖も今はこうして縛り付けられている身。
それに、自分のことを下げてしまえばそちらのお美しい担当アイドルさんも下げてしまうことになるでしょう。」

 秋葉原元康氏の丁寧かつ紳士的な指摘に、〈私〉は気づかされた。
 確かに、この場で自分を貶めると、ファックマリア様のことまで悪く言ってしまうことになる。

「まあ良いでしょう。あなたのような新人は未来がある。そしてなぜ、こんな所へ来たのかも、概ね想像がつきますよ。」
「ああ…!流石は伝説のプロデューサーです。お話が早い。」

 〈私〉は秋葉原元康氏に、これまでの経緯とVRカードの所在について尋ねた。
 秋葉原氏は微笑みながら話を聞き、そして思案顔で答えた。

「そうですね…確かに〈私〉はVRカード持っています。そして現在の所在についても把握している。なんならタダで君に進呈してもいい。」
「ほっ本当ですか!ありがとうございます!」

「それに…その気になれば君の担当アイドルのプロデュースを手伝ってあげてもいい。」
「はっ…?」

 秋葉原氏は柔和な笑みから僅かに細目をこちらに向けた。
「その代わり…そちらには条件がある。その子と僕をアイドルユニットとして組ませて欲しいのです。」
「ええっ!?な、何を仰ってるんですか!?」

「僕は一度全てを失いました…ですが、僕は密かに自分自身がアイドルになりたいと思ってましてねぇ。そちらのお嬢さんとなら、獄中プロデュースというアイドルユニット名で売り出せば面白いでしょう?」
「は…はあ、えっと、その。」

「う〜ん、そうだなあ。では賛成の証に、お嬢さんには僕にキスをして貰いましょうか。」
「ええっ!」
 それはいくらなんでも横暴だ。だが、決して口には出せなかった。
 秋葉原元康。伝説のプロデューサー。界への影響力は獄中でも健在であり、その気になれば〈私〉やファックマリア様など、干されてしまうからだ。
 よくもこんな所へ送り出しやがって。恨むぞ神戸屋。

「どうしました?VRカードと名声が僕にキスをするだけで簡単に手に入るのですよ?」
「でっですが、同じプロデューサーとして、可愛い担当アイドルにそんなことをさせるわけには…」

 ファックマリア様が大きく舌打ちをなされたのは、〈私〉が言い終わる前だ。
「ちっ!良い度胸だぜ!おい刑務所長!こいつにキスしてやるから独房の格子を開けろ!」
「かしこまりました。」

 刑務所長が恭しくお辞儀をすると、柱のボタンを押し、独房の格子を開いた。
 ファックマリア様は堂々と独房の中に入る。
「鍵を閉めろ。」
「良い子だ…お嬢さん。」

 刑務所長は再びボタンを押すと、今度は独房の格子が閉まった。
「さあお嬢さん…僕にキスをしておくれ。頬ではなく唇にだぞ。」
「まっ待って下さい!その子にそんなことをさせてはいけない!危険だ!早く逃げて!」

「大丈夫…こんなものは枕営業のうちには入らないよ。おい、そこは鼻だぞ。おい何してる。やめろ!あがあああああああ」
「秋葉原氏ーーーっ!早くファックマリア様から逃げるんだーーーっ!」

 全身を拘束された人間に何を言っても虚しいものだ。
 秋葉原氏の表情はファックマリア様が覆いかぶさって見えないが、おそらく苦しんでいた。

 焦った刑務所長が急いで独房の格子を開き、秋葉原氏に噛み付くファックマリア様を振りほどいたが、その口からは夥しい量の血が流れていた。

「あがああああ…僕の鼻が、噛みちぎられてしまった…!」
「へっ、その面でアイドルしてえなら手伝ってやるぜ。」

 秋葉原氏の鼻を噛みちぎったファックマリア様は嬉しそうにご立脚されていた。
 これを見上げた秋葉原氏は牙を剥き、不敵に笑った。

「面白い…!お嬢さんは何としてもプロデュースさせて後悔させてやりましょう…!」

 果たしてこの先どうなるのか。〈私〉には分からなかった。
最終更新:2017年10月14日 19:46